【絵文録ことのは】HOME > [日本史] > 長野の戦争遺跡訪問【6】松本・里山辺地下工場(2)
長野県松本市の里山辺地下工場跡を進む。懐中電灯がなければ完全に闇黒の世界だ。案内の平川豊志先生の話も聞くことができた。
突き当たりから戻って、さらに地下工場の中を歩いていく。

奥には「天主」の文字があった。

「天主」とは、キリスト教の神を指す。おそらく、ここで働いていた労働者の中にクリスチャンがいたのだろう。これは紛れもない事実と考えられる。先ほど「十」の字があったが、この文字の存在を考えればあれを十字架と考えるのも無理な話ではない。

平川先生と比べれば、「天主」の字が高いところに記されていることがわかると思う。

そしてこちらも行き止まり。


入り口に戻ってきた。

坑道の入り口。坑内に比べて外は暑く、湿度も高かったので、レンズが曇った。

松本第一高等学校にて、案内してくださった平川豊志先生(松本強制労働調査団)の話を聞くことができた。パワーポイントによる資料もいただいた。
里山辺地下工場(金華山)の近くに向山地下工場もあったらしい。また、中山地区には半地下工場跡があった。
この松本・里山辺地下工場をはじめとして、長野県には多くの強制労働者が朝鮮・中国から連れてこられたという。なお、同じ「強制連行」といっても、中国人は敵国人なので「捕虜」または「労工」扱い、朝鮮人は日本帝国の臣民になるので捕虜ではなかったという。こういう細かい話は初めて知った。
ここでもらった資料から、強制労働についてのデータを一部転記する。
長野県には強制労働で連れてこられた人たちが多かったという。そして、たとえば靴さえも満足なものがないといった劣悪な環境で働かされていたのは事実だ。
だが、それでもまだ長野に来た人たちはましな方だったようだ。それほど死亡率が高いわけではない。一方、北海道に連れて行かれた強制労働者の死亡率は極めて高かったという。
なお、ここで購入した資料は以下の二つ。
これらの証言を読む限り、強制労働に対する賃金がきちんと支払われたわけではないようである。何より、意思に反して強引に連れてこられて厳しい労働条件のもとで働かされた苦痛は癒されるはずもないだろう。
しかし、証言者たちがことさらに「反日」であるとも思わなかった。逆に、「日本国民とは親しくしたいが、日本政府には抗議し、賠償請求をしたい」「日本軍は中国人民に多大な被害を与えたが、日本国民にも被害を与えたと思う」といった発言は、(現在ネットで見られる、一部中国人「極右翼愛国人士」たちの過激な日本批判とは違って)真摯に耳を傾けるべき内容ではないかと思った。
以下、個人的な感想である。
現在、先の大戦について、日本には両極端の考え方を持つ人たちがいる。
一つは、「日本は加害者、朝鮮・中国は被害者」ということを強調する人たちであり、日本人として「日本の加害責任」を見つめる必要があるということを強く訴える人たちである。これは旧来の「市民運動」的な流れでの認識であり、いわゆる「戦後民主主義」の立場における考え方ともいえる。
そして、そういった考え方に対して「反日」「自虐」「侮日」といった言葉で強く反発し、そのような「加害の歴史」に目を向けることに対して、日本人の誇りを失う原因となると主張する人たちがいる。小林よしのりや「新しい教科書を作る会」、雑誌「WILL」、チャンネル桜などがその代表格と言えよう。
その両極端の間のどこかに、わたしたちは立っているといえよう。歴史に対してどのように認識するかという「史観」の問題は、非常に重要であると思う。なぜなら、「歴史」=「史実」+「史観」であるとわたしは考えているからである。
この対立については、特に松代大本営のある地元において象徴的な現象を見た。わたしの今回のレポートでは、実は「そこにあるのに伝えなかったもの」(そのとき写真に撮ろうと思わなかったもの=筆者が現地で重要だと感じなかったもの)がある。
それは、松代大本営象山地下壕の入り口にあった、朝鮮人犠牲者の慰霊碑である。松代大本営を「日本が朝鮮人に対して行なった加害の史跡」ととらえる見方には違和感を覚えたこと、広島・長崎や沖縄などの「死の遺跡」とは違うと感じたことから、慰霊碑には関心が向かなかったのだと思う。慰霊をする人がいてもいいとは思うが、自分にとって松代大本営象山地下壕は、「本土決戦・松代遷都まで追いつめられた当時の日本政府の最後のあがきの場所」ではあっても、朝鮮人への加害の場所、鎮魂すべき場所とは受け取れなかったのだ。なぜなら、朝鮮人は働かされるために連れてこられたのではあっても、虐殺されるために連れてこられたのではなかったし、「多数の朝鮮人が死亡した」というデータもいまだ見つかっていないのである。史実をもとに考えれば、ここは「朝鮮人虐殺の地」ではないのだ。もしこれが「多くの労働者が厳しい環境で働かされたことを偲ぶ碑」であれば、違和感を感じなかっただろう。
もう1つ、本文レポートでは触れなかったが、同じく象山地下壕の入り口横にあった「もうひとつの歴史館・松代」のことについても述べておこう。ここは、当日立ち寄らなかったためにレポートには載せなかった。帰宅後に調べたところ、この歴史館は「慰安婦」についての歴史を残そうとするものであった。そして、朝鮮人の犠牲、日本による加害の歴史を強調する立場にあるようである。しかし、「慰安婦の家の復元」には、地元松代の住人から反対があったという話も聞いた。地元住人の聞き取り調査では、強制労働で連れてこられた朝鮮人との人間的な交流が語られ、また地元住人もこの大本営建設に苦しめられたものであって、朝鮮人への一方的な加害を強調されるのは困るという気持ちがあるようだ。このように、地元においても史観の衝突は見られる。(なお、史実として、この慰安婦が相手をしたのは、主に朝鮮人の中で現場監督的な立場にあった恵まれた人たちであったという証言もある。一方的に日本人が慰み者としたと表現するのは史実に合わない。慰安婦として連れてこられたという事実は紛れもないものであろうが、史実は単純なものではないのである)
そして、この問題を長年に渡って取材し続けている信濃毎日新聞の記者の方の指摘によれば、案内してくださった土屋先生の論調が過去のものとは変わってきているという事実もある。そして、土屋先生の見方は、わたしには非常になじむものだったということはすでに述べたとおりだ。
わたし自身は、戦争によって多くの人たちが被害を受けたことを否定するつもりはまったくない。しかし、「日本人だから加害責任がある。謝罪せよ、賠償せよ」という見方には与しない。わたしは(このブログをずっと読んでいる方にはよくわかると思うが)「国」という単位で物事を考えることができない人間である。オリンピックやワールドカップで日本を応援する理由がよくわからないし、「日本人」をバカにされたからといって自分がバカにされたと感じることがない。お前は「国」という枠組みに帰属意識を感じていないのだと指摘されたことがあるが、まったくそうなのだろう。まったく同じ理由で、「愛国無罪」の中国愛国人士や、「対馬は韓国固有の領土だ」などとわめく韓国人もバカバカしいと思っている。「愛国」を振りかざして他国をバカにする人たちは、日本人だろうと中国人だろうと韓国人だろうと同じレベルのバカだと思っている。
そういうわけなので、「日本人」だから「加害者」と決めつける意見にもなじまないし、「日本は悪いことをしていない」というのもなじまない。どちらも「日本人」「日本」という枠組みが前提だからだ。
わたしはただ、こう思う。誰かを不幸にすることで成り立つ「自分たちの幸福」は間違っている、と。中国人や朝鮮人は不幸になってもいい、日本人が幸福ならいい、という考え方には賛同できない。だから、「日本人のための利益」をもとに成り立っているような侵略戦争には、決して賛成することはできない。
もちろん、大中華民族が正しくて小日本鬼子大和民族は従属せよだとか、韓国人がすべての祖であって日本は悪の国であるというような発想にも賛同しない。
日本人も韓国人も朝鮮人も漢民族も台湾人もチベット人もウイグル人も(その他もろもろすべて)幸福にするような発想を持つことが必要ではないか。そして、そういう発想を持てたとき、「日本人は素晴らしい」と全世界から尊敬されるようになるのではないか(そのときには、日本人であるというアイデンティティにこだわる考えはなくなっているだろうが)。
と、話が大きくなってしまった。とにかく、実際に戦争遺跡を見てみることから始めてみてはどうだろうか。どのような史観を持っている人の前にも、同じ遺跡が目の前に存在していることは事実である。その解釈は、実際に見てからでも遅くはないと思うのだ。
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