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    <title>絵文録ことのは</title>
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    <updated>2012-05-11T16:08:24Z</updated>
    
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    <title>第十四回文学フリマ参加記録（ことのは） #bunfree</title>
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    <published>2012-05-11T14:39:31Z</published>
    <updated>2012-05-11T16:08:24Z</updated>

    <summary>2012年5月6日、第十四回文学フリマに参加しました。その記録と感想と入手したも...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="創作活動" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="文学フリマ" label="文学フリマ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p>2012年5月6日、第十四回文学フリマに参加しました。その記録と感想と入手したもの一覧。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>準備</h3>

<p>当日の荷物は最小限にするというのが、ここ最近の文学フリマ参加で身に染みたことである。新刊は会場に直接搬入（そうすると締め切りもギリギリでOKになる）、既刊本などは事前に宅急便で会場に送っておく。あとはかさばるが軽い設営関係のものだけ持って行く。終わった後は、買った本も売れ残った本も全部まとめて宅急便で自宅へ送付。帰りに早く読みたい本だけ持って身軽に帰る。といっても、大きな布カバン＋スーツケースくらいの持ち物はある。</p>

<p>今回は既刊本一箱に加えて、無料配布する手提げ紙袋（数回前に作って何度か売ったが、ほとんど売れなかったモノ）を一袋（65枚）を事前に宅急便配送――する予定だった。だが、5月4日必着で送らねばならないことを思い出したのが5月4日未明。翌朝8時にヤマト運輸に電話して、近くの配送センターに10時までに持ち込めばビジネス便で当日中に配送されることがわかった。辛うじて間に合ったが、神経に悪いし、どうせ送るモノは決まっているのだから次回はさっさと送ろう。</p>

<p>ブース設営用の什器類は前回使ったものをそのまましまい込んであったが、特に確認すらせずそのままスーツケースと布袋に入れる。100円ショップも最近はオシャレで、キッチン用の折りたたみ棚やカゴの色もかわいいのが出ている。それを積み重ねて配置する方法は前回の設営でだいたい完成されたと思ったので、今回はそれを左右逆にするくらいで済ませるつもりだった。</p>

<p>念のためセロテープとガムテープとペンだけ買い足し。あとはもうお金をかけていない。</p>

<p>見本誌に貼るラベルはちょっと凝ってみた。文フリ事務局から送られてきたラベル用紙を一度スキャンして取り込み、Photoshopで色つきの字を入れて、再度プリントアウト。手書きもいいが、ちょっとは目立つようになったかもしれない。</p>

<h3>当日</h3>

<p>出店者の開場が10時なのでその前に並んだが、出店者の服装の色がほぼ「黒」「白」「グレー」「ベージュ」「紺」系である。前回も思ったのだが、自分のようにヴィヴィッドやシャーベットカラーの服の人がほとんどいないので何か浮いてしまう。「文フリ出店者はユニクロやベネトンやGAPでは服を買わない」という都市伝説を提唱したら何かうっかり信じられてしまいそうなくらいである。一方でアキバ系のようなオタTシャツっぽい人もほぼ見かけない。チェック柄すら見かけない。表紙が萌え系のところだって多いのに、服装は大半が彩度の低いカラーを身にまとう、というのが文フリ出店者の層なのである。</p>

<p>当日、文フリ会場は電気工事のために送風だけで冷房が効かないというアナウンスがあった。気温も暑くなりそうなのが予測されたので、かなり多目に飲み物を買っていった。それから去年の夏の節電ブームのときに買った、電池で動く携帯用扇風機（押すと霧吹き付き）を持参。やはり威力を発揮してくれた。</p>

<p>一階の方は風通しがよかったようだが、二階はかなり蒸し暑かった。</p>

<p><img alt="第十四回文学フリマことのはブース設営" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14b.jpg" width="600" height="450" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p><img alt="第十四回文学フリマことのはブース設営2" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14a.jpg" width="338" height="450" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />その中でブースを設営する。前回に引き続き隣のクリルタイさんと合体配置なのだが、republic1963さんが似たような棚を100円ショップで買ってきており（うちのよりは一回り小さかったが）、色も似ていてなんとなく一体感が出てきた。特に事前に打ち合わせをしてはいなかったのだが、こういうのをツーカーというのか。レジも共通でやれるので、自分が席を外しても大丈夫というのが毎度本当にありがたいことである。</p>

<p>前回から、本を立てて配置するようにしている。一般的には平積みが基本だろうと思うのだが、うちはメインが面出し。新刊は平積みと面出しの両方を並べておいた。手に取っていただいた率は半々か、やや面出しの方が多かったかもしれない（非統計的な印象論）。</p>

<p>前回食べそびれたターリー屋さんのインドカレー定食も食べられて（やや辛口で旨い）、今回はなかなか満足度が高かったと思う。</p>

<p>今までの傾向だと「1階（もしくは創作系）は空いていて、2階（もしくは評論系）が混んでいる」という実態があったが、今回わたしがぐるりと歩いた体感からすると1階も人の密度が高い印象があった。今までのような差は余り感じない。</p>

<p>結果として、新刊『ゲニウス・ロキの歩き方』は43部の売上。前々回の『東日本大震災でわたしも考えた』がタイムリーだったこともあって史上最高の45部、前回の『事物起源探究2011』が33部だったのを考えると、なかなかの好成績である（震災本の売り上げは特需すぎた）。新刊はすでに密林社さんに預けてあるので、近日中にAmazonでも購入できるようになるはずである。</p>

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=03B100&t=kotonoha0b-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=B0081MXRW2" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

<p>他の既刊の売上と合わせると、新刊の印刷代（印刷部数は100冊）とほぼトントンなので、次回も新刊を出せる勘定である。これは事前の目標レベルどおり。</p>

<p>Amazonで売ったり、今後の文学フリマで旧刊として販売したりすると1年くらいで在庫を捌けるかな、という状態だ（他のイベントには参加する予定なし）。今のところは半年に一冊ずつ出してこのサイクルができていることに感謝している。まあ、新刊を半年に2冊もしくは3冊出すにはさらなる資本投下が必要になるが、とりあえず7万円くらいで回転できるとなれば、道楽としては充分である。</p>

<h3>入手した本など</h3>

<p>いただいたもの、購入したもの合わせて、冊子のみで50冊足らずになった。以下、写真上段を左から右の順に。写真はサイズ別。</p>

<p><img alt="第十四回文学フリマ入手品1" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14c.jpg" width="600" height="496" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>【A5】</p>

<ul>
<li>『ゲニウス・ロキの歩き方』（ことのは：自分の新刊）</li>
<li>『Bootleg Basic』（ブートレグ）</li>
<li>『bnkrR vol.4 Zomie』（bnkr）</li>
<li>『サブカルナヴァル』（C-Rock Work）</li>
<li>『正かなづかひ　理論と實踐　第二号』（はなごよみ：寄稿しました。誤かなが結構あって申し訳ない気分）</li>
<li>『タイムカン読本』（NEKOPLA）</li>
<li>『日常⊇非日常』（NEKOPLA）</li>
<li>『日常想像研究所』（NEKOPLA）</li>
<li>『湘南電書鼎談 Vol.1』（湘南電書）</li>
<li>『湘南電書鼎談 Vol.2』（湘南電書）</li>
<li>『What is Idol? vol.4』（No Knowledge Product：南波志帆が載ってるので買いました）</li>
<li>『アイドル領域 Vol.4』（ムスメラウンジ。前日のしょこたん野音ライブの物販特典のスクラッチカード（ハズレ）を見せた）</li>
<li>『ソシゴト』（幹線空港）</li>
<li>『アイドル、なんか。』（ムスメラウンジ）</li>
<li>『人間噂八百 別冊2 昭和アイドル歌謡祭』（世田谷ボロ市）</li>
</ul>

<p><img alt="第十四回文学フリマ入手品2" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14d.jpg" width="600" height="497" class="mt-image-none" style="" /></p>

<p>【A5】</p>

<ul>
<li>『医者の箱詰』（女医風呂）</li>
<li>『これあ・るねさんす３　震檀学会とその時代』（鶏林書笈／京城cafe）</li>
<li>『ファラオ時代のファラオ』（鶏林書笈／Studio KODAI）</li>
<li>『概念部』（伊織・相沢ナナコ）</li>
<li>『えまにあん』（押尾学と交際中のモデルルーム）</li>
<li>『ちょっぴりエッチで　かな～りおバカな　凍死寸前！　冬の東北ローカル線旅行記』（そよ風文芸食堂／湯浅祥司）</li>
<li>『駒.doc』（湘南電書にて配布の将棋フリーペーパー）</li>
<li>『夜来香 中国短編小説集 一』（龍の髭／春秋梅菊）</li>
<li>『黒南風の八幡』（史文庫～ふひとふみくら～／唐橋史）</li>
<li>『出雲残照』（史文庫～ふひとふみくら～／唐橋史）赤いかんざしもらいました。</li>
<li>『雑司ヶ谷マダム24時』（【雑司が谷マダム24時】／永田王）</li>
<li>『おもちくんとすまいるくん　第1巻』（書肆言葉言葉言葉／野嵜健秀）</li>
<li>『鬼畜！ヤリマン道場』（龍堂薫子）</li>
<li>『書評王の島 Vol.5』（書評王の島）</li>
</ul>

<p><img alt="第十四回文学フリマ入手品3" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14e.jpg" width="450" height="440" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>【文庫】</p>

<ul>
<li>『アドベンチャーゲームブック　スウォードロック』（お～もり）</li>
<li>『女医のひとりごと』（女医風呂）</li>
<li>『コネコビト　１』（エンハンブレ企画）</li>
</ul>

<p>【新書】</p>

<ul>
<li>『奇刊クリルタイ増刊 dorj vol.3』（奇刊クリルタイ：寄稿しました）</li>
</ul>

<p>【CD-R】</p>

<ul>
<li>『tsuda+』（KAI-YOU／津田大介）</li>
</ul>

<p>【B6】</p>

<ul>
<li>『ちゃのまん』（【雑司が谷マダム24時】：友人のドルショック竹下さんの漫画が載ってる）</li>
<li>『クマの豆本製造ライン』（象印社）</li>
<li>『百人一首（ひゃくにんしゅ）配列考 番外もっと　百人一首 消えたもの、現れたもの』（百人一首構造研／花院堂ぶぶ）</li>
<li>『降霊術師の夜』（犬吠埼一介）</li>
<li>『蛮勇は世界を巡る』（犬吠埼一介）</li>
<li>『立方体都市』（犬吠埼一介）</li>
</ul>

<p>【特殊サイズ】</p>

<ul>
<li>『ねもは003？特集 建築のメタリアル』（ねもは編集部）</li>
</ul>

<p><img alt="第十四回文学フリマ入手品4" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14f.jpg" width="600" height="597" class="mt-image-none" style="" /></p>

<p>【B4】</p>

<ul>
<li>『改訂版　白浪五人男考』（ポン太友の会企画）</li>
<li>『白浪時報』1～3号合併号（ポン太友の会企画）</li>
<li>『不機嫌メガネ男子論』（久谷女子）</li>
<li>『遠い異国のころがる団地』（季節外れの気まぐれサリンジャー）</li>
<li>『月船』（色漆／雨宮小夜）</li>
<li>『放課後 しちょうかくしつごう　ゲームの力で生きのびろ！』（放課後）</li>
</ul>

<p>【A4】</p>

<ul>
<li>『つくばの廃墟』（ロケハンブログ制作委員会）</li>
<li>『幻想生物事典』（エンハンブレ企画：寄稿しました）</li>
</ul>

<p>【他サイズ】</p>

<ul>
<li>『WONDER WORD Vol.2予告』</li>
<li>クマの豆本製造ラインふろく</li>
<li>『最後のトルタ』（トルタ）</li>
</ul>

<p>このほか、寄りたかったのに寄れなかったのは、成松哲さん（「kids these days! vol.2」）、秘本衆道会・衆道士ペドフェチさん、KKITT PUBLISHING DEPT.（『オタクとフォント』+1号）、近江舞子さん、牟礼鯨さん（通ったときに本人がいなかった）、ほか。次回よろしくお願いいたします。</p>

<h3>ことのは賞</h3>

<p>以上、ざっと見た段階ですが、独断と偏見と即断と視野狭窄（とりあえず入手したものの中で現時点で内容が把握できてるものだけなので）による「第十四回文学フリマことのは大賞」（何の権威もない）を選んでみました。</p>

<p>大賞は、さまざまな絵馬を収集した力作『えまにあん』に進呈したいと思います（副賞等何もなし）。アイドル系サークルの並びで発見して即購入、戻って隣のクリルタイの人たちに見せたら全員買いに走ったという伝説の名作です。押尾の年齢に合わせて340円とかまったく意味不明な設定など含めて、これぞ「掘り出し物」というべきでしょう。</p>

<p>同じく「最優秀データ賞」を『ファラオ時代のファラオ』に。なんと古代エジプトのファラオ全員のプロフィールを載せたという、歴史マニア垂涎の一冊。索引では、異名から第何王朝のだれなのかが一目でわかるようになっています。これはすごい。</p>

<p>「マニア的愛のたまもの賞」は二つ。懐かしのゲームブックを見事に再現した『アドベンチャーゲームブック　スウォードロック』と、わたしも好きな『白浪五人男考』に。</p>

<p>「装丁賞」は『クマの豆本製造ライン』。挟まってる厚紙が切り紙になってたり、透明カバーが生きてたり。やっぱりビブリオフィリア的には「データが読めればそれでいい」んじゃなくてこういう本を手にすること自体が嬉しいものです。</p>

<p>「毎回新刊が楽しみ賞」は百人一首構造研。古典に興味がある方は絶対に読むべきです。百人一首の配列に隠された秘密！　こういうネタってこじつけになりがちですが、百人一首配列考はデータに基づいて淡々と解析されてるので、読んでて楽しいですね。</p>

<p>その他の本も面白そうだと思わせる要素があったからこそ買ったりしてるわけで、今から読むのが楽しみです。</p>

<h3>リンク</h3>

<ul>
<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20120506" target="_blank">「第十四回文学フリマ」開催 - 文学フリマ事務局通信</a></li>
<li><a href="http://www.bunfreeinfo.com/" target="_blank">みんなの文学フリマ情報ウィキ</a>：今回の文フリ前に設置したウィキサイトですが、本領発揮はこれからです。次回以降もぜひお使いください。</li>
</ul>
]]>
    </content>
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    <title>第十四回文学フリマ【カ-36】ことのは（@kotono8）告知：『ゲニウス・ロキの歩き方』 #bunfree</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/05/05bunfree14.html" />
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    <published>2012-05-05T03:17:43Z</published>
    <updated>2012-05-05T04:57:38Z</updated>

    <summary>2012年5月6日（日）TRC東京流通センター第二展示場E/Fホールにて開催され...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="創作活動" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="告知（出版物など）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="文学フリマ" label="文学フリマ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>2012年5月6日（日）TRC東京流通センター第二展示場E/Fホールにて開催される第十四回文学フリマに出展します。</p>

<p>ブース・サークル名は、2階Fホール【カ-36】ことのは（@kotono8）です。前回に引き続き、お隣【カ-35】<a href="http://khuriltai.readymade.jp/top/" target="_blank">奇刊クリルタイ</a>との合体配置です。二つのブースで合同レジですが、ご購入者には「ゲニウス・ロキ紙袋」と「クリルタイVol.3」が無料でついてきます！</p>

<p>今回は文学フリマ冊子としては初のテーマ『ゲニウス・ロキの歩き方』です。表紙は前回に引き続きカラーで、再び吉川にちのさんのイラスト入りです。表紙込み124ページ1200円。</p>

<p><img alt="ゲニウス・ロキの歩き方" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/A4-2012gl.png" width="600" height="821" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>
]]>
        <![CDATA[<h3>場所とか時間とか</h3>

<ul>
<li>開催日 2012年5月6日（日）</li>
<li>時間 開場11:00～終了16:00【16時終了です！】</li>
<li>会場 <b>TRC東京流通センター第二展示場E/Fホール</b>（モノレール...流通センター駅　駅前すぐ、バス...流通センター前下車（JR大森駅 東口5・7・9番乗場から12分、京浜急行 平和島駅から5分））</li>
</ul>

<p>前々回までの京急蒲田じゃないので注意！文フリ公式の案内→<a href="http://bunfree.net/?%C3%CF%BF%DE" target="_blank">文学フリマ - 会場アクセス</a></p>

<p>もし間違って蒲田に行ってしまった人は、羽田空港まで出てモノレール乗り換えか、京急の各停で平和島まで戻って徒歩で。</p>

<p><iframe width="600" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B5%81%E9%80%9A%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC+&amp;aq=&amp;sll=35.587317,139.749055&amp;sspn=0.020277,0.038323&amp;vpsrc=6&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%97%A5%E6%9C%AC,+%E6%B5%81%E9%80%9A%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%A7%85%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89&amp;t=m&amp;ll=35.587108,139.738197&amp;spn=0.02443,0.051498&amp;z=14&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;source=embed&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B5%81%E9%80%9A%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC+&amp;aq=&amp;sll=35.587317,139.749055&amp;sspn=0.020277,0.038323&amp;vpsrc=6&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%97%A5%E6%9C%AC,+%E6%B5%81%E9%80%9A%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%A7%85%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89&amp;t=m&amp;ll=35.587108,139.738197&amp;spn=0.02443,0.051498&amp;z=14" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small></p>

<p>当ブースは2階のエスカレーター上がってすぐの入り口から右手の壁、手前の一番端です。葉っぱロゴの看板立ててます。トイレのついでにお立ち寄りください（手は洗ってきてください）。</p>

<p><img alt="文フリ14マップ" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/bunfree14matsunaga.png" width="600" height="684" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<h3>新刊『事物起源探究2011』</h3>

<p><a href="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/A4-2012gl.png"><img alt="ゲニウス" src="http://www.kotono8.com/blog/assets_c/2012/05/A4-2012gl-thumb-240x328-316.png" width="240" height="328" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a>表紙写真は「東京タワーとスカイツリーの〈重ね二塔〉」写真（撮影：松永）。表紙イラストは「奇刊クリルタイ」誌の表紙でおなじみの吉川にちのさん。A5判表紙込み124ページ、表紙フルカラー、1200円。 </p>

<h4>目次</h4>

<ol>
<li><p>二つの塔：東京タワーと東京スカイツリーが重なる場所を探せ！ <br />
表紙写真にも使われた「重ね二塔」の写真を撮影できる場所を求めて </p></li>
<li><p>水の東京：明治＆平成クロスオーバー編　幸田露伴＆松永英明 <br />
幸田露伴『水の東京』に描かれた隅田川・神田川・日本橋川などをおよそ100年後の平成に松永が実際にボートで水面から体験する。「水の東京」の全訳と現代の状況についての解説、そして松永の紀行。 </p></li>
<li><p>ゲニウス・ロキとは何か <br />
・「場所に蓄積されたデータ」に惹かれて……ゲニウス・ロキをなぜ求め続けるのかについての松永の考え。 <br />
・ポープ「バーリントン伯爵への書簡」全訳……ゲニウス・ロキという言葉を初めて建築学（造園）に用いた詩の全訳。  </p></li>
<li><p>大山顕インタビュー：なぜ団地や工場に「萌え」るのか――《ままならなさ》がグッとくる <br />
団地や工場に萌えきれない松永が、「団地団」「工場萌え」「ジャンクション萌え」の大山顕氏にインタビュー。美学から郊外論まで話は尽きない。 </p></li>
<li><p>グリーンライン下北沢：小田急線地下化のあとち利用を考える。チーム・ゲニウス・ロキ案の概要 </p></li>
</ol>

<h4>本文より一部抜粋</h4>

<p>◎ゲニウス・ロキとは何か</p>

<p>「ゲニウス・ロキ」とは、ある場所の歴史、土地の記憶といったものを指す言葉である。本冊子では一貫して建築学系で使われる意味合いで使っている。すなわち、場所にはそれぞれの歴史的経緯や由来・由緒があり、独特の雰囲気がある。建築計画や都市計画の際にもそれぞれの土地の「ゲニウス・ロキ」を考慮すべきだ、というのがその趣旨だ。……（中略）…… </p>

<p>　「繁昌記」ものは元祖ともいえる寺門静軒の『江戸繁昌記』を筆頭に、高浜虚子や芥川龍之介らによる『大東京繁昌記』、小林信彦・荒木経惟『私説東京繁昌記』などと書き継がれてきた。わたしも『平成東京繁昌記』的なものを書いてみたいとも思っている。しかし、そのためにはまだまだ知らない、体感していない東京がまだまだ多すぎるのだが。 </p>

<p>　そして、東京に限らず、今の日本の各地の状況を記録にとどめてみたい。それぞれの街にあるものを記録するだけではなく、その街の歴史・記憶をすべて包括して、二十一世紀初頭の記録を残してみたい……そんな想いがある。繁昌記・地誌のタイトルとして「ゲニウス・ロキ」はふさわしいように思われる。これは今後もライフワークにしていきたい。 </p>

<p>　わたしが興味を持っているのは、おそらく、学術的には「人文地理学」や「建築学・都市計画」に当たるのだろう。あるいは「地政学」や「地名学」「景観学」といったジャンルも絡んでくる。「都市環境学」という言葉があることを知ったのは最近のことだったが、このような重層的なジャンルに関心がある。 </p>

<p>　それを中国の伝統では「風水」という学問で扱ってきたように思われる。今、一般的に「風水」と呼ばれているインテリア風水のような「名前だけ風水、実態は家相術や九星占術」であるものとは一線を画した「地理風水」という中国の思想についても、またライフワーク的に調べていきたいと考えている。こういった関心領域を一言で言い表せるのが、わたしにとっては「ゲニウス・ロキ」という言葉だったのだ。 </p>

<p>　こういった場所論は、広く捉えると空間論ということになる。それは、私たちを取り巻く環境、私たちに影響を与える外界の存在というもの全般を考えることにもなる。場所の記憶、街の歴史というものが人間の活動や思いと密接な関わりがある以上、それは人と場所という関係性を考えていかねばならない。 </p>

<p>　場所に意味を与えるのは人間だ。しかし、人間によって与えられた場所の意味が、今度は、そこにやってくる人、そこで生まれ、育った人たちをある枠組みに当てはめていく。そして、新しい意味が生まれていく。 </p>

<p>　「六本木ヒルズ」は一つの建築群でしかないが、そこには「ＩＴバブル」や「成り上がりセレブ」といった言葉がまとわりつくようになった。そして、そこに暮らしたり働いたりしていること自体が新たな意味を生み出すようになっている。「県民性」は人気番組のテーマとしても定着している。 </p>

<p>　人が場所を作り、場所が人を変える。そんな連鎖反応を考えることは、ひいては、自分の「立ち位置」や「居場所」ということにもつながっていくのではないだろうか。……（後略）…… </p>

<h3>既刊</h3>

<ul>
<li>『事物起源探究　創刊号』残部2部のみ</li>
<li>『事物起源探究　第二号』残部7部のみ　いずれも在庫のみ。売り切れ必至。</li>
<li>『事物起源探究2011』残部25部。</li>
<li>A2サイズ『三菱東京UFJ銀行に合流した全銀行の系統図年表』大好評に付き増刷しております。</li>
</ul>

<p>以下は在庫がなくなりましたので、今回は販売いたしません。お問い合わせはメールにて。</p>

<ul>
<li>『東日本大震災でわたしも考えた』（Amazonのみ販売継続中）</li>
<li>『<a href="http://p.booklog.jp/book/22620" target="_blank">「人は思考したとおりに」As a Man Thinketh完全訳＆ジェームズ・アレン徹底解読</a>』←リンク先（ブクログのパブー）にて電子書籍版として販売中。</li>
</ul>

<h3>寄稿</h3>

<p>今回は3冊に寄稿しています。こちらもご覧ください。</p>

<h4>2階【カ-35】奇刊クリルタイ増刊『Dorj Vol.3』</h4>

<p>新書版、142ページ 1部 500円　特製透明しおりつき。「『小悪魔ａｇｅｈａ』における「地方志向」の正体」を寄稿しました。お隣のブースですがレジは共通なのでご一緒にどうぞ。</p>

<blockquote>
  <p>当サイトの人気原稿の再録。地方と東京、ギャル文化圏を理解するための基本文献といっても過言ではありません。2012年に再録するにあたっての補足もついており、「小悪魔ageha」の現在を俯瞰できる内容になっております。</p>
</blockquote>

<h4>2階【エ-37】はなごよみ『正かなづかひ　理論と實踐』第２号</h4>

<p>A5/218ページ/表紙・口絵カラー、本文モノクロ/1,000円。「宗教の信者は〈何〉を信じてゐるのか」を寄稿しました。この話題についてはネットでは語りません。</p>

<h4>1階【D-36】エルハンブレ企画『幻想生物事典』</h4>

<p>文字通り、幻想の生物に関する事典風の一冊。A4判、コピー。</p>

<p><a href="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/dorj3.jpg"><img alt="dorj Vol.3" src="http://www.kotono8.com/blog/assets_c/2012/05/dorj3-thumb-200x182-325.jpg" width="200" height="182" class="mt-image-none" style="" /></a><a href="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/b14a01s.jpg"><img alt="正仮名遣ひ" src="http://www.kotono8.com/blog/assets_c/2012/05/b14a01s-thumb-200x284-321.jpg" width="200" height="284" class="mt-image-none" style="" /></a><a href="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/jiten.png"><img alt="幻想生物事典" src="http://www.kotono8.com/blog/assets_c/2012/05/jiten-thumb-200x320-323.png" width="200" height="320" class="mt-image-none" style="" /></a></p>

<h3>コラボ企画</h3>

<p>お隣「奇刊クリルタイ」さんとの合体配置記念コラボ企画として、「両ブースにて何かお買い上げの方」にもれなく「ゲニウス・ロキ紙袋＋奇刊クリルタイvol.3（すでにお持ちの方は缶バッジ）を差し上げます（先着順）。紙袋は先着65名さままで。</p>

<p>紙袋のデザインはシンプルな文字のみ（書かれているのは、本誌で全訳したアレクサンダー・ポープの詩の原文一部です）。オタクっぽくないので街中でもオシャレに持ち歩けます。ぜひ一枚どうぞ！</p>

<p><img alt="ゲニウス・ロキ紙袋" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/kamibukuro.jpg" width="600" height="450" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>写真の左にサイズがわかるように本を置いてみました。左端はB5サイズ「放課後 Vol.2」（今回は二つお隣のブース）、中央がA5サイズ『事物起源探究2011』（前回の新刊）。文フリのだいたいの刊行物がしっかり入る大きさです。</p>

<p>というわけでよろしくお願いいたします。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>大阪維新の会のエセ科学的「家庭教育支援条例（案）」逐条批判</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/05/03oyagaku.html" />
    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1336</id>

    <published>2012-05-03T08:04:08Z</published>
    <updated>2012-05-03T09:01:38Z</updated>

    <summary>大阪維新の会大阪市会議員団が提出しようとしている「家庭教育支援条例（案）」が大き...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="政治学" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>大阪維新の会大阪市会議員団が提出しようとしている「家庭教育支援条例（案）」が大きな批判を浴びている。特に「発達障害は親の育て方が悪いから」というエセ科学理論を前提とした提案であることが批判の的となっている。エセ科学と伝統偽装に裏打ちされた提案は、現実には害悪しかもたらさないだろう。</p>

<p>この条例の思想のバックボーンには、ある一般財団法人が絡んでいることも見逃せないポイントだ。その財団法人の付与する民間資格を支援するとも明記されている。</p>

<p>以下、自由法曹団のサイトで公開された「<a href="http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html" target="_blank">大阪市・家庭教育支援条例 （案）　――― 全条文　（前文、１～２３条）</a>」をもとに、逐条批判していきたい。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>全体</h3>

<blockquote>
  <p>家庭教育支援条例　（案）</p>
  
  <p>平成２４年５月　「大阪維新の会」 大阪市会議員団</p>
  
  <p>*　第１章　総則
  *　第２章　保護者への支援
  *　第３章　親になるための学びの支援
  *　第４章　発達障害、虐待等の予防・防止
  *　第５章　親の学び・親育ち支援体制の整備</p>
</blockquote>

<p>これは「大阪維新の会」大阪市会議員団が提出した案である。橋下徹氏のシンパの中には「新聞記事によれば、この条例案は議員提案であり、橋下市長自身は条例案の中身については知らないということなので、維新の会を叩く根拠にはなっても橋下市長を叩く根拠にはなりませんよ」と主張する人もいる。もっとも、後述するように、橋本市長は「市民に義務を課すのは基本的に好きじゃない」という観点で発言しており、この条例案の根本的な問題点は認識していないようである。</p>

<h3>前文１　伝統偽装</h3>

<blockquote>
  <p>（前文） <br />
  　かつて子育ての文化は、自然に受け継がれ、父母のみならず、祖父母、兄弟、地域社会などの温かく、時には厳しい眼差しによって支えられてきた。 <br />
  　しかし、戦後の高度成長に伴う核家族化の進展や地域社会の弱体化などによって、子育ての環境は大きく変化し、これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増えている。</p>
</blockquote>

<p>　前文の第一パート。初っ端から「かつて子育ての文化は」という伝統偽装の文面が踊る。昔はよかった、という黄金時代回想論の多くは、具体的な時期を明記しない。もしくはごく限られた時代のみを「これまでずっとそうだった」と述べる。</p>

<p>　しかし、理想的な子育ての時代は本当にあったのか。戦前までは間引きもあった。伝統的な子育て文化としては乳母も見過ごせない。</p>

<p>　子育て文化を担うのが親だけでなく地域社会なども含まれる、というのはそのとおりである。この点、「親だけに子育ての責任を負わせる」という自民党の主張とは正反対である――かのように見えるが、実はこの維新案も同じである。いや、子育ての全責任を「親の親心の喪失と親の保護能力の衰退」に押しつけているという点で、この前文の言葉とは完全に矛盾しているのである。</p>

<p>　各条文で見るとおり、地域社会が親を支援する（つまり、親が負担を負いすぎなくてよいようにバックアップし、時には代行して親を休ませる）ような内容は何一つとしてない。すべて「親の親力が衰退しているから、特定の子育て思想に基づいて親を鍛え上げよ」という提言となっている。</p>

<p>　第二段落で「これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず」というのは、「これまでの祖父母や親族からのルートでは」という但し書きが必要である。現在はそれを補う存在として、プレママ雑誌や子育て雑誌、通信教育（ベネッセ等含む）、母親学級・両親学級、その他自治体や民間の支援サポート体制があるわけだ。</p>

<p>　ちなみに、ここまでの「伝統偽装」として、核家族化以後おかしくなったと言いたげだが（そうすると、40代のわたしの世代も当然、「親心を喪失し、保護能力を失った親」に育てられたということになるのだろう）、実際は日本において家事や育児に専念できる「専業主婦」が定着したのは高度成長期の「男の稼ぎで一家を支えられるようになった」時代だけである。それ以後の景気低迷の中で再び兼業主婦が増えたということは、「専業主婦の時代」は高度成長期のたかだか数十年の幻想といえるだろう。</p>

<p>　そもそも、主婦という言葉の発祥は大正六年（1917）つまり約100年前、『主婦の友』創刊時の造語であり、「主婦は一家を支える二つの柱、主人に対しての主婦」という理念だった。それ以前は主婦という概念すらなかったわけである。</p>

<h3>前文２　エセ科学的断定</h3>

<blockquote>
  <p>　近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が８割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。</p>
</blockquote>

<p>　前文の第二パート。このあたりから文章が右往左往する。ここでは「児童虐待の背景」として「親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題」を結びつけている。虐待をする親に情緒的その他の問題があることは確かだとしても、それが「ながら授乳が８割を占める」ということとは何の関係もない。児童虐待している親とそうではない親（大多数）を比較して児童虐待の親のながら授乳率が有意に高いなどという調査は、寡聞にして知らない。むしろ、「ながら授乳」と児童虐待には相関性はないと見るべきである。</p>

<p>　ここでは「児童虐待＝親の能力衰退」と決めつけていることを押さえておこう。</p>

<blockquote>
  <p>　さらに、近年、軽度発達障害と似た症状の「気になる子」が増加し、「新型学級崩壊」が全国に広がっている。ひきこもりは７０万人、その予備軍は１５５万人に及び、ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。</p>
</blockquote>

<p>　「気になる子」「新型学級崩壊」と「ひきこもりとその予備軍」を並べ、「ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている」という。特に後文は意味不明である。というのも、「虐待」というのは親から虐待を受けたことを指す言葉である。一方、ひきこもり・不登校・非行というのは情緒障害と深い関係がある。そして、器質的要素が非常に大きい発達障害は、また別のことである。</p>

<p>　これらの相関関係については、「明らかになっていない」というのが現在の研究成果である。たとえば<a href="http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/107278/1/18804306_61_32.pdf" target="_blank">横谷祐輔・田部絢子・石川衣紀・髙橋智「「発達障害と不適応」問題の研究動向と課題」（東京学芸大学紀要. 総合教育科学系, 61(1): 359-373, 2010-02-00）</a>によれば、</p>

<p>「発達障害と非行等に関するレビューでは以下のような課題が明らかになった。事例研究においても量的な調査においても，その母集団において特殊なケースが多く，解釈にはその特殊性を十分に考慮しなければならないにもかかわらず，発達障害と非行・行為障害・触法行為を直接的な関係・要因として般化してしまっている研究も多いという問題が明らかになった」</p>

<p>ともある。つまり「発達障害と非行・行為障害・触法行為を直接的な関係・要因として般化」することは適切ではないということだ。</p>

<p>また、虐待を受けた児童に問題が起こりやすいとしても、それらの問題の原因をすべて虐待とするわけにはいかない、というのもまた至極当然の話だろう。いま仮に「虐待を受けた児童に発達障害が多く見られる」としても（これも否定する実証研究がある）、発達障害の子供は親に虐待を受けたからだ、という結論は絶対にありえない（ある、と思う人は、論理学の基礎中の基礎をやり直すべきだろう）。</p>

<p>しかし、この条例案の中では「親心の喪失・親の保護能力の衰退」→「虐待」→「発達障害」→「引きこもり・非行・不登校・気になる子・新型学級崩壊」という「エセ因果関係」が前提となっていることが読み取れる。とんでもない話である。「笑えたり、楽しんだりできないものは除く」というトンデモの原義から言えば、これはトンデモですらない。単なる「エセ人文科学」である。</p>

<h3>前文３　親のみに責任を問う</h3>

<blockquote>
  <p>　このような中で、平成１８年に教育基本法が改正され、家庭教育の独立規定（第１０条）が盛り込まれ、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と親の自覚を促すとともに、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」と明記した。 <br />
  　これまでの保護者支援策は、ともすれば親の利便性に偏るきらいがあったが、子供の「育ち」が著しく損なわれている今日、子供の健全な成長と発達を保障するという観点に立脚した、親の学び・親育ちを支援する施策が必要とされている。それは、経済の物差しから幸福の物差しへの転換でもある。 <br />
  　このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。 </p>
</blockquote>

<p>　大阪市の条例案で「本県」というのは、この案を日本全国に適用させようとしているからだ、という意見もあるので、ここでは深く突っ込まない。</p>

<p>　この前文３で強調されているのは、「親を鍛え直さなければならない」という主張である。それは「保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援」するという教育基本法の条文とは食い違う。なぜなら、それに基づく「母親学級」などの施策とは異なり、「親の利便性」（と彼らが主張するもの）を激しく敵視した上で、「子供の「育ち」が著しく損なわれている」というズレた現状認識のもと、「親の学び・親育ちを支援する」というより強制することを宣言しているからである。</p>

<p>　わたし自身も経済より幸福の物差しへ転換するという言葉自体には賛同したいが、残念ながらここで言っている「幸福の物差し」とは、「特定のゆがんだ、エセ科学的な前提に基づいた親たちへの“洗脳”」にほかならない。</p>

<h3>第１章　（総則）</h3>

<blockquote>
  <p>第１章　（総則）</p>
  
  <p>（目的） <br />
  第１条 <br />
  １項　親およびこれから親になる人への「学習の機会及び情報の提供等」の必要な施策を定めること <br />
  ２項　保育、家庭教育の観点から、発達障害、虐待等の予防・防止に向けた施策を定めること <br />
  ３項　前２項の目的を達成するため、家庭教育支援推進計画を定めること</p>
</blockquote>

<p>第一条1項はまあいいだろう。問題はその学習・情報の内容である。</p>

<p>第2項。ここが大変なところである。発達障害は、決して親の責任ではない。まずこの科学的前提を踏まえる必要がある。発達障害の「予防・防止」など、現在の日本にはそれを可能とする理論も技術も存在しない（実効性のないトンデモ私論を除く）。「保育、家庭教育の観点から」といって発達障害と虐待を同列に扱っている時点で、この条例案は非科学的な妄想でしかないと言い切ってよい。</p>

<p>なお、発達障害の原因として虐待が関係するかどうかについては、たとえば<a href="http://ci.nii.ac.jp/naid/110007000730">中根成寿「障害は虐待のリスクか？～児童虐待と発達障害の関係について～」</a>（京都府立大学福祉社会研究 8, 39-49, 2007）を参照してみよう。この論文自体は「子供に発達障害があると親は虐待しやすくなるのか否か」ということを考察しており、今知りたいこととは逆のアプローチといえる。ただ、その中で、「田中（2003、2005）は児童の障害（発達障害含む）と児童虐待は本来直接の因果関係や関連が証明されているわけではなく、障害をもつ子どもの多くが虐待されているわけでもない、と指摘している」という。（ここで参照されている論文は、田中康雄(2003)「発達障害と児童虐待（maltreatment）」『臨床精神医学』3(2):153-159、同(2005)「発達障害と児童虐待（maltreatment）」『子どもの虐待とネグレクト』7(3):304-312）</p>

<p>また、中根氏の論考のまとめでは以下のようにも記されている。</p>

<p>「虐待のハイリスクグループ、つまりすでに虐待が起こった家族においては児童の障害は当該家族にとって数多くある虐待要因の一つであることが先行研究から確認された。だが、児童の障害があっても虐待とは無縁な層も数多く存在しており、なぜその家族にとって児童の障害が虐待へとつながらないのかという補償要因の調査は、現実的に実現が難しい。 <br />
　また本稿では虐待と児童の障害の種類において、行動障害や自閉傾向を示す児童により高いリスクがみられることから発達障害に注目したが、児童虐待の二次的被害と発達障害の症状とは、実際の臨床場面では判別不可能に近いという指摘もあり、どちらが原因であるかが明らかにならない「微妙な関係」（田中 2006：193）である。」（※参照論文は、田中康夫(2006)「軽度発達障害と児童虐待の微妙な位置関係」『現代のエスプリ―スペクトラムとしての軽度発達障害Ｉ』474：187-194）</p>

<p>「児童の障害は児童虐待のリスク要因ではあるが単一の発生要因ではない。児童の障害に加えて、貧困や社会的孤立、親自身の健康状態や障害という他のリスク要因が加わって初めてリスクが顕在化する。山野（2006）が言うように児童虐待の増加は児童の障害や子育てのストレス、母親の孤立よりも、生活保護世帯の増加や失業率の増加との相関も高い。」（※参照論文は、山野良一(2006)「児童虐待はこころの問題か」上野加代子編『児童虐待のポリティクス―「こころ」の問題から「社会」の問題へ』明石書店：53-99）</p>

<p>　この条例案が目の仇にしているのは、ネグレクトすなわち育児放棄であろう。ネグレクトは立派な「児童虐待」の一つである（肉体的な暴力を振るわないタイプの虐待である）。ところが、その児童虐待と発達障害の因果関係については、「明らかにならない」とされている。子供に障害があるから虐待した、という親は確かに存在するが、そうでない層もある。つまり、虐待と無縁なのに発達障害という子供は、例外どころか普通に見られるのだ。</p>

<p>　つまり、「発達障害」を「予防・防止」するために「親」をなんとか教育しよう、というのは、まったくもって見当外れのエセ科学的方策としか言いようがないのである。</p>

<blockquote>
  <p>（基本理念） <br />
  第２条 <br />
  家庭教育の支援は、次に掲げる条項を基本理念として、推進されなければならない。 <br />
  (1) 親は子の教育について第一義的責任を有すること <br />
  (2) 親と子がともに育つこと <br />
  (3) 発達段階に応じたかかわり方についての科学的知見を共有し、子供の発達を保障すること  </p>
</blockquote>

<p>　こういう理念を持つこと自体は「言論表現の自由」から言っても認められるべきだろうとは思うが、エセ科学に基づいた発想で作られたこの条例案の中で「科学的知見を共有」というのは何かの皮肉であろうか。</p>

<p>　なお、現在の子育て／少子化問題における最大の問題は、「（母）親に子育ての過分な責任が強要される」ことにあると考えている。「母乳がいい」というのは事実だが、「母乳でなければダメ」「母乳を与えない母親は失格」「母乳でなければ育児とはいえない」というような発言が普通に見られ、それが母親もしくは母親になろうかと考えている女性への強大な精神的圧迫となっている。</p>

<p>　これは「保育所に預けられる子供はかわいそう」という圧力も同じで、今の母子手帳では「そんなことはない、社会性を早くはぐくむ利点もある」とフォローされているが、それでも「24時間365時間、母親が育てなかったら育児したと言ってほしくない」「保育所に預けなければいけないような親は子供を産むな」「仕事と子供のどちらを選ぶのか。どちらかだけの二択であって、どちらも両立したいなどは子供への虐待」というような極端な意見も実際にわたしは見てきた――それも「子育てに理解のないオトコ」だけではなく、恵まれた「育児に専念できる母親」からも。中には育児に積極的に参加する「イクメン」さえも「母親の義務の放棄」のようにとらえて批判する例もある。</p>

<p>　このような「母親への過剰な負担要求」が、「子供を持っても負担が大きいだけ」という意識を増大させ、結局「じゃあ子供なしの人生を選ぼう」という人を増やしているのも事実である。そして、この条例案の背景に、そういう「母親への過剰な負担要求」こそが「伝統的なあり方」だというエセ科学的思考が存在するのが、最大の問題点であると言える。単に条文の一つ一つの運用上の問題などではなく、根本理念が狂っているのである。</p>

<blockquote>
  <p>（社会総がかりの取組） <br />
  第３条 <br />
  前２条の目的および基本理念にもとづき、家庭教育の支援は、官民の区別なく、家庭、保育所、学校、企業、地域社会、行政が連携して、社会総がかりで取り組まれなければならない</p>
</blockquote>

<p>　いや、そんなことはない、親への過分な負担の押しつけだなんて言いがかりだ、この第３条を見れば社会全体が支援すると言ってるじゃないか――という反論が予想される。しかし、これは巧妙な詐術である。なぜなら「育児の支援」ではなく「家庭教育の支援」だからである。つまり、育児全般をバックアップするのではなく、「親への強制的教育＝洗脳」を「社会総がかり」で取り組まなければならない、と主張しているからだ。</p>

<p>　先の論文でもあるように、「生活保護世帯の増加や失業率の増加」が虐待と相関しているというデータも示されている。少なくともカネがすべてではないとしても、虐待を防止するための経済的支援・就業支援あるいは待機児童ゼロ化政策などについてまったく触れることなく、ただ「親心教育」のみを「総がかりで取り組」もうというのは、見当外れとしか言いようがない。</p>

<h3>第２章　（保護者への支援）</h3>

<blockquote>
  <p>第２章　（保護者への支援）</p>
  
  <p>（保護者への支援の緊急性） <br />
  第４条
  現に子育て中であるか、またはまもなく親になる人への支援は、緊急を要するため、以下に掲げる施策が、遅滞なく開始されなくてはならない</p>
</blockquote>

<p>　「親の学び」というものが、しかもそれだけが「緊急を要する」ものとして扱われている点で、何らかの思想団体による訴えのようにみえる。</p>

<blockquote>
  <p>（母子手帳） <br />
  第５条 <br />
  母子手帳交付時からの親の学びの手引き書の配付など啓発活動の実施、ならびに継続的学習機会の提供および学習記録の母子手帳への記載措置の実施　</p>
  
  <p>（乳幼児検診時） <br />
  第６条 <br />
  ３ヶ月、６ヶ月、１歳半、３歳児検診時等での講習の実施ならびに母子手帳への学習記録の記載措置の実施</p>
</blockquote>

<p>　ここで書かれているのは「親の学びの手引き書」を配ること、その「学習記録」を「母子手帳に記載する」こと、定期的な乳幼児検診のときに「講習」を行なってその「学習記録」を母子手帳に残す、という思想強制策である。これで「学習」を拒否したら発達障害の原因となる虐待親とでも認定されるのだろうか。</p>

<blockquote>
  <p>（保育園、幼稚園等での学習の場の提供） <br />
  第７条 <br />
  すべての保育園、幼稚園等で、年間に１度以上、保護者会等での「親の学び」カリキュラムの導入</p>
</blockquote>

<p>　すべての保育園・幼稚園に「親心・育児能力の衰退が虐待を招き、それが発達障害を生み、さらに引きこもり・不登校・非行・学級崩壊などの原因となる」というエセ科学的な理論を受け入れさせようというものである。</p>

<blockquote>
  <p>（一日保育士、幼稚園教諭体験） <br />
  第８条 <br />
  すべての保育園、幼稚園で、保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施の義務化</p>
</blockquote>

<p>　<a href="http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120502/waf12050211390012-n1.htm" target="_blank">【激動！橋下維新】「市民に義務、好きじゃない」、維新市議団の「家庭教育支援条例案」に橋下市長異論 - MSN産経west</a>によれば「保護者の一日保育士・幼稚園教諭体験の義務化が盛り込まれたことについて「市民に義務を課すのは基本的に好きじゃない。維新の会の政治行動ではない」と述べ、否定的な見解を示した」とある。</p>

<p>　だが、これは条文的には「すべての保育園・幼稚園」が「体験」を実施することを義務化する、と読める。橋下氏が理解していると思われる「保護者がみんな受けろ」ではなく「保育園・幼稚園は義務として実施しろ」という主張である。しかも、橋下氏の反論ポイントは、「市民に義務を課すな」というところであるので、どうも論点が違うように思われる。</p>

<p>　もしこれが橋下氏の理解どおり「保護者がみんな受けろ」なのであれば、なんですでに家庭で育児に追われている親にわざわざ「一日保育士・幼稚園教諭体験」までさせるのか、という点が問題になろう。</p>

<blockquote>
  <p>（学習の場への支援） <br />
  第９条 <br />
  保育園、幼稚園、児童館、民間事業所等での「親の学び」等の開催支援</p>
</blockquote>

<p>　「学び」という言葉自体が自己啓発系の胡散臭い用語であることは別にしても、ここで「学ばされる」ことが「親心や保護能力の衰退があるから、発達障害になるんです！ながら授乳が悪いんです！」みたいな思想であれば、それはエセ科学への招待としか言いようがない。その洗脳教室を自治体が開催支援しろとはあきれ果てる。</p>

<h3>第３章　（親になるための学びの支援）</h3>

<blockquote>
  <p>第３章　（親になるための学びの支援）</p>
  
  <p>（親になるための学びの支援の基本） <br />
  第１０条
  これまで「親になるための学び」はほとんど顧みられることがなく、親になる自覚のないまま親になる場合も多く、様々な問題を惹起していることに鑑み、これから親になる人に対して次に掲げる事項を基本として、学びの機会を提供しなければならない。 <br />
  (1) いのちのつながり
  (2) 親になることの喜びと責任
  (3) 子供の発達過程における家族と家庭の重要性</p>
</blockquote>

<p>　親になる自覚は確かに必要だろう。しかし、それが「親心と保護能力を高めれば発達障害にもならないし、非行や学級崩壊も防げる」というのであれば、そんなエセ科学など学ばない方がずっとマシである。</p>

<blockquote>
  <p>（学校等での学習機会の導入） <br />
  第１１条 <br />
  小学校から大学まで、発達段階に応じた学習機会を導入する</p>
</blockquote>

<p>　学習することはよいが、導入する内容が根本的に問われている。</p>

<blockquote>
  <p>（学校用家庭科副読本および道徳副読本への導入） <br />
  第１２条 <br />
  小学校から高等学校まで、発達段階に応じて、次に掲げる事項を基本とした家庭科副読本および道徳副読本を作成し活用する <br />
  (1) 家族、家庭、愛着形成の重要性 <br />
  (2) 父性的関わり、母性的関わりの重要性 <br />
  (3) 結婚、子育ての意義</p>
  
  <p>（家庭用道徳副読本の導入） <br />
  第１３条 <br />
  前１２条の内容に準じて、保護者対象の家庭用道徳副読本を作成し、高校生以下の子供のいる全ての家庭に配付する</p>
</blockquote>

<p>　家庭科のみならず「道徳」というところに思想性が強く表われている。</p>

<p>　(1)は家族至上主義であることが問題だ。適切な「愛着」形成であればよいが、家族・家庭至上主義は逆に家族への反発を生む場合も多い（わたし自身そうである）。子供への過剰な愛情の押しつけが逆に非行を生むことも多い。</p>

<p>　(2)は父性的関わり、母性的関わりと書いている以上、男女のジェンダー役割を強調するものと考えられる。後述するこの思想の提唱者の傾向から見ても、たとえば「母親が稼いで主夫が育児する」ような家庭は完全否定されるものと思われる。</p>

<p>　(3)はこれだけでは何とも言い難い。結婚、子育ての意義についてどういう意義があると教えるのかが大きな問題である。</p>

<blockquote>
  <p>（乳幼児との触れ合い体験学習の推進） <br />
  第１４条 <br />
  中学生から大学生までに対して、保育園、幼稚園で乳幼児の生活に触れる体験学習を義務化する</p>
</blockquote>

<p>　まあそういう体験はないよりあった方がいいかもしれない。だが、それがこの条例案の思想による指導であれば、害悪である。</p>

<h3>第４章　（発達障害、虐待等の予防・防止）</h3>

<blockquote>
  <p>第４章　（発達障害、虐待等の予防・防止）</p>
  
  <p>（発達障害、虐待等の予防・防止の基本）
  第１５条
  乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる</p>
</blockquote>

<p>　ホメオパシーや「水からの伝言」レベルの完全なエセ科学である。乳幼児期の愛着形成は確かに重要であるが、それが「軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」とするのは、どこにそういう知見があるのかという話である。</p>

<p>　そもそも「軽度発達障害」とは医学用語でも行政用語でもない。たとえばAD/HDを軽度発達障害に含めるか否かは研究者によって分かれている。このような曖昧な概念について、その「大きな要因」を「乳幼児期の愛着形成」一つの責任とし、それがまた「虐待、非行、不登校、引きこもり等」に直結するかのような前提を「鑑み」ているような議論は、そもそも成り立たないのである。</p>

<p>　簡単に言えば、「乳幼児期の愛着形成の不足」を防ぐことで「虐待、非行、不登校、引きこもり等」の「予防・防止をはかる」ことができるなどと考えるのがすでに非科学的ということである。しかも「虐待」を行なうのは親、「非行、不登校、引きこもり」を行なうのは子供であるから、条文作成者も混乱していると思われる。</p>

<p>　しかも、軽度発達障害の原因が「親の育て方」にあることは、医学の分野からは明確に否定されている。たとえば、岡山県保健福祉部子育て支援課が発行している「<a href="http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/45369_159471_misc.pdf" target="_blank">軽度発達障害理解のためのガイドブック</a>」（協力：岡山県保健福祉部健康対策課）は、児童精神科医師・小児科医師・臨床心理士・児童相談所所員らが執筆しているものであるが、その「（３）原因について」ではこのように明記されている。</p>

<p>「いずれの障害も、医学的には環境や心理的な問題が直接的な原因ではなく、<strong>器質的な原因（身体の特定の部位が障害された状態）によって発生している</strong>と考えられています。生まれつき、または出生後早期に脳の特定の機能が障害されたことが原因で、様々な症状が引き起こされており、<strong>決して親の育て方や、しつけ、学校の対応などが原因で発症するものではありません。</strong>」（強調：引用者）</p>

<p>　また、同項目内「３）児童虐待との関係について」ではこう書かれている。</p>

<p>「虐待を受けて育った子どもは、情緒的に混乱し対人関係が不安定なため、多動、衝動性、対人関係の障害、こだわりなど、軽度発達障害の子どもと共通する特徴を示すことがあります。逆に、軽度発達障害があるために育てにくく、これが保護者の養育負担感を増して虐待を引き起こす場合もあります。このように、軽度発達障害と虐待との関連は密接であり、慎重に評価する必要があります。」</p>

<p>　つまり、虐待を受けて育つと「軽度発達障害の子どもと共通する特徴を示すことがあります」というのだから、逆にいえば虐待と無関係な軽度発達障害が見られるのは事実である。また、「逆に、軽度発達障害があるために育てにくく、これが保護者の養育負担感を増して虐待を引き起こす場合もあります」というのだから、因果関係がまるっきり逆転してしまう。</p>

<p>　この条例の基本的な発想の元であるといえる第１５条は、科学的に全否定されるのである。言い換えれば、この条文一つを否定するだけでこの条例案すべてが否定される。</p>

<p>　この条例案の発達障害に関する内容についての批判としては、<a href="http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120502/1335985207" target="_blank">大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記</a>・<a href="http://mindgater.hatenablog.com/entry/2012/05/03/085919" target="_blank">発達障害を「予防、防止」する？ - 大阪市・家庭教育支援条例（案）を読んで - Whatever</a>も参照のこと。</p>

<blockquote>
  <p>（保護者、保育関係者等への情報提供、啓発） <br />
  第１６条
  予防、早期発見、早期支援の重要性について、保護者、保育関係者およびこれから親になる人にあらゆる機会を通じて情報提供し、啓発する</p>
</blockquote>

<p>　軽度発達障害や虐待について「早期発見」は非常に重要だし、適切な「早期支援」は必要だが、予防は不可能であるし、また早期支援の内容が「親心の涵養」などであれば逆に必要な医学的支援を妨げるものともなりうる。</p>

<blockquote>
  <p>（発達障害課の創設） <br />
  第１７条 <br />
  １項　発達障害の予防、改善のための施策は、保育・教育・福祉・医療等の部局間の垣根を廃して推進されなければならない <br />
  ２項　前１項の目的達成のために、「発達障害課」を創設し、各部局が連携した「発達支援プロジェクト」を立ち上げる</p>
</blockquote>

<p>　こんな課が創設されれば、児童福祉相談所の仕事を妨げるのみならず、科学的に否定される政策を市が率先して行なうという事態にもなりかねない。</p>

<blockquote>
  <p>（伝統的子育ての推進）
  第１８条
  わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する</p>
</blockquote>

<p>　ツッコミどころ満載である。まず「我が国の伝統的子育て」とは何か。現代の医学で予防・防止できない器質的な問題である発達障害を「予防・防止できる」方法など存在するのか。また、「我が国の伝統的子育て」が仮に「予防・防止できる」とするのであれば、かつて日本には発達障害の児童は予防・防止されていたという実績はあるのか。それは単にそういう障害が認識されていなかっただけではないのか。</p>

<p>　かつての日本（がいつの時代を指すかはともかく、おそらくこの条文からいえば明治から終戦ごろまでの百年くらいを指すのだろうが、その時期の日本）においては、むしろ、発達障害の児童は間引かれ、捨てられてきた。あるいは逆に「福助」のように福を招く「まれびと」として扱われてきた。だが、発達障害そのものを「我が国の伝統的子育て」なるものが発生させなかった、あるいは発生率を低く留めていたという事実は認められない。</p>

<p>　子育ての知恵を伝えていくというのはいいが、もしそれが「布おむつ絶対、紙おむつは育児放棄」というような旧態依然の実情に合わない「知識」をもって「親」への強迫観念を強めるだけであれば、百害あって一利なしである。</p>

<blockquote>
  <p>（学際的プロジェクトの推進） <br />
  第１９条 <br />
  保育・教育・福祉・医療等にわたる、発達障害を予防、防止する学際的研究を支援するとともに、各現場での実践的な取り組みを支援し、また、その結果を公表することによって、いっそう有効な予防、防止策の確立を期す</p>
</blockquote>

<p>　少なくとも医療の現場からいえば「発達障害を予防、防止する研究」というもの自体が非科学的であるし、もし支援されたとしても、その研究結果は、発達障害の原因が「親心」や「親の保護能力」の衰退、もしくは「乳児期の愛着形成」にはない、という、この条例案を根底から覆す結論となることはすでに明白である。</p>

<h3>第５章　（親の学び・親育ち支援体制の整備）</h3>

<blockquote>
  <p>第５章　（親の学び・親育ち支援体制の整備）</p>
  
  <p>（民間の、親の学び・親育ち支援ネットワークの構築推進） <br />
  第２０条 <br />
  親としての学び、親になるための学びの推進には社会総がかりの取り組みが必要なため、民間の、親の学び・親育ち支援ネットワークの構築を支援し、推進する</p>
</blockquote>

<p>　すでに触れたが、「育児」に対する「社会総がかりの取り組み」ではない。「親としての学び、親になるための学びの推進」に対する「社会総がかりの取り組み」である。そして、この「学び」の内容が、結局は「乳幼児期の愛着形成」や「親心」や「親の保護能力」で「発達障害を予防、防止できる」という非科学的な内容である以上、社会にとって害悪しかもたらさない。</p>

<blockquote>
  <p>（民間有資格者の育成に対する支援） <br />
  第２１条 <br />
  親としての学び、親になるための学びを支援、指導する「親学アドバイザー」など、民間有資格者等の育成を支援する</p>
</blockquote>

<p>　「親学アドバイザー」というのは<a href="http://www.oyagaku.org/" target="_blank">一般財団法人　親学推進協会</a>による民間資格である。このサイト自体が「－親が変われば、子どもも変わる－」という言葉をキャッチフレーズにしており、この条例案のバックボーンとなっているようである。</p>

<p>　<a href="http://soramame-shiki.seesaa.net/article/148395530.html" target="_blank">お父さんの[そらまめ式]自閉症療育: 「親学」問題について、とりあえずのまとめ。</a>では、この「親学」は「脳科学と称するものを主張の根拠にしており、その点において似非科学でもある」と分析し、「少なくとも発達障害ないし自閉症については、はるか30年以上前に息絶えたはずの古い誤った主張が、「脳科学」という現代的フレーバーで古さをカモフラージュしつつ、ある種の政治思想を伴って復古してきたものであり、思想的にはむしろ障害・障害者への差別・排除意識がある」という。</p>

<p>　このようなエセ科学に基づく思想を普及する一「財団法人」の思想にのっとり、市がその民間資格をバックアップしようとしている。「ホメオパシーアドバイザーの資格取得を○○市が支援する」というのとまったく同レベルのことが、大阪市で維新の会議員によって提案されようとしているのである。</p>

<p>　なお、親学アドバイザー資格を得るには、親学基礎講座をすべて修了（全４講座で13,000円（税込み、別途テキスト代1,680円））した上で、全6講座（25,000円（税込、認定審査料5,000円を含む。別途テキスト代1,680円））が必要となる。合計で4万円を超える。</p>

<p>　エセ科学に基づく特定の財団法人の思想にのっとって条例案を出し、しかもその民間資格を支援する、と明記されたこの条例案を通そうとしているのである。もはや「維新」どころか「社会破壊活動」といわざるを得ない。</p>

<blockquote>
  <p>（「親守詩」実行委員会の設立による意識啓発） <br />
  第２２条
  親と子がともに育つ実践の場として、また、家族の絆を深める場として、親守詩実行委員会を設立して発表会等の催しの開催を支援し、意識啓発をおこなう</p>
</blockquote>

<p>　「親守詩」とは珍しい言葉である。わたしも初めて知った。ググってみれば、「こもりうた」に対する「おやもりうた」なのだそうだ。愛媛県松山市で生まれたもので、作った人は「明星大学の高橋史朗教授」だという。</p>

<p>　高橋史朗教授は、一般財団法人・親学推進協会の理事長をつとめる人物である。元埼玉県教育委員長でもあり、かつて「新しい歴史教科書を考える会」の副会長をつとめたこともあった。親学推進協会を思想的に支えているのは高橋史朗教授ともいえる。過去の経歴はあえて問わない。わたしは「だれが言ったかではなく、何を言ったか」のみで批判するのがポリシーだからだ。そして、今、わたしはその主張そのものに反論している。</p>

<p>　「親に対する気持ちを詩にしろ」と子供に強いるのは何とも気色悪い試みだが、これまでの実績としては、愛媛県松山市、香川県、奈良県、沖縄県八重山などで実施されてきているようである。いずれにしても、この条例案が高橋史朗教授ならびに親学推進協会と非常に深いつながりのもとで作られていることが、この条文から明らかとなる。</p>

<blockquote>
  <p>（家庭教育推進本部の設置と推進計画等の策定） <br />
  第２３条 <br />
  １項　首長直轄の部局として「家庭教育推進本部」を設置し、親としての学び、親になるための学び、発達障害の予防、防止に関する「家庭教育推進計画」を策定する
  ２項　「家庭教育推進計画」の実施、進捗状況については検証と公表をおこなう</p>
</blockquote>

<p>　最後に、これを市ではなく市長直轄の施策とせよ、という。つまり、橋下徹市長がこれらの事業を強力に推し進められる権限を与えよ、というわけだ。</p>

<p>　検証するなら、まずはこの条例のバックボーンとなっている思想そのもののエセ科学性を検証するところから始めてほしいものである。</p>

<h3>まとめ</h3>

<p>　今回の条例案ならびにそのバックボーンとなっている親学思想は、器質性の要因によって引き起こされる「発達障害」を親の責任とし、それを子供の問題の解決策としているもので、完全なエセ科学である。いくら親の愛が深くても、いくら親の育て方に問題がなくても、発達障害の子供は一定確率で生まれうる。その発達障害を負った子供の親に対して、「育て方が悪い」「親心が足りない」「親の保護能力が衰退している」などと言い放つのは、人の心を持たない者による暴力となる。親というものは（特に母親というものは）「これで足りているのだろうか、まだ足りないのだろうか」と不安になるものだが、そこへ「親心が足りないから発達障害になるのです」などと言い放つような政策が採用される暗黒社会にならないことを心から願うものである。</p>

<h3>補足</h3>

<p>この記事をアップした直後、橋下氏の以下のツイートを見た。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>発達障がいの主因を親の愛情欠如と位置付け愛情さえ注げば発達障がいを防ぐことができるというのは科学的ではないと思うという僕の考えを市議団長に伝えました。これからこの条例案について市議団内での議論が始まります。是非大阪維新の会市議団に様々なご意見をお寄せ下さい。</p>&mdash; 橋下徹さん (@t_ishin) <a href="https://twitter.com/t_ishin/status/197959342383828992" data-datetime="2012-05-03T08:02:39+00:00">5月 3, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>京都亀岡暴走事故で3人の犯人の名前を6人分「暴い」たネットの暴走</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/04/27bousou.html" />
    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1334</id>

    <published>2012-04-27T12:38:18Z</published>
    <updated>2012-04-28T15:24:24Z</updated>

    <summary>kyoumoeさんのブログ記事で知ったのだが、京都亀岡暴走事故を起こした3人の「...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="ウェブ社会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="リテラシー" label="リテラシー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="冤罪" label="冤罪" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>kyoumoeさんのブログ記事で知ったのだが、京都亀岡暴走事故を起こした3人の「犯人」（運転手と二人の同乗者）の「本名」を「特定」したという情報がネットを駆け抜けていた。ただし、そこで「特定」された「犯人」の名前は6人分あった。</p>

<p>そこでツイッターで以下のようにつぶやいたところ、わたしには珍しくfavされることとなった。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>3人の犯人の名前を「ネット」が6人分も暴いた件。少なくとも我々にはたとえ犯人であっても「社会的に抹殺する」権利はないし、ましてや無関係の人を殺人者扱いして責任取れるわけがない。 / “他人の名前を軽々しく書くな、クソ日本人どもが - …” <a href="http://t.co/nO5Vq02o" title="http://htn.to/STE1ub">htn.to/STE1ub</a></p>&mdash; 松永英明＠ことのはさん (@kotono8) <a href="https://twitter.com/kotono8/status/195166853306384386" data-datetime="2012-04-25T15:06:18+00:00">4月 25, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
]]>
        <![CDATA[<h3>ネットで流された情報</h3>

<ul>
<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20120424/1335277153" target="_blank">他人の名前を軽々しく書くな、クソ日本人どもが - 今日も得る物なし</a></li>
<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20120425/1335332282" target="_blank">昨日のエントリで2chにスレ立てた奴がいるんだけど - 今日も得る物なし</a></li>
</ul>

<p>上記のエントリーにしたがって実際に検索すると以下のような二つの情報がリツイート拡散されていた。個人名および画像へのリンクは伏せたが、すべての名前に重複がないことを示すため、名字の一文字目だけを残した。</p>

<blockquote>
  <p>RT @nobookyes: 【京都亀岡暴走事故】３人特定 ① 土〓 〓 (恐らく運転手) ② 三〓 〓〓 ③ 桑〓 〓 (京都学園○学生) RT @aurayy: 『犯人が少年なら匿名・在日なら通名で報道、被害者遺族は実名晒し上げ。犯罪者を養うために税金を使い、被害者には鐚一文使われず。』犯罪者優先・・</p>
  
  <p>RT @namaewww: どこをどう見てもキムチ顔にしか見えないのですが、どうしたら良いでしょうかRT @yatokkosattoko: 無免許18才の本名きました (運転)・・・伊〓〓〓 (同乗)・・・今〓〓〓〓 (同乗)・・・山〓〓〓 （※URL省略） @TwitPicさんから</p>
</blockquote>

<p>どちらのアカウントも嫌韓・嫌中アカウントであることが確認できるが、いずれにせよこの中に少なくとも3人、最大6人は「無実の罪を着せられた」人が含まれていることは間違いない。</p>

<h3>わたしたちに犯罪者を制裁する権利はない</h3>

<p>少なくとも我々にはたとえ犯人であっても「社会的に抹殺する」権利はない。犯罪者ではないかという容疑をかけるのは警察であり、それを立件して裁判にかけるのは検察であり、最終的に罪があるか否か、どのような罪を与えるかを決めるのは裁判所である。</p>

<p>たとえそれが極悪人であってもわたしたち無関係な第三者が私的に制裁してよいということは決してない。ある人物が「悪い奴」なら叩いても許されるとか、あるいは社会から排除するのが「正義」だとかいう考え方は完全に筋違いである。ただ、ワイドショーなどでよく知りもしない「犯人」もしくは「容疑者」を罵倒しているので、それを真似る人は多いようだ。</p>

<p>もちろん、人でなしの行為に対して憤るのは人間的な感情ではあるが、だからといって「社会的に《悪い》と認定された人間なのだから自分は叩いても非難されない」と考えて自分のストレス発散のためにつるし上げたり、あるいは「こういう悪い人間を非難しないのは擁護しているも同然だ」などと主張したりするのは完全に筋違いである。</p>

<h3>無関係の人を殺人者扱いした責任など誰にも取れない</h3>

<p>今の日本の社会では、「疑惑をかけられる」ということだけで社会的に抹殺されかねない。</p>

<p>「この人物にはこんな疑惑がある」というマイナス情報が一度流れると、ネットではそれが拡大再生産されていく。やがてそれは証拠も何もないまま伝言ゲームの中で「疑惑」ではなく「この人物はこんなことをする悪い奴だ」に変わっていく。そして、その断定による非難が積み重なる。そうなると、本人が否定しても「とぼけるな」「白々しい」「しらばっくれるな」という攻撃が集まることになる。</p>

<p>つまり、このネット社会の現状において、「疑惑をかける」ということだけで言葉の暴力であるということを充分に承知しなければならない。もし疑惑を表明する必要があるとしても、(1)それを公表するだけの意味・価値は本当にあるのか、(2)その疑惑を裏付ける100％の証拠は用意されているのか、(3)もしその疑惑について潔白だったとき、疑惑を訴えた人間はその被害をすべて償うだけの覚悟ができているのか、(4)その償いは具体的にどのような形で行なうのか、ということをすべて考え、その上でどうしてもやるというのであれば「これは暴力であるが、その全責任は自分が取る」という覚悟をもってなすべきである。</p>

<p>その際、立証責任は疑惑をかけられた側にはまったくなく、疑惑をかけた側に全責任があるということも肝に銘じなければならない。これは鉄則である。いい加減な疑惑をふっかけておいて「違うなら証明してみろ、違うことを証明しないなら認めたことになるぞ」と主張するのは、言論の暴力の最たるものといえよう。</p>

<p>なお、似たような言い方として「違うのだったら名誉毀損で裁判をすればいいのに、しないのは認めたからだ」というものもある。「裁判するか否か」と「事実か否か」はまったく別の事柄なのにこういう主張をして「疑惑」を拡散しようとするのもまた暴力といえる。</p>

<p>今回のデマ拡散者たちが何の責任も取ることなく、「誤報」について無視して発言を続けているところを見ると、これらのデマ拡散者たちも、妊婦含む子供の列に居眠りで突っ込んだ無免許運転者と何ら変わるところのない「無責任かつ凶悪な人間」だとわたしは確信する。</p>

<h3>「真犯人を逃すくらいなら冤罪の方がマシ」論の非人間性</h3>

<p>こういう話になるとかならず出てくるのが「真犯人を逃すくらいなら冤罪の方がマシ」という意見である。しかし、わたしはこれには絶対に与さない。むしろ「たとえ真犯人を逃すことがあったとしても、無実の人を犯人扱いしてはならない」ということを鉄則だと考える。</p>

<p>自分が被害者の遺族となった、と想像してみよう。もちろん、真犯人が厳しく罰せられるのが一番納得できる。しかし、である。もしそれが警察・検察の力及ばず不可能だった場合、「無実の人を無理やり犯人に仕立て上げて、その人を罰する」ことで何か満たされるだろうか。そんなことは絶対にない。むしろ、被害者を一人増やしただけのことだし、もし仮に「無実だろうと何だろうととにかく犯人を決めて罰してくれ」と願ったとしたら、自分自身が加害者になってしまう。それくらいなら「真犯人がわからず、逃げおおせる」方がまだマシである――いや、実は「無実の人を無理やり犯人に仕立て上げる」ということは「真犯人を取り逃がす」ということも含んでいるのだから、何倍も悪いということになろう。</p>

<p>あるいは、「冤罪の可能性があったとしても、真犯人を漏らすよりマシ」という考え方は、「自分自身が濡れ衣を着せられる」可能性を高めることにもなるし、その際に誰も助けてくれないということになる。濡れ衣だろうと何だろうと、あやしい奴は片っ端から断罪しておけば真犯人を逃しにくい、と考えるような人は、自分自身がその「あやしい奴」だと決めつけられる可能性についての想像力が根底から欠如している。</p>

<p>考えてもみるがいい。ネットで流れているような間接的な情報だけから、多くの人が「こいつらが犯人だ」という情報をリツイートして拡散してしまうのである。自分だけは絶対にそういう被害にあうわけがない、という根拠なき自信はどこから来るのだろうか。</p>

<p>悪いことをしていなければそういう目には遭わない？　じゃあ今回の「3人の犯人の名前が6人分流された」というのはどういうことだ？</p>

<p>わたしたちは常に、「今自分が持っている情報だけで誰かを断罪できるのか」「今流れてきた情報を拡散することについて自分は本当に責任が持てるのか」「自分には断罪する権利があるのか、その責任は自覚しているのか」ということを考え続けなければならない。</p>

<h3>追記（4/28）</h3>

<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>亀岡の事件の日の晩には、既女板で件のデマが出まわってたもんなあ…松岡氏は小沢一郎の一件なんかでも去年の時点で、こういう事も書いてるし、言ってることは一貫してる。<a href="http://t.co/cV0OkjWm" title="http://blogos.com/article/2516/">blogos.com/article/2516/</a> / “京都亀岡暴走事故で3人の犯…” <a href="http://t.co/gLywmxZL" title="http://htn.to/gQtTsj">htn.to/gQtTsj</a></p>&mdash; 他称ニワトリ班さん (@QTL_chicken) <a href="https://twitter.com/QTL_chicken/status/196006768940294144" data-datetime="2012-04-27T22:43:50+00:00">4月 27, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet" data-in-reply-to="195855300601974784" lang="ja"><p>エントリからは余談になるが実名報道の怖さは同姓同名の人がこの手の被害に会う事にもある。正義の鉄槌を握ったと勘違いする愚。RT　@<a href="https://twitter.com/kotono8">kotono8</a> 京都亀岡暴走事故で3人の犯人の名前を6人分「暴い」たネットの暴走 by 絵文録ことのは - <a href="http://t.co/X7yjes02" title="http://tinyurl.com/79ng3cw">tinyurl.com/79ng3cw</a></p>&mdash; Cookさん (@CookDrake) <a href="https://twitter.com/CookDrake/status/195859772430499840" data-datetime="2012-04-27T12:59:43+00:00">4月 27, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet" data-in-reply-to="195860209623764992" lang="ja"><p>ですよね。万が一珍しい名前でかぶりでもしたら本当に目も当てられませんし、誤爆も加熱すると思うと恐ろしいです。RT　@<a href="https://twitter.com/kotono8">kotono8</a> そういう問題もありますね。よほどのDQNネームならかぶらないかもしれませんが、逆にかぶったときに「間違いない」と思い込まれやすい難点も。</p>&mdash; Cookさん (@CookDrake) <a href="https://twitter.com/CookDrake/status/195862586103840768" data-datetime="2012-04-27T13:10:54+00:00">4月 27, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet" data-in-reply-to="196074080070418432" lang="ja"><p>@<a href="https://twitter.com/Willway_ER">Willway_ER</a> @<a href="https://twitter.com/kotono8">kotono8</a> 小野不由美さんの書かれた「屍鬼」という小説の中にこんな言葉があります。「正義を掲げた人間は、最も残酷になれる。」うろ覚えですが。とても印象に残っています。</p>&mdash; ひろせさん (@hirosetakaki) <a href="https://twitter.com/hirosetakaki/status/196088398887387137" data-datetime="2012-04-28T04:08:12+00:00">4月 28, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>＞今の日本の社会では、「疑惑をかけられる」ということだけで社会的に抹殺されかねない。 <a href="http://t.co/5zM7z6b3" title="http://www.kotono8.com/2012/04/27bousou.html">kotono8.com/2012/04/27bous…</a> というかGoogleで本名に嫌疑をサジェストされても法は無力っぽいしそれを判断材料にする人事部も多いらしいし死ぬしかないのでは</p>&mdash; uuuさん (@uu59) <a href="https://twitter.com/uu59/status/196186533768867840" data-datetime="2012-04-28T10:38:09+00:00">4月 28, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>正義の無免許運転やめれでがんす(怒) RT @<a href="https://twitter.com/MaZhanshan">MaZhanshan</a>: "京都亀岡暴走事故で3人の犯人の名前を6人分「暴い」たネットの暴走 - 絵文録ことのは" <a href="http://t.co/ZOHSrWYR" title="http://www.kotono8.com/2012/04/27bousou.html">kotono8.com/2012/04/27bous…</a> @<a href="https://twitter.com/kotono8">kotono8</a></p>&mdash; 馬占山（Ma Zhanshan）さん (@MaZhanshan) <a href="https://twitter.com/MaZhanshan/status/196183217991188481" data-datetime="2012-04-28T10:24:58+00:00">4月 28, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<p>この記事はBLOGOSにも転載され、4月28日の「本日最も読まれたBLOGOSの記事」にもなったのだが、そのコメント欄で「これだけのことをした悪い奴なのだから、実名やプライバシー情報が流されて制裁されるのも当然」という趣旨のコメントが次々と付いた。この文章の趣旨は皆さんおわかりのとおり「何もしていないのに濡れ衣を着せられて実名を流されるという被害」について述べているのだから、それらのコメントが見当外れであることは理解していただけると思う。すべては「あなたが何もしていないのに凶悪な殺人犯としてネットに実名をばらまかれてデータがネット上に残り続け、自分の実生活に一生悪影響を及ぼし続けるようなことがあっても平気なんですか」の一言に尽きる。</p>

<p>中にはこういうツイートをする人物もいるのが驚きである。一部伏せ字とする。</p>

<blockquote lang="ja"><p>ムカつく記事だなぁ。どう考えても、伊〓〓〓一派を炙り出した今回に限っては正義だと称賛するべきだろう。デスノートなんてこの世にないんだから。／京都亀岡暴走事故で3人の犯人の名前を6人分「暴い」たネットの暴走<a href="http://t.co/4tCm9lfY" title="http://bit.ly/J4jH01">bit.ly/J4jH01</a></p>&mdash; ベイダー系男子さん (@Luke_MZN) <a href="https://twitter.com/Luke_MZN/status/196069335524048896" >.</a>4月 28, 2012</blockquote>

<p>その「一派」の3人が仮に真犯人であったとしても、そこで私刑として実名を晒してネット集団リンチすることが「正義」なのか、それ以上に、濡れ衣を着せられた残る3人の名誉を損なったことを不問にできるのか、という視点がない人物がこの記事にムカついているのである。</p>

<p>現在はネットで個人情報がばらまかれることによって実際の生活に当然多大な影響が及ぶ。ネットだけで情報が拡散して実社会に影響がないというような90年代とはわけが違うのである。実際、報道された容疑者と同姓同名の人物が電話攻撃を受けたりするような事例も多々発生している。</p>
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    <title>木嶋被告「物証なき死刑判決」への不信感</title>
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    <published>2012-04-13T05:32:11Z</published>
    <updated>2012-04-13T05:37:34Z</updated>

    <summary>首都圏の連続不審死事件で男性三人についての殺人罪に問われた木嶋被告が、裁判員裁判...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>首都圏の連続不審死事件で男性三人についての殺人罪に問われた木嶋被告が、裁判員裁判の結果、死刑となった。</p>

<p>しかし、報道などによると、裁判では直接証拠がなく、状況証拠のみによって「死刑」判決が下されたという。これをわたしは恐ろしいことだと思う――被告が実際に犯行を行なっていようといまいと。</p>

<p>わたしは殺人という行為を擁護するつもりはさらさらない。ただ、「状況証拠のみによる死刑判決」が下るという状況に、日本の裁判制度への不信を抱かずにはいられない。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>報道によれば</h3>

<p><a href="http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012041390121512.html" target="_blank">中日新聞:木嶋被告に死刑判決　３男性殺害認定:社会(CHUNICHI Web)</a>（2012年4月13日）より一部引用。</p>

<blockquote>
  <p>　首都圏の連続不審死事件で、男性３人に対する殺人罪などに問われ、死刑を求刑された木嶋佳苗被告（３７）の裁判員裁判の判決で、さいたま地裁は１３日、３件の殺人罪すべてで検察側の主張を認め、求刑通り死刑を言い渡した。</p>
  
  <p>　殺人に関しては被告の犯行を裏付ける直接証拠がなく、被告は３人の殺害を一貫して否認し無罪を主張。男女各３人の裁判員は在任期間が過去最長の１００日間に及び、検察側が積み重ねた状況証拠のみでの難しい判断を迫られた。</p>
</blockquote>

<p>直接の物証も何もなく、ただ「状況証拠」のみで「極刑」が決まっている。物証なくして「有罪」というだけでも恐ろしいのに、執行したら取り返しのつかない「死刑」である。わたしがこの事件の裁判員だったら、少なくともこの事件での死刑判決には最後まで反対し続けただろう。</p>

<h3>「状況証拠」のみで「証明責任を押しつける」という暴力</h3>

<p>証明責任（立証責任）は疑惑をかけた側にある。しかし、疑惑をかけられた側に反証を求める例が多い。</p>

<p>「たぶんお前がやったんじゃないか？違うんなら証明しろ！できないなら、やったに決まっている！」という発言はネットでもよく見られるものだが、これは明らかに暴力である。疑惑は無尽蔵に生み出すことができるが、「やっていない」ことを証明するには多大な労力を必要とする。その結果、「疑惑をかけられた」ということがあたかも「そういう疑惑を持ち出されるような怪しい奴」という悪評として世間に受け入れられていく一方、いくら否定しても「しらばっくれている」としか解釈されない。わたしも実際に、ありもしない疑惑を言い立てられた上で「そうじゃないと言うなら立証責任はあなたにあります」と無茶な非難をされたことがある。もはやこれは言葉による暴力である。</p>

<p>この事件に戻ろう。いくら連続不審死で「非常に怪しい」としても、決定的な直接証拠のない状態で被疑者を「有罪」とするのは誤りだとわたしは信じる。それは検察側や裁判員が「証拠はないが、状況的にお前が犯人としか思えない。違うというならそれを覆すだけの証拠を持ってきてみろよ」と言っているのとまったく同じだからである。</p>

<p>また、「証拠すら捏造される」ような現在の司法・検察に対する不信感が高まっている中で、ましてや「捏造された証拠さえ存在しない」状況で有罪、しかも極刑の死刑という取り返しのつかない判決を下すのは、もはや暴挙としか思えない。たとえ仮に状況証拠が盤石であって有罪以外に可能性がないとしても、直接証拠がない以上は無期懲役にすべきだと思う。</p>

<p>ドラマ「相棒」の杉下右京さんのぶっ飛んだ推理だって、聞き込みで気づいた矛盾の追及に加えて物証が絶対に不可欠であって、だからこそ鑑識の米沢守がストーリーで常に重要な役割を演じているわけである。</p>

<p>物証を出せないこと自体が敗北なのだ。</p>

<p>わたしは「冤罪」だと訴えるつもりはない。「無実だ」という証拠だってわたしは持っていない。心証的にはやった可能性が高いだろうとも思っているし、（<a href="http://www.kotono8.com/2011/11/30anticipatemethod.html" target="_blank">「もし○○が本当だったら許せない」メソッド</a>になってしまうからあまり言いたくはないが）「もし仮にそういう犯罪が行なわれていたとしたら」擁護のしようはないとも思うが、「もし仮に」の部分を裏付ける「直接証拠」がない以上、有罪判決どころか死刑判決というのはあまりにも先走りすぎだと信じる。</p>
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    <title>日本におけるエイプリルフール受容史（戦国から江戸時代）</title>
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    <published>2012-04-01T02:17:26Z</published>
    <updated>2012-04-01T02:24:00Z</updated>

    <summary>エイプリルフールの起源には諸説あるものの、最有力とされる「暦の切り替えに伴い旧暦...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="エイプリル・フール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日本史" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="エイプリルフール" label="エイプリルフール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>エイプリルフールの起源には諸説あるものの、最有力とされる「暦の切り替えに伴い旧暦使用者をからかった」説ですら実は根拠がないことが明らかとなっている。4月1日にウソをついてからかう風習が行なわれたことが文献上で確認できるのは16世紀（1539年）、フランドルの作家エドゥアルド・ドゥ・デネが書いた詩で、結婚式の準備をすると偽って4月1日に使用人をあちこちに使いにやって右往左往させてからかう貴族が描かれている。</p>

<p>1698年の英国の新聞「ドークズ・ニューズレター」では、ありもしない「ライオン洗い」式典をやってるよと偽ってロンドン塔まで行かせるといういたずらが4月1日に行なわれるのが人気だったとされている。</p>

<p>しかし、起源が何であったかについては「何もわかっていない」というのが正しいところだ（詳しくは<a href="http://www.kotono8.com/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AB" target="_blank">エイプリルフール - 閾ペディアことのは</a>参照）。ちなみに「エイプリルフールにウソをついてよいのは午前中だけ」というのはイングランドとアイルランドのみの風習である。</p>

<p>今回は日本におけるエイプリルフールの受容史についてまとめてみた。</p>
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        <![CDATA[<h3>16世紀：戦国時代</h3>

<p>日本でのエイプリルフールの受容は意外に早く、戦国時代に日本を訪れたイエズス会宣教師によってこの風習が日本に伝えられていた。真っ先に取り入れたのは堺の会合衆と伝えられる。武野紹鴎が最近の稼ぎ具合について聞かれた際、儲かっているにもかかわらず「ぼちぼちでんな」と答えたエピソードが有名である。</p>

<p>その後、日本では四月一日が綿抜きの儀式の日にあたるため、二か月遅れの六月一日に一言ウソをつくことに変更されたが、名称はポルトガル語の「Avril（アブリウ＝四月）」と「tolo（トロ＝馬鹿）」から「とろあぶり」の日として受け入れられた。なお、この日に食された脂身の多いマグロを炙った料理は現在も「トロ炙り」として親しまれている。</p>

<p>この時代、エイプリルフールの冗談が洒落で終わらなかった大事件が起こっている。天正十年（1582）六月一日の深夜、一万三千人の兵を率いて京に向かった明智光秀は「とろあぶり」のネタとして「敵は本能寺にあり」とつぶやいた。ところがすでに日付は変わって四月二日の未明になってしまっており、冗談だと思わなかった家臣たちが本能寺に火を付け、主君・織田信長を滅ぼすという一大事に至ったのである。</p>

<p>光秀を倒して天下人となった秀吉も「とろあぶり」を好んだが、自らが天下を取るに至ったきっかけがとろあぶりの冗談によるものだということは自覚しており、自らがウソを語ることはほとんどなかった。しかし、年を重ねるとともにその自重が緩み、天正年間のある六月一日に「明国（中国）を取ろうと思うので、まず手始めに朝鮮を落とそうぞ」と言ったところ、家臣たちはまさか太閤がこのようなとろあぶりの冗談を言うなどとは思わず、実行に移してしまった。これが文禄・慶長の役の発端である。</p>

<h3>江戸時代</h3>

<p>江戸時代においては、徳川家康の江戸入城が八月一日（八朔）であったために六月一日の風習はやや廃れることとなったが、特に京や江戸ではなおもとろあぶりの冗談が語られることがあった。しかし、ルイス・フロイスが「洒落のわからない日本人」と書いたとおり、大なり小なりの事件を引き起こすこととなった。</p>

<p>関ヶ原の戦いで敗れて斬首された小西行長の遺臣・益田甚兵衛は、天草の宇土で浪人百姓となっていたが、その息子（当時十六歳）の四郎時貞（洗礼名フランシスコ）について「こいつは実は救世主なんですわ」というつまらぬ冗談を言ったところ、田舎者でとろあぶりの風習を知らなかった天草のキリシタンや農民が本気にして一揆を起こしてしまった。島原の乱である。</p>

<p>「とろあぶりの禁令」を発したのは、五代将軍綱吉である。その治世においては、吉良上野介義央のとろあぶり冗談を理解できなかった浅野内匠頭長矩が田舎侍と馬鹿にされ、それに怒って江戸城内松の廊下で斬りかかった「殿中刃傷」事件が勃発。浅野家はお取りつぶしとなったが、大石内蔵助をはじめとする赤穂四十七士（AKH47）が吉良屋敷へ討ち入った。とろあぶりの冗談がわからなかったことから敵討ちに至ったということで「阿呆浪士」と呼ばれたが、現在では誤って赤穂浪士として伝えられている。綱吉はこの事件を受けて「とろあぶりいたすまじきこと」との禁令を発した。ただ、江戸市中ではそのあおりを受けて、トロ炙りが店頭から消えたという。</p>

<p>この禁令は六代将軍家宣が生類憐れみの令とともに廃止した。</p>

<p>江戸時代に日本を訪れたシーボルトの著書『日本』でも「とろあぶり」が紹介されているが、フランス語でエイプリルフールを「四月の魚（ポワソン・ダヴリル）」と言うのは、このとろあぶりのトロ炙りが逆輸入された結果だという研究者もいる。なお、シーボルトは「日本地図持ってるよ」というとろあぶりの冗談がきっかけで国外追放されることとなった。</p>

<p>幕末には坂本龍馬がとろあぶりだか本気だかわからぬネタを繰り出したとして有名だが、それに乗っかった徳川慶喜が「大政を奉還しちゃおうかな」とつぶやいたことから幕府が終わりを告げたのは有名である。明治維新後には英米圏から伝わったエイプリルフールが定着し、とろあぶりの風習が存在したことは次第に忘れ去られていった。</p>

<h3>以上、エイプリルフールネタです</h3>

<p>「日本でのエイプリルフールの受容は意外に早く」以降の解説文はすべてウソです。</p>
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    <title>震災一年目に読み直してみた鴨長明『方丈記』の地震記述</title>
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    <published>2012-03-12T06:18:32Z</published>
    <updated>2012-03-12T06:28:22Z</updated>

    <summary>あの大地震から一年。復興はまだこれからの段階である一方、「一つになろうニッポン」...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
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    <category term="東日本大震災" label="東日本大震災" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>あの大地震から一年。復興はまだこれからの段階である一方、「一つになろうニッポン」のかけ声とは裏腹に新たな対立と罵り合いが繰り広げられた一年であったと思うが、少なくとも多くの人たちが「今まで考えていなかったこと」を考える契機になったとは思う。</p>

<p>わたし自身は昨年6月の文学フリマで『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0055NPM96?ie=UTF8&amp;tag=kotonoha0b-22&amp;linkCode=shr&amp;camp=1207&amp;creative=8411&amp;creativeASIN=B0055NPM96" target="_blank">東日本大震災でわたしも考えた</a>』を発表したが、基本的にはわたしのスタンスは「我が身を守ることに汲々とするより、今、ここでできる範囲の無理のない貢献」ということで、ささやかながらできることをやってきたつもりである。たとえば、震災後に買った米は今まで一年間ずっと福島県産である。もちろん昨年秋の収穫分についても、放射線量が厳重にチェックされた会津喜多方産を購入しているため、放射性物質に関してはまったく心配していない。</p>

<p>そんな中、ふと読み直してみたいと思ったのが鴨長明『方丈記』だった。ここには、大地震を含めていくつかの天変地異や遷都という大きな変化をきっかけに、鴨長明が強い無常感を抱くことが記されている。震災をきっかけにいろいろと考えることになったという点に限ってではあるが、現代のわたしたちとも共通しているところがあると思う。</p>

<p>今回は、方丈記の冒頭および元暦大地震関連の記載部分を改めて訳し直してみた。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>方丈記（松永訳）</h3>

<p>※原文は青空文庫の『<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html" target="_blank">鴨長明 方丈記</a>』を参照した。</p>

<p>　流れてゆく川の流れは絶えることがなく、しかも流れているのは同じ水ではない。よどみに浮かぶ泡は、消えては生まれ、久しくとどまることがない。世の中にある人も住みかもまた、このようなものだ。</p>

<p>　玉を敷いたように美しい都の中に棟を並べて立ち並んでいる高貴な人の家も身分の低い人の住まいは、代を重ねてもつきないもののようにみえる。しかし、それは本当かと調べてみると、昔からあった家はほとんどない。去年壊れて今年建てた家もあるし、大きな家がなくなって小さな家となったものもある。住む人も同じである。場所も変わらず、人も相変わらず多いが、昔見た人は二、三十人の中にわずか一人、二人のものである。朝に人が死に、ゆうべに人が生まれるというさだめは、まさに水の泡に似ている。</p>

<p>　生まれて死ぬ人がどこから来てどこへ行くのかは、わからない。また、仮の宿りでしかない家なのに、心を悩ませて家を作るのは誰のためなのか、見て楽しいものにしようとするのは何のためなのかもわからない。</p>

<p>　住人も住みかも無常を争うかのように去っていく様子は、言ってみれば朝顔の露そのものである。露だけ落ちて花が残っていることもあるが、残るといっても次の朝日には枯れてしまう。また、花がしぼんで露が消えずに残っていることもあるが、消えないといっても夕方まで待っているものではない。</p>

<p>　さて、ものの道理がわかるようになってから四十年あまりの歳月を過ごしてきたわけだが、世の不思議を見ることがたびたびあった。</p>

<p>（※以下、鴨長明は五つの災害や大事件のことを記している。</p>

<ul>
<li>安元三年（1177）四月二十八日：安元の大火</li>
<li>治承四年（1180）四月二十九日：治承の辻風</li>
<li>治承四年（1180）六月：福原遷都（平清盛による）。同年冬に平安京に戻る。</li>
<li>養和元年（1181）：養和の飢饉</li>
<li>元暦二年（1185）七月：元暦大地震。（同年三月に壇ノ浦の戦い、平家滅亡）</li>
</ul>

<p>このうち、元暦大地震の節から訳す）</p>

<p>　また、元暦二年のころ、大地が揺れる（おほなゐふる）ことがあった。その様子は世の中に普通にあるものではなかった。山が崩れて川を埋め、海は傾いて陸を浸した。土が裂けて水がわき上がり、大岩が割れて谷に転がり、なぎさを漕いでいた船は波のまにまに漂い、路行く馬はどこに脚を立たせればいいのかもわからなくなった。</p>

<p>　都のあたりでは、あちらこちらの堂舎（大小の家／社寺の建物）・廟塔が一つとして無事ではなかった。崩れたり崩れたりするときに立ち上がる塵や灰は、もうもうと立ちこめる煙のようだ。地が震え、家が壊れる音はいかずちそのものである。家の中にいるとたちまち押しつぶされそうになる。走り出るとまた地割れが裂ける。羽がないので空に上がることもできない。龍ではないので雲に昇るのも無理だ。恐ろしいものの中でも特に恐るべきものは、まさに地震だと思ったのである。</p>

<p>　その中で、ある武士の一人っ子で六つか七つくらいの子供が、築地（瓦屋根の泥塀）の下に小屋をつくり、とりとめもなく意味もないことをして遊んでいた。しかし、地震のときに築地が急に崩れて埋められて、跡形もなくぺしゃんこに押しつぶされた。二つの目もちょっと飛び出てしまっていた。それを父母が抱え、声も抑えずに悲しみあっているのを、本当に気の毒で悲しく思いながら眺めたものだった。子を失った悲しみには猛々しい者であっても恥も外聞も忘れてしまうものだとわかり、いたわしいがまたそれも当然のことだと思った。</p>

<p>　このように激しく震えるのはしばらくのうちに止んだが、その名残の余震はたびたび絶えることがなかった。世の常としてはおどろくほどの地震が、二、三十度も震える日が続いた。十日、二十日すぎたあたりで、だんだん感覚が開いてきて、四、五回の日から、二、三回の日、それから一日おき、二、三日に一度となっていった。おおよそその名残の余震は三月ほどもあっただろうか。</p>

<p>　四大種（※物質を構成する四元素。地・水・火・風）のうち、水・火・風はしょっちゅう害をなすが、大地についてはそれほど異変を起こすものではない。むかし斉衡のころ（854～857）だったか、大地震があって、東大寺の大仏の御首が落ちたりして大変なこともあったのだが、今回の地震には及ばなかったという。その直後には人はみなこの世は無常・不条理だということを述べて、多少は心の濁りも薄らいだように見えたものだったが、月日が重なり、年を経ていくうちに、やがてそんな言葉を言う人もいなくなった。</p>

<p>　何事につけても世の中に存在すること自体が難しいこと、我が身と住みかとがはかなく、実体のないものであるようすは以上のとおりである。ましてや、場所に応じ、身の程に応じて心を悩ませることは、挙げれば数え切れない。……（後略）</p>

<p>（※……こうして世の無常を感じ、この世の中のもの、特に住みかと自分にこだわること自体に意味がないのだという思いを強くした鴨長明は、五十歳の春に出家して隠棲する。最初は大原山に、次いで音羽山に移り、一丈四方の小屋（方丈）に住んだのであった。なお、この方丈のあった場所には一度だけ行ったことがある。山科の山の中でまさに隠遁所と呼ぶにふさわしい雰囲気が今なお残っていた。）</p>

<p>（※仏教の無常観というのはよく誤解されているが、たとえば「桜の花はすぐに散ってしまう→短い命だから美しい」という「はかなさを愛でる」意識ではない。それは日本的情緒ではあっても仏教的な見方ではない。「世の中のすべてのものは移り変わるのだから、それにとらわれずに離れていくしかない」という見方が仏教の無常観である。鴨長明の無常観は仏教的無常観というにふさわしい。）</p>
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    <title>レッドブルとアップル「直訳CM」の致命的欠陥（「授ける」と「させる」の言語機能の解析）</title>
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    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1328</id>

    <published>2012-03-08T01:57:19Z</published>
    <updated>2012-03-08T03:39:23Z</updated>

    <summary>最近、海外商品について直訳のメッセージで宣伝するCMがいくつか見受けられるが、そ...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="ことば・表現" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>最近、海外商品について直訳のメッセージで宣伝するCMがいくつか見受けられるが、それを見聞きするたびに気持ち悪さを感じていた。その筆頭がアップルとレッドブルである。</p>

<p>その気持ち悪さについて、日本語学的に分析すると非常に興味深いことがわかる。それはこの二つのCMの言葉が、英語の単語をそのまま日本語に置き換えているがゆえに意味が変わってしまっているということである。特に「授ける」と「させる」という日本語の「機能」に無頓着であることが致命的な欠陥となっている。</p>

<p>前回のブログ記事（<a href="http://www.kotono8.com/2012/02/29accent.html" target="_blank">木村カエラCMのエセ関西弁が気持ち悪い理由［絵文録ことのは］2012/02/29</a>）に引き続き、今回もCMの言葉を解析してみた。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>レッドブルは購入者より目上である</h3>

<p>「レッドブル、翼を授ける」というキャッチコピーで知られるレッドブルは、オーストリア企業の商品である。このキャッチコピーは非常にわかりやすいので、最初に解析するとしよう。</p>

<p>もちろんこれは、英語のキャッチコピー／スローガンである "Red Bull gives you wings" の直訳である。この英文自体には特に問題はない。問題は、その日本語訳である。「レッドブル、翼を授ける」とそのまま直訳することによって違和感が生まれている。</p>

<p>日本語を母語とする人であれば、この言葉を聞いて何となく収まりが悪いと感じるだろう。「そのまま訳しているのだからいいじゃないか」という人は、ちょっと日本語に対する敏感さが足りないといえる。</p>

<p>なぜなら、<strong>日本語の「授ける」という言葉には、「上の者が下の者に一方的に恩恵を授ける」場合にのみ用いられるという機能がある</strong>からだ。英語の "give" には上下関係など想定されていないが、日本語の「授ける」や「与える」には明確に上下関係が存在する。この「機能の違い」は通常ははっきりとは自覚されていなくても、母語話者であれば無意識のうちに使いこなしている。</p>

<p>たとえば、平社員が「社長に重要な地位を授けられましたので、がんばります」というのは違和感のない日本語である。「与える」でも同様で、「今朝、ペットにえさを与えてきました」「植物に水と肥料を与える」「赤ちゃんには母乳を与えています」はもちろん可である。いずれも上から下である（自分は犬や植物や赤ちゃんより上の立場として恩恵を与える立場にあり、社長は平社員より明らかに上である）。しかし、日本人の会社員がもし「社長にペンを授けました」と言って平然としているなら、その人は危なっかしくて外には出せない。少なくともこの言葉を聞いた人は、日本語が不自由な人だなあと思うか、「お前は何様だ、偉そうに」と思うだろう。それが日本語母語話者の当たり前の感覚である。それは<strong>「授ける」「与える」という言葉の機能には「上から下へ一方的に」という矢印が必ずついてまわっている</strong>からなのである。</p>

<p>「授ける」「賜る」「与える」のは絶対に「下から上」ではない。「対等」でもない（「同僚が弁当を与えてくれました」と発言するなら、その同僚にまったく頭があがらないという背景が想定される。つまり、対等ではありえない）。必ず「上から下」なのだ。</p>

<p>受け手からの視点では「授かる」となる。これも与える側が上、授かる側が下である。「子供を授かった」のも「天から授かった」のであって、逆ではあり得ない。</p>

<p>とすると、「レッドブル、翼を授ける」という言葉には「レッドブル、貴様は何様のつもりだ？」という反感、あるいはレッドブルが強制的・強圧的だという印象を抱いても当然ということになる。</p>

<p>もちろん、「レッドブルが授ける」というのにはもう一つ日本語らしくない要素があって、それはレッドブルという無生物が動作主になるという問題である。<strong>無生物は動作の主体になりえない</strong>のが日本語だ。もちろん、翻訳口調でそういう表現は現在、たしかに存在する。しかし、それも「翻訳口調」という違和感を伴っての上である。</p>

<p>日本語らしく訳し直せば、まず「レッドブルを飲めば、翼が生えたように感じる」という表現になるだろう。意味的にはこういうことのはずである。ただ、これは回りくどい。レッドブルで翼が生えるというのは、それだけ上昇気分になるとか、元気になるとかいった意味の比喩と考えてよいはずだ。また、レッドブルはエネルギーが足りないときに飲みたくなるだろう。とすれば、同じ意味を伝えるにしても「レッドブルでもうひとっ飛び」「レッドブルならまだ飛べる！」「羽根が生えるよレッドブル」あたりが日本語らしいキャッチフレーズと感じられるはずである（※コピーライターならもう少し気の利いた表現もできるだろうが、ここではひとまず日本語的か否かという観点で見ていただきたい）。</p>

<p>「飲めばもっと飛べる。レッドブル」と「レッドブル、翼を授ける」のどちらが日本語母語話者にとってすんなり理解できるか、言い換えれば「どちらが日本語か」、それはもはや言うまでもないだろう。もちろん違和感を残すことによって印象を強める手法があることは理解しているが、それにしても現行の直訳調では違和感が強すぎると思われる。</p>

<p>このような言葉遣いをそのままにするというのは、言い換えれば日本市場の人たちの心に対して無頓着だということにもなる。自分たちの言いたいことだけを表現して顧客のことを考えていないプロモーションなのではないか、という気さえしてしまう。</p>

<h3>iPadは利用者に命令を下し、振り回す</h3>

<p>同様に直訳口調のナレーションが日本語になっていないCMとして耳障りなのがアップルのCMだ。現在テレビで流れているiPadのCMの「Love」編ナレーションは以下のとおりである（以下、<a href="http://www.apple.com/jp/ipad/videos/" target="_blank">アップル公式サイトiPad TVCMのページ</a>の動画を参照して筆者が書き起こした）。</p>

<blockquote>
  <p>ある人にとって、それは生涯にわたる情熱。 <br />
  ある人には、見つけたばかりの楽しみ。 <br />
  わたしたちにはみな、心を熱くする何かがある。 <br />
  それは、あなたを朝早く目覚めさせ、 <br />
  ときに夜更かしをさせる。 <br />
  大好きなことにどこまでも夢中になれる、 <br />
  今までにはなかったこんな形で。  </p>
</blockquote>

<p>このセリフを聞いた瞬間に、外国語からの翻訳だと直感的にわかるのが日本語母語話者である。もちろん、その違和感に対してあまり不快に思わない人もいるだろうが、言語的に敏感な人なら、これが厳密な意味で「日本語になっていない」ことが感じ取れるはずである。</p>

<p>まず第1点。このCMでは「それ」が主語になっている。</p>

<p>「それ」は「iPad」そのものなのか、あるいは「心を熱くする何か」なのかは明言されない。いや、それを重ね合わせさせるのがこのCMの原文英語ナレーションの意図だろう。その意図はくみ取ることができるし、そのこと自体は問題ない。</p>

<p>だがしかし。英語の「It」を「それ」と訳していいのは学校英語・受験英語だけである。日本語の「それ」は、「これ」（近称）「それ」（中称）「あれ」（遠称）の中の「それ」であって、本来、「人間以外のものを指す三人称単数の代名詞」ではない。明治以後の翻訳語として流用されたため、「三人称単数代名詞」のように「それ」を使うと違和感が生じる。</p>

<p>日本語の「それ」（そこ、その、そいつ……）とは何か。いくつかの機能がある。一つは、単純に自分から遠くて相手に近いところに存在しているものを指す。例＝「その鉛筆を取ってくれ」。</p>

<p>二つめは、話し相手がよく知っているが、自分はよく知らなかった話題を指す。例＝Ａ「昨日、食べた店がまたおいしくてねえ」Ｂ「その店はどこにあるんですか？」。これも、話題の内容が「自分から遠くて相手に近い」という意味では、一つめを抽象化したものと受け取れる。</p>

<p>三つめは、文脈指示の「それ」である。よく入試の国語の問題で「“それ”は何を指すか。二十字以内で抜き出せ」というような問いがあるが、そこで問われているのがこの「それ」である。論述文の場合、「それ」で指示される内容は、著者がちょっと距離をおいて客観的に（突き放した感じで）指し示すものを意味している。</p>

<p>これらの基本的な機能を見るとき、「それ」と「It」はまったく機能の異なる言葉だということがわかってくる。少なくとも、話し手から距離感のあるニュアンスが生まれてしまう。それが、あのCMの「それ」なのである。（※読者の皆さまへの宿題。この段落の冒頭の「これらの」と、最後の「それが」「あのCM」に注目し、書き手からの距離感を考察すべし）</p>

<p>また、「それ」は「聞き手も存在だけは知っている」ものでなければならない。たとえ電話口で「予定表が壁にかけてあるでしょ。そこに何て書いてある？」と言うときも、自分から見えなくても予定表があるということは知っている。知らない店について「その店」と言うときは、相手がその店の話題をすでに振っていなければならない。つまり、<strong>今まで何の話題もないところにいきなり「それ」を持ち出すのは、日本語としておかしい</strong>のである。だから、CMの冒頭で「ある人にとって、それは生涯にわたる情熱。」と切り出されると、日本語ではCMが始まる前に何らかのやりとりがあって、それがカットされているかのような気持ち悪さが生じる。決して「それ」を「無生物の三人称単数代名詞」として受け取ることはできないのだ（例外は、隠語として例のモノを「アレ」とか「ナニ」とか言う場合だが、その場合でも「ソレ」というのはおかしい。遠称もしくは不定称だから隠語になりえるのである）。</p>

<p>さて、このCMの中心、すなわち「それ」の正体は、「わたしたちにはみな、心を熱くする何かがある」の「何か」だと読み取れる（そして、それを実現してくれるのがiPadなんです、と言いたいのだろう、ということも含めて）。これは、原文は多分somethingを使った構文なんだな、と容易に想像される直訳だが、そこはひとまずよしとしよう。ここでは、「熱中の対象となるもの」をこのCMで「それ」と呼んでいるという事実を確認しておけばよい。だが、問題は、「それ」と言ってしまうがゆえに、何か突き放した感じが生じてしまうことである。つまり、ナレーターが「みなさん各自が何に興味を持ってるかは知りませんし、知りたくもありませんが、それが何であれ、iPadでできますよ」と言っているのか、さもなくば「みなさん、熱中してるとかいっても、実際のところはそんなにはまってるわけじゃないですよね」という感じになってしまう。この突き放した感じのために、さらに違和感が生じている。</p>

<p>このCMの違和感の第2点は、「させる」という使役形にある。「それは、あなたを朝早く目覚めさせ、ときに夜更かしをさせる」。無生物を動作主として語るのが日本語として不自然であることはレッドブルのときに指摘したとおりだが、レッドブルの「授ける」に対して、こちらは「目覚めさせる」「夜更かしをさせる」という言葉が使われている。</p>

<p>日本語における使役形の機能は、先ほど見た「授ける」と似ている側面がある。つまり、「ＡさんがＢさんにＣさせる」とき、決定権・主導権を握っているのは絶対にＡさんであり、ＢさんはＡさんからＣを強要される立場にある。先生が生徒に勉強させる。親が子供に手伝いをさせる。息子に親の介護をさせる。<strong>「させる」方が絶対に上位であって決定権・主導権を握っており、「させられる」側が絶対に下位にある。</strong></p>

<p>また、無生物主語を避けようと思って受身形にしようとすると別の問題が発生する。日本語の受身形（れる／られる）には、被害意識を表わす機能があるからである。「子供に泣かれた（ので仕方なく買ってやった）」「雨に降られた」などを見ればうなずけるはずだ。さらにこれが使役受身になると、相手から強要されてイヤイヤやらされた、という思いを伝える機能がある。「昨日は終電まで残業させられたよ」「あの人にはほとほと苦労させられたものです」など。だから「朝早く目覚めさせられたり、ときに夜更かしさせられたりする」というと、もはや子育てに翻弄されている親の愚痴にしかならない。もちろん、英語の受け身にはこういった機能はない。</p>

<p>つまり、日本語で「それ」がわたしに「～させる」と言った場合、どうしても「それ」に振り回されている感が出てしまうのである。使役には厳密には「強制してさせる」場合と「許可・容認」（「子供には行きたい学校へ行かせました」など）のパターンがあるが、いずれにしても使役の主体の方に決定権があることには違いがない。</p>

<p>「それは、あなたを朝早く目覚めさせ、ときに夜更かしをさせる」――前後の文脈をひとまず切り離して日本語としてこの文を解釈すると、「それ」が命じて、早朝出勤から深夜の残業まで散々強要されるイメージになってしまう。ついつい夢中になりすぎて気がついたら夜更かししてしまっていたり、遠足の日の朝は目覚ましがなくてもワクワクした気持ちで目が覚める、というようなイメージには絶対になりえないのだ。</p>

<p>英語の使役形でmakeは強要、letは放任のニュアンスとなり、おそらくはこの原文もletなのだろうが、この翻訳ではまったくその感覚が伝わらず、台無しになってしまっている。</p>

<p>このCMの「伝えたいこと」を本当に伝えようと思えば、わたしならこれくらい砕いて訳す。</p>

<blockquote>
  <p>誰だって何かしら夢中になれるものがあります。 <br />
  これまでの人生でずっと熱中してきたもの。 <br />
  最近見つけた新しいもの。 <br />
  そのためだったら早起きも苦にならないし、 <br />
  時間が経つのを忘れてつい夜更かししてしまったり。 <br />
  好きなことには、どこまでも夢中になってしまいますね。 <br />
  それを今までにない新しいスタイルで楽しんでみませんか。iPad</p>
</blockquote>

<p>ちなみに、ここで使った「その」「それ」は、そこまで述べてきた内容を指している文脈指示の用法である。また、「～てしまう」を使うことで、ハマっている感じを表現している（主語と目的語が逆転しているが、こちらの方がLetによる使役のニュアンスに近いはずである）。</p>

<h3>まとめ</h3>

<p>今回取り上げた二つのCMと同じような趣旨を伝えるにしても、たとえば<a href="http://www.mcdonalds.co.jp/company/cm/" target="_blank">マクドナルドのCM</a>（ブレックファストコンビ「スキップ」編）は日本向けとして非常によくできていると思う。「あ、部長、おはようございます。今、スキップしてませんでした？」「してないよ……」「してましたよ（笑）」「してませんッ」――部長と部下の会話であるが、「ブレックファストコンビを買えば、ふだんは部下に厳しい部長でもスキップしてしまうほど、ついつい楽しくなってしまう」というメッセージが明解に伝わってくるし、部長と部下の普段の関係性も何となく感じ取れる。これを「ブレックファストコンビ。それは気むずかしい部長にスキップさせる」とナレーションしたら台無しである。</p>

<p>言語が違えば、その背景にある考え方も違う。それぞれの表現にはそれぞれの機能があり、それは外国語と一対一対応していない。形の上では置き換えができたとしても、含意や背景を含む「意味」は必ずしも一致しない。それは、どちらの言語が偉いとか優れているとか正しいとか進んでいるとかいう話ではなく、単に「違う」ということである。</p>

<p>その違いを認識することなく、英文をそのまま日本語に直訳したとき、言いたいことそのものは一応伝わるとしても、それ以外の予期せぬ情報が発生する。そう、「レッドブルは購入者より目上である」「iPadで趣味を楽しもうとすると、利用者の意思を超えて機械に振り回される」といった言外の意味が生じてしまうのである。これが二つの直訳CMの致命的欠陥である。</p>

<p>日本市場に進出する際には、自動翻訳でできるレベルの置き換えではなく、ネイティブが違和感のない表現にまでかみ砕いて訳すべきだ。特に、「話し手と聞き手の上下関係」が表現に影響しない英語から、それなしでは成り立たない日本語に訳すときには注意が必要である（なお、ここで「日本はタテ社会、英米はヨコ社会」というような安易な社会論に結びつけないようにもお願いしたい。単に言語の機能の違いである）。</p>

<p>英語をはじめとする外国語を勉強する際にも、この「機能の違い」は自覚する必要がある。むしろ、外国語に上達したければ、まずは日本語のこのような機能の違い、ニュアンスの違いに敏感になることだ。日本語にも鈍感なのに英語だけ得意、というのは、日本語母語話者にはとうてい無理な話である。日本語で無意識に前提とされていることが英語表現には含まれないので、それをすべて発話しなければならない――という「ハイコンテクスト言語とローコンテクスト言語の違い」について意識化できれば、おそらく日本語も外国語も上達することだろう。</p>

<p>少なくとも、このような「日本語になっていない直訳ナレーション」に対して、その違和感をかっこよさと勘違いしないことが重要である。</p>

<h3>追記</h3>

<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>レッドブルとアップル「直訳CM」の致命的欠陥（「授ける」と「させてくれる」の言語機能の解析）<a href="http://t.co/xtgojnOO" title="http://www.kotono8.com/2012/03/08redbull-apple.html">kotono8.com/2012/03/08redb…</a> <a href="https://twitter.com/search/%2523Zenback">#Zenback</a> via @<a href="https://twitter.com/kotono8">kotono8</a> レッドブルが上から目線なのはそれだけ絶対的で強力な切り札なんだ、という感じを出したいんだと思ってたけど</p>&mdash; Koga Osamuさん (@osa_k) <a href="https://twitter.com/osa_k/status/177593388571439104" data-datetime="2012-03-08T03:15:38+00:00">3月 8, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<p>少なくとも「上から目線」であるという受け手側の感覚は共有されているようである。ただ、英語原文には「絶対的で強力な切り札なんだ、という感じ」はなく、日本語訳はひねりもなく直訳しただけなので、意図的な表現であるとはわたしには思えない。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>木村カエラCMのエセ関西弁が気持ち悪い理由</title>
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    <published>2012-02-29T06:07:19Z</published>
    <updated>2012-03-01T04:33:28Z</updated>

    <summary>木村カエラのキシリッシュCMのエセ関西弁がとにかく気持ち悪い（→CM GALLE...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="言葉" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>木村カエラのキシリッシュCMのエセ関西弁がとにかく気持ち悪い（→<a href="http://www.meiji.co.jp/sweets/candy_gum/xylish/cm/" target="_blank">CM GALLERY（CMギャラリー）｜XYLISH (キシリッシュ)｜株式会社 明治</a>）。少なくとも京阪式アクセントで生まれ育った人間にとって、これは「バカにしとんのか」と生理的嫌悪感を抱かずにはいられないレベルである。中途半端に似せているがゆえに、違うところがあまりにも気持ち悪く、「ほかのガム噛んだらあかんで」と言われてもかえって「キシリッシュだけは金輪際噛んでたまるか、一生噛まんわ」と思ってしまうほどである。</p>

<p>なぜ中途半端なエセ関西弁が気持ち悪いのか。言語学的な分析からその理由をまとめておきたい。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>東京式アクセントの三大原則</h3>

<p>わたし自身は奈良県の盆地部で生まれ育ち、高校は大阪泉州、予備校は難波、大学は京都だったので、奈良弁・河内弁・泉州弁・京言葉になじみがある。そのため、非関西圏（特に関東地方）の人が中途半端に関西弁を真似る「エセ関西弁」には、多くの関西人と同様に激しいアレルギーがある。</p>

<p>アニメ・エヴァンゲリオンのテレビ版での鈴原トウジの関西弁風発音は、まったく京阪式アクセントではなく、極めて気持ち悪かった。新世紀版ヱヴァンゲリヲンでは改善されていたが、関東人は関西人のアクセントの聞き取り・発音がまるでなっていないことが多い。ちなみに、名古屋弁のアクセントは東京式なので、関西人からみれば名古屋も関東なのだが、東京からみれば名古屋も大阪も同じように思われているようだ。このあたりですでに食い違いが生じている。</p>

<p>では、東京式アクセントと京阪式アクセントはどう違うか。東京に住んで15年になるのに京阪式がどうしても出てくるわたしに対して「上がり下がりをひっくり返せばいいんですよ」とアドバイスしてくれた人もいるが、実はことはそう単純ではない。</p>

<p>日本語のアクセントは、英語のような強弱ではなく高低によるアクセントである。そして、東京式アクセントには次の三つの特徴がある。</p>

<p>【東京式アクセントの三つの特徴】</p>

<ol>
<li>語の第一拍と第二拍のアクセントの高低は必ず違う。</li>
<li>一語の中でアクセントが高いところは1か所である（1拍もしくは連続した数拍）。一度下がったら、一語の中で再び上がることはない。</li>
<li>特殊拍（ん、っ、ー）にアクセントの核はこない。</li>
</ol>

<p>拍（モーラ）というのは日本語の音の基礎となる単位で、音節とは違う。基本的に「ん」や「っ」や「ー」も含めて仮名文字一つが一拍と思えばいい（例外は拗音で、「きゃ」「しゅ」「ぴょ」などは二文字で一拍となる）。つまり、「キ・シ・リ・ッ・シュ」は5拍（4音節）、「お・ー・さ・か」は4拍（3音節）となる。日本語のアクセント規則は音節ではなく拍（モーラ）によって決まる。</p>

<p>東京式アクセントで3拍＋助詞（が／は）の言葉の場合、上記の1と2の条件を満たすパターンは4つとなる。低いアクセントを○、高いアクセントを●（助詞は▽▼）で表わすと以下のとおりである。</p>

<ul>
<li>平板型：○●●▼（さくらが）</li>
<li>尾高型：○●●▽（おとこが）</li>
<li>中高型：○●○▽（なかみが）</li>
<li>頭高型：●○○▽（みどりが）</li>
</ul>

<p>また、特徴3については、たとえば「コーヒー」は○●●○となる。この高いところから低いところへ下がる直前の音が「アクセントの核」と呼ばれる（コーヒーなら「ヒ」）。このアクセントの核は、東京式アクセントでは絶対に「ん」や「っ」や「ー」に来ることがない。つまり、「ん」や「っ」や「ー」まで高くてその次の音から下がるということは絶対になく、その前で下がる（もしくはもっと別のところで下がる）ことになる。</p>

<h3>京阪式アクセントは東京式と根本的にルールが違う</h3>

<p>ところがである。京阪式アクセントは東京式アクセントをひっくり返せばいいのではない。3拍語のアクセントの４パターンの中で入れ替わるのであれば覚えやすいのだが、先ほどの「東京式アクセントの三つの特徴」そのものが京阪式アクセントには存在しない。つまり、根本的なルールが全然違うのである。</p>

<p>【京阪式アクセントの特徴】</p>

<ol>
<li>語の第一拍と第二拍が同じときもある。端（●●）、箸が（○○▼）など。</li>
<li>一語の中でアクセントが２回下がることもある。「おおきに」は地域・年代によって「○○●○」と「●○●○」の２種類が存在するが、後者は音が二回下がる。</li>
<li>特殊拍（ん、っ、ー）にアクセントの核が来ることもある。中国（ちゅーごく：○●○○＝「ちゅ」は一拍）など。</li>
</ol>

<p>こうなるとアクセントのパターンも当然、東京式と比べて多くなることがわかるだろう。言い換えれば、この東京式と京阪式のアクセントの「根本ルールの違い」に無自覚なまま関東人が関西弁を真似ようとしても、どうしても間違いが生まれてくるのである。そして、「同じ高さが続く」べきところをどうしても「一拍目と二拍目の高さを変えてしまう」ミスをしてしまう。そこに、関西人は「いい加減にマネして、バカにしとんのかいな」と反発を感じるのである。</p>

<h3>カエラの発音チェック</h3>

<p>では、CMのカエラの発音を細かくチェックしてみよう（なお、関西の中でもアクセントは地域や年代によって違いがあり、以下の判定はわたしの個人的経験と感覚によるものであることを断っておく）。カエラは音感が優れているようで結構うまい部分も多々あるのだが、一部に致命的なミスがあって「エセ関西弁」になってしまっていることがわかる。●が高、○が低、◎が語尾で少し上がる音である。カエラの発音をスクリプトの下に書いてみた。</p>

<p>あんたなあ、ぼーっとしてたら　あかんでぇ <br />
○○○●○　●○○○○○○○　●●○○○</p>

<p>出だしの「あんた」が低いまま移行するのはよい。だが、「ぼーっと」と「あかん」が先ほどの特徴3にひっかかっている。「ぼーっと」は「●●●○」もしくは「○●●○」になる。つまり、アクセントの核が「っ」に来なければならない。「あかんでぇ」は「●●●○◎」で、アクセントの核は「か」ではなく「ん」に来る。また、最後は心持ち上がる。</p>

<p>ガムと言えば　キシリッシュやでぇ <br />
●○○●○○　●●●●○　○○○</p>

<p>ここはなかなか健闘している。厳密には「やでぇ」は次第に少しずつ下がっているが、これはいいだろう（「で」が一番下がって「ぇ」で少し上がるともっとかわいくなる）。新語である「キシリッシュ」の発音には決まりはないと思うが、個人的には「シュ」の前で下がるのがなじむ（東京式なら●○○○○もしくは○●●○○だろう）。</p>

<p>まちがえて　ほかのガム噛んだら　あかんでぇ <br />
●●●○○　○○○●○●○○○　●●○○○</p>

<p>「まちがえてほかのガム」まではよい。その後、突然東京式になってしまうので、エセ関西弁の気持ち悪さが噴出する。「噛んだら」は「○○●○」、「あかんでぇ」は「●●●○◎」が京阪式である。この小さな間違いが「全体に関西風に見せようとしてやっぱり間違っている」という違和感の原因となっている。「あかん」の「か」の後で下がるか「ん」の後で下がるかは大きな違いとして受け取られる。</p>

<p>カエラ、泣くでぇ。ほな、さいなら <br />
●○○　●●○◎　●○　○○●○</p>

<p>最後は（多少誇張がすぎる気もするが）まあよい。一拍目と二拍目の高さが同じ語をちゃんと言っているからだ。「さいなら」は、わたし個人としては「●○●○」の方がなじんでいるが、「○○●○」の地域もあるかと思う。</p>

<p>こうして見ると、致命的なミスは「ぼーっとしてたらあかんでぇ」と「噛んだらあかんでぇ」の部分である。15秒のCMで4か所の違いは耳につく。特に「あかん」（●●●）を「ん」で下げずに平板に読む練習が必要だろう。「ガムといえばキシリッシュやでぇ」「カエラ泣くでぇ」というCMのキモの部分はよく発音できているというのに、こういう細かいミスで気持ち悪いエセ関西弁と感じられてしまうのはもったいない話である。</p>

<p>明治の広報担当者には、関西地区でのキシリッシュの売上が落ちる前に修正版を出すことをおすすめしたい。</p>

<h3>追記（3/1）</h3>

<blockquote class="twitter-tweet tw-align-center" lang="ja"><p>逆に関西出身の人は、なぜそこまで方言にこだわるのだろう。東北弁なんか、テキトーに使われても腹立たんぜよ。 / “木村カエラCMのエセ関西弁が気持ち悪い理由［絵文録ことのは］2012/02/29” <a href="http://t.co/1NtCDfGb" title="http://htn.to/TmJgJW">htn.to/TmJgJW</a></p>&mdash; 深町秋生さん (@ash0966) <a href="https://twitter.com/ash0966/status/174826385548910593" data-datetime="2012-02-29T12:00:33+00:00">2月 29, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet tw-align-center" data-in-reply-to="174826385548910593" lang="ja"><p>@<a href="https://twitter.com/ash0966">ash0966</a> 無アクセント地域の人はアクセントの違いが意味の違いにつながらないので気にならないんでしょう</p>&mdash; 松永英明＠ことのはさん (@kotono8) <a href="https://twitter.com/kotono8/status/174828680646897665" data-datetime="2012-02-29T12:09:40+00:00">2月 29, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<blockquote class="twitter-tweet tw-align-center" data-in-reply-to="174828680646897665" lang="ja"><p>@<a href="https://twitter.com/kotono8">kotono8</a> あ、なるほど。アクセントの違いで、相当いらっとくるというのはあるでしょうね。</p>&mdash; 深町秋生さん (@ash0966) <a href="https://twitter.com/ash0966/status/174848860865314817" data-datetime="2012-02-29T13:29:51+00:00">2月 29, 2012</a></blockquote>

<script src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

<p>日本には大きく分けて「京阪式アクセント」「東京式アクセント」「一型式アクセント（無アクセント）」の3地域があり、特に無アクセント地域の人は同じ語をどんなアクセントで言っても通じてしまう。アクセントの種類が多い京阪式の地域では特に、アクセントの違いに敏感になる。</p>

<p>「あえてわざと気持ち悪い関西弁を目指したのではないか」という意見も散見されるが、それならその意図自体が関西言葉（もしくは方言全般）をバカにしているといえる。ただし、「足立区出身のカエラに関西弁を話させる」という新規さを求めてCMを作成したが、方言指導が不充分で当初の目的を達成できない失敗作となった、というほうがありそうに思える。</p>

<p>なお、関東人が関西人に引きずられてたまに関西弁になる、というようなのは関西人も目くじらを立てない。ただ、中途半端な関西弁をドヤ顔で「お前たちの言葉はだいたいこんな感じなんだろ？」と話されると小馬鹿にされているようにしか思えず気持ち悪いということである。「ジャップってサムライとニンジャばかりで、いつもハラキリしてんだろ？お前の家族もカミカゼやったのか？hehehe」と小馬鹿にして言われているような気分だといえば伝わるだろうか。</p>
]]>
    </content>
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    <title>「マルモリはアイヌ語」デマはなぜ拡散したのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/01/30marumori.html" />
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    <published>2012-01-30T08:14:26Z</published>
    <updated>2012-01-31T00:28:28Z</updated>

    <summary>芦田愛菜と鈴木福が歌ったドラマ主題歌「マルモのおきて」の歌詞について、「マルマル...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="民俗学・都市伝説" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="言葉" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="アイヌ" label="アイヌ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="エスノセントリズム" label="エスノセントリズム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="デマ" label="デマ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>芦田愛菜と鈴木福が歌ったドラマ主題歌「マルモのおきて」の歌詞について、「マルマルモリモリとはアイヌ語で「侵略者、侵略者、死を与えよ、死を与えよ」という意味」というデマが昨年師走、2011年12月9日にツイッターに投稿され、拡散されていった。投稿者は直後に「うそです」と記していたが、過去ログをたどりにくいツイッターの仕様も相まって、「マルモリはアイヌ語で怖い意味だ」という情報が広まっていった。</p>

<p>その後、アイヌ語研究者による否定ツイートも流れ、わたしもそれをtogetterでまとめた（<a href="http://togetter.com/li/225442" target="_blank">「マルマルモリモリはアイヌ語」というデマと、アイヌ語の真実 - Togetter</a>）。こちらも拡散されるようになって一応デマは鎮火した……かのように見えた。しかし、約2か月経った今、再びこのデマがツイッター上で見られるようになっている。</p>

<p>なぜ「マルモリはアイヌ語」デマがこんなに拡散し、一度否定されてもなぜまた再び拡散してしまうのか。それは、ツイッターの仕様やユーザーのリテラシーもさることながら、「幽霊アイヌ語」がいまだに放置されていること、そしてアイヌ文化・アイヌ語への無知、ひいてはアイヌへの「未開人」視があると思われる。</p>

<p>※ブクマコメントで「ラテン語だろ」「ラテン語というデマも2chで」と書かれているが、ラテン語についても最初から本文で書いてある。タイトルだけ読んで反応しないようにお願いしたい。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>デマの発生</h3>

<p>今回のデマは、以下のツイートから始まった。</p>

<blockquote>
  <p>マルマルモリモリとはアイヌ語で「侵略者、侵略者、死を与えよ、死を与えよ」という意味（<a href="https://twitter.com/#!/maroni_chang/status/144820622512488448" target="_blank">maroni_chang 2011/12/09 01:48:21</a>）</p>
</blockquote>

<p>その直後にネタであることが簡潔に明かされている。</p>

<blockquote>
  <p>うそです（<a href="https://twitter.com/#!/maroni_chang/status/144820645610536961" target="_blank">maroni_chang 2011/12/09 01:48:27</a>）</p>
</blockquote>

<p>しかし、ツイッター上では「前後のツイート」を見る機能が弱い。ブログと違って、過去ログを読もうと思ってもなかなかたどり着けないことが多い。一方で、リツイートで拡散されるのは単独のツイートである。しかも、世の中には受け取った情報を「とりあえず真実」として受け取る人が多い。その結果、最初の「ネタ」投稿はあっという間にデマツイートと化した。</p>

<p>少なくともツイッターでネタをやるのであれば、ネタの中にネタだと明記すべきである。たとえば虚構新聞ネタはサイト名自体がネタだと明かしているから騙される方が悪いともいえる。もし、今回のネタが二つのツイートに分割されておらず「……という意味 #うそです」とか「……という意味 #ネタ」とか書いてあれば、それは信じた方が悪いと言い切れただろう。しかし、このように分割して一方のみが拡散された場合、虚偽の情報を流したことになってしまうのである。</p>

<p>さらにその後、ネットで検索した結果をもとに「アイヌ語でマルは食料、モリは小山」という誤情報をもとに「アイヌ語でも意味がとれる」と主張する人物が現われた。それはおそらく火消しの意味もあった「善意」だっただろう。ところが、実際にはアイヌ語にそのような言葉は存在せず、結局はデマにデマを重ねる結果となってしまった。それどころか、専門家に否定された後にも「ネットにソースがある！」ということを主張するような流れにもなった。</p>

<p>togetterでまとめられてからは「それはデマです」という情報も広まり、2011年12月末にはいったん火の手は収まったようであったが、1月末になって再びこのデマツイートがリツイートされる状況が出てきている。わたしは、まとめtogetterをお気に入りにする人がまた増えていることから、そのデマが再拡散されている状況に気づいたのだった。</p>

<h3>なぜ「アイヌ語」でなければならなかったのか</h3>

<p>この「ネタをもとにしたデマ」の問題として、このネタ自体にアイヌ人を野蛮人・未開人視する意識、すなわち見下す意識が含まれていることを見逃すわけにはいかない。最初のネタに反応したある拡散者は、こう発言した。</p>

<blockquote>
  <p>マルマルモリモリがアイヌ語で「侵略者、侵略者、死を与えよ、死を与えよ」という意味と知って次の｢皆食べるよ｣ってカニバリズムにしか聞こえなくなった恐い（<a href="https://twitter.com/#!/izaya4213sizu/status/145044582600679424" target="_blank">izaya4213sizu 2011/12/09 16:38:17</a>）</p>
</blockquote>

<p>「カニバリズム」という言葉で想起されているのはほとんど「食人族」の光景であろう。その未開人・野蛮人の風景とアイヌが結びついているわけである。もしこれが（日本人にとっては文明国と思われている国の言葉である）「英語で」や「ギリシア語で」というネタであったならば、そもそも「侵略者に死を与えよ」というような意味だというネタを思いついたり、あるいはそれが「カニバリズム」という言葉と結びついただろうか。</p>

<p>そう考えると、最初にネタを考えた人物が「なぜアイヌ語を選んだのか」ということに思い当たる。その理由は大きく二つ考えられる。</p>

<p>一つは、アイヌ語がほとんど知られていないこと。「英語でマルマルモリモリは「侵略者、侵略者、死を与えよ、死を与えよ」という意味」というようなネタを書いたところで、なんじゃそりゃ、ということになる。みんなマルマルモリモリが英文として解釈し得ないことを理解しているからだ。しかし、アイヌ語ならほとんど知られていない（うえに、後述するようにいい加減な解釈が広まっている）ために、これが「ネタ」として成立する。現在の日本国の領土内に住んできた民族の言葉であるにもかかわらず、である。それどころか、日本語とは音韻体系も文法体系も大いに異なるというのに「日本語の方言の一つ」だとか「語彙はほとんど日本語から借りたもの」だというような誤解さえ流布されているのが実態である。アイヌ語はほとんど日本人に知られていないといってよい。だから、デタラメな解釈がまかり通ってしまう。</p>

<p>もう一つは、「侵略者に死を与えよ」という非文明的な言葉のニュアンスが、アイヌの未開イメージと合致したことである。このような「ネタ」が生まれ、それが拡散される背景には、「アイヌ人ならそういう言葉を使いかねない」という未開視が潜在的にあることを認めねばならない。</p>

<p>実は、「マルマルモリモリ」はラテン語だともっと怖い意味になる。malus／mala／malumは「悪い」「邪悪な」という形容詞の単数主格（男性／女性／中性）、もしくは副詞marus（男らしく）に当てはめられる。moriは動詞morior「死ぬ」の不定形（メメント・モリ＝死を思え、という成句で知られている）。したがって、文法上はおかしいが「邪悪な、悪しき、死、死」とでも言った方がまだそれらしいデマとなる。</p>

<p>あるいは、フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」のコーラス部分 "Marchons, marchons ! Qu'un sang impur Abreuve nos sillons !"は「進め、進め！敵の汚れた血で田畑を満たすまで」という意味である。フランス革命のときに歌われた好戦的な歌詞だが、これはまさに「侵略者に死を与えよ」という意味そのものとなる。</p>

<p>となれば、「フランス革命の際のラテン語由来の隠語で「侵略者に死を与えよ」の意味」とでも言っていればもっと信憑性の高そうなデマとなりえたのだ。それなのに、「アイヌ語」が選ばれたのはなぜか、ということである。その答えはつまるところ、「日本国内の言語なのにアイヌ語が知られていないこと」と「アイヌへの未開視」ということになる。そんな野蛮な意味を持つ言葉を、文明人であるヨーロッパ人のものとするわけにはいかなかったのだ。</p>

<p>念のために蛇足として明記しておくが、ここに挙げたフランス革命説だのラテン語説だのはまるっきりのウソである。なぜなら、詩の作者自身が「意味はない」と明言しているからである。それよりなにより、単純に日本語として「まるまる、盛り盛り」とご飯をよそう、と言えばすんなり意味が通じる。「ツルツルテカテカ」もやはり日本語で解釈できる。深読みしすぎる必要など毛頭ないのに、深読みの方に信憑性を感じてしまう心理にも問題があるといえよう。</p>

<p>※追記。２ちゃんねるでは「マルマルモリモリはラテン語で「死ぬ死ぬために邪悪な悪」という意味」という情報が流されているようである。これはGoogle翻訳でそのように訳されるというだけの話である。しかし、いかにも自動翻訳っぽい、日本語になっていない翻訳であり、すでに述べたように文法的に性や格が一致しないため、この訳文は採用できない。もちろん、すべての前提として作詞者自身がそのような意味を込めていないことが明白であるから、この情報を拡散することは結局、デマの流布ということになる。わたしが見た範囲では、ラテン語デマにかぶせて「真相はアイヌ語らしい」とツイートされる例が多く、結局ラテン語よりアイヌ語説が信じられる傾向が見受けられる。アイヌ語よりラテン語の方がよく知られていること、ラテン語の場合は偶然の一致と見られがちなのにアイヌ語だとカニバリズムとまで受け止められて拡散し続けている点において、上記の論を裏付けていると考える。</p>

<p>※追記2。カニバリズム発言の投稿者は最近も「マルモリがアイヌ語でって奴はRTで回ってきただけで私発祥ではございません。本当か否かはわかりませんがただそれを見たら続きがカニバリズムっぽく聞こえるね(笑)と言う話です。本人いわくｶﾞｾ 私も騙された１人です」とツイートしている。本当ではないという断言を行なわず、今なお笑い話とし、さらに「私も騙された1人です」と被害者であると強調している。どうやら問題点を理解できていないようである。</p>

<h3>幽霊アイヌ語の問題</h3>

<p>さて、「アイヌ語が知られていない」のは事実だが、一方で「幽霊アイヌ語」が中途半端に流布されていることも問題だ。特にこの幽霊アイヌ語は地名解釈に多く見られる。</p>

<p>たとえば、多くの人が「富士山（フジ）は、アイヌ語のカムイ・フチ（火の神）に由来する」という文章を見たことがあるだろう。しかし、アイヌ語の「フチ」＝火が富士山という火山の名前の由来だというのはまったくのウソ、デマなのだ。たしかに「アペ・フチ・カムイ」＝「火のおばあさんの神」という言葉はあるが、実はアペ＝火であり、フチ＝おばあさんなのである。</p>

<p>昭和七年（1932年、実に80年前！）にすでに金田一京助は『北奥地名考』において「要するに、富士はアイヌ語の火だという解釈は、眉唾物であって、アイヌ語を知らない人にだけは本当にされるかも知れないが、真理はそうたやすく手品のように、うまく手捌きで言いくるめられはしないのである」と記している。</p>

<p>マルモリがアイヌ語の「侵略者に死を与えよ」という解釈も眉唾物であって、アイヌ語を知らない人にだけは本当にされるかも知れないが……と、今回の状況にそのまま当てはまりそうな話である。</p>

<p>さて、この「フチ＝火＝富士山の語源」というトンデモ説の土台になったのがジョン・バチェラーである。宣教師として来日し、アイヌ人を養女にしてアイヌ文化研究を行なった。『蝦和英三対辞典」というアイヌ語・日本語・英語の辞書を編纂し、これが一時期はアイヌ語研究の重要書籍とされたこともあった。しかし、その後、その内容がデタラメだらけであることが判明している。</p>

<p>アイヌ出身のアイヌ語学研究者・知里真志保は『アイヌ語入門』で「いっぱんの信用とはあべこべに、この辞書くらい、欠陥の多い辞書を私はみたことがない。欠陥が多いというよりは、欠陥で出来ている、と云った方が真相に近い」「暴力的にでっち上げた幽霊語がすこぶる多い」と述べているほどである。もはや「トンデモ本」と考えたほうがよい。</p>

<p>ところが、特にアイヌ語由来だと主張する俗流の地名解釈では、このバチェラー辞書をもとにしたものなどがすこぶる多い。さらにそれがネットにも載せられている（バチェラー辞書すべてを載せたサイトまで存在する）。つまり、ネットで安易に検索すると、こういうトンデモ幽霊アイヌ語に出くわすことになってしまうのである。</p>

<p>そこで、「マルモリはアイヌ語で侵略者に死を与えよ」というデマを検証しようとして、ネット検索で見つかったいい加減な情報のみをもとにして、うっかり、</p>

<blockquote>
  <p>アイヌ語でマルは食料、モリは小山　意訳すると「御馳走、御馳走みんな食べるよ♪」で間違ってない。</p>
</blockquote>

<p>とツイートしてしまう人も現われることになる。確かにバチェラー辞書には「Mori, モリ，小山」という記載があるが、これ以外の辞書には現われない幽霊アイヌ語だ。また、「マル」は「Haru, ハル」＝食物（もしくはそのHが抜けたアル）の誤りと考えられる。さらに、仮に「マル＝食料」「モリ＝小山」だとしても、それが「マルモリ＝ごちそう」になるというのは単なる憶測であって、文法的にそういうつながり方をするのか、実際にそういう組み合わせでご馳走という意味になるのか、などの点は考慮されていない。それが許されるなら「食料のよくとれる丘」とか「山の幸」といった解釈だって可能なはずだ。結局、部分部分をつなぎ合わせただけの都合のいいこじつけなのである。</p>

<p>英語でフード＝食料、ヒル＝小山、だとしても、フドフドヒルヒルを「英語でごちそう、ごちそうの意味」と解していいなどと思う人はいないだろう。そう、マルモリはアイヌ語でご馳走の意味だなどというのは、アイヌ語を舐めているのである。つまり、アイヌ語という未知の未開言語なら単純に言葉を置き換えてつないで意訳しても許されるだろうという意識がそこに見え隠れする。</p>

<p>ちなみに、日本の地名でアイヌ語とのある程度の関係性が見られるのは東北地方の白河の関付近以北のみであるというのが現在の学術的な結論である。それ以外はすべてこじつけにすぎないし、東北地名であってもすべてを（バチェラーの時代以降の）アイヌ語で解釈するのはやはりトンデモということになる。</p>

<p>人間の言語の発音数は有限だから、他の言語をこじつければいくらでもこじつけられる。それは学術的な態度ではなく、トンデモというべきである。こじつければキリマンジャロだって「霧満邪路すなわち霧で見通しの悪い道の山という意味だ」とか言えてしまう。「言えてしまったら偶然とは思えない、真実だ」というのはトンデモ思考だ。それはアイヌ語に限らない。万葉集を古代朝鮮語と称するもので読んでみたり、日本語とタミル語を無理やりひっつけてみたりするのも、この類のこじつけトンデモにほかならない。</p>

<p>さらに、縄文語＝アイヌ語と考えるのもトンデモである。縄文時代の日本列島には数多くの集団が存在していたわけで、縄文人＝アイヌ人という考え方自体が誤りだし、さらに「日本語は変わったがアイヌ語は縄文時代からまったく変わっていない」と思うこと自体がおかしい。理系分野でのトンデモと同じく、文系分野でもトンデモはトンデモなのである。幽霊アイヌ語にだまされないようにしていただきたい。</p>

<h3>「神聖なる未開人」という見方の問題</h3>

<p>イザベラ・バードというイギリスの女性紀行作家がいる。バードは明治十一年に日本を訪れ、『日本奥地紀行（Unbeaten Tracks in Japan）』を執筆した。東京から日光、新潟、北海道を旅し、その中でアイヌと出会っている。バードは、文明開化を進めている日本人よりも、未開のアイヌ人を好意的に描いた。</p>

<p>バードの記録の民俗学・歴史学的な価値は当然高い。しかし、その上で、バードの見方の中に「神聖な未開人」という意識があることも指摘されている。未開の「土人」に対して、「先進的な文明に毒されていない、純粋無垢な人たち」という見方をする――それは自らを「進んだ文明人」と認識した上で、その反動で「進んでいるがけがれた文明人」と「遅れている、劣っているが純粋無垢な未開人」という対比を行なっているのである。</p>

<p>そのゆがんだ見方は、現代にも受け継がれている。いや、近年強まっているといえる。たとえばちょっと検索するだけで「アイヌ民族は……自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました」「文字も持たずに大自然の中で生きてきたアイヌ」といった文言が出てくるが、それは「未開なるがゆえに純粋・神聖である」という見方と密接に絡んでいる。いわば「ロハスなアイヌ人」である。ここに潜む「神聖なる未開人」という見方に、文明人と自称する側の蔑視やおごりが存在しないかどうかは慎重に反省せねばならないところである。</p>

<p>自然との共存共生が悪いわけではない。しかし、「反科学技術」としての「未開性」を不用意に持ち上げるならば、たとえばアイヌ民族がアットゥシの代わりに洋服を着ることを快く思えなかったり、アイヌ出身者はたとえばＩＴ企業ではなくシャケを採る祭りばかりに従事しているのがいいと思ったりするような、誤った「未開の押しつけ」になりかねない。アイヌ文化やアイヌの伝統を尊重することと、アイヌを未開に留めることはまったく別のはずであるが、往々にしてセットにされてしまうのだ。</p>

<p>エキゾチックだとかロハスだとかいう言葉は、「文明に毒されたわれわれ文明人の失った美しいものを残している人たち」に向けられた羨望のまなざしであるが、その背後には「自分は文明の恩恵に浴している」という自覚と、「文明×未開」という対比が潜んでいることを自覚せねばならない。</p>

<p>「マルモリはアイヌ語」というデマに潜む野蛮視・未開視というわたしたちの「無意識の視線」に気づくことが何より重要なことである。</p>
]]>
    </content>
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    <title>恵方巻商戦2012コンビニ8社全比較分析（附：コンビニ売上高グラフ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/01/26eho2012.html" />
    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1321</id>

    <published>2012-01-25T23:00:00Z</published>
    <updated>2012-01-26T02:50:40Z</updated>

    <summary>当サイトではこれまで「恵方巻」の起源と歴史について扱ってきた（ 恵方巻 - 閾ペ...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="民俗学・都市伝説" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="社会学" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="恵方巻" label="恵方巻" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>当サイトではこれまで「恵方巻」の起源と歴史について扱ってきた（ <a href="http://www.kotono8.com/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB" target="_blank">恵方巻 - 閾ペディアことのは</a>）。</p>

<p>これに加えて2011年の恵方巻商戦の状況などを加えた記事を、第12回文学フリマで発行した冊子『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0065FLBC0?ie=UTF8&amp;tag=kotonoha0b-22&amp;linkCode=shr&amp;camp=1207&amp;creative=8411&amp;creativeASIN=B0065FLBC0&amp;ref_=sr_1_1&amp;qid=1327454284&amp;sr=8-1" target="_blank">事物起源探究2011</a>』に収録してある。</p>

<p>今回はこの事物起源探究2011に掲載した調査から1年を経て、2012年のコンビニ8社の節分恵方巻商戦を定点観測的にまとめてみた。
<img alt="恵方巻2012ちらし全" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-all.jpg" width="600" height="450" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>
]]>
        <![CDATA[<h3>恵方巻について</h3>

<p>以下、『事物起源探究2011』より一部自己引用する。</p>

<blockquote>
  <p>　恵方巻きは「切らずに、一気に、黙って、恵方を向いて食べる」のがルールであり、少々滑稽な雰囲気を醸し出すのが大阪発祥らしさを示している。なお、一気に食べるというのは、かぶりついたら最後までくわえたまま食べきるということである。途中でペースダウンしてもよいが、口から外してはならない。そして、その間はものを言ってはならない。当初は早食いも行なわれていたが、あまり本気でやると喉につまるので無理はしなくてよい。なお、「笑いながら」と付け加える作法情報がネットで散見されるが、それは何か別の風習と混同した誤った情報である。</p>
  
  <p>　なお、この「巻きずし」（関西式）は本来、すし飯に高野豆腐、厚焼玉子、カンピョウ、シイタケ、三つ葉などを巻き込んだ海苔巻きのことを指す（関東でいう太巻き寿司にあたる）。ただし、近年はスーパーやコンビニの展開の中で異なるタイプの巻きずしや、そもそも寿司でさえないロールケーキなどを関連商品として販売する例も増えている。</p>
  
  <p>　現存する最古の確実な資料としては、昭和七年の宣伝チラシの存在が確認されている。昭和五十二年ごろにすし業界・海苔業界・厚焼業界が宣伝を仕掛けて、大阪を中心とした関西圏で定着していった。これが平成に入る前後から西日本へと広まり、一九九〇年代後半以降はコンビニ業界などの主導する広告活動によって全国へと伝わった。二〇〇〇年代以降は新しい習慣として全国的に定着しつつある。</p>
  
  <p>　定着・伝播には業界の宣伝が大きく関わっている点で、バレンタインデーのチョコレートと同様のフォークロリズムであるとして批判的に見られることも少なくない。一方、「家族そろって夕食時に食す」風習であることが高く評価される面もある。</p>
</blockquote>

<p>全国に広まったのはまさに平成に入ってからである。これを広めたのはセブン-イレブンと南野陽子だ。同じく『事物起源探究2011』から該当部分を再掲しよう。</p>

<blockquote>
  <p>・平成元年（一九八九年）、セブン-イレブンの広島県内の店舗個人オーナー（大阪出身）が「大阪ではこんなものを食べる」と提案して商品化した。「縁起のいい風習」として紹介し、商品名を「恵方巻」とする。恵方巻という名称はここに始まる。</p>
  
  <p>・同年二月三日放送「ミュージックステーション」に出演した南野陽子（兵庫県伊丹市出身）が節分に太巻きを食べる風習について知っている旨の発言をしたという。</p>
  
  <p>・一九八六年一月～一九九〇年六月に放送されていたラジオ番組「南野陽子 ナンノこれしきっ!」で南野陽子が節分の太巻きについて言及していたという情報あり。また、南野陽子は他の番組でも節分の太巻きに言及していたという情報もある。</p>
  
  <p>・平成二年（一九九〇年）からセブン-イレブンでの販売エリアが次第に拡大。</p>
  
  <p>・一九九五年、セブン-イレブンの関西以西の地区で恵方巻を販売。</p>
  
  <p>・一九九六年以来、節分の日に札幌市中央区の北海道神宮境内で巻きずしが振る舞われるイベントを毎年開催。「海苔で健康推進委員会」北海道ブロックが海苔の消費拡大を狙って開始した。</p>
  
  <p>・一九九八年、全国のセブン-イレブンで恵方巻きを販売。</p>
  
  <p>・一九九九年、ローソンが全国で発売開始（前年までは近畿以西のみ）。</p>
  
  <p>・二〇〇三年、ファミリーマートが全国販売開始（前年までは関西地区限定）。</p>
  
  <p>・二〇〇四年、am/pmが全国販売開始。</p>
  
  <p>・二〇〇五年、サークルＫサンクスが全国発売開始。</p>
</blockquote>

<p>奈良県出身のわたしが恵方巻を食べるようになったのは、確か80年代半ばからだったと思う。当初は大阪の厚焼き業界や海苔業界が一生懸命流布につとめていたが、その後、全国に広める牽引役となったのがコンビニ業界だった。そこで、今年もコンビニ大手8社の恵方巻商戦についてまとめてみた。</p>

<h3>コンビニ大手8社</h3>

<p>まずはコンビニ大手を網羅したい。そこで<a href="http://nensyu-labo.com/gyousyu_konbini.htm" target="_blank">コンビニ業界の年収・給料、売上高ランキング-年収ラボ</a>で平成22年7月～平成23年6月の決算時データによる売上高ランキングをチェックした。</p>

<ol>
<li>セブン＆アイ・HD（コンビニエンスストア事業） 2兆0359億円</li>
<li>ローソン 1兆6828億円</li>
<li>ファミリーマート 1兆4404億円</li>
<li>サークルKサンクス 9231億円</li>
<li>ミニストップ 3220億円</li>
<li>スリーエフ 1034億円</li>
<li>ポプラ 907億円</li>
<li>山崎製パン（コンビニエンスストア事業） 647億円</li>
</ol>

<p>これをグラフにしてみると、上位グループの圧倒的強さがわかる（グラフではわかりやすく代表的な店舗名で書いている）。セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマートの「3強」に、サークルＫサンクスを加えた「四天王」がずば抜けており、5位のミニストップが後方から追う。スリーエフ、ポプラとセブンでは実に20倍の違いとなる。</p>

<p><img alt="コンビニ売上高グラフ" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/convini.png" width="600" height="607" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>そこで、今回はこのコンビニ大手8社の店舗を実際にまわり、各店舗で恵方巻の予約チラシを入手した上で比較調査してみた。もちろん各社からは一銭も見返りを得ていない。</p>

<p>※北海道でコンビニシェアトップのセイコーマートは、2010年の売上高が約1700億円であり、ランキング6位に入るところであるが、グラフは上記サイトを参考にして作成した。なお、今回の調査において、セイコーマートは北海道・茨城・埼玉にしか店舗がなく、実際にチラシを取りに行くには不便であったことから今回は省いた。（参考：<a href="http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/0b3dce8c5370d1cd4cd5b6d5f7871af1/" target="_blank">北海道コンビニ首位守るセイコーマートの独自性(1) | 企業戦略 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン</a>）</p>

<h3>各社恵方巻基本データ</h3>

<p>恵方巻／丸かぶり寿司／ロールの後の数字は、長さcm×幅（直径）cm（×高さcm）である。</p>

<p><strong>◆セブン-イレブン</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012セブンイレブン" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-7i.jpg" width="600" height="330" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>業界最大手にして、平成の全国普及のきっかけとなり、「恵方巻」という名称の名付け親でもあるセブン-イレブン。今年のちらしの題字にはNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書いた書道家・金澤翔子さんを起用している。アピールポイントは、具材へのこだわりと、保存料・合成着色料不使用。他社に多い海鮮恵方巻がなく、サラダ恵方巻で攻めているのが大きな特色だ。チラシはB5判4ページ。</p>

<ul>
<li>恵方巻（3本パック＝13×4.5、レギュラーサイズ＝13×4.5、ミニサイズ＝8.5×4.5）</li>
<li>9品目の彩りサラダ恵方巻（3本パック＝8×4.8、サラダ恵方巻＝8.5×4.8）</li>
<li>節分そば（節分そば、八割蕎麦（温かい蕎麦用、八割蕎麦（冷たい蕎麦用）、石臼挽き蕎麦粉の節分かき揚げ蕎麦））</li>
<li>節分つみれ汁</li>
<li>丸かぶりロール＝15×4.8</li>
</ul>

<p><strong>◆ローソン</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012ローソン" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-lw.jpg" width="300" height="401" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>業界2番手のローソンの恵方巻は「すべて京都・清水寺で厄除開運のご祈祷をいただいた縁起の良い海苔を使用しています」という。「我が家に福呼ぶ」「縁起の良い末広がりにちなんだ八種類の具材入り」「七福神にちなんだ七種類の具材入り」など、「縁起のよさ」をアピールしているのが目立つ。また、ハーフサイズをメインに据えているのも特徴的だ。チラシはA4判両面。</p>

<ul>
<li>〈上〉海鮮恵方巻（ハーフ）＝9×5</li>
<li>海鮮恵方巻（ハーフ）（3本入、1本）＝9×5</li>
<li>恵方巻（3本入、1本）＝18×5</li>
<li>蕎麦（節分レンジかき揚げそば、節分レンジ鶏そば、節分冷しダブル海老天そば）</li>
<li>節分ロール（節分ロール＝16×5、もち食感節分ロール＝16×5、もち食感ミニ節分ロール＝6×3.5）</li>
</ul>

<p><strong>◆ファミリーマート</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012ファミリーマート" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-fm.jpg" width="600" height="330" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>am/pmを合併して3強としての地位を固めるファミリーマートは、ライバル・セブンが命名した「恵方巻」という名称はあくまでもサブとして用い、メインはあくまで「まるかぶり寿司」という名称にこだわる。「牛カルビ焼肉巻」など「選べるおいしさ、まるかぶり」というキャッチフレーズどおり、恵方巻そのもののバリエーションがウリである。前出2社と異なり、予約チラシ上で節分そばはアピールしていない（店頭販売は行なわれる）。チラシはB5判4ページ。</p>

<ul>
<li>まるかぶり寿司（1本、3本入）＝長さ14</li>
<li>海鮮恵方巻（1本、3本入）＝長さ9</li>
<li>上恵方巻 海鮮巻＝長さ9</li>
<li>上恵方巻 牛カルビ焼肉巻＝長さ9</li>
<li>ファミリーにぎり寿司セット（28貫）、にぎり寿司セット（13貫＋厚焼玉子）</li>
<li>節分スイーツ（節分バナナ＆いちご巻き＝16×5×高さ4、節分フルーツロール＝16×5×4、節分紅白ロール2本入＝12×5.5×4.5）</li>
</ul>

<p><strong>◆サークルKサンクス</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012サークルKサンクス" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-ks.jpg" width="600" height="330" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>サークルKサンクスはハーフサイズをメインに据えている。異色の恵方トルティーヤなど、通常の恵方巻以外のバリエーションがコンビニ四天王の中では最も目立つ。チラシはA5判4ページ（最小）。</p>

<ul>
<li>極の恵方巻（予約限定）（ハーフサイズ）＝8.5×4.5</li>
<li>丸かぶり海鮮恵方巻（ハーフサイズ）＝8.5×4.5</li>
<li>丸かぶり恵方巻＝17×4.5</li>
<li>丸かぶり寿司（ハーフサイズ）＝8.5×4.5</li>
<li>恵方海鮮トルティーヤ、恵方チキンと7種豆カレートルティーヤ＝15.5×3.5</li>
<li>7種のフルーツロール＝16.0×4.5×3.5、栗たっぷり和ロール＝10.5×4.5×3.5</li>
<li>節分そば（八割ざるそば、レンジ海老天そば）</li>
<li>寿喜焼重（すきやきじゅう）</li>
<li>7種野菜といわしのつみれ汁</li>
</ul>

<p><strong>◆ミニストップ</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012ミニストップ" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-ms.jpg" width="600" height="330" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>ミニストップのチラシは金文字の「幸福恵方巻」で「幸福」がキーワード。「彩り鮮やか、うまみ豊かな具材」予約割引やポイントが強調されている。「こどもの恵方巻」は細めにして具材も子供向けに工夫されている。恵方巻の予約チラシに「福豆セット」「鬼セット」や酒を載せているのはここだけ。チラシはA4判4ページ（最大）。</p>

<ul>
<li>幸福恵方巻（1本、3本入り）＝18×4.5</li>
<li>海鮮恵方巻（1本、3本入り）＝9×4.5</li>
<li>〔上〕海鮮恵方巻＝9×4.5</li>
<li>こどもの恵方巻＝10.5×3.5</li>
<li>プレミアムフルーツロール＝11.5×7×5.5、もちもち食感フルーツロール＝17×5.5×4</li>
<li>節分割子そば</li>
<li>鬼面付き福豆セット</li>
<li>なりきり鬼セット</li>
<li>酒（清酒・越路乃紅梅、麦焼酎・閻魔）</li>
</ul>

<p><strong>◆スリーエフ</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012スリーエフ" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-3f.jpg" width="600" height="330" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p><a href="http://todo-ran.com/t/kiji/10327?guid=ON" target="_blank">コンビニ勢力図 [ 2011年 ]｜新・都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン]</a>によれば2011年、高知県で首位に躍り出たスリーエフ。子供向けのマヨベース回線恵方巻ハーフや、いなり皮の「黄金恵方巻」など独自商品がさりげなく紛れ込んでいる。チラシはA4判両面。</p>

<ul>
<li>恵方巻（1本、3本入）＝18×4.5</li>
<li>特選海鮮恵方巻ハーフ（1本、3本入）＝9×5.5</li>
<li>海鮮恵方巻ハーフ（1本、3本入）＝9×4 ※子供向けマヨベース</li>
<li>黄金恵方巻ハーフ（1本、3本入）＝9×4.5 ※いなり皮</li>
<li>丸かぶりもちもち餅あんロール＝15×5、丸かぶりしましまいちごロール＝17×5</li>
<li>太巻き風竹炭ロール4個入り＝各2×5</li>
<li>節分そば（福豆付）</li>
</ul>

<p><strong>◆ポプラ</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012ポプラ" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-pl.jpg" width="300" height="409" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></p>

<p>ポプラも「こどものえほう巻」を提供。5・6・7位の各社が揃って子供向けをアピールしているのが興味深い。そのほかはオーソドックス。チラシはA4判両面。</p>

<ul>
<li>恵方巻（1本、3本入）＝17.5×4.5</li>
<li>特上恵方巻（1本、2本入）＝18×4.5</li>
<li>海鮮巻ハーフサイズ（1本、3本入）＝8.5×5</li>
<li>こどものえほう巻（えびかつ巻）＝14.5×3.5</li>
<li>節分ロール（7種フルーツロール、苺ダブルクリームロール）＝16×4.5</li>
<li>節分蕎麦（節分二八なま蕎麦海老天付（温）、節分二八なま蕎麦（冷）、レンジ節分蕎麦）</li>
</ul>

<p><strong>デイリーヤマザキ</strong></p>

<p><img alt="恵方巻2012デイリーヤマザキ" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-dy.jpg" width="600" height="330" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>山崎製パンには「Yショップ」もあるが、個々の店舗の特徴が強すぎるので今回は除外した。デイリーヤマザキのラインナップはやや少なめ。オーソドックスタイプの組み合わせで勝負しているが、不二家のクレープロールは出色。チラシはA4判両面。</p>

<ul>
<li>恵方巻＝18×4</li>
<li>恵方巻（サラダ巻）＝18×4</li>
<li>恵方巻2本セット（恵方巻とサラダ巻）</li>
<li>特撰恵方巻ハーフ＝9×4.5 ※天然焼真穴子</li>
<li>恵方巻（海鮮巻ハーフ）＝9×4.5</li>
<li>恵方巻ハーフ3本セット</li>
<li>節分とろろ蕎麦</li>
<li>節分3種のフルーツロール＝16.5×5.5 ※黄桃・パイン・リンゴ</li>
<li>不二家 恵方巻クレープロール＝14.5×6×3.5</li>
</ul>

<h3>8社の共通点と相違点</h3>

<p>まず、それぞれのシリーズがどのコンビニチェーンで採用されているかをまとめてみよう。各社の名称が違っても同類のものはセットにするため、名称は適宜変更している。</p>

<p>以下、セブン-イレブン＝7i、ローソン＝Lw、ファミリーマート＝FM、サークルKサンクス＝KS、ミニストップ＝MS、スリーエフ＝3F、ポプラ＝Pl、デイリーヤマザキ＝DYと略す。</p>

<ul>
<li>恵方巻　7i、Lw、FM、KS、MS、3F、Pl、DY（全8社）</li>
<li>恵方巻ハーフサイズ　7i、KS、DY</li>
<li>サラダ恵方巻　7i、DY</li>
<li>海鮮恵方巻　Lw、FM、KS、MS、3F、Pl、DY</li>
<li>子供向け恵方巻　MS、3F、Pl</li>
<li>牛カルビ焼肉巻　FM</li>
<li>いなり皮恵方巻　3F</li>
<li>恵方トルティーヤ　KS</li>
<li>節分ロール　7i、Lw、FM、KS、MS、3F、Pl、DY（全8社）</li>
<li>節分そば　7i、Lw、KS、MS、3F、Pl、DY</li>
<li>節分つみれ汁　7i、KS</li>
<li>すき焼き重　KS</li>
</ul>

<p>全8社で提供しているのがレギュラーサイズの恵方巻と、節分ロールである。セブンイレブンが節分ロールを発売したのが2007年で、他社もそれくらいの時期からと思われるが、すでに「恵方巻と節分ロール」は定着したようだ。</p>

<p>節分そばは、ファミリーマートを除く7社が恵方巻予約チラシに盛り込んでいる。ファミリーマートもチラシには載せていないだけで、前後には節分そばを発売するので（<a href="http://www.family.co.jp/company/news_releases/2010/101222_2.html" target="_blank">２０１１年　ファミリーマートの“まるかぶり寿司” 特選素材を贅沢に使った高級タイプ“上恵方巻”３種類も新発売！｜ニュースリリース｜FamilyMart</a>）、これも実質的に全8社が提供するといえる。なお、節分そばは旧正月の「年越しそば」が由来なので、これは確実に恵方巻より起源が古い。</p>

<p>最近、レギュラーサイズより目につく気がするハーフサイズだが、上のまとめでは3社しかない。なぜか。実際には、通常の恵方巻はレギュラーサイズ、ハーフサイズはサラダもしくは海鮮恵方巻として提供されているからである。海鮮恵方巻はセブン-イレブンを除く7社で、その代わりにセブン（とヤマザキ）ではサラダ恵方巻が提供されており、いずれもハーフサイズである。奈良出身のわたしでも最近は（年齢のせいか）レギュラーサイズはきつく思えるので、ハーフサイズはありがたい。女性にもこれはよいだろう。ただ、単純に半分にすると売上額も半減するので、「ハーフサイズはちょっと高級にして値段をあまり下げない」という戦略が多く取られているように思われる。</p>

<p>したがって、「恵方巻（レギュラー、ちょっと高級なハーフ）、節分ロールスイーツ、節分そば」の4種はどのコンビニでも見られる定番セットといえよう。</p>

<p>なお、8社の中で5～7位に位置する三社がいずれも子供向け恵方巻商品を提供している。女性向けのハーフサイズの次は子供がターゲットというのはわかりやすい。いずれ大手も採用するのではないかと思う。</p>

<p><img alt="恵方巻2012子供の恵方巻" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/eho-kodomo.jpg" width="600" height="450" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>一方、節分つみれ汁を採用しているのはセブン-イレブンとサークルKサンクスの2社のみ。節分にイワシを食べるというのはもともと西日本の風習で、邪気を払うためにイワシの頭を門口に指した。これが「イワシの頭も信心から」という言葉の由来でもある。邪気払いのイワシが節分と結びつくのは民俗学的にはよく理解できる風習だが、これが現代のコンビニで「つみれ汁」として甦ったようだ。なお、サンクスでは「いわしのつみれ汁」と明記されているが、残念ながらセブンのつみれは何の魚か（チラシでは）わからない。イワシについては、むしろスーパーでの展開が主になっているようである。</p>

<h3>まとめ</h3>

<p>節分と言えば豆まき、というのは少なくとも戦後の日本の家庭の「常識」であったと思われる。しかし、平成以後のコンビニによる恵方巻の全国化で「節分は恵方巻と節分そばと豆まき」というセットが定型になってきているようだ。恵方巻自体は昭和からの新風習であってフォークロリズム（作られた疑似伝統）とも見なしうるが、数年のうちにはすっかり「伝統」として収まっていくと思われる。それが、古い伝統である節分そばや豆まきと共存しているのが興味深い。</p>

<p>現在、すでに女性層を狙ったハーフサイズとロールが定着しているが、次は子供向け恵方巻商品が全体に広がりそうな予感がする。ただし、古い風習であるイワシを用いた「つみれ汁」が今後コンビニでどう展開するかは正直わからないところだ。</p>

<p>なお、個人的嗜好として、お稲荷さんが大好物であるわたしにとって、スリーエフのいなり皮で作られた黄金恵方巻は極めて魅力的であることを書き添えておく。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>「ステマ」が成立する理由と、ステマに振り回されない考え方</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/01/18stealth.html" />
    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1319</id>

    <published>2012-01-18T05:38:47Z</published>
    <updated>2012-01-18T05:39:45Z</updated>

    <summary>「ステマ」（ステルスマーケティング）という言葉がネットの一部で話題になっている。...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="メディアリテラシー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>「ステマ」（ステルスマーケティング）という言葉がネットの一部で話題になっている。宣伝とはわからないように宣伝行為を行なうことであり、ネットでは特に「利害関係のない第三者のクチコミであるかのように偽って、宣伝行為を行なうクチコミサイト上の書き込みやブログ記事」がステマとして批判されている。</p>

<p>ステマが批判されるのは「やらせ」や「サクラ」の延長上にあると見なされるからだろう。そして、わたしもステマを倫理的および戦略的に否定する。</p>

<p>しかし、一方で、なぜステマというものが成り立つのか（あるいはなぜステマだとばれると批判されるのか）、という根本的な部分があまり考察されていないように思う。この点を突き詰めれれば、仮にステマが使われたとしてもそれに振り回されないで済むようになるだろう。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>ステマが成立する理由</h3>

<p>ステマはなぜ成立するか。簡単な話である。「当事者の声より、利害関係のない第三者の声の方が信頼に値する」という判断が多くの人の中にあるからである。</p>

<p>当事者の「宣伝」は、いいところだけ述べて悪いことを言わない（かもしれない）。一方、利害関係がない第三者は、誉めてもけなしてもかまわない。いや、誉めてやる義理がないのに、それでも誉めているとしたら、本当にいいものなのだろう……という判断が働いているはずである。</p>

<p>もちろん、この判断が当てはまる事例は多いだろう。あえて広告でデメリットを表現するとしても、それを上回るメリットを強調できるという計算があるからにほかならない。総ての宣伝が「メリットを伝え、それによって購買意欲をかき立てる」ための手段であるというのは紛れもない事実だ。わたしたちはそのことを前提として踏まえた上で、対比し、比較して、自分にとってよりよいものを選ぼうとしている。</p>

<p>一方で「第三者の声」は「自分の感想」を伝えようとしているものであり、純粋な事実関係である、とされることが多い――が、厳密には違う。このことはすぐ後で説明するが、ともあれ「否定的な情報も伝えられる」という意味で少なくとも「宣伝」とは違うものだと捉えられている。</p>

<p>その「宣伝ではない、伝えようと思えば否定的情報も伝えられる」第三者情報であるかのように偽って、「宣伝（すなわち否定的情報を伝えないようにする情報伝達）」を行なうのがステマである。それは、「第三者情報は宣伝よりも信頼性が高い」という受け手の潜在的な判断があるからこそ、それを逆手に取っているわけだ。</p>

<p>宣伝と純粋なクチコミの中間に、利用者の声を宣伝に利用する例がある。特に、タレントが自分で実際に使った感想を述べているというＣＭ等は、当然ネガティブ要素は伝えないだろうという点を視聴者が差し引いた上で、「本当にその効果があるのかな」と思わせる要因になっている。</p>

<h3>クチコミ絶対視という「情弱」</h3>

<p>これらの事実を踏まえた上で、一つの思考停止が生まれうる。それは「宣伝は自分たちに都合のいいことしか言わない。いっぽう、クチコミは真実である」という固定的な考え方である。その病状がさらに進むと、特に自分の個人的な好みと合わない対象について、「こんなものに対してクチコミでいいことを書くのはおかしい。誉めているのは社員か工作員」のような決めつけが行なわれることがある。これは当然、リテラシーの欠如した判断であり、それこそ「情弱（情報弱者）」と呼ぶにふさわしい。</p>

<p>たとえ宣伝が「よい情報のみを伝え、悪い情報を隠す」という「広義のウソ」だったとしても、そこで伝えられる「よい情報」にウソがあれば、それは虚偽広告であり、場合によっては詐欺である。つまり、一般的な宣伝ならば、宣伝だということを理解していれば少なくとも「よい面について提供者が伝えたいと思っている情報」については確実に得られるわけである。これは、上手な宣伝であればあるほど、受け手が求める情報をもれなく、しかもポイントを的確に絞って伝えているはずだ。</p>

<p>一方で、第三者のクチコミには、当然不正確さもついて回る。特にクチコミで期待されるのは「おいしい、まずい」「面白い、面白くない」といった感情・情緒の部分だろう。もちろん、感情・情緒は重要な判断材料なのだが、それは個人差、あるいは同じ人物でも状況によって大きく異なる。わたしのように関西人としての味覚に染まっていて出汁味が最重要な人間と、関東出身で塩味大好きな人では、もちろん同じ塩ラーメンを食べても評価が大きく異なるはずである。</p>

<p>また、クチコミといっても「よい点、悪い点」をきっちりと対比して述べている例は少ない。多くは○か×か、もしくは星一つから星五つの断定的な評価である。そこには、第三者がまず「ほめたいか、けなしたいか」という判断を下し、その中で「文句なしに星５つ」「完璧とはいえないがまあよいから星４つ」「可もなく不可もなくだから星３つ」「どっちかというと嫌だが、サイテーというほどじゃないから星二つ」「絶対嫌い。評価落としてやる。星１つ」といったランク付けがされている。</p>

<p>言い換えれば、クチコミを行なう第三者は、利害関係がないにもかかわらずお店や商品について「プラスの宣伝をしよう」「マイナスの宣伝をしよう」という気持ちを投稿時点で持っているということだ。つまり、第三者も中立のようで実は中立ではない、ということは頭に入れておく必要がある。もちろん、宣伝では「プラス宣伝」しかないのに対し、第三者はどちらに転ぶかわからないという違いはあるが、個々のクチコミを切り出せばそこには明確に「意図」があるのである（単にレビュー数を稼ぎたいという場合でも、何らかの誉め言葉やけなし言葉がある以上は潜在的にいずれかの「宣伝」に加担している）。</p>

<p>ファンは自ら率先して宣伝に加担する。が、やはり第三者であることには違いない。こういう人たちを「信者」と呼ぶ人たちも一部に見られるが、信者はステマではない。成功したクチコミマーケティングである。信者を装って初めてステマなのである。ここはごっちゃにしてはならない。</p>

<h3>クチコミと「逆ステマ」</h3>

<p>クチコミ時代のマーケティング戦略において、宣伝側としてはいかにこの「プラスの宣伝をしよう」と思ってくれる顧客を作り出すかが最大のポイントで、そのためには小手先ではない本当の「良質な製品・サービスの提供」こそが唯一絶対不可欠の手段ということになる。そうではなく、小手先の技術でプラス宣伝を増やそうとするのが卑怯・卑劣という印象を与え、ひいては「商品に自信がないからそういうことをするのだろう」という憶測を与える結果にもなる。</p>

<p>一方で、クチコミにおいては一定の集団的行動によって「ネガキャン」（否定的クチコミ投稿）が行なわれることがある。Amazonレビューに多数の人たちが星1つをつけ、罵倒や非難を書き連ねる。ときには虚偽情報や名誉毀損に該当するような情報を書くものもある。これらが実際に購入した結果の怒りのレビューであればさておき、掲示板でネガキャンを呼びかけたりするのは「逆ステマ」とでもいうべき問題行為である。実際、そういうネガキャンが行なわれたレビューでは「読んでないけど」というようなコメントさえも見られる。もはや商品を評価するのではなく、その商品を叩くことで自分の趣味嗜好的・思想的・政治的立ち位置を明らかにし、自分の考えが多数に受け入れられているという「証拠」を作り上げたいという、ゆがんだ動機に裏打ちされている場合さえある。</p>

<p>このようなネガキャンを「真実の消費者の声」であるかのように述べるのは、ステルスマーケティングを行なう企業と実は同じ発想だという事実が浮かび上がる。どちらも「第三者の声」を絶対視しており、また同様に絶対視する人たちをターゲットに情報操作を行なっているのである。企業がやれば悪で第三者がやれば善ということはない。</p>

<p>また、極端な判断として「誉めているのは自作自演か信者、けなすのが中立的な意見」という偏った見方も存在するが、この見方にリテラシーが全く存在しないことは、もはや言うまでもないことだろう。</p>

<h3>ハズレを引きたくない怠惰な心理</h3>

<p>単純に言えば、クチコミが重視される背景には「みんながいいと言っているものは、いいものだろう」という単純な判定基準がある。しかし、その判断基準というのは多くの人が無意識のうちに採用しているものでもある。「行列ができる店」や「混んでいる店」や「友達が行ってよかったと言っている店」には行ってみたくなり、「周りの店は混んでいるのに、一軒だけ全然客が入っていない」店には何かまずい理由があると思ってしまう。そして、当然「並んでみたけどたいしたことはなかった」ということも多々あるだろうが、多くの場合はそれほどのハズレではない。</p>

<p>しかし、「クチコミでいいと言っていたから行ったのに、まずかった」というようなクチコミ絶対視となると事情は異なる。大体、他人がいかにいいと言おうが悪いと言おうが、それが自分自身の判断と必ず一致するものではない。関東人がいかに誉めようといかに上質なものであろうと、わたしは納豆を旨いと思ったことは一度もない。それは極端な例だとしても、「世間的にはこっちに人気があるだろうけど、自分の好みはこっち」とか、「スマイルをウリの人気シェフがまずいといったけど、自分にはおいしかった」とか、「売れている本だけど、読んでみたらサイテーだった」とか、「ファンが少ないので人気投票で下位になるけれど、自分は断然イチオシ」というようなことは多々あるはずだ。</p>

<p>つまり、自分自身が行って体験しない限り、本当の評価は下せないのである。クチコミは、その当たり確率を高める一手段にすぎない。だから、クチコミと自分の体験がずれるとき、「こんなウソを書いて許せない」と怒りを示すのは筋違いというものである。</p>

<p>クチコミが「正確」であることは、個々の嗜好が違うという意味でほとんど望むべくもないことである。それなのにクチコミの正確さを厳密に求めること（ひいては、ステマなどヤラセがないことを絶対視する考え方）は、「自分の体験の中で、ハズレを一度も引きたくない」という怠惰な考え方に基づくものであり、そんな生き方は間違っていると思う。</p>

<p>ネットの情報は、あくまでも間接的体験である。そのことを忘れて絶対的な真実だと思ってはならない。ネットの情報を総合して得られる判断はあくまでも「ネット情報をまとめた段階にとどまる中間報告」であって、決して最終報告にはなりえない。自分が接した情報がどの範囲のものかを常に見極め、自分の判断はまだ最終的ではない（ので実体験に基づく情報を含めて継続的に集めていく）という「積極的な判断保留」をすることが最も大切なことである。</p>

<p>自分自身の試行錯誤で自分自身の中に個人的なクチコミを培っていくしかない。もちろん、自分と趣味嗜好の似たレビュアーを見つければ、それは大いに参考になるだろうが、それも絶対的なものというわけではない。そういう判断をするリテラシーある人ならば、たとえ仮にステマがなされていたとしても自分自身の経験に基づいて判断できる。ステマに誘われて一度体験したとしても、それを好きになるか却下するかは自分自身の判断である。そのリスクは、自分に合わないレビュアーに誘われて体験するのと同程度のリスクでしかなく、ステマそのものを無効化する生き方ということになるだろう。</p>

<p>しかし、単に一般的な星の数だけで判断していれば、それはステマにも振り回されるだろうし、ステマと判明したときに腹も立つだろう。あるいはレビューが「ステマか否か」ばかり気になったりするようでは、実は情報に振り回されているということになる。ステマ摘発に躍起になるのは、実は情報弱者だからこそなのだ、という言い方もできよう。</p>

<p>大体、実際に体験もせずにネットの情報だけで「これは正しいか、ステマか、ネガキャンか」などうだうだ考えている時点で何かが間違っていると気づくべきである。</p>

<h3>安易な「ステマ認定」という思考停止</h3>

<p>ここしばらく、大きな実例が浮かび上がったことでバズワード化した感もある「ステマ」という言葉だが、それを濫用する人たちがいる。これは決して、世間からステマそのものをなくすようなプラスの方向には向かわず、逆に正当なクチコミ行為を萎縮させたり、真実のステマから目をそらさせ、ステマではないものにステマのレッテルを貼る中傷・名誉毀損行為にもなりうる。</p>

<p>これまで、わたしは自分のブログにおいて、いいと思ったものはいいと言い、悪いと思ったものは悪いと言っている。いいと思ったものについてのアフィリエイトリンクをつけていても、別に「儲けるために誉めている」のではなく、いいと思ったから紹介し、その紹介料をアマゾンさんからちょっともらうというくらいの話である（それにうちのブログのアフィリエイトやGoogle Adsenseの収入は、同じくらいのアクセス数のブログと比較すれば極めて低い、非効率的なブログである）。しかし、それでも「アフィリエイトのために、この文章を書いたのだ」と曲解されることは多々あったし、そういう曲解をする人に限って「俺は真実を見抜ける」と誇っていたものだった。</p>

<p>安易なステマ認定も、そういう曲解者と心理が一致している。「自分はウソをウソとして見抜ける人間だ」「自分は情報強者だ」という思い上がりがあり、自分の脳内での勝手な認定こそが真実であり、その真実にたどり着けずに「ステマだと見抜けない」人たちを「情弱（情報弱者）」と見下すことによって、実態にそぐわないプライドを満たそうとする。</p>

<p>一方、何でもかんでもステマだと認定されそうになるのであれば、純粋にいいと思って誉めることすらできなくなってしまう。わたしは献本された本の書評を書くときには必ず「献本された」と書いてきたが、別に献本されたから誉めるのではなく、献本された本がよかったから誉めているのである。献本されても誉めるところがなければ、いただいた方に申し訳ないのでけなすような書評を書かないということはあるが（書評を書いていない献本が悪かったという意味ではない）。一方で、自分で買った本もよければ誉めるし、悪ければ悪いと書く。けなしづらくなるから自分で買わないと、という思考はない。</p>

<p>たとえば速水健朗『ラーメンと愛国』は自分で買ったが、非常にすばらしい本だと思う。書評も書きたい。だが、速水氏とわたしに交流があり、しかも友好的な関係だということを「事実」として持ち出して「松永が書いた書評はステマだ」と言い出す奴が出てくるんじゃないか、という想定がリアリティを持つほど、今、「ステマ認定」は濫用されている。たとえば、わたしが過去にステマをやっていた、という決めつけによるニヤニヤ笑いを伴った嫌がらせも一部で流布されているようだが、それはステマの拡大解釈と具体的な「ステマを計画したという実証」を欠いたものであり、単純に中傷もしくは名誉毀損行為となっている。最近問題になったステマ事例の検証サイトでも、一部には相関図を用いた強引な結びつけによる関係妄想も含まれているようである。</p>

<p>それは極端な例だとしても、ステマ認定は慎重でなければならないし、さらに言えばステマ行為自体は非難されるとしても、仮にステマをやられたところでリテラシー力があればステマだろうと通常のクチコミだろうとまったく関係なく、適切に処理することができる。ステマであるかどうか、見抜けるかどうかにこだわっている時点で「情報強者」にはなりえないことに気づくことが必要だろう。</p>
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    <title>ことのはAmazon売上ランキングから見る2011年</title>
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    <published>2012-01-05T01:57:14Z</published>
    <updated>2012-01-05T01:59:55Z</updated>

    <summary>当サイト経由のAmazon売上ランキング（2011年1月1日～12月31日）をジ...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="更新・お知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="amazon" label="amazon" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>当サイト経由のAmazon売上ランキング（2011年1月1日～12月31日）をジャンル別に紹介します。『災害ユートピア』が売れるなど、この一年間の当サイトの傾向がわかる内容になっています。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>以下、ジャンル別にランキング順で並べています。</p>

<h3>社会系</h3>

<p>震災、ウィキリークス、キュレーション。</p>

<p><style type="text/css"><!--.amonya-box{padding:0;}.amonya-box *{margin:0;padding:0;}--></style><div class="amonya-box"><div style="width:600px;text-align:center;"><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750510238/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4750510238.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750510238/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか</a><br />[レベッカ ソルニット]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862486932/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4862486932.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="日本人が知らないウィキリークス (新書ｙ)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862486932/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">日本人が知らないウィキリークス (新書ｙ)</a><br />[小林 恭子,白井 聡,塚越 健司,津田 大介,八田 真行,浜野 喬士,孫崎 享]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0055NPM96/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B0055NPM96.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="東日本大震災でわたしも考えた" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0055NPM96/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">東日本大震災でわたしも考えた</a><br />[松永 英明]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480065911/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4480065911.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480065911/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)</a><br />[佐々木 俊尚]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0055NPM8M/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B0055NPM8M.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="三菱東京UFJ銀行に合流した全銀行の系統図年表2010" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0055NPM8M/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">三菱東京UFJ銀行に合流した全銀行の系統図年表2010</a><br />[松永 英明]</div></div></div><div style="font-size:10px;font-family:Verdana;text-align:right;padding:0 3px 5px 3px;clear:both;">by <a style="text-decoration:none;" href="http://www.amonya.com/" target="_blank">ええもん屋.com</a></div></div></div></p>

<p>【関連ページ】</p>

<ul>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/06/25paradise.html" target="_blank">「災害ユートピア」と「震災ナショナリズム」［絵文録ことのは］2011/06/25</a></li>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/06/12bunfree12.html" target="_blank">第12回文学フリマ【エ-01】ことのは（@kotono8）『東日本大震災でわたしも考えた』ほか告知 #bunfree［絵文録ことのは］2011/06/12</a></li>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/02/12wikileaksbook.html" target="_blank">【書評】『日本人が知らないウィキリークス』：サイバースペースvs主権国家の闘争［絵文録ことのは］2011/02/12</a></li>
<li><a href="http://p.booklog.jp/book/38096" target="_blank">松永英明＠ことのは 文学フリマ出品冊子カタログ | ブクログのパブー</a></li>
</ul>

<h3>歴史系</h3>

<p>へうげものとゲニウス・ロキ。</p>

<p><style type="text/css"><!--.amonya-box{padding:0;}.amonya-box *{margin:0;padding:0;}--></style><div class="amonya-box"><div style="width:600px;text-align:center;"><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061589326/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4061589326.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="古田織部の茶道 (講談社学術文庫)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061589326/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">古田織部の茶道 (講談社学術文庫)</a><br />[桑田 忠親]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478009066/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4478009066.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="へうげもの 古田織部伝―数寄の天下を獲った武将" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478009066/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">へうげもの 古田織部伝―数寄の天下を獲った武将</a><br />[桑田 忠親]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4831505315/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/detail/thumb-no-image.gif" alt="近松門左衛門 (江戸人物読本)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4831505315/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">近松門左衛門 (江戸人物読本)</a><br />[ぺりかん社]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061494813/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4061494813.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="日本の“地霊”(ゲニウス・ロキ) (講談社現代新書)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061494813/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">日本の“地霊”(ゲニウス・ロキ) (講談社現代新書)</a><br />[鈴木 博之]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480092013/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4480092013.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="東京の地霊(ゲニウス・ロキ) (ちくま学芸文庫)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480092013/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">東京の地霊(ゲニウス・ロキ) (ちくま学芸文庫)</a><br />[鈴木 博之]</div></div></div><div style="font-size:10px;font-family:Verdana;text-align:right;padding:0 3px 5px 3px;clear:both;">by <a style="text-decoration:none;" href="http://www.amonya.com/" target="_blank">ええもん屋.com</a></div></div></div></p>

<p>【関連ページ】</p>

<ul>
<li><a href="http://www.kotono8.com/geniusloci/" target="_blank">ゲニウス・ロキ探索 - 松永英明 公式サイト 絵文録ことのは</a></li>
</ul>

<h3>芸能系</h3>

<p>RCサクセション「カバーズ」、K-POP、アイドル、都市伝説。</p>

<p><style type="text/css"><!--.amonya-box{padding:0;}.amonya-box *{margin:0;padding:0;}--></style><div class="amonya-box"><div style="width:600px;text-align:center;"><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BDJ56Q/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B000BDJ56Q.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="カバーズ" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BDJ56Q/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">カバーズ</a><br />[RCサクセション]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839938997/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4839938997.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="新大久保とK-POP (マイコミ新書)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839938997/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">新大久保とK-POP (マイコミ新書)</a><br />[鈴木妄想]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839937710/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4839937710.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="グループアイドル進化論 ～「アイドル戦国時代」がやってきた!～ (マイコミ新書)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839937710/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">グループアイドル進化論 ～「アイドル戦国時代」がやってきた!～ (マイコミ新書)</a><br />[岡島 紳士,岡田 康宏]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812434289/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4812434289.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="ハローバイバイ関暁夫の都市伝説2" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812434289/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">ハローバイバイ関暁夫の都市伝説2</a><br />[ハローバイバイ関 暁夫]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/481242948X/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/481242948X.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説―信じるか信じないかはあなた次第" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/481242948X/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説―信じるか信じないかはあなた次第</a><br />[関 暁夫]</div></div></div><div style="font-size:10px;font-family:Verdana;text-align:right;padding:0 3px 5px 3px;clear:both;">by <a style="text-decoration:none;" href="http://www.amonya.com/" target="_blank">ええもん屋.com</a></div></div></div></p>

<p>【関連ページ】</p>

<ul>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/04/08zuttousodatta.html" target="_blank">キヨシロー「Love me tender」のアンサーソングとしての斉藤和義「ずっとウソだった」の無力感［絵文録ことのは］2011/04/08</a></li>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/02/28groupidol.html" target="_blank">【書評】『グループアイドル進化論』：アイドル語りを誘発する本［絵文録ことのは］2011/02/28</a></li>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/08/09k-pop.html" target="_blank">【書評】鈴木妄想『新大久保とK-POP』★★★★★［絵文録ことのは］2011/08/09</a></li>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2008/08/04toshidensetsu.html" target="_blank">ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説2がオウム真理教とシンクロ［絵文録ことのは］2008/08/04</a></li>
</ul>

<h3>コミック・写真・ラノベ</h3>

<p>漢字、おにいさん、図書委員長、うさぎ駅長。</p>

<p><style type="text/css"><!--.amonya-box{padding:0;}.amonya-box *{margin:0;padding:0;}--></style><div class="amonya-box"><div style="width:600px;text-align:center;"><div style="width:150px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4798602507/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4798602507.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4798602507/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)</a><br />[かじいたかし]</div></div></div><div style="width:150px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063726622/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4063726622.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="聖☆おにいさん（1） (モーニングKC)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063726622/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">聖☆おにいさん（1） (モーニングKC)</a><br />[中村 光]</div></div></div><div style="width:150px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575838357/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4575838357.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="図書委員長の品格（１） (アクションコミックス)" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575838357/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">図書委員長の品格（１） (アクションコミックス)</a><br />[紺野 比奈子]</div></div></div><div style="width:150px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905054176/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4905054176.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="うさぎ駅長もっちぃがゆく！" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905054176/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">うさぎ駅長もっちぃがゆく！</a><br />[マガジンランド]</div></div></div><div style="font-size:10px;font-family:Verdana;text-align:right;padding:0 3px 5px 3px;clear:both;">by <a style="text-decoration:none;" href="http://www.amonya.com/" target="_blank">ええもん屋.com</a></div></div></div></p>

<p>【関連ページ】</p>

<ul>
<li><a href="http://www.kotono8.com/2011/07/06kanjigayomeru.html" target="_blank">【書評】かじいたかし 『僕の妹は漢字が読める』：「自虐的メタラノベ」の金字塔？［絵文録ことのは］2011/07/06</a></li>
</ul>

<h3>ホーム＆コスメ</h3>

<p>クイッククール ミニは夏場に重宝しました。リップはなぜ売れたか不明。</p>

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kotonoha0b-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=B004W4Y65K" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kotonoha0b-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=B004W4Y62S" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kotonoha0b-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=B0041N4F9O" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

<h3>ジェームズ・アレン</h3>

<p><style type="text/css"><!--.amonya-box{padding:0;}.amonya-box *{margin:0;padding:0;}--></style><div class="amonya-box"><div style="width:600px;text-align:center;"><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/458418819X/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/458418819X.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="幸せと成功への扉" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/458418819X/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">幸せと成功への扉</a><br />[ジェームズ アレン]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763195093/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4763195093.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="「原因」と「結果」の法則" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763195093/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">「原因」と「結果」の法則</a><br />[ジェームズ アレン]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584188092/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4584188092.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="最高にすてきな人生" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584188092/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">最高にすてきな人生</a><br />[ジェームズ アレン]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777102440/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4777102440.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="幸福に通じるひそやかな道" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777102440/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">幸福に通じるひそやかな道</a><br />[ジェームズ・アレン,松永 英明]</div></div></div><div style="width:120px;float:left;"><div style="padding:5px;"><div style="margin-bottom:2px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584187967/kotonoha0b-22/ref=nosim/" name="amonya-mimg" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4584187967.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="「意志」と「人生」の法則" border="0" /></a></div><div style="font-size:12px;font-family:Verdana;line-height:110%;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4584187967/kotonoha0b-22/ref=nosim/" target="_blank">「意志」と「人生」の法則</a><br />[ジェームズ アレン]</div></div></div><div style="font-size:10px;font-family:Verdana;text-align:right;padding:0 3px 5px 3px;clear:both;">by <a style="text-decoration:none;" href="http://www.amonya.com/" target="_blank">ええもん屋.com</a></div></div></div></p>

<p>【関連サイト】</p>

<ul>
<li><a href="http://james-allen.kotono8.com/" target="_blank">ジェームズ・アレン・ネット《成功哲学・自己啓発のバイブル》</a></li>
</ul>

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    <title>「新党きづな」のカナ表記問題と本当の語源</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/01/04kidzuna.html" />
    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1317</id>

    <published>2012-01-04T01:27:45Z</published>
    <updated>2012-01-05T11:41:19Z</updated>

    <summary>民主党から離党した衆院議員による新党の名称は、当初「新党きずな」を予定されていた...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="日本時事ネタ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p>民主党から離党した衆院議員による新党の名称は、当初「新党きずな」を予定されていたが「新党きづな」に修正されることとなった。語源によるものだというのだが、この表記変更は無用のものである。また、本当の語源を言うのであれば昨年末、当ブログでも<a href="http://www.kotono8.com/2011/12/13kiduna.html" target="_blank">「今年の漢字」の「絆」の原義は「束縛」「しがらみ」［絵文録ことのは］2011/12/13</a>記事で指摘したとおり、決して美しい言葉ではなく、否定的な意味合いを持ってしまう。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>報道内容</h3>

<p><a href="http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120104k0000m010040000c.html" target="_blank">民主離党者：「新党きづな」に名称決定 - 毎日ｊｐ(毎日新聞)</a></p>

<blockquote>
  <p>絆という言葉の語源が「綱」や「つなぐ」だとの意見が複数のメンバーから出たことから修正した。</p>
</blockquote>

<p><a href="http://www.asahi.com/politics/update/0103/TKY201201030233.html" target="_blank">asahi.com（朝日新聞社）：名称は「新党きづな」に　民主離党組「きずな」から変更 - 政治</a></p>

<blockquote>
  <p>「語源として『きづな』が正しい」との声が出たという。 </p>
</blockquote>

<p>変更理由を明記しているのはこの二紙が代表的なものだが、「絆の語源」による表記変更であるという点は共通している。しかし、この表記変更には問題がある。</p>

<h3>現代仮名遣い</h3>

<p>「きづな」はもちろん歴史的仮名遣いにおいては正しい。しかし、現代仮名遣いにおいては「きずな」が「正」で「きづな」は「許容」とされている。それは内閣告示によるものである。</p>

<p>現代仮名遣いは昭和21年内閣訓示第33号「現代かなづかい」（11月16日）で定められ、昭和61年内閣訓示第1号「現代仮名遣い」（7月1日）で改訂されたものである（実際の表記についてはほとんど変更はないが、昭和61年に許容範囲が認められ、基準がゆるやかになった）。つまり、約66年間にわたって公文書・法令・新聞・雑誌・放送や教育の現場においては、この仮名遣いに準拠してきた。</p>

<p>その是非は今回はまったく触れない。問題は江戸時代以来「四つ仮名」と呼ばれてきた「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」の書き分けである。今回問題になる「ズ・ヅ」の使い分けについて、改訂版の「現代仮名遣い」ではこのように示されている。</p>

<blockquote>
  <p>5　次のような語は、「ぢ」「づ」を用いて書く。</p>
  
  <p>(1)　同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」</p>
  
  <p>例　ちぢみ(縮)　ちぢむ　ちぢれる　ちぢこまるつづみ(鼓)　つづら　つづく(続)　つづめる(約△)　つづる(綴＊)</p>
  
  <p>〔注意〕　「いちじく」「いちじるしい」は、この例にあたらない。</p>
  
  <p>(2)　二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」</p>
  
  <p>例　はなぢ(鼻血)　そえぢ(添乳)　もらいぢち　そこぢから(底力) <br />
  ひぢりめん　いれぢえ(入知恵)　ちゃのみぢゃわん <br />
  まぢか(間近)　こぢんまり <br />
  ちかぢか(近々)　ちりぢり <br />
  みかづき(三日月)　たけづつ(竹筒)　たづな(手綱)　ともづな　にいづま(新妻)　けづめ　ひづめ　ひげづら <br />
  おこづかい(小遣)　あいそづかし　わしづかみ　こころづくし(心尽)　てづくり(手作)　こづつみ(小包)　　ことづて　はこづめ(箱詰)　はたらきづめ　みちづれ(道連) <br />
  かたづく　こづく(小突)　どくづく　もとづく　うらづける <br />
  ゆきづまる　ねばりづよい <br />
  つねづね(常々)　つくづく　つれづれ  </p>
  
  <p>なお、次のような語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし、「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。</p>
  
  <p>例　せかいじゅう(世界中) <br />
  いなずま(稲妻)　かたず(固唾＊)　<strong>きずな(絆＊)</strong>　さかずき(杯)　ときわず　ほおずき　みみずく <br />
  うなずく　おとずれる(訪)　かしずく　つまずく　ぬかずく <br />
  ひざまずく　あせみずく　くんずほぐれつ　さしずめ　でずっぱり　なかんずく　うでずく　くろずくめ　ひとりずつ <br />
  ゆうずう(融通)</p>
  
  <p>〔注意〕　次のような語の中の「じ」「ず」は、漢字の音読みでもともと濁っているものであって、上記(1)、(2)のいずれにもあたらず、「じ」「ず」を用いて書く。</p>
  
  <p>例　じめん(地面)　ぬのじ(布地) <br />
  ずが(図画)　りゃくず(略図)</p>
</blockquote>

<p>ここに例として「きずな（絆）」が明記されている。「「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし……「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする」ということで、本則：きずな、許容：きづな、ということになる（ちなみに「絆」は常用漢字外／人名用漢字）。なお、この「許容」は昭和61年の改訂によって認められたもので、昭和21年の「現代かなづかい」では排除されている。</p>

<p>したがって、歴史的仮名遣いでは「きづな」であったが、現代かなづかいでは「きずな」のみとなった。それから40年経って「きずな」も「きづな」もＯＫになったということである。それを「語源的には」という言葉を持ち出して「きづな」に訂正するのは、現代仮名遣いの歴史的経緯を踏まえていない発言と考えるしかない。</p>

<p>つまり、「現代かなづかい」を否定して歴史的仮名遣いのみを採用する、というところまで踏み込むのならそれはそれで一つの主張だと思うが、一つの言葉だけ「語源的にはこっちが正しい」というように取り沙汰するのは一知半解の姑息な見解であるように思われる（ここでの「姑息」は「卑怯」という意味ではなく、本来の「語源どおりの」意味である「一時のがれ／その場しのぎ」で用いている）。</p>

<h3>そして本当に語源を探るなら</h3>

<p>「絆という言葉の語源が「綱」や「つなぐ」だ」という意見が出たと報じられている。たしかに、絆は動物をつなぎとめる綱のことである。</p>

<p>しかし、語源を正確に述べれば「動物をしばる綱」であり、「束縛するもの」というネガティブなイメージの言葉であった。<a href="http://www.kotono8.com/2011/12/13kiduna.html" target="_blank">「今年の漢字」の「絆」の原義は「束縛」「しがらみ」［絵文録ことのは］2011/12/13</a>でも述べたとおり、世間一般の美しいイメージとは裏腹に、束縛であり、縛り付けるものであり、しがらみであり、「人を束縛したり、自由に行動できなくしたりすること」が原義ということになる。つまり、それは断ち切るべきものなのである。</p>

<p>語源という言葉を持ち出さないのであれば、「人と人とのつながり」という近年のイメージである美しい「絆」と理解してもよかったかもしれない。だが、下手に「語源」という言葉を持ち出すなら、それは「しがらみに縛られる」という名称と解せざるを得なくなる。</p>

<p>民主党から離党した議員たちも、何らかの「しがらみに縛られ」て、自由に行動できず、身動きが取れなくなってしまうのだろうか……。</p>
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    <title>2012年あけましておめでとうございます</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kotono8.com/2012/01/042012.html" />
    <id>tag:www.kotono8.com,2012:/blog//2.1316</id>

    <published>2012-01-04T00:29:30Z</published>
    <updated>2012-01-04T00:33:35Z</updated>

    <summary> 写真は2012年元旦、府中市の大国魂神社にて。 本年もよろしくお願いいたします...</summary>
    <author>
        <name>松永英明</name>
        
    </author>
    
        <category term="更新・お知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kotono8.com/blog/">
        <![CDATA[<p><img alt="謹賀新年2012" src="http://www.kotono8.com/blog/2012/image/DSCF9087.jpg" width="600" height="450" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" />
写真は2012年元旦、府中市の大国魂神社にて。
本年もよろしくお願いいたします。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>ものごとの起源や由来や本質を探り、身も蓋もない言い切り方をするのは今年も変わりそうにありませんが、せめてもう少し更新頻度を上げられたらと思います。よろしくお願いいたします。</p>
]]>
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