十三日の暁に、いさゝかに雨降る。しばしありて、止みぬ。女これかれ、「沐浴(ゆあみ)などせん」とて、あたりのよろしき所に下りて行く。
海を見やれば、
「雲もみな波とぞ見ゆる海人もがな
いづれか海と問ひて知るべく」
となむ歌詠める。
さて、十日あまりなれば、月おもしろし。舟に乗り始めし日より、舟には紅濃く、よき衣着ず。それは「海の神に怖ぢて」と言ひて、何の葦蔭にことつけて、
十三日の明け方に、少し雨が降りました。しばらくして止みました。女の人たちはみな、水浴びでもしようといって、あたりのよさそうなところに下りていきました。
海を眺めていると、
「雲もみな 波にも見える。
漁師いないかな。
どれが海かと尋ねて知りたい」
という歌を詠んだのでした。
さて、十日をすぎたころなので、月がいい感じです。舟に乗り始めた日から、舟のなかでは紅の濃いよい着物は着ません。それは「海の神を恐れて」ということです。で、たいしたことのない葦の陰だからということで、ホヤと貽貝を取り合わせて発酵させた「いずし」や、あわびを発酵させた「すしあわび」を、思いもかけず脛の上まで着物のすそをまくって見せてしまったのでした。
※最後の部分について。
ホヤは男性器の象徴、貽貝とあわびは女性器の象徴。海の神を怒らせないように、派手な着物を着ず、女性器を海にさらすと道中安全になる、と信じられていたのです。「いずし」や「すしあわび」はシャレ。
また、着物の裾をまくって、というところですが、古今集雑躰、兼輔の歌
「いつしかとまたく心を脛にあげて天の河原を今日や渡らむ」
(着物の裾をすねまでまくり上げるように、いつかいつかとはやる心をまくりあげて、天の川を今日こそ渡るよ)
という七夕の歌を踏まえています。会いたい気持ちが強くて、着物をまくりあげて渡っていくのはこの歌では牽牛彦星ですが、土佐日記のこの日は女性が着物をまくりあげてるよ、という話になっています。
●室津:高知県室戸市の室津港。
これはほとんどポルノではないですか?
貫之は、文学作品として気合をいれて書いているので、気まぐれで紛れ込んだのではない。
なにか、海路の安全→女性器の呪力というのが、欠かすことができないテーマだったのか?