.review論考「ライフスタイルとしての「小悪魔ageha」と「森ガール」分析( #co_article006 )」

西田亮介さん(慶應義塾大学政策・メディア研究科助教)らによるプロジェクト「.review」に提出した論考の第二弾、「ライフスタイルとしての「小悪魔ageha」と「森ガール」分析」が公開されています(こちらでの告知が遅れました)。論考へのご意見・ご感想等はツイッターにてハッシュタグ #co_article006 をつけてください。

※2012年5月4日更新:.reviewのサイトが終了したため、PDFファイルをこちらのサイトで公開することとしました。→「ライフスタイルとしての「小悪魔ageha」と「森ガール」分析

2010年4月12日11:59| 記事内容分類:民俗学・都市伝説, 考現学| by 松永英明
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ライフスタイルとしての「小悪魔ageha」と「森ガール」分析

論考PDFはこちら→「ライフスタイルとしての「小悪魔ageha」と「森ガール」分析」をご参照ください。おおよそ1万字の論考である。当該ページには、アブストラクト(概要)とツイッターでの言及も掲載されている。論考についてのご意見・ご感想は、ツイッターにてハッシュタグ「 #co_article006 」を付けてツイートのこと(ハッシュタグの前後には、半角空白をそれぞれ入れるようにしてください)。

アブストラクトは以下のとおり。興味を持った方は上記リンクから本文参照のこと。

雑誌「小悪魔ageha」は「age嬢」というスタイルを生み出した。これは単なるファッション領域にとどまらず、age嬢という生き方、ライフスタイルを示している。それによって、雑誌自体はキャバクラ嬢を主要ターゲットとしているにもかかわらず、広範な読者を獲得している。

age嬢は「モテ」や「愛され」を拒絶してただ「自分らしく生きる」ことを目的とし、「盛り」と呼ばれる髪型も「自分を守るための武器」と位置づける。

速水健郎『ケータイ小説的。』はヤンキーとギャルの違いについて指摘したが、age嬢はその双方の要素を持つことも指摘したい。たとえばage嬢には地元重視志向と歌舞伎町・六本木志向がともに見られる。小悪魔agehaのバックナンバー全冊を資料として、「自分らしさを重視する女子」の一つのスタイルを概観する。

また、これと対照的なファッションと見なされる「森ガール」も、やはり「自分らしさ」の表現を求める別の層であることを明らかにする。現代の多くのファッション誌が「愛され」等評価されることに価値を置く一方で、「自己主張的なライフスタイル」を支持する人たちが一定の勢力を有していることを示したい。

私は事実関係の確認・まとめ、用語の定義など前提部分をきちんとしておきたいという気持ちが強いので、一万字の論考ではどうしても事実関係まとめ部分がふくらみ、考察部分が短くなってしまう傾向がある。それでも、必要と思われるキーワードや軸となる観点は盛り込んだつもりだ。

小悪魔agehaや森ガールを論じる理由

ちなみに、この論考を提出したのは2月20日だったのだが、その後、「オリーブ少女と森ガール、または「思想」(トンガリ)から「生活」(まったり)へ - Ohnoblog 2」というブログ記事が出た。ここでは「男が女の子を分析して論じるのは、それで女をモノにしたいからだ」というような見解が出されており、コメント欄でそういう意見が肯定されている。

この考え方には違和感を覚える。まず、「男」「女」とひとくくりにして「男はどうこう」「女をどうこう」というような切り分け方自体、偏見の塊ではないかと思う。個々異なる「男」を一つのものと分類し、「男は女をどうこうする」と分析する発想自体が、「男の人ってなんで女の子の事を語りたがる(分析したがる)んでしょうかね」という物言いと矛盾している。

また、「分析して理解した気がすると、モノにしたような気分になるんでしょうか」「と、考えると男性がオバさんを分析したがらない事が理解できます。モノにしたくないんです」などと言うのもおかしな話だ。そもそも、age嬢も森ガールも彼女たち(またはそれに極めて近い女性編集者)による「自称」である。自称された女子カテゴリーに対して「それは何なの?」という興味を抱くのは自然なことではないだろうか。「男は下心の塊」的な発想自体がステレオタイプな偏見にほかならない。

ついでに言っておくと、私はage嬢的なファッションは好みではない(ナチュラルメイクもしくはすっぴんの方が好き)。森ガールは下北沢でよく見るので見慣れているが、森ガールの概念を知ったからといって、「森ガール」風の衣装を着た個々の女性を理解できるなどとは微塵も思わない。

私の今回の論考では、age嬢も森ガールも他者(特に異性)の評価を気にしない、というのが一つの結論である。言い換えれば、「男」が彼女たちを「モノにする」ような下心を持って近づくこと(論ずること)自体が危険だということだ(型にはまった言い方をすれば、age嬢にはカモられるだろうし、森ガールには侮蔑されるだろう)。

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2010年4月12日11:59| 記事内容分類:民俗学・都市伝説, 考現学| by 松永英明
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