【絵文録ことのは】HOME > [政治学] > Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編
3編ほど愛国についての記事を書いたところ、いろいろ反響がありました。最近の事件を話題に触れたため、どうもその件について中国を擁護しているかのような誤解を招いたこともあり、また私の前提としている考え方がどうも一般的でないことがわかってきたこともあるので、前3編は一旦ボツとしたいと思います。
そして、改めてこのエントリーにて、私の愛国心論について改めて清書してみたいと思います。ただ、これもまだ完成稿とは言えないでしょうが。
まず、前提として、私は所属する国や会社や地域や家族といった枠組みに対して、「自分」とは別のものと感じています。それはどうやら少数派らしいのですが。
[No.16] 投稿者:服部弘一郎[2004年07月28日 12:03]
ほとんどの日本人は、「日本人」という属性を自分のものだと感じていますよ。だから大リーグでイチローや松井が活躍すれば、「同じ日本人として」嬉しく感じるのです。日本人がノーベル賞を受賞すれば、多くの日本人は「同じ日本人」として誇らしく思うのです。「日本人」であることを『自分自身の属性じゃない』と断言する松永さんには、こうしたことも理解できないかもしれませんが……。
服部さんの言われるとおり、自分ではそういう感情を持てないんですよ。オリンピックでも、日本選手がどれだけメダルを取るかとか、全然興味ない。何国人であろうと、すばらしい競技を見せてくれれば拍手したい。
愛国心を他者から問われるのはおかしいというMAOさんでさえ、blog::TIAO: 愛国心を語ることは難しいでこう書いています。
「愛国心」「国を誇りに思う気持ち」についてだが、これは他者から踏絵のように問われる問題ではなく、自分自身の内面の感情の発露だと考えている。オリンピックで日本人が活躍すれば些かそれを誇らしく思うのは自然だし、個人としての日本人、企業などが国際的に評価されるような素晴らしい実績をあげたときにも同じ日本人として頼もしく感じるだろう。また、日本政府が世界平和や人類の共存と発展のために素晴らしい提案をして率先してそれを実行できたら、国民の一員として胸を張りたくなる。とまあそういうものなのだ。
私にはここが「当然」として理解できない、というか、そういう気持ちが自分の中に生まれてこない。「同じ日本人として」という気持ちがまったく起こってこないんですよね。ああ、素晴らしいことをした人がいるね、というだけで。
じゃあ日本が嫌いかといえば、もちろんそうではないです。日本という国が大事ではないというわけでもない。いや、それどころか「自分は日本の文化の中で育った日本人だなあ」と思うことも多いのです。
問題は、単に「日本という枠組み」の中にいる他の人たちの栄光を、自分の栄光として感じることができないだけ。
だから、「日本」が侮辱されても自分が侮辱されたとは思えないし、「日本」が誉められても自分が誉められたとは思えません。抽象的なことを言う人だなあ、という感想が生まれる程度です。
もちろん、「私」個人を侮辱するために「日本人はこれだから……」と面と向かって言われたらその悪意は伝わりますし、「私」を喜ばせようと思って「日本人は勤勉ですね」と言われたのなら喜びますが、それは個人に対する相手の思いだから理解できるのです。
少し前から話題になった「歴史教育における自虐史観か、自由主義史観か」という話も、私にとっては議論の前提――つまり、日本に対する評価を一生懸命どうにかしようとする――という行為自体が「よくわからない」のです。
自分の祖父は兵隊として満州に出征していました。逆に言えば、それは自分の爺さんの問題であって、そこから学ぶことは必要ですが、いつまでもその子孫だというだけで自虐的に頭を下げ続ける必要はないと思っています。「日本人の残虐行為」とやらも(それが存在したか否かは別問題として)、私がそういうことを現代においてやってやると思わない限り、反省しろと言われる筋合いはないと思っています。
しかし、歴史的に「日本人は優れていた」ということを強調することによって日本人の誇りを取り戻そう、という風潮についても理解の範囲を超えているのです。
いや、確かに優れた日本人は多くいましたよ。諸外国から悪い悪いと言われている時代でも、実はそんな悪意によって動いていたわけではない、というのも事実かもしれません。しかし、それはその当時の日本人、いや厳密に言えば個々の偉人たちの業績じゃないですか? いくら聖徳太子や上杉鷹山が優れていたとして、そして、そういう人々を輩出してきた素晴らしい日本列島の日本文化の中に生まれ育ったとしても、自分は聖徳太子でもなければ上杉鷹山でもないんです。
私の爺さんのやったことが(仮に)侵略ではなくアジア解放のための聖なる戦いだったとしても、逆に残虐行為だったとしても、私自身は満州に出征していないのです。
歴史上の日本の偉人たちから学ぶことは大切だと思います。しかし、それは偉人たちの優れたところが自分の中に一部なりとも取り込まれて初めて、誇るべきことになるんじゃないでしょうか?
そして、学ぶべきは日本人だけじゃないというのも当然のことだと思います。
もう少し範囲を狭めれば、地域についても同じように感じます。
たとえば、何かひどい犯罪がある県、あるいはある市で発生したとします。そのとき、「こんな事件が起こるとは○○県の恥だ」「○○市の名前を汚すものだ」というような意見を目にすることがあります(実際、ブログ等でもそういうエントリーを見ます)。
これは2つの側面があるでしょう。つまり、犯罪とかがあったら、その地域の人たちを「○○事件を起こすような地域の住民」というふうにレッテルを貼って見てしまう人たちがいるということ。そして、もう一つは、そういう風に見られるのではないかと考え、そのような評価を自分自身に対する評価と受け止める人たちがいるということ。
しかし、たとえば保険金殺人事件がA市で起こったとして、A市の人たちは犯人を除いて犯罪者じゃありませんよね。毒カレー事件が起こったからといって「和歌山の人はカレーにヒ素を入れるからなあ」というのは冗談としても最低のものです。
その裏返しが、地元出身者が「故郷に錦を飾る」という発想でしょう。しかし、錦を飾ったのは、その素晴らしい業績を成し遂げた個人であって、地域がその人をバックアップしたというのでない限り「虎の威を借る狐」にしか思えないのです。
私の出身地から言えば、「邪馬台国は大和(近畿)にあった」と主張するのが「郷土愛」あふれる態度のようです。しかし、私個人は邪馬台国=九州説です。歴史的な事実をゆがめてまでも、自分の生まれ育った地域に何でもかんでも起源をもたらそうとは思いません。歴史を無視して何でも地元発祥と主張することが「郷土愛」なんでしょうか? 韓国の人が何でもかんでも自国起源だと主張するような話もありますが、それも、何やってんだかという気になります。
また別の例。自分の会社のプロジェクトが成功したとしましょう。それが大なり小なり自分の関わっているプロジェクトなら嬉しく思うでしょう。まるで関わっていない場合は? 友人・知人が関わっていたら、その友人たちの成功として喜びます。しかし、それを自分の手柄のように話すのはおかしいと感じてしまうのです。ましてや、単に会社の別部門が成功した場合、それは自分の栄光でもなんでもないわけです。(今、私は会社に属しているわけではありません。念のため)
自分の出身校の後輩たちがスポーツとかで素晴らしい成果を上げたとしましょう。しかし、それを「俺はあの○○高校のOBなんだ」と自慢する気にはなれません。自分はその成果に何ら寄与していないのですから。でも、選手たちには「よくがんばったね」とは言ってあげたいと思います――でもそれは他校でもまったく同じですね。
もちろん、私も、自分の故郷は「好き」だし、自分の関わった仕事の人たちは「好き」です。しかし、それと自分への評価は混同「できない」んですね。
そういう私は「日本人の犠牲者はいませんでした」という報道を耳にすると、「だから何? 何がよかったんだよ」と思ってしまう一人です。
自分がやったことは、自分の責任において、いいも悪いもその評価を受け止めるべきだと思います。それは当然のことでしょう。
しかし、家族や自分の大切に思う人が、自分と関わりのないところでやっていたことについては? それはその人の業績あるいは罪であって、もちろん「監督不十分」みたいな話はあるかもしれませんが、連座する必要はないだろうと思うのですね。だから、「家族だから特別」とか「親の顔が見たい」という感覚は、自分には希薄です。
子供のころ、よく「そんなことをしたら世間様に恥ずかしい」と叱られたことがありますが、「それは単に俺が恥ずかしいんであって、別に親が恥ずかしがる必要ないじゃないか」とずっと思っていました。この辺から私はゆがんでたんでしょうかねえ?
地域における名士の業績、あるいは歴史的な由緒、逆にそこで起こった不祥事については? それは自分が積極的に関わっていない限り、単にそこに住んでいたというだけのこと。
会社も、あるいは国についても、同じように思います。
別に持ち上げもしませんが、おとしめたりもしません。自国の国旗にしろ、他国の国旗にしろ、「ていねいに」扱えばいいと思っています。それを崇拝するわけでもないが、破いたり燃やしたりしようとも思わない。だって、良くも悪くも単なる「シンボルマーク」にすぎないのですから。
このようにちょっと普通じゃないかもしれない発想を持っている人間が「愛国心」についてどう思っているか、ということで、以下の文章を読んでいただければ幸いです。
自分の国が褒められたら自分のことのように喜ぶ、国がけなされたら自分のことのように腹を立てる。それは世界的に見ても多数を占める考え方なのかもしれません。「お前のような奴は、日本にしかいないよ」と言われるのかもしれません。
しかし、「自分」と「枠組み」を同一視できない私から見れば、愛国心というのはよくわからないものになります。日本が好き、というのはわかりますよ。自分の住んでいるところ、自分の生まれ育った地域の風習が好きというのもわかります。しかし、「日本人としての誇りを持つ」というような言い方についてはまったく理解できなくなるのです。
自分が胸を張れるような人間になることと、日本人としての誇りを持つことが、まるで結びつかない。もし無理やり結びつけるとしたら、「自分自身の実力ではなく、国という枠組み・レーベル・ブランドに対する評価を“自分”と錯覚/勘違いしている」と思えてしまうのです。
「愛国心ってのはあれだろ。自分に自信の無い奴が自信の対象を国にスライドさせているだけだろ」
「そういう極端な意見は置いといて」
極端と言われていますが、しかし、私にはこれが最も実感の持てる考え方なのです(そして、今回、愛国を取り上げたのも、そこにポイントがある)。
「日本」という枠組みは「ブランド製品」と同じように思えます。
プラダやエルメスを持っていることで自分の価値が高まったように感じたり、乗っている車でステータスが高まったように感じる、というようなものに思えて仕方がないのです。もし、それらのものを持てるとしても、それはそれだけの財力やセンス(あるいはおねだり能力)があったという一面しか表わさないのであって、その人の価値そのものとはいえません。
立派な豪邸を建てた――それはその人の人格すべてを評価するものではなく、その人が財産を築く能力があったという一面を示しているだけです。
いや、自分で働いて買ったブランドや豪邸なら、その人自身の努力の結果でしょうから、まだいいと思います。「日本人」ってブランドは何ですか? 日本に生まれ育った、ただそれだけの「偶然」あるいは「幸運」(不運とはいいませんよ、日本好きだから)だと思うのです。そこにその人の「努力」も何もないじゃないですか。だから、「日本人」であることを誇る――というのは、まさに「自分の力ではなく、他から与えられたブランドを誇る」というふうにしか思えないのです。そして、自分を磨き上げる努力をさぼっているように感じてしまいます。
あなたの毛皮のコートは素晴らしいね(でも中身はどうかなあ)……国を誇ることに一生懸命になって、自分自身のことを忘れてしまっているように見える人は、ちょうどそんな感じに思えて仕方ありません。
学歴で他人を判断するというのも同じように思います。もちろん、「いい学校」に入った人はそれだけの知識・問題解答能力があったわけですが、それでその人の評価がすべて決まるというのはどういうものかと。
私個人に対して「さすが日本人」と言われても、むしろ嫌味に感じて「俺は日本人という以外に取り柄がないのんか」と思ってしまうのです。
日本人とロシア人のハーフ、川村かおりの歌「Gypsy Blood」(作詞:KAORI/高橋研)より。
Gypsy Blood 帰る場所が何処なのか
わからなくなる時もあるけれど
Gypsy Blood 愛すべき場所は二つ
この星と今いるここさ
愛国心というのは、他国をにくむという心である。わが家を愛し、わが母をいつくしむという心は、わが家以外の家を愛さないという心であり、わが母以外を愛さないという心である。
寺山修司「さかさま世界史」より
(blog::TIAO: 愛国心と正義・・・<今日の箴言>より孫引き)
第1の問題、つまり「自分と、自分自身でないものを一緒のものと考え、自分自身でないものの評価を高めようとする」ということについて、私の考えていることは大体(納得しないとしても話の筋道としては)おわかりいただけたかと思います。
そして、このレベルにおいての愛国心は、度を超さなければ無害なものだと思いますし、どうこう言えるものではないとも思います。
そこで第2点、草稿では「偽りの愛国心」として書いた「身内への愛を示すために、他への嫌悪を示す」という問題に入りたいと思います。
私の親がまだ生きていたころ、親とのトラブルがありました。話が話なのでちょっと抽象的な言い方しかできませんが、家族と同様に近所の人たちのために便宜を図ったところ、「身内に対する思いやりが足りない。身内の分を削って他の人たちの利益をやるなんてどういうことだ」と怒られたのです。別に身内を犠牲にしたわけでも何でもなく、同じように利益をもたらしていたのですが、身内以外に恩恵を与えたのが親には気に入らなかったようです。
「お前は家族に対する愛というものがない! 他人のことなんか考える必要はあれへん!」
「どこが悪いねん!?」
「身内のことだけ考えてたらええねん! 家族よりも他人を大切にするのは家族に対する裏切りや!」
こんなことを言われたもので、余計に反発を感じたわけですけれども。
実際のところ、「家族にだけ便宜をはかり、家族外にはそれよりも冷淡に対応する」なんていうのが自分には「美徳」とは思えませんでした。
家族と他の人が論争になったとき、相手の方にも理があると思う、と言ったら、「お前はあいつの肩を持つのか!」と非難されたこともあります。別に肩を持っているわけではないし、一部の論点について納得しただけだったのですが、それが「家族への裏切り」と思われてしまったわけです。
[No.11] 投稿者:服部弘一郎[2004年07月26日 11:10]
自分の身内を何よりも上位に置き、自分の身内の欠点や落ち度はひた隠しにして他人を非難するのが、つまりは「儒教道徳」というものなのですよ。それは「論語」や「孟子」を読めばよくわかることです。身内に対する依怙贔屓(えこひいき)を正当化する儒教道徳の上に「愛国心」が乗っかれば、ここで非難されているような見苦しく浅ましい「愛国心」がのさばるようになるわけです。
これは自分自身に対する「自信のなさ」とは、ちょっと違うんですよね。儒教的な「身内優遇」を道徳的な価値として認める社会では、他国をおとしめて自国をほめちぎることこそが「正しい」のです。儒教的な価値観のヒエラルキーは、価値観の「違い」など認めません。一元化された尺度のもとで、すべては「優劣」で判断されてしまうのです。
(……後略……)
そういう儒教道徳的な愛なら、要らないと思ってしまいます。もっとも、孔子が本来説いた仁愛は、もっと博愛に近いものであろうと思うのですが。
そのような「偏った愛」が愛だというのなら、家族愛なんかいらない。単純に身内を愛するだけで十分じゃないんですか? 「身内外を罵り、身内を誉めちぎる」のが愛だとしたら、そんな愛は要らないと思います。
私に対しては褒めちぎるが、他の男性については悪口ばかり言っている……そんな女性とはつきあいたくないですね。全然うれしく感じませんし、逆にその人の人格さえも疑ってしまいます。
嫌悪を元にした「隣国」との関係。不幸にも日中・日韓の間にはそういう関係ができてしまっています(日朝となると極端すぎるのでこれは今回触れません。民間レベルでの交流もありえないし)。また、中台問題、さらには台湾内でも国民党と民進党の感情的とも言える対立があります。
もちろん、これは近ければ近いほど燃え上がるものなのかもしれません。英仏、仏独でもことあるごとに罵りあいですし。
さらに中国・韓国では日本に対する被害者意識が強く植え付けられ、反日教育が行なわれているという実態があります。日本人と見ると、教育の成果として、反射的に憎むべき対象と考える人も多くいます。それは事実です。親日的と言われる台湾でも、実際には日本に対する反感は根強く存在しています。
逆に、それぞれの国に親日派がおり、若い人たちの中には日本文化どっぷりという人たちも多くいます。「反日教育の中国」でも、山口百恵のドラマが流れていて多数のファンを獲得し、一休さん(一休)やちびまる子ちゃん(桜桃小丸子)やドラえもん(机器猫)は、若い人たちならテレビで見てよく知っているようです。
これらの「政府による反日政策」については、すぐにでもやめてほしいと思います。すでにある反日感情はともかく、人々の憎悪感情を今もなお増幅するような政策は、対立と紛争しか生み出しません。それに、この反日政策が国内での愛国心高揚(あるいは内政への不満の解消)に使われていると考えていいと思いますが、愛国は憎悪と結びつけるべきではない、というのが私の考えだからです。
しかし、一方で日本人の一部にも、そうして培われた「反日感情」に対して過剰反応している節が見受けられます。反日教育がなされているという事実、潜在的に反日感情があるものだという知識は必要ですし、それに応じた対応を取ることも必要でしょう。しかし、「あいつらは日本を嫌っている!」ということを一生懸命訴える背景に「だから日本人は中国を嫌うべきだ!」「中国という国はおかしい!」「共産主義で洗脳されている中国人は馬鹿だ!」といった侮蔑的感情(あるいは傷つけられた自尊心の裏返し)が見え隠れするのにうんざりします。
この部分が草稿のときには前面に出てしまったために、「おまえは中国を擁護するのか」「中国が反日だというのは事実」「重慶の事件では中国が悪い」といった反応が多く返ってきたのですが、「反日を愛国と勘違いしているのはおかしい」と言っていたはずの私の文章にそういう反応が返ってくること自体、「中国の悪いところは徹底的に攻撃しなければならない。日本の態度などを振り返って中国の悪さを薄めるようなことをしてはならない」というような感情の発露に思えてなりません。
改めて言いますが、重慶で開かれたサッカーのアジアカップの試合で、日本チームへ対して反日行動としてのブーイングがあまりにも激しかったこと、これはそのような行動に出た人たちに100%の非があります。そして、そういう「憎悪」に基づいた行動は、愛国を標榜していようといまいと(ただ反日というのであれば愛国と絡むでしょう)認められるものではないと思います。
しかし、それに対して日本人が「中国人は反日感情を持っている。だから中国は劣っている」というように「国単位」の評価をすることについて、私は理解できませんでした。だから、最初の草稿を書いたのです。
「日本人だから」ということで攻撃を受けた。それは悲しいことだと思いました。そしてそのような教育を素直に受けて行動に出た個々の中国人について、それが正しいと思っているというのは悲しいことだと思ったのです。彼らは「憎むべき日本人」という思想を植え付けられ、その抽象的なイメージによって「日本」を攻撃したのですから。
しかし、それに対して、悲しむ以上の感情は私には理解できませんでした。日本が侮辱された、日本人の身に危害が及んだ、だから腹が立つ――というのは、「日本」という枠組みへの帰属意識の希薄な私には、言われてみないとわからない範囲に入ってきます。それはこの文章の前半で書いたとおりです。しかし、それはまだ理解可能といえます。
わからないのは、それが中国という国への批判になったり、中国人全般への評価となったりすること。そして、甚だしい場合は近所の中国人にその文句を言ったりすること。
国の責任は個々の国民の責任とイコールと考えている人には、当然すぎる考え方なのかもしれませんが、わたしにはそこが理解できないのです。
ここで述べていることは、外交のやり方、つまり国と国――というより政府対政府のやりとりにおいてどうこうすべきだということではありません。国家組織レベルのことは国家組織レベルのこととして別途語ればいいわけで、ここではまったくその点について触れてはいません。
「自称」愛国者と呼ばれてしまった人たち、「自称」と言われるのがイヤならば、匿名掲示板で毒を吐いたり、他人のブログで日本人の管理人さんを困らせたりしていないで、自分たちの主義主張をまっとうに政治に反映させる手段を是非身につけて欲しいと思います。日本は民主主義国家であり、その為の手段がきちんと用意されているのですから。
中国の過激な若者を真似して同じような行動をとる必要など、さらさら無いのです。
これはそのとおりだと思います。
また、このoutisさんの意見はそのとおりだと思います。
[No.9] 投稿者:outis[2004年07月26日 19:52]
中国政府を批判すべきところで中国人を批判するのが間違ってるというだけの話だろうと。あるいは、その特定の行為をした連中を、まさしくその特定の行為ゆえに批判すればいいのであって、そこで民族国籍をはじめとした属性を持ち出すことが間違っている。ここで一連のエントリーへの批判的言説をみると、一貫して、中国政府への批判や警戒感と、中国人への批判や警戒感が混同されている。たとえば日本政府が仮に糞だったとして、それで私が糞だといわれる筋合いはないし、どこかに百万人ほど糞な日本人が仮にいたとして、それで私が巻き添えで糞だといわれる筋合いはない。とくに中共は参政権がかなり制限されているのだから、なおさら政府の排外主義的教育の責任を個人に問うのは間違いだろう。排外主義的教育をうけてもそういう行動を取る人もとらない人もいる。ならば、まさしく、排外主義的行動をとったひとを、それゆえにそのひとたちだけ批判して、そういう行動をとらなかった、すくなくともまだとっていない人々をまきぞえにして、中国人は、あるいは政府と曖昧に一括した形で中国は、という形で非難することは、愚劣以外のものではない。
私は、台湾にも友人がいるし、香港にもメインランドにもいます。それぞれの政治的立場をぶつけたら、それこそ殴り合いの大げんかになると思われるくらい異質な友人たちですが、でも「朋友」でいられるのです――「一事が万事」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といった考え方をしない限りは。
「あんたの政治的考えには賛同できないけど、だけど君のことは好きだよ。でもやっぱりあんたの言ってることは変だと思う」と主張することは可能ですよね。それは、憎悪や嫌悪を増幅させない態度ではないでしょうか。
意見は違うが、友人である――そう考えられない人がいるようです。相手の意見に賛同しないことが、相手の人格すべてを否定することとイコールだと思っていたり、あるいは意見と人格を切り離して考えられない人がいるように思います。
○か×か。反日か否か。そういう基準で一人の人間、一つの国家を断定できるものなのでしょうか。「ここはいいけど、ここは悪い。でも、その人を好きかどうか、つきあえるかどうかはまた別問題」という私の発想は、やはり少数派なのでしょうか。
ちなみに、憎悪や怒りといった感情は、たとえ湧いてくるとしてもそれを武器に使うべきではないものだと思います。だから、「社会の矛盾を解決するためには、怒りをもとにして闘争すべきだ」というような左翼的発想は絶対に受け入れられないし、逆に怒りを噴出させるような右翼も同様に思います。
中国や韓国における反日教育をなんとかする作業は、国のお仕事。それを後押しするなり何なりというのはここでの議題ではないので措いておくとして、例えば反日感情を持っている人とはどう接していくべきでしょうか。
日本人だからといって卑屈になる必要もなければ、ふんぞり返る必要もありません。むしろ日本人という枠にこだわるから相手も反日を持ち出さなければいけないのであって、純粋に一対一の人間同士として接すればいい――と私は思いますし、それで今までも外国人とつきあってきました。だから、日本という枠組みの栄光に頼ることなく、あるいは日本という「過去ある国」のレッテルに怯えることなく、自分は自分、一人の人間として向かっていったらいい。そこには「国」という単位を元にした発想は必要ない、と思っていたのです。
しかし、「国」という単位について価値を見いださない私はどうやら極めて少数派のようですね。私から見れば「国」という単位を基準にし、その「国」の評価を高めようというのはすべて「愛国」と見えるわけですが、その辺は多数の人たちとの間に感覚のズレがあったようです。
私個人としては、自分自身が隣国から一目置かれるような人間に成長していくこと、そしてそういう人が増えて、「日本には立派な人が多い」と思わせることこそが、結果としては多数の人の愛する「日本」をよいものとすること、つまり本当の意味で「国を愛する」結果になるのではないかと思っています(私個人としては別に国を愛そうと思ってやってるわけじゃありませんが)。
ここで女子十二楽坊の話。24日発売された「女子十二楽坊 ベストセレクション」(DVD+CD2枚組合計3枚で3500円)は、演奏の音と画面だけではなく、「思い」が伝わってくる最高のアルバムだと思います。
さて、このCDは5月8日、日本ツアー最終日の模様を完全収録しています。また、そのハイライトシーンはDVDのおまけドキュメンタリーにも入っています。
最高に圧巻なのは、琵琶の張爽の最後のMC(コメント)。(これ書きながら、思い出すだけで泣けてくるのだが)最後の最後に、張爽は感極まって、泣きながらこう叫んだのです。
「ほんとうにありがとうございました。ニッポン大好き!」
このセリフは予定にはありませんでした。彼女たちを暖かく迎え、大歓声で受け入れた日本のファンに対して、彼女はまさに心の底から100%言葉通りの思いをほとぼらせたのです。おそらくは学生時代の「反日教育」さえも超えて……。
こんなに心のこもった純粋な「日本大好き」は(日本人からさえも)聞いたことがありません。そして、こんなことを言ってくれる人に対して反感は抱きようがないでしょう。日本人だけど日本が誉められても関係ない、と思っている自分でさえ、張爽がこの言葉に込めた思いに心を馳せると、やはり感動せずにはいられません。
もちろん、女子十二楽坊ファンの日本人が、そんなふうに言わせるだけの大きな歓迎をしてきたのも確かです。
「みなさんの応援に対してわたしたちができることは、いい演奏を聴いていただくことです」と、まあ多少は優等生的な発言かもしれないが、それでもそんな風に言ってくれる彼女たちとの間に、どんなわだかまりが生まれえましょうか。
この張爽の叫びは本物です。そして、反日教育ではなくこの叫びに込められた思いが中国全土に伝わってほしいと思います。中国人は、日本に反発を感じる必要はないのだ、ということが広まっていってほしいと思うのです。
(でも、女子十二楽坊掲示板に、中国の演奏家が好きだからというだけで「お前らは中共の手先」みたいな投稿がある現状を見るとうんざりしますが)
以上、単行本ならばわずか20ページ余りの短い小論ですが、とりあえず今はこの辺で。
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[No.1] 投稿者:MAO[2004年7月28日 20:58]
国(くに)と国家(こっか)は分けて考えたいとぼくは思っています。ぼくが感じる日本への愛情というのは自分のお国としてのものであって、国家としての日本ではないのは確か。
国家なんてのは近代社会(ヨーロッパ)が生み出した擬制であるし、偽制でもあるわけです。その辺の議論は長くなるから、どこかで自分のサイトにまとめてみることにします。
[No.2] トラックバック:「日本−イラン戦での中国側サポーターの行為について」(スガワラノミカタ)[2004年7月28日 22:03]
重慶で行われているサッカーアジアカップの日本−イラン戦。 試合は0−0の引き分けで終わったけれども,中国側サポーターの日本へのブーイングが露骨なほどすごい。……[全文を読む][No.3] 投稿者:服部弘一郎[2004年7月28日 23:07]
自分が理解できないことやわからないことについて批判しても、その批判は当然のように的外れなものに終わるでしょう。松永さんはそもそも「愛国心」が理解できないのですから、それについて批判してはいけなかったのです。
自分に理解できないことについて、「理解できない」「私には縁のない話だ」と述べるのは構いませんが、わからないことについて勝手な解釈をして相手を批判すれば、それに対して反発を食らうのは当然でしょう。『愛国心は、自分に自信を持てない人が対象を国にスライドしたもの』というような言葉は、まがりなりにも「愛国心」の本質を掴み得ている人が口にすべきものだと思います。
確かに自分に対する自信のなさを、「愛国心」や「郷土愛」や「民族意識」に転嫁している人も少なからずいるでしょう。しかしそれがすべてではないのです。自分は何も努力せず愛国心にすがって生きる人もいれば、愛国心によって自分自身を高めようと努力している人々もいるわけです。問題は「愛国心」ではなく、「愛国心」のありようでしょう。
(「愛国心」に似ているものに「信仰」がありますね。信仰に溺れて身を持ち崩したり家族を不幸にする人がいる一方で、信仰によって世界的な偉業を成し遂げる人もいます。)
以下は本論を離れた蛇足ですが、孔子のとなえた「仁」は、聖人や君子のレベルになれば「博愛」と同じようなものになります。しかし世の中のほとんどの人は、それほど器の大きくない小人(しょうじん)なのです。そこで儒教道徳では、まず「孝」や「弟」といった、家族愛のような徳目を重要視するわけです。まずは家族に対する「徳」を積み重ね、その延長上に「忠」や「仁」といった、より大きな徳目を育てていくわけですね。
しかし「忠」と「孝」とが対立した時どちらを優先するかというと、これは「孝」を優先しろと言うのが儒教なのです。国家に対する忠誠忠節よりも、家族の方が大切。だから儒教道徳が根強い国では、役人や政治家が親戚に露骨な便宜を図ることがよくあります。国家の不利益になっても(国家に対する不忠を働いても)、家族や親族の利益を優先するわけです。これが儒教です。
こうした身内贔屓の儒教に反発し、すべての人を等しく愛するべきであると「兼愛」を主張したのが墨子でした。しかし墨子思想は儒教思想家によって論破され(批判勢力の筆頭が孟子です)、中国の思想史の中では傍流になってしまいました。でも現代の日本人の目から見ると、墨子の思想は共感できる点も多いと思うんですけどね。たぶん松永さんも墨子を読めば、共感することが多いと思います。
中国や韓国で急進的なナショナリズムが台頭し、それが「反日」や「反米」という排他的な心情を生み出している一番の原因は、国民が抱える「自信のなさ」ではなく、急激な経済発展が生み出した「都市化」にあるのは明白でしょう。個人が「家族」や「親族」や「地域共同体」に自らの帰属意識を求められなくなった時、最後に残るもっとも身近な存在が「国家」なのです。経済発展によって肥大した「自信」と「自意識」が、「国家」へと急速に傾斜しているのが現在の中国・韓国の現状。韓国はよくわかりませんが、中国などはこうした「草の根ナショナリズム」を国家が「官製ナショナリズム」と結びつけようとしているように見えて、どうも嫌な感じを受けますけどね。
[No.4] 投稿者:明明徳[2004年7月28日 23:25]
これも傍流の突っ込みだが。
儒における孝たるや、日本でいう人情のごときものにあらず。仁や忠と同じく、孝も儒においては、情ではなく義です。親族びいきは儒教的徳目ではない。忠も国家による忠節などというきわめて日本武士道的なものではない。倫理的誠実さのことだ。忠ならんとすれば孝たらず云々は非常に日本的。儒の建前からいえば、まず仁と孝から判断されるべきであり、主君への「忠誠」などというものは、倫理的問題にはならない。主君に誠実であるべきなのは、「忠」という社会的誠実さ一般、約束はまもるべし、というのの一環の話。
[No.5] 投稿者:匿名[2004年7月28日 23:29]
この場合の「理解できない」は
「受け入れられない」ということだろう。
はまっていない人が批判してもいいと思うが。
[No.6] 投稿者:ss[2004年7月28日 23:49]
「愛国心は、自分に自信を持てない人が対象を国にスライドしたもの」
ってありますが、それだけが愛国心(郷土愛と言い換えてもいいです)なんでしょうかね?
先日ドキュメント番組でパラオで自然保護に取り組む日本人を取り上げてましたが、この方がどうしてこういう活動を行うのかという、日本的な情緒の部分に大変感銘を受け、その日本的な部分を自分も同じ下地を持っているということを大変うれしく思いました。
無論、「日本人的」なものには良くない部分、悪い部分もたくさんあります。それを受け入れた上で良い部分を良いと思えること、その下地を持つ文化を享受できることを感謝する、それを「愛国心」と呼ぶのは間違っている、あるいは恥ずかしいことなのでしょうか?
無論、中国の方には中国の方の「愛国心」があり、日本への敵愾心という形ではなく、自国への「愛」を感じることはしばしばあり、「愛国心」というもの全てを否定するということは、他国の方のそういう気持ちも否定するということだと思うのですが。
[No.7] 投稿者:松永[2004年7月29日 00:21]
文化が好き、考え方が好きとかいうのはわかるんですよ。でも、それが「国」への愛になるというのが「理解できない」「少なくとも自分の思考ではまったくむすびついてこない」のです。だから、自分の価値と他の価値を一緒と考える人が多いのだな、とは思いますが、まあこの辺は各自の勝手とも言えると思います。
ただ、愛することに憎悪が伴うと、そんな愛国だったらない方がましで害毒を垂れ流していると思いますが。
[No.8] トラックバック:「愛国愛国」(新田の日記)[2004年7月29日 00:51]
http://kotonoha.main.jp/2004/07/28patriot-rewrite.html id:matsunagaさんが女子十二楽坊に絡んでなのか愛国というか反日、反中問題を取り上 ...……[全文を読む][No.9] 投稿者:御免[2004年7月29日 01:08]
親と国というのは概念として近いものがあるのかもしれない。自分の親を嫌悪してる人で国に対して親近感を抱ける人はあまりいないように思われる(それこそ少数派)。つまり何がいいたいかと言うのは上の方々が巧みに言ってくれているので。
[No.10] 投稿者:ss[2004年7月29日 01:10]
No.8にお答えして。
ひとつには「国」というものの定義の仕方なんじゃないでしょうか?
自分としては、「国」は必ずしも「国体」を意味しません。知り合いの自国に誇りを持つ中国人もほぼ全員、中国共産党を崇拝していません。
個人的には「国」ってのは例えば文化だとか言葉だとかで括られる「人のかたまり」で、様々な側面があり、好きな部分嫌いな部分はありますが、その中の好きな部分への気持ちってのも「愛国」じゃないんでしょうか? 無論、だからって嫌いな部分まで肯定する必要はないので、一部の人の排外的言動への松永さんの批判はちっとも間違ってないと思います。「国体」を国と定義し妙なイデオロギーを撒き散らす連中には私も賛同しません。
ただ、そういった諸々の「国への愛情」を全部ひとからげにして、「変なのがあるから愛国というものは全部ダメ」と言われているようでそこが引っかかります。「愛国」「愛国」と喧伝してるのは多分に胡散臭く、自分も好きではないのですが、「言葉の否定」というのはちょっと言葉狩り的な感じもしてしまいます。
[No.11] 投稿者:匿名[2004年7月29日 01:28]
愛国心という考えが「理解できない」「、分らない」「受け入れられない」なら最初からそう言えばいいのに、今までの記事を読むと「自分が本当の愛国者。中国に腹を立ててるお前等はまがい物だ!」と言ってるようにしか聞こえなかった。でも理解できないなら「何で、ブーイングされたからって関係ない被害にあった訳じゃない日本人が怒ってるの?疑問」で済ませればよかったのにね~
何で「偽りの愛国心」なんて言ったの?愛国心が理解できないのに、「偽りの愛国心」云々を語ったの?偽りがあるって事は「本当」の愛国心があるってことよだね?愛国心が良くわかんない人が本当・偽りの区別がつくの?もうね、訳わからない・・・
それと、
>愛国心は、自分に自信を持てない人が対象を国にスライドしたもの
これ、本当なの?
あるテレビでスポーツマンたちが色々話す番組があるんだけど「ナショナリズム」の話になった時、やっぱりみんな外国に出ると愛国者になるみたいな話をしてたよ。日の丸や君が代に特別な想いを抱いたり、日本がバカにされたら憤ったり・・・そんな話をしてた。
自分に自信があろうとなかろうと、自分が所属している物が好成績を収めたり評価されらなんだか嬉しくなるんだよ。理解出来ない人に何を言ってもしょうがないけどさ・・・
[No.12] 投稿者:エス[2004年7月29日 01:38]
とうに終わった話なんですよ、これは。
国は国で、個人は個人。たったそれだけの話です。
普通はその感性を両方ともちゃんと持っていますよ。
松永さんが、片方しか持ってないってだけなんです。
[No.13] 投稿者:匿名[2004年7月29日 02:31]
愛国心とはネガティブなものばかりではないと言う人がいるけど、いわゆる「愛国系サイト」ってほとんど他国への憎悪か、自分たちと考えの違う日本人に「反日」「サヨク」「売国奴」のレッテル貼って憎悪してるところばかりじゃん。それとも俺も知らない「愛」に満ちあふれた「愛国系サイト」もあるのかな?知ってたら教えてくれないかな?。
[No.14] 投稿者:まさお[2004年7月29日 02:36]
「所属」を「自分」と思えない。
これは、団体行動、共同行動での成功体験、満足感等により、責任感を感じていく事で徐々に変わっていく事が多いかもしれません。
勿論、そうではない、教育などによって不自然に養われる「団体への忠誠」と言う物も有るかもしれませんが・・・
少人数、例えばペアで行うスポーツで、自分の不得意な点を相手に見事に補助してもらい、ペアの不備を自分の力で補えた事を自覚し、成功を収める、試合に勝利する、等の経験を得た時、そのペアと言う団体は、自分にとって掛け替えの無い物となり、また、このペアを自分が運営している、という充実感を得る事になると思います。
これは、スポーツに限らず、会社や部署、地方なら町内会、都市部ならマンションの自治会と言った地域の団体にも言える事だと思います。
会社やチームでの成功、地域での防災活動、消防団などの災害救助活動、また家族の運営などでもそうだと思いますが、若い者、未熟な者は自分が引っ張り、意見の合わない者とも折衝し、団体を運用していく。
「自分はその団体の一員だ」と自覚する事で、多少は愛着も出るでしょうし、「自分はその団体の運用に責任が有る」まで行けば、それはもう、「所属を自分と思う」の段階でしょう。
まぁそれ以外にも、単純にその団体が好きだとか、その団体に恩が有るとか、色々な場合もありえますが。
日本の場合、この責任感の対象が「国」に変わった時、急に腫れ物に触るような感じになってしまいます。これらは一応、過去の反省と言う事になっているのでしょうが、ちょっと行き過ぎていると思います。
色々なパターンにより、日本と言う国に愛着を持ったとしても、日本に暮らしているのだからなんら不思議では無い筈なのですが。
そんな人たちが、あの重慶の有様を見れば、それは間違いなく不愉快でしょうし、中には血の気の多い人もいるでしょうから、行き過ぎた反応も出てもおかしくないですね。行き過ぎは思い止まって頂きたいですが、不快な事に対する反応としては当然かとも思います。
一方で、確かに国と言う団体は大きすぎるし、同じ国民とは言え、テレビに出てくる政治家は大抵怪しく、悪役に見えるし、国と言う者に愛着を持てない人も多いんだろうな・・・とも思えます。
[No.15] 投稿者:すえず[2004年7月29日 02:47]
一連のBlog読んで、やっぱし思うこと。。
(前blogの引用)
> 自分の国に誇りを持つとか持たないとかいうのは私には関係のないことで、
自分自身に誇りを持つか持たないかしかありません。
自分が国に、=日本人であることが誇りに持てないのに、どうして自分自身に誇
りが持てるんだろう・・
氏の考えで物を言えば、
「私は地球市民だ。皆とは価値観が違うのだから相容れなくて当然」
とでも言いたい様に私には見えてしまうのだけれど、氏を形成する価値観に「環
境」は一切存在しないと言い切っているようなものだからやはり歪であると思え
てしまう。。
何語をしゃべって、どこの小学校に行って、幼少期に何をして・・・
親はどこで生まれ育って、友人・同僚はこういう性格で・・・
実家は~にあって、そこの土地の人たちは~で、・・
そういったものの積み重ねの中に、「日本人」というアイデンティティは空気の
ように混ざっていて、意識はしないけれど必ずその要素を取り込んで「個」とし
て存在しえているはずなのに、その「個」に対しては誇りを持てて、どうしてそ
の土壌である国という単位に誇りを持てないというのはやっぱしおかしいよ。
逆を言えば、その土壌が否定されると言うことは、そこで培った物っていうのの
大部分は否定される事なんじゃないの?
別に私自身は特別な政治活動とかをしている訳じゃありません。
が、やはり氏の持つ不自然さだけがどんどん強調されているように見えてならなく
て、
こういった思考を、このBlogを読んだ人間に継承して欲しくなくて、
コメントを残します。
[No.16] 投稿者:匿名[2004年7月29日 03:00]
所属を自分と思えないのは「変」です。
おそらく一般的な感覚から言うと。
まあ俺も思えないわけだけど。
でも何故かオリンピックはみんな日本を応援しています。
[No.17] 投稿者:匿名[2004年7月29日 03:01]
つーか誇りって何?日本人であるってだけで、寝ころんでてももらえるものなの?
[No.18] 投稿者:匿名[2004年7月29日 03:20]
誇りやプライドって努力して獲得するものだとばかり思っていたんだけど?
だからダラダラ流されるように生きている時は自分にも誇りは持てない。
でも何かに向かって努力したり、また努力の後に何かを獲得した時、
自分自身に誇りが持てる。そう思っていたけど?
どう生きていようとただ日本人ってだけで誇りが持ててしまうわけですか?
そうだとしたらずいぶん安っぽい誇りですね。
[No.19] 投稿者:マー[2004年7月29日 03:35]
一点だけ。
「犠牲者に日本人はいませんでした」報道は赴任・旅行等で現地に肉親や知人がいる国民に対する配慮以外のなにものでもなく、愛国心云々の論議とは無関係かと。
まさかこれをも「関わりのないこと」とは言いますまい。
[No.20] 投稿者:yu-ri[2004年7月29日 03:41]
別の方向から質問いいですか。
愛国心って教育の賜物ですよね? 血税納めさせるためですよね?
それ以外に何がある?
義務教育によって、最低限血税納めさせる知識を埋め込む。そこで、愛国心も埋め込む。で、所属国家(地域でもよし)の地位向上は嬉しいという意識の植え付け。これにより、同じ所属国家(地域)の他人が、虐め(まぁ、今回は中国サポーターのブーイングですが)を受けると非常に怒り覚える。って感じじゃないですか? 今回の話は。
[No.21] 投稿者:サモク[2004年7月29日 04:14]
>何語をしゃべって、どこの小学校に行って、幼少期に何をして・・・
>親はどこで生まれ育って、友人・同僚はこういう性格で・・・
>実家は~にあって、そこの土地の人たちは~で、・・
これは愛郷心というものではないだろうか。
そしてもちろん愛郷心と愛国心は等号で結ばれない。
「お前自分の住んでるところさえ良ければいいのかよ?もっと日本全体のことを考えろ!」みたいな。
愛国心とは実際どういうものなのか、何故持たねばならないのか、ということを踏まえて話をしたほうが「愛国心はあって当然」という観点で松永氏を批判するよりも実るところがあるでしょー。
「地球市民」は揶揄の対象だけど、江戸時代に「日本が日本が」と言ってた人はやはり同じような視線を受けたかもしれない。異星人が来襲したときには愛星心が沸き起こって地球市民として連帯できるかもね。
多国籍企業の社員の愛社精神と愛国心はどのような関係を持つか、なんてのも考えてみると面白いかも。
[No.22] トラックバック:「愛国と同じ文化で生きている人々への共感」(philosophical)[2004年7月29日 04:26]
Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編 [絵文録ことのは] あんまり深くは入り込めませんが_o_。私は松永さんにかなり近い思想ですので、ほとんどの部分に共感します...……[全文を読む][No.23] 投稿者:松永[2004年7月29日 05:41]
すえずさん
自分を育てた環境に対して感謝の念はありますし、好きだと思う地域、素晴らしい人たちは当然いますよ。しかし、そういった「自分をはぐくんだ土壌」は「自分自身」ではなく自分の外に位置するものなので、それを私自身の評価に含める発想が浮かびません。つまり、誇りに思うというのは自分のものだと思っているということだと思うのですが、それはあくまでも外部のものだと感じます。
奈良時代の日本が遣唐使によって唐から学んだとして、その日本文化を培ってくれた唐を「誇り」に思うわけじゃないと思いますが、それと似た感覚です。
自分にとって「環境」は、教師でありえても自分ではない。「あの先生すごいよ」と言っても、それは自分自身の評価や誇りとは無関係ですよね。環境そのものを否定しているのではなく、それは自分ではないといっているだけの話です。
まさおさん
自分が所属・関与している度合いによって感じ方が違ってくるということについては本文に書いたとおりです。
日本文化や伝統は自分が努力して培ったものではないので、自分とは思えません。
それと、私は「国という枠組みを自分と同一視する」ことがわからないんであって、別に日本という枠組みが嫌いなわけではないです。
[No.24] 投稿者:匿名[2004年7月29日 06:02]
この改訂版を読んで「ああ、逃げたな」と思いました。改定前の文章から論理的におかしいところを直したり、指摘されやすそうなところを見直したり、という作業が入ったのですから当然おかしなところの少ない話になっているはずです。通常は例示を変えたり、行き過ぎたところを見直したりと、要旨を変えることなく、表現に修正を加えるものなのですが、(そうでなければその論自体を無かったことにする)あまりに指摘(もしかすると攻撃)されることを恐れて、要旨をそらすことで改訂とされたように思えました。
[No.25] 投稿者:松永[2004年7月29日 06:08]
草稿で「偽りの愛国心」と言ったのは、愛国愛国といいながらヘイトに走っている人たちの行動を見ていると、むしろ自分たちの看板に泥を塗っているような行為にしか見えなかったからです。つまり、「彼らは国の威厳を高めようとして逆に評価を落とすようなことをしている」という意味で「偽りの」と言ったのです。逆効果じゃないの?という意味において。
じゃあ逆効果じゃない愛国はどうかといえば、それはそれでいいと思うけど、自分はそんな「外枠」の評価を高めることに努力するのは意味がないと思っているので参加しないという程度の感じになります。ご自由にどうぞという感じですね。
[No.26] 投稿者:松永[2004年7月29日 06:10]
最初から言いたかった要旨はこれなので、最初の書き方があまりにもまずかったと思っています。
というか、何から「逃げた」のかがわかりませんが。
[No.27] 投稿者:しろつ[2004年7月29日 07:35]
自分のアイデンティティが本当に自分だけのものと純粋に思える人が羨ましい。
僕は愛国者ではないと自認しているが、CMの影響を全く受けずに買い物できないように、
自分の中からナショナリズムの影響を排除することはできないと思う。
ナショナリズムは無意識に自分の中に存在しているからこそ問題なのであって、
普段自分が黄色人種だと意識してなくても海外で相応の差別をされれば憤るのと同様、
今回のサッカーのように自分を含む日本人全般に対する悪意を発露されては良い気分がしない。
できるとすれば反ナショナリストになって、愛国者のやることの逆をして自分一人悪意の対象外だと思いこむことだけ。
そういう人に限って、自分の敵が幼稚で、暴力的で、差別的な右翼の集合体と決めがちなもの。
さながら某二代目大統領が悪の枢軸やら何やらと敵を大袈裟に規定しているかのように。
右翼的な言動を嫌うのも結局は一種のヘイトなのだし、本当に近隣諸国との平和を望むのなら、
罵り合い程度は容認してお互いの不必要なフラストレーションをためないようにすべきだろう。
ネット上で年中罵り合ってる日韓のほうが日中よりは健全だ。
「アメリカ人はアホだな」と大っぴらに言える事は決して悪いことじゃないはずだ。
[No.28] 投稿者:服部弘一郎[2004年7月29日 07:55]
>明明徳さん
儒教で言うところの「孝」は肉親同士が愛し合う自然な感情に発してはいますが、家族愛に似て非なるものですね。つまりそこには、強烈な「義務」が付随しています。伝説の聖人・舜は実の父や異母弟に何度も殺されかけますが、それでも孝心は少しも揺るがなかったとか。こんなものが、通常の家族愛であるはずがありません。
日本人は道徳を何かしら気分や感情のように理解するようになってしまいましたが、もともと道徳とは人をある特定の行動に強いるものなのです。この道徳律の中にいる限り、その取り決めに反した行動は取れません。
「忠」はもともと「真心」や「思いやり」という意味ですが、儒教2千年の歴史の中でその意味が「臣下による主君への忠誠心」へと限定されていきます。「忠経」のような書物もありますしね。
一般的には「家庭内での上下関係」にまつわる下から上への真心を「孝」とし、主君と家臣や上司と部下のような「社会的な上下関係」にまつわる下から上への真心を「忠」と解釈することが多いようです。僕も便宜的にそのように使っています。
[No.29] 投稿者:名無し[2004年7月29日 10:53]
サモクさん。
愛郷心の延長線上に愛国心があるって、少なくとも私はそう思ってますけど・・・
yu-riさん。
日本の教育では「愛国心」は育たないと思う。少なくとも私はそのような教育を受けた覚えはないです。近頃見直そうという動きは出ていますが・・・
むしろ「反政府」「反権力」的な事を教わりますよ、ホントに(笑)公務員で、公立校の教師なのに「国なんていらない!地球市民だ!」とかそんなのばっかだった。
それでも私は自然と日本贔屓になってしまった(笑)最初はやはり私も松永さんほどではないけれど、「愛国心」って無いと思ってたんですけどね。いつの間にか日本に愛着を感じるようになった。・・イツ頃からか、歴史が好きになったんでそれから、日本を見直すようになったんですけどね。
教育が占める比率は大きいけど、必ずしもそれが決定的なわけじゃないし、現状では「愛国心教育」なんてほとんど行われてないと思います。
愛国心=税金とかちょっと悲しいかなと考え方が・・・
[No.30] 投稿者:名無し[2004年7月29日 10:54]
続き。
松永さんの話、分ったような、分らないような、私の周りには松永さんのような考え方をしている人はほとんどいなかったのでなんとも言えないというか、新鮮なキモチさえしますね。
これはもう考え方の違いなので何も言えないのだけれど、やはり私は日本人で、そんな自分を生み育んでくれた両親も日本人で、さらにその両親を生んでくれた祖父母も日本人で・・・
不思議な気がしますね。我が家の家系図の中で一人違ったりいなかったりするだけで「私」という存在は産まれてさえいないんだ、と。
だから先人に感謝の気持ちがある。「精一杯生きてくれてありがとう」と。そして両親やさらにその祖父母を育んでくれた人たちにありがとう、と。
そして生れ落ちた「日本」という国は豊かで、問題は多数あるけれど、暮らしやすく、食べ物も豊富で娯楽も多数あり、国際的にも信用がある国で・・・
そんな国に偶然生まれ落ちた奇跡を感謝したいと思う。そしてその国を築きあげた先人・偉人たちの偉業・功績に感謝したい。
私の愛国心はそこから始まりました。
もちろん、ずっとそんな事考えているわけじゃないですよ。でもたまに、ふとそう思う事があるんです。
[No.31] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 12:27]
AUTHOR: ズンドコベロンチョ
EMAIL:
IP: 61.210.176.253
URL:
DATE: 07/29/2004 12:27:00 PM
[No.32] 投稿者:匿名[2004年7月29日 12:43]
> だから先人に感謝の気持ちがある。
どうして「日本人限定の先人」なのか全然わからないんですよ。
[No.33] 投稿者:まさお[2004年7月29日 13:13]
重慶のブーイングに反応して、程度を落としてしまった日本人に対し、「それは良くない!」と憤る気持ち、この気持ちの中にも、愛国心のカケラとも言えるものが隠れているのかもしれません。
今後、中国代表チームを日本に向かえた試合で、日本人サポーターがお返しとばかりに無礼な態度をとった場合、私は他人事ではいられないと思います。「うわ、止めてくれ」と言う気持ちが必ず発生してしまうと思います。これは、「同じ日本人として」と言う事なのかもしれません。
表に出す愛国心と言う物の他に、隠れていて自分でも気付かない愛着と言うものもあり、そこを刺激される事で、表面にいろいろ出てくる、と言う事もあるかも知れませんね。でもやっぱり無い人には無いのかも。
まぁこんなに沢山の投稿を受け付けて、同胞の啓蒙に励む松永さんは、実は超愛国者だ。とも言えますが。
[No.34] 投稿者:OZ[2004年7月29日 13:34]
個は全を成し、全は個(の生命・財産)を守る。ひとつの国で生まれて成長するということは、基本的にはそういうようなことではないかと思います。
そしてまた、全の一部が攻撃を受けたのなら、同様に全の一部である自分にも波及するかもしれない(そう考えることに無理があるとも思えません)。だから嫌うのでは?
攻撃も受けずに外部を嫌おうという動きがもしもあるのだとしたら、それは臆病な防衛行動かもしれませんね。
特に愛国心のない人間の発言です。
[No.35] 投稿者:es[2004年7月29日 13:48]
>毒カレー事件が起こったからといって「和歌山の人はカレーにヒ素を入れるからなあ」というのは冗談としても最低のものです。
これは本当に最低なのか?
あなたは、中で何度も「所属を自分と思えない。わからない。」と書いている。
又、「悪意は分かる」とも書いてるが、この話は「冗談」という設定だ。
つまり、あなたは分からない物に対して「最低」と言ってるが、それは一体どこから来ているのか?
一つ聞きたいのは、松永さんは相手が不法で攻めてきても、正法で相手をするのか?
場合によりけりだと思うが、私は不法には不法でおかえしする人間の方が世界的に普通だと思っている。
例え正しくても、潰されてしまえば、死人に口は無いのだから。
言われている問題の対象の中には、そういう心構えの人も多いのではないだろうか。例え間違っていても、潰されるよりはましだと思って声高く叫ぶ人間が。
特に日本人は、アメリカの戦後占領政策の成功例を何時でもみる事が出来るのだから。
[No.36] 投稿者:匿名[2004年7月29日 13:49]
しろつさん、No.31さんに賛同。
松永さんがいうほど愛国心というのは形のあるものではないと思うんですが…。普通に大体の人が愛国心に対するスタンスは松永さんと一緒ですよね?ただ現実を感じていれば今はまだ宇宙世紀でもないのに国という概念をそこまで無碍にするのはいきすぎではないかと。まだ確かに存在するものを知覚するの諦めるのはどうかと。大体、訴えてる対象のズレがややこしいですね。
[No.37] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月29日 14:02]
もしかしてみんな重慶爆撃とか知らないんだろうか?
重慶爆撃で多数の「中国人」が死んだのは歴史的事実で、それは原爆で「日本人」が死んだのと同じレベルの事実なんだけど、でも日本の教科書で教えられてる原爆の扱いと、アメリカの公教育や私学で教えられる原爆の扱いは全然違うものでしょう。日本の教科書に書いてあるようにアメリカで原爆を教えたら「この共産主義者め!」とかバカな事を言われそうだ。でも原爆によって大量の「日本人」(本当は日本人だけじゃないが)が虐殺されたことは事実だ、その事実と同じく重慶で大量の「中国人」が虐殺されたのも事実だ。事実を教育によって教える行為を反日と言うのは、大量に虐殺したヒストリーをバックグラウンドに育ったと言う事実を隠蔽したいだけだと思う。都合の良い事実だけを教えるのが愛国だと言うなら馬鹿としか言いようが無い。
あとスポーツ選手が国際試合なんかでナショナリストに豹変すると言うのは、アメリカ帰りの学者にも良くあるパターンで(最近はアメリカ留学すら「できない(バカだからアメリカの大学に呼んでもらえないし入れてもらえない)」学者にも同様のメンタリティを持ってる馬鹿が増えたが)単純に個人的業績をその土地で残せなかったので最終的にナショナルな代物にすがりついただけでしょう。大体スポーツ選手なんて筋肉バカなんだから(ヤクルトの古田やロッテの小宮山なんかは除いて)愛国心だとか思想だとかそう言うのを考える必要な無い。そんな事より自分のやってる競技で良い結果を残せるように何とかするべきだろう、それができれば「愛国心とかそんな事より、自分のやってきた事を見て欲しい」と言えば良いんだ、言えないから愛国者になるんだろう、バカだよね。
役者バカとバカ役者は二つとも意味が違うがどちらも「役者」である、しかし愛国心にかぶれたら単なるバカにしかならない。自分が何者であるか、なにをしているのか、それを誇りに思うべきで、個人的な業績以外で何かを誇るのは筋違いも良いところだ。
[No.38] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月29日 14:06]
何年も前の重慶爆撃をいまだに抗議するなんておかしい、とか言うバカは原爆で死んだ人たちや残された遺族になんて言うつもりなんだろう?
[No.39] 投稿者:匿名[2004年7月29日 14:19]
No.31の人と、それに賛同しているNo.37の人に質問。
No.31の人はかくも美しく愛国心を描写されていますが、
ネット上にある「愛国的サイト」がほとんどヘイトによって成り立っている
という厳然たる「事実」をどう説明しますか?
私は「愛国心とはなにか」を、ネットで学びました。
ネットを見る限り、その根底は「憎悪」であるとしか思えません。
[No.40] トラックバック:「まっちゃん所にも書いたが」(電スポ亭タイガー74の「戦争に賛成する自民公明民主を絶対許さん」残り2日日記 合い言葉はアフロと軍曹)[2004年7月29日 14:32]
最近の子は重慶爆撃とか習わないのかね? 意味も無く殺されたら原爆の例を見るまでも無く反発するのがなんで理解できないんだろう? 嫌な話だけど僕は日本人だ、そう言うシバリがあ...……[全文を読む][No.41] トラックバック:「サッカーなんて軍国競技は見ないけど」(電スポ亭タイガー74の「戦争に賛成する自民公明民主を絶対許さん」残り2日日記 合い言葉はアフロと軍曹)[2004年7月29日 14:32]
重慶でサッカーの国際試合があったのは知ってる。そこで君が代にブーイングが出たのも聞いた。 そこら辺にはいて捨てるほど居る日本大好きっ子は、せいぜい明治からの日本が大好き...……[全文を読む][No.42] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 14:41]
AUTHOR: ズンドコベロンチョ
EMAIL:
IP: 61.210.176.253
URL:
DATE: 07/29/2004 02:41:07 PM
[No.43] 投稿者:No.40の人[2004年7月29日 14:42]
No.14を書いたのも俺なんだけどね。故意かどうか知らないけど
返答は誰からもなかった。
だから再度質問してるんですよ。誰か答えてくれないかなあ。
[No.44] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 14:46]
重慶爆撃?だからなんだね?
原爆を落としたアメリカ国民に今になって
日本国民が嫌がらせをしていいという理屈
なのかね?犯罪者の家族は全員犯罪者かね?
加え我々の世代が今まさに行った爆撃でも
あるまい。なぜ今の世代の者がそれを盾に
して暴虐の限りを尽くしてよい理由がある?
そしてなぜその悪行への反発を「自称愛国者
の愚行」と乱暴に一まとめにする意味がある?
熱心に他国を憎悪する「自称愛国者」とは
どこの誰の事だ?ずっと質問しているが
ついぞそんな輩は見当たらないわけだが?
[No.45] 投稿者:No.40の人[2004年7月29日 14:51]
日本語が不自由な人がいるので再掲。
ネット上にある「愛国的サイト」がほとんどヘイトによって成り立っている
という厳然たる「事実」をどう説明しますか?
[No.46] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月29日 14:58]
愛国者と言うのはズンドコベロンチョのようなアホしか居ないわけだな。
[No.47] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 15:21]
>>46
すみません、ではその愛国的サイトというのを
いくつか紹介してください。その愛国の基準が
今回のサッカーの暴力事件に対する反発を
しているもの、という括りであるならそれは愛国
とは全く関係のない問題です。いったいどこから
愛国心なんて言葉が出てきたのか。
しかしこうにも国家の構成員としてのまとまりに
欠ける人間が跋扈する世の中になっていることに
背筋が寒くなる。「シンボルマークにすぎない」
という発言も「シンボル」という巨大な意味を
持った単語に対して「すぎない」と見下している。
これは本当に恐ろしい。日本への愛国心以前に
他国のシンボルにさえそのように吐き捨てているのだから。
>47
中傷合戦をする気はありませんので
そちらも控えてくださいませ?
[No.48] 投稿者:No.40の人[2004年7月29日 15:36]
>その愛国的サイトというのをいくつか紹介してください。
いまさらこういう質問が出るとは驚きだけど?
2ちゃんねるとかいろいろあるでしょ?
あとは「中国」「韓国」「サヨク」「自虐」「反日」
「プロ市民」「朝日新聞」など、愛国者好みの単語で
検索すればいくらでも出てきますよ。
逆に根底にヘイトがない、「良い愛国的サイト」があれば
教えてください。
[No.49] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月29日 15:45]
馬鹿に馬鹿というのは事実の指摘であって中傷ではない、馬鹿。
[No.50] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月29日 15:47]
そもそもトラックバック送ってあるのに読みもしないのは馬鹿だとしか思えないし、仮に俺の書いたテキストを読んであの返事を出したならやっぱり馬鹿としか言えない。
[No.51] 投稿者:ss[2004年7月29日 16:03]
ほい→No.49
http://www.aikoku-u.ac.jp/
http://www.aikoku-sangyo.co.jp/
http://www.gainax.co.jp/soft/daicon/dai.html
最後のはちょっとhateかな?(笑
上のURLは冗談ですが、「日本が好き」で検索してみてください。政治的に云々とは関係ないサイトはいくらでも出てきます。(それとも「日本が好き」というのは「愛国心」とは呼べないと?)
レッテル貼りする人たちが対立概念として自分たちの側を「愛国」と必要以上に強調するのはある意味当たり前の話で、もしそういう連中がいるから愛国心と呼べるようなもの、そんなようなものはすべてダメ、というなら、あなたはむしろそういう人たちに近いんじゃないでしょうか?
[No.52] 投稿者:もうやめてください[2004年7月29日 16:13]
>49の人
あなた大本が間違っている。皆呆れているからレスがつかないだけです。No14を見直してください
>愛国心とはネガティブなものばかりではないと言う人がいるけど、
>いわゆる「愛国系サイト」ってほとんど他国への憎悪か、自分たちと考えの違う日本人に
>「反日」「サヨク」「売国奴」のレッテル貼って憎悪してるところばかりじゃん。
「愛国心がネガティブなものばかりではない」という命題を否定するのに、「(あなたしか
わからない定義の)いわゆる「愛国系サイト」の様子」を出して、それで何事かが言えていると
本気で思ってるんですか? ご自分の頭の中では整合性が取れているのかもしれないが、傍から
見ると幼すぎます。
愛国心というのは、たまたまあなたが見たこと(もしくは話を聞いたこと)がある、あなたの定義
する「愛国系サイト」というところにだけ置いてあるものだと言うのですか?
ご自分にきちんとした返事がこないのは、自分が妙なことを喋っているからではないか、とあなたの
場合は自戒なさったほうがよろしいかと思います。
[No.53] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 16:17]
>49
それのどこが愛国心と関係あるんですか?
ぜんぜん関係ない別個の問題ではないですか
故意のミスリードがそんなに楽しいですか?
>50
私人への中傷はアウトです。残念。
公的利益に基づきませんからね。
>51
はい?自分ルールの提示は脳内で
おねがいします。。。
とにかくこの松永という人と、それに付和雷同
する者たちは日本国民に対して「愛国」という
言葉を嫌わせようとしているわけですよね?
御丁寧に逃げ道をいっぱい作った上で。
今回のサッカーの問題に対して反発するのは
至極普通であたりまえのことなのに何故か
突然愛国心を盾にそのようなことをするのは
おかしい、と発言なさったわけで。
別に愛国を盾にしようがしまいが反発があって
あたりまえでしょうよと、何度言われたらわかるんですかね。
そしてなぜ突然愛国心などという問題にすり替え
ているのか?どう呼んでも意図的に愛国心への
イメージダウンをしたいとしか思えないわけだよ。
どんな書き方をしたっていつもそこだけが唐突に
現れて、常に同じであるんだもの。
しかも、反対意見を書き込んだ人に対して
まっとうな反論ではなくホストかなにかで判別
してブラウザクラッシャーを強制的に踏ませるという
卑怯きわまりない行為。これは絶対に許せない。
[No.54] 投稿者:No.40の人[2004年7月29日 16:18]
>ss
どうも。
確かに「政治的ではない」サイトにヘイトは少ないかもね。
でもそれは国家というより風土や文化が好きと言ってるような。
ただ政治的なサイトだとやっぱりヘイトが出てくるね。
>そんなようなものはすべてダメ
誰もそんなこと言ってないんだけど・・・
[No.55] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 16:23]
>>[No.39] 投稿者:あめぐりの人[2004年07月29日 14:06]
>>何年も前の重慶爆撃をいまだに抗議するな>>んておかしい、とか言うバカは原爆で死んだ>>人たちや残された遺族になんて言うつもりな>>んだろう?
「アメリカ人に鉄の棒を投げろ」と言えと?
あなたはなにが言いたいのですか?
まるっきり関係ない話題ですよ、ハウス!
[No.56] 投稿者:No.40の人[2004年7月29日 16:25]
>No.53の人
>皆呆れているからレスがつかないだけです。
ぶっちゃけ、認めざるを得ないからでしょ?
ネットの現実をみなよ。
[No.57] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 16:25]
>ただ政治的なサイトだとやっぱりヘイトが出てくるね。
ダ メ だ こ り ゃ
[No.58] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月29日 16:59]
何を言っても自己愛の塊には理解できないようだ。
[No.59] 投稿者:ズンドコベロンチョ[2004年7月29日 17:08]
>>59
素っ頓狂なレッテル貼りにはうんざり。
[No.60] 投稿者:OZ[2004年7月29日 17:23]
>あとは「中国」「韓国」「サヨク」「自虐」「反日」
「プロ市民」「朝日新聞」など、愛国者好みの単語で
>検索すればいくらでも出てきますよ。
どうも、この辺りの単語を持ち出して初めて愛国者として認める、という個人的意見が伺えますね。
文化を愛す、人々を愛す、営みを愛す、自然を愛す。そんなふうに、なんというか、静かな愛国というのはないのかな?
[No.61] 投稿者:コメント欄を余り読まずに[2004年7月29日 17:34]
「『所属』を『自分』とは思えない」については正直好みの問題と似ているので何も言わない。
納豆が嫌いか好きか、に似たような話だと思う。
(「自分」が「所属」と同一でなければならない、と強制する奴は基地だと思うが)
でも「愛国心」が必ず「他を排すること」と結びつくのはどうかと思う。
自分は外国(フランスとスイス)に居たとき、やはり日本という国は素晴らしい国で、こう言うと変な誤解を受けるかも知れませんが、「世界一の国」だと思いました。
その日本を悪く言う連中については国籍とかに関係なく反感を持つのですが、それは編なのでしょうか?
あと自分は「愛国心」と「愛郷心」が全く別のもの、とは思っていません。(全く同じもの、とも思っていませんが)
現在の「日本」はやはり政府・国民あってこの日本が成立するとも思ってますから。
(つまりは外国に支配されたり、国家社会主義や東欧に樹立したような共産党政権などの政権が日本を支配するようになったら、その日本が好きで居られるかどうか自信が無い)
[No.62] 投稿者:53[2004年7月29日 18:15]
私は寺山修二は嫌いではありませんが、彼の政治的発言も詩のようなものと受け止めています。
だから「愛国心というのは、他国をにくむという心である」なんていうのは、詩的情緒で紡がれた
彼の直感の表現だと思います。(マッチ擦る~なども詩としては大好きですが)
これを自分が何事かを述べるために持ってくるのは、何か彼の詩をプロパガンダ映画として使わ
れているように見えます。彼はあくまでも時代の子ですから、時代の雰囲気を詩にしてるんですよ。
愛国心に関しては、幼いものや未熟なもの、偏頗なもの、さまざまな形もあると思います。しかし
ないとあるでは大きすぎる違いがあるのではないでしょうか。今未熟なものでも成長、昇華すれば
可能性としてはいい方向もあるでしょう。ですが無きに如かずとなれば、話は始まりません。
それと、松永さんとコメントの同調の方々を一括りにするのも何ですが、ネガティブに愛国心を考え
られる方々は、愛国心を持つ者は「~が得られるから愛国心を持つのだ」という薄っぺらな議論に
終始しておられませんか? 愛国心とは何も心理的に自分を補ってくれるから持つものに限定される
ものではないでしょう。いえ、それだけでは未熟なものだと私は思います。
松永さんが寺山氏を孫引きされたのに対して、私もケネディの言葉を引かせていただきます。
And so, my fellow Americans. ask not what your country can do for you--
ask what you can do for your country.
「同胞のアメリカ国民の皆さん、あなたの国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたの国の
ためにあなた何ができるかを問うてください」
[No.63] 投稿者:匿名[2004年7月29日 18:54]
私個人としては、自分自身が隣国から一目置かれるような人間に成長していくこと、そしてそういう人が増えて、「日本には立派な人が多い」と思わせることこそが、結果としては多数の人の愛する「日本」をよいものとすること、つまり本当の意味で「国を愛する」結果になるのではないかと思っています(私個人としては別に国を愛そうと思ってやってるわけじゃありませんが)。
--------------------------
お題目は立派なんだけどさ、具体論が欲しいのよ。
中国には長年ODAもやってきた。韓国にはIMFの時に散々お世話した。通貨保障もやっている。
金だけじゃないと反論されるならば、日本政府は中国を刺激しないように近海の石油発掘をやらないできた。韓国が不法占有中の竹島についても事実上黙認してきた。
南京大虐殺や従軍慰安婦・強制連行などについても、十分な検証をせずに相手の言い分をほぼ飲み込んできた。
あんたは、これ以上、日本が何をするべきだと思うのか。
[No.64] 投稿者:匿名[2004年7月29日 19:39]
↑だからなんで「日本が」何をするべきかという話になるんだろうねえ(爆
[No.65] 投稿者:匿名[2004年7月29日 19:46]
>>60
素っ頓狂なレッテル貼りにはうんざり。
[No.66] 投稿者:匿名[2004年7月29日 19:49]
ズンドコベロンチョとやらいう人は何でこんなに粘着してるんですか?
[No.67] 投稿者:名無し[2004年7月29日 21:05]
重慶爆撃を理由に日本代表にブーイングしていいなら、通州事件を理由に中国代表にブーイングでもしますか?それを良しとするんですか?
>[No.33] 投稿者:[2004年07月29日 12:43] さん
私が日本人だから・・・?かな?
>事実を教育によって教える行為を反日と言うのは、大量に虐殺したヒストリーをバックグラウンドに育ったと言う事実を隠蔽したいだけだと思う。
事実を事実として教えるのはダメなんて言ってない。爆撃は事実だから教えるべき。
ただ誇張しすぎていると思う。
日中戦争や南京事件の犠牲者数が年々増えていってるし・・・
日中戦争に至る過程はもっとしっかり教えて欲しいなってそう考えてます。これは日本の学校にもいえることですね。
そして政治とは何の関係もないところでそういう歴史認識を持ち出すことがいかに恥かしいことであるか。一部の中国人が気づいてくれると嬉しいです。
>大体スポーツ選手なんて筋肉バカなんだから(ヤクルトの古田やロッテの小宮山なんかは除いて)愛国心だとか思想だとかそう言うのを考える必要な無い。
・・・・・カワイソウな人。
松永さんのはある種考え方として有りだと思うけど、あなたはカワイソウな人だね。
あなたに考える必要は無いなんて言われる筋合いはないんじゃないの?
あなたが愛国心を否定したい人だっていうのは文脈から分るけど、他人をそうやってバカにするのはいくら何でも気分良くないです。
愛国心を殊更強調する人は他者に攻撃的というけれど、同じく否定している人も同じ事が言えるんだってあなたで証明された。
どちらも振りすぎるのはよくないんだ。気をつけなくちゃ。
>何年も前の重慶爆撃をいまだに抗議するなんておかしい、とか言うバカは原爆で死んだ人たちや残された遺族になんて言うつもりなんだろう?
もし原爆被害者がアメリカ代表にブーイングしたら私はそれを恥かしく思うし知り合いでやってる人がいれば止めると思う。米代表は関係ないもの。
[No.68] 投稿者:ss[2004年7月29日 22:11]
>No.68
補足すると、重慶爆撃は何年も前、ではなく何十年も前、です。
まだ生きていらっしゃる方はもちろんいるでしょうがサッカー場の観客はほとんどそれを体験してない世代で、それでなおあれだけ憎しみを激しく持つということは、憎しみを激しく持つ教育なりが行われている、と見るべきでしょう。その背景を抜きで「あの行為は当然」とするのは、すなわち誰かによる扇動とその扇動に無批判に乗ることを是としていることになります。
片方では「愛国」で中国への反感を煽る者を批判し、片方では誰かが反日を重慶市民に煽ることを是とする。No.33さんは態度が一貫していないようです。
[No.69] 投稿者:なない[2004年7月29日 22:50]
よく言われることですけれどもちょいと書きます。>all
愛という言葉の定義が違ってるのに、あたかも他人も同じだとして 字を綴っているので言い合いになるだけなのは当たり前ですよね。
んー、まずこの「愛」とかという種類ほかには「好き」とかありますけど、ここら辺の意味を表す言葉がこの2つくらいしかないという事自体に注目する必要があります。
日本においてのその種の言葉が少ないと言うことは「愛すると言う行為や文化が浅い」と推測できそうだと言うことを念頭において、愛国心とか愛を考えたりしないとにっちもさっちもいきません。
※博愛とか情愛とそおいったのはありますけど、これは「愛」の狭義的な単語なので愛に含まれます。
※言葉の種類(豊富さ)とその国の文化や特徴が重なるというたぐいのお話は良くあります。私もそう思ってます。
松永さんは博愛とか、相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
愛国心を大事にしたい方は(もしくは松永さんの意見否定の方は)、 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
これどちらも、愛って辞書で調べると出てきます。
→http://dictionary.goo.ne.jp/index.html?kind=jn&mode=0
んー、だから目くじらたてて ちがうだろって文章を綴ってもむなしさ半分かもしれません。
あと、国家とか宗教とかのマス視点の会話になると途端に冷静さを失う傾向が強いのも、まともな会話にならない原因です。
私は愛といえば、博愛とか相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心、だと感じてます。
なので今回のように、他人や 双方に負の作用を起こす行動を愛と言う人達がいることに びっくりしました。
私は国境の時代が終わらないと平和な世界は難しい、と考えていますので「○○国」というカテゴリーを作ってそれにわざわざ「愛」を付けることには否定的です。
私は「日本大好き」なら私も共感しますけど、「愛国心」だとナンセンスだと思います。
[No.70] 投稿者:地蔵[2004年7月29日 22:59]
愛国心なんかより愛子様の話をしようぜ
[No.71] 投稿者:なない[2004年7月29日 23:18]
上の文章書いて気づいたんですけれど、
・「愛国心」この言葉はどこの国を表すかと言えば、日本人が使うと日本。アメリカ人が使うとUSA。中国の人が使うと中華人民共和国。
つまり主観的な視点でしか国を特定できないので、国に属している事が前提の主観視点。
・「日本大好き」は、国の名称を特定していることで、まず他国が存在するという客観視点。
つまり、自分中心の愛と、まず世界があって自分がいるって言う公益的な愛。このギャップが問題になったのかもって思いました。
[先に(上に)書いた文章訂正] 2行目の「同じだとして 字を綴っている」は「同じだとして 文章を綴っている」でした。
[No.72] トラックバック:「ゲームの面白さ」(それ)[2004年7月29日 23:28]
ゲームの面白さは勝敗に基づくものが多いと思う。 観客としてはゲーム内容だけじゃなく、どこかに感情移入して勝敗も楽しみたい。...……[全文を読む][No.73] 投稿者:ななし[2004年7月29日 23:49]
2ちゃんから辿ってきてざっと拝見しました。
基本的に「わからないものを批判するな」というレスで終了しているとは思いますが、私なりの愛国心について書いてみたいと思います。
私が「あー、日本って結構いい国なんだなあ」と思ったのは、海外に何度か行ってからです。それまでは日本に対する意識というのは松永さんと同じく希薄だった私ですが、日本国パスポートの持つ力を感じたり、滞在先ホテルでの体験などを日本と比べて考えたりしているうちに、そのすばらしさがわかるようになりました。それらは当然私が培ったものではなく、過去の先人たちや現在の人々の努力によって築かれたものです。自然とそれらに感謝するようになり、私もそれを貶めないように生きなければならないと思うようになりました。この時ようやく日本人としてのアイデンティティを得られたと思っています。松永さんの「どうして先祖だけなのか」という疑問に対する私なりの見解はこれです。他者(国)を知ることで自分を知ったということで、個人における自我の形成みたいなものでしょうか。
そして、自分自身に対する中傷ならばまだしも、その自分のアイデンティティを形成する人たちを特に悪意を持って貶めようとするのであれば、当然腹が立ちます。私から考えると当然の心理です。もちろんだから相手を中傷し返すかどうかは別の問題。この点に対して松永さんが端から色眼鏡で見てコメントされていたのは、他のかたがたの指摘の通りかと思います。
ところで文中「自分自身が隣国から一目置かれるような人間に成長していくこと、そしてそういう人が増えて、「日本には立派な人が多い」と思わせることこそが、結果としては多数の人の愛する「日本」をよいものとすること」と書かれてますね。これは非常にすばらしい考えだと思いますよ。私もそう思います。で、「立派な人」とはどういう人のことを指していますか?
また、もしあなたがその「立派な人」になったとして、それをあなたの家族が喜んでくれたら「オレが立派なんであって、あなたがたが立派なんじゃない」と思いますか?
[No.74] 投稿者:ボル七(旧モロナイレブン)[2004年7月29日 23:58]
どうでもいい、ツッコミかもしれませんが一応。
孔子の解く『仁』とは『博愛』みたいなもの、ではなく『博愛』そのものです。
なんで、そう言い切れちゃうかと言うと、『博愛』という言葉を作った唐の文人・韓愈が仁とは博愛だと言ってるからです。
ちなみに、韓愈は道教・仏教を否定し、儒教を尊んだ人物です。
逆に、フランス革命のスローガン、『自由・平等・博愛』の博愛の方が、韓愈の言う博愛とはかけ離れた精神です。
この博愛の訳語が当てられた、元の言葉はFRATANITEですが、コレは本来『兄弟愛』『同胞愛』と訳すべき言葉です。
どちらかと言えば『身内の団結』みたいな事を表してます。
これって服部弘一郎さんが、以前に儒教の悪癖だとおっしゃってた、『えこひいき』そのものなんですよね
『えこひいき』を最大のスローガンに掲げてるフランス革命を元にした近代思想(民主主義等)の方がはるかに「『えこひいき』の思想だと私は思うし、近代中国史を考えてみれば儒教の影響より、近代思想の影響の方が大きいと思いますけど。
朱子学的儒教道徳に問題が無いというわけでも無いですが、近代国家の産物であるナショナリズムの発露、と儒教と結びつけるのは不自然だし無茶があると思いますね。
[No.75] トラックバック:「パトリオット・ゲーム」(けみかるいんぴーだんす)[2004年7月30日 00:02]
http://kotonoha.main.jp/2004/07/28patriot-rewrite.html 愛国心について。大手が叫んだよ。こりゃあ何か言わずには・・・つーか大賛成。……[全文を読む][No.76] 投稿者:匿名[2004年7月30日 00:08]
>69
体験していない世代だから、と言うのは世代を超えて語り継がれる戦争体験、みたいなんを無視してると思う。
原爆被害者に「もうそんなん(原爆の事な)どうでもええよ」とか言える?言えるなら最低だ。
[No.77] 投稿者:ss[2004年7月30日 00:10]
>No.77
では、広島の住民はアメリカ人に罵声を浴びせ、物を投げつけるのでしょうか?
重慶の件がおかしい、とはそういうことです。
[No.78] 投稿者:もりもり[2004年7月30日 00:27]
↑上のssさん、議論のすり替えだよ。
「語り継がれる戦争体験」や「原爆被害者に「もうそんなん(原爆の事な)どうでもええよ」とか言える?」のかについてはどう思うの?
政策で行われてる反日教育がどうこう、っていうよりも歴史をちゃんと知ってるかってこと。
何十年も前とはいえ、大爆撃が行われた重慶で君が代を歌えばそりゃいい反応は返ってこないと思うけどな。
重慶の件はおかしい。やったやつはバカ。
それは松永さんも同じ意見でしょう。その行動を擁護してはない。
不愉快なことをされたからって、不愉快なことをやり返すのは低レベルだと思うでしょう?
じゃあ相手を罵ってるのも自らレベル下げてないか?
中国の反日教育に問題があるとしても、このブログで松永さんを叩くより、他にすることあるんじゃないの?>愛国者の皆さん
[No.79] 投稿者:ss[2004年7月30日 00:43]
>>No.79
そうですか? 私にはもりもりさんこそ議論のすり替えと思うのですが。
一応、重慶爆撃についてはとおり一辺倒は知っています。中国でそれがどのように語り継がれているかは知りませんが、南京虐殺記念館の例などを見ると、「事実そのものを伝えているのか」「その目的は」など、いろいろ邪推が思いついてしまいます。
別に「そんな昔のこと忘れろよ」と言ってるのではありません。私はそんなこと一言も書いてませんし、広島のことを比較に出してますが、広島では現在も原爆の記憶や原爆症に苦しんでるかたが存命です。そのことになにも思うな、とは言えません。
しかし、奇しくも中国には臥薪嘗胆の故事があります。憎しみを維持するには、維持する努力が必要なのです。それが実体験していない若者ならなおさらのこと。土地柄、日本への心象が悪いのは無理からぬとは思いますが、何故実体験していない若者がここまで過激に日本への攻撃を行うのか。そこには「臥薪嘗胆」があるのではないかと愚考するのみです。
[No.80] 投稿者:MAO[2004年7月30日 00:53]
愛国、愛国心を議論するときには、その前提となっている「国=国家」と「国民」というものの関係をおさらいしておいた方がよいと思っています。
そこで出会ったのがこのサイト。
簡にして要を得た記事で解説しているので、参考になります。
▽「国民文化」とは何か
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/vorrede.html
▽週刊『思想と国民文化』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/thought.htm
議論するというのは相手を論破し、従わせるのではなく、自分の考えを深めるために行なうべきではないでしょうか。
[No.81] 投稿者:MAO[2004年7月30日 01:03]
>81
URLを間違えました。
正しくはこちら↓
▽週刊『思想と国民文化』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/thought.html#top
[No.82] 投稿者:minmin[2004年7月30日 02:14]
関係ないかもしれませんが、愛国心を英語で言うとペイトリオットです。ナショナリズムではありません。
[No.83] 投稿者:匿名[2004年7月30日 02:23]
パトリオティズム(Patriotism)のことかな?ナショナリズムも愛国心の意味として使われますよ。
[No.84] トラックバック:「ことのはの愛国議論」(穀潰しブログ)[2004年7月30日 03:05]
トラックバックするほど議論の中身について意見があるわけではないので、リンクだけ。 Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編 うーん、眠い中読んでるのでちょっ...……[全文を読む][No.85] 投稿者:匿名[2004年7月30日 07:50]
俺はNo.14じゃないがヘイトは真の愛国心じゃないなんて定義だけしてすまされてもね。問題はヘイトに根ざした自称愛国者のサイトが現実に増殖中ってことでしょ。彼らの酷い罵詈雑言を見てると何時か犯罪行為に及ぶ者も出てくるんじゃないかと心配にならない?
何が彼らをそうさせているかの分析、そして彼らにどういう態度で向かい合うのかを、自称真の愛国者諸氏には答えて欲しいね。
[No.86] 投稿者:服部弘一郎[2004年7月30日 08:15]
>ボル七さま
「博愛」とは儒教由来の言葉なのかもしれませんが、現在日本で使われている「博愛」はむしろキリスト教的なものと解釈されています。ですから「仁」は「博愛」ではなく、「博愛に似たもの」なのです。
儒教の仁には、最終的に濃度差があります。最後に「身内か他人か」という選択を迫られれば、迷わず身内を選び取るのが儒教における「仁」でしょう。しかしキリスト教の博愛というのはまったく逆。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」とか、「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と、身内の結束を否定したところに成立しているのがキリスト教の「博愛」です。儒教思想の立場に立てば、このような言葉は断固否定されるに違いありません。
中国近代史は古代から清朝まで続いた、儒教にもとづく国家体制を壊し、西欧型の近代国家を作ろうとするものです。ですから、歴史の表面から儒教の伝統が見えてこないのは当然の話。しかし文化大革命のような例外的な時期を除き、中国人を支えているのはやはり儒教道徳であることは間違いないと思いますよ。現在中国で起きている「反日運動」は、国家主導のものというより草の根レベルで生まれたものです。そこには当然、儒教道徳にもとづく身内贔屓の感情も混じっているでしょう。これが多民族国家でありながら「国民国家」を指向する中国政府に、うまく利用されているのではないかというのが僕の感想。あくまでも感想でしかないので、それが正解かどうかはわかりませんが……。
韓国は中国以上に儒教で純粋培養された国ですから、その影響は今もしっかり残っているでしょう。ただ中国にしろ韓国にしろ、近代的な民主主義国家になれば(中国はまだまだこれからですが)、西欧型の個人主義も同時に受け入れざるを得なくなる。人の移動が盛んになって都市部に人が流入すれば、伝統的な家族や地域の結びつきは失われます。中国なんて一人っ子政策も相まって、急速に伝統的な家族は崩壊しているわけです。
こうして伝統的な共同体が崩壊した後に、それまで個人の精神的な後ろ盾となっていた「家族」や「親族」「地域社会」のかわりに現れたのが「国家」なのだと思います。本来は両親・家族・親戚・地域・国家という具合に、個人は何段階ものクッションを経て国家と結びついていた。それが中間段階をすべてすっ飛ばして、いきなり個人と国家が結びつくようになったのが現在の中国や韓国ではないでしょうか。日本の事情も、都市化・核家族化・少子化という点では似たようなものです。
ところで、僕自身は「愛国心」を否定しませんし、「愛国心」を何やらうさんくさいものだと考える人たちは、歴史に対して無知なのだと考えています。例えば徳川幕府を倒して明治の近代国家を作った人たちは、すべてが熱烈な愛国者でした。焦土となった戦後日本の復興を支えた人たちも、やはり間違いなく愛国者であったはずです。彼らが作った社会の礎の上に、現在の我々が生きている。それは否定できない事実です。
もちろん同じ愛国心が、日本を戦争の泥沼に引き込み、アジア諸国での戦争を通して、現在にまで禍根を残しているのも事実なんですけれどね。愛国心には裏と表がある。それは歴史を通して学べると思います。愛国心の明るい表側だけを見るのは、新たな過ちを生むでしょう。しかし愛国心の暗い面だけを強調するのも、歴史を無視したものだと思います。
[No.87] 投稿者:ぺ[2004年7月30日 08:30]
>>85
>問題はヘイトに根ざした自称愛国者のサイトが現実に増殖中ってことでしょ。
この手の輩って例外なくダブルスタンダードなんだよね。
今回の中国のブーイングや韓国の反日感情に関しても、その行為自体は肯定しない態度をとりつつも「我々にも原因があるんじゃないか」と分析してみる。
一方で「ヘイトに根ざしたサイト」やら(自分は見たことが無いが)に関しては、その分析は放棄。
中国韓国の悪事に関しては、「日本にも悪いところがある」。
日本の「悪事」に関しては「日本が悪い」。
これじゃ、どんどん保守派の成長を加速させるだけだと思うけど。
ちなみに、「ヘイトに根ざしたサイト」の具体例があったら教えて欲しいな。
くれぐれも言っておくけど、朝鮮人や中国人の歴史捏造を客観的に検証、分析したサイトや彼らの日本国内における犯罪をまとめたサイトは「ヘイト」じゃないんで、よろしく。
[No.88] 投稿者:匿名[2004年7月30日 09:43]
>焦土となった戦後日本の復興を支えた人たちも、やはり間違いなく愛国者であったはず
嘘でしょう。自分が生きるためであって、御国のためなんていう人は少数でしょう。
[No.89] 投稿者:ぱ[2004年7月30日 09:54]
嫌韓厨って言葉をしらないかね。
[No.90] 投稿者:匿名[2004年7月30日 10:03]
>「原爆被害者に「もうそんなん(原爆の事な)どうでもええよ」とか言える?」のかについてはどう思うの?
シチュエーションによる、自分なら。意味もなく現在の米人を批判したら、「今言ってもしょうがないでしょ。現在の彼らを非難するのは間違っている」って言うよ。思うだけにしとけって言うな。
「どうでもいい」とは言わないけどね。
でも自分は原爆被害にあっていない若者がアメリカ人を憎む姿は異様に映ると思う。
それに国家間では、すでにケリがついてるし、どこかで落し所を探っていかんと永遠に憎しみのループだぞ。
戦争体験を語り継ぐって憎しみも語り継ぐって事なのか?
「日本人は残虐、残酷。鬼、悪魔。今でも憎い」と煽るのが戦争体験を語り継ぐって事なのかな。そんなんじゃ、友好なんて永遠に築けない。
世代じゃない人間が昔を持ち出して現在の人間を批判している。どうみても異様な光景だ。
>何十年も前とはいえ、大爆撃が行われた重慶で君が代を歌えばそりゃいい反応は返ってこないと思うけどな。
都市爆撃なんて、中国だけじゃないんだが・・・
日本でもあったし、他の国でもあったろ。それでも普通に国際大会を開けてるわけで、それは言い訳にならないな。
[No.91] 投稿者:匿名[2004年7月30日 10:42]
>都市爆撃なんて、中国だけじゃないんだが・・・
そうなんだよね。
爆撃に限らず、中国は西欧にもいいようにやられているわけだ。
しかし、日本の「悪事」とやらにだけ異常なまでの反応をする。
他との比較で見た場合、明らかに異常。
まず、「日本を叩く」という目的があって、そのための手段を都合よく見つけてくると言う感じ。
[No.92] 投稿者:匿名[2004年7月30日 10:51]
松永さんは愛が足りない。愛国心を持つ人を許容できる愛がない。
[No.93] 投稿者:BBQ[2004年7月30日 11:09]
そもそも批判や誤解を招いたからってボツにするならはじめから掲載するなよ。それじゃ2ちゃんねるの名無しと変わらないじゃないか。あなたには覚悟が足りない。一回の小論文で今まで築いたものを失う覚悟が無い。そんなものにだれが真剣に答えようか。
[No.94] 投稿者:匿名[2004年7月30日 11:46]
↑誤解を招いた場合に、本当にいいたかったことを掲載するため書き直すのは誠意ある態度だと思いました。それに前の記事も残してありますし。
[No.95] 投稿者:匿名[2004年7月30日 11:58]
>松永さんは愛が足りない。愛国心を持つ人を許容できる愛がない。
許容はしてますよね?わからんといってるだけで。
[No.96] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 12:33]
>都市爆撃なんて、中国だけじゃないんだが・・・
だから日本は悪くないんだ、ご立派な愛国心だね
[No.97] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 12:34]
>爆撃に限らず、中国は西欧にもいいようにやられているわけだ。
>しかし、日本の「悪事」とやらにだけ異常なまでの反応をする。
みんな悪いのになんで僕だけ怒られないとダメなんだ!
ってこのお子様は言いたいんだな、馬鹿じゃないか。
[No.98] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 12:35]
そのうち重慶に爆撃したのは中国人の自作自演とか言い出すぞ愛国者とか言ってる馬鹿どもは。
[No.99] 投稿者:エス[2004年7月30日 12:58]
あめぐりの人さん、
醜いのでもうやめて下さい。
[No.100] 投稿者:匿名[2004年7月30日 13:01]
場を荒らすのが目的の不規則発言でしょうか? >あめぐりの人
もしそうでないのなら、他の方の発言をよく理解できない方なのだと思えます。簡潔に説明しましょう。
>No.96
90で言われているのは、憎しみの連鎖をどこかで断ち切るべきだとする態度です。その態度に鑑みて
中国重慶の今回の出来事は「日本軍が昔云々」ということを持ち出して正当化できないということです。
わかりましたか? 中国人の当事者であれ、中国のメディアであれ、日本のメディアであれ、重慶爆撃
の歴史を持ってきて先のスタジアムでの恥ずべき行為を部分的にでも正当化や免責するのはおかしいと
言っているだけです。 これがあなたの目には「日本は悪くない」という主張に映るのですか?
>No.97
91で言われているのは、中国政府の意図に対する不信、疑いです。さすがにそれが当を得ているかは
検証なしにわかりませんが、少なくとも疑念の根拠は述べられています。「いくつもある同様の過去の
の行為に対して、日本だけを責めるのは、行為のひどさに怒っているのではなくて、何か他に理由がある
のではないか」という疑いが読み取れませんでしたか? これに対する反論をなさりたいのなら、例えば
日本(軍)の行為は他に比べられるものではないだけ酷かった、という証明。あるいは中国が対日本の態度
だけを別にはしていない、他の国にだって同様の対処をしているという証拠を挙げることなどが適当かと
思います。
それに対してあなたが言っているのは、単に発言者を「お子様」になぞらえての皮肉、罵倒じゃないですか。
>No.98
そして挙句の果てには、自分と同じ考えを持たない人を十把一絡げに「愛国者とか言ってる馬鹿ども」
と呼ぶレッテル貼りですか。あきれますね。あなたには根本的に議論の能力がないのでは?
[No.101] 投稿者:CCCP_YPA[2004年7月30日 13:08]
コメントの一部だけ抜き出してイチャモンつけるのは議論を掻き回したかったり、
煽りがしたい方の常套手段です。
[No.102] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 13:29]
コメントの一部じゃないだろ、ほとんどそう言う今年か言ってないじゃないか。外敵を設定して愛国者を気取ってる馬鹿を馬鹿と言って何が悪い。
[No.103] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 13:30]
十把一絡げに愛国者は馬鹿だよ。
[No.104] 投稿者:匿名[2004年7月30日 13:40]
>>97
>みんな悪いのになんで僕だけ怒られないとダメなんだ!
近いけど、正確じゃない。
今まで、中国様の主張する「日本の悪」を、日本側はほとんど検証もなしに受け入れてきたわけだ。いわゆる南京大虐殺とかね。
ここで、僕が言いたいのは「これ以上」日本が我慢するのは耐えられないということだよ。
辻本清美が逮捕されたときに「他もやっている」とか「なぜこの時期に」とかいう擁護の声があったけど、あれとは質的に異なるのよ。
日本は中国に非難され、それをほとんどそのまま受け入れてきた。
ODAという形で事実上の賠償もした。
こんな状況で、日本ばかりがあること無いこと責め立てられ、全く無関係のスポーツにまで飛び火した。
これじゃ、日本もいい加減怒りが爆発するわな。
アヘン戦争でボロボロにされたのと比べて、日本人への対応があまりにも違いすぎませんか、と言いたくなるわ。
中国人に限らず朝鮮人もそうだけど、中華主義的な考えで日本を見下しているため、日本を叩く材料があれば徹底的に利用して、相手を破壊するのよ。
「あいつもやったのに、なんでおれだけ」ではなく「いつまで日本は叩かれるのですか」ということ。その比較材料として、欧米を出したまでです。
[No.105] 投稿者:匿名[2004年7月30日 13:45]
>朝鮮人や中国人の歴史捏造を客観的に検証、分析したサイトや彼らの日本国内における犯罪をまとめたサイトは「ヘイト」じゃないんで
ドイツではヘイト扱いされると思います。
[No.106] 投稿者:匿名[2004年7月30日 13:45]
ちなみに、オイラ、日の丸に敬意も払わないし、君が代も歌いません。
スポーツ観戦はしないので、日本を応援もしてません。
ただ、朝鮮・中国のファナティックな愛国心と排外主義、歴史捏造が許せないだけです。
さて、ここであめぐりの人に質問。
君の言う「愛国者」の定義付けをしてくれ。
レッテル付けして、敵を設定してるのはむしろ気味だが。
[No.107] 投稿者:匿名[2004年7月30日 13:50]
>>105
ここは日本です。
また、明らかな捏造に反論・検証することがヘイトならば、それは逆ヘイトですね。
日本人には一切反論もさせないし、検証もさせない。
中国人・朝鮮人の主張する「被害」をそのまま受け入れて罪滅ぼしをせよ。
こんな考えは国際的に通用しないよ。
[No.108] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 13:53]
誰が南京大虐殺の話をしてるんだ馬鹿かお前。なんだお前は南京大虐殺は無かったとか良いたいのか?せいぜい殺して数万人ですとかケロっと言う類の馬鹿なの?
それとODAはODAであって賠償や補償じゃない、ODAだ。なんでODAが補償になるねん馬鹿も休み休み言え。
[No.109] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 13:55]
朝鮮・中国のファナティックな愛国心と排外主義、歴史捏造が許せないだけ
と限定した外敵を作ることでチンカスみたいなプライドを維持してるのが愛国者。君にもその資格はあるね。
[No.110] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 13:57]
南京大虐殺とかの被害者数は日本側に残ってる資料も基にしてるので向こうの資料だけでみたいな妄言は無効だ、つか馬鹿だ。被害者が少なかったら良いのか?やったことをやったと認識したくないだけのヘタレだよ。
[No.111] 投稿者:匿名[2004年7月30日 13:58]
>>109
意味不明。
[No.112] 投稿者:匿名[2004年7月30日 14:00]
>南京大虐殺とかの被害者数は日本側に残ってる資料も基にしてるので
ソースお願いします。
[No.113] 投稿者:匿名[2004年7月30日 14:08]
>被害者が少なかったら良いのか?やったことをやったと認識したくないだけのヘタレだよ。
やったのかやってないのか検証しましょうと言ってるのに、中国様は拒否し続けてるんですがね(笑
あんたみたいな結論ありきの人間は論理破綻して、逃げるのがパターンなんだけど、いつまで持つやら。
[No.114] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 14:18]
>122
第一一四師団第六六連隊第一大隊 戦闘詳報
山田支隊山砲兵第十九連隊第三大隊 黒須忠信上等兵の陣中日誌
上海派遣軍司令部野戦郵便長 佐々木元勝の日記
第一六師団第二〇連隊 牧原信夫上等兵の日記
などを参照
[No.115] 投稿者:匿名[2004年7月30日 14:36]
>>114
こういうこと言いたくないけども、やっぱこの人変だ。
それらに書いてあるのは被害者の総数ではないし、それにもっぱら中国の敗残兵に対する行為の記述なのだけど。国民党軍はトップがさっさと逃げ出して降伏が出来ない状態だったので(降伏できないと捕虜にもなれない、悲惨な状態になる)、これらに記述されるものは国際法上違法かというとそうは言い切れない。
そういう一部、しかも「民間人の虐殺」ではないものを持ってきても中国側の「30万虐殺」の主張の裏づけにはなりませんよ?
民間人への被害は誰も否定しておらず、検証が不透明のまま巨大な被害数を言い立てる中国の態度に疑念を挟んでるのですから。
[No.116] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 14:43]
虐殺があったか無かったかと言われて虐殺に加担したり実際に目撃したりした兵士の証言をだしたのに意味不明な反論が付いたな。
やっぱり数万人だから虐殺じゃないとか言いたいんだろうか。
[No.117] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 14:56]
虐殺に関する日本側の資料を出したのが愛国者には置きに召さなかったんだろうなきっと
[No.118] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 14:59]
どこかに被害者総数を書いた真実の書でもあると言いたいんだろうか?>115
愛国者の考えることは良く分からん
[No.119] 投稿者:匿名[2004年7月30日 15:02]
なんだ。日本語が読めないなら読めないとそう言ってくれればいいのに。
>[No.112] 投稿者:[2004年07月30日 14:00]
>>南京大虐殺とかの被害者数は日本側に残ってる資料も基にしてるので
>
>ソースお願いします。
>虐殺に関する日本側の資料を出したのが愛国者には置きに召さなかったんだろうなきっと
虐殺数に関する資料はどこに? そしてそこからどうやって総数を割り出したの?
民間人の被害や戦意を喪失した敗残兵を殺したことは誰も否定していません(後者が国際法上違法かは微妙なところなのは前述の通り)。
南京の被害者数の日本側資料を元にしたものがある、と言うので、どのようなものですか? と質問紙、目撃談を出されたら普通「ハァ?」となります。
これだけ言ってご自分が頓珍漢な返事をしていたことに気づかなければ、徹底的に日本語がわからないと判断します。
[No.120] 投稿者:匿名[2004年7月30日 15:09]
>>118
確証なしに40万人やら60万人やら主張しているということの裏づけになりました。
自爆おつかれさまでした。
[No.121] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 15:09]
>119
118を参照
[No.122] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 15:13]
>120
数の主張じゃなくやったかやってないかの資料だと言ってるのにそれを無視するのが愛国者なんだろう。
だいたいなんで南京大虐殺なんだ?
重慶爆撃しか引き合いに出してないのになんで出てくるんだ?
虐殺された数が少なかったらそれでいいのか?それで日本軍は正しくなるのか?
それとも被害者数が減ったら虐殺した事実が消えるまで被害者を減らし続けのか?
馬鹿じゃないか。
[No.123] 投稿者:匿名[2004年7月30日 15:31]
数が問題じゃないなら、現代の日本で多発している中国人による凶悪犯罪についても日本は中国に追求できるということになりますなw
[No.124] 投稿者:エス[2004年7月30日 15:31]
一人の人間の命の重さは、こんなにも重いというのに、
自身は、肥大した自意識の果ての正義感でしか物を言わずに、
その数を真摯に見極めようとする人間をとぼしめるなんて、
あめぐりの人はどれぐらい糞なんですか??
[No.125] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 16:02]
外国人犯罪より日本人の犯罪のほうが件数的に見ても圧倒的ですよ、どこぞの頭の悪い人に馬鹿なことを吹き込まれたのか知りませんが、外国人犯罪が増えてると言う根拠なんですか?>123
[No.126] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:08]
>>125
文章がいまいち意味不明です。
日本国内の犯罪で日本人と特定外国人を比較するバカは初めて見ました。
人様の国で凶悪犯罪を犯すことが大問題なんでしょ。
日本国内の治安が悪い場合に、外国人は母国に逃げれば済む。
しかし、日本人は日本以外に行く場所が無いでしょ。
だから、日本国内における、日本人自身の犯罪と外国人犯罪は比較対照にならんのですよ。
あんたバカ?
こんなことまでいちいち説明しなきゃならんのか・・・・・
[No.127] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:19]
>>125の理屈が通るなら、文化大革命での死者の方が「南京大虐殺」よりも =確実に= 多いから、日本の「罪」は相殺されるなw
[No.128] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 16:24]
母国へ逃げても引き渡されて逮捕されます。残念でした。で、外国人犯罪が増えてるって言うのはどう言う意味でどう言うソースで言ってるんですか?>126
[No.129] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 16:27]
根拠も無いのに「外国人」だから犯罪を犯すのだと言わんばかりの126等のような自称「愛国者」がどれだけ差別的かはこれでよく分かってもらえただろう。
常に外敵を作って攻撃的に成らないとダメな愛国心など不要と言うとてもまっとうな結論になったな。
[No.130] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:31]
参考資料
【過去5年に及ぶ中国人検挙件数】
警視庁の外国人・来日外国人犯罪の検挙・送致状況より
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/toukei/bunsyo/pdf/keishicho09.pdf
平10年:検挙総数 21,689件,中国人検挙数 7,429件(34.3%),国籍別1位
平11年:検挙総数 25,135件,中国人検挙数 12,288件(48.9%),国籍別1位
平12年:検挙総数 22,947件,中国人検挙数 14,176件(61.8%),国籍別1位
平13年:検挙総数 18,199件,中国人検挙数 8,945件(49.2%),国籍別1位
平14年:検挙総数 24,258件,中国人検挙数 9,174件(37.8%),国籍別1位
【治安悪化の原因は中国人】
今年1-6月の上半期に全国の警察が摘発した来日外国人犯罪のうち, 中
国人の摘発件数が前年同期に比べ42・4%も増えたことが4日,警察庁のま
とめで分かった。
国籍別の摘発件数でも中国人が全体の40・1%を占めた。警察庁は「1990
年代には集団密航の中国人摘発が多かったが,強盗や侵入窃盗など刑法犯が増え
ており,治安悪化の一因となっている」と分析,中国人犯罪対策に本格的に取り
組む方針だ。
http://www.security-joho.com/topics/2003/gaijinhanzai.htm
[No.131] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:34]
>>128
逮捕されるされないは加害者側の問題でしょ?
そんなことは問題にしてないよ。
読解力なし。
外国人犯罪で被害をこうむるのは、日本国民である日本人。
逮捕されるから問題ないなら、日本の戦時中の「戦犯」も処刑されてます。
問題ないよね?
[No.132] 投稿者:松永[2004年7月30日 16:35]
右派・左派の典型的なやりとりの様相を呈してきましたのでサイト管理人としては内容に一切関知したしません。コメントもしません。ご了承を。
ところで「とぼしめる」って「貶める」のことですか?「おとしめる」って読むんですよ。美しい日本語を大切にしましょうね。
[No.133] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:37]
http://www.fpcj.jp/j/fshiryou/jb/0348.html
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hitori040506.htm
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H16/1604/1604057atrocious.html
ソースなんか腐るほど出てくるよw
[No.134] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 16:42]
>外国人犯罪で被害をこうむるのは、日本国民である日本人。
本気で言ってるとしたらオメデタイとしか言いようが無い
[No.135] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 16:43]
>133
たくさんのヘイトサイトだな、ヘイトサイトを聞かれたときに出してあげればよかったのに。
[No.136] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:44]
>>134
ソース
>>135
都合の悪いソースを出されたらヘイトかw
楽な反論だなw
[No.137] 投稿者:匿名[2004年7月30日 16:46]
最初にあげたURLなんかは在日外国人記者クラブのものだけどなw
[No.138] 投稿者:100[2004年7月30日 16:49]
松永さん、これを「右派・左派の典型的なやりとり」とだけ見るようでは、あなたの認識に疑念を
抱かなければなりませんね。既存の右派左派の枠組みのみで、現状の諸方での議論が成り立っていると
するのは停止にも近い思考の怠惰だと思います。
まああなたが介入しない方がよさそうなのは認めます。しかしあめぐりの人の放置が吉と出るか凶と
でるかはわかりませんね。この人の程度の低さは、愛国心にネガティブな人々すべての評判に傷をつけ
かねません。もちろんそういう人たちを一括りでどうのこうのいうのは私の主義ではありませんが。
どんどん愚かさを露呈していっているのは誰か、言うまでもないことですが、まだ正気に戻って引く
だけの理性が残っていることを望みます。
右派左派の枠組みになどついては、いずれ落ち着いたときにでも。それにしても折角の話し合いが
台無しになりかねませんよ、これは。
[No.139] 投稿者:松永[2004年7月30日 17:25]
私の意見はあめぐりの人とも一致していませんよ。愛国心にネガティブとかどうとか関係ない。むしろ、あめぐりの人は私の書いていることも否定している(彼は、過去の日本人のやったことは今の日本人にも責任があると主張しているわけだから)
今ここで展開されているのは、中国の非を言う人たちと日本の非を言う人たちの議論であって、さらにいえば「国にこだわる人たちの中での議論」にすぎないのです。別に「個々の人たちと国というものに対する認識」の話なんて全然してないじゃないですか。だから、介入しない、というか興味なし。
ただ、ここで停止するほどでもないから放置ということにしているわけです。
[No.140] 投稿者:ボル七(旧モロナイレブン)[2004年7月30日 17:30]
>服部さま
>ですから「仁」は「博愛」ではなく、「博愛に似たもの」なのです。
私は韓愈の定義を尊重すべきだと考えるので、むしろキリスト教の博愛のほうが、韓愈の博愛と『似たもの』にすぎないと思うのですが、あんまりそこにこだわっても仕方ないので、この一文をもってここへの反論を終えたいと思います。
>儒教思想の立場に立てば、このような言葉は断固否定されるに違いありません。
確かに、儒教は『家族』を大事にする思想です。
そこは、(本来の)仏教・キリスト教とまったく違うところです。
ですが、本来は同時に国家を軽視する思想でもありました。
論語を読んで頂ければ分かりますが、孔子はあくまで理想の国家像に対しての忠誠はありますが、その時代の国家への忠誠は感じられないと思います。
むしろ逆に『オレはオレを必要としてくれるなら、反乱軍にも身を投じるぜ!』と、言っちゃってます。
それが、朱子学によってヒエラルキー的な思想が形成されその上位に国家が置かれたのは事実です。
また、日本では本来重要でない忠が中心に置かれた物になり、国家への忠誠が重視されたのは事実です。
そして、日本ではこれが近代国家成立のための基礎的な思想になったのも事実です。
そういう意味で、朱子学はより近代国家的な考え方であるし、近代国家の持つ弱点を持っていると言えるでしょう。
しかし、私は今回のような事は『儒教』『キリスト教』というレベルの問題ではなく『近代国家』が持っている問題だと考えます。
すこし、考えて頂きたいのですが、差別的な相手を下にする物言いや発言や政策が儒教の影響を受けた日本・韓国・中国等の東アジア地域に限定された物でしょうか?
ここ百年の歴史を考えてください、差別政策が多かったのは東アジア地域より、西欧諸国じゃありませんか。
まあ、少し遠慮しても、儒教とは関係ない地域でも他国蔑視的な物は同程度以上にあると言えると思います。
これがもし、東アジア地域のみに顕著な現象ならば儒教のせいという解釈も成り立つのですが、わたしにはそのように思えません。
ちなみに、愛国者論争ですが、私は中国人の愛国も日本人の愛国も批判しません。
中国人の日本批判もサッカー場でやらなければそれ自体はあっても良いと思います。
まあ、両者の発言の中身には賛成はしませんけどね。
ちなみに私自身は本当の意味で確固たる非愛国者(反日ではない)なので、国家とは上手く距離を取ってつき合うべき物だと考えてます。
[No.141] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 17:35]
>136
131だろ、お前なんも読んでないだろ?
[No.142] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 17:36]
131だろってのは、ソースが131に書いてあるだろって事な。
[No.143] 投稿者:匿名[2004年7月30日 17:41]
数が問題じゃないなら、通州事件や済南事件だってもっと国際化してもいいはずだよな。
それを理由に中国を批判して憎しみを煽ってもいいのか・・・・
[No.144] トラックバック:「愛国心ってのはあれだろ。自分に自信の無い奴が自信の対象を国にスライドさせているだけだろ」(のびのびノンちゃん)[2004年7月30日 17:53]
なんだか愛国心問題の議論が盛り上がってるようで。 発端はサッカーアジアカップで中国サポーターが日本にひどい嫌がらせをしたことらしいですが。 Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ...……[全文を読む][No.145] 投稿者:匿名[2004年7月30日 17:53]
あめぐりの人は日本語のわからない可愛そうな人なのでもう相手にはしませんが、平気で嘘書いてるので一点だけ。
>>128
>母国へ逃げても引き渡されて逮捕されます。
引き渡されませんよ。日本と中国は犯罪者引渡しの相互協定が結ばれてません。
>残念でした。
うん、本当に残念だ。
[No.146] 投稿者:匿名[2004年7月30日 17:54]
>>141 >>142
煽りぬきで日本語が変。
何をいいたいか全くわからない。
[No.147] 投稿者:100[2004年7月30日 17:54]
139の松永氏へ
ここの仕切りはあなたですから、それに文句はありません。ただあなたが「愛国心にネガティブとか
どうとか関係ない」というのはいただけませんね。愛国心というネタ振りをしたのはあなた。そして
本当の愛国心とかいう話を始めたのもあなた。確かに修正版で、国という枠組みには無関心なる態度表明
はしていますが、それははっきり「愛国心なんていらない」という立場じゃないんですか?
「愛国心なんて知らない」というのでしたら、(表現がうまくないにせよ)ああいう話にはならなかった
と思います。最初から「個々の人たちと国というものに対する認識」の話をされていれば、展開は変わった
と感じますね。
国に拘る人たちに「興味がない」と言明されるのでしたら、構わないでいるというのも手だったでしょう。
基本的にこの「国」には思想信条の自由がありますからね。
あなたがそこらに興味があるからこそ何がしかの意見を言われたものと思っておりました。どこかの立場
に対して言論で何か訴えたいのだと見えました。そうじゃなかったのですか。ではさようならですね。
[No.148] 投稿者:松永[2004年7月30日 18:07]
「愛国心にネガティブ」という言い方だと、「反日」+「国とか意識しない」をひとくくりにしているようだし、あめぐり+松永を一つの陣営のように言う言い方だから「関係ない」と言ってます。
それから、国にこだわる人に興味がないわけではなく、国にこだわることに興味がないのです。ただ、ここでなされている応酬はすでに「国」を前提とした上での議論だし、愛国の話でもないと思えるので、そこには立ち入らないと言っています。
彼らが先験的に前提としている条件そのものを問うているわけで、それが存在するという前提のもとの議論には興味がないのです。
ちなみに、あめぐりの人とは実際にもつきあいのある友人ですが、彼がここに書いていることにはまったく賛同していません(だからといって反あめぐりの人にも賛同していませんが)。意見が違うからといって嫌いになるかどうかは別ですからね。
だから100さんの解釈は節々がずれていると思います。
[No.149] 投稿者:松永[2004年7月30日 18:13]
>最初から「個々の人たちと国というものに対する認識」の話をされていれば、展開は変わったと感じますね。
この部分はおっしゃるとおり。個々の人たちと国に関する認識について、自分の考え方がそんなに少数と思っていなかったのが最大のミスだったと思います。だからこそ仕切り直ししてみたわけですが。
[No.150] 投稿者:松永[2004年7月30日 18:14]
>146
>煽りぬきで日本語が変。
ああ、それは京言葉やさかい。
[No.151] 投稿者:あめぐりの人[2004年7月30日 18:53]
>150
東えびすには上品な言葉が理解できまへんねん
[No.152] 投稿者:ゴムひも[2004年7月30日 19:53]
>松永氏、あめぐりの人
京言葉を馬鹿にせんといてほしいわ。
どう上品なんや聞かせてくれはらしまへんやろか。
[No.153] 投稿者:松永[2004年7月30日 20:25]
バカにしたんとちゃいま。
日本語として変とかいうてやはるけど、それは標準語やと思て読むからおかしいように見えるんで、ほんまは京言葉やねんからおかしおまへんちゅう意味でんねんけどな。
[No.154] 投稿者:ゴムひも[2004年7月30日 20:38]
>松永氏
いや、あめぐりさんの言葉はアホほど下品や、というコメントでした。失礼。
[No.155] 投稿者:ななし[2004年7月30日 21:41]
>150
>東えびすには上品な言葉が理解できまへんねん
この無礼な発言を今すぐ訂正しろ。
[No.156] 投稿者:匿名[2004年7月30日 22:16]
おまいら釣られ過ぎです。
「自分に自信を持てない人が対象を国(ないしは自分の上位に属するなにがしかの集合)にスライドする」
ってのは、いたって合理的な人間の精神活動だろうと。逆に言えば、「自分に自信がなくなったときに、何にも代替するものがない(と思い込んでる人)」の方が、良く言えば繊細だけど、悪く言えばぶっ壊れやすい、ヤバい人間だと思われますね。
[No.157] 投稿者:匿名[2004年7月30日 22:57]
>156
>自分に自信がなくなったとき
こういう時は実際の人間関係に支えられるものだと思うが?
ヤバいのは人間関係が希薄で自分に自信がなく、国家などにすがりついている人間だろ。
[No.158] トラックバック:「[雑感] 愛国心と私。あるいはどうのようにして私が国道17号線を愛す(以下略)」(どんぞこ日誌)[2004年7月31日 00:23]
最近「愛国心論争」なるものが話題になっていたそうで。リンク先を辿っていったら「松永的愛国心論まとめ編」という記事へ。う〜ん、割と感持てます。私自身は出身県・出身市に...……[全文を読む][No.159] 投稿者:匿名[2004年7月31日 01:35]
んー「被害者の数の問題じゃない」と言えばすごく
[No.160] 投稿者:匿名[2004年7月31日 03:23]
なんで愛国心がどうのとかいう問題から南京云々の千日論争が展開されているんだ(´Д`;)
[No.161] 投稿者:Cyberbob:-)[2004年7月31日 06:06]
自分を構成するものは何か。
それは血であり肉であり骨である。
それは食べ物から作られるので、食べ物が私を構成しています。
食べ物は土から作られるので土地は大切にするものである。
昔の日本で天皇が大切にされたのは、豊作祈願をする神の象徴だからである。
戦国時代の武将が領土を守るために戦ったのはそのため。何万石とはそれだけの米の採れる土地の面積である。
愛国心すなわち愛”食”心である。
だが現代の日本は、ほとんどを外国の輸入に頼っているから、実感がわけない。
生活の糧は今なら大企業の経済力であろうから愛国心など存在しない。それはいわゆるグローバリズムの恩恵であるから。
[No.162] 投稿者:Cyberbob:-)[2004年7月31日 06:30]
国家構成の状況が違うので、むしろ日本人が理解しなければいけないのは、他のどこの国とも”愛国心”の意味がどうやら違うようだ、ということである。
だとしたら、中国や韓国の愛国心が理解できないのはなぜかということも理解できます。
おそらく彼らは(米欧各国もしかり)相手の国の愛国心とやらは理解できていると思います。それはまさに自分自身を映す鏡であるから。
[No.163] トラックバック:「愛国心?」(pêle-mêle)[2004年7月31日 06:55]
Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編 いまさらトラックバックを送信するのも、やや時機を逸した感はあるのだが。 たとえばオレははてなダイアリーユーザーで、...……[全文を読む][No.164] 投稿者:西国[2004年7月31日 07:58]
自分の周りには「松永さんのようなアイデンティティの人」も「闇雲に愛国心を振り回して他人を批判する人」も両者いますが、この両者が理解し合う事は甚だ難しい事だと思います。
何故なら、大抵「愛国心を過剰に標榜する人」は感情的に何かを訴えては来ても、論理的に愛国心の持つ素晴らしさや必然性を問うて来る事はマレで、「偏った愛国心の持つ無闇な排他性」に何かと不愉快で不自由な経験をしてきた「松永さんのように個別の性質を重んじる人」を到底納得させる物ではありませんから。
まあ、松永さんが例に出された「過剰で排他性の強い愛国心」は「国の将来を憂える真摯な気持ち」ではなく、単に「贔屓チームの勝敗に熱心になる挙句、相手チームのファンや選手を根拠なく罵倒する偏った野球愛好家の戯言」と同程度の物なので、それを指して国と言う物を考えるのも一寸極端な気はします。(私も野球観戦が好きで贔屓のチームが勝てば1日嬉しかったりもする方ですが、かと言って自分の贔屓するチームや選手の活躍を自分の手柄の様に語ったりはしませんから。)
尤も、国の趨勢と自分の暮らしは当然無関係ではありませんし、日本人と言うレッテルではなく、自分の将来を担う日本という国の在り様に深い関心を持つ「愛国」者である事は特別におかしな事ではないと思いますから、「排他的で攻撃性の強い感情的な人」ばかりを指して殊更「愛国」「愛国」と言われる徳永さんの発言も、排他性が強くレッテル好きと言う点では彼等と何ら代わり映えしない物と個人的には見えましたけれど。
[No.165] 投稿者:西国[2004年7月31日 08:06]
No.164の書き込みで、最期に御名前を間違えて投稿してしまいました。
大変失礼な事をしてしまい本当に申し訳ありませんでした。
[No.166] 投稿者:松永[2004年7月31日 11:37]
>、「排他的で攻撃性の強い感情的な人」ばかりを指して殊更「愛国」「愛国」
ではなくて、他の愛国は別にそれはそれでその人の勝手であって(と書いてますよね)、そうでない「排他的で攻撃性の強い感情的な行動を愛国につながると思っている人」はどうなの?と言っているのです。これはレッテルではなく属性についての評価です。
[No.167] 投稿者:西国[2004年7月31日 11:58]
それならば、「愛国心」などと言う微妙な問題を例にされずに、もっと別の「フーリガン」とかを例にされた方が議論が拗れなかったと思いますよ。(「愛国心」の無さが御自慢の松永さんには、何処がどう微妙なのか理解し辛い面もある事と思いますが。)
幾ら「どうなの?」と言われても、贔屓の引き倒しはスポーツ等でもよく見かけますし、単に熱狂し易い属性の人達は何処にでも居るってだけで、そんな物は所詮「愛国心」とは別物ですとしか言い様がありませんしね。
[No.168] 投稿者:松永[2004年7月31日 16:05]
愛国心のなさが「ご自慢」っていうのは悪意ある書き方ですね。名前を間違うことなど気にもなりませんが、これは「失礼」だと思います。
[No.169] 投稿者:匿名[2004年7月31日 21:46]
>「排他的で攻撃性の強い感情的な人」ばかりを指して殊更「愛国」「愛国」
無害な愛国精神を持つ方なんて、愛国主張する方の10%もいないと思いますよ。
おそらくあなたは現実の政治や社会を見つめれる環境にないのだと思います。
政治団体であれ、宗教団体であれ、企業であれ力のあるところの大部分はこの図式で成り立っておりますし、それに逆らうことがどれほど大変であり、また理不尽か知らないのではないでしょうか。
それだけじゃないという知識さえ頭に入れておけば一般的な図式では間違いなく 「愛~ = 攻撃的な主張」 で表現して問題ないかと
[No.170] 投稿者:みみず[2004年7月31日 23:30]
書き込みさせていただきます。
西川さんのおっしゃっていらっしゃるように
>「愛国心」などと言う微妙な問題
はその微妙さとともに、(そこに暮らしている以上)国を意識せざるを得ない殆ど全ての人が向き合う話題であるだけに、私のような人でも参加しようと思うほど「敷居」が低い話題です。確かに対象を「フーリガン」に限定すればそれほど議論が紛糾することは恐らくないだろうと思いますが、松永さんはより広い議論の「土俵」を望んだのではないでしょうか。つまり夏のようにあつい議論求む、ということで。
「愛国心」の微妙さは、多くの異なる教条・解釈を持ってきた多くのキリスト教(世界)を語るときの微妙さと同じで議論を行なえば白熱するのは必定。それ(議論が紛糾することが必定な話題)を回避するという西国さんのおっしゃられる方法も優れた方法の「一つ」だと思います。他方で議論を行い何かを深化させようという松永さんの意図もまた有意義なアプローチの「一つ」だと思います。
西川さんの提案される方法では、「愛国心とは無縁なフーリガン」に話が限定されるわけですが、そうすると「愛国心を抱いて行動するフーリガン」が議論から抜け落ちてしまうのではないかと思いますが、どうでしょうか。
私の受けた印象では、少なくとも文言中では「愛国心のなさ」を自慢しているとは思えませんでした。愛国心を議論したい「私(I,ego)」としての松永さんの姿が何となく窺えましたが、それは俗にいう「エゴ」ではないと思います。
松永さんのような考え方はまだまだ(数の上では)「稀」な部類に分類されてしまうとは思いますが、私も似たようなものです。そして、個人的に感じているのは、こうした「立場」が生活の中で有効なのは、皮肉にも、言葉にしない=議論しない時が多いということです。語る私(ego)を登場させることで、それがエゴ主張のイメージに安易に結び付いてしまうこと、こうした類のことから松永さんは無縁であろうと考えられるのではないかと思います。他者から評価する以上、ある程度の衝突の発生は当然起きるでしょうが。
読ませていただきありがとうございましーた。
[No.171] 投稿者:匿名[2004年8月 1日 01:05]
政治は言葉の力をフルに活用して行われます。それぞれの定義がどうあれ「愛国心」は政治的に非常に強力な力を持ちうる言葉だと思います。言葉は道具ですから善くも悪くも使うことができます。ですから「愛国心」の語によって「熱狂し易い属性の人達」を動員できるなら、それは最も考慮すべき事柄になるはずです。
例えば2ちゃんでは「愛国心」を動機として語ることで愛国者の一員として同一化し、さらにはそれを攻撃的主張を正当化するための免罪符にしている姿をよく見ます。それも「愛国心」の語の利用の一形態です。
私は「愛国心」の語は、その語の使用自体が集団を彼我に分割する「行為」としての側面を持つと考えています。それは「愛国心」をめぐる議論の論争性の高さの説明になると思います。
[No.172] トラックバック:「愛国考」(自知之明)[2004年8月 1日 02:54]
絵文録ことのはさんでなんだか盛り上がっちゃってる「愛国論」。 張惠妹のことまで挙げてくださってるので、遅ればせながらですがTBしてみます。 松永さんのご意見にはおおむね賛...……[全文を読む][No.173] トラックバック:「愛国心、「国(くに)」と「国家(こっか)」」(blog::TIAO)[2004年8月 1日 13:59]
数日前に、松永さんの「絵文録ことのは」を訪問したら、中国重慶で開催されているサッカーのアジアカップの試合で日本チームへ対する中国観客からのブーイングがあり、それを巡って...……[全文を読む][No.174] 投稿者:西国[2004年8月 1日 15:06]
>>みみずさんへ
松永さんの主張をちゃんと通して読むと分かると思いますがと、彼は終始「自己の努力やその成果とは一切無関係である他人事にまで一喜一憂するだけでなく、自分の贔屓する物に対する周囲の対応に対しても過敏で過剰な反応をする人」の不可解さや迷惑さを語っているだけで、根本的に「愛国心とは何か」と言った問題には全く言及していません。
それどころか、どう考えても政治的な物とは不可分であるにも関わらず、「愛国心」の話が論者各々の政治的価値観と交わったりすると、急に話題を打ち切ったり、話の論点を全然別の方向へと持って行ったりしています。
それが何故かと言うと、松永さんは「自分の損得とは無関係な事で一々過剰に熱狂する人の不思議さ、無益さ」を論じる気はあっても「愛国心とは何か」を論じる気が一切無いからです。
ですから、最初から「愛国心」等を看板に掲げて問題提議をせずに、その「虎の衣を借りて過剰に排他的で攻撃的な行動を起こす迷惑な人」を直接議題にあげてさえてれば、松永さんも何度も文章を誤読されたり書き直したりしなくて済んだでしょうし、反論や疑問を呈した多くの人達も無駄な労力を掛けずに本題を絞って議論出来ただろうと思うのです。
それをある程度自覚しながらも議題にわざわざ「愛国心」と一々付ける事を憚らない松永さんの不親切さ卑怯さには悪意を感じずにはいられません。(「愛国心のなさがご自慢」と言うのは、当然その事を含んでの発言ですので。)
>>169さんの言うような事も含んでの「愛国心」論議でないならば、それをもっと明確に提示するだけでもっと多く有意義な議論があったと思う個人的には残念です。
[No.175] トラックバック:「ことのはの記事をみてアナーキズムを宣言する!」(NWatch)[2004年8月 2日 03:15]
ことのはの松永氏の愛国心論議を見て...……[全文を読む][No.176] 投稿者:個人的な愛国心[2004年8月 2日 04:56]
私個人的には、松永さんと大体考え方は一緒かな?
人間って不思議なもので自分が好きなものや所属しているのを賞賛されれば嬉しく悪く言われれば嫌悪する場合が多いですよね。
日本を愛する(好きな)事で、日本代表などを応援したりして一喜一憂とかできたりして面白いし例えそれが個人だとしてもその人が賞とったり偉業を成し遂げればやっぱ嬉しいので個人的にはなるべく好きな事を作って、(選別はしますよ。ちゃんと)いたほうが人生面白いと言うのが、私の考え方です。
愛国心などで踊らさせられるのではなく、踊ったほうが面白いから踊ってると言う事を頭に入れるのを心がけて他人のことを傷つけない程度に踊ってる感じかな。
[No.177] 投稿者:松永[2004年8月 2日 19:46]
>174西国さん
虎の衣、ではなく虎の威を借りて過剰に排他的で攻撃的な行動を起こす迷惑な人たち、その虎の威というのが「中国」だったり「日本(国)」だったりする場合は「愛国心」の話題ではないのですか?
[No.178] 投稿者:西国[2004年8月 3日 07:58]
>>177
松永さん、すいませんが返事をくださるなら、それを避ければ「松永さんも何度も文章を誤読されたり書き直したりしなくて済んだでしょうし、反論や疑問を呈した多くの人達も無駄な労力を掛けずに本題を絞って議論出来ただろう」って後半の文章もちゃんと読んで下さると助かります。
「虎の威を借りて過剰に排他的で攻撃的な行動を起こす迷惑な人達」の虎の威が今回偶々「愛国心的な物」だっただけで、それを指して「愛国心」を語っても「そんな物は愛国心ではないと思っている人」との無駄なスレ違いや「愛国心に必然を感じている人達」との感情的な水掛け論が起こる以外は、松永さんと似た事を普段から感じていた人となぁなぁに馴れ合いながら互いに同志であることを確認して終わるだけですよ。
問題定義した振りをしながら「愛国心批判」をしただけで、他の色々な「愛国心」を持つ他の人の意見を無視したり切り捨てたりするのは流石にフェアな議論とは言いかねると思います。(尤も、松永さんのサイトで松永さんがどう不親切に偏って振舞っても、結局個人の勝手ではあるんでしょうけれど。)
[No.179] 投稿者:あ[2004年8月 5日 08:17]
松永さんの考えには非常に共感を覚えます。
しかし、一点だけ同意できないところがあります。
『愛国心は、自分に自信を持てない人が対象を国にスライドしたもの』
だとして果たしてそれが否定するに値するのでしょうか?
僕の感覚から言うと、
愛国心を持っている人間は何かを受け取っている様に思えます。
プライドであれ誇りで中核であれ、
そういうものを受け取って人間がしっかりするのではないかと。
すべての人がそういうモノを必要とするわけではないですが、
そういうあり方で人間が良くなるならそういうあり方を否定できないと思います。
松永さんは非生産的な愛国心だといいますが、
僕はそうは思わないのです。
ある意味娯楽のようなモノだと考えられると思います。
自分を磨く努力とか言われますが、
松永さんだって遊ぶときはあるでしょう?
松永さんの美意識に反するという意味で
「悪趣味」かもしれませんが、
「悪趣味」のどこが悪いということになると思いますよ。
それが自立したあり方なのか、
社会的に問題がないのかということはさしおいてね。
[No.180] 投稿者:匿名[2004年8月 5日 20:42]
『愛国心は、自分に自信を持てない人が対象を国にスライドしたもの』
これはどうかな。逆に自我が強すぎる人間ほど国家を愛したがると思うけど。
所属するものに愛着を持つのは当然。
愛さない人間なんていない。
日本人を辞めた時初めて気づくんだろうな。
[No.181] 投稿者:あ[2004年8月 6日 00:47]
>180
自我が強い人間が必ずしも自分に自信があるとはいえないと思うし、
愛さないような人間もいないというのはちょっと乱暴だと思うよ。
[No.182] 投稿者:fuck jap!![2004年8月 6日 21:21]
水均益的呐喊
《日本,听我对你说》 水均益
对于我们中国人来讲,日本是我们最近的邻邦。一衣带水这个词几乎成了我们形容日本时必不可少的词汇。然而,在地球上现有的国家中,日本却是离我们最远的一个国家。
记得有一位朋友酒醉后愤慨地说:谁把日本给"灭"了,谁就马上会成为中华民族的英雄。为什么会这样?也许是因为,对于大多数中国人来说,日本人太可恨了!我和日本人没有太多的接触。然而,就是在有限的几次交往中,日本人给我留下的印象确实很坏,而且是难以原谅。
一九九五年十月,我乘飞机前往纽约采访联合国成立五十周年的纪念活动,途经日本东京成田机场转机。成田机场庞大无比,一个个候机的卫星厅很容易让人眼花缭乱,误入歧途。到了前往纽约的候机厅里,我来到一个环形的问讯处柜台前。柜台里面站了一个头发染成了金黄色的日本女服务员。我将飞机票递过去,用英文问她,飞往纽约的航班几点起飞,在哪个等机口上飞机。那位服务员接过机票,看了看嘴里自言自语道:"beijing。"然后,她把机票放在柜台上,一转身走了。我想,她大概是自己不熟悉,去问别人了。于是,我耐心的等待着。大约过了五分钟后,那位服务员回来了。她似乎已经忘了刚才我问她的事情,而是接过我身后一位西方人的机票,开始为那位旅客改签机票。我有点莫名其妙。我问她:对不起,小姐,我刚才问你们的飞机几点起飞,你还没有回答我呢?没有声音。那位服务员低头在写着什么,似乎根本就没有听见我的话。我又问她:"小姐,我在问你话呢?"还是没有声音。那位服务员改好了机票,双手将机票恭恭敬敬的递给那个西方人,用英文对他说,机票已经改好,祝他旅途愉快。她的脸上堆着卑谦的笑容。这时,我忍无可忍,我大声对她说: "小姐,现在你是否可以回答我的问讯了呢?"没想到,她眼皮都不抬,一转身又走开了。我勃然大怒。我找到了在场的值班经理,对这位服务员的行为进行了投诉。事后,一位曾在日本常驻的朋友告诉我,这种事情在日本常有。"日本人对中国人极不友好。听到你是中国来的,他们有时就会装糊涂,"那位朋友对我说。
我想到了那位服务员在拿到我的机票是嘴里嘟囔"北京"的样子。一位机场问讯的日本小姑娘能和中国,能和北京有什么深仇大恨?我实在无法理解。
一个月后,也就是一九九五年十一月,我又一次前往日本。这次我是去日本的大坂报道在那里举行的亚太经合组织领导人非正式会谈。有一天,我们想采访一些日本的老百姓,请他们谈谈对于本次会议的看法。于是,我和摄像记者扛着摄像机来到了大坂市街头。我们走了好几个街区,碰上的都是软钉子。给我的感觉是,日本人都不愿接受采访,而且没有几个人会说英文。
在一家饭店门口,我们叫了一辆出租车。上了车,我让摄像把摄像机打开。然后我拿出话筒,想对司机进行一番采访。那位司机穿着笔挺的西服,手上还戴一双雪白的手套,头发梳得光亮。然而,无论我们怎么问那位司机,他总是在那里摇头,一句话不说。无奈,我们只好做罢。临下车的时候,那位司机接过我付给他的车钱,脸上一付不满的样子,嘴里嘟囔了两句日语。我想想,车钱一分不少啊?!我想他大概是嫌我们坐的太近了。当天晚上有一位在大坂的国内朋友来看我。见到这位懂日语的朋友,我突然想到了白天那位司机说的那两句日语。就在他说话的时候,我们的摄像机没有关闭,所以,那两句话被摄像机录了下来。于是,我赶紧把摄像机抱到我这位朋友的跟前,想让他听听那位司机到底因为什么而不满。我的朋友耳朵贴在摄像机的小喇叭上听了半天,抬起头来。他瞪着眼睛,脱口大骂:"我…!"朋友告诉我,那位司机在我们下车的时候说,这两个中国来的讨厌记者,还想采访他,为什么当年大日本皇军不把这些中国人都杀光了?原来那王八蛋听得懂英语!听到这话,我当时气的直想冲出去把他杀了。
后来我才知道,日本人普遍都学习过英文。在日本的小学和中学里,英语是必修的课程。但是,许多日本人却只对西方人讲英语。后来我还听说过一种说法,在日本人眼里,亚洲人,包括中国人,都是比他们落后的民族,日本是亚洲最优秀的民族。日本以自己和西方世界同属一个档次为荣,而不耻和亚洲的这些"落后"民族"同流合污"。
在国际组织中,有一个组织叫做"西方七国集团",日本便是这个以西方国家为主的政治经济组织中的一员。当然,日本人最可恨的并不是在于他们如何崇尚西洋,以及日本服务员和司机的那些恶劣言行。关于日本,最可恨的恐怕还是五十年前侵略中国的那场战争以及日本人今天对于那场战争的看法。
从七十年代田中角荣对周总理说的"添麻烦"到近来日本各界政府时而冒出的某些关于侵华战争的狂言,从每年日本内阁成员对靖国神社的参拜到钓鱼岛上的日本国旗,一次又一次,日本人顽固地、一如既往地在刺痛着善良的中国人的心。
一九九七年是中日邦交正常化二十五周。这一年的年初,《中国青年报》做了一次名为"中国青年眼里的日本"的大型读者调查。调查的结果是触目惊心的。
在被调查的十万多青年读者中,有百分之八十三点九的读者认为"日本"两字最容易使他们想到的是"南京大屠杀",这在多达十五个选择中位居榜首。被问到"你心目 中的日本人是什么样"的时候,最高一项选择的是"残忍",占百分之五十六点。
拿到这份调查结果,我感到了一种强烈的震撼。被调查的读者的平均年龄是二十五点二岁,也就是说,这些年轻人他们不仅没有经历过中日甲午战争、抗日战争,而且他们中的大多数人是在实现中日邦交正常化后出生的。然而,就是这些中国的年轻人,他们对日本发出的声音不仅让人吃惊,而且也是耐人寻味的。
《焦点访谈》栏目决定根据《中国青年报》的这份调查制作一期节目,把中国青年对日本的这些看法通过我们的媒介进行传播。我们采访了一些国内青年人和研究中日关系的专家。另外我们还采访了一些在中国留学的日本学生。
记得中国现代国际关系研究所的刘江永研究员在采访中做过一个很恰当的比喻。他说,我们中国过去遭受了日本那么残酷的侵略,受到了那么严重的民族迫害。我们民族身上有疮疤,这个疮疤谁也不愿意去揭,揭了很疼,甚至要疼到骨头里去。他认为,中国青年对日本的这些并不良好的看法恰恰是日本人不断的在过去的那段历史上大做文章,刺激中国人民的感情。我还采访了一位北京的大学生,当我问他,在什么情况下,他会和一位日本的青年人交朋友,这位大学生想了想以后说:"如果让我和一位日本青年交朋友的话,我会带他去一些地方,比如卢沟桥的抗日战争纪念馆等等,我会跟他谈日本侵华战争,把事实摆在面前。如果他是一个诚实可交的朋友的话,他会正视历史,朋友自然可以交成;如果他认为那场战争不是日本对中国发动的侵略战争的话,那,朋友肯定是交不成了。"
后来,我们把对这位大学生的采访放在了节目的最后。因为在我们看来,他的话正反映了今天许多中国青年人向日本发出的信息。根据这些,在考虑这一期节目的标题时,我想到了一句话:日本,听我对你说。于是,那一期的《焦点访谈》便以这样一个少见的标题播出了。虽然我知道,作为一名记者我当然应该保持客观和冷静。然而,作为一名中国人,面对着这一切,我却无法时常使自己平静下来。想起日本,我的心中总会出现这句话:"日本,听我对你说。"
我想说:日本,听我对你说,你不要太可恨。五十年前,在中国的确发生了惨无人道的侵略和屠杀。几百万、几千万中国人在日本的军刀下成了冤魂。长达八年,日本人在中国的大半个国土上留下了数不清的罪证。更重要的是,在中国的历史上,这是从未有过的。在中国人的感情上,这是永远也无法抹去的奇耻大辱。中国人善良。这善良就表现在中国人很容易接受曾经凌辱过他们的人的道歉,并与之重修于好。然而,中国人也容易记仇。五十年前的事情不仅当时的人不会忘记,他们的下一代不会忘记,他们下一代的下一代,祖祖辈辈都不会忘记。他们会记得,如此泱泱大国被小小日本蹂躏得片片焦土。而时至今日,日本却连一个正经的"对不起"都没有。相反,在日本却总有些人兴风作浪,说南京大屠杀是为了排除抵抗,甚至说是捏造的;说日本发动了战争是为了保卫自己的安全;或者干脆说亚洲国家托了那场战争的福,云云。如此这般,实在可恨。
我想说:日本,听我对你说,你不能太顽固。任何一个民族都不愿在自己的历史上有一个污点,然而,这并不等于可以因此而掩耳盗铃。我们要得其实并不多。我们没有要求你们拿出那一笔天文数字般的战争赔款;我们没有要求你们的首相像当年的西德总理勃兰特那样在我们的亡灵前下跪。我们要的不多,无非是一个说法。有的日本人认为对战争的反省就意味着你们的"自虐",然而,你们不是每年都要反省和抗议当年美国人对广岛和长崎扔下的那两颗原子弹吗?你们不是总要为二十多万原子弹下的冤魂鸣不平吗?你们不是还用各种仪式表明你们对和平的热切向往吗?那么,为什么你们就不敢承认当年的日本皇军曾杀害了上千万亚洲无辜的平民呢?日本军刀将中国孕妇开肠豁肚难道不是像广岛长崎的蘑菇云一样残暴可怜,令人发指吗?向往和平的民族应该是一个伟大的民族,它应该勇敢地面对一切,它也应该目光远大。
然而,日本的顽固却实在无法让人相信它具有如此高尚的品质。去亚洲各国走一趟吧。去问问曼谷的市民、去访访新加坡的职员、去探探南京百姓的心声,看一看有谁会认为那日本式九十度鞠躬的后面包含的是真诚和善良?!我想说:日本,听我对你说,你不要太张狂。虽然借助于美国人的鼎力扶持,日本跃居为当今世界第二大经济强国;虽然日货铺天盖地,席卷了全世界,也进入了中国的千家万户;虽然中国人民经过痛苦的思考,发出了"中日两国人民世世代代友好下去"的誓言,然而,这并不意味着万事大吉,更不能以此而有恃无恐。"抵制日货"
的口号并不是某一个中国人凭空杜撰出来的;中国外交部发言人对每年参拜靖国神社的抗议并不仅仅是例行的外交词令;围绕着钓鱼岛的愤怒也绝不会像昙花一般转瞬即逝。
记得小时候曾听爷爷说,"不要小看日本"。我敢说,绝大多数中国人并没有小看过日本。然而,日本肯定是小看过中国的。
时间会改变这一切吗?我不知道。此刻,我耳边似乎又响起了那位醉酒的朋友说过的那句话。看了讓人發火! 日本将于2015年灭亡中国这是一个在日本BBS中人气极旺的帖子,感谢一位不知名的网友,翻译过来。本着奇文共欣赏,疑义相与析"的原则,在论坛转贴,给大家一个对"日本"这个禽兽国度清醒的认识,也让大家了解一下什么是我们一厢情愿的所谓"日本人民"和"中日友好": "由于日本特殊的地理位置及资源的匮乏性,决定了我国发展的终极形式是:发动战争!"我始终认为我们大和民族是世界上最优秀的民族。强烈的忧患意识与现实主义是支撑民族不断创新与发展的精神之源,这就是勤俭智慧的大和人所独有的奋争精神。
然而,世界对我们却是这样的不公平,一些劣等民族占据着大片肥沃的土地,却不能充分利用这些宝贵的资源,而我们拥有先进的技术、成熟的经验、团结的意志,却只能守着贫瘠的土地望洋兴叹。潜伏的危机使我们意识到涉猎在世界这个资源有限充满残酷争夺的现代森林里,只有保持旺盛的斗志与适当的野性才能换取民族根本的生存,这就是地球生存的法则,这就是勤俭智慧的大和人所面临的现实。
岛国的命运最终将会覆灭于海底,匮乏的资源将会导致民族前进动力的绝断。我们唯一的出路就是军事扩张,运用大和民族的勇武、智慧与精神去征服亚洲,征服世界。
去洗刷几十年前圣战未获成功的耻辱,用大和民族的优秀去驾驭其他民族的低劣,从而推动整个世界的进步。这是天皇赋于日本民众的使命,这是为维护大和民族高贵的尊严而开展的圣战!在几十年前尝试征服世界的圣战中,我们得出两条教训:1、在未完全征服亚洲巩固地位之前,不应招惹美国。在新的世纪里,美国应是我们实现征服亚洲的很好伙伴与帮手,虽然在向征服世界的圣战中,他会是我们的敌人。
2、灭亡象中国这样的大国的时候,不能过于着急的一口吃掉,而应象吃生鱼片一样,一片一片的吃。中国不同于日本,他是个多民族混合的国家,自身矛盾很多,应该利用他们内部的分歧和差异,分裂这个国家,然后一个一个的消灭,新疆、西藏、青海、宁夏、满州等都应成为独立自主的国家,分裂这些地区的根据就是他们独有的民族性,这就是外界传播的中国七块论,我们具体为《分裂中国计划》,这是我们征服亚洲,灭亡中国,进行圣战的一部分。在中国,只有东部的汉人具有阻碍我们的能力,因此,如果中国被分裂成七个或几个国家,汉人的力量就会被大大削弱,其战略回旋的余地也会大大的缩小,中国的灭亡,日本帝国的复兴也就为期不远了!而只要征服了中国,我们也就取得了征服亚洲的基础,其他国家就会在汉人驯服的榜样下,臣服于我们。只有这样我们才具有击垮美国,称雄世界的本钱。当然,中国汉人的西部开发战略对于这个问题会有一定的阻碍,但是我们不应放弃对于分裂中国的努力!因为发动圣战是我们唯一的出路,日本欲征服世界,须先征服亚洲,欲征服亚洲,须先征服中国,欲征服中国,须先分裂削弱中国。
日本是一个面积狭小的岛国,军事回旋余地很小,只有发展强大的帝国舰队,才能实现未来帝国对予圣战的需要。
《大日本帝国兴国圣战计划》之战略步骤:一、灭亡中国,征服亚洲欲亡中国,须先分裂削弱中国:台湾在我们的努力下已经分裂出去,下一步,我们应该采取对台湾的绝对控制。即使这样走我们也才走完了《分裂中国计划》的第一步,新疆、西藏、满州等还有漫长的道路,可现实没有给我们那么多的时间,日本近几年的经济已相对饱和,发展已相对乏力,以现有的技术与水平,日本的发展已至极限。
不尽快发动圣战,没有任何资源支撑的日本经济终会陷入崩溃。
但是,在尝试对中国西部的分裂中,中国政府似乎已经觉察到了我们的计划,并制定了《中国西部开发战略》,这个具有民族同化作用的战略,不但具有重要的经济目的,也具有重大的战略目的,这势必封杀了我们的分裂计划,但事物总有相反的作用,因为随着汉人向西部少数民族区域的迁移,势必会增加汉人与少数民族的接触、同化与矛盾、磨擦并存,5-10年之内都不会形成汉人绝对的巩固,我们正好可以利用这个机会制造挑起汉人与少数民族之间的矛盾、磨擦,势态发展有可能会向利于我们的方向发展,因此对于中国西部的分裂计划应坚决的执行下去。
另外在尝试分裂满州的计划中,我们却受到了来自韩国的阻力,韩国至今仍不允许我大日本皇军一兵一卒踏上韩国之国土,这将势必阻碍我国对朝鲜半岛的控制,势必减缓对于满蒙分裂的进程。对于韩国的抵制,可以利用外交手段缓和紧张,必要时可以利用美国的压制,对于朝鲜可以利用美韩的军事压制。
中国是有可能干涉的,既然分裂没那么快实现,时间又不允许我们继续拖延,我们应该适时使用大日本帝国强大的舰队,利用台海冲突或第二次朝鲜战争一举将中国庞大实际上并不可怕的舰队摧毁,对于摧毁中国的舰队,美国人是会支持的,台湾人也是会支持的,南中国海周边国家也是十分乐意的。如果成功,利用这次行动,我们就可以牢牢的控制住台湾,并使之成为我们的军事基地。
由于失去了海空权,中国人对于我们压制朝鲜的反应也就显得力不从心了。而支那人的形象会受到大大损害,支那人的精神与意志会受到极大打击,他们将会再次陷入到大日本皇军威协的恐惧之中,?政府的威信大大降低,从此中国赖以稳定的基础被打破,借机挑动中国各区域的民族分裂势力开展独立复国运动,则中国不战自弱。而我们就可在满蒙重建大日本皇军关东军本部,为灭亡汉人统治下的剩余中国做准备。
还有一个问题就是不要担心经济贫困的俄罗斯会出兵干预,因为对于中国适量的削弱,俄罗斯也是十分欢迎的。通过车臣战争,也可以看出俄罗斯虚弱的军事力量已无力支撑一场象样的战争。
看来建立一支强大的帝国舰队与实现海外派兵合法化,是实现发动圣战的首要条件。
计划的时间安排: 1) 2000年,协助亲日分子击垮?,扶持分裂势力上台执政。中国由于惧怕国外的恫吓,凭借其现的有武备还不敢冒然出兵收复台湾,只会适当的扩充军备等待时机。而我们也正好借机提升军备,争取用4-5年的时间,强化帝国海军,积极谋求海外派兵合法化,并利用经济缓和与对俄关系。
2) 2005年3月,示意台湾当政者宣布《台湾独立宣言》,挑动中国大陆攻台,中台战争爆发。应台湾要求,日向台派遣援台军事部队,进占尖阁列岛(钓鱼岛),进驻台湾,协助台军作战;日美台联合舰队突袭中国舰队,向中国宣战。10月,摧毁中国舰队,夺取海空权,俄罗斯通过联合国出面调停,中国与三方签署停战协定。
3) 2005年12月,日军应台湾要求取得驻台合法权,把持亲日当权政府。
4) 2006年1月,策反中国民族分裂分子,开展独立复国运动,中国陷入内乱。
5) 2007年3月,台湾发表政府声明:台湾自愿并入日本版图,日本政府表示不予接纳,但允诺对其实施应有的保护,日台建立军事同盟关系。
6) 2007年5月-8月,日美台韩联军收复北韩,宣布朝鲜统一。
7) 2008年2月,台军反攻大陆,日台联军出兵满蒙。2009年5月,中国军队退守关内。日军占领满蒙,重建日本关东军本部,构筑侵华根本。
8)2012-2015年,发动对中国大陆的全面战争,灭亡中国,构筑雄霸亚洲之基础。
二、巩固亚洲地位,称雄世界日本在灭亡中国后,理应成为亚洲当之无愧的领袖,要用优秀的大和民族精神去震慑劣等民族的精神,要消灭他们的语言、习俗及奢糜的生活方式,即劣等民族的劣根性,要消灭这些民族的存在,消灭他们的一切,转而学习我们的一切,要在他们的土地上用我们的方式培育出支那日本人、台湾日本人与朝鲜日本人,要使整个亚洲不但统一成一个国家,而且还要统一成一个民族,那就是大和民族。实现这个目标要靠大和民族强大的合力、超人的智慧、无畏的精神,从内心去彻底征服每个亚洲人的心志,要让他们认同并崇尚我们的精神,景仰我们的奋进,并彻底臣服于大日本帝国的脚下,让他们无限的忠诚于我们。只有这样,我们才能牢牢的掌握住亚洲,进而征服整个世界! 征服世界,仅仅依靠日本帝国的力量还是远远不够的,还需要一些得力的帮手与伙伴。美国是同我们瓜分世界的最好伙伴,利用美国压制欧洲,协助德国日尔曼法西斯政党重新掌握政权,再利用德国日尔曼人征服欧洲。事实证明在上一次为了圣战而签署的盟约中,允许意大利人的加入对于日本的圣战是一个错误的决定,罗马帝国的后裔已经丧失了先辈奋争的精神,成为无知的劣等民族,就象我们先辈崇尚的汉唐人,在退化成为低劣的汉人,他们摆脱不了被统治的命运。最后,待我们牢牢控制了亚洲,德国与美国控制了欧洲,而后合力从两面将独联体一举灭亡。整个过程大致需要30-50年。
所有的中国人:在日本人预谋下一个无耻计划的时候,就让我们现在就开始做吧:同胞们! 如果您是个爱国者,请转交10个以上您的朋友、同事、......
***敬请各位把这篇文章贴到你所知道的任何地方,被日本人杀死的4000万同胞将感谢你!!无赖的老年日本人根本就不承认侵略过中国!无知的年轻日本人根本就不知道侵略过中国!无耻的军国主义者说当慰安妇在当时是一种荣耀…… 我们在自我安慰的寄希望于日本人的良知而他们却认为我们这些可怜的第三世界在编造故事以敲诈他们的钱财…… 如果你是一个不太喜欢狂热,冒进的温和派,那么我个人认为你应该所做的是:把不买日货这个原则默默地记在心里,我们没有必要非得用示威或游行来反对日本可耻的行为我们应在心里默默的抗议日本对我们犯下的错误和他们对这些错误无耻的抵赖我们只需要在购买商品的时候更多的忽视一下日货,能不买日货就不要去买。相信自己,只要我们团结起来,人人都能做到这一点,就会使日本在经济上受到打击,就会使他们不敢再轻视我们的力量,如果你认为自己很狂热,那么可以先看看下面的数据:在世界各地,几乎90%的华人用的是:"日本车","日本电器"!!我统计过:如果世界各地的所有华人停止购买日货,日本每年将损失1000-1400亿美元的外汇收入!!!外汇收入"是任何一个国家的源泉和动力!!它和国民经济的关系是"一带动八",或者说:"损失一份外贸收入,这个国家就要损失八份的国内经济收入!"。
换算一下:1000----1400亿美元的外汇受入"等价于"一兆美元----日本经济的总产值的五分之一(1/5) = 20%!!!所以,如果世界各地华人同心协力,不用动刀动枪,就可制日本于死地!!!而且是永久的死地!!!我们应该学习犹太人----曾经集体拒买一家德国工厂的产品,最后导致这家公司的彻底破产!!!起因就是因为这个公司的总裁说了一些所谓"理解希特勒"的话!!!现在德国人对犹太人特别好!!!您知道为什么吗?原因有二:一个是怕----因为犹太人特别团结;第二个是犹太人的狠----犹太人从来没有放弃过对"纳粹分子"的追杀-----只要在这个地球上发现有任何藏匿的"纳粹分子",他们就一定就会"抓--绑架",如果实在无法得手,那就"杀"!看看我们中国吧?! "对刽子手的仁慈,无疑就是自杀!"开始行动吧同胞们:50年过去了,还要等吗?!开始行动吧!!从我开始做起!从我家开始做起!!从我的朋友开始做起!!!从我身边的各个组织开始做起!!!!只要大家共同努力。
最后,我想最多10年,全世界所有的华人都会做到!既使能做到一半(50%)。对日本的打击也是致命的!!组织一个全球性的"拒买日货复仇组织"!请在各地"串连串连",好吗?!同胞们,开始行动吧!可以印些传单,让大家意识"拒买日货"的重要性!"拒买日货"首先要防止被"日本狗"误导有些所谓的"爱国人士"---(其时是被日本秘密收买的哈巴,目地是挑拨分离我们本来就不团结的中华大众),经常提出:拒买日货是不可能做到的,原因是几乎所有的轿车,电器里,多少都有日本的零件。所以还是打住吧!"拒买日货就到此为止"是什么用意?!那是因为日本害怕看到中国大众组织起来,进而进行有效的"抵制日货"运动?! 故而在这个五十多年来首次完全有可能组织其一个有效的全球性"拒买日货"运动时,他们便会迫不极待地跳出来叫"停"!"拒买日货",并非像他们所说的哪样--- - "因为这个计算机里有一个或一些日本零件,我就不买;这电视里有几个日本造的电子器件,我就不要"。"拒买日货"的口号实际上是要求全球中国人,在有选择可能的情况下,尽量不买日本造的货物,如汽车,电冰箱,洗衣机,电视,音响……等等!五十多年来,华人一直记恨于日本,但可笑的是却没有一个有力的"拒买日货 "组织!!究其原因,就是因为中国有太多的日本狗从中挑拨分离我们本来就不团结的中华大众!中国同胞们:清醒过来吧!千万不要再被这种人玩耍了!!! "拒买日货"的意义拒买日货"的意义是巨大的!她能让我们不动一刀一枪就打击了日本,同时又加快了中国经济的发展!她能让我们扼制日本,进而让中国立于不败之地!她能让我们的子孙免遭我们的前几代祖先和我们现代中国人所遭受的痛苦!!她最终也能让这个几百年来一直顽固不化,一再屠杀掠夺中国人民的丑陋民族遭受到它应有的惩罚!!!你以为这容易做到吗?绝对不是!这需要我们大家的共同努力,才能让全体中国人慢慢地,逐渐地意识到,然后才能真实地做到!!不必要的担心 1.中日友好根本就不存在!过去没有,现在没有,将来也不会有! 2.现在中日两国贸易总额每年达600亿美元。是不是因为我们全球中华大众对日货的抵制,中国就会受到损失?这是不会的!原因是:a.日本出口到中国的是高级奢侈品--- 我们中华大众可以拒绝;b.中国出口到日本的是普通生活必须品----日本人很难抵制,他们其实是在享受着我们廉价的产品! 3.另外,从中国的长远利益来看,减少对日本产品的过份依赖,对中国的国家安全是非常重要的,比如日本参加美国的NMD,其目的就是与中国为敌!!!
[No.183] トラックバック:「〆 代償行為としてのサッカー」(はい こちらサポセン。)[2004年8月 7日 20:03]
サッカーは何かと政治に影響を及ぼしやすいスポーツだ。 なにせ戦争まで起きてしまった程である。 今回のアジアカップ決勝でも一悶着ありそうな雰囲気だ。 一連の反日感情の高ま...……[全文を読む][No.184] 投稿者:NTM[2004年8月 8日 22:13]
通りすがりに、面白い話に出会ったなと思ったけど…それにしても。
愛国心、というけど、国なんてのは愛の対象として大きすぎる単位じゃないだろうか?ものすごい捨象、抽象、おおざっぱさの感覚がなければ、「日本を愛する」なんていえないと思う。そもそも、そういうことを言う人に限って、「日本」がどういう構成要素から出来上がっているか、その「日本」が過去に何をしてきたか、そしてこれから何をしていけばいいのか、という現実的、機能的な問題を全く理解していない事が多い。そして、自分の乏しい人生経験と感情だけで「日本」をわかった気になって、自分の直感的な「日本観」と違う物を排斥するような態度こそが「愛国」であると勘違いしているのだ。困った事にそういう頭の悪い言説が垂れ流しになっている。このような現状こそ、まさに一日本国籍保持者として憂慮する事態だとしか言いようがない。上の攻撃的な中国語の書き込みに正確には何が書いてあるのか知らないけど、こういうのを招く土壌はあるよ。この国の市民はいったいどういう教育を受けてきたんだ。
国というのは何よりも、統治機構であり、機能である。たいていの場合、その営みを滞りなく動かすために、主には統治機構自身によってナショナルイメージとか、ブランドとしての日本というのが戦略的に打ち出される。
一部の理論的に先鋭な人をのぞき、愛国云々という人の大多数が日本について把握している情報っていうのは、けっこう、こういう断片的な「植え付けられた」イメージと自分の生活世界の実感のパッチワークにすぎない場合が多い。つまり、表層的で狭くて、深みがないんだ。海外旅行にいったら日本が安全だと思ったとか、世界中で日本が知られているからすごいとか、そんなレベルの考察で国家について発言してほしくないって思うね。光りあるところには闇あり。その安全な国日本が在日外国人市民に行っている非人権的な対応だとか、世界中に進出した日本企業による現地経済の搾取だとか、その辺もきちんと考えろって思う。そういうことをいうと自虐的だとか騒ぐやつがいるけど、彼らは次の意味で大きく間違っている。すなわち、「国のためを思う」というのが、「(実は支配層に都合のいい)ナショナルイメージが保全されるために行動する」ことだと勘違いしきっているのだ。これは、国を個人の感情レベルでの愛の対象とすることからおこる過ちである。機能としての国家を考えるなら、まずなによりも、国家の方針、働きのうち、長所はこれで、問題を起こしている部分はこれだ、そして解決策はこうあるべきだ、と冷静に分析をすることから始めるべきだろう。治安の問題にしたら、警察機構がしっかりしているという長所はあるけど、非日本国籍保持者について差別的な待遇が目立つので、その場合は研修を行うとか、または、周辺国家にある警察機構との国際協力を強化するだとか。または、移民受け入れ政策の本格化(鎖国はもう無理だ)を真剣に考えるとかね。
色々考える事はあるんだからさー。
と、ふと、そんなことを考えたッス。
失礼しましたー。
[No.185] 投稿者:匿名[2004年8月10日 02:22]
>NTMさん
あなたとは、世界平和や地球環境保護についての話はできなさそうですね。
それにしても愛国を云々するためにはその国家のマイナス面をすべて学ばないといけないなんて、初耳です。いや、中韓の日本を非難したい連中が言っているのは聞いたことある気がするなあ。
[No.186] トラックバック:「「松永的愛国心論まとめ」から - 所属することについて」(fishbone)[2004年8月28日 05:08]
7月28日に作成されたこのエントリには、コメントとトラックバックを合わせると、合計で200件近い反応がついている。もちろんちゃぶろの、いくつかのブログでも取り上げられていた。と...……[全文を読む][No.187] 投稿者:matsunaga[2004年9月15日 11:02]
「松永的愛国心論」に賛成です。僕の名前がたまたま「松永」であることとは関係ありませんが。スポーツやなんかでは日本チームを応援はしますが、同じ日本人であるという理由だけで、自分が関与していない業績を喜んだり誇ったりという恥ずかしい行為は出来ません。
ついでに、「愛国心=政府/権力への追随」と勘違いしている人も多いように思えます。祖国が間違っているなら、敢えて刃向かうのも愛国心でしょう。僕の祖父も満州で戦っていました。ただし、バルチザンの側で、ですが。特に共産主義者というわけではなかったのですが、日本のやり口に納得できず、日本を敵とすることで、不正義を正そうとしたということです。あまりにも極端な行動ではあり、さすがに賛同は出来ませんけど。(←もっとも、祖父の家族が言うには、借金を踏み倒すためにパルチザンに逃げた、とのことです。どちらにしても、極端すぎ)
[No.188] 投稿者:保呂草[2004年9月16日 18:48]
「ナショナリズム」を検索してたら、ここに来ちゃった。(笑)
私も小さい時から「集団に混ざる事への不安」を感じていたものですから、松永氏には共感するところが有りますね。何らかの意味でマイノリティーなのでしょう。
感情だけが背景の「愛国心」ほど気味の悪いものはありませんし、国家間で互いのナショナリズムがぶつかる無意味さにもうんざりさせられます。
Purple Moon BlogのMiyaさんの意見も肯ける点(論争の手法)も有りますが、松永氏の国を問わず、「ナショナリズム」と言う事に対する嫌悪感、(やもすればアナーキストですなぁ)には同感いたします。
松永氏は吉本隆明の「共同幻想論」はお読みになられたでしょうか?私は未だに影響を受けておりますし、国家というものの姿を別の角度から見ることが出来るきっかけになりました。ここから論じないといけないんじゃない?と思いますもん。中国人や朝鮮人にも読ませたい。(笑)
また、松永氏が推されている?香山リカ氏の観点も面白いですね。ナショナリズム!このヒステリックさ、どーよ?って感じです。
で、今気になっているのは阿部謹也氏の「世間論」。日本人の国家観を論じてますが、これで、イラクの人質バッシング・北朝鮮の見方・今回の中国ブーイング問題が解けそうです。
では、頑張ってください。
*“ウンコ投げ競争で優勝したのはウンコを投げなかった人だ。By S.キング
[No.189] 投稿者:保呂草[2004年9月17日 16:54]
あ~追記させていただきます。
1、本来の儒教においての「忠」は「天」に対してのものです。主君→天皇に対しての「忠」が出てきたのは江戸時代の水戸学以降だと思います。そしてそれが教育勅語などでより強化させられ、本来とは異なる意味を持たされています。
2、「孝」を鬼神への「礼」とみなすならば自分の親族に優先して礼を行なうのは当然で、それを「身びいき」とされるのは、ちょっと違うかなぁと、いう気がします。
江戸以降、特に明治以降の日本の儒教観で儒教を語る事は問題点をはらむと思いますが…どうなのでしょう?
3、松永氏にはほとんどの点で共感していますが、時間軸(歴史)に関する観点ではズレを感じています。
確かに加害者史観と被害者史観の対立や(欧米対日本の構図では日本が被害者の立場だと思います)各政府のプロパガンダによる意識操作で各種の意見の対立等がみられますが、死者への礼は欠いてはならないと思います。そしてそれは生者への礼でもあります。
南京(数の問題ではなく)、重慶、長崎、広島、沖縄、ドレスデン等、謝罪ではなく、礼を尽くすべきと考えています。
あぁ、靖国に対しても同じなのですが、8月15日に参拝するのはおかしいですね。春・秋の大祭に行くべきです。
4、国家は実際に機能している機構と形而上の側面を持っています。「世間」と言う幻想もその形而上の面の一つですが、そのうさんくささと虚構性に松永氏がウンザリされているのも肯けます。(ご家族との諍いがそうだと思います。)
対談集「ナショナリズムの克服」の中の森巣博氏のようなスナフキン的(笑)立脚点を持てればよいのですが、一般の人は個として立つのが困難です。どうしたものでしょう?(笑犬)
[No.190] トラックバック:「『愛国心について』と言うエントリーについて、僕の思うこと」(Idea&&Technology->Blog)[2004年9月19日 03:03]
超有名サイト、絵文禄ことのはにて公開された『愛国心について』と言うエントリーにつ...……[全文を読む][No.191] 投稿者:ぼく[2004年10月13日 15:00]
ネットでおおきな声で騒いでいる「自称愛国者」ってのは結局、体制・政権・既得権益の擁護を目標とする犬右翼、
自分の小ささから逃げるために国家と自己を同一化してアイデンティティの確立をはかる卑右翼、
自分の情けなさから逃げるために”左翼”や”朝鮮人”という自分より下の地位を作り出し「ヤツラよりはマシだ」と自己満足する哀右翼、
社会への不満を”日教組”や”労働組合”や”ブサヨク”のせいにして叩いて鬱憤を晴らす屑ウ右翼(特にイラク拉致被害者をノイローゼに追い込むほどの卑劣な嫌がらせはすさまじかった・・)、
こんなのしかいないんですよね・・・
[No.192] トラックバック:「ブログつまみ食い 〓愛国編〓」(アレ系ウオッチ)[2005年1月10日 18:15]
「日本人の道徳意識が薄れたのは愛国心を忘れたからだ」というような主張を耳にするにつけて,「自分は愛国心は希薄だが,取りたてて不道徳なことをしでかした憶えはないんだがなあ...……[全文を読む][No.193] 投稿者:Bush[2005年4月11日 08:40]
Hi Japanese!
Do you like the A-bomb?
We can offer you more.
Tell the fuking writer
we don't want you to get
Tai Wan.
We also can't be controled by you.
If you guys are stupid,we can easily bomb
Tokyo and let it be a part of David Camp
[No.194] 投稿者:hamo[2005年4月16日 21:20]
何か自分の所属する組織で何らかの功があれば僕は喜ぶと思う。まあそれが僕が無能だということだろう。確かに僕は幼い時から劣等感ばかり感じてきた。そのようになる環境で育てられたということだ。僕みたいな人がどこかでデモを起こしたり、掲示板を荒らしたりしたら、良識と理性を持って無視しましょう。
[No.195] トラックバック:「松永的愛国心論」(大津留公彦のブログ)[2005年8月 8日 12:28]
大変興味深いblogの記事だった。 それに200位のコメントやトラックバックも付いているのがすごい。 重慶の中国のサッカーファンの取った行動から端を発して「愛国心」論争に発展...……[全文を読む][No.196] 投稿者:ねこねこ[2005年11月22日 14:17]
中学生のころの自分をみているようでした。
[No.197] 投稿者:ぷりぷりざえもん[2006年10月22日 20:13]
ホント今更なのだが、松永氏とほぼ同じ事を感じて今まで生きてきた。
他者を貶める事で表現される愛国については、きちんとした教育を受けてきた人間ならば「へっ」とでも笑って黙殺すべき問題だと思う。何故ならば、そうした人間に松永氏の感じておられるような愛国心に対する懐疑を理解させる事は不可能だし、そうした連中の存在は普遍的なモノなので、最初からマイナスとして勘定し、せいぜいサッカーでも与えてガス抜きさせておけばいいのだ。
問題は愛国心というものの根拠に対する疑義である。
自分を育ててくれた文化に対する感謝?
外来の文化に大昔からどっぷり浸ってきた国の人間の言うことではあるまい。
自分があるのは先祖が一生懸命生きてきてくれたから?
あなたの、一世代ごとに倍々に増えていく先祖の中に、大陸系の人物がいない確率はきわめて低い。
私は運良く愛国心を強制されたことがそれほどないので、実は愛国心の問題はそれほど皮膚感覚的なものではない。
似た問題、というか、松永氏が同列に論じておられる郷土愛、共同体への帰属心に関しては少々不愉快な体験をしたことはある。
愛校心という奴だ。
なんで貴重な休日を、友達でも知人でもない連中のために、やれ野球応援だ、応援練習だ、で無為に過ごさなければならないのか、私にはさっぱりわからなかった。
野球部員やら応援団やらが愛せる連中ならまだ良かったが、彼らは横柄で暴力的だったので、なおさらだった。まあ応援団が愛せる連中なんてことはあり得ないけど。
時期はずれ甚だしいコメントでスマン。
[No.198] 投稿者:cb[2009年7月16日 06:37]
私の知っている「愛国者達」は自国にかかわるほとんどすべてのものに対して罵倒に近い言葉を投げつけている。
どうしてあれほど自国の制度や文化を罵り、同国人を嫌う人々が「愛国者」を自称できるのか、私にはうまく理解できない。
by内田樹
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