永暦元年 - 1160年03月05日
常盤ママに清盛の裁定くだる
常盤ママは清盛の御前から下がって、伊勢守景綱の屋敷に戻った。それから、荒々しい足音が聞こえると
「ああ、わが子たちを殺しに来たのね」
と魂も失われるような気持ちだったらしい。ママは俺たち子供の顔を「いつまで見られるかしら」と見守って泣いてた。俺たち子供三人は、頼りにはならないけどママに頼って、手にとりついて見上げて泣いていたって。親子とも涙が尽きず、袖は濡れそぼってとまらない。
さて、大弐清盛はこんな風に言っていたらしい。
「義朝の子供たちのことだ。個人的に清盛が裁定すべきものではない。賞罰のことは、みかどの命を受けて執り行うものである。お伺いして、みかどのご意向に合わせよう」
「殿、どうしてそんなに心の弱いことをおっしゃいますやら。この幼い子たち三人が成長すれば、後々、どんな大事を引き起すかわかりませんぞ。ご子孫のことをこそお考えになってください」
「誰だってそう思うだろうけど、もっと年齢のいっている兵衛佐(頼朝)を、わが母上・池禅尼どのが助けようとおっしゃっている。とすれば、成人の頼朝を助けて、幼い者を斬るということになれば、その道理がさかさまになってしまう。何と言っても、頼朝が死罪になるかどうかで決まるということでいいだろう」
ママは違うけど同じ頼朝パパの子である兵衛佐兄ちゃんは、死罪になりそうだったけど、池禅尼が命乞いをしていて、まだ処遇が決まってなかったんだ。
こういう事情を聞いて、常盤ママは、
「一日かたときでも命ながらえていることは不思議なこと。これはほんに清水の観音のお助けやねえ」
と心強くなって、ママ自身は観音経をよみ、子供らには観音のお名前を教えて唱えさせた(俺は無理だけど)。
そうこうするうちに、兵衛佐兄ちゃんの死罪の件は、池禅尼がいろいろ言ったもんで、死罪は許されて流罪ということになった。これは八幡大菩薩のおはからいだとか言われてたみたいだね。で、兵衛佐兄ちゃんは東国の伊豆国に流されることに決まったんだ。
となると、常盤ママの三人の子供たち(つまり、俺たち)はもっと幼いわけで、問題なく、罪科なしということになって死罪を免れたんだ。
[出典:平治物語]
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