永暦元年 - 1160年03月04日
常磐ママ、清盛の御前へ出頭
さて、いよいよ大弐清盛が常盤ママを召し出した。そこで、俺たち子供3人を引き連れて、清盛の屋敷へ出頭することになった。八つの上の兄ちゃんと、六つの下の兄ちゃんは常盤ママの左右に、二つだった俺はママのふところに抱かれてた。自分では覚えてないけどね。
常盤ママは泣きながらこう申し上げたんだって。
「左馬頭(さまのかみ=義朝パパ)は罪深い身で、その子供は皆殺されてもしょうがありまへん。せやけど、一人でも助けてもらえませんやろか――と申し上げたいところ、そんなことは筋が通らんことやとはよう知っとります。ただ、子供らが殺されてしまうよりも先に、まずうちを殺しとくれやすと申しますのを、どうかお聞き入れくださいませんやろか。身分が高くても賤しくても、親が子を思う心の闇ってのはこんなもんなんどす。この子らと別れてしもうたら、一時も耐えられるとは思えません。うちを殺してしもうてから、子供らをご処分しとくれやす。これだけ申し上げたいんで、左馬頭の死後の霊にも恥をかかせ、こういう情けない状態も気にしないで、これまで参りました。この世の御なさけ、後生の功徳、これ以上のものがありますやろか」
と泣く泣く申し上げたところ、下の乙若兄ちゃんがママの顔を見上げて、こう言ったんだ。
「泣かないでよくよく申し上げてや」
事情もわからないけなげな兄ちゃんの様子を見て、それまで強気だった大弐殿も、
「しっかりした子供の言葉だな」
と横を向いて涙を流したんだそうだ。そこに並んでいた武士たちも涙にくれてうつむいて、顔を上げる者もなかった。
さて、常盤ママはこのとき二十三歳(満年齢だと二十一か二十二)。中宮さまの官女だったので振る舞いもこなれていたうえに、深い思いが胸の中にあったので、言葉が口から出ると、猛々しい武士たちもあわれと思わせるくらいだった。青く描いた眉も深い涙に乱れていたし、嘆き悲しむ日々が続いていたので以前の面影もなくやせ衰えていたけれど、それでも世間から見れば素晴らしい姿だったらしい。見た人はみんな賛嘆したって。
「これほどの美女は見たことも聞いたこともない」
「そりゃあ当たり前だよ。大宮左大臣伊通公が、実の娘である中宮の御所へ見栄えのいい女を入れようとして、美人とうわさの女を宮中から千人集めて百人選び、百人から十人選び、十人のうちから一人を選んだというオーディションをくぐり抜けたナンバーワンがこの常盤ちゃんなんだから、見栄えが悪いわけないじゃないか。それにしても、見れば見るほど、素晴らしい顔付きだねえ。中国の唐の楊貴妃や漢の李夫人が「一たび微笑めば百の媚びをなす」と歌われたのも、この常盤ちゃんにはかなわないね」
などと冗談めかして言っている人もいたそうだ。
[出典:平治物語]
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