長野の戦争遺跡訪問【3】松代大本営・舞鶴山地下壕(1)

6月28日午後、松代大本営・舞鶴山地下壕を訪問。天皇・皇后両陛下の御座所と参謀本部などが置かれる予定だったところだ。

2008年7月15日01:21| 記事内容分類:日本史| by 松永英明
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松代大本営・舞鶴山地下壕


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車に乗って神田川沿いにさかのぼり、山間の「松代地震センター」「気象庁精密地震観測室」へと向かう。

1947年、中央気象台松代分室がここに置かれ、後に気象庁精密地震観測室となった。深い坑道が地震観測に適しているようである。

また、1967年、松代群発地震の研究のための松代地震センターがここに置かれた。

天皇陛下御座所

最初に天皇御座所を外から見る。

解説する土屋先生、それを聴く立花隆氏一行。

建物に向かう。ガラス越しに中を見ることができる。ただ、ガラスで反射するため、写真は非常に撮りづらかった。

天皇の御座所として用意された部屋。非常に高級ではあるが、そう広くはない。むしろ、こんな狭いところで大丈夫だったのかと心配してしまうほどだ。

御座所から外を見る。谷間ののどかな風景である。敵機が向こうの山を越えてきて、この御座所を見つけて空襲しようとしても、うまくいかないような狭い谷間に造られている。

精密地震観測室は一部公開されている。入ったところに解説板。

天井の明かり取りを見上げたところ。非常に厚い天井になっていて、1トン爆弾が何発か落ちてきても耐えられるだけの頑丈な造りになっているという。

階段を下りて地下壕に入る。それほど奥までは行けない。象山地下壕と比べると非常に狭い。

右手の案内板の説明「地震記録室の案内(地下御殿)昭和48年4月 地震観測所 松代地震センター 第二次世界大戦の末期昭和19年11月ここに大本営を構築の際、予定された秘密の地下御殿があります。ここを右に曲った奥から左へ向って作られており、空襲などのときは両陛下がここに避難される予定であったといわれております。その長さは51m、幅は4mあります。現在は地震観測所で改修して地震計の記録計として使用されています。ここから約300m下ったところにある地下大坑道に設置された地震計がとらえた地震の波は電流の強弱に変換されケーブルを伝ってこの部屋に入り自動的に光学記録が行れております。これは精密な機械なので係員以外は入室できません」

突き当たりから奥を撮影。

階段を上って上に戻る。手ぶれが激しくてすみません。

階段を上りきったところで奥を振り返る。非常にがっしりとした構造。

先ほど覗いたのは、右下の小坑道の一部であった。

大坑道に書かれていた文字の写真。

図解がかなりわかりやすい。

さて、ここで気象庁精密地震観測室から出て、外で少し土屋先生の話を聞いた。これが非常に興味深いものであった。続く。

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