長野の戦争遺跡訪問【5】松本・里山辺地下工場(1)

6月29日は松本へ移動。あまり知られていないが、里山辺地下工場を訪ねた。こちらは松代大本営地下壕と違って普段は公開されておらず、非常に生々しいものであった。

2008年7月28日00:33| 記事内容分類:日本史| by 松永英明
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里山辺地下工場へ

朝9時に松本駅に移動。そこから一同、タクシーに分乗して現地へ向かう。小雨が降ってきた。

今回の行き先は、松本駅から東の方角にある里山辺の地下工場である。名古屋三菱航空機製作所が疎開するために作られたもので、強制連行された中国人と朝鮮人によって建設されていた。終戦時には完成しておらず、実際に工場として利用されたことはない。

松本の工場では、零戦の後継機「烈風」、ロケットエンジン局地戦闘機「秋水」、双発戦闘機「キー83」などが試作され、量産のための研究が行なわれていた。

今回は松本第一高等学校の平川豊志先生(松本強制労働調査団)の案内である。ここは私有地なので、見学には事前に連絡が必要だ。地元で研究している人の案内が必要不可欠である。

里山辺地区の地図。小笠原城(林城)のあった金華山の地下に工場が造られようとしていた。

実はこの写真は帰り道、山辺学校歴史民俗資料館の前を通り過ぎたときに、タクシーの窓から撮ったもの。地図では東が上。右上、すすき川沿いに金華山がある。

金華橋から金華山を見る。手前にあるのがホテル志摩(ラブホ)。川沿いに少し東へ行ったところが地下工場の入り口になる。タクシー等で行く場合はここを目印にするとよい。金華山には登山道もあるそうだが、今回は登っていない。


大きな地図で見る

地下工場に入る

地下工場入り口の前。ヘルメットと軍手を装着し、懐中電灯を装備する。

案内の平川先生。山の麓に、ゴミの山が積み上げられている。そのゴミの山を乗り越えて、その奥の木々の間に入り口がある。

ロープをつたって山の脇の道を進む。

地下工場の地下壕入り口。非常に狭い。

平川先生は情報科・理科の教師である。もともとは地層が見たくてこの地下工場跡に入ったそうだが、その後、歴史的なものも研究するようになった。地下では、地層に基づいての解説が充実していた。

入ってすぐのところから入り口を振り返る。戦後、この地下壕は信州大学文理学部物理学科の宇宙線研究のために利用されたため、この入り口が入れるように残ったものである。

くぐるようにして先へ進む。足下の状態は非常に悪い。

地下工場の間取り図。地図でいうと下の入り口から入って、奥へ進み、中央の長い坑道を左へ、それから右へと歩いた。

松代大本営よりは小さな坑道。

測量用の杭の跡と思われる。

「30」(メートル)の目印。

「山中」と書かれている。

再び測量用の目印。

「130」の目印。

「出張所」とはっきり読める。

「140」の目印。

工事を請け負っていた「熊谷組」の文字が読める。

地層がはっきりと色の違いとして見える。

「十」の字。十字架だという説もある(クリスチャンの存在を思わせる他の文字が後で出てくるので、奇想天外な説というわけではない。ここでは肯定も否定も難しい)。

「十」の下に積み上げられた石。これは某宗教団体の人たちが来たときに積み上げたものだという。おそらく、「十」は十字架で、坑内にいたクリスチャン朝鮮人労働者がここで祈っていたに違いないという考えに基づいて、礼拝しようとしたものだと思われる。

案内の平川先生は、「案内してくれと言われれば断るわけにもいきませんから……」と言葉を濁していたが、あまり歓迎しているわけではないことが伝わってきた。

掘削の跡。

不発のダイナマイトが残っている。

コウモリがいた。

坑道の突き当たり。つまり、昭和20年8月14日までの工事で、ここまで来たのだ。

ここで平川先生の指示があって、全員懐中電灯を消す。坑内には一切の明かりがない。完全な暗闇。静寂。しばらく、この沈黙を味わう。

ここで来た道を戻る。ちょうど「T」の字の下から入って突き当たりを左に行ったような進路をたどってきたので、まっすぐ右側の突き当たりへ向かって進むことになる。つづく。

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2008年7月28日00:33| 記事内容分類:日本史| by 松永英明
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