二〇〇七年十月十七日

黒崎の松原 [土佐日記]

 二月一日、朝の間、雨降る。午時ばかりに止みぬれば、和泉の灘といふ所より出でて漕ぎ行く。海の上、昨日のごとくに風波見えず。黒崎の松原を経て行く。所の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳に、五色にいま一色ぞ足らぬ。この間に、今日は箱の浦といふ所より綱手曳きて行く。かく行く間にある人の詠める歌、

 「玉くしげ箱の浦波立たぬ日は
  海を鏡とたれか見ざらむ」

 又舟君の言はく、「この月までなりぬること」と嘆きて、苦しきに耐へずして、「人も言ふこと」とて心やりに言へる、

 「曳く舟の綱手の長き春の日を
  四十日五十まで我は経にけり」

 聞く人の思へるやう、「なぞただことなる」とひそかに言ふべし。
「舟君のからく捻り出だしてよしと思へることを。怨じもこそし給べ」
とて、つつめきて止みぬ。にはかに猶波高ければ留まりぬ。

 二月一日。朝の間に雨が降りました。昼ごろにやんだので、和泉の灘というところから出て漕いでいきました。海の上は昨日と同じように風も波も見えなかったんです。

 黒崎の松原を過ぎていきました。地名は黒、松の色は青、磯の波は雪のようで、貝の色は蘇芳(暗い紅色)。五色には一色(黄色が)足りないね。

 ところで、今日は箱の浦というところから、綱手を引いていきました(陸から船を綱で引っ張るんです)。こうしていく間に、ある人が詠みました。

 「箱の浦 波も立たない日であれば 海を鏡とだれもが思うよ」

 また船の主人(紀貫之)は「もう二月になってしまった」と嘆いて、辛さに耐えられず、「他の人も詠んでいるから」といって、気晴らしに詠みました。

 「曳き綱のように長い春の日を 四十日 五十日も過ごしてしまったね」

 聞く人は心の中で「なんでこんなに平凡な歌なんだろう」とこっそり言っているに違いないです。「船の主人が、なんとかひねり出して、よし、と思っている歌なんだから。恨まれちゃうかもしれないよ」とか耳打ちしあってやめにしたよ。

 急に風波が高くなったので、停泊しました(場所不明)。

by 紀貫之&松永英明 二〇〇七年十月十七日
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