二〇〇七年十月十七日

京に着いたはいいけれど……[最終回] [土佐日記]

 十六日、今日の夜さつかた、京へ上る。ついでに見れば、山崎の小櫃の絵も、まがりの大鉤の像も、変はらざりけり。
 「売り人の心をぞ知らぬ」
 とぞ言ふなる。
 かくて、京へ行くに、島坂にて、人、供応ゝたり。必ずしもあるまじきわざなり。発ちて行きし時よりは、帰る時ぞ人はとかくありける。これにも返り事す。夜になして、京には入らん、と思へば、急ぎしもせぬ程に、月出でぬ。桂河、月の明かきにぞ渡る。人々の言はく、「この河、飛鳥河にあらねば、淵瀬さらに変はらざりけり」と言ひて、ある人の詠める歌、

 「久方の月に生ひたる桂河
  底なる影も変はらざりけり」

 又、ある人の言へる、

 「天雲の遥かなりつる桂河
  袖を漬でゝも渡りぬるかな」

 又、ある人、詠めり。

 「桂河我が心にも通はねど 
  同じ深さに流るべらなり」

 京の嬉しきあまりに、哥もあまりぞ多かる。
 夜更けて来れば、所々も見えず。京に入りたちて嬉し。
 家に到りて、門に入るに、月明かければ、いとよく有様見ゆ。聞きしよりもまして、言ふかひなくぞ毀れ破れたる。家に預けたりつる人の心も荒れたるなりけり。中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預れる也。さるは、便りごとに物は絶えず得させたり。今宵、「かゝること」と、声高に物も言はせず。いとはつらく見ゆれど、心ざしはせむとす。
 さて、池めいて窪まり水漬ける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけん、片方はなくなりにけり。今生ひたるぞ交れる。大方のみな荒れにたれば、「あはれ」とぞ、人々言ふ。思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれしをんなこのもろともに帰らねば、いかがは悲しき。舟人もみな子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに耐へずして、ひそかに心知れる人々言へりける歌、

 「生まれしも帰らぬ物を我が宿に
  小松のあるを見るが悲しさ」

 なほ、飽かずやあらむ、又、かくなん。

 「見し人の松の千歳に見ましかば
  遠く悲しき別れせましや」

 忘れがたく口惜しきこと多かれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてん。

 十六日。
 今日の夕方、京に上りました。そのついでに見ると、山崎の店の小櫃の絵看板も、曲というところの釣り針の下げ看板も変わっていません。でも「商売人は心変わりするからわからない」とことわざにも言いますよね。
 こうして京へ行きますと、島坂である人がもてなしてくれました。わざわざしなくてもいいことなのに。出発するときよりも、帰ってくるときに人は親切にしてくれます。これにも返礼をしました。
 夜になって、京に入ろうと思ったら、急ぎもしていないうちに月が出てきました。桂川は月明かりで渡ります。みんなは、
「『世の中はなにか常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる』――世の中に常なるものが何かあろうか、飛鳥川は昨日の淵が今日は瀬になっている、なんていうけれど、この川は飛鳥川じゃないので、淵も瀬も変わってないよねえ」
とか言ってまして、ある人がこんな歌を詠みました。

 「月に桂の木があるという
  同じ名前の桂川
  川底の影も変わらない」

 また、ある人が詠みました。
 
 「天の雲のように遥か遠くにあった桂川
  袖をひたして渡ったんだよ」

 また、ある人が詠みました。
 
 「桂川 心の中を流れてはいないが
  思いと同じくらい深く流れているね」

 京に着いたのが嬉しいあまり、歌もあまりにも多いのね。
 夜が更けて来たので、ところどころ見えないところがあります。京に入ってきて嬉しい!
 家に着いて門に入ると、月が明るいので、ほんとうによく様子が見えました。聞いていた以上に、もう言いようもないくらい壊れて痛んでます。家を託していた人の心もすさんでるんですねぇ……。垣根はあるけれど、続いて一つの家のようなものだからということで、お隣りさんが先方から望んで預かってくれたんだけど……。それでも、なにかあるごとに礼物はいつも送ってあったんですよ。今晩は「こんなことに……」とかみんなが大声で言うのもやめさせました。なんともひどいと思うけれど、お礼だけはしておくつもり。
 さて、池みたいになってくぼんで水がたまっているところがありました。その横には松も生えていたんですけど、5年、6年のうちに、千年も経ったのかなあ、半分なくなってしまってたんです。最近生えたのもまじってます。ほとんどみんな荒れてしまっているので、「ひどーい」とみんな言います。思い出さないことなど決してなく、思い出しては恋しく思うわけですが、その中でも、この家で生まれた女の子が一緒に帰ってこなかったのが、どれほど悲しいことでしょうか。船で一緒に来た人も、みな子供が集まって騒いでます。そうこうしているうちに、さらに悲しさに耐えられなくなって、ひそかに気持ちの通じてる人たちと詠んだ歌がこれ。

 「生まれた子が帰ってこないというのに
  旧宅に小松があるのを見るのは悲しい」

 それでもまだ言い足りないんでしょうか、またこう詠みました。
 
 「生きていた子が松のように千年生きてたら
  遠く悲しい分かれもなかったのに」

 忘れがたく、残念なことは多いのですが、書き尽くせません。何はともあれ、こんな日記はさっさと捨ててしまいましょう。

by 紀貫之&松永英明 二〇〇七年十月十七日
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[No.1] 投稿者:TOM[2006年3月21日 00:13]comment

紀貫之で、ブログの更新してみました。
よかったら、ご覧下さい。

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