ヤン・リーウェイ物語(その2)

 無事地球に生還したヤン・リーウェイ物語第2回は、宇宙訓練の話です。ところで、この中に宇宙飛行士選抜・訓練が「上天的階梯」と書かれており、まじめに訳せば「天へ昇る階段」なんですが、レッド・ツェッペリンを意識して「天国への階段」と訳してみました。BGMはStairway to Heavenってことで一つよろしく。
 あと文中の「過五関斬六将」(五つの関で六人の敵将を斬った)は三国志演義で関羽が曹操のもとから劉備のところへ帰ってきたときの故事に由来しています。
 なお、次回、第三回は家族の話になります。

2003年10月17日01:36| 記事内容分類:中国時事ネタ, 天文学・地学| by 松永英明
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(二) 宇宙飛行士は、「天国への階段」と呼ばれる選抜と訓練を受ける。この階段にある非常に多くの段は、飛び越えることができず、一段一段じっくりと登らなければならない。この職業の決まりはそうなっているのだ。

 1961年4月12日、ソ連人ガガーリンは東方ヴォストーク1号宇宙船に乗って、人類初の宇宙飛行を成功させた。それ以後、人類は宇宙探索の歩みを速めた。ソ連の有人飛行船の計画は、1957年10月に初の人工衛星発射が決まった後に決定的となった。宇宙飛行士選抜準備の際、宇宙空間飛行では人体組織に、加速度・振動・騒音・無重力状態・長時間の隔離・総体的な筋力減退・昼夜リズム破壊などの不利な要素の影響を受けることになる、ということはすでにわかっていた。このため、1959年から開始された第一次宇宙飛行士選抜では、非常に厳格なものが要求された。当時、空軍から3000人余りから数段階の選抜が進み、最後に1960年3月に20名を採用して宇宙飛行訓練を行なった。1961年4月に至って、ようやくその中から6名の宇宙飛行士が選出された。ガガーリンはその中の一人で、当時の選抜状況をこのように語っている。
「健康状態の検査以外に、医者たちは一人の身体検査ごとに、潜在的な欠陥がないか、典型的な宇宙飛行の状況に耐えうる力が低くないか、このような要因が作用したときの反応の進み具合などを調べた。彼らは助けを借りて、すべてのありえる生化学的・生理的・脳波的・心理的方法と、特別な能力試験で検査を進めた。空気圧が様々な希薄さに置かれた船内で我々を検査し、遠心分離機で我々を振り回した。すべて終えるには何時間もかかり、多くの仲間が淘汰された」
 ガガーリンと同時に、アレクセイ・レオーノフも「天国への階段」と呼ばれる選抜訓練に残った。もう一人の仲間のワレリー・パイコフスキは「これは短い階段ではありませんでした」といっている。彼らの言葉は間違いではない。この階段にある非常に多くの段は、飛び越えることができず、一段一段じっくりと登らなければならない。この職業の決まりはそうなっているのだ。

 中国の宇宙飛行士の選抜も「過五関斬六将」が必要で、一つ一つの段を上っていかなければならなかった。医学臨床検査は、人体に対して数十の大小器官を逐一検査する必要がある。宇宙飛行生理効能検査はさらに苛酷で、遠心分離機上で高速で回転させられ、被験者は前後・上下の各種の重力への耐久力を調べられる。定圧試験で被験者は5000メートル、一万メートルの上空まで上昇し、低気圧に耐える能力を調べられる。回転椅子とブランコの上で、被験者は前庭の能力の検査を受ける。下半身にかかる圧力などの各種耐久力が調べられる。数カ月の後、千数名申請者はほとんど残っていなかった。楊利偉は最も幸運で、また最も優秀だった。彼の臨床医学と宇宙飛行生理能力の各項目検査の指標はすべて優秀であり、選抜委員会のすべての専門家も納得し、中国第一の宇宙飛行士となった。

 1998年1月、この中国空軍で最も優秀な天の寵児は、期待を一身に背負って北京宇宙飛行士訓練センター(北京航天員訓練中心)に到着した。厳冬期には北京の気候は特別に寒かったが、この南方から来た飛行士の心の中は熱く燃えていた。人類はガガーリン以後、すでに数百名の宇宙飛行士が各種の宇宙船で宇宙を旅していた。そしてこの人類の壮挙は、満身創痍の旧中国では実現できず、この新中国改革開放前期でもやはり実現は難しかった。有人宇宙船は人類共通のあこがれで、共通の事業である。中国では、それは国家の総合国力が強大になった繁栄期でないと実現できない。楊利偉がやってきて、わが国の有人宇宙飛行の工程のロケットシステム、飛行システム、観測システムを実際に見学し、宇宙飛行士の職業の理解のために専門家の授業を聴き、一種の神秘感と崇敬な感情がゆっくりとみちてきた……彼はゆっくりとわかってきた。かつてのガガーリンと、今の中国宇宙飛行士の背景には、非常に多くの無名の英雄たちが黙々と貢献しており、世界の宇宙飛行の歴史は永遠に彼らの名前を刻み込むべきだ。まさにこの千軍万馬が中国の神舟を手に入れたのだ!

 数十年間の奮戦の中で、中国は自前の原子爆弾・水爆・人工衛星を有し、「両弾一星」精神を形成しており、中国宇宙飛行が永遠に前進する不滅の動力となっていた! そうだ、中国古代には嫦娥が月へ飛んでいくことを夢想し、数千年来、多くの文化人が不朽の感動的な詩篇を書き、多くの名匠がこの夢想を彩色絵画・彫刻へと変えてきた。明代に至って、ある人が詩を詠んだり絵を描いたりするだけでは満足できずに、自己の聡明な才知と驚異的な大胆さによって、火薬を使ったロケットを自作して数十メートル飛ばし、称賛・感動に値する夢のような壮挙を一つの曲として作曲した。一つの夢に何年も費やし、一つの思いが何年もつきまとう。今、民族の飛天夢想はまさに現実のものとなり、楊利偉はこのことを誇りに思い、感動せずにはいられないだろう。

 宇宙飛行士の職業は崇高であるが、艱苦でもある。この天国への階段の上で、すべての難関が常に面前にある。楊利偉には、人類にとって宇宙はいつも非常に不思議で美しいものだとわかっていた。まさに「中国宇宙飛行士の歌」で歌われているとおりだ。
「きらめく銀河は足下にあり 無数の星に導かれ
 流星雨は飄々と舞い 広大な宇宙は私のために歌う」
 ただし、この神秘と美しさの背後には、地球が人類に与えてくれた重力・酸素・空気圧・水などの生存に必須条件の恩恵が備わっていないという条件がある。宇宙船が宇宙を飛ぶとき、宇宙飛行士は密閉された狭い環境の中で、超重力・無重力が相互に入れ替わる過程を経験する。この次々と重なる障害を克服して、飛行船は必ず人が生存できない条件を除去しなければならず、宇宙飛行士は基礎理論・宇宙飛行専門技術・宇宙飛行環境適応・任務遂行・人命救助・心理・体質などの専門訓練を進めなければならない。国家が一人の優秀な宇宙飛行士を育てるには、およそ3~4年の周期を要する。この天国への階段はあまりにも長く、あまりにも遠く、それがまさに楊利偉の面前にずらりとならんでいた。

 人は地球の生活で、地球の重力に慣れている。宇宙飛行士の超重訓練は極限への挑戦であり、負荷に耐える能力を培うものであり、順調に有人飛行の宇宙飛行生理効能訓練を完成させていく。人類は地球で生きているが、その重量は地球の引力に由来する。重力の束縛を克服するのに最も簡単な方法は、物体に対して自身の重量をかけ、その方向を外力と反対側に向けることだ。第一宇宙速度に到達するには、7.19km/秒かかる。この加速プロセスの中で、重力条件は発生しては変化し、この新しい重力状態と地球表面で静止しているときの重力状態の比率は、Gを用いて表示することができる。G=1のときが標準重力状態であり、G>1のときは超重、G<1のときは低重状態である。航空・航天飛行中には、超重問題に遭遇する。戦闘機の急速上昇・降下のとき、超重Gは大きいが時間は短く、数秒程度である。宇宙船が軌道に乗る前の上昇段階と軌道飛行達成後に地球に帰ってくるとき、進行加速度は重力加速度の何倍にもなるため、その超重の値は非常に高いG値となる。戦闘機がいくら高い(4~5Gを上まわらない)といっても持続時間は長くて7~10分くらいである。宇宙船が弾道式軌道で地球に帰ってくるとき、超重の値は十数Gに至り、自分の重量の十数倍の圧力を受けることになる。呼吸は非常に困難または停止し、意識は失われ、目の前が真っ暗になって、宇宙飛行士の生命にも直接関わりかねないのである。

 遠心分離機訓練は、宇宙飛行士が超重への抵抗力を培うのに最も有効な形式だ。高速で回転する遠心分離機上で作り出せるG級の超重感覚は、上昇・下降するときの感覚とは違っている。遊園地のジェットコースターなどの娯楽装置でも、多くの人々が怖れ、乗ることができない。勇敢な人でも、閉じこめられて下りてくると、東西南北がわからくなってしまう。人によっては顔面蒼白となり、めまいや吐き気を感じる。しかし、娯楽装置はせいぜい2Gくらいの超重でしかない。宇宙飛行士の遠心分離機訓練は8Gの重力を受けるのだ! 広大な装置内で、彼は8mほどの長さの鉄の腕に挟まれた円筒内に座り、時速100鴨の高速回転中、腹筋を緊張させて腹式呼吸などの負荷のかかる動作にも耐える訓練を行なう。さらに質問にも答え、信号を判読し、敏捷な判断・反応能力を保たなければならない。8Gの負荷を受けて回転中、彼の顔の筋肉は下に垂れ始め、筋肉は垂れ、前額は盛り上がる。頭の方向への超重では、血圧は下肢に向かい、頭の血がなくなって気絶する。前後に向けての超重では、胸や背が何百斤もの重さの巨石に押されたようになり、動悸が速まり、呼吸困難となる。一回訓練すると、楊利偉はすさまじく体力消耗してしまう。

 楊利偉は聡明な人で、教員が講義した負荷に耐える方法は実践の中で体得するしかないとわかっている。そのため、毎回の訓練で彼は意識的に体験した方法によって練習するように訓練し、教員に報告して、経験を総括し、負荷に抵抗する頻度と度合いを把握し、ゆっくりと方法を磨いていって8G以上の訓練に到達した。こうして極限的な訓練に挑戦し、苛酷な訓練に耐えるようになり、仲間たちの中でも負荷に耐える成績では抜きんでるようになった。模擬宇宙船での訓練中、楊利偉は同様に行なった。模擬宇宙船は宇宙船内の環境をそのまま再現し、宇宙飛行士が宇宙飛行プログラムと操作訓練を行なう最重要な宇宙飛行専門技術訓練場所となっている。ここでの一分は外での十年の訓練に値するといわれている。宇宙飛行船は発射・上昇して十分に軌道に入り、再び地球に帰ってくるまで、数十時間から数百時間かかる。飛行プログラムの指令は数千の操作で数十個の動作がある。船内の表示板には赤紫の指示灯がびっしりと埋まっており、各種のラインが縦横に交差し、各種の設備品が広く分布している。それらを熟知して掌握し、各種の操作を進めて呼称を除くことができるようには、ただ模擬宇宙船の中で繰り返し練習するしかない。

 毎回の訓練で、楊利偉の目はいつも見開き、各項検査はすべて詳細であり、すべての動作は慣れたものとなった。そのまじめさ、熟練した技術は、メンバーの称賛を勝ち取ることとなった。最終段階の専門技術考査の中で、教員は非常に多くの故障を設けておいたが、彼はすばやくそれを発見し、取り除いた。毎回の試験が終わった後、教員が操作ミスなどの問題があるかと尋ねると、彼は自信を持って答えるのだった。「どんなミスもありません!」と。第五次正常飛行試験で最初に飛んだとき、彼は二回は99点、3回は100点の好成績を収めた。専門技術総合評価ではトップとなり、わが国の有人宇宙船の第一の宇宙飛行士となったのである。

第三回に続く。

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2003年10月17日01:36| 記事内容分類:中国時事ネタ, 天文学・地学| by 松永英明
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