元日、なほ同じとまりなり。白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋莖もあらめも齒固めもなし。かうやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「小家の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。
七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬を思へどかひなし。たゞ浪の白きのみぞ見ゆる。
かゝる間に人の家の池と名ある所より、鯉はなくて鮒よりはじめて、川のも、海のも、ことものども、ながひつに担ひつゞけておこせたり。若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。そのうた、
「淺茅生の野邊にしあれば水もなき池につみつるわかななりけり」。
いとをかしかし。
この池といふは所の名なり。よき人の男につきて下りて住みけるなり。この長櫃の物は皆人童までにくれたれば、飽き満ちて舟子どもは腹鼓をうちて海をさへおどろかして波たてつべし。
かくてこの間に事おほかり。けふわりごもたせてきたる人、その名などぞや、今思ひ出でむ。この人歌よまむと思ふ心ありてなりけり。とかくいひいひて「波の立つなること」ゝ憂へいひて詠める歌、
「ゆくさきにたつ白浪の聲よりもおくれて泣かむわれやまさらむ」
とぞ詠める。いと大聲なるべし。持てきたる物よりは歌はいかゞあらむ。この歌を此彼あはれがれども一人りも返しせず。しつべき人も交れゝどこれをのみいたがり物をのみくひて夜更けぬ。この歌ぬしなむ「またまからず」といひてたちぬ。ある人の子の童なる密にいふ。
「まろこの歌の返しせむ」
といふ。驚きて
「いとをかしきことかな。よみてむやは。詠みつべくばはやいへかし」
といふ。
「まからずとて立ちぬる人を待ちてよまむ」
とて求めけるを、「夜更けぬ」とにやありけむ、やがていにけり。
「そもそもいかゞ詠んだる」
といぶくしがりて問ふ。この童さすがに恥ぢていはず。強ひて問へばいへるうた、
「ゆく人もとまるも袖のなみだ川みぎはのみこそぬれまさりけれ」
となむ詠める。かくはいふものか、うつくしければにやあらむ、いと思はずなり。
「童ごとにては何かはせむ。媼・翁、手捺しつべし、惡しくもあれいかにもあれ、たよりあらば遣らむ」
とておかれぬめり。
八日、さはる事ありて猶同じ所なり。今宵、月は海にぞ入る。これを見て業平の君の「やまのはにげて入れずもあらなむ」といふ歌なむおもほゆる。もし海邊にてよまゝしかば「波たちさへて入れずもあらなむ」とも詠みてましや。今、この歌を思ひ出でゝある人のよめりける、
「てる月のながるゝ見ればあまの川いづるみなとは海にざりける」
とや。
九日のつとめて、大湊より「
「思やる心は海を渡れども文しなければ知らずやあるらん」
かくて宇多の松原を行き過ぐ。その松の數いくそばく、いく千歳経たりと知らず。元ごとに浪うち寄せ枝ごとに鶴ぞ飛び交ふ。おもしろし、と見るに堪へずして、舟人の詠める歌、
「見渡せば松のうれごとに棲む鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる」
とや。この歌は所を見るに、えまさらず。
かくあるを見つゝ漕ぎ行くまにまに、山も海もみな暮れ、夜更けて、西東も見えずして、天氣のこと、舵取の心に任せつ。
男も慣らはぬは、いとも心細し。まして女は、舟底に頭を突きあてゝ、音をのみぞ泣く。かく思へば、舟子、舵取は舟唄歌ひて、何とも思へらず。その歌ふ唄は、
「春の野にてぞ、音をば泣く、我が薄に、手切る切る、摘むだる菜を、親やまぼるらん、姑や食ふらん、かつらや」
「夜べのうなゐもがな、錢乞はむ、空言をして、をぎのりわざをして、錢も持て来ず、己だに来ず」
これならず多かれど、書ゝず。これらを人の笑ふを聞ゝて、海は荒るれども、心はすこし凪ぎぬ。
かくて行き暮らして、泊に到りて、翁人一人、專女一人あるが中に心地惡しみして、物もものし給ばで、ひそまりぬ。
十一日、暁に舟を出だして、室津を追ふ。人みなまだ寝たれば、海のありやうも見えず。ただ月を見てぞ、西東をば知りける。かゝる間に、みな夜明けて、手洗ひ、例のことどもして、昼になりぬ。今し、羽根といふ所に来ぬ。若き童この所の名を聞ゝて、
「羽根といふ所は鳥の羽根のやうにやある」
と言ふ。まだ幼き童の言なれば、人々笑ふ時に、ありける女童なん、この歌を詠める。
「まことにて名に聞く所羽根ならば
飛ぶがごとくに都へもがな」
とぞ言へる。男も女も、「いかでとく京へもがな」と思ふ心あれば、この歌よしとにはあらねど、「げに」と思て、人々忘れず。この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、又昔の人を思出でゝ、いづれの時にか忘るゝ。今日はまして、母の悲しからるゝことは。下りし時の人の数足らねば、古歌に、「数は足らでぞ帰るべらなる」といふ言を思出でゝ、人の詠める。
「世の中に思ひやれども子を恋ふる
思ひにまさる思ひなきかな」
と言ひつゝなん。
十三日の暁に、いさゝかに雨降る。しばしありて、止みぬ。女これかれ、「沐浴(ゆあみ)などせん」とて、あたりのよろしき所に下りて行く。
海を見やれば、
「雲もみな波とぞ見ゆる海人もがな
いづれか海と問ひて知るべく」
となむ歌詠める。
さて、十日あまりなれば、月おもしろし。舟に乗り始めし日より、舟には紅濃く、よき衣着ず。それは「海の神に怖ぢて」と言ひて、何の葦蔭にことつけて、
十四日、暁より雨降れば、同じ所に泊れり。舟君、節忌す。精進物なければ、午時より後に舵取りの昨日釣りたりし鯛に、銭なければ、米を取り掛けて、落ちられぬ。かゝることなほありぬ。舵取り、又鯛持て来たり。米・酒、しばしばくる。舵取り、気色悪しからず。
十五日、今日、小豆粥煮ず。口惜しく、なほ日の悪しければ、ゐざるほどにぞ、今日二十日あまり経ぬる。いたづらに日を経れば、人々海を眺めつゝぞある。女の童の言へる、
「立てば立つゐれば又ゐる吹く風と
波とは思ふどちにやあるらん」
いふかひなき者ゝ言へるには、似つかはし。
十六日、風波止まねば、なほ同じ所に泊れり。ただ「海に波なくしていつしか御崎といふ所渡らん」とのみなん思ふ。風波、とにに止むべくもあらず。ある人の、この波立つを見て詠める歌、
「霜だにも置かぬ方ぞといふなれど
波の中には雪ぞ降りける」
さて舟に乗りし日より今日までに二十日余り五日になりにけり。
十七日、曇れる雲なくて、暁月夜いともおもしろければ、舟を出だして漕ぎ行く。この間に雲の上も海の底も、同じごとくになむありける。むべも昔の男は、
「棹は穿つ波の上の月を、舟は圧そふ海の中の空を」
とは、言ひけむ。聞きざれに聞ける也。又ある人の詠める歌、
「水底の月の上より漕ぐ舟の
棹に障るは桂なるらし」
これを聞きて、ある人の又詠める。
「影見れば波の底なる久方の
空漕ぎ渡る我ぞわびしき」
かく言ふ間に、夜やうやく明ける間に行くに、舵取ら、
「黒き雲にはかに出で来ぬ。風吹きぬべし。御舟返してむ」
と言ひて、舟返る。この間雨降りぬ。いとわびし。
十八日、なほ同じ所にあり。海荒ければ、舟出ださず。この泊、遠く見れども、近く見れども、いとおもしろし。かゝれども苦しければ、何事も思ほえず。男どちは心やりにやあらん、漢詩などいふべし、舟も出ださでいたづらなれば、ある人の詠める、
「磯ふりの寄する磯には年月を
いつともわかぬ雪のみぞ降る」
この歌は常にせぬ人の言也。又人の詠める、
「風に寄る波の磯には鴬も
春もえ知らぬ花のみぞ咲く」
この歌どもを、すこしよろしと聞ゝて舟の長しける翁、月ごろ苦しき心やりに詠める、
「立つ浪を雪か花かと吹風ぞ
寄せつゝ人をはかるべらなる」
この歌どもを人の何かと言ふを、ある人聞ゝふけりて詠めり。その歌詠める文字、三十文字余り七文字。人みなえあらで笑ふやうなり。歌主、いと気色悪しくて怨ず。真似べども、え真似ばず。書けりとも、え詠み据ゑ難かるべし。今日だにかく言ひ難し。まして後にはいかならん。
廿日、昨日のやうなれば、舟出ださず。みな人々憂へ嘆く。苦しく心もとなければ、ただ日の経ぬる数を、「今日幾日」「二十日」「三十日」と、数ふれば、指も損はれぬべし。いとわびし。寝も寝ず。
二十日の月出でにけり。山の端もなくて海の中よりぞ出で来る。かやうなるを見てや、昔、阿倍の仲麿といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、舟に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。飽かずやありけん、二十日の夜の月出づるまでぞありける。その月は、海よりぞ出でける。これを見てぞ仲麿の主、
「我が国に、かかる哥をなん神世より神も詠む給び、今は上中下の人も、かやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む」
とて、詠めりける歌、
「青海原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも」
とぞ詠めりける。かの国人聞ゝ知るまじう思ほえたれども言の男文字にさまを書き出だして、こゝの言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、心をや聞ゝ得たりけむ、いと思ひの外になん賞でける。唐土とこの国とは言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらん。さて、今、当時を思やりてある人の詠める歌、
「都にて山の端に見し月なれど
浪より出でゝ波にこそ入れ」
廿一日、卯の時ばかりに舟出だす。みな人々の舟出づ。これを見れば春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日出で来て、漕ぎ行く。
この間に、使はれんとて、付きて来る童あり。それが歌ふ舟唄、
「なほこそ、国の方は、見やらるれ、
我が父母、ありとし思へば、帰らや」
と歌ふぞあはれなる。
かく歌ふを聞ゝつゝ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集まり居り。その岩のもとに波白く打ち寄す。舵取の言ふやう、「黒き鳥のもとに白き波を寄す」とぞ言ふ。その言葉何とにはなけれども物言ふやうにぞ聞こえたる。人の程に合はねば、咎むるなり。
かく言ひつゝ行くに、舟君なる人、波を見て、
「国より始めて、海賊報いせむ、といふなることを思ふ上に海の又恐ろしければ、頭もみな白けぬ。七十歳、八十歳は、海にある物なりけり。
我が髪の雪と磯辺の白波と
いづれまされり沖つ島守
舵取言へ」
廿二日、昨夜の泊より、異泊りを追ひて行く。遥かに山見ゆ。年九つばかりなる男の童、年よりは幼くぞある。この童舟を漕ぐまゝに、山も行く、と見ゆるを見て、あやしきこと、歌をぞ詠める。その歌、
「漕ぎて行く舟にて見ればあしひきの
山さへ行くを松は知らずや」
とぞ言へる。幼き童の言にては、似つかはし。
今日、海荒らげにて磯に雪降り、波の花咲けり。ある人の詠める、
「波とのみ一つに聞けど色見れば
雪と花とに紛ひける哉」
廿六日、まことにやあらん、「海賊追ふ」と言へば、夜中ばかり舟を出だして漕ぎ来る路に手向する所あり。舵取して幣奉らするに、幣の東へ散れば舵取の申て奉る言は、
「この幣の散る方に御舟すみやかに漕がしめ給へ」
と申て奉るを聞ゝて、ある女の童の詠める、
「わたつみの道触の神に手向する
幣の追風止まず吹かなん」
とぞ詠める。
この間に、風のよければ舵取いたく誇りて、「舟に帆上げ」など喜ぶ。その音を聞ゝて、童も翁もいつしかと思ほへばにやあらん、いたく喜ぶ。この中に淡路の専女といふ人の詠める歌、
「追風の吹きぬる時は行く舟も
帆手打ちてこそ嬉しかりけれ」
とぞ。
天気のことにつけて祈る。
廿七日、風吹き波荒らければ、舟出ださず。これかれ、かしこく嘆く。男たちの漢詩に、「日を望めば、都遠し」など言ふなる事のさまを聞ゝて、ある女の詠める、
「日をだにも天雲近く見る物を
都へと思ふ路の遥けさ」
又ある人の詠める、
「吹風の絶えぬかぎりし立ち来れば
波路はいとど遥けかりけり」
日一日、風止まず。爪弾きして寝ぬ。
廿九日、舟出だして行く。うらうらと照りて漕ぎ行く。爪の長くなるを見て、日を数ふれば、今日は、子の日なりければ、切らず。正月なれば京の子の日のこと言ひ出でて、「松もがな」と言へど、海中なれば、難しかし。女の書きて出だせる歌、
「おぼつかな今日は子の日か海人ならば
海松をだに引かましものを」
とぞ言へる。海にて子の日の歌にては、いかがあらん。又ある人の詠める歌、
「今日なれど若菜も摘まず春日野の
我が漕ぎ渡る浦になければ」
かく言ひつゝ漕ぎ行く。
おもしろき所に舟を寄せて、「こゝやいづこ」と問ひければ、「土佐の泊」と言ひけり。昔、土佐と言ひける所に住みける女、この舟に交れりけり。そが言ひけらく、「昔、しばしありし所の名たくひにぞあなる。あはれ」と言ひて、詠める歌、
「年ごろを住みし所の名にし負へば
来寄る波をもあはれとぞ見る」
とぞ言へる。