ヤン・リーウェイ物語(その3)

中国初の宇宙飛行士の物語、第3回(完結)です。

2003年10月19日17:11| 記事内容分類:中国時事ネタ, 天文学・地学| by 松永英明
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(三) 楊利偉は敬慕される宇宙飛行士である。彼は普通に、両親・妻・息子の幸せで円満な生活を送っている。しかし、特殊でもあって、中国人の宇宙に挑戦する壮大な志と飛天の夢想を有していた。宇宙飛行士として、その仕事と訓練は非常に困難で緊張を伴うものであり、宇宙飛行の基礎知識・専門技能・体力向上を進めるだけでなく、飛行などの一般的な訓練も行ない続けねばならず、空間の特殊な条件下での耐久力と適応力、宇宙飛行技能、生存救出などの特殊訓練も欠かさずに進めなければならない。有人宇宙飛行に関する知識を身につけていくため、楊利偉は毎日寝る前に毎日学習していた。あるとき、外国語の試験を受ける必要があったが、宇宙飛行士のマンションに帰ることができなかった。夜、妻の張玉梅に電話をして、英単語の質問をしてもらうように頼んだ。1度、また一度、繰り返し繰り返し、電話の中で深夜まで復習し、二日目には外国語の基礎がやや弱い彼も100分の試験に意外にも通った。

200310150553_329425.jpg 宇宙飛行士の特別な耐久力訓練は非常に苦しい。特に遠心分離機・回転椅子低位などの訓練は、我々常任であれば普通は耐えることもできない。しかし、ここ数年の彼の訓練成績は常に非常に優秀だった。あるとき、妻が家に帰ると、夫は一人で客間の中でグルグル回転していた。非常に驚いて「あなた、何やってるの?」と尋ねると、「ここ二日間、我々は回転椅子訓練の試験を受けていたんで、まず自分を刺激してみてるんだ」と答えたのである。宇宙飛行士の訓練に対しては非常に苛酷なものが要求される、と専門家の裴静琛は語る。「楊利偉の回転椅子訓練での成績は最も素晴らしかった。彼は私の最も自慢とする学生だ」。楊利偉はいつでもどこでも宇宙飛行士としての専門訓練の努力とまじめさを示した。たとえば、「頭を下げる」訓練では、楊利偉は数日前から寝るときには枕を使わず、小さくたたんだタオルだけを頭に敷いていた。有人宇宙飛行事業に対する彼の熱意はいかほどであったか!

 張玉梅は楊利偉と同郷で、楊利偉と知り合う前から彼を知っていた。当時、楊利偉は空軍のパイロットに選ばれたため、遼寧省の綏中県の大ニュースとなり、楊利偉一族は大いに祝った。楊利偉は綏中県誌に載り、全県の有名人になった。張玉梅は、県誌で彼を知ったのである。もともと、二人とも県内の同じ中学を卒業していた。張玉梅と飛行は縁がある。県内に空港があって、お姉さんの姉婿がそこで働いており、飛行機の轟音とは縁が深くなっていった。空軍飛行士について、尊敬するばかりで、この職業のリスクを気にはしなかった。張玉梅は中学教師で、しとやかで文弱だ。彼らは気が合って理に適っているようだが、大多数の家庭のように波瀾があるわけではない。結婚後、張玉梅は夫婦仲がよかった。数年間、楊利偉の部隊は西北部から中国西南部に至るいくつかの地方を転々とし、生活環境と生活条件がどんなに悪くなっても、張玉梅は少しも不平をこぼしたことがなかった。

 飛行と生活が分けられなくなったとき、彼女はようやく、パイロットという職業の派手さの後ろに危険があることを意識するようになった。ゆっくりと、彼女も半ば気象予報士のようになり、天気を見て飛行ができるかどうか判断できるようになってきた。耳は鋭くなり、空中の情報を捉えることができるようになった。天上の飛行機の轟音は、最も心を惹きつける音楽となった。張玉梅は、楊利偉は幸福な武将であるという。どの部隊にあっても事故を起こしたことがない。楊利偉は仕事では猛将でもあって、家庭にはほとんどエネルギーを注がない。張玉梅はすべての家事を引き受け、息子が生まれるときでも夫の仕事を遅らせるようなことはなかった。優しく、徳のある張玉梅の目から見れば、楊利偉が家事の内容についてケチをつけないことも夫の長所の一つだという。実のところ、楊利偉が妻の苦労を知らないなどということはない。家に帰れば、苦労し、疲れていても、家族との楽しい時間を過ごすことができる。一家3人は和気藹々と過ごすのだ……。

 2001年7月、楊利偉の妻の張玉梅は病気で入院し、腎臓検査・手術をした。張玉梅はこう言う。「私が手術室に行くとき、楊利偉が私をかつてないほど心配してくれている目つきだったのを見て、ずいぶん勇気づけられました」。手術後、張玉梅の身体は非常に虚弱となり、24時間安静にベッドの上に横たわって動けなかった。どうしても元気が出ないと言ったときには、夫は根気よく妻を世話した。一方の手で妻の腕をなで、一方の手で足を支えて、病床の椅子で一晩中妻に付き添った。朝、宇宙飛行士のマンションに帰って宇宙飛行士訓練に参加する前のちょっとした健康診断の時、体重を量ると、一晩で体重が減って3斤ちょうどになっていた。妻の張玉梅が手術し、入院するとき、楊利偉は妻子と別れて吉林空軍基地に行き、宇宙飛行士の高空飛行訓練を行なっていた。このとき、妻は病床でも不安で落ち着かず、病院の腎臓検査の報告を待つしかできなかった。一週間後、報告が出てきたときには、妻の張玉梅の目に涙を浮かべさせ、大いに心配を抱かせるような報告だった。その晩、彼女は眠れず、多難な運命を嘆いて過ごした。また、自分の背負った責任の重さを深く実感した。そのときには、とにかく頑張らなければならない、とだけ考えたという。他の人とは違って、決して病状を楊利偉に伝えることができない。そうすれば宇宙飛行士飛行訓練に影響するからだ。退院後、医者は張玉梅に10日間、果糖二磷ナトリウム片(普洛欣)治療を行なわなければならないと告げた。このような苦労は1年半も続いた。楊利偉が病院の診察に付き添っていこうというと、いつも彼女は断わった。他の人が「なぜあなたのご主人は診察に付き添ってくれないの」と尋ねても、「あまりにも忙しいから」としか言えなかった……張玉梅はこう言う。「手術後、楊利偉はますます気を配ってくれましたし、思いやりも強かったのです。週末、家に帰ると、彼は奪うように家事をやってくれました。天候が少し変わると、電話をかけて服を重ね着するように伝えてきます。気分がよくないときには根気よく慰めてくれて、気にするな、自身を持て、しっかりしろ、病魔と闘え、と言ってくれるのです」

 張玉梅は息子を非常にかわいがっており、家の中のすばらしいものはすべて息子にあげてしまう。それでも息子の心の中では、お父さんの地位はお母さんより遙かに上だ。今年の「SARS」以前、先生が生徒にお父さんかお母さんの作文を書くようにと言った。そのとき小学校2年生だった彼は、お父さんを書くと言った。子供はお父さんが空軍パイロットだったときに戦闘機の横に立っている写真のことをテーマに、「お父さんのりっぱなすがた」という作文を書いた。作文ではこんなふうに書いている。
「お母さんはびょうきになって体がよくないけれど、ぼくのめんどうをみなければいけません。お父さんのしごとはあまりにいそがしいので、ぼくは一しゅうかんに一回も会えませんが、ぼくはお父さんのこのしゃしんをもっています。このしゃしんは、お父さんが国のうちゅうじぎょうのためにはたらいて、たいへんなくんれんをしているりっぱなすがたで、ぼくはこれがじまんです。お父さんは毎日すごくたいへんなくんれんをしていて、どんなにたいへんなことがあってものりこえます。ぼくはおとうさんみたいにどんなくろうものりこえられるわけではありません。お父さんのことを思うと、ぼくはうれしく思います……」
 この作文は北京市中関村小学校『作文導報』五月一日号に掲載され、18元の原稿料を得た。クラスの担任の先生は喜んで伝え、このお金を使ってお父さんのための贈り物を買わせ、また、先生と友達に、贈り物として何を買ったか報告させることにした。学校から家に帰ると、楊利偉は、子供が18元の原稿料をもらって笑いが止まらないのを見て、感動して言った。
「わが揚家で初めて原稿料をもらったのが8歳の子供だとは思わなかったよ」
 その次の日、チビ君はお父さんのために何を買ったらいいのかわからなかったので、お母さんは息子に笑いながらヒントを与えた。
「あなたのお父さんはよく果物を食べるわね」
 それで子供はハッとして気づいた。
「ああ、お父さんはよくスイカを食べるね!」
 子供は計算し、18元を使って、お母さんと一緒に三つの大きなスイカを買った。それから学校に行ったとき、先生はお父さんに何を買ったのかを尋ね、子供は喜んで言った。
「ぼくはお父さんに大きなスイカを3つ買いました」
 先生や同級生たちは笑い、どうしてそれを買ったのかを尋ねた。
「ぼくのお父さんは毎日すごく大変なくんれんをしているから、すごく汗を流すんだ。それでのどがかわくから、ぼくはスイカを買ったんだよ」
 子供の幼い頭の中では父親の仕事はよくわかっていないが、それが非常に光栄なもので、苦しいものだということを知っているのである。

 楊利偉は実家では長男で、18歳から部隊に入った後、家のことは考えていられなかった。現在、両親は年をとったが、いつも気にかけている。最近、年をとった母が腰を痛め、ベッドの上に横たわって動けなくなったので、楊利偉は非常に焦り、北京まで治療に来るよう誘った。年配の母親は、「あなたは毎日働いていて忙しいのに、私が行って面倒をかけるわけにはいかない。この古い家で治すよ」といったのだが、楊利偉は安心せず、数日おきに電話をかけて病状を聴き、体調が好転してようやく安心したのだった。
 張玉梅の父は2002年に前立腺癌と診断されたが、楊利偉は妻にそれを言う勇気がなく、ずっとごまかしてきた。妻は、楊利偉が実家に電話をかけることが増えたことに気づいたが、特に何とも思わなかった。正月前、楊利偉が「今年は君の実家に帰省して新年を祝おう」といったので、妻はそれを聞いてうれしく思った。ところが、実家に帰ってみると、父親がげっそり痩せ、やつれていることに気づいた。そこですべてがわかった。そして、夫の苦労にも気づいた。実のところ、楊利偉は妻に、実父と会わせてやろうと考えたのだった。岳父が病気になったが、妻が傷心するのを怖れ、妻の代わりに病気が治るように電話していたのである。老いた岳父は一生節約して過ごしてきたため、楊利偉は治療費をけちって治療しないことを怖れて、ひたすら岳父宅にお金を郵送し、そうしてようやく新年を元気に祝うことができたのである。2003年1月5日、老人は娘と娘婿に惜しまれながら、この世を去った……。

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