《松永英明のゲニウス・ロキ探索――「場所の記憶」「都市の歴史」を歩く、考える 》はまぐまぐで発行されているメールマガジンです。

No.103:洲崎遊郭を歩く

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◎横十間川・竪川・仙台堀川・木場

前号で書いたとおり、2010年10月6日、江東区の横十間川親水公園で和船 に乗った後、北に向かって竪川→大島緑道公園→再び横十間川→仙台堀川 →木場公園→木場親水公園→木場駅というルートを歩きました。その間約 10キロ。

これは、現在作成中の『水の東京 明治~平成版』の取材ということで、 実際にこの付近の水路を実見したいと思って歩いたものです。

この間のルートのハイライトシーンをまず写真でご紹介しましょう。

今回の写真ページ(前編)はこちら。
http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/No103a/?sort=old
写真の撮影時刻情報がうまく入っていない写真があるので多少前後してい ます。以下、歩いた順。

小名木川(おなぎがわ)クローバー橋からスカイツリー http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006134251

竪川のあったところは首都高速7号小松川線が上空に。 そこをまたがる線路はJR貨物の越中島線のようです。遠くからディーゼ ル車が走るのが見えたのですが、遠すぎて撮れませんでした。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006141351

五之橋。竪川にかかる橋は、隅田川側から順に一之橋、二之橋……と続き、 三之橋のところが三ツ目通りだったりします。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006141817

子安稲荷神社。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130237

大島緑道公園。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130416

小名木川にかかるJR貨物越中島線。向こうにスカイツリーが小さく。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006145237

横十間川と仙台堀川の交わるバードサンクチュアリのカワウ。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130414

仙台堀川公園。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130417

木場公園の木場大橋からスカイツリー。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006154647

木場親水公園。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130419

さて、これで木場駅まで来たのですが、ここまで来たら、ということで、 洲崎遊郭跡へと足を伸ばすことにしました。

◎洲崎神社

洲崎編の写真はこちら。こちらも少し写真の順序が前後しています。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/No103susaki/?sort=old

神社の手前にあった屋形船の「吉野屋」 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130421

そして洲崎神社に向かいます。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006161411
http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006161745

波除碑。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130422

 寛政三年(一七九一)九月四日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によっ て付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出た。  幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の東西二八 五間、南北三〇余間、総坪数五、四六七余坪(約一万八千平方メートル) を買い上げて空地としこれより海側に人が住むことを禁じた。そして空 地の東北地点(洲崎神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建てた。 当時の碑は地上六尺、角一尺であったという。……

このあたりはもともと海岸だったのです。何もない場所だったからこそ、 その隣に遊郭ができたというわけです。

神社のすぐ横の公衆トイレの壁に、江戸八景の一つ「洲崎雪晴」の図。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130424 今は埋め立てられて全然わかりませんが、昔はこんな海岸だったのです。

さて、隣の正方形に近い一画、今の東陽一丁目がまるまる昔の洲崎遊郭で した。明治20年の東京帝国大学校舎新築にともなって根津遊郭が移転する こととなり、その前年、湿地を整備してこの洲崎に遊郭が作られた、とい うのがこの発祥です。

ちなみに落語「辰巳の辻占」の舞台は同じ江東区でも、江戸の南東=辰巳 の方角にあった深川遊廓を指します。これは江戸時代から続く古い遊廓で、 今の富岡八幡宮の周辺に岡場所(私娼の遊廓)がありました。今の門前仲 町駅にも名前の残る「仲町」など、「深川七場所」と呼ばれる場所が並ん でいました。前回の話に出てきた猪牙船は、こういう岡場所通いに使われ たようです。

洲崎遊廓の歴史はそれに比べると新しいといえます。開業は明治21年。そ の後は大遊廓として発展しました。

(ウィキペディアの「洲崎(東京都)」の記述で「大正末期には300件前 後の遊郭がひしめき、吉原と双璧をなす規模の大歓楽街(吉原の『北国』 (ほっこく)と同様に、『辰巳』(たつみ)の異名を持つほど)に発展し た」と書かれていますが、もともと辰巳は深川を指す言葉であり、洲崎と 深川が混同されている節があるように思われます)

洲崎は東京大空襲で焼け野原になりましたが、戦後は復興し、「洲崎パラ ダイス」の舞台にもなりました。しかし、昭和33年に売春防止法のために 遊廓は終わり、住宅地となっていきます。

しかし、その名残が一部の建物に残されているようです。ちょっと下調べ が足りない状態で訪れたのですが、それなりに雰囲気のある建物が見つか りました。

洲崎の中央を走る大門通り。向こうの東陽弁天町アーケード街には遊廓の なごりのような建物も見えます。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130425

旧大賀楼の建物。今は日本共産党の区議会議員さんの事務所として使われ ています。柱などに遊廓の名残が感じられます。
洲崎遊郭 大賀楼 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130426
http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006164503

旧洲崎川の跡が今は少し高い緑道となっているのが奥に見えます。その手 前の飲食店の並びが、何となく遊廓の記憶を残しているようにも感じられ ます。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006164738

はるみ不動産。この不動産屋さんのところに洲崎交番があったようです。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101006165208

洲崎橋跡地の碑。この橋を渡れば遊廓、という境界でした。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/20101025130431

元遊廓の跡地というのは、私には非常に気になる場所です。

京都にいたときは上京区の千本中立売の近くに下宿していましたが、ここ はまさに「五番町夕霧楼」の舞台になった五番町遊廓の一帯でした。住ん でいた長屋は「築・古い」と書かれるほどの物件でしたが、これももしか したら遊女がいたかもしれない雰囲気がありました。千本日活やすっぽん 料理の「大市」も古い雰囲気を伝えていました。

アルバイトしていた居酒屋の板前さんから「戦後の一時期は千中(センナ カ)といったら夜は四条にも負けない繁華街やったんやけどな」と聞いた こともあります。

いわゆる「悪所」ではありますが、その繁栄は人々の活気の集まる場所だ ったようにも思えます。その名残が残る場所には、最近のパワースポット とは別の意味で、人々のエネルギーや記憶が感じ取れるように思います。

もし都知事によって「歌舞伎町浄化作戦」が完璧に行なわれ、あの一帯が 「清潔」な町並みになったとしても、今の歌舞伎町の混沌としたエネルギ ーはどこかにこっそり残っていきそうな気がします。


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