文章本来の約束

 記事文は同じ記事文でも、実用的な記事文と美術的な記事文が同じようなものであるべき道理はない。美術的な記事文ならば、それが美術的であるということ、すなわち美術的であらねばならないということが第一に主要な約束である。実用的な記事文ならば、それが実際の役に立ちえるものであらねばならないということが第一に主要な約束である。その文章の本来の約束ということは実に大切なことである。

 奈良の吉野は桜の花の美観で有名な場所であると同時に、材木の産地としても有名である。今、もし林業者が同地を視察してその記事の文章を作るとすれば、それはすなわち実用的文章で、そしてその文章はもちろんのこと、林業者にとって何らかの参考になったり、利益になったりすることを目指しているのである。で、その一事がその文章本来の約束となっているのである。だからその文章は、事実を離れないように、浮いた言葉のないように、明らかに、わずらわしくなく、漏れのないようにできさえすれば、それで十分であり、上々であるのである。

 しかし、もしその文章の中に、支那風の悪く難しい形容の言葉や、日本古代の生ぬるい死語などがたくさん埋め込まれていたり、あるいはまた「白髪三千丈」などというような誇張はなはだしい文字が使ってあったり、「これはこれはとばかり花の芳野山」などというように人の感覚に訴えようとする気の利いた詩的言語が多く使われていたりするとするならば、それは面白くない、よろしくないと言わなければならない。なぜといえば、それらのことは、その文章本来の約束で求められている明瞭さ、確実さ、詳細さというものをいくらか損なう一方、不要な別の意味を付け加える傾向があるからだ。

 また、今もしある詩人が芳野の花を見てその記事文を書いて、まだ知らない人に吉野の美しい景色を想像させようとしたとすれば、その文章の本来の約束は、優美さだとか崇高さだとか、何らかの美を有するということである。で、その文章には、何の谷に桜の樹が体積にして何百何十本あるだの、何の谷に杉の根回り何尺以上のが何百何十本あるだのといった記事や、どこそこの地質は輝石安山岩だの凝灰岩だの水成岩だのという記事なども、必ずしも必要ではない。挿入するのは任意だが、林業者の視察のメモや、地質調査の報告書のようなものになってもらってはむしろ不本意なのであって、要するに何でもよいからいわゆる美的感覚を提供するものであってほしいのである。どんな文体で、どんなことを書いてもよいのだが、要するに読者に美感を感じてもらえればそれでいいので、そうでないならそれはよろしくないのである。失敗したのである。

2004年11月 2日11:04| 記事内容分類:普通文章論| by 松永英明
この記事のリンク用URL| ≪ 前の記事 ≫ 次の記事

twitterでこの記事をつぶやく (旧:
【広告】★文中キーワードによる自動生成アフィリエイトリンク
以下の広告はこの記事内のキーワードをもとに自動的に選ばれた書籍・音楽等へのリンクです。場合によっては本文内容と矛盾するもの、関係なさそうなものが表示されることもあります。
2004年11月 2日11:04| 記事内容分類:普通文章論| by 松永英明
この記事のリンク用URL| ≪ 前の記事 ≫ 次の記事

twitterでこの記事をつぶやく (旧:

このブログ記事について

このページは、松永英明が2004年11月 2日 11:04に書いたブログ記事です。
同じジャンルの記事は、普通文章論をご参照ください。

ひとつ前のブログ記事は「二種類の文章を一緒くたに論じるのはおかしい」です。

次のブログ記事は「文章の目的、約束、用意」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。
過去に書かれたものは月別・カテゴリ別の過去記事ページで見られます。