ゲニウス・ロキ

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ゲニウス・ロキGenius Loci、「地霊」)とは、現代建築において「ある場所の特有の雰囲気」を指す言葉である。中村雄二郎は「ゲニウス・ロキは、それぞれの土地がもっている固有の雰囲気であり、歴史を背景にそれぞれの場所がもっている様相である」と説明している。ゲニウス・ロキ概念は、建築ならびにランドスケープ、タウンスケープ(シティスケープ)等において、その場所の歴史的経緯や雰囲気、変遷を考慮する必要があると主張するものである。

ローマの「土地の守護精霊」

ラテン語では「genius locī」(ゲニウス・ロキー)と表記する。geniusは英語のspirit(精神・魂・精霊)であり、locīはlocos(場所)の属格単数である。したがって、ゲニウス・ロキーとは、ある場所を司る精霊のことであった。ローマ神話において、ゲニウス・ロキーはある場所の守護精霊であり、蛇の姿で描かれることも多かった。

ゲニウスはもともと、「(父性として子を)産ませる」「生み出す」といった意味のgignoと関連する言葉である。これが守護する精霊・精気の概念に移行した。

ゲニウス・ロキーは土地に対する守護霊であるが、日本の土地の神様や産土神のような鎮守様のようなものではなく、姿形なくどこかに漂っている精気のようなものとされる。

アレクサンダー・ポープ

Genius Lociという概念を建築の分野に持ち込んだのは、18世紀イギリスの詩人アレキサンダー・ポープであった。ポープは、建築道楽で有名だった政治家バーリントン卿リチャード・ボイルに宛てた書簡(「バーリントン卿への書簡」、『書簡集4』1731年)において「genius of place」という言葉を使っている。これが建築学に「ゲニウス・ロキ」概念が導入された最初の例であるとされる。

すべてにおいて、その場所のゲニウス(精霊/雰囲気)に相談せよ。
それは水を昇らせるべきか落とすべきかを告げてくれる。
丘が意気揚々と天高くそびえるのを助けるべきか、
谷を掘って丸い劇場にするべきかを教えてくれる。
土地に呼びかけ、森の中の開けた空き地を捕まえ、
楽しげな木々に加わり、木陰から木陰へと移り、
意図したラインを切ったり、方向を変えたりする。
あなたが植えたとおりに塗り、あなたが作ったとおりにデザインしてくれる。
(松永英明訳)

すなわち、建築や造園において、その場所のゲニウス(ゲニウス・ロキ)に適合させようとすることが、趣味のよいものを作り出すことになるというのである。

すべての場所はそれぞれ独特な特質を持っている。それは、物質的な構造だけではなく、どのように認知されるかという点でも同様である。そこで、建築家やランドスケープデザイナーはこの独特な特質を敏感に察知し、それを破壊するのではなく増強する責任を持つことになる(が、そうでないことが多い)。

ここにおいて、「ゲニウス・ロキ」概念は、「その場所の特別な雰囲気」という意味が強調されることになった。

クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『ゲニウス・ロキ―建築の現象学をめざして』(Christian Norberg-Schulz, Genius Loci (1979)、加藤邦男・田崎祐生訳 住まいの図書館出版局 1994)では、プラハ、ハルトゥーム、ローマの3都市のゲニウス・ロキを分析しているが、個々の場所ではなく都市単位で考察しているため、一般的なゲニウス・ロキ概念とは少々異なっている。なお、本書の邦訳には毛綱毅曠・鈴木博之・松岡正剛の対談も収録されており、貴重な一冊となっているが、絶版である。[1]

日本でのゲニウス・ロキ/「地霊」

日本でゲニウス・ロキ概念について最も詳細に語っているのは、鈴木博之である。鈴木博之は、当初ゲニウス・ロキを「土地の精霊」と訳してきたが、後に「地霊」という訳語を当てるようになった。これについて、「わが国でも土地と精神性との関係を意識する伝統は古来あって、「英雄の出づるところ地勢よし」とか「人傑地霊」という言葉も存在する」ことから「地霊」という言葉を採用したと述べている。[2]

鈴木博之の地霊に関する著書には、以下のものがある。

建築の七つの力』(鹿島出版会、1984)
「地霊の力」の項(初出は『アプローチ』1979年夏号所収の「見えないものの力」)で、タウンスケープに絡めて地霊(ゲニウス・ロキ)について述べられている。
「ゲニウス・ロキとは、結局のところある土地から引き出される霊感とか、土地に結びついた連想性、あるいは土地がもつ可能性といった概念になる。」
「地霊の力(ゲニウス・ロキ)という言葉のなかに含まれるのは、単なる土地の物理的な形状から由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文化的・歴史的・社会的な背景を読み解く要素もまた含まれているということである。こうした全体性に目を開くこと、すなわちタウンスケープを、その土地固有の微地形や歴史性との対応のなかで読み解くことこそが、地霊の力(ゲニウス・ロキ)に対する感受性を生み出すのである。」
「建築的営為とは、地霊の力(ゲニウス・ロキ)を一方に据えてなされてきたものではなかったのか。そしてその集積が都市を作り上げてきたのではなかったか。」
「現代の東京の近代的なタウンスケープを訪れる際にも、われわれはその土地が歴史的必然をもってそのような現状に至っていることを忘れてはなるまい。そうした目をもつとき、はじめて新旧の街並みを統一的に見ることが可能となろう。」
タウンスケープにおいて、その土地の歴史的経緯が重視されており、この視点は続く著書において具体的に展開されることとなる。
東京の[地霊(ゲニウス・ロキ)]』(文藝春秋、1990)
本書のまえがきでは、『建築の七つの力』に記された「地霊」の解説が少々アレンジした形で記載されている。「地霊(ゲニウス・ロキ)」の説明としては、この2冊の記述が最も簡にして要を押さえていると思われる。
そして、本書では具体的に東京の各地のゲニウス・ロキ(すなわち、それぞれの土地の歴史的経緯と雰囲気)を調査してゆく。その目次を掲載する。
  1. 港区六本木:民活第一号の土地にまつわる薄幸――時代に翻弄された皇女の影を引きずる林野庁宿舎跡地
  2. 千代田区紀尾井町:「暗殺の土地」が辿った百年の道のり――怨霊鎮魂のため袋地となった司法研修所跡地の変遷
  3. 文京区・護国寺:明治の覇者達が求めた新しい地霊――その「茶道化」の立役者・高橋箒庵
  4. 台東区・上野公園:江戸の鬼門に「京都」があった――いまも生きつづける家康の政治顧問・天海の構想
  5. 品川区・御殿山:江戸の「桜名所」の大いなる変身――庶民の行楽地から時代の覇者達の邸宅地へ
  6. 港区芝:現代の「五秀六艶楼」のあるじ――「さつまっぱら」と郷誠之助と日本電気の関係
  7. 新宿区・新宿御苑:幻と化した「新宿ヴェルサイユ宮殿」――造園家・福羽逸人の構想と三代の聖域
  8. 文京区・椿山荘:目白の将軍の軍略にも似た地政学――権力者・山県有朋の土地と庭園に対する眼力
  9. 中央区日本橋室町:三井と張り合う都内最強の土地――九三坪二合五勺に賭けた久能木一族の意地
  10. 目黒区目黒:「目黒の殿様」がみせた士魂商才――明治の秀才・久米邦武の土地に対する先見の明
  11. 文京区本郷:東大キャンパス内の様々なる意匠――安田講堂はなぜ東大の“象徴”なのか
  12. 世田谷区深沢:東京西郊の新開地・うたかたの地霊――近衛文麿の末期の眼に映った巨大和風庭園の終焉
  13. 渋谷区広尾:昭和・平成二代にわたる皇后の「館」――前皇后が住まい、現皇后が学んだ土地の縁
日本の〈地霊(ゲニウス・ロキ)〉』(講談社現代新書、1999)
前著に続いて、今度は日本各地の地霊を読み解いていく。前二著と同様の解説が冒頭に掲載されているが、新しい表現も見られる。
「場所に蓄積されていく「土地の記憶」は、決して明快に説明しきれるものばかりとは限らない。不可解な、不合理な出来事もまた、ひとつの記憶となって尾を引いてゆくのである。すべてを白紙還元してしまうような現代の建築設計理論は、おそらく現在のみに生き、歴史や場所から切り離された抽象的な建築群か実利的な施設群しか生み出さないであろう。そうした建築群や施設群を、そのままで使う側のひとびとに受け止めてもらうには限界があることを知るべきであろう。」
目次は以下のとおり。
  • 第一部――場所の拠り所
    1. 議事堂の祖霊はねむる――伊藤博文の神戸
    2. 聖地創造――丹下健三の広島
    3. 本四架橋のたもとには――耕三寺耕三の生口島
    4. 故郷との距離――渋沢栄一の王子
    5. 場所をうつす――渋沢栄一の深谷
  • 第二部――日本の〈地霊〉を見に行く
    1. 三菱・岩崎家の土地――岩崎彌太郎の湯島切通し
    2. 三菱・岩崎家の土地――岩崎小彌太の鳥居坂
    3. 地方の鹿鳴館
    4. 川の運命――谷崎潤一郎の神戸
    5. 新興住宅地のミッシング・リング――根津嘉一郎の常盤台

参照