もしもプログラミング言語が宗教だったら……(全訳版)

もしプログラミング言語が宗教だったら - // TODO: better nameで知ったのだが、Aegisub: If programming languages were religions...という英語のブログ記事が一部で話題になっているようだ。しかし、日本語圏で見た限り、その概要のみしか訳されておらず、詳細は原文参照というものが大半で、おもしろみがわからなかったので、全訳してみた。

なお、以下は単純な翻訳であり、訳注部分を除いて訳者の考えとは無関係である。

(※訳者補記:この記事に対して、「○○という言語の作者は○○教徒」といった下司なコメントやブックマークをつけて嫌がらせをするような下劣な人が出てこないことを祈ります)

2008年12月21日01:29| 記事内容分類:ウェブ社会, 宗教・神話学| by 松永英明
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「もしもプログラミング言語が宗教だったら」

2008年12月15日月曜日14:52 By amz

(「もしもプログラミング言語が車だったら(If programming languages were cars... - Mike Vanier: opinions)」にインスパイヤされた)

「C」はユダヤ教だろう――それは古くて制約が多いが、世界の大半がその規則(=律法)に親しんでおり、尊重している。そのキャッチフレーズはこうである。あなたはC(=ユダヤ教)にコンバート(=改宗)することはできない――最初からC(=ユダヤ教)であるか、さもなくばそれが正気ではないと思うだろう。また、物事がうまくいかないとき、多くの人たちは世界の問題の元凶がC(=ユダヤ教)にあると言うことをいとわない。

「Java」はキリスト教原理主義だろう――それは理論的にはC(=ユダヤ教)に基づいているが、あまりにも多くの古い規則(=律法)を無効にしているがために、まるで原形をとどめていないように感じられる。その代わり、Java(=キリスト教原理主義)はそれ自体の厳格な一連の規則を加えている。追従者(=信者)はそれがオリジナルよりはるかに優れていると信じている。それが世界で最もよい言語(=宗教)であると確信しているだけでなく、利害において見解が一致しない人たちを火あぶりにすることをいとわない。

「PHP」はカフェテリア・キリスト教だろう(※訳注:カフェテリア・キリスト教とは、自分の信じたい宗教的教義を選んで信仰し、信じたくないものは選ばないというキリスト教徒やキリスト教会に対して、一部のキリスト教徒が貼るレッテルである。カフェテリア・スタイルとは、カフェテリア(セルフサービスの食堂)のように、自分の好きなもの・欲しいものだけを選んで取ること(pick-and-choose)を意味する)――それはJava(=キリスト教原理主義)とウェブ市場を争っている。それはいくつかの概念をC(=ユダヤ教)とJava(=キリスト教原理主義)から受け継いでいるが、本当に気に入ったものだけである。おそらく、それは他の言語と同じくらい筋が通っていないが、少なくともそれはかなり多くの自由の余地を残しており、表向きはものごと全体の核心となる考え方を保持している。また、「goto hell(地獄に行け)」という概念もすっかり捨てられたのだ。

「C++」はイスラームだろう――それはC(=ユダヤ教)を採用しているが、その規則(=律法)すべてを保持しているだけではなく、その頂上には非常に複雑な新しい一連の規則が加えられている。これは非常に用途が広く、ひどい残虐行為から美しい芸術作品まで、ありとあらゆるものの土台に使うことができる。その追従者(=信者)は、これが究極の共通言語であると確信しており、意見が合わない人たちには怒るかもしれない。また、もしC++(=イスラーム)そのものあるいは創始者を侮辱すれば、もっと過激な信者によって死の脅迫を受けるだろう。

「C#」はモルモン教だろう――見かけはJava(=キリスト教原理主義)と同じように見えるが、よくよく見ればそれは単独の会社(しかもそれは多くのJava信者が悪だと信じている会社である。※訳注:マイクロソフト)によって操られており、多くの神学的概念が極めて異なっていることがわかる。もしこれに従ってもJava(=キリスト教原理主義)のすべての追従者(=信者)が差別してこさえしないのでありさえすれば、すてきなものだと思えるかも知れない。

「Lisp」は禅宗だろう――シンタックス(構文法)がない。教義の中心がない。崇拝すべき神がいない。宇宙全体が手の届くところにある――もしそれをつかめるくらいに悟っているのであれば。こんなものはまるで言語ではないと言う人たちもいる。これこそ意味をなす唯一の言語だと言う人たちもいる。

「Haskell」 は道教だろう――それは他の言語とあまりにも異なっているので、多くの人たちは誰かが何か有用なものを生み出すために使える方法がわからない。その追従者(=信者)は、これこそが智慧への真実の道であると信じているが、智慧はほとんどの人間の手の届く範囲を超えている。

「Erlang」はヒンドゥー教だろう―― 何かに使えるなどとは思えない、もう一つの奇妙な言語であるが、他の現代の言語の多くと違って、それは並列処理(=多数の神々)の概念のもとで作られている。

「perl」 はブードゥー教である――少数の人だけしか理解できない呪文の不可解な連なりであり、ヤギの血を含み、あなたの魂を永遠に堕落させる。上司があなたに金曜夜21時に緊急の仕事を命ずるときにしばしば使われる。

「Lua」は魔女術だろう――異なった文化や場所にも容易に適合できる汎神論的な言語である。そのコード(=おきて)は非常に自由であり、もっと伝統的な言語(=宗教)に慣れ親しんできた人たちならば、魔術的とさえ言えるようなテクニック(=技法)を使うことが可能となる。また、「月」と強い関連がある(※訳注:魔女術は月を重視する。Luaはポルトガル語で月を意味する)。

「Ruby」は新異教主義(ネオ・パガニズム)だろう(※新異教主義とは、非キリスト教的な古代信仰の復活を求める運動であり、魔女術、ネオ・ドルイド信仰、ネオシャーマニズムなどが挙げられる)――異なった言語や考えの混合であり、それが一つの言語として認識されうる何かとして踏み固められたのだ。その支持者は急激に増えており、多くの人たちからは疑いの目で見られているけれども、その支持者たちはだれをも傷つけるつもりのない善意の人たちなのである。

「Python」は人間至上主義だろう――それは単純であり、制限的でなく、これに従うためには常識的でありさえすればよい。追従者(=信者)の多くは、他の言語から押しつけられたありとあらゆる負担から救われ、プログラミングの喜びを再発見した、と主張する。それは疑似コード形式(=偽りのおきて)であると主張する人たちもいる。

「COBOL」は古代の異教信仰(非キリスト教土着信仰)だろう――かつてそれは広大な地域を支配し、重要なものであったが、現在、それはほとんど死に絶えてしまった。多くの人たちは、その神々によって要求された儀式によって傷つけられたが、今日でもそれを生かしておくことを強く要求する人たちもいる。

「APL」はサイエントロジーだろう――これに従えと主張する多くの人たちがいるが、それは巨大かつ精巧な悪ふざけであって制御できないのではないかと常に疑われてきた。

「LOLCODE」 はパスタファリアニズム(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)だろう――秘儀的な、インターネット生まれの信仰であって、展開・布教のあらゆる努力がなされたにもかかわらず、誰も真剣に受け取っているような人はいない。

「Visual Basic」は悪魔崇拝だろう――あなたが悪魔主義者になるために自らの魂を売ってしまう必要が本当にない限り……

jfsならびに#aegisubのたくさんの人たちの示唆に感謝します。念のために言うが、このリストは単なるジョークであり、誰かを不快にさせる意図はない。また、もしあなたがムスリムであっても、わたしを殺さないでね。;)

とんでもないリアクションがあったので、この記事の追記を書いた(※訳注:以下の「その余波」記事の内容である。続けて訳しておく)

もしプログラミング言語が宗教だったら:その余波

2008年12月20日土曜日03:37 By amz

2008年12月15日まで、aegisub.netはふつう一日350ヒット以下なのが普通だった。12月16日から19日の間に、合計26万6000ヒットがあった。それは「もしプログラミング言語が宗教だったら……」記事のせいだった。そこで何より最初に。ありがとうございます、皆さん! 肯定的あるいは否定的なすべてのフィードバックが大変ありがたいものであった。

最初それはDiggに置かれた。それからredditに。それから、驚いたことにSlashdotに……それからslashdot.jpにも。Stumbleupon。そしてわたしのの大好きなブログ、Pharyngulaの中にも。インターネット上の多くのIRCチャンネルとブログに……。友人の数人が、非公開のフォーラムやメーリングリストにもリンクされていた、と報告してきた。わたしは決してこんな反応を予想していなかった!

それで、わたしが見たすべてのコメントに関して、ここで基本説明をする。ほとんどのムスリム(少なくとも自分たちの意見を明らかにしたムスリムたち)は、これがおもしろいと思い、侮辱だとは思わなかった。他に非常に攻撃的だと思った人たちもいた。多くの人たちは、わたしのことをPythonヲタだとか(わたしが実際に好きな言語はC++である。しかし、もっとよく学んでいるので、Haskellがそれに取って代わる可能性もある)、あるいは、マイクロソフト大嫌いだと思ったようである(おい、わたしはVistaとVisual C++を使ってるんだよ)。わたしは少なくとも3人の人からユダヤ教徒だと非難されたが、ぶっちゃけ、わたしは無神論者だ。

言語を「抜かしている」とか、「型にはめている」という多くの苦情があった。このリストは決して包括的なものであることを意図していないし、完全に正確であることも意図していない――だって冗談なんだから。これは風刺である。わたしは悪魔崇拝が本当は「魂を売る」ことではないことも知っているし、いくつかの一致点も完璧ではないことをわかっている。また、Pascal、Fortran、Samlltalkといった言語がこのリストに入らなかった理由は、わたしがそれについてうまいこと言えなかったからである。最も普通の発言としては、アセンブリーが無神論であるべきだというものがあった――わたしはある時点で実際にそれを書いていた。でもそれは最終的に投稿するときに除去した。というのは、それがどうであれ偏見に終わるだろうと思ったこと、そして、無神論は宗教ではないからだ(つまり、宗教の欠如であるということだ)。

もしあなたがオリジナルの記事がおもしろかったならば、その記事につけられたコメントや、そこからリンクされているコメントなども読むことをおすすめする――わたしが述べた言語についても、わたしが述べなかった言語についても、非常におもしろいネタが挙げられているからだ。

追記。Cは制約が多いというわたしと意見を異にしている人たちもいるようだ。わたしは明らかに、「それで実行できること」という意味において、制約が多いとは述べていない。「それで抽象できるレベル」という意味において、制約が多いと述べたのである。

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2008年12月21日01:29| 記事内容分類:ウェブ社会, 宗教・神話学| by 松永英明
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