※記事の古い順に並べた総目次
平成十七年一月五日 - 2005年01月05日
義経日記(Yoshitsune Blog)はじめました
このサイトは、源義経が一人称で語るというスタイルで、義経の生涯をウェブログ化しようというものです。口調はくだけまくってますが、義経記、平家物語、吾妻鏡、謡曲、歌舞伎などの古典文学を土台に現代語訳していきます。史実ではなく、日本文化の中に根づいた「義経伝説」をブログ化したいと思います。タイトルは『義経記』をもじりました。
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投稿者 松永英明 : この記事のURL [このブログについて] 反響17件
永暦元年 - 1160年03月06日
命拾いした三兄弟
清盛が常盤ママと俺たちを助けたのは、別の説もある。清盛のスケベな下心説だ。
投稿者 : この記事のURL [出典:義経記, 出典:平治物語] 反響0件
永暦元年 - 1160年03月05日
常盤ママに清盛の裁定くだる
常盤ママは清盛の御前から下がって、伊勢守景綱の屋敷に戻った。それから、荒々しい足音が聞こえると
「ああ、わが子たちを殺しに来たのね」
と魂も失われるような気持ちだったらしい。ママは俺たち子供の顔を「いつまで見られるかしら」と見守って泣いてた。俺たち子供三人は、頼りにはならないけどママに頼って、手にとりついて見上げて泣いていたって。親子とも涙が尽きず、袖は濡れそぼってとまらない。
永暦元年 - 1160年03月04日
常磐ママ、清盛の御前へ出頭
さて、いよいよ大弐清盛が常盤ママを召し出した。そこで、俺たち子供3人を引き連れて、清盛の屋敷へ出頭することになった。八つの上の兄ちゃんと、六つの下の兄ちゃんは常盤ママの左右に、二つだった俺はママのふところに抱かれてた。自分では覚えてないけどね。
永暦元年 - 1160年03月03日
六波羅で常盤ママと関屋おばあちゃん再会
常盤ママは六波羅に出頭した。そこで出てきたのは伊藤伊勢守景綱(かげつな)だった。ママは泣きながらこう景綱に言ったんだって。
永暦元年 - 1160年03月02日
常盤ママ、京都へ戻る
関屋おばあちゃんが拷問を受けて、それでもママと俺たち3人の子供たちの行方をしゃべらない、ということは、大和にいるママのもとにも伝わってきた。
そこで、ママは文字どおり決死の決断をしたんだよ。
総目次(古い順に並んでいます)
- はじめまして。義朝パパ都落ち。 (平治元年十二月二十七日)
- 金王丸、義朝パパの最期を語る (平治二年正月五日)
- 清水寺で夜明かし (永暦元年正月十六日)
- 常盤ママと伏見へ (永暦元年正月十七日)
- 伏見でもう一日 (永暦元年正月十八日)
- 伏見から宇陀へ (永暦元年正月十九日)
- 関屋おばあちゃん、連行・訊問される (永暦元年)
- 常盤ママ、京都へ戻る (永暦元年)
- 六波羅で常盤ママと関屋おばあちゃん再会 (永暦元年)
- 常磐ママ、清盛の御前へ出頭 (永暦元年)
- 常盤ママに清盛の裁定くだる (永暦元年)
- 命拾いした三兄弟 (永暦元年)

