絵文録ことのは2周年(&文体の話)

音極道茶室: 著名ブログの「最初の記事」を集めてみた」で実質的な最初の記事「ウェブログ=蜘蛛の巣丸太が「サイバー日記」になった理由 [絵文録ことのは]2003/09/13」が取り上げられていたので思い出したが、一応このブログの誕生日は9月9日である。

 最初は「ウェブログ@ことのは」というタイトルだったが、途中で「絵文録ことのは」に変更した。ちなみに文“禄”じゃなくて(それでは文禄慶長の役になってしまう)「絵・文の記録」で「ウェブログ」の語呂合わせなので注意(まあgoogleでも検索できてしまうから、異体字ということでいいけどね。笑)。

2005年9月10日13:28| 記事内容分類:執筆・書き方・文章, 更新・お知らせ| by 松永英明
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文体の話

音極道茶室: 著名ブログの「最初の記事」を集めてみた」より。

ykurihara氏、松永氏、テラヤマアニ氏、徳保氏の文章は今読んでも違和感があまり無い気がした。皆さんブレが無い。私などは、いまだに文体でしょっちゅう悩む。キャラがなかなか一定しない。その点、さすがだと思った。

 とのことであるが、まあ確かに文体はあまり変わってないかもしれない。

 高校から大学あたりで作家になろうと思っていろいろ書いていたころは、文体に凝りまくったりもしたものだが、詩的な短編ならともかく、長編ではストーリー展開やキャラクター描写が第一であって文体は飾りにすぎないと割り切れるようになってから、逆に淡々とした文体に切り替わった。

 その後、ゴーストライターなどをやっていったわけだが、こういう場合はむしろ文体を表に出してはいかんわけである。文体という面では非常にナチュラルに、淡々と書かなければならない。それでもにじみ出てくるものだけで充分個性は出てくる。

 だから、文章に個性を出そうとして文体をいじるがなかなかうまくいかないという人には、「文体には凝らなくていいよ」とアドバイスしたい。逆に言えば、文体しか取り柄がないなんていう人は、パスティーシュやるか、さもなくば文章を書くのをやめるかしかないんじゃなかろうか。

 いい文体とは、自分の言いたいことがもっともよく表現でき、表現しやすく、そして読者に理解されやすい文体だと思う。絢爛豪華な文体でそれが最もよく伝わる内容ならそうすればいいし(詩人はそうだろうし、泉鏡花は大好きだ)、逆にシンプルな文体で内容読解に専念してほしいと考えるならそれはそれでいいと思う。

 以前は文章を書くのにひねり出すようなつらさがあったが、今は、文体や言葉づかいのところで悩むことはかなり減ってきたように思う。これは慣れの問題かもしれない。ですます調のときに文末が短調にならないようにしようとしていじるくらい。まあ、文体をどうしようと考えるのではなく、書き上がった文章が自分の文体で書かれたものだというように後付けで考えるようになれば、書きやすくなりそうな気がする。

 要するに、自己表現を文体レベルでやるか、それとも書いた中身レベルでやるかという問題。自分の場合は、文体レベルに力を注ぎすぎると中身が追いつかなくなるので断念したともいえる。

 そのせいなのかどうなのか、この「飾りをそぎ落とした文体」はどうも年輩の人が書いているように見えるらしい。文章が落ち着いて見られるのか、初めて会う人から「こんな若い人だとは思わなかった」と言われることが多い。まあ見かけ年齢が学生風というのもあってギャップもあるのかもしれないが(笑)、この「文体年齢」は50近い人のものかもしれない。

 そういえば、趣味のWebデザインの徳保さんが自分よりはるかに若いと知ったときは、自分の年寄り臭い文体を棚に上げて驚いたものだ。

 ブログの場合は、けっこう書き飛ばしというか、仕事ではなく書いているので、自分の書きやすさが最優先である。である調が多いのはそのためである。ただし、書く本の内容によってはですます調のことも多いし、そういうときは頭の構造も切り替わってしまうような気がする。いや、ネット用の文章と紙用の文章ですでに違う頭で書いているような気もする。だから、ネット用に書いた文章は、自分の場合、そのまま紙の本のための原稿にはならず、同じ内容であっても一から書き直したくなる。

 ところで、文体というのが、文章全体の構成だとか、論理の流れだとかいうのであれば、これはまた別の話になる。事実関係をずらずらと例示しまくって、その中で自分の考え方をまとめていく、というスタイルについては、私の文章展開は幸田露伴のエッセイのタイプだと思う。

ネット文体について

 いわゆるテキストサイト界の文体であるが、これはラジオまたはテレビのバラエティ番組の文体とそっくりだと思う。Yahoo! Internet Guide 9月号で「【第3特集】 ウケて得する ブログにする方法」の記事を書かせてもらったのだが、その中でテキスト系ブログの代表として眞鍋かをりのブログを取り上げた(ちなみに対面ページには写真ブログの代表としてしょこたん☆ブログを取り上げている)。

 テキストサイトは「間」が命、とかそこで指摘したわけだが、要するにラジオやテレビでの「しゃべり」を文字で再現したのがテキストサイトなのだと感じている。テキストサイトの冒頭で、たとえば、

香港版DVDを持っているのに日本で上映されるというので「千機変(Twins Effect)II 花都大戦」を見に行ってジリアンかわいいとか浸りまくっているミーハーな松永ですこんにちわ。

といった近況報告入りの自己紹介をしてみたり、オチに持っていくまでに改行を駆使して「間」を取ったり、最近のテレビのバラエティでオチの部分は字幕も駆使して協調するのと同じようにフォントいじりをしてみたり、と、完全にあれはテレビ・ラジオ文化の産物であるように思う。

 眞鍋かをりはその点、テレビ・ラジオが本業で身についているだろうし、それをそのまま取り込んだテキストサイト文化にも習熟しているので、「ブログの女王」の文章は面白いと評されるのも当然といえば当然なのである。

 そして、このテキストサイトの文体の重要なポイントは、主張の内容云々よりも「笑いを取る」「ウケる」ことが第一目的であることが多いということだ。典型的には斬鉄剣、侍魂、ろじぱらあたりで確立されたテキストサイトの文体は、眞鍋ブログなどに受け継がれてきている。それは、ネットの読み物に(お笑いとしての)「おもしろさ」を求める人たちには強く支持され続けていくことだろう。

 テラヤマアニさんの場合は、このテキストサイトの流れを汲んだ語り口調だが、改行やフォントいじりを使わずにひたすら言葉をつないでいくので、むしろラジオ系語りテキストという感じだろうか。という意味では吉田アミさんもこの流れのように思う。ラジオ系としては、neats.orgのさやわかの人とかが古い方だろう。

 で、そういう意味での「おもしろさ」に欠けるのが、このブログもそうだが、淡々とした文体のコラム系サイト/ブログということになる。これはネタや主張やデータの詳しさなどで勝負することになるから、「笑える」とは違う「興味深さ」という意味での「おもしろさ」を工夫することになるだろう。

 この辺の話は突っ込めば面白いと思う。あやしいわーるど、あめぞう、2ちゃんねる、Vipperそれぞれの文体の違いとか、ひいては意識構造の違いにも言及できるのではないかと思うが、今日はこの辺で。

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コメント(2)

>ラジオ系としては、neats.orgのさやわかの人とかが古い方だろう。
なんかね、某巨大掲示板の住人によると「○○の人」という使い方がすでに古臭いらしいね(笑
やっぱり○○タンあたりに統一した方がいいのかしらん。

松永さん、二周年おめでとうございます。もう2年ですか。

 さっそくですが
>ですます調のときに文末が短調にならないように
 「単調」の誤字だと思います。

 ちょうど今日、ブーバーの『我と汝』を読んでいて
〈他との違いに重きを置き、それを個性ととらえること〉の問題について考えたりしていました。
 文体は意識の枠組みが投影されるだけでなく、文体によってまた意識が規定されていくのでおもしろいですね。

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