書きたいことを「あえて書かない」エディター思考

 このブログの元旦の記事では「ライター」と「エディター」のことについて書いたが、年末年始にかけて、ウェブログ方面でこれと関係する記事が出ている。
ブロガーの壁と多面性の崩壊、および魔法の数字150について(Joi Ito's Web - JP)December 23, 2003
Bloggerの壁(ARTIFACT -人工事実-)2004/01/06
書きたいこと、書けること(天国と地獄)2004.01.06

 エディター的には「書きたいことをすべて書く(書ける)わけではない」という思考回路が働く。その点については、上記記事はすべて共通しているといえよう。ただ、それを否定的に表現するか、肯定的に表現するかという点で少しずつニュアンスが違っているように思う。
 私自身は「書きたいことを100%は書かない。そのことによって、伝えたいことをもっとよく伝えることができる」と肯定的に(あるいは能天気に)とらえている。

2004年1月 7日02:28| 記事内容分類:執筆・書き方・文章, 編集・出版| by 松永英明
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 それでは、それぞれに記事についてコメントして、それから自分の立場を詳しく書いてみよう。

ブロガーの壁と多面性の崩壊、および魔法の数字150について(Joi Ito's Web - JP)December 23, 2003
 読者数が増えてくるとそれにつれてブロガーが書く内容も変わってくる、という話。つまり、個人的な話から、もっと「薄い」(=一般向けの)話題にシフトせざるを得ず、その結果、なかなか書きたいことが書けないという「ブロガーの壁」にぶつかる、というのだ。
 これは「読者対象が広がるにつれて、単なるライターからエディターへとシフトしなければならない」ということだと考えられる。放っておいても自分を好意的に理解しようとしてくれる読者たち、あるいは自分の立場をわかって読んでくれる人たちばかりではなく、バックグラウンドを知らない一見さんにも情報を伝えなければならなくなる。その場合、伝える内容を「練り込む」作業がどうしても必要だ。
 同人誌的なきままな執筆者から、商業本執筆者レベルへの移行、ともいえるだろう。

Bloggerの壁(ARTIFACT -人工事実-)2004/01/06

もともと、出版物でコラムを書く時には、いろいろなことを丸めて書いたりして、30%ぐらいになっていて、ネットだとそれがもうちょっと緩くなって50%ぐらいになっているという感覚。
 現実に「編集者」の経歴を持つ加野瀬さんはこんなふうに書いている。書きたいことの半分くらいしかネットに出していないが、それも出版物での自己制約よりはゆるい、という。

書きたいこと、書けること(天国と地獄)2004.01.06
 ライター&エディターという点で私とまったくの同業(ただし執筆ジャンルは違う)の津田さんは、要領よくまとめてくれている。

ネットサーフィンしてると当然「これは、作者が脊髄反射的に好きなことを書き散らかしてるんだな」というページが見つかるわけだけど、そういうページは得てしてつまらない。理由は簡単。そのページには「ライター」しか存在せず「エディター」が存在しないからだ。

 そんな津田さんは、仕事は自分の書きたいことを書けるものを選んでいたりするので10%~70%の振れ幅、「音楽配信メモ」サイトでは逆に20%~30%くらいという。「書けないことを知りすぎてしまった」からだそうだ。そして、サイトでは基本的にライターとして書き、アクセスが見込まれる記事ではエディター的観点を加えるのだという。

 では、ことのは編集室松永の場合はどうか。まず、自分のライターとしての経歴の大半を「ゴーストライター」が占める(ゴーストライターという仕事については、以前にはてなダイアリーの方で少し書いたが、それはライター的草稿なので、こちらに編集してまとめなおした記事を将来的に掲載するつもりである)。
 ゴーストライターとは、“著者”の先生の言いたいことを代筆する仕事、といえる。したがって「自分の書きたいこと」が混入してはならないのだ。つまり「自由度0%」。著者の意向を表わし、あるいは出版社の意向を表現する。そこに「書きたいこと」はない。
 ただ、それは嫌な仕事というわけではなかった。自分のまったく知らなかった分野についての知識も得られるし、また「相手に求められたとおりの文章を、相手の期待以上の品質でまとめる」という職人芸を身につけさせてもらったと思っているからだ。それは、「親会社から要請されたニーズにぴたりと合致する製品を作る」という製造業の人の立場に近いともいえるだろう。
 ライターと言うよりは、文章加工職人といったほうがいいかもしれない。そして、その中でエディター的感覚も培われてきたと思う。「この“著者”の先生が言いたいことを、どうすれば最も正確に、わかりやすく伝えることができるのだろうか」という思考回路が常に働いたからだ。

 最近になってもう少し仕事の幅も膨らんできた。だが、どうもゴーストライター的な性分は抜けないようで、この間の新選組本も自己主張の場ではなかったし、今やっているのも翻訳物である(そうでない独創的な仕事ももちろんお受けいたします)。

 サイトではもちろん、自分の好きなことを書いている。だが、やはり「書かないことによって効果を高める」部分がかなりある。
 例えば、女子十二楽坊サイトも、今や「常連さんや一見さんたちにどんなふうに楽しんでもらうか」ということが一番で、自分がどのメンバーが気に入っているとかいう話はあえてしない。むしろ、どのメンバーを気に入っている人たちも、あるいは最近知ったばかりという人も、日本人も中国人も、みんな気持ちよく情報交換できるようにサイトを運営することそのものが楽しいのである。遊び場を提供する楽しさだ。そこで自己主張をはじめたら、しらけてしまうだろう。

 「はじめてのウェブログ」も、「初心者にわかってもらえるような資料を発掘して提供すること」そのものが楽しい。だから、難しいことは「書けない」のだが、それはつらいことではなく、むしろ私自身の楽しみを支えているのである。
 もちろん、自分自身にとってもそういうサイトの情報は有益だ。みんなが楽しめる場所を作る楽しさ。これが「ことのは」サイト運営の背後にある。
 どうも私は裏方が性にあっているようだ(その割には派手だけどな)。

 内心を吐露することを重視するのがライター、情報をコントロールすることに楽しみを見出すのがエディター的感性といえようか。
 というように分類するなら、私自身はおそらく、エディターに限りなく近いように思う。



 最後にJOI氏の話題に絡めて補足しておくと、ものを書く際には「読者対象」という言葉が常について回る。誰に対して書くのか。相手はその話題について詳しいのか、まるで知らないのか。年齢は、性別は、職業は、趣味は……。広い層を相手にするのか、限られた人を相手に書くのか。それによって、書く内容は完全に変わってくる。ということは、「書きたいことを100%そのまま書いてよい(あるいは書きたくないことをまったく書かなくてよい)」というのは、「自分が読者対象」という場合だけではないだろうか。

 自分が書こうとしているテーマについて熟知している相手(それは身近な知人かもしれないし、趣味が非常に近い人たちかもしれない)に対しては、かなり書きたいことが書けるだろう。だが、不特定多数の人を相手にすればするほど、理解してもらうために、あるいは誤解されないために、書く内容や書き方を工夫する必要が出てくる。知っていることを書かない方がいいこともある。
 それは、決してマイナスととらえる必要はないのではないか、と、能天気な私は思うのだ。

(でも、これって実は、「人が悪い」というのかもしれないね。もっとも、本音の場としてはてなダイアリーの方を用意してあるからバランスがとれているのかな)



追記。1/8/14:30
 エディターには「自分のためならわざわざ書かない」ことを「背景を知らない読者のためにわざわざ説明する」という要素もあると思います。その分、本題に入るのが遅れたり、本題をあきらめたりすることもあるわけですが。

 逆に、読者層を広げないようにしたいと考えてあえて「わかる人にしかわからない書き方」をするという人がいますが、目的が読者を増やさないということならば非常に正しい努力でしょう。

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2004年1月 7日02:28| 記事内容分類:執筆・書き方・文章, 編集・出版| by 松永英明
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コメント(1)

>読者層を広げないようにしたいと考えてあえて「わかる人にしかわからない書き方」をするという人がいますが、目的が読者を増やさないということならば非常に正しい努力でしょう。
オレがまさしくソレだったのですが、なんだかここ数日は事情が違うようで(笑
皮肉な世の中ですわ。

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