グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い

日本語版グーグルマップ(Google Maps)でストリートビューという機能が登場した。地図上の公道から撮影された街角の風景が360度見られるという機能である。わたしはこの機能を非常に楽しいものだと思った。

しかし、これに対して、日本人の生活空間を脅かすものであるとか、グーグルによるグローバル・スタンダードの押しつけに対して日本人はノーと言うべきだという意見が登場している。これについて、わたしは疑問を抱いた。

以下、ストリートビューについてのわたしの感想を述べてみたい。

2008年8月10日01:04| 記事内容分類:社会学, 都市計画・建築学| by 松永英明
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【8/13追記】グーグル・ストリートビューは、やっぱり気持ち悪くないと思う[絵文録ことのは]2008/08/13にて続編を公開しています。

日本人にとってストリートビューは本当に気持ち悪いのか?

  • 日本の都市部の生活道路は生活空間の一部で、他人の生活空間を撮影するのは無礼です
  • 僕らの生活スタイルは、生活空間の様子を一方的に全世界に機械可読な形で公開するようにはなっていません
  • ややこしいことになる前に、ご自身のモラルで判断して行動してください

樋口理さんの意思表明は、日本に広く浸透している感性を代表していると思う。もちろん、それに対して異論がある人たちもいるだろうが、非常に日本的だと思う。

その上で樋口さんの説明を読むと、二つの観点が見られる。以下、わたしなりにまとめてみた。

  1. 生活空間(プライベート)と公共空間(パブリック)の境界が、日本と欧米では異なる。日本では路地は生活空間に含まれ、生活空間をのぞき込むことは失礼とされる。したがって、グーグルストリートビューは日本では無礼だ。
  2. 日本の生活空間は、のぞかれることを想定していないため無防備であるが、それを可視化するということは、「犯罪のための下見」がしやすくなるという危険につながる。

つまり、「生活空間における礼儀の問題」と「防犯上の問題」があるということだ。この二つをごっちゃにして論ずることはできないと思うので、今回は特に生活空間について中心に考えてみたい。

「エクステリア」という境界領域

わたしがmixiなどで見た範囲では、「路地から撮られる」ということに直接問題があるというより、厳密には「路地から撮られる範囲に、公共にさらされたくないものがある」という点で不快感を感じている人が多いように思われる。たとえば洗濯物が写っているといった問題だ。いくら細い道の奥にあったとしても、店が写っていることに怒っている人は見かけない。

essaさんは、安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテで次のように空間を分類し、「安心」と「信頼」をキーワードに述べている。

  • (A) 二車線以上の道路や駅などのパブリックな空間
  • (B) 路地のようなコミュニティの空間
  • (C) 家の内部のようなプライベートな空間

しかし、ここではもう少し厳密な定義を出しておきたいと思う。その土台になるのは、建築・環境計画における分類である。essaさんとは逆に、私的な分類から公的な分類に進めていく。

  • インテリア(室内空間)……床、壁、天井、照明、家具、調度品などによって構成された室内空間。
  • エクステリア(住宅空間)……住宅が建っている敷地全体の中から、インテリア部分以外の、住宅の外面や、建物周辺の門、塀、庭など住宅を取り囲む外部空間を指す。
  • 公共空間
    • 街並み……住まいや建物と街をつなぐ。各種施設、看板や広告物、橋や煙突、街路を構成する舗道やストリートファニチャーなども含まれる。
    • 地域空間・都市空間

建築・都市計画を学んだ人ならこの分類に違和感はないはずだ。

そして、インテリアは完全にプライベートな空間であり、街並みや地域・都市空間が公共のものであるということに異論を挟む人はないだろう。ここで問題になっているのは、「エクステリア」の公共性と私的性のバランスの問題だと考えることができる。

樋口さんの主張で述べられている生活空間としての「路地」は、路地そのものが問題となっているというより、「エクステリア」に向けられるまなざしが問題なのだと考えられる。

難しいのは、エクステリア(つまり住居のなかで外部からも見ることができる部分)というものは、その建物の持ち主や住人によって決定権があるという意味では極めて「私的」なものであるにも関わらず、外部から見られる部分であるから、周囲の環境に影響を与える「公的」な要素も兼ね備えているということだ。つまり、プライベートとパブリックの両方の要素を持っている。

 日々の生活を送る住宅正面の外観を眺めてみよう。そこでは"私はこんな住み方をしています"と、住み手の社会に対するメッセージを読み取ることができる。住宅外観の印象というのは、まちを行き交う見ず知らずの人々に対して、語りかけをしていることに気付かされる。高い塀垣に囲まれていれば内部を伺い知ることができないが、緑や花が玄関周りで咲き誇れば四季折々の風情が感じられ、住み手の暖かいメッセージが伝わってくる。そのような住宅正面の外観をファサード空間という。……

 ……道路から玄関まで、公的なまち並みの外部空間から私的な住宅空間への導入の空間であり、住み手がまち並みや社会にどう接していこうかという意志を表す空間がファサード空間である。そして一軒一軒のファサードが連なってまちの表情は作り出されている。(色彩検定対策テキスト 2級編―文部科学省認定

日本でも「ファサード」を含む「エクステリア」の公共的な性質が問題を生むことはよくある。最近の例でいえば、楳図かずおさんの自宅が「赤白しましま」であるため、近所の住人が「景観の破壊」として苦情を申し立てたという報道があった。ここではその是非については触れないが、もし、楳図さんが「インテリア」すなわち外から見えない室内を赤白しましまにしようと、漂流教室にしようと、そもそも誰も文句はつけようがなかっただろう。つまり、楳図邸の「エクステリア」については、楳図さんの私的なものであると同時に、吉祥寺の住宅街の街並みとも関わっているということである。

※なお、楳図邸についてはグーグル・ストリートビューから削除されているようである。もっとも、写っていたのは建設中の写真だった模様。

グーグルでよみがえる「儀礼的無関心」問題

樋口さんの主張によれば、「エクステリア」の領域に現われたプライベートに近いものに対して、「見て見ぬふりをする」のが日本人にある程度共通する美徳・礼儀である(だからグーグルはそれを晒すな)――ということになるのだろうが、「見て見ぬふり」というのは、実際には見てはいるのである。じろじろのぞかないとはいっても、視野に入ったものは見てしまっているのだ。

路地からの視野が届く「エクステリア」には、プライベート的なものが顔を出すこともあるが、逆にいえば、それは「見られることを暗黙のうちに認めているプライベート部分」のはずである。どうしても見られたくないなら、外には出さないものだ。女性で下着を外に干さない人は多い。

ストリートビューに反対する意見は多いが、そういう人は、「実際にはこれだけのものを通りすがりの人たちから見られている」ということに無頓着すぎたのではないだろうか。ストリートビューによって、外部からの視線にはじめて気付いた(あるいは意識化した)のだ。その不快感なのではなかろうか。

グーグル・ストリートビューは、自動車に全方向撮影可能な撮影機材を取り付けて撮影したものだという。公道から車で入れる範囲の視野であるということは、言い換えれば、そこを歩く人は誰でも見られる風景だということである。

見るな、見ても見ていないように振る舞え、と要求するのか、それとも、見られていることを前提として自分が意識を変えるのか。この点において議論は分かれると思う。

「グーグルは、日本の街角では見て見ぬふりをしろ」という主張は、ブログが日本に広まり始めた2003年ごろに話題となった「儀礼的無関心」問題を彷彿とさせるものがある。自分のブログが多くの読者から読まれていることに自覚的ではなく、ごく少数の知人ぐらいしか読んでいないだろうと思っていた人がいた。そこへ多くの読者が殺到するようなリンクを張るのはいかがなものか。見ていても、見ていないふりをする、あるいはこっそりと眺めるだけにとどめておくべきではないか、という「儀礼的無関心」が必要ではないかという問題提起が行なわれた。儀礼的無関心とは、社会学者アーヴィン・ゴフマンのcivil inattention / civil indifferenceという概念だ。見知らぬ人に対してはつとめて無関心を装うことによって、余計な関わり合いが生じることを避けようとする現象である。

そのころのブログ界では、どちらかといえば「多くの人に読まれていることを前提としてブログを運営すべきであって、儀礼的無関心を働かせてリンクを遠慮する必要はない」という意見が優勢を占めたように思う。ウェブのシステム上、リンクされることを防ぐことはできない。ならば、リンクされること、読まれることを前提として行動せよ、という考え方だ。ただ、こういう考え方(「モヒカン族」的思考)がサバサバしすぎており、論理的にすぎて思いやりに欠けるといった印象を持つ人たちもいた。

樋口さんはストリートビューについて「ほっといてもらう権利」という言葉を使っている。ブログにおける儀礼的無関心の問題と、見事にシンクロしていると思う。

essaさんは「シリコンバレー・スタンダード」という言葉を使っている。グーグルがウェブの機能を前提とした基準、すなわち「ネット上にある情報は自由にリンクして(もしなくても)いいじゃないか」という原則に立っているとすれば、「公道から目に入る情報は自由にリンクして(もしなくても)いいじゃないか」という発想につながりやすいことは容易に想像できる。「無断リンクは自由か否か」ならぬ「公道からの無断撮影は自由か否か」問題について、たとえばはてなブックマークでの反応が決して樋口さんに同意しているわけではないのは、それを裏付けているのではないかと思われる(はてなブックマーク - Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ] - higuchi.com blog。はてなブックマークのユーザーは、「無断リンク禁止」という主張に反発する層が多いように思われるが、それとシンクロしていると思う)。

生活空間と公共空間の境界線は引けない

これらの内容を踏まえた上で、それでもやはり日本人なら「ほっといてもらう権利」を主張すべきだというのであれば、では、その「ほっといてもらう」べきラインはどこになるのか、ということになる。

essaさんは前掲のように、完全な公共空間として「二車線以上の道路や駅などのパブリックな空間」と定義し、「路地のようなコミュニティの空間」は日本ではどちらかといえば私的空間に含めるものであるから、区別すべきだとしている。しかし、これは現実的な区分けではない。思いつきにすぎないと言わざるを得ない。

この定義では、「一車線程度の細い道を挟んだ商店街」や、「二車線以上の道路に面した私邸」はどうなるのか、という問題が生まれてくる。「路地裏の喫茶店」はどうなのか。表参道に面した「旧同潤会青山アパート」はどうなのか。「六本木ヒルズレジデンス」は、セレブの威光を見せつける表現としての建築なのか、それともあくまでも私邸の集合として除去されるべきなのか。

essaさんの定義が「路地から見えるランドスケープ」と「路地」そのものを混同しているという点はさておき、生活道路から生活空間へのまなざしはそっと閉じてほしい、と主張するのは、それなりに妥当な意見のようにも思われる。気持ちが全然わからないというつもりはない。

しかし、日本の街かどの風景から生活空間を除去することは不可能なのだ。生活空間と公共空間は密接に絡まり合っている。

ストリートビューは日本の日常風景を記録した重要な資料だ

わたしはストリートビューを非常に楽しく眺めた。知っている街並みを眺めていて、ふと、明治や大正、昭和に撮影された日本の生活空間の写真集を思い出した。そのとき、その場所で生活していた人たちの姿は、非常に貴重な資料なのである。

これは2008年の日本の風景を切り取った資料集なのだ。このデータが100年後に残っていれば、これは極めて重要な資料となりえる。わたしは、生活空間が写されているからこそ、ストリートビューは面白いのだと思う。

時間的隔たりだけではなく、空間的隔たりもある。わたしはアメリカに行ったことがないが、その街並みを疑似体験できるのは楽しいものである。

少なくとも、日本の路上で写真を撮ることは禁じられていない。VOW物件を撮影して叱られるような国ではない。少なくとも法的にストリートビューに問題があるわけではない。むしろ、それが許される国であることは喜ばしいことではないだろうか。

補記1:人の問題

ちなみに、自分がいつの間にか写っているかもしれないという問題は、「路地=生活空間」問題とは別である。つまり、「ここにいたことがある」という情報がプライベートに属する場合に、プライバシー権が侵害されるという問題だ。ラブホテル前のアベックが写っている写真を晒して喜んでいる人たちもいた。

これは生活空間だろうと公共空間だろうと関係ない。空間の問題ではない。「人」が写ることについての問題である。

ホテルの前でなければいいというわけではない。どこの街角であっても、妻子持ちの野球選手と女性アナウンサーが腕を組んで歩いている写真が出れば厄介なことになるだろう。つまり、場所の問題ではないのだ。

この点について、グーグル・ストリートビューは一定の配慮をしている。つまり、人間の顔と思われるものは自動的にカバーするようになっている。

なお、樋口さんのブログ記事のコメント欄に自動車のナンバープレートが写されている問題が挙げられていたが、これも場所の問題ではない。渋谷のど真ん中であっても、路地の裏でも、ナンバープレートが写っているとすれば問題である。

補記2:防犯上の問題

防犯上問題のある場所をネットにさらすことになるから問題だという意見が樋口さんによって提起されている。わたしはそれは間違っていると思う。

何より、ストリートビューに載ろうが載るまいが、こそ泥や空き巣どもはじっくり見ているのである。むしろ、「仮に見ていたとしても見ていないふりをしてください」と祈ってばかりいるのではなく、見られていることを前提としてしっかり防犯に取り組まねばならない。空き巣どもに見られればかえって侵入を断念させるような対策を取るべきなのであって、ストリートビューにぼんやりした写真が載るくらいで空き巣に狙われるような状況を放置しておく方が悪い。むしろ、警鐘として活用すべきだろう。

J-CASTニュース : 何でも見れちゃう「ストリートビュー」 ドロボーの物色に「悪用の危険性」」が、タイトルにあるとおり「悪用の危険性」を一方的に煽っているのは、非常に偏った見方だと思う。

もし防犯上問題があると思われる場所をネットで発見できるとすれば、それは悪いことばかりではない。警察や地域の防犯ボランティアも同じように把握できる。日夜、日本警察は(車で入れないところも含めて)実際に巡廻を行なっており、ある時期の一瞬のみを車の屋根という限られた視点から撮影したストリートビューと違って、地元の現状を(ネットではなくリアルに)くまなく把握している。

【追記】8/10 10:10 以上、まともな読解力のある人なら誤読はないはずだが「防犯上の問題はない」とは言っていない。防犯上の問題を過大評価しすぎだと言っている。

補記3:ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題

ストリートビューが問題なら、常時通行人を監視している、駅や街頭の防犯カメラの氾濫のほうがずっと問題だと考える。ストリートビューを廃止する前に、防犯監視カメラを全廃すべきだ。しかし、今の日本では、プライバシーを守ってほしいという人たちよりも、ガチガチに監視されてもいいから安全を優先する人たちが圧倒的多数なのである。

補記4:わたしはグーグルを絶対視しない

グーグルが万能だとか、グーグルが絶対的な価値基準だとはまったく思っていない。だからこそ、グーグルのこの程度の試みについてわたしは寛容になれるのかもしれない。グーグルから「八分」されても、Yahoo!やMSNがあるじゃないかと思ってしまう(それに日本ではグーグルよりYahoo!Japanの方がよく利用されている)。グーグルで検索されないとか、逆にストリートビューで見られてしまうことに危機感を持っている人たちこそ、グーグルを絶対的なものとして扱いすぎだと思っている。

補記5:英語版グーグルの時点で騒ぐことはできたのか

グーグルマップに標準的に装備される機能なので、いずれは日本でも同じことを行うだろうと誰にでも予想できた。騒ぐなら、この時に騒ぐべきではなかったかと思う。

つまり、多くの人にとって、自分の国に来てないうちは他人事で、自分の街には来てなくても自分の国に来たら一大事ということだ。

国という区分と街という区分には、根本的に違いがあるということだろうか。

これは「日本人はこの事態を前もって予想すべきであった」と読めてしまうと思いますが、私が言いたかったのは「グーグルという会社はそういう会社である」ということです。(最初からそう書くべきでした)

つまり、グーグルのサービスは原則として全世界を対象としたものになるということです。

なぜ今になって騒がれるのか、「多くの人にとって、自分の国に来てないうちは他人事で、自分の街には来てなくても自分の国に来たら一大事」というのは言い過ぎだと思うので、簡単に指摘しておきたい。

そもそも、グーグルマップを普通に日本国内から日本語環境でアクセスすると、日本語版が表示される。だから、日本語版でリリースされるまで、この機能は目に入らなかった。それだけのことではないだろうか。つまり、英語版グーグルマップにストリートマップ機能がついたという段階でそれをわざわざ見てみようという人は、本当にごく一部の人だったはずである。

もちろん、そこで不快感を示す人がもっといてもよかったのだろうが、そういう人はもともと「アメリカンスタンダード、シリコンバレーのスタンダード」(グーグルにNO!と言えるニッポン - アンカテより)に馴染んでいる人だろう。

少なくとも、グーグルユーザーの大半は、「今、英語版では導入されているが日本語版では使われていない(いずれ採用されるであろう)機能」について、わざわざチェックなどしていないはずだ。そして、通常のグーグル使用では、日本語版が表示される以上、「グーグル本家で採用された時点で、その機能についてよく考えろよ」というのは酷な話だと思う。

ここで「国と街」の区分を持ち上げることは、はっきりいって間違いだと思う(し、本当にessaさんが言いたいはずの、グーグルのグローバリズム的傾向について読者を誘導できないと思う)。

【8/13追記】グーグル・ストリートビューは、やっぱり気持ち悪くないと思う[絵文録ことのは]2008/08/13にて続編を公開しています。

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2008年8月10日01:04| 記事内容分類:社会学, 都市計画・建築学| by 松永英明
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「ファザード」→「ファサード」だと思います。

>公道から車で入れる範囲の視野であるということは、言い換えれば、そこを歩く人は誰でも見られる風景だということである

撮影車がどんな姿をしてるか知ってて言ってます?

誤字修正しました。
撮影車がプリウスだということは知っていますが、何か問題がありますか?ぼんやりとしたほのめかしではなく、具体的に指摘していただかないと何が問題視されているのか伝わりません。

> 公道から車で入れる範囲の視野であるということは、言い換えれば、そこを歩く人は誰でも見られる風景だということである

これですけど、カメラの位置が2メートル30センチだか(すいません、一次情報を見つけられてません)一般の成人男性が見る視点と明らかに異なるのは問題じゃないでしょうか。
つまり、Googleカーが撮影した画像は、「そこを歩く人は誰でも見られる風景」とはいえないでしょう。

例えば2メートル以上の塀で囲まれた家の家主が「そこを歩く人は誰でも見られる風景」と想定しない塀の中まで撮影され、画像を公開されてしまう可能性があるわけで。

ちょっと気になった点:
“はてなブックマークでの反応が決して樋口さんに同意しているわけではないのは、それを裏付けているのではないか”
この書き方だとはてブの反応の大多数が件の記事に対して否定的であるかのように読めてしまうのですが。 これ、悪く取れば印象操作になりませんか?
あと、ストリートビューの大きな問題として、こうした画像が単なるバラバラの風景写真としてではなく高度にデータベース化され、ネットに接続すれば『いつでも』『どんな誰にでも』『極めて簡単に』手に入れることができてしまうという事が指摘されていたはずですが、これについて全く触れられていないのは大変残念です。

道行く人に見られるくらいと思っていたら
全世界の人が見られるようになっていた
知らない間に、勝手にそうされていた
ってのが気持ち悪いんだと思います。
物理的制約によって制限されていたものを
googleがとっぱらっちゃた
私でも公でもあるなら勝手にやられちゃ
ある程度反発は、あってしかるべきかな、と

すぐにそんなことに慣れた世代が表を闊歩するようになって
なあなあになると思いますけど……

過去に実名で報道されたことのある他人の前科であっても(=誰でも調べれば知ることができる。)、今それをネット上で公表したら名誉毀損となる場合がある(判例)。

公私の区分に曖昧な領域があることは確かであるけれども、その区別が存在すること自体は否定できない。

程度の問題、評価の問題であって、最終的には、価値観の問題になるのでしょう。

追記:上で「判例」と注記したは、そういう趣旨の判例があるというだけで、具体的な事案は異なります。

googleに撮影する自由があるように、それ以外の人間には撮影されない権利があります。その権利を無視していて、かつ撮影されていることを認識する手段のない人間(特にネットの世界に疎い人たち)にとっては、その権利を行使する手段がないわけです。したがって、googleは撮影している人間・風景を所有しているすべての人格(個人・法人)に対して、許可を取る必要があるのでは?これこそ、政治的に解決すべき問題でしょう。楽しいかどうか、という次元の問題ではありません。

別エントリの件で恐縮ですが、言語学オタクの記事、楽しく読ませていただきました。西夏文字はだめですか?

>それは「見られることを暗黙のうちに認めているプライベート部分」のはずである。
>どうしても見られたくないなら、外には出さないものだ。

インターネットで全世界公開されるとなると、話が違ってきますよ。
下着がどうこうのまえに、
「自分の家はボロい家なんです。笑いものにされます。」
って人はどうするんですか?

わざわざ近所まで来て写真撮って職場や学校に持ってきて
笑いものにするような「暇な奴」はそう滅多にいませんが、
グーグルだと、誰もが住所を打ち込むだけで見ることできますよね。
そういう「他人の詮索」が嫌なんです。
プライベートを覗かれた気分になる。

近所を歩いている人に家を見られても別にどうってことはありませんが、
職場や学校の人が、グーグルに住所を打ち込んで、
アイツはどんな家に住んでいるんだろう。って詮索し合うのが気持ちが悪いってこと。

ファザードだのエクステリアだのってあなたねえ(笑)
どうだっていいんですよ。そんなことは(笑)

>日本の路上で写真を撮ることは禁じられていない。

了解もしていないのにインターネットで全世界公開される。
それを自分じゃコントロールできないっていうのが問題なんですよ。
「写真撮影をOKする」≠「インターネットに公開してOK」じゃないんで。
それくらいはわかりますよね?


>ストリートビューに載ろうが載るまいが、
>こそ泥や空き巣どもはじっくり見ているのである。

情報量が違うでしょう。
ストビューで得られる情報は、
これまでは「実際に歩かないと収集できない情報」だったのに、
今度からは「自宅で」「安全に」ネット上で集めることができるわけだから。


>駅や街頭の防犯カメラの氾濫のほうがずっと問題だと考える。

防犯カメラは、インターネットで公開してないでしょう?
問題のすり替えもいい所ですよ。的外れだなあ。

>英語版グーグルの時点で騒ぐことはできたのか

この時点で騒ごうと、今になって騒ごうと、
ストビューが抱える問題の本質が変わるわけじゃないでしょう。
枝葉末節。ただの揚げ足取りなんじゃ?

様々な意見があって当然だと思いますから、ストリートビューについて「気持ち悪い」「気持ち悪いと言う人は、気持ち悪い」のいずれかの人、あるいはその他の感想を抱く人を説得したいとか、おかしいとか言いたくはありません。これが私の前提です。
アメリカでサービスが提供されたとき、いずれ日本に上陸すると思っていましたし、そのときは違和感を抱く人も少なからず出てくると予想していました。
私はアメリカの一戸建て住宅に数年間仮住まいをしていました。アメリカと言っても実に多様ですが、西海岸の郊外住宅(いわゆるアメリカ的一戸建て地域)は、日本と距離感および生活感覚が違います。きっとアメリカのストリートビューをご覧になっていると思いますが、住宅地に人影がなく、車道から家屋までの距離が心理的にも物理的にも遠いのです。またアメリカの家屋の間取りの仕方も、日本の典型的な家屋と異なっていて、玄関口の側は日本の家屋の勝手口的間取りだったりします。また開口部の大きさも相当違いますね。
それでもアメリカで異論が出ているわけですが、日本の住宅密集地に同じ手法、同じ方法論でストリートビューを直訳的に導入すれば、これは下手くそな直訳文を読まされるのと同じです(このような断定は、けんもほろろに否定されるかな)。アメリカ本国でイメージされていただろうストリートビューとはいささか違う結果が日本では再現されたのです。
近年の日本では人間が密集している故にでしょうか、不特定な人間関係は(電車内では他人も自分も透明な存在のように意識しようとする心の働きと同じく)detouchしようとしますし、逆にアメリカではいかに他者にcommitするか腐心するところがあるように思います。個人主義のアメリカでそれはないだろうと感じられるかもしれませんが、アメリカの物理的距離感の中では、自分から社会に関わっていかないとまったく忘れられた存在になる。それが恐怖。日本の距離感では失敗を見られること、恥をかくことが恐怖ではないかと。
こういった心の持ち方と、街の物理的距離感・スケール感の違いが、この度の「気持ち悪い」という第一印象につながっている気がしますね。

こんにちは。先行しているサービスのロケーションビュー(http://www.locaview.com/)との比較から、なぜグーグルだけがバッシングされるのか分析してもらえませんか?
私の見方は、撮影の方法や公開の仕方などの違いが一つの原因だと思います。

問題はそのものより
Webサイトのような掲載しない権利や、削除の手続きが整ってないことだと思います。
robot.txtのような仕組みが無い。

このあたりさえあれば問題無いと思いますが、
これ東南アジアのまともに敷居の無い家なんかではもっと問題出るでしょうし
世界に問うサービスとしては考えが浅いとしか言いようが無いです。

>ストリートビューにぼんやりした写真が載るくらいで空き巣に狙われるような状況を放置しておく方が悪い。

知人ならモザイクがかかっていても判別可能、車のナンバーや表札まで読み取れる写真がぼんやりした写真ですか?
防犯意識の高い住宅街は、不審者がウロウロできないように警備会社と契約したり、
監視カメラの設置をするなど苦労している様子が伺えます。
(もちろんこの監視カメラ映像はインターネットに公開されたりしてませんよ)
そんな場所で他人の家を一件一件360度撮影して回っている不審人物がいたら警察が飛んできます。
その地域にいかなければ知りえない情報を車で盗撮して世界配信しておいて住民の防犯対策が悪いはないでしょう。

これが怖いのは、ネット炎上の燃料に使われるとき。

松永さんの騒動でも、住所をグーグルマップのリンクを使って追い詰めたりという事だって起こったはず。自宅を晒す為の道具として使われかねない、だから多くの人があらかじめ予防しておきたいと考えても不思議ではない。

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このページは、松永英明が2008年8月10日 01:04に書いたブログ記事です。
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