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痿陰隠逸伝 - 版の履歴
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松永英明: 新しいページ: '『'''痿陰隠逸伝'''(なえまらいんいつでん、痿陰隠逸傳)』は、平賀源内の著作。明和五年(1768)の作で、風来山人悟道軒の筆...'
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<p><b>新規ページ</b></p><div>『'''痿陰隠逸伝'''(なえまらいんいつでん、痿陰隠逸傳)』は、[[平賀源内]]の著作。明和五年(1768)の作で、風来山人悟道軒の筆名で出された。<br />
<br />
以下、松永英明による全文の現代語訳を掲載する。<br />
<br />
==痿陰隠逸伝自叙==<br />
<br />
童謡にいわく。「とてもするならおおきなことしやれ、奈良の大仏のけつしやれ」(どうせするなら大きなことをしやれ、奈良の大仏のケツを掘れ)。愉快な言葉だ。慷慨の士の中霊(マラ)を勃起させることができる。<br />
<br />
かの女媧が五色の石を煉って三百余りの等茎(はりかた:陰茎形の淫具)を補い<ref>女媧(じょか)は中国神話で人間を創造したともされる女神。天が傾き、世界が裂けて大雨が降り注いだとき、女媧は五色の石を煉って天をふさいだ。</ref>、漢の高祖は三尺の勢(マラ)をふるって四百数年の小戸を割る<ref>漢の高祖・劉邦は「自分は庶民の出身であったが、三尺の剣を持って天下を取った。これこそ天命である」と述べた。漢代は約400年続いた。</ref>がごときは、おおきなことをしたといえよう。<br />
<br />
しかし、時に前後があり、勢(マラ)に大小あり。ゆえにやらかすところは異なるかもしれないが、その志したがるところは一つなのである。<br />
<br />
ああ、わが勢(マラ)は逸群(=多くの人よりすぐれているモノ)だが、世にこれを容れる淫婦(スケヘイ)なければ、なんぼ口説いても「戸板にごろつく豆よ」の歌どおり。<br />
<br />
易にいわく、「括嚢。无咎无譽(袋をくくる=口を閉じるなら、咎もなく、誉れもない)」。<br />
<br />
「起」を得ても「施」(きまる=ハマる)ところがないならば、痿(くにゃくにゃ)のほうがずっといい。ゆえに「痿えた」というのである。<br />
<br />
明和五年三月 風来山人・悟道軒に題す<br />
<br />
(天竺浪人 印)(字余曰水虎 印)<br />
<br />
'''賛にいわく'''<br />
<br />
六寸ばかりの橛(きのきれ)、十丈の舌、万物の根をほり、虚空の(=むやみに)穴を説き、天下の晴をめつぶし、娑婆の埒を明らかにし、人の行き過ぎる(粋すぎる)のを晒し、世のあともどりを悲しむ。<br />
<br />
'''咦(わら)い'''<br />
<br />
閻浮のしかばねに配偶し、精・血を減らさず、一つの屁の声を聞き、奈落の滅するを悟る。無名禅師撰。<br />
<br />
==痿陰隠逸伝==<br />
<br />
天に日月があるように、人に両眼がある。地に松茸があるように、胯(また)に彼物がある。その父を屁といい、母を於奈良(おなら)という。鳴るのは陽であって、臭いのは陰である。陰陽はたがいにぶつかって、無の中に有を生じてこのものを産む。よって字(あざな)を「屁子(へのこ)」という。小さい子のを「指似(しじ)」といい、また「珍宝(ちんぽう)」と呼ぶ。形が備わってその名を「麻羅(まら)」と呼び、号を「天礼莵久(てれつく)」と称し、また「作蔵(さくぞう)」という異名がある。<br />
<br />
万葉集に「角の布具礼(つぬのふくれ)」と詠んだのも、もしかしたらこのものであろうか。漢では「勢(せい)」といい、また「(尸+求)」といい、「屌」<ref>屌。現代中国語の発音では「diǎo」。「男性生殖器」、形容詞「すごい」、動詞「性交する」などの意味がある。ちなみに「屄」(bī)は女性生殖器。</ref>といい、「陰茎」といい、「玉茎」といい、「肉具」と呼び、「中霊」となづけ、俗語では「雞巴」<ref>雞巴=鸡巴。現代中国語の発音では[jība]で「チーパ」に近い。</ref>といい、紅毛(おらんだ)では呂留(リョル)という。<br />
<br />
男である人ごとに、このものがないことはない。その形状は、大きなものあり、小さなものあり。長いものあり、短いものあり。あるいは円く、あるいは平たい。または豊下(もとふと)・頭がち、白勢(しろまら)あれば黒陰茎(くろまら)あり。木魔羅あれば麩筋勢(ふまら)あり。イボマラあれば半皮あり。空穂(うつぼ)あればスボケ(=包茎)あり。亀陵高(かりたか)あれば越前(=包茎)あり。上反あれば下反あり。その様子が同じでないことは、人の面が異なるようなものであるから、いちいち言い尽くすこともできない。<br />
<br />
そのわざに至ってもまた一様ではない。堯・舜・禹・湯王・文王・武王・周公・孔子・孟子の魔羅骨には詩書礼楽の教えを込め置く。釈尊は腎虚の火が高ぶっては天上天下唯我独尊と金箔の勢尿(まらくそ)を光らせる。ちはやぶる神代には魔羅の姿もただすなおなのをもととしたが、人の世になり下ると、魔羅の心おのずからかたくなとなって、川上梟帥(かわかみのたける)をはじめ、あずまえびすの謀反魔羅を日本武尊(やまとたけるのみこと)が剣でことごとく薙ぎ散らされてから、この剣は魔羅臭いといって「臭薙(くさなぎ)の宝剣」となづけて末世のムダマラのいましめとした。あるいは、平将門が関東に駄魔羅を起こせば、藤原純友は四国で手弄(あてがき<ref>「あてがき」は相手の女性を妄想して行なうオナニー。</ref>)をなした。阿部貞任・宗任、清原武衡・家衡の毛尻は源頼義・義家の長御<ref>長御=長馬場。ここでは長時間の騎馬合戦。</ref>にし殺された。前より交(しめ)たのを前九年といい、後接(うしろどり)を後三年という。<br />
<br />
保元・平治の合戦は、豆のからを燃やして己の陰茎(へのこ)で己の肛緺(かま)をほった。平家の奢りは至精(いんすい)の池をたたえ陰毛(つびけ)の林をなしたが、源範頼・義経の勢骨(まらぼね)に叩きつぶされた。頭の大きいことで有名な源頼朝の勢は北条政子の陰戸(ぼぼ)のわなにかかり、北条時政の術中に陥ってわずか三代も怒(おえ)とおすことができなかった。北条9代の大魔羅には三鱗(※北条氏の紋所)を生じたが、亢竜悔いあり、北条高時の下疳(伝染性潰瘍)となる。新田・足利の勢競(まらくらべ)も、楠木正成が湊川で割勢(らせつ)してから、後醍醐天皇はふんどしのしまりが悪く、南北両頭の勢(まら)に分かれた。足利十五代の長陰茎、信永(織田信長)・武智(明智光秀)の早勢(はやまら)がともに痿(しぼ)んでから、太閤(豊臣秀吉)の大勢(おおまら)自慢が朝鮮人の糞門(けつ)をほって進んだ。いきおいがある勢(まら)は痿(なえ)ることもすみやかである。そのほか、和・漢・蛮国、昔が今に至るまで、知恵のない無駄魔羅は数え切れない。<br />
<br />
ここに一つの魔羅がある<ref>ここから源内自身のこと。</ref>。その為勢(まらとなり)をたずねると、天離(あまさかる)夷(ひな=いなか)の毛深いところに育ち、筋骨すこぶる不骨(骨なし=陰茎)であって、白陰(しろまら)の手薄でもない。また、ものを覆い隠してぼんやりとさせる皮かつぎでもない。ことなきときは首を垂れて麩筋のごとく、ことあるに臨んでは強いこと金鉄のごとく、熱いこと火炎のごとし。目なくして見、耳なくして聞く。広いボボに入って迷わず、豚(しり)の狭いのも窮屈とせず。変化きわまりないのは、あたかも龍のごとしである。<br />
<br />
世の中の駄開(駄へき=駄女陰→駄益)はボボの数に入れない。常に国開(こくへき→国益)を思っていながら世間のために開(へき→招聘)されない。自ら管仲・楽毅の勢骨に比べる。千里の馬が(陰部で腹の)太鼓を打つほどであっても、世に伯楽(=名調教師)がいなければ、顔回・孔子の勢(まら)もボボに合わずとかいう。<br />
<br />
いにしえ志の高いヘノコは多く山林に痿えるというが、かの西行法師の「捨て果てて身はなきものと思へども、雪の降る日は寒くこそあれ」のように、「魔羅の怒(勃つ)日はしたくこそあれ」である。山林に痿えて、したいのをこらえるときは必ず淋病となって世を恨み<ref>当時、途中でやめると淋病になるという俗信があった。</ref>、遺精・妄想<ref>「遺精」は性交によらずに自然に射精が起こる現象。夢精などを含む。ここでの「妄想」は夢の中で交わって夢精すること。</ref>で布団をよごすことがある。<br />
<br />
であるから、大陰(→大隠=大隠者)は市中に痿え、あるいは医者として痿え、売卜として痿え、陶淵明は五斗米に痿え<ref>陶淵明は、「われ五斗米のために膝を屈して郷里の小人に向かう能わず」と言って官職を辞した。</ref>、東方朔は金馬門に痿える<ref>東方朔は「金馬門(宦官の詰め所)」にいる宮廷道化であったが、俗世を朝廷に避けているのだと主張し、「世を金馬門に避く」という言葉を残した。</ref>。功成り名遂げて、五湖に痿えるのは、前代未聞の范蠡の勢(まら)である<ref>越国の軍師・范蠡(はんれい)は、呉国を滅ぼすのに功績を挙げたが、「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」と言い、五湖に船を浮かべて斉国に逃れた。</ref>。等茎(はりかた)を帷幕の内にめぐらし、交接(とる)ことを千里の外にあらわし<ref>「謀(はかりごと)を帷幕の内にめぐらし、勝を千里の外に決する」(史記)。漢の名称・張良の言葉。</ref>、赤松子に托して痿える<ref>張良は晩年、仙人の赤松子に従って俗世間を離れることを望んだ。</ref>のは、古今独歩の張良の玉茎(まら)である。三度口説いても容れられず、世の陰蝨(つびしらみ=陰門のシラミ)をうるさがり、陰毛(まらのけ)を剃って痿えたのは、藤房卿のへのこである<ref>藤原藤房(万里小路藤房)は後醍醐天皇の側近。正二位・中納言まで進んだが、後醍醐天皇に数度諫言を行ない、ついに三十九歳で出家して岩倉に隠遁して行方不明となった。</ref>。その立つところはそれぞれ異なるといえども、痿えるところは皆同じである。<br />
<br />
「尺蠖の屈むは信(伸)びんが為なり」<ref>易経「尺蠖之屈以求信也」せきかくのくっするは、もってのびんことをもとむるなり。尺取り虫が身を曲げるのは、伸びようとするからである。将来の成功を期するためにしばらく忍耐すること。</ref>。智者のしたがるのは、よく痿えるためである。餓えた者は食をなしやすく、渇いた者は飲をなしやすい。世に交わるまじきを交わる者は、多くは欲(したき)をこらえる人たちである。そのしたいときに臨んで止めることができなければ、葭町・堺町(歌舞伎の若衆の陰間茶屋が多い)に走っては、何やら天皇の後胤である信濃源氏の嫡流(である自分)を、無惨なことに黄蜀葵根(ねりぎね=男色用の秘薬)とともに葛西(葛飾郡西部)の土民の手に渡し、吉原品川に遊んでは、落花心あれども流水情なく(一方に情があっても他方に通じない)、玉門(ぼぼ)を借りて手弄(せんずり)をかき、無念のむだ勢(まら)のあたまをはって、勃つまでは痿え、痿えるまでは勃ち、寝れば起き、起きれば寝、食うては糞して、快美(きをやっ)て、死ぬまでは活きる命、世をわがままの住み家と問えば、[牛比](ボボ=女陰)と[月屈](尻の穴)との領分境、会陰(ありのとわたり)の裏店に業勢(ごうまら)痿やして世をおくる。これをなづけて痿陰隠逸という。<br />
<br />
春もたち、また夏もたち、秋もたち、冬もたつ間になえるむだまら<br />
<br />
:志道軒門人<br />
:悟道軒誌<br />
<br />
痿陰隠逸伝 終わり<br />
<br />
==痿陰隠逸伝 跋==<br />
<br />
痿陰先生すでに「濃志古志山(のしこしやま)<ref>のしこし山:「のしこし」を草書で書くと、男根と陰嚢の図になる。</ref>」に隠れ、歎じていわく、衆人はみな勃起し、われ独り痿えた。不義にして開(ぼぼ)し、かつ穴(けつ)するは、われにおいて浮雲のごとし<ref>論語述而編「不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲のごとし」より。不義にて富貴を得ても、浮雲のように実のないことである。</ref>。われその勢(まら)を閲すれば、すなわち湯屋を見たより大なり、痿えたりといえども大陰(おおまら)というべし。それが痿えて麩のようであり、それが勃起して木のようにならないことは、惜しいことである。ああ、勢骨(まらぼね)が強く、亀稜(カリ)が高いのも、開(ぼぼ)と穴(けつ)とに逢わざれば、すなわちいたずらに一本の手弄(せんずり)を搔くのみ。それが勃起するよりはむしろ痿えるほうがよい。痿陰(なえまら)の時義(ときにかなうこと)大なるかな。唐の唐人いわく、「孔子も時に逢わず」。予・痿陰先生においてもまたそう言う。<br />
<br />
皇和明和戊子(明和五年=1768年)春二月 後学・陳勃姑(ちんぼっこ)、勢臭齋(まらくさい)に書す。<br />
<br />
==注釈==<br />
<references /><br />
<br />
===橋本治による紹介===<br />
<br />
*ほぼ日刊イトイ新聞 - 橋本治と話す平賀源内。<br />
** [http://www.1101.com/hashimoto/2004-03-12.html 第6回 私は勃たない、という大思想(前編)]<br />
** [http://www.1101.com/hashimoto/2004-03-16.html 第7回 私は勃たない、という大思想(後編)]<br />
<br />
===参考文献===<br />
* [http://amazon.co.jp/o/ASIN/B000J99Y04/kotonoha0b-22/ref=nosim 秘籍江戸文学選〈2〉痿陰隠逸伝・長枕褥合戦 (1974年)]<br />
<br />
[[category:江戸の文章|なえまらいんいつてん]][[category:平賀源内|なえまらいんいつてん]][[category:読み物|なえまらいんいつてん]]</div>
松永英明