「13日の金曜日」恐怖症が広まったのはわずか100年前だった

2009年11月13日は「13日の金曜日」である。何か西洋的な根拠で不吉な日だと思われているが、それは特に根拠があるわけではない。仏滅が悪日だというのと同じくらいの迷信だが、それでもこの日に結婚式を挙げるのは、欧米圏では、友引に葬式を挙げるくらい忌み嫌われる。

その起源は北欧神話だとかキリスト教だとかいろいろ言われているが、実はどれも根拠は薄い。そもそも、昔から「13日の金曜日」が不吉だと言われていたわけではないのだ。「13」という数字、「金曜日」という日を忌避する傾向はあったが、それを組み合わせた「13日の金曜日」が特に不吉な日とされるようになったのは、わずか100年前、1907年の小説、トーマス・ウィリアム・ローソン(Thomas William Lawson)著『13日金曜日(Friday, the Thirteenth)』がきっかけだった。

2009年11月13日17:54| 記事内容分類:宗教・神話学, 歴史学, 民俗学・都市伝説| by 松永英明
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以下、13日の金曜日恐怖症の詳細について、英語サイトの翻訳を二つ掲載する。長文なので結論はかなり下の方になるが、じっくり読んでいただきたい。

なぜ13日の金曜日は不幸な日だと思われているのか?

Howstuffworks "Why is it considered unlucky when the thirteenth day in a month falls on a Friday?"より松永英明訳(このページは現存しない)

Q:なぜ13日の金曜日は不運だと思われているのか?

A:北アメリカやヨーロッパでは、大多数の住民が13日の金曜日には非常に奇妙な振る舞いをする。飛行機で飛んだり、パーティーを開いたり、仕事を申し込んだり、結婚したり、新しいプロジェクトを開始したりするのを避けようとする。仕事をしに来ない人たちまでいる。合衆国では、人口のおよそ8パーセントが13日の金曜日をおそれる。これはパラスケイヴィデカトリアフォビア(paraskevidekatriaphobia=13日の金曜日恐怖症)と呼ばれている。よく知られているとおり「13日の金曜日」は多くの伝統・文化にその起源を有している。

13日の金曜日を取り巻く迷信は、実は二つの別の恐怖心の組み合わせなのである――13という数字に対する畏れはトリスカイデカフォビア(triskaidekaphobia) と呼ばれ、もう一つは金曜日に対する畏れである。これらの二つの畏れについて、最もよく知られた起源は、キリスト教神学である。最後の晩餐の出席者(イエスと12使徒)の数であるから、13がキリスト教徒にとって重要なものとなっている。イエスを裏切った使徒ユダは、その晩餐に到着した13人目であった。

イエスは金曜日に磔になったため、キリスト教徒は伝統的に金曜日には心を配ってきた。それに加えて、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのは金曜日であり、大洪水が始まったのも金曜日だと考える神学者もいる。かつて、多くのキリスト教徒は、努力しても最初から運がつかないことをおそれて、金曜日には決して新しいプロジェクトや旅行を始めなかった。(※訳注:聖書によれば、いずれも金曜日ではない)

船員たちはこの点で特に迷信深く、金曜日に出航することを拒否することもしばしばだった。伝説によれば、18世紀、英国海軍は迷信を鎮めるために、H.M.S.フライデーと呼ばれる船を就役させたという。海軍は乗員を金曜日に選び、船を金曜日に進水させ、さらにジェームズ・フライデーという男を選んで船長にした。それから、ある金曜日の朝、船は処女航海に出航した――そして、永遠に姿を消してしまったのである。(※訳注:H.M.S. フライデー号は実際には存在しない)

キリスト教徒の金曜日不信は、教会が異教を徹底排撃したことに由来することを突き止めた歴史家もいる。フライデーは、北欧の性愛の女神フリッガの名前に湯題する。この強い女神の存在は、男性優位のキリスト教を脅かすものだった、とその歴史家たちは主張している。フリッガの影響と戦うために、キリスト教会はこの女神を魔女とみなし、その名のついた日を中傷した。このレッテル貼りは、13という数字への恐怖においても働いたかもしれない。フリッガは、通常12人で開かれる魔女の集会に参加し、合計で13人になるといわれた。それと似たキリスト教の伝承では、13が不吉なのは、集まった12人の魔女と悪魔の合計の数だからだという。

13という数字が忌まれたのは古代北欧文化にさかのぼる、という人もいる。北欧神話で愛される英雄バルドルは、悪意ある神ロキによって宴会で殺された。ロキは12人の宴会に加わって13人にしたのだ。最後の晩餐の物語と同様、この物語は13という数字の最も堅固な意味合いを含んでいる。つまり、13人のグループで食事を食べるべきではないということだ。(※訳注:キリスト教のユダが13人目というのも、この北欧神話の影響を受けている可能性がある)

13日の金曜日伝説のもう一つの重要な要素として、中世に起こった特別ひどい13日の金曜日がある。1306年10月13日金曜日、フランスのフィリップ4世は、聖職者のテンプル騎士団員を火刑にし、この出来事は悪しき日として記憶されることになる。(※訳注:実際にはテンプル騎士団員を一斉大量逮捕したのがこの日である)

過去の13日の金曜日に何か不幸なことを経験したがためにおそれるようになる人たちもいる。もし、13日の金曜日に交通事故に遭ったり、財布をなくしたりしたら、その日はまとわりついてくる。しかし、もしそれについて考えるなら、悪いこと(コーヒーをこぼす以上の大きな問題)はいつでも起こっている。だから、13日の金曜日の不幸を探せば、それは何か見つかるということになるのである。

13日の金曜日はなぜ不吉なのか

以下Why Friday the 13th Is Unluckyより、松永英明訳

パラスケヴィデカトリアフォビア(Paraskevidekatriaphobia)―― 13日の金曜日の恐怖

1993年の「英国医療ジャーナル」に掲載された「13日の金曜日は健康に悪いか?」という論文の要約がある。「英国における13日の金曜日をとりまく健康・行動・迷信の関係」を調べる目的で、その著者は数年間にわたって、6日の金曜日と13日の金曜日の交通量と交通事故の比率を比較した。

驚くべきことに、サンプル地域では、13日の金曜日に運転しようとする人たちは一貫して少なかったのに対し、事故入院者数は明らかに普通の金曜日よりも多かったのである。その結論ではこう述べられている。「13日の金曜日には不運になる人たちがいる。交通事故の結果として入院する危険は、およそ52%増のようである。家にとどまることをお勧めする」

パラスケヴィデカトリアフォビクス(Paraskevidekatriaphobics)――13日の金曜日に対する病的で非理性的な恐怖に悩まされる人たち――は、間違いなく、今耳をそばだて、その恐怖が実は迷信じゃないかもしれないと裏付けそうな証拠が出てきて喜んだことだろう。しかし、ただひとつの科学的研究(それも知る限りただ一つの例) 、しかも特に奇妙な事例で納得するのは賢明でない。カレンダー上のどんな特定の日付についても、人間心理についていろいろ教えてくれるだろうと思う。

週の6番目の日と13という数字は、それぞれ、古代民俗から伝わる悪い雰囲気の風評を有している。年に1回から3回は起こることが避けられないこの結びつきによって、軽信しやすい人たちが抱く以上の不幸の前兆となっている。フォークロア研究家たちは、これはおそらくアメリカで最も広まった迷信だという(そして他の地域でもそういうところがあるだろう)。13日の金曜日には仕事に出ない人たちがいる。レストランで食べない人たちもいる。結婚式の日付をこの日にしようとしない人は多い。

この千年紀の曲がり角で、どれほど多くの人たちがこの恐怖症に怯えているのだろうか? 恐怖症治療の専門セラピストであるドナルド・ドッシー(Dr. Donald Dossey)は、 「パラスケヴィデカトリアフォビア」という言葉を作り出した人物だが、合衆国だけで2100万人がそうだという。もしこれが正しければ、アメリカ人の8%がこの古い迷信にとらわれていることになる。

この迷信の起源を探り当てることは科学的に正確にとはいかないので、それがどれほど古いかを正確に述べることはできない。実際のところ、それは推量とならざるを得ない。

13恐怖症

このように言われている。もし13人が一緒に夕食をとれば、全員が年内に死ぬ。トルコ人は13という数字を嫌い、辞書にもそれを掲載しないほどだった(ブルーワー、1894)。多くの市には、13通りや13番街がない。多くの建物には13階がない。名前が13文字だったら「悪魔の幸運(devil's luck)」を有する(Jack the Ripper=切り裂きジャック、Charles Manson=チャールズ・マンソン、Jeffrey Dahmer=ジェフリー・ダーマー、Theodore Bundy=テッド・バンディー、Albert De Salvo=アルバート・デサルヴォは全員名前が13文字)。(訳注:他の資料によれば、Harvey Glatman(ハーヴェイ・グラットマン)、Herman Mudgett(ハーマン・マジェット)、Herbert Mullin(ハーバート・マリン)、Daniel Rolling(ダニエル・ローリング)、Lucian Staniak(ルツィアン・スタニアック)、Peter Sutcliffe(ピーター・サトクリフ)、Wayne Williams(ウェイン・ウィリアムズ)も挙げられる)

民間信仰の起源についての理論は、それ自体が思いつきの寄せ集めのように聞こえることもある。

たとえば、13という数に対する恐怖は、数えるという行為と同じくらい古いという人もいる。原始人は数を表わすのに10本指と二本足しか持たなかったので、12以上の数を数えられなかったという。それを超えたもの――「13」――は超えられない恐ろしい謎であり、迷信の源となったというのである。

これは一見見事な理論のように見えるが、やはり疑問は残る。原始人には足のゆびがなかったのか?

いずれにしても、原始人が知られざる数への恐怖というものを抱いていたとしても、それは13への恐怖とは同意ではなかった。中国人はこの数字を幸運な数字と考えていたし、ファラオの時代の古代エジプトでもそうだったと歴史家は述べている。

エジプト人にとって、人生は階段を上るような精神的上昇の探究であった。そのうち12段がこの世であり、13段目がその後、永遠の死後の世界であった。だから13という数字は死を象徴していたが、塵まみれで腐敗するものではなく、輝かしく望ましい変形としてであった。エジプト文明は滅んだが、この説明は残った。しかし、13という数字の象徴性は、他の文化(ローマなど)によって堕落していき、死後の世界へのあこがれよりも死の恐怖にしばられるようになっていった。(タロットカードで「死」のカードは13という数字となっているが、もともとの肯定的な意味である「転換」という意味を保っている)

別の説明として、13という数字は女性らしさを表わすため、家父長制の司祭によっておとしめられた、という説がある。13は有史以前の女神信仰文化で崇拝された。なぜなら1年間の月(月経)周期に対応していたからである(13×28=364日)。(フランスのラスコー洞窟に近い27000年前の彫刻「Lausselの大地母神像」には、13の刻み目のある三日月型の角を持っている女性の姿をしている) 古代文明で太陽暦が月の暦よりも使われるようになったとき、12が13に取って代わった。

13という数字と関係した古いタブーは、ヒンドゥー教徒から始まったとも言われる。ヒンドゥー教徒は夕食などで一つの場所に13人が集まることを常に不運を招くと信じていた(が、その理由はよくわからない)。興味深いことに、まったく同じ恐怖がヴァイキングと結びつけられてきたが、多くの学者たちはこの恐怖とその原因となったという神話的説明のどちらも誤っていると考えている。物語では次のように語られる。

12人の神々がヴァルハラでの宴会に招かれた。悪しき者にしていたずらの神であるロキは来賓名簿から外されていたが、パーティーを破壊するためにやってきて、合計13人となった。ロキは盲目の冬の神ホドゥルをそそのかして、その兄弟の善神バルデルを攻撃させた。バルデルは神々のお気に入りだった。ホドゥルはロキに渡されたヤドリギの槍を手に取り、それをバルデルに投げつけて殺してしまった。ヴァルハラのすべてが深く悲しんだ。この物語の教訓は「ヤドリギを持つ招かれざる客には気をつけろ」と考える人もいるかもしれないが、ノルウェー人は夕食に13人が集うことが不運を招くと結論づけたのである。

これを証明するかのように、聖書でも最後の晩餐ではまさに13人がいた。夕食の客の一人(使徒)がイエス・キリストを裏切り、磔のための舞台を用意した。では、イエスの磔は金曜日に起きたのだろうか?

13日の金曜日の迷信の起源

このように言われている。金曜日にはベッドを変えてはならない。悪夢を見るだろう。金曜日には旅行を始めてはならない。不幸になるだろう。金曜日には爪を切ってはならない。それは悲しみを招くだろう。金曜日に出航した船は不幸になる。H.M.S. フライデー号の物語のように……。100年前、船乗りの間の広く行き渡った「金曜日に出航することは不運を招く」という迷信を英国政府は否定しようとした。特別な船が就役させられ、それは「H.M.S. フライデー」号と名づけられた。これは金曜日に竜骨を据え、金曜日に進水し、金曜日に乗員を選び、ジム・フライデー艦長(Captain Jim Friday)を任命した。そして、H.M.S. フライデー号は金曜日に処女航海に乗り出した。そして、消息を絶ったのである。

西洋文化における金曜日の悪評は、エデンの園にさかのぼるとされている。イブが禁断の木の実でアダムを誘惑したのは、おそらく金曜日であった。よく知られているとおり、アダムは木の実を食べ、二人は楽園から追放された。伝統的に、ノアの大洪水も金曜日に始まったとされている。髪は金曜日にバベルの塔の建設に関わった者たちの言葉を混乱させた。ソロモン神殿は金曜日に破壊された。そして金曜日にキリストが貼り付けとなった。伝統的に、金曜日はクリスチャンの懺悔の日である。

しかし、いくつかの情報源によれば、金曜日の暗いとばりはキリスト教以前にさかのぼるという。ローマでは、金曜日は処刑日だった(後に英国の絞首刑執行人の日=Hangman's Dayとなった)。異教文化において、金曜日は崇拝の日であるサバトの日であった。この日に非宗教的あるいは利己的な行動にふけった人たちは、神々からの祝福を得られなかった――だから、金曜日に旅行に出たり、金曜日に重要なプロジェクトを始めることのタブーと結びついたのかもしれない。

問題は複雑になるのだが、これらの異教の結びつきは、初期教会時代にも失われなかった。それを駆逐するには長い期間がかかった。金曜日が異教徒にとっての聖日であれば、それはキリスト教徒にとっての聖日であってはならない――このため、中世には「魔女のサバト」として知られるようになる。そうして、もう一つの物語が結びつく。

金曜日(フライデー)は、この日に崇拝された北欧神話の神フリッガ(結婚と豊饒の女神)またはフレイヤ(性と受精機能の女神)あるいはその両者の名前に由来する。両者とも、時代を経てお互いに混同していった。(「Fiday」の語源はどちらへもたどれる) フリッガやフレイヤはローマの愛の女神ウェヌス(ヴィーナス)に対応し、ローマ人はこの曜日を「dies Veneris(ディエス・ウェネリス)」と呼んだ。

金曜日は、キリスト教以前のゲルマン民族にとっては非常に幸運な日だった。特に結婚にはよい日だった。その日は愛と受精能力の女神と結びついていたからだ。キリスト教が現われたとき、すべては変化した。金曜日の女神――この文脈では主にフレイヤである。その聖なる動物がネコだからだ――は、伝承の中で女神と結びつけられ、その曜日は悪しき行為と結びつけられるようになった。

多くの伝説がその流れで発展したが、そのうちの一つが特に興味深い。物語によれば、北の魔女たちは月の夜に墓地に集まることによってサバトを開いた。あるサバトで、魔女女神であるフレイヤ自身が山頂の聖所から下りてきて魔女たちの集団の前に降臨した。そのとき、魔女たちは12人いた。そしてフレイヤは自分のネコの一匹を与え、それから13人の魔女団となったという。

慎重な読者であれば、古代の文化と関連のある出来事や風習や信念と、金曜日や13という数字を恐れる迷信との興味深い結びつきは数々あれど、これらのバラバラの民俗学的要素がどのように、なぜ、いつ、13日の金曜日は最も不運な日だと記されるようにまとめられていったのか、ということにはたどり着いていない。

単純な理由がある。いろいろな説が唱えられたが、本当のことを知っている人はいないのだ。

テンプル騎士団

最近、小説『ダヴィンチ・コード』で示された歴史的事実を元にした一つの理論がある。約700年前に起こったある歴史的事件の結果として、この迷信が起こったというのである。その破局とは、テンプル騎士団員の虐殺である。テンプル騎士団とは、イスラム教徒と戦うキリスト教十字軍の時代に結成された「戦士修道士」の有名な組織である。200年間にわたって戦い続けた勢力として、1300年代までにこの組織は王権や法王庁にとっての政治的脅威とみなされるようになっていた。そして、キリスト教国の陰謀によって倒されることとなった。

1307年10月13日。それは13日の金曜日が不幸の日と同義になる金曜日であった。フランスのフィリップ4世は数千人のテンプル騎士団員を逮捕した。騎士も下士官も司祭も信者も。そして異端、冒涜、数々のわいせつ行為、同性愛行為で告発した。これらの告発はいずれもフランスにおいてさえもまったく裏付けのないもので、騎士団はそれ以外にも罪がなかった。しかし、七年間に及ぶ勾留期間に、数百人の騎士団員に自白を強要するための拷問を与え続けた。そして、百人がその拷問のもとで死ぬか、火あぶりにされていった。

近代的な現象

「こんなに悪名高い日」という命題そのものに欠点がある。それは、巨大な文化的な要素を、比較的根拠の曖昧な歴史的な事件のせいにしているというだけではない。もっと問題なのは、13日の金曜日の迷信は前近代に起源があるとするどの説も、実際には19世紀以前にそういう信仰が存在したという文献が存在しないという事実である。それ以前の時代に生きた人たちが13日の金曜日を特別に不運な日であると見なしていたとするなら、それを文書化した証拠は何も見つかっていない。結論として、この迷信は、20世紀のメディアの誇大宣伝によって拡大された、まったくもって近代的な現象であるという説が有力である。

100年以上さかのぼれば、E・コブハム・ブルワー『ブルワー英語故事成語大辞典』1898年版でも13日の金曜日は言及に値しないと考えられているが、「金曜日、不吉な日」と「不運な13」という項目はある。この日の不当な評価は、最終的にこの本の後の版に掲載されることになるが、この迷信についての歴史的な確実さや歴史の長さについては主張されていないのである。この項目はあまりにも簡潔だ。「13日の金曜日。特別に不吉な金曜日。13を参照」――よくない前兆について、不幸の水増しが単純に加えられただけかもしれない。

不吉な金曜日 + 不吉な13 = もっと不吉な金曜日

もしこういうことであれば、13日の金曜日に「最も不吉な日」というレッテルを貼ることによって、誤った肩書きを永続させる罪を犯しているのかもしれない。そのために、鏡を割ってしまい、はしごの下を歩き、塩をこぼし、黒猫に目の前を横切られるというようなことがあった13日の金曜日には、自分の家の中に引きこもり、戸を閉め切ってシャッターも閉じ、指を交叉させて過ごすような人が現われるのである。

最新理論

『13:世界で最も流布している迷信』(13: The Story of the World's Most Popular Superstition (Avalon, 2004))で、著者Nathaniel Lachenmeyerは、「不吉な金曜日」と「不吉な13」の起源は、ある特定の文学作品によるものであるとしている。それは、1907年に発行された小説「Friday, the Thirteenth」である(Friday, the Thirteenth by Thomas William Lawson - Project Gutenberg)。現在ほとんど忘れられているこの本は、株式市場での汚い取引について書いたもので、当時非常によく売れた。タイトルのフレーズと、その背後に潜む恐怖症的な前提――すなわち、迷信的な人たちが13日の金曜日を特別に不吉な日と見なしているという説――が、メディアによってすぐに採用されて広められたのである。

この小説家トーマス・W・ローソン自身がその迷信を発明したというわけではあるまい。公共の意識の中にすでに存在していたものとして物語中で扱っている。しかし、それに吸引力を与えたのはローソンであり、それによって現代最も広まった迷信となる道筋を開いたのである。

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