《松永英明のゲニウス・ロキ探索――「場所の記憶」「都市の歴史」を歩く、考える 》はまぐまぐで発行されているメールマガジンです。

2010年12月アーカイブ

No.105:世田谷の八幡宮の謎(2)

twitterでこの記事をつぶやく

◎少し間が空いたので前回のあらすじ

世田谷区野毛の大塚古墳で毎年開かれている「古墳まつり」。野毛古墳群 散策に参加したところ、終着点は宇佐神社の八幡古墳でした。それは北か ら南へ延びる尾根/丘の南斜面にあったのです。

実は少し前から世田谷区内の八幡神社について、ちょっと気になることが ありました。というのは、「八幡神社が丘の南斜面に置かれているのでは ないか」という仮説です。

「世田谷七沢、八八幡」という言葉もあると聞きました。どれが七つの沢 でどれが八つの八幡神社かは正確には定まっていないようですが、北沢・ 代沢・世田谷の三つの八幡神社は由緒も古いようで、「八八幡」のうち三 つに含まれることは間違いないでしょう。その三つが揃って「南斜面」と いうのはどういうことか……?

世田谷区南西にある宇佐神社(宇佐八幡宮が由来ですので、宇佐神社=八 幡神社と見なします)。1063年に源頼義が創建したという古い神社です。

もう一つ訪れたのが田園調布八幡神社。こちらは鎌倉時代(1250年ごろ) 創建で、鎌倉街道の要衝の地、多摩川の水がたまった良港で、舟の出入り を監視する場所に八幡神社が建てられたといいます。これもまた「丘の南 斜面」にありました。

このアーカイブについて

このページには、2010年12月に発行されたメルマガ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年10月です。

次のアーカイブは2011年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に発行されたものはアーカイブのページで見られます。

OpenID対応しています OpenIDについて