松永英明の好きな歴史上の人物
出典: 閾ペディアことのは
このページは松永英明の好きな、あるいは多大な関心・興味を持っている歴史上の人物について述べ、同時にその思考形態の一端を示すものである。
目次 |
[編集] 前14世紀
歴史に残る上では世界初の一神教を始めたアメンホテプ4世。この教義が後にモーセに影響を与えた(あるいはモーセはエジプトの一神教の神官の血筋だった)という可能性が考えられる。
[編集] 前5世紀
スパルタ国王レオニダス。
仏教を説いたゴータマ・ブッダ。
[編集] 前4世紀
マケドニア国王アレクサンドロス大王(イスカンダル)。
[編集] 1世紀
ローマの風刺詩人ユウェナリス。「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言った人だとされているが、原文を読んだところ、どう読んでも「心身共に健康でありますように」という祈願文としか読めない。
[編集] 2世紀
哲人皇帝ことマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝。
[編集] 3世紀
[編集] 7世紀
天武天皇・持統天皇が、現在の「日本」というものを確定させたと考えている。たとえば「日本」という国号を対外的に使い、「天皇」という言葉が用いられ、宮中儀式が整えられ、律令が作られ、古事記・日本書紀が編纂されたのはすべてこの時代からのことである。なお、聖徳太子伝説もこの時代に作られたと考えられる。
玄奘三蔵。原典に当たりたいという気持ちは共通しているかもしれない。
[編集] 8世紀
中国に留学したまま帰って来れなかった阿倍仲麻呂。
フランク国王・西ローマ皇帝となったシャルルマーニュ(カール大帝)。伝説も含めて興味がある。
[編集] 12世紀
エルサレムをイスラム教徒の手に奪還したサラーフッディーン(サラディン)。十字軍に関しては、どうしてもイスラムにシンパシーを感じる。
[編集] 15世紀
明の航海王鄭和については、まだあまりきちんと読んでいないが、非常に興味がある。
琉球をはじめて統一した尚巴志。
[編集] 16世紀
日本の戦国時代といえば、織田信長という名前を聞くだけで殺意が湧くので、信長に反旗を翻した人物は好きである。特に郷里に近い信貴山城で爆死した松永久秀、そして信長をついに倒した明智光秀には思い入れがある。松永英明というペンネームそのものがこの二人に由来する。
パタニ王国(マレーシア)のラージャ・ヒジャウ、ラージャ・ビル、ラージャ・ウング、ラージャ・クニンという4代の女王にも興味がある。
インカ帝国最後の皇帝アタワルパ。
[編集] 17世紀
江戸時代初め、徳川三代(家康・秀忠・家光)に仕え、その後の宗教政策を決定した「黒衣の宰相」こと慈眼大師・南光坊天海大僧正については、大いに研究中。ただし、天海=明智光秀説はトンデモである。
ムガル帝国のアクバル大帝にも非常に興味がある。
アメリカ独立戦争において、フランスから義勇軍として参戦した貴族のラ・ファイエット将軍は、性格も含めて好きである。また、同じくプロイセンからやってきてアメリカ独立戦争に貢献したシュトイベン男爵も非常に好きである。
[編集] 18世紀
かのJ・F・ケネディも尊敬していたという上杉鷹山は、統治者としての理想的な人物であろうと思う。
田沼意次が失脚したのは非常に手痛いことであった。
[編集] 19世紀
インド大反乱(セポイの反乱)において、ジャーンシー王国の王妃(ラーニー・オブ・ジャーンシー)であったラクシュミー・バーイーは、成り行き上であったが英国軍に対する反乱の先頭を切って戦った。インドのジャンヌ・ダルクとも呼ばれる。この人物についての資料もかなり集めてある。
幕末・維新のころで好きな人物といえば、渋沢栄一をおいてほかにない。倒幕の蜂起に失敗してなぜか逆に一橋慶喜の家来になってしまう。その後、慶喜が将軍になったかと思うと、パリ万博に行っている間に大政奉還されてしまったり、と波瀾万丈の人生を送り、帰国後は実業家として有名になった人物である。彼の「実業」や「論語とそろばん」といった思想には非常に共鳴する。
ちなみに、薩長藩閥は好きではない。
清の光緒帝の時代に「戊戌の変法」という改革を推進しようとした康有為は、結局失敗に終わったが、その思想は「大同書」を含めて非常に興味深い。

