世の人はどうして実用的文章を作るのが簡単ではないと思うのか

 しかし、世間の実態を見ると、世の中の人はよくこういうことを言っている。

「どうも文章を書くのは難しい、難儀なことである。厄介である。おれは文章家でないから到底書けない」

という言葉であるが、こういう言葉はしばしば私が耳にする。

 なるほど、世の中に容易なことは一つもない。実に一本の直線を紙の上に書くのであっても、また決して容易なことではないのであるから、ましてや文章を書くという複雑なことが容易であろうわけはないのである。

 しかし、文章が文章を書くのは難しいだろうが、実用的文章を普通の人が書くのはそう難しいことではないはずである。なぜかといえば、演説家が演説をするのは難しいかもしれないが、普通の談話を普通の人がするのはそう難しいこともないのとちょうど同じことである。また、俳優が農夫に扮して農夫を演ずるのは――つまり俳優が技を示すのは難しいかもしれないが、本当の農夫が農夫の動作をするのが難しいという道理はない。

 今、ここにある人が言葉を発して何ごとかを語ろうとするとき、その語られるべき内容はすでに存在しているのである。で、その存在している実質をそのまま明らかにするのは、たとえば風呂敷包みの中のミカンをただその風呂敷を取りのけて示すようなもので、何の難しいことはないのである。ふだん我々が「鉛筆を買ってこい」とか「郵便を出してこい」とかいう言葉を発する場合に、その言葉を発するのは実に容易なわけで、それはそれらの言語を発する前に、すでに「鉛筆を買ってきてもらいたい」とか「郵便を出してほしい」というものが存在していたので、言葉を発したのは実はただ一枚の風呂敷を取り除く程度の労力と同じようなものであった。これが容易なのは実にわかりきったことである。

 文章は、我が国においても他の国においても、文章=話し言葉とはいいがたいものであるが、しかし大体において文章と話し言葉とは、その性質・作用・体形や人間との関わりにおいてほとんど近いものであり、場合によっては「文章も話し言葉も同じものだ」と言っても差し支えないものである。

 いずれにしても、話し言葉と遠い距離があるわけではない文章というものの中でも、特に実用的なのに至っては、やはり「鉛筆を買ってこい」「郵便を出してこい」などという言葉とあまり違わないものであると同時に、これを書くこともまた実に容易なのである。

2004年11月22日01:58| 記事内容分類:普通文章論| by 松永英明
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 しかし、「実用的文章を綴るのは簡単です」ということを提言する必要があるほど、世の人は文章を作ることを難しいことだと考えている。

 なるほど、文章は上手に書きにくいものであって、文章はうまく書きにくいという議論は先人もなしてきたことであるから、決してむやみに「簡単なものである」と主張することはできないが、それはそもそも美術的文章についてのことであって、実用的文章の方はそれほど書きにくいものではない。

 もちろん、何でも一通りに済ませてしまうのと、至れり尽くせりにするという差はある。いかに実用的文章が容易に作れるものであっても、至れり尽くせりでこれ以上のものはないというふうに作ることは、決して容易なことではなく、むしろ至難の業である。しかし、要するにそれは、言い換えれば「欲望の満足は得がたいものである」ということであって、「実用的文章は作りがたいものである」ということではないのである。

 さて、それならば、まず書かれる内容があって、それから書かれることになる実用的文章は、すなわちただ一枚の風呂敷を取り除くのと同じくらい簡単に書けるはずだ。実用的文章は、なぜ実際には、世の中の人から、作ることが簡単でないものと思われているのだろうか。なぜ、事実上、世の中の多くの人が、自分の必要とする文章を書くのに悩んで、そしてともすれば他人に依頼したりするのだろうか。また、世の中の人たちが求めることについて、様々な作文指南書が棚からあふれるほどいかに多く出版されていることだろうか。

 これらの事実は、一つの大きな疑問であると同時に、わたしが先に言ったことが間違っている証拠のようにも見えてしまう。さらには、この一編のように実用的な文章を論ずる書も、つまるところは実用的文章を書くことが容易ではないからこそ生まれたのではないかという「言ってることと違うだろ!」というような話になってしまう。

 しかし、わたしの立場から言えば、実用的文章を作ることは容易である。しかし、これは難しいと考えるという事実が世の中に実際存在している。そのために、このような一編の論も書くのである――と言いたいのである。

 ひるがえって、また根本から言うならば、実用的文章を作ることがなにゆえに容易ではないのだろうかという疑問が起こるが、この疑問はおそらく非常に有益で、しかも切実な疑問である。なぜかといえば、その疑問がしっかりと解けるならば、ようするに困難の原因がわかる。原因がわかれば、その原因を取り除く手段・方法も議論できるのは当然だからだ。



 そもそも、実用的文章を作ることがどうして容易でなかろうか。風呂敷を取り除いて品物を示すのと同じことがどうして容易でなかろうか。逆に質問してみたいほどである。

 試しに、実用的文章を作るのは容易ではないと主張する人に、虚心になって考えてみていただきたい。

「なぜ容易ではないのか。どの点が容易ではないのか」と。

 そうしたら、おそらくその人も、容易でない理由や個所を発見するのに苦しむことだろう。容易でない理由や個所を発見するのに苦しむ理由は、それこそ本当の理由とすべき理由や指し示す個所があるわけがないことを語っているのであるが、だからといって、「それならばすでに容易ではないなんてことはないだろう」と押しつけるわけにはいかない。事実は事実として存在しているのである。

 それもまたそのはずで、病人は必ずしも病気の原因を知っているものでもなく、また病原が潜んでいる場所を知っているとは限らない。それと同じで、一般の人が実用的文章が難しい理由や個所を知らないからといって、おかしなことは何もないわけである。

 しかし、病人自身が聞かれたことに答えられないからといって病苦がないのではないのと同じく、一般の人が文章を作ることを難しいと思うという事実はやはり存在しているのである。

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2004年11月22日01:58| 記事内容分類:普通文章論| by 松永英明
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