訳すな、構造を理解せよ、そして、とにかく長いのを読め

英語その他の外国語についての勉強法がいろいろ議論にあがっている。

わたしがこれまで語学においてやってきた方法は、「訳文を一通り読んでから原著を読む」という小飼さんのメソッドに近い。

高校のとき、英語(というより単語の記憶)が苦手だったが、『指輪物語』(The Lord of the Rings)の日本語訳を数回読んだ前提の上で、原著を数回読み通すことで、「文章中の知っている単語を眺めれば全体の意味がなんとなくつかめる」という状態になった(ちなみに『指輪物語』は大学在学中までに日本語訳・原著合わせて30回は通読した)。

また、古文については、角川文庫版の対訳付き『源氏物語』を、まず現代語訳で、ついで原文で、最初から最後まで読み通して、語感をつかんだ。漢文は、藤堂明保ほかの編集による学習研究社の「中国の古典」シリーズを読み通した。

ついでに言えば、歴史については中公文庫の『日本の歴史』全26巻、『世界の歴史』(旧版)全16巻を通読することで、暗記ではなくストーリーとして学習した。

長編を読むのが苦手な人にはおすすめできないが、とにかく「習うより慣れよ」で暗記不要の勉強法について述べてみたい。

2008年12月26日20:23| 記事内容分類:言葉| by 松永英明
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以下、すべて「わたしの場合はこうです」という話であって、それが万人に共通して有効であるとは思わない。ただ、似たようなタイプの人には参考になると思う。

「訳してもらってから読め」を実践してきた

404 Blog Not Found:訳すな、訳してもらってから読めにはこうある。

  1. まず、お気に入りの訳本を見つける。
  2. それをストーリーがそらで言えるぐらい読み込む
  3. そうしてから、原著を読み始める。

小飼さんはこの方法を実際にはとってこなかったそうだが、わたしが学習してきた方法は、ほとんどがこれに近い。だいたいストーリーがわかるくらいに読んでおいて、原著を読む。すると、原著を読んでも何となく「この文はこういう内容を表わしているはずだ」ということが透けて見えてくる。

わたしは中学のころはまだ英語も大丈夫だったが、高校に入ってまもなく、脱落し始めた。それは、わたしが「まる暗記」がほとんどできないからである。単語テストなどほとんど点が取れなかった。しかし、その決定的な語彙力の不足を補ったのが、『指輪物語』原著通読だった。

『指輪物語』三部作についてはすでに小学校のころから何度か瀬田貞治訳を通読していたので、ストーリーについては問題なく理解できる。そこで原著を読もうと思った。最初はつらかったが、とにかくわからなくてもどんどん読み進める。何しろ、好きな物語である。「英語を読む」ことへの苦痛はあっても「トールキン教授の生の言葉を読める」ことへの喜びのほうが大きい。そうすると、原文のリズム感が身に付いてくる。そして、わかる単語をつないでいけば、その文章が何を表現したがっているかがわかってくる。そうなればしめたもので、わかる単語だけから文章を読み取ることができるようになってくるのである。

わからない単語がわからないことにおののいて「わからない」と投げ出すのではなく、わかる単語を手がかりに、文全体の構造から理解していく。この方法によって、わたしは自然と「よく使われる単語」については覚えるのではなく「見慣れ」ていき、そして英語の点数も上昇していった。もっとも、それは実際には「トールキン教授がよく使う単語」だったのだが、古典語にも精通した美しい英国英語を話すトールキン教授から学んだのは、決して悪いことではなかったと思う。

仕上げとして、当時未訳だった『指輪物語』追補編だとかUnfinished Tailsなどを読んでいった。すでにトールキン教授の文体には慣れている。だから、読んだことのない文章もつかめるようになっていった。特に追補編は小説ではなく論文調であるから、論説文の読解練習にもなったことを付け加えておく。

英語以外でも使える

古典もそうだ。別に『源氏物語』でなくても何でもよかったのだが、「それなりに長いものを読み通せば語感が身に付くだろう」という考えから、「じゃあ一番長いの」ということで、『源氏物語』を選んだ。そして、角川文庫で現代語訳を通読し、それから原文の言葉のリズムを頭に響かせながら読んでいった。そうすると、訳すとか訳さないの以前に、古文の流れに乗っかることができるようになっていった。

源氏だけだと少々古いので、平家物語全文とか徒然草全文にも挑戦したが、それぞれのリズム感があって楽しむことができた。「泣く泣く首をぞかいてんげる」なんて言葉のリズム感は最高である。

漢文は、藤堂明保ほかの編集による学習研究社の「中国の古典」シリーズを読み通した。大学入試の漢文といえば、訓読法も覚えなければならないので「頭から読む」方式だけでは済まないが(というより、訓読漢文という一つの言語だと思った方がよい)、訓読のリズムに慣れ親しんだために、明治の擬古文なども読めるようになったのは収穫だった。

意味のわかっていることを外国語で読む。読みまくる。長々と読む。そうして、その原語のリズムや流れに乗っかる。それが上達の道だろうと思う。

もし意味がわからなくても、とにかく原語の響きに接すること。そうすればわからないところもわかってくる。洋楽を聴いて英語を覚えたという人がいるのもうなずける。

さらに余談だが、わたしは歴史も中公文庫の『日本の歴史』『世界の歴史』を通読し、ストーリーとして流れを理解し、登場人物として歴史人物を認識した。何か小説を読むときに(たとえば『ハルヒ』でも『指輪物語』でもいい)、ストーリーを一生懸命暗記し、登場人物を暗記する人はいるだろうか? もしそうならこの方法は使えないが、わたしはそのようなときに暗記はしない。読めば自然と頭に入ってくる。少なくとも主要な出来事の名前や内容、主要登場人物の性格や主要発言(の概要)くらいは、当然理解できているだろう。そんな感覚でわたしは歴史の必要事項を頭に入れていった。ガンダム一年戦争の歴史やギレンの演説は暗記などしなくても覚えられるのに、百年戦争や五箇条のご誓文は丸暗記しないといけないという法はない。わたしは変な年代の語呂合わせなどしようとも思わなかった。もっとも、その前にはいくつか前提もあったりするわけだが、歴史の学習法についてはまた別に語ることもあるだろう。

日本語に置き換えるまえに構造を把握せよ

二つめの(そして発端となったエントリーに対する反応としての)話に入る。

こちらの「頭から読め」すなわちネイティブの話し、読み、考える順に把握せよ、という指摘は重要であるし、まったくもってそのとおりだと思う。

しかし、「単語を全部日本語に置き換えて」頭から解釈するというのは、わたしの流儀ではない(ラテン語を読むときにはそういうことをすることがあるが)。

わたしは構造を意識し、それぞれのパートの関係を意識して、それから意味を当てはめるべきだと考える。

文章を頭から読む。英語(あるいはSVO語順の言語)であれば、それは「主部はどこまで続くの?」ということが最初のパートになる(ゲール語のようにVSO語順の言語なら、「動詞句がどこまで続くの?」ということになるのだが)。英語の場合は、次に動詞句がはさまり、目的部が続く。場合によっては関係詞が挟まったりする。いずれにしても、それぞれのパートの役割を認識することが必要だ。途中で知らない単語があればほっておく。

どうしてもわからなければならないのは、英語の場合、前置詞である。文章中における言葉の役割(格)を表わすために必要不可欠な要素なので、これはしっかり理解しなければならない。

わたしたちは不幸なことに、外国語としては最初に英語を学ぶことになっている。英語というのは幸か不幸か「格」変化がなく、そのために「単語の尻を見たら格がわかる」他の多くの印欧語と違って、語順と前置詞に頼るしかない。

これが英語ではなく、格のはっきりした言語(ラテン語、ギリシア語、ドイツ語、ロシア語、サンスクリット語等々)であれば、話はもっと鮮明になる。主部、動詞句、目的語句等々に加えて、それぞれのパートの格をしっかり把握するのが大切だということになるのだから。それは日本語で言えば「てにをは」をしっかり理解するということにほかならない。だいたいの主要言語は主格(が)、属格(の)、対格(を)、与格(に)の4つ、ほかに処格(において)、奪格(から)あたりを理解すればよい。ごく一部の言語では能格などもあるがまあそれはおいといて、要するにこれらは一文の中のあるパートがどういう位置づけにあるかというマーカーである。このマーカーの意味を理解することが必要だ。

これが英語では格変化というはっきりした形で示されないので、その点は前置詞の働きを習得しておかねばならない。

id:Brittyさんと同様の例文を挙げてみよう。ただし、わたしは致命的に語彙力がない代わりに、「ここが主語」「ここが動詞」「ここが補語」「ここが目的語」という分別と、前置詞の扱いだけはよくわかっているものとする。

Christmas is the Christian holiday that celebrates the birth of Jesus, who Christians believe is The Son of God. Christmas means "Feast day of Christ". However, it is not pronounced as Christ Mass; it is pronounced Kriss-muhss.

Christmas - Simple English Wikipedia, the free encyclopedia

頭から読んでいく。Christmas(主語)is(動詞)(ああ、クリスマスというのは、云々だな)the Christian holiday(名詞句。クリスチャンのホリデーなり) that(以下の内容は前の名詞句の説明である、そしてthatは以下の句における主語でもある)celebrates(celebrateする、以下のことを)the birth of(←後ろから前への属格) Jesus(つまりジーザスとかいうひとの誕生日)、who(whoはJesusを指す、そして以下の句の主語または目的語)Christians believe(ここに主語・動詞が出てきたからさっきのwhoはwhomだ。クリスチャンは信じている、whoが○○であると。)is The Son of(←属格) God(神の息子なり)。(ここでいったん文が切れて)However(しかし)、it is not pronounced(それはpronounceされることはない、以下のようには)as(○○として)Christ Mass(クライストマスとしては)。it is pronounced(それはpronounceされる、以下のとおりに)Kriss-muhss(クリスマス)。

実際、わたしが英文を読むときはこういう頭で読んでいる(なので、翻訳文を作るときも、thatやwhoの前でいったん文を区切り、前半後半の流れを入れ替えずに訳すことも多い)。いや、前後入れ替えて訳すというのは、漢文のレ点や一二点を使ってひっくり返して読む伝統を受け継いでいるのではないか? However, it is-レ-not pronouncedレ asレ Christ Mass; it isレ pronouncedレ Kriss-muhss「然れども是はChrist Massとpronounceさるるにあらず。是はKriss-muhssとpronounceさるるなり」.

それはともかく、各パートと各部分の関係性がわかってさえいれば、穴あきでも何となく言いたいことはわかるはずである。

「クリスマスというのはクリスチャンのホリデーで、それはジーザスとかいう人の誕生日をセレブレートするものである。ジーザスとかいう人は、クリスチャンがビリーブするには、神の息子である。しかし、それはクライストマスとプロノウンスするのではなく、クリスマスとプロノウンスする」

下手な役所のカタカナ語混じりの報告書ぐらいにはわかるようでわからない文章であるが、プロノウンスが「発音」かそれに似た意味だということはこの範囲内でも十分推測可能だし、ホリデーが誕生日をセレブレートするものだとすれば、「祝日」という意味のニュアンスくらいはくみ取れる(書いてあることの関係性を正確に理解した上で、正しい結論を導き出す力を読解力という)。

つまり、英語を読むのは単語力ではない(もちろん、あるにこしたことはないが、第一に必要なものではない)。文章の構造と各パートの関係性(格)を理解する力なのである。

先日、英訳も参照しながらだが、ラテン語の文章を訳してみた(聖ニコラウス (黄金伝説) - 閾ペディアことのは)。この場合、"Nicolaus civis Paterae urbis ex divitibus et sanctis parentibus originem duxit. "は、「Nicolaus(主格)civis(「市民」の主格)Paterae(「パトラス」の属格)urbis(「都市」の属格)ex(前置詞「~から」奪格支配) divitibus(形容詞「豊かな」の奪格「から」) et(そして) sanctis(形容詞「信心深い」の奪格「から」) parentibus(「両親」の奪格「から」) originem(「生まれ」の対格「を」) duxit(「導く」の完了形能動態)」となる。この格関係がわかっていれば、「都市パトラスの市民ニコラウスは豊かで信心深い両親から生まれた」というような意味だとわかる。しかし、格がわかっていなければ、「ニコラウス市民はパトラス市で豊かで信心深く、両親を産んだ」みたいな誤訳だってありえるだろう。

まずは構造ありきなのである。

ということで、id:Brittyさんの頭から順に日本語訳置き換えをしていく方法をもう一度見てみると、実は助詞が極めて適切に当てはめられていることに気づく。頭から読むためには、構造の理解(つまりは「てにをは」を適切に使えること)が前提となっているのだ。

自動翻訳にかけただけで読んだ気になるな

そして以下は補記である。

ネットにはエキサイトをはじめとする自動翻訳サイトがいろいろある。しかし、ブログ等を見ていると、その自動翻訳にかけた出力結果をそのままコピペしているだけで紹介したつもりになっている人がいる。これは百害あって一利なしだと思う。なぜなら、それで本当にわかっているならきちんと訳し直しているはずだからだ(理解できる人にとって、自動翻訳は我慢できるものではない)。理解できないけれども、日本語の単語が並んでいるからという理由でわかったような気になっているだけだ。

ところが、自動翻訳は(近年ますます精度は高まっているものの、それでも)そのままで使える訳文になっていない。致命的なのは、文章の構造を理解できていない場合が多いことで、そのために「個々の単語の訳語の集積としては間違っていないが、そのまま読むと大間違い」なことが多い。ときには否定語のかかるところが完全に間違っていたりする。

あくまでも、自動翻訳は「ある程度読める人が、いちいち辞書を引く手間を省く」ために使うものであって、その翻訳を信用するのは(少なくとも現時点では)愚の骨頂と言わざるを得ない。いや、むしろ害だと思うのである。

「単語を置き換える」ことだけでは決して読めたことにはならない。文の構造を理解して初めて文の意味がわかったことになるのだ。逆にいえば、たとえ細かいところがわからなくても、全体構造と文脈が理解できていれば、その文章はあらかた読めているといえる。

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2008年12月26日20:23| 記事内容分類:言葉| by 松永英明
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言葉は、必要があれば身につくものであって、必要がないなら、時間の無駄。パントマイムを覚えた方がずっとためになるぞ。実際、身体の動作の乱れというか、醜いというか、そもそも、英語を使えるっていうなら、あの、アメリカ人ならアメリカ人の、イギリス人ならイギリス人にある顔の表情がどのくらい変化するものとか、身体の使い方から意味を受け取ることができるとか。それと同じように、日本人には固有の動作の作法というか美しさがあって、いくら言葉が達者でも、気持ち悪い人には変わりがないと思うのだけどね。身体の言葉がわかれば、犬とも話せる、あはは。

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