『ザ・コーヴ(The Cove)』試写会の感想:上映中止するほどの映画ではない

和歌山県太地町(たいじちょう)のイルカ漁について「告発」する映画「ザ・コーヴ(The Cove)」の試写会に行ってきた。

この映画は、右翼団体から「反日プロパガンダ映画」として抗議が相次いだことなどから、渋谷・六本木・心斎橋での公開や明治大学でのイベントなどが次々と中止に追い込まれている。そんな中、「エココロ」の試写会招待があることを知り、応募したところ、招待券が送られてきた。

結論から言えば、この映画の内容には賛同できなかった。しかし、これが「反日」だと批判したり、上映を暴力的にやめさせようというのもおかしいと思う。むしろ、そんな風に騒ぐのではなく黙殺するか、あるいは淡々と事実に基づいて反論すれば充分カウンターとなるレベルの駄作であると感じた。

以下、詳細に感想を述べる。

2010年6月16日09:55| 記事内容分類:日本時事ネタ, 映画| by 松永英明
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THE COVE パンフ表THE COVE パンフ裏
The Cove パンフレット(画像クリックで拡大)

THE COVEの上映中止に関する報道

 日本のイルカ漁を批判した米映画「ザ・コーヴ」について、東京都内の「シネマート六本木」と大阪市内の「シネマート心斎橋」の映画館2館が4日、予定していた上映を取りやめた。既に東京・渋谷の1館が中止を決めており、これで東京での上映予定はすべて中止となった。

 関係者によると、同作品の上映中止を求める抗議や街宣活動があり、新たに中止を決めた2館を運営するエスピーオーは「劇場以外を含めて、迷惑をかける可能性が高くなったため」と説明している。

 明治大学は、17日に東京都千代田区の駿河台キャンパスで予定されていた映画「ザ・コーヴ」の上映や、映画に出演し、来日中のリチャード・オバリーさん(70)と学生との質疑応答を中止することを決めた。14日、映画の配給元が明らかにした。授業に影響を及ぼすことが理由という。

 和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りした米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映中止が相次いでいる問題で、日本ペンクラブ(阿刀田高会長)は15日、上映中止を憂慮する緊急声明を発表した。

 声明では、「言論表現の自由にとって残念な事態がじわじわと広がっている」とし、「映画館・大学を含む公的施設は圧力に屈することなく作品の上映機会を提供できるよう、努力を重ねてほしい」と呼びかけている。

Wikipediaでは「反日プロパガンダ映画」という中立性を欠いた記載がなされており、右派・民族派にとっては看過しがたい映画のようだ。

こういう状況の中、エコを感じるココロ エココロ.comで「ザ・コーヴ試写会プレゼント」があったので、ためらうことなく応募した。そして、試写会招待券が届いたのだった。

THE COVEの内容

試写会は6月15日、会場は秋葉原の富士ソフトアキバシアター。小さなシアターだが小綺麗なところである。

私自身は文化相対主義者である。だから、「反日」という言葉を使って批判するような思考回路の持ち主(エスノセントリスト)とは相容れない一方、大きな害悪をもたらしているのでなければ各文化の独自性を尊重するという立場でもある。そういう意味では、「鯨イルカ・イデオロギー」とも相容れないといえる。

この映画についても、仮に「反日プロパガンダ」という指摘が正しかろうと正しくなかろうと、とにかく一度見た上で判断すべきだし、さらに「上映させない」という言論封殺はかえって立場を悪くするだろうと思った。だからこそ、ひとまずはこの目で見てみようと思ったのだ。

ザ・コーヴ、すなわち「入り江」。太地町の外からは見えない「秘密の入り江」の中でイルカが年間2万3000頭も虐殺されている。そのシーンを世界中に伝えよう……というのがこの映画のコンセプトであり、タイトルもそこから取られている。

主人公はテレビドラマ「わんぱくフリッパー」で主役イルカたちの訓練をしていたリック・オバリー。その放映後、そのイルカは水族館に返されたが、その一頭がオバリーの目の前で「自殺」のような死に方をしたことから、「イルカ解放」運動の活動家(アクティビスと)として活動しているという。網を切ってイルカを逃がすなどの実力行使を含む活動により、逮捕された回数は数えられないようだ。

そんなオバリーが、クジラの町として有名な和歌山県太地町では地元の漁師から敵視されているという。マスクをして顔を隠して車を運転するオバリー。尾行車もついているようだ。太地町は、世界のイルカショー施設向けのイルカの生け捕りと、食用イルカ年間2万3000頭の「虐殺」を行なっており、それをやめさせようというのである。しかし、その現場は立ち入り禁止となっており、地元漁師たちがオバリーらの撮影を阻止する。

太地町では過去にシーシェパードがイルカ漁に突っ込んだこともあった。その当事者もインタビューでコメントしている。また、サーファーたちが抗議で突っ込んだこともあったようだ。

映画は一方で、イルカの知性の高さを強調する。人間並みあるいはそれ以上の知性を持つイルカ。イルカは聴覚が主要な感覚器官だ。ところが、シーワールドのような音楽と歓声の環境の中では、イルカはストレスから胃潰瘍になるという。太地町では騒音を嫌うイルカの習性を利用して、船上から海に突っ込んだ棒をガンガン叩いて音の壁を作り、イルカたちを「入り江」に追い込む様子が映される。

オバリーは仲間を集めていく。ドキュメンタリー映画監督ルイ・シホヨス、隠し撮りのための技術者、潜水の名手たち。このあたりはあえて撮影陣の気持ちになってみれば、「悪しき儀式を行なっている極東の漁村に危険を冒して侵入し、儀式の全貌を全世界に暴くために仲間を集め、知恵と技術と勇気を駆使して大活躍!」的なノリが感じられる。対するは、表情も体格もふてぶてしい太地町長、私服警察官、ビデオカメラを抱えて「プライベートスペース」しか言えない漁師、罵声を浴びせる野蛮な原住民。その監視をかいくぐって綿密な計画を立て、一行は岩に偽装したカメラなどを設置しに行くのである。

入り江に追いつめられたイルカの鳴き声を聞いて、涙を流す一同。イルカ解放の決意は否応なく高まっていく。

この冒険ストーリーと併行して、食用イルカの危険性が訴えられていく。イルカ肉から2000ppmもの水銀が検出されたとか、そのイルカ肉が全国に鯨肉と偽って流通しているという「調査結果」が報告される。イルカ肉の水銀問題については、「命の危険も顧みず」反対している太地町の二人の町会議員がコメントをしている。水俣病の映像も挿入される。

一方、東京・名古屋・大阪の街頭でのインタビューで、日本人が「イルカを食べるなんて信じられない」「年間2万3000頭も殺されているなんてひどい」と反応するシーンを収めている。つまり、「一般的日本人も知らないイルカ食なんて、伝統でも何でもない」というわけだ。

また、国際捕鯨委員会(IWC)の「問題」も指摘される。日本代表・森下丈二氏は知的な悪役的なカットだ。日本に都合のよい議論ではニヤリと笑う表情がクローズアップされる。また、日本の調査捕鯨に賛同する小国がすべて日本の援助を受けているような解説もなされる。

しかし、オバリーはIWCにも批判の手を緩めない。IWCではクジラは対象なのに、同じ仲間で小さいだけのイルカが対象となっていないことを激しく批判する。

また、日本が漁業資源を「乱獲」しており、今のままでは2040年に水産資源が枯渇するというデータが示される。そこでは築地市場の映像が早送りで流されている。

そして、いよいよ隠し撮りに成功する。設置されたカメラは、入り江に追いつめられたイルカが突き殺され、入り江が真っ赤に染まるところを捉えている。マグロのように船に上げられ、並べられるイルカ。上空からはラジコン飛行船で捕らえた写真。真っ赤に染まった入り江が映し出される。

イルカ肉の水銀含有量は規定値以下で、今は即死させるやり方だから残虐ではない、と述べる日本人研究者に対して、彼らはこの入り江で撮影した映像を見せる。「これ、いつどこで撮影したんですか?」と研究者は問い返す。

また、IWC総会の会場へオバリーは大きなテレビを抱えて乱入する。その画面には、太地町でのイルカ「虐殺」シーンが映し出されていた。

最後の方で、これは日本語版だから入れられたのかもしれないが、「2000ppmという表現があったが、測定によってばらつきがあるのは事実」「イルカ肉を鯨肉と偽装しているということを太地町は否定」というコメントが入って、一応反対意見も掲載されているという状態で終わる。

ザ・コーヴの問題点

途中でメモを取っていないし、前後順不同になっているが、この映画の概要はこんなところである。

私は、この映画は完全に軸がぶれていると思った。そして、彼らの狙った効果、すなわち「秘密の入り江に隠されていた残虐行為」というメッセージは理解したが、それをどうこうしようという気にはまったくならなかった。彼らの「プロパガンダ」にはまったく乗らなかったのだ。

そもそも、彼らの発想の原点は「鯨イルカ・イデオロギー」である。新潟大学人文学部の三浦淳教授の説明によれば、それは「鯨は捕獲してはならない特殊な動物、高度な知性を持つ動物、或いは神聖な動物、とする見方」と定義できる。鯨イルカ・イデオロギーについては、以下のページを参照していただきたい。

イルカは高度な知性を持ち、人とも感情を通わせることができる(映画では、ハワイのサーファーをサメから守ったという挿話が入る)。知的で平和的なイルカを殺すのは許されない……『ザ・コーヴ』を貫く精神は、まさに典型的な鯨イルカ・イデオロギーにほかならない。言い換えれば、それは白人至上主義や「反日」とも異なる。ニューエイジの伝統を受け継ぐ「神聖クジラ・イルカ至上主義」の崇拝者にとって、その聖獣イルカを大量虐殺する野蛮人との闘いなのである。

それは、一部には科学的(な見かけの)理論もあるが、根底にあるのはエモーショナルな動機といえる。だからこそ、彼らは「隠された入り江で野蛮人が厳重警護するイルカ大量虐殺行為」を撮影して全世界に伝えるだけで、だれもが「まあ、なんて残酷な!まあ、なんてかわいそうな!」という共感をして当然だ、と思っているのである。

だが、鯨イルカ・イデオロギーの信奉者でない人たち(わたしも含む)は、「ああ、漁をしているな」としか感じない。これが残酷なら、ウシはいいのか、ブタはいいのか、チキンやターキーはいいのか。まあ、私は奈良県出身なので、シカは春日大社のお使いの神聖な獣という認識が根付いていたようで、諏訪に行ったときに鹿肉料理店を見てゲッと思ったが、だからといって残酷だの残虐だのとは感じない。あるいは、すべての動物を食べない、殺さないというならそれはそれで筋が通ってはいるのだが……。それはさておき。

「イルカさんは頭がいいのにかわいそう」というエモーショナルな訴えだけで貫いてくれれば、まだしも「かわいそう」という気にもなったかもしれない。ところが、彼らは余計な訴えをする。「イルカ肉に水銀が高濃度で含まれている」「そのイルカ肉が鯨肉と偽って全国に流通している」「水俣病の悲劇再び!」という主張だ。イルカ肉に水銀が高濃度で濃縮されているという主張は、地元町会議員も行なっているようなので、決して根も葉もない話ではないかもしれない。しかし、2000ppmというぶっ飛んだ数値については追試がなされていないし、「鯨肉偽装疑惑」については太地町が否定している。

ここで問題なのは、鯨イルカ・イデオロギーはいわば「イルカの生存権、社会権」を主張するもの(つまり人権ならぬ海豚権)、《イルカの立場》に立った主張であるのに対し、水銀汚染・偽装疑惑は食べる人への心配、すなわち《人間(特にそれを給食で食べさせられそうな日本の子供たち)の立場》に立った主張だということである。しかし、彼らは本気で日本人の健康を心配しているわけではない(少なくとも映画からはそういう思いは伝わってこない。イルカ食ってると水俣病になるぞ、という脅しとしか感じられない)。

おそらく、彼らは太地町の二人の議員の情報が「イルカ漁否定」の材料となりうるというだけで取り込んだのだろう。

というのも、じゃあ食べなければいいのか、といえば、彼らにとってそこは問題ではないからである。食用の虐殺がなくなったとしても、世界各地のシーワールドへ一頭1500万円で売られていくために生け捕りにされる(その過程で「騒音の壁」によって追いつめられる)というイルカの悲劇は解消されていないからだ。

わたし個人としては、むしろ「実際にイルカ肉に含まれる水銀量はどれだけなのか」「全国に流通している鯨肉の中に、本当にイルカ肉の偽装があるのかないのか」を、第三者機関も含めた徹底調査を行なうべきだとは思う。それは、言い換えれば、わたしがこの問題について、イルカの立場ではなく人間の立場として(さらに限定すれば、鯨肉が好きで食べることもある人間として)安心させてほしいからである。

ただ、この映画は、鯨イルカ・イデオロギーを軸としながら、水銀汚染・偽装疑惑という人間への心配を盛り込んでいる。そこにブレがある。また、IWCにおいていかにも日本代表が陰謀を駆使しているかのように見せる「編集」も非常に鼻につく。さらにいえば、日本では「環境テロリスト」という評価が定着しているシーシェパード関係者を「正義の味方」側として登場させているのも、説得力を失わせる要因だ。

結果として、鯨イルカ・イデオロギーの感情による作品で無理に(心の底から心配しているとは思えない)人間への配慮を盛り込み、また悪役を悪役らしく見えるように編集し(それは小林よしのりが日常的に使う下手な手法である)、さらには日本の水産物「乱獲」への批判までも盛り込んでしまう。「反日」とかどうとかいう以前に、彼らの意図的な編集が目立ちすぎ、彼らの主張を受け入れがたくしているように感じた。彼らは本当に日本の世論を変えたかったのか、それともイルカ漁の本場で「活動」がしたかっただけなのか。

さらに言おう。彼らは「隠し撮り」に成功したことで満足してしまった。しかし、ただその風景を撮っただけで、どんなにそのイルカが「かわいそう」なのか、イルカの悲鳴がどれほど悲痛なものなのか、を伝えることには完全に失敗したといえる。もともと鯨イルカ・イデオロギーの信奉者でない限り、そこに感情移入するのは無理だろう。

かつてイルカ保護運動が高まったのはイルカの声をレコードにしたのがきっかけだった、というエピソードが語られているが、彼らは太地町のイルカの悲痛な声を伝え損ねた。それはなぜか。彼らは太地町のイルカの代弁者ではなく、鯨イルカ・イデオロギーの活動家を演じているにすぎないからなのである。

上映中止は愚の骨頂

冒頭、映画会社の方からの説明で、「上映中止を求める抗議の電話も多かったが、ぜひ観たいという声はその3~4倍あった」という事実が報告された。

言論の自由とかそういうことは置いておいて、「右翼が上映中止を求めるのは愚の骨頂だ」と言いたい。こんな駄作を見て、反イルカ漁・反捕鯨に転ずるような人はいないからだ。

それどころか、事前に特に先入観なく見に行ったわたしが(いや、右翼による上映中止に反感を感じていながら)、この映画を見終わって、完全に彼らの主張の意図を否定する感想を持ったのだ。個々の事例については正確な事実をさらに知りたいとも思ったが、イルカ漁をやめるべきだとは思わなかった。これは彼らにとって完全な失敗であろう。

反捕鯨を反日と言い換えるのは誤っているが、百万歩譲って仮にこれが「反日プロパガンダ映画」であるとしても、その上映中止を求めるのは誤りだ――理念的にも、戦略的にも。そもそも、上映中止に追い込むことで逆に世間の注目を集めている。実際、わたしも東京での上映中止が決まったという報道がなければ、試写会に申し込もうとは思わなかった。

余談ながら、同様に右翼からの激しい抗議を受けた映画「靖国」も、激しい抗議を受けているのだからどれほどのものだろうかと思って見に行ったら、盛り上がりに欠けるので途中で寝てしまったという経験をわたしは持っている。

こんな作品を見せられたくらいでゆらぐほど、日本人は影響されやすいのだろうか?

さらに重要なポイントとして、上映中止という手段は、「やましいところがあるから隠そうとするのだ!」というふうに勘違いさせる、あるいは逆宣伝に使われる可能性がある。隠そうとするという姿勢は、100%、自殺点にしかならない。

もしこの映画の内容が誤った「プロパガンダ」であってそれに憤りを感じるというのであれば、対応策は二つしかない。完全に黙殺して話題にならないようにするか、あるいは映画で描かれた内容を一つずつ丁寧に事実に基づいて淡々と検証することだ。相手は感情に訴えてくる鯨イルカ・イデオロギーの布教者である。それを打ち砕くのは冷静な事実しかない。隠し撮りという汚い手段を使った相手の挑発に乗って「反日」と叫んだり、「上映中止」を強行することは、まさに相手の思うつぼである。

わたしは『ザ・コーヴ』に共感しない。だからこそ、「上映中止」も根本的に間違っていると強く思うのである。

なお、この記事の読者の方にお願いしたいのは、このレポートを読んだだけでザ・コーヴを観たつもりにはならないでほしいということだ。内容を「知っている」のと「実際に観た」のではまったく違うからである。

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2010年6月16日09:55| 記事内容分類:日本時事ネタ, 映画| by 松永英明
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>「これ、いつどこで撮影したんですか?」と研究者は問い返す。

6/9の上映イベントで観た者です。この人物は確か水産庁の役人だったような。。。

>言論の自由とかそういうことは置いておいて、「右翼が上映中止を求めるのは愚の骨頂だ」
>と言いたい。こんな駄作を見て、反イルカ漁・反捕鯨に転ずるような人はいないからだ。
>それどころか、事前に特に先入観なく見に行ったわたしが(いや、右翼による上映中止に反
>感を感じていながら)、この映画を見終わって、完全に彼らの主張の意図を否定する感想を
>持ったのだ。個々の事例については正確な事実をさらに知りたいとも思ったが、イルカ漁を
>やめるべきだとは思わなかった。これは彼らにとって完全な失敗であろう。

右翼側は、社会にザ・コーブやシーシェパードの矛盾やあほらしさを喚起し、論争を巻き起こした。

敵対関係にある左翼がザ・コーブやシーシェパードの矛盾やあほらしさを納得するレベルの結果を導いた。

右翼がザ・コーブやシーシェパードの追い込み祭りをしていたら、なぜか左翼がその祭りに来ちゃったって感じで、左翼が右翼系の出店で焼きそばやビールを買って、右翼がどうだのザ・コーブがどうだのと語っている感じ。

ということでこの抗議行動は右翼の完全勝利。

感情論ではなく、冷静に見るからこそ、絶滅に瀕するイルカやクジラを保護するのは当然の事です。
『昔からの伝統』として、極わずかな量のクジラやイルカを一年一度だけ捕り、生物が絶対数を維持継続出来る範囲内での捕鯨、というのと、現在の商業目的の大量狩猟とは全く話は違います。
結果として絶滅の危機まで追い込んでいます。世界的にその保護活動が進んでいる中、日本はその『伝統』と『リサーチ』という偽善名目で大量虐殺、商売、、、どちらが間違っているのかは明らかです。

kktttnnさん
>この人物は確か水産庁の役人だったような。
今回の日本公開では削除されてます。だって、首になってもいないのに首になったといって見たり、上司からそう聞いたとすぐわかる嘘をつく監督。研究者のほうは訴訟を起こすようです。

sangoさん
捕鯨を大量虐殺と表現するのはGPのひとですな。
絶滅危惧種じゃないものをとっても虐殺といい、昔ながら追い込み漁で、国の定めた漁獲量に基づいて、節度を持って資源利用することと、かつての欧米の鯨油用捕鯨の乱獲を一緒くたにすべきではない。調査捕鯨も管理枠守ってやっている。反捕鯨には科学的根拠がない。絶滅危惧種を取らせているアメリカとロシアを非難すべきでは。

現在のイルカ猟の最大の問題は、水族館に転売するための一部の「 容姿端麗なイルカ」捕獲のために、その他多数のイルカが犠牲にな っている点にあると思います。マスコミによって問題の本質が「伝統の食文化」に意図的にすり替えられています。
日本のイルカ漁を支えているのは、あくまでイルカショーに使うた めの「水族館への供給」です。さらに、イルカを購入した水族館の 中には、購入価格より遥かに高い値段でイルカを海外の他の水族館施設へ転売して金儲けをしているところもあります。この「イルカ利権」の実態を日本の国民はまったく知らされていません。

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このページは、松永英明が2010年6月16日 09:55に書いたブログ記事です。
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