「のそれ」不要論――日本の文法と英語のそれ

 ここしばらく「私の使えない日本語」シリーズになっている節があるが、今回も決して使いたくないと感じる表現を取り上げる。それは「○○のそれ」という表現だ。googleで検索して無作為に例を挙げると、

「米のたんぱく質の栄養価は大豆のそれとほぼ同程度?」
「最近の食材(特に野菜)は昔のそれとはずいぶん違ったものになっているそうです」
「口座開設申込用紙の筆跡が家族・親族名義の口座のそれと同一であるとみなされる場合」
「天皇制に関する諸制度、たとえば大嘗祭や皇位継承の手続きにも、騎馬民族のそれと類似点が見られる」
「「競技」としてのフットボールと、「ビジネス」としてのそれとのバランスの問題」

といった例がある。特に二つのものを比較するとき、同じ言葉を繰り返さないようにしようとして「○○のそれ」という表現を使っているようなのだが、これは極めて英語的表現で、もともと代名詞を使わない日本語としてはどうも落ち着かない。

2004年5月30日09:47| 記事内容分類:言葉| by 松永英明
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 どうすればいいか、といえば、解決法は主に3つあると思う。
1)「のそれ」を単純に削除する
2)具体的に「それ」を繰り返して表現する
3)「○○の場合」「○○のもの」などと置き換える

「米のタンパク質の栄養価は大豆のそれとほぼ同程度?」
という例でいえば、「大豆のそれ」とは「大豆のタンパク質の栄養価」を指しているわけである。そして、英語では等価なものを比較する必要もあるし、代名詞を使うのはごく当たり前だ。しかし、日本語では省略できるし、代名詞そのものがもともと日本的ではない。

 したがって、この例は「米のタンパク質の栄養価は、大豆とほぼ同程度?」でまったく問題ない。むしろ、これが日本語である。
 この例の場合は「それ」の指す部分が長いので、(2)のパターンは使いづらい。「米のタンパク質の栄養価は、大豆のタンパク質の栄養価と同程度?」では長すぎるだろうし、米と大豆を比較しているという趣旨が埋もれかねない。

「最近の食材(特に野菜)は昔のそれとはずいぶん違ったものになっているそうです」
 これはわかりやすい例だ。
「最近の食材(特に野菜)は昔とはずいぶん違ったものになっているそうです」
「最近の食材(特に野菜)は昔の食材とはずいぶん違ったものになっているそうです」
「最近の食材(特に野菜)は昔のものとはずいぶん違ったものになっているそうです」
 日本語では、「それ」の代わりに「もの」や「こと」が代名詞的に働くこともあるようである。

「口座開設申込用紙の筆跡が家族・親族名義の口座のそれと同一であるとみなされる場合」
 これもまた単純なケース。ただし、銀行での規約に当たる部分だから、
「口座開設申込用紙の筆跡が家族・親族名義の口座と同一であるとみなされる場合」
という表現では厳密さに欠けるかもしれない。ならば、こうだ。
「口座開設申込用紙の筆跡が家族・親族名義の口座の筆跡と同一であるとみなされる場合」
 これでまったく問題のない表現となる。まあ、こういう場合は言い換えて、
「口座開設申込用紙と家族・親族名義の口座の筆跡が同一であるとみなされる場合」
とした方が日本語的には据わりがよくなるかもしれない。

「天皇制に関する諸制度、たとえば大嘗祭や皇位継承の手続きにも、騎馬民族のそれと類似点が見られる」
の場合は、「それ」は「諸制度」を指すといえる。
 これなら短いから同じ言葉を繰り返して「騎馬民族の諸制度と類似点が見られる」ですっきりする。
 もちろん、単純に「のそれ」を取ってしまっても問題なし。
 また、「騎馬民族のものと類似点が見られる」でもいける。

「「競技」としてのフットボールと、「ビジネス」としてのそれとのバランスの問題」という例は少々厄介だ。これは単純に「のそれ」を取るわけにはいかない。
 この場合は少し冗長にはなるが、「フットボール」を重ねた方がいいようにも思う。
「「競技」としてのフットボールと、「ビジネス」としてのフットボールとのバランスの問題」
 これは他の言い換えは厳しそうだ。もっとも、これは文章そのものを根本から改造して、
「フットボールの「競技」としての側面と、「ビジネス」としての側面とのバランスの問題」
とするとさらにすっきりする。

 「のそれ」表現は、翻訳物の論文や学者の文章に多いような気がするのだが、そのせいか、高尚な表現に見せようとして「のそれ」を使う人がいるような気もする。しかし、私のような人間はどうしてもその表現が出てくるとつまずいてしまうのだ。
 ちょうど、「すべて」を格好良く見せようとして「すべからく」という言葉を誤って使っているような文章を読むのと同じ感覚だ(「すべからく」は「~すべし」と対応する表現であって、「必ず~しなければならない」である。「すべての」という意味はない)。

 もちろん、私の訳したジェームズ・アレン本には、「のそれ」表現は一切登場しない。

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2004年5月30日09:47| 記事内容分類:言葉| by 松永英明
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コメント(3)

気になって自分の「はてな」本をgrepして、「のそれ」が一回も出てこないことに安堵してみたり。

外国語の学習はその国の文化の学習とは言いますが、日本語文章の構成から考え方まで変わってしまうのはいやですね。
(中途半端な場合です)

映画「シンプル プラン」で、男が、主人公の男に、「おまえは『投げるふりをする』と言えばいいところを、『投球のデモンストレーションをする』と言いやがって」とか言ってなじるシーンがありました。
  「明日は晴れるだろう」というのを、「明日の天気は晴天になる可能性がある。」などと言って、カッコつけてるような学者がいますよね。「それ」という言葉についても、学者が、不用意に多発してるように感じます。
  私は、ここに書いてあることに全く同感です。翻訳者だからとは言え、ここまで言葉に気配りされてることに、感心しました。(プロとしては当然でしょうが。。。)  最近は、いろんな方面で、きちんとした仕事をしてないハンパ野郎が多いので、うれしくなりました。
 わたしの昨日の不快な体験を書きます。ファミレスで、パスタを注文して持ってきた皿にスプーンしかないので、ウェイトレスに「フォークがない」と言うと、「あら、フォークは行ってなかったですか。どうも。。」で終わり。言葉が足りないんじゃないかと思いました。
 さらに、帰りのレジで、479エンの支払いに500円玉と79円の小銭を出すと、レジ担当の女の子が、「これからでよろしかったですか?」と言う。自分で見てるんだから、聞かなくていいじゃないかと思います。それに、なんで過去形で言うのか、どうせ言うなら、「よろしいですか」ではないのかと思いました。
 その5分後に入ったコンビニで、お金払うとき、320円の支払いに500玉置いたら、レジ係の男性がが「500円からでよかったですか?」と言う。またもや、過去形だし、目の前で見てるんだから、いちいち聞くことないじゃないか、とまたしてもムッとしました。マニュアル通りにしてるのかもしれないが、あまりにも馬鹿すぎる、、、なんにもものを考えてないのじゃないかと、不愉快になりました。コンビニでの変な言葉遣い、今更気づいたことではありませんが、こうも、短時間のうちに連続して変な日本語を聞かされると、うんざりします。日本語と言うより、言葉を使う人間が、ものを考えていないことに、あきれるというか、がっくりします。
 あなたみたいな、きちんとしたことば使いの人が増えないと、日本の再生はままならないのではないか、、と極端なことを考えてしまいました。

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