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'''松永 英明'''(まつなが ひであき、1969年 - )は、ライターとしてのペンネーム。『絵文録ことのは』を初めとする一連のブログ群の日本のブロガーでもある。
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'''松永 英明'''(まつなが ひであき、1969年 - )は文筆業者としてのペンネーム。肩書きは「'''文士/事物起源探究家'''」である。『[[絵文録ことのは]]』を初めとする一連のブログ群を運営するブロガーでもある。
  
 
ブログをはじめとするウェブ関係、ジェームズ・アレンをはじめとする翻訳関係、その他音楽関係など幅広いジャンルにおいて執筆を行なっている。ブロガーとしては、文化圏をキーワードとしたウェブ社会の考察や独自レポートなどを得意とする。
 
ブログをはじめとするウェブ関係、ジェームズ・アレンをはじめとする翻訳関係、その他音楽関係など幅広いジャンルにおいて執筆を行なっている。ブロガーとしては、文化圏をキーワードとしたウェブ社会の考察や独自レポートなどを得意とする。
  
== 名称の概要 ==
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* 連絡先メールアドレス:matsunaga@kotono8.com
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* {{Twitter|kotono8|@kotono8 (松永英明)}}
  
 2003年9月よりライター名として使い始めたが、実際にこの名前を作ったのはさらに以前であった。
 
  
 このペンネームは、[[松永久秀|松永弾正少弼久秀]]と[[明智光秀|惟任日向守明智光秀]]に由来する。[[織田信長|信長]]と聞くとなぜか殺意が湧くという不思議な思い入れにより、信長に反旗を翻した人物には親近感を有していた。特に久秀は出身地斑鳩の西にある信貴山城との縁が深く、また光秀は信長をついに倒したことから、思い入れが深い。そこで、名字は松永、名前は明智光秀から二文字を取って「秀明」とし(「秀」は松永久秀とも共通する)、さらに画数を整えるために「英」の字に変えたものであった。ちなみに、「英」の字はくさかんむりを6画と数えるため、合計11画となる。
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==プロフィール==
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1969年、奈良県生駒郡斑鳩町生まれ。京都大学文学部(文学科言語学専攻)中退、放送大学教養学部(社会と産業コース)卒業。現在は東京都西部(23区内)在住。
  
 なお、mixiではこれをもじってMAT-TUNとした(アイドルグループKAT-TUNをもじったものである)。
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大学中退後、ライターとして歴史・ビジネス・健康法・自己啓発など幅広いジャンルで執筆活動を行なう。インタビューから調査研究、書籍企画プランニングなど執筆全般をこなす。初心者にもわかりやすい表現と、専門家の批評にも耐えうる正確な内容を両立させたいと常に考えている。
  
 まっつん、まっちゃんと呼ばれることもあるが、ダウンタウンファンであるため、悪い気はしていないらしい。
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2003年秋に独立、「ことのは編集室」を立ち上げ、同時にウェブサイトを公開。「絵文録(ウェブログ)ことのは」「はじめてのウェブログ」「土佐日記ブログ」「女子十二楽坊資料館」など、公開したサイトはいずれも大きな注目を集めた。日本のブログ大賞「Blog of the Yeah! 2003」でベストアーティクル部門第3位を受賞。アルファブロガーの一人に数えられることもある。ブログ、ウィキにおいては、ものごとの起源や由来、一次情報に当たる方針を貫いているのが特徴である。
  
== 履歴 ==
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現在は「文士/事物起源探究家」として活動中。ウェブサイト構築・サイト運営アドバイスも行なう。また、中国系ポップス&ロックや芸能の分野にも関わる。アロマテラピーインストラクター、カラーコーディネーター等の資格も有する。
  
 2003年9月、独立したフリーのライターとして活動するにあたり、ウェブサイトにてセルフプロデュースすることとする。この際、サイト構築の手間を省くためのCMSツールに関心があり、Blosxom等各種ツールを比較検討した結果、Movable Typeを採用することとした。これがブログツールを導入したきっかけであり、ブログをやりたかったというよりは、CMSツールとしてほしい機能が揃っていたことが採用のきっかけである。
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==名前の由来==
  
 そこでMovable Typeによるブログサイト[[絵文録ことのは]]を開設した。当時はブログの最大の話題はブログ改造についてという極めて技術寄りの人たちのためのツールであったが、ここでむしろ英米圏におけるブログ言論界(ブロゴスフィア)あるいはブログ上で表現されるコンテンツについての興味を持って[[はじめてのウェブログ]]サイトを作成。ここから、文化系ブロガーとしての特徴が明らかになっていく。また、[[土佐日記]]や[[女子十二楽坊資料館]]などのサイトの成功により、2003年末には「Blog of the Yeah! 2003」アーティクル部門3位に入賞する。
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2003年9月よりライター名として使い始めたが、実際にこの名前を作ったのはさらに以前であった。
  
(この文章は書きかけです。本人による追記が待たれています)
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このペンネームは、[[松永久秀|松永弾正少弼久秀]]と[[明智光秀|惟任日向守明智光秀]]に由来する。[[織田信長|信長]]と聞くとなぜか殺意が湧くという不思議な思い入れにより、信長に反旗を翻した人物には親近感を有していた。特に久秀は出身地斑鳩の西にある信貴山城との縁が深く、また光秀は信長をついに倒したことから、思い入れが深い。そこで、名字は松永、名前は明智光秀から二文字を取って「秀明」とし(「秀」は松永久秀とも共通する)、さらに画数を整えるために「英」の字に変えたものであった。ちなみに、「英」の字はくさかんむりを6画と数えるため、合計11画となる。
  
[[Category:ペンネーム|まつなか ひてあき]]
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なお、mixiではこれをもじってMAT-TUNとした(アイドルグループKAT-TUNをもじったものである)。ここから「まっつん」と呼ばれることもある。
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したがって、[http://www.hideaki-matsuoka.com/ 松岡英明]さんや[http://www.tokunagaandtonys.com/ 徳永英明]さんと似ているのは、単なる偶然である(そもそも両氏の音楽は聞いていない。聞いていたら、こんなに似た名前を使おうとは思わなかった)。
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また、[[女子十二楽坊]]の全米デビューアルバムのジャケットのための曲説明を執筆したときには、Hideaki Firebard Matsunagaという署名となった。これは何かミドルネームをつけてほしいと言われたので、「熱狂する吟遊詩人」の意味で「FeverBard」と書いて提出したところ、どういうわけか「FireBird(火の鳥)」の間違いだと思われて修正されそうになっていた。そこで訂正を申し入れたところ、後半だけ修正されて「Firebard(燃える吟遊詩人)」になったのである。この名称を使ったのはこの一回だけである。
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なお、「松永英明」はネットのための仮名「ハンドル(×ハンドルネーム)」ではなく、現実社会におけるライターとしてのペンネームをそのままネットでも利用しているものである。また、ゴーストライターの仕事をしたことはあるが、肩書きあるいは職業名としてゴーストライターと称したことはない。
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==ブロガーとしての経歴==
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2003年9月、独立したフリーのライターとして活動するにあたり、ウェブサイトにてセルフプロデュースすることとする。この際、サイト構築の手間を省くためのCMSツールに関心があり、Blosxom等各種ツールを比較検討した結果、Movable Typeを採用することとした。これがブログツールを導入したきっかけである。当時日本で流行りかけていたブログというものをやりたかったというのではなく、単にCMSツール(ブラウザ上からページを更新できるツール)として、ほしい機能が揃っていたことが採用のきっかけである。
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そこでMovable Typeによるブログサイト「[[絵文録ことのは|ウェブログ@ことのは]]」を開設した。当時、ブログの最大の話題はブログ改造についてという極めて技術寄りの人たちのためのツールであったが、ここでむしろ英米圏におけるブログ言論界(ブロゴスフィア)あるいはブログ上で表現されるコンテンツについての興味を持って[[はじめてのウェブログ]]サイトを作成。ここから、文化系ブロガーとしての特徴が明らかになっていく。また、[[土佐日記]]や[[女子十二楽坊資料館]]など、普通とはちょっと違ったブログツールの使い方をしたサイトの成功により、2003年末には「Blog of the Yeah! 2003」アーティクル部門3位に入賞した。
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この間、出版社への持ち込みにも成功し、ブログ関連のみならず、人文系の執筆などを広く手がけるようになった。
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女子十二楽坊に関しては、ファンサイトの成功によりオフィシャルから「公認」に近い形で認識されるようになり、取材等にボランティア的に協力した。
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2005年2月に「[[アルファブロガー]]」セカンドチームに選出されたが、本人はもともと選出されるとは思っていなかった。
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==肩書き==
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2006年9月、結核による長期入院から退院し、ウェブに復帰してから「[http://www.kotono8.com/2006/09/08kekkaku1.html 結核文士の治療記]」の連載を開始した。これ以来、肩書きとして「ライター」ではなく「'''文士'''」を用い始めた。自嘲的に「労咳三文文士」という表現も使う。
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2008年12月、単に「文士」といっても何をやっているかがわかりにくいため、「ものごとの起源や由来を探らずにはいられない人」という特徴をふまえ、「'''事物起源探究家'''」という肩書きを用いることにした。世間で言う「○○研究家」のたぐいはなべて自称であるから、この程度の自称は許されるであろう。
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このため、現在は「文士/事物起源探究家」というのが正式な肩書きとなる。英語では'''Hideaki Matsunaga, the Inkslinger and Alchologist'''としておく。
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==取得資格==
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* [[アロマテラピー]]インストラクター(社団法人[[日本アロマ環境協会]])
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* [[アロマテラピー]]アドバイザー(社団法人日本アロマ環境協会)
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* 2級カラーコーディネーター(東京商工会議所カラーコーディネーター検定)
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* 2級色彩コーディネーター(AFTファッションコーディネート色彩能力検定)
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* 初級システムアドミニストレータ
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* リフレクソロジスト
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* 日本語教師(420時間養成講座終了)
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==関連記事==
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*[[松永英明の著作物一覧]]
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*[[松永英明の好きな女性有名人]]
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*[[松永英明の好きな歴史上の人物]]
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{{プロフィール関係}}
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[[Category:人名|まつなか ひてあき]][[Category:松永英明|*]]

2011年9月23日 (金) 14:45時点における最新版

松永 英明(まつなが ひであき、1969年 - )は文筆業者としてのペンネーム。肩書きは「文士/事物起源探究家」である。『絵文録ことのは』を初めとする一連のブログ群を運営するブロガーでもある。

ブログをはじめとするウェブ関係、ジェームズ・アレンをはじめとする翻訳関係、その他音楽関係など幅広いジャンルにおいて執筆を行なっている。ブロガーとしては、文化圏をキーワードとしたウェブ社会の考察や独自レポートなどを得意とする。


プロフィール

1969年、奈良県生駒郡斑鳩町生まれ。京都大学文学部(文学科言語学専攻)中退、放送大学教養学部(社会と産業コース)卒業。現在は東京都西部(23区内)在住。

大学中退後、ライターとして歴史・ビジネス・健康法・自己啓発など幅広いジャンルで執筆活動を行なう。インタビューから調査研究、書籍企画プランニングなど執筆全般をこなす。初心者にもわかりやすい表現と、専門家の批評にも耐えうる正確な内容を両立させたいと常に考えている。

2003年秋に独立、「ことのは編集室」を立ち上げ、同時にウェブサイトを公開。「絵文録(ウェブログ)ことのは」「はじめてのウェブログ」「土佐日記ブログ」「女子十二楽坊資料館」など、公開したサイトはいずれも大きな注目を集めた。日本のブログ大賞「Blog of the Yeah! 2003」でベストアーティクル部門第3位を受賞。アルファブロガーの一人に数えられることもある。ブログ、ウィキにおいては、ものごとの起源や由来、一次情報に当たる方針を貫いているのが特徴である。

現在は「文士/事物起源探究家」として活動中。ウェブサイト構築・サイト運営アドバイスも行なう。また、中国系ポップス&ロックや芸能の分野にも関わる。アロマテラピーインストラクター、カラーコーディネーター等の資格も有する。

名前の由来

2003年9月よりライター名として使い始めたが、実際にこの名前を作ったのはさらに以前であった。

このペンネームは、松永弾正少弼久秀惟任日向守明智光秀に由来する。信長と聞くとなぜか殺意が湧くという不思議な思い入れにより、信長に反旗を翻した人物には親近感を有していた。特に久秀は出身地斑鳩の西にある信貴山城との縁が深く、また光秀は信長をついに倒したことから、思い入れが深い。そこで、名字は松永、名前は明智光秀から二文字を取って「秀明」とし(「秀」は松永久秀とも共通する)、さらに画数を整えるために「英」の字に変えたものであった。ちなみに、「英」の字はくさかんむりを6画と数えるため、合計11画となる。

なお、mixiではこれをもじってMAT-TUNとした(アイドルグループKAT-TUNをもじったものである)。ここから「まっつん」と呼ばれることもある。

したがって、松岡英明さんや徳永英明さんと似ているのは、単なる偶然である(そもそも両氏の音楽は聞いていない。聞いていたら、こんなに似た名前を使おうとは思わなかった)。

また、女子十二楽坊の全米デビューアルバムのジャケットのための曲説明を執筆したときには、Hideaki Firebard Matsunagaという署名となった。これは何かミドルネームをつけてほしいと言われたので、「熱狂する吟遊詩人」の意味で「FeverBard」と書いて提出したところ、どういうわけか「FireBird(火の鳥)」の間違いだと思われて修正されそうになっていた。そこで訂正を申し入れたところ、後半だけ修正されて「Firebard(燃える吟遊詩人)」になったのである。この名称を使ったのはこの一回だけである。

なお、「松永英明」はネットのための仮名「ハンドル(×ハンドルネーム)」ではなく、現実社会におけるライターとしてのペンネームをそのままネットでも利用しているものである。また、ゴーストライターの仕事をしたことはあるが、肩書きあるいは職業名としてゴーストライターと称したことはない。

ブロガーとしての経歴

2003年9月、独立したフリーのライターとして活動するにあたり、ウェブサイトにてセルフプロデュースすることとする。この際、サイト構築の手間を省くためのCMSツールに関心があり、Blosxom等各種ツールを比較検討した結果、Movable Typeを採用することとした。これがブログツールを導入したきっかけである。当時日本で流行りかけていたブログというものをやりたかったというのではなく、単にCMSツール(ブラウザ上からページを更新できるツール)として、ほしい機能が揃っていたことが採用のきっかけである。

そこでMovable Typeによるブログサイト「ウェブログ@ことのは」を開設した。当時、ブログの最大の話題はブログ改造についてという極めて技術寄りの人たちのためのツールであったが、ここでむしろ英米圏におけるブログ言論界(ブロゴスフィア)あるいはブログ上で表現されるコンテンツについての興味を持ってはじめてのウェブログサイトを作成。ここから、文化系ブロガーとしての特徴が明らかになっていく。また、土佐日記女子十二楽坊資料館など、普通とはちょっと違ったブログツールの使い方をしたサイトの成功により、2003年末には「Blog of the Yeah! 2003」アーティクル部門3位に入賞した。

この間、出版社への持ち込みにも成功し、ブログ関連のみならず、人文系の執筆などを広く手がけるようになった。

女子十二楽坊に関しては、ファンサイトの成功によりオフィシャルから「公認」に近い形で認識されるようになり、取材等にボランティア的に協力した。

2005年2月に「アルファブロガー」セカンドチームに選出されたが、本人はもともと選出されるとは思っていなかった。

肩書き

2006年9月、結核による長期入院から退院し、ウェブに復帰してから「結核文士の治療記」の連載を開始した。これ以来、肩書きとして「ライター」ではなく「文士」を用い始めた。自嘲的に「労咳三文文士」という表現も使う。

2008年12月、単に「文士」といっても何をやっているかがわかりにくいため、「ものごとの起源や由来を探らずにはいられない人」という特徴をふまえ、「事物起源探究家」という肩書きを用いることにした。世間で言う「○○研究家」のたぐいはなべて自称であるから、この程度の自称は許されるであろう。

このため、現在は「文士/事物起源探究家」というのが正式な肩書きとなる。英語ではHideaki Matsunaga, the Inkslinger and Alchologistとしておく。

取得資格

  • アロマテラピーインストラクター(社団法人日本アロマ環境協会
  • アロマテラピーアドバイザー(社団法人日本アロマ環境協会)
  • 2級カラーコーディネーター(東京商工会議所カラーコーディネーター検定)
  • 2級色彩コーディネーター(AFTファッションコーディネート色彩能力検定)
  • 初級システムアドミニストレータ
  • リフレクソロジスト
  • 日本語教師(420時間養成講座終了)

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