「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」高原基彰×西田亮介 メモ #commu2010

2010年4月10日、ジュンク堂池袋本店にて高原基彰(社会学者)・西田亮介(中小企業基盤整備機構リサーチャー)の二人によるトークイベント「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」が開催された。私は、西田さんのプロジェクト「.review」に加わっていることもあり、当日のイベントに参加した(.review×ジュンク堂池袋本店ブックフェア)。ただし、Twitterでtsudaる(実況する)と断片化する気がしたので、隅っこの方でポメラでメモしまくった。以下、そのメモを整形して公開する。

2010年4月12日13:47| 記事内容分類:政治学, 社会学| by 松永英明
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※注:このメモは、あくまでも私が個人的にその場でメモした内容を後で整形したものであり、100%のテープ起こしではありません。したがって私の取捨選択や解釈(誤解や無知を含む)が加わっており、発言者のニュアンスや発言意図を正確に伝えていない可能性があることを充分にご理解ください。なお、必要があれば随時断りなく訂正・修正します。

なお、他の人たちによる当日のtsudaりのトゥギャりはこちら

「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」高原基彰×西田亮介 メモ

  • 2010年4月10日19時~
  • ジュンク堂池袋本店4階喫茶
  • .reviewフェア開催記念「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」高原基彰×西田亮介

2009年に誕生した民主党政権は、声高に「新しい公共」を提唱している。しかし、「新しい公共」の具体的な姿も、そこへ至る道筋も明らかではない。また、日本には少子高齢化の進行、過疎、限界集落の問題、近代化に伴なう伝統的村落共同体の解体、キャッチアップ型市民社会組織の機能不全といったさまざまな困難が控えている。このような現状を目にしたとき、「新しい公共」を実現するためには、眼前の現状を冷静に見据え、そのうえで記述されるマクロレベルとミクロレベルそれぞれの処方箋が必要である。この「新しい公共」実現の前提となる現代日本の国家とコミュニティの問題を、『現代日本の転機』の著者で気鋭の社会学者高原基彰氏と、地域活性化の政策分析と提言を専門とする西田亮介が語り尽くす!

(二人入場)

■高原:ソウルとパリに行ってきた。

●西田:鳩山政権は「新しい公共」を唱えている(「新しい公共」円卓会議 ‐ 内閣府)。しかし、「新しい公共とは何か」ということに全く答えていない。近代市民社会みたいなものを作りたいようではあるが、鳩山の所信表明演説のみが参照されている。社会学では、国家とコミュニティという観点で扱ってきた。では、現代日本の国家とコミュニティとは何なのか。マクロな話の部分は高原さんにしてもらいたい。

社会学の流れを簡単に振り返る。社会学の中ではデュルケムの有機的連帯・機械的連帯(社会分業論)、テンニエスのゲマインシャフト・ゲゼルシャフト(ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念)などが共同体の基礎理論となっている。しかし、中間組織と国家のあり方についての議論は意外となされていない。

「新しい公共」について、担い手は誰? 最近注目されているのが「社会起業家」という新しいアクター、担い手だ。社会問題の解決を事業化し、持続可能にしようとする。ではなぜ社会起業家?

日本では三つの機能不全があると考えている。1)村落共同体は機能していない。2)近代市民社会にあるようなアソシエーションも日本では生まれていないし、信頼もない。3)それらに代わる第三項も生まれていない。そこで、事業化、収益に結びつけていくことで、日本でコミュニティの生まれない「更地」のようなところに入っていけるのではないか。

■高原:なぜコミュニティが求められているか=機能不全。従来型の地方への分配がうまくいかなくなっている。地方振興というものでは、旧来型の「助成金を当てにする」という方法と、社会起業とをどう見ていくか。事業化して儲かるということで、事業体=予算削減、NPO=収益という、ウィンウィンの関係になっている。

●西田:村落共同体もアソシエーションもないところで、正当性を確保する、合意を得ていく、という点について、コスト削減というインテンシブをみんなが得られる。社会問題を解決するコストを削減することで、飯を食うことができる。それによってミッション、すなわち結社をする理由を満たせる。みんな幸せ。この図式を明確化すれば受け入れられていくのではないか。

■高原:それには一抹の危惧を抱く。経済の話だけでは。経済とは軸の違う、規範、価値基準のようなものがなければ、ブレイクスルーまでいかないのではないか?

●西田:ではその規範とは何か、どう使うことができるのか? それがないので経済的インセンティブを一つのリソースとして使えるのではないかと思う。高原さんは正義をどうとらえている?

■高原:たいした考えはない。日本では、個別の主体がある種の被害者意識を持って発言していくパターンがよくみられる。それがだめなんじゃないかという予感。

「73年の転機」……世界不況になった年。福祉国家とフォーディズムの時代だった。分配をよこせという主張。国全体が安定的に成長しているという前提。それが73年になって言えなくなる。リバタリアンの台頭、それに対抗する側も、個別の要求をいわなくなってくる。ロールズの言うような、「恵まれない人たちの利益を最大化する」という正義。

戦後最大のパラダイム変換だが、これが日本では起きなかった。むしろ70年代以後にも新たな少数者が発見されて、分配を要求していく。そういう状況と、今、地方とか分配がうまくいかないというのは結びついている。

●西田:現場に近い人間として、地方自治体やNPOなどと接している観点から言わせてもらうと、「あてにできる正義」が目に見えなくなっている。後進国のような極端な貧困ならばロールズ的合意に達しやすいが、日本ではどこまで貧困に含めるか合意が得られにくい。そのときの規範としてなにが使えるんだろうか?

■高原:わからないですねえ……

●西田:だから経済的な規範。NPOや社会企業家。ボランティアの流れとIT企業の流れがある。

日本のアソシエーション研究は、生協やワーカーズ・コレクティブということになるが、いずれもたどると学生運動にたどりつく。学生運動ではダメと思ったことが発端になってきている。ごく少数だが新しいものがでてきて注目されつつあるのは、よいことではないか。

企業比較動向によれば、日本で起業意欲を持っている、創業準備運動をしている人は3%くらいで推移している。これは世界最低水準。そこで社会起業が増えるかどうかはわからない。困難であるがゆえに政策的にエンパワーメントするか、日本的なものにしていくかしかない。では、日本的な担い手はあるだろうか?

■高原:韓国はもともと社会運動が強い。民主化運動に淵源がある。NGOがたくさんあって連合する。盧武鉉の支援団体は団体の連合体だった。それが大同団結して新しい政権を生むまで力を持つようになった。

中国は官製NGOしかなかったが、環境問題、農村問題などでNGOの幅が広がっている。中国では出稼ぎ者の問題などは目立つので正当性が担保される。このように韓国・中国では正当性を担保している。しかし、日本ではなにがあるかわからない。

小熊英二『1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景』『1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産』でもわかるように、学生運動は俗流に解釈されたマルクス主義で動いていたが、本当の背景は、ゆたかな社会ではじめて社会化される最初の世代だったということだ。実存的な悩みのようなものを彼らは持っていた。だから運動は大学の学費のような身近なものから始まったが、マルクス主義で「革命」とかに行ってしまった。しかし、掘り下げていくと現代的な生きにくさ、悩みだったのではないか。

●西田:そういうものがなぜ継承されなかったのか。

■高原:当事者たちもサラリーマン化していった。不安定な状態にある。運動の後のビジョンが見えない。

●西田:運動の成果が見えなくなったので、全共闘の人たちも会社に入っていってしまう。その後の世代もそれを見ていってしまう。自分たちで解決するマインドが育てられなかった。

補足データとして、70年代からの『現代日本人の意識構造 (NHKブックス)』によれば、社会問題への参加について、地域の問題について、「静観する」「依頼する」「活動する」という選択肢で、「静観する」「活動する」は変わっていない。「依頼する」だけが増えている。

「新しい公共」の話に戻すと、ある種の草の根から立ち上がってくる主体に期待するような土壌はまったく育っていない。

■高原:起業の準備活動が低いのも体感的にわかってしまう。なぜか? 日本の最大の特徴は、会社がすごく大きいこと。韓国・中国と比べても明らかに違う。韓国などでは転職するのが当たり前。日本では、それは願望としてはあっても実現されない。一生同じ会社に勤めるのがふつうになっている。人々をつなぐ集団というのが核家族と会社以外なかった。

●西田:学校は?

■高原:あれは共同体なの? それはともかく、学校の受験システムによって、会社に結びつけられていた。村落共同体が会社につなげられていった。それは市民的なアソシエイティブではなかった。会社の共同体は一見うまくいっていた。今現在、それがうまくいかない、維持できないことがわかってきたが、新しいものが見えない。活動じゃなくて依頼が多いとか、静観してる。会社に就職する以外にライフプランがない。

●西田:国もそう。新しいアクターを発掘するということは大昔からいわれていた。全総(全国総合開発計画)も、60年代池田内閣から続いて、新全総、三全総、四全総、五全総ときている。三全総か四全総あたりですでに創造的な主体の登場が必要だと書かれている。

国の政策、スタンスとしては「予算配分」を議論し続けてきた。「地域主権国家」(民主党)も、一部の例を除くと予算配分の話しかでない。その点では、前政権からの受け継ぎだ。小泉の「三位一体」も、結局、財源の話。

そこで、どういう可能性があるのかを考えることは、社会科学のあり方としてもおもしろいんじゃないか。

■高原:僕はネガティブな話をする。なんでああいう団体(※NPO等)が支持されないか。あの手の団体は完全に無給が前提となっている。「有給の団体が増えると理念がなくなってだめになる」と平気でいう人がいる。学会のお偉いさんにもいる。それは、会社の共同体がうまくいっていて、お金がまわっているのが前提。そうすると、担い手は主婦と高齢者ということになる。

●西田:今でもそうです

■高原:阿部真大さんの介護の現場フィールドワークがある。今から介護の現場に入ってくる人は、給料がほしい、なければやっていけない。一方、主婦や引退した人は給料がいらない。両者に齟齬がある。ある年代以下には理解できないビジョンがある。自分からアクションすることへのあきらめはそこにからんでいるかもしれない。

●西田:NPOの活動分野は17分野あって、医療福祉が半分くらい。NPOは3万5000くらいあるが、その半分が医療福祉である。それは実際には、老人ホームを経営している事業者だ。もともと勝手にお金をやりくりできる。

担い手の参加について、有給スタッフを雇うのが難しい。NPOの利益が年間500万くらいとされているが、それでは有給スタッフを雇えない。そこで、これまで、給料があって余暇を使える人、担い手として手が空いている人がボランティアの担い手になっていた。それが日本の社会的な状況だったので、時代状況が変わっても、そういう人たちが団体の上を占めると「お金なんか払えないのが当たり前」ということになってしまう。

そうした状況の中でも、若い人があきらめずにかかわろうとする姿勢は注目したい。NPOで社会貢献にたずさわりたい人は増えている。善意をもってNPOに入って、上の人たちに「やりがいの搾取」をされることもある。介護では構造的にそういうかたちになっている。介護の点数化。そういう状況があるときどうすればいいのか?

韓国・中国の話が出たが、そこでは合意可能な社会的状況(極端な貧困など)がある。では、連帯を日本でどうやってつくっていくか。シングルイシューではなくマルチイシューの連帯で政治に関わることを考えなければならない。

■高原:中国・韓国は発展途上国だからね。現代的な課題としてコミュニティがでている。もしかしたら韓国のほうがいい?と考えるのは、時間軸がずれている。日本は後進国じゃない。でも後進国と同じ問題を抱えている。同時代で先進・後進の軸がずれてくる。

日本が韓国・中国に追い越されることは気にしなくていい。韓国・中国に実際に住んでいたが、追い越されると思ったことはまったくない。そもそも成り立ちが違う。我々は中国になれないし、中国は我々になれない。GDP抜かされるのは当たり前。気にしてもしかたがない。

韓国はトップダウンだから早いというのも、政治が強権的という理念があるからだ。先日の哨戒艦沈没事故についても、マスコミとインターネットですごく議論されていて、「政府は情報を流せ」と言っているのだが、ある種の強権性がその背後にある。それをまねする? まねしない? 文脈が違う。日本だったら「わからない」に帰着するところだろう。

●西田:日本的な方法を考えるとしても、予算の配分の話だけがあがってくる現状では、それを模索することはできない。日本版の分権や公共を考えるときには、自由化・規制緩和とセットでないといけないのではないか。

自治体は創意工夫できるようにできていない。財源だけを委譲しても、問題は解決できない。人材の教育や訓練もしていないので、お金を渡されても下地ができていない。自治体にはいろんな規制がはりめぐらされている。入札しなければならない。もちろん、公平性もあるので随意性オッケーというわけにはいかないが、企業と途中から一緒にやっていく手もある。

「協働」「コプロダクト・マネージメント」「新連携」が新しいキーワードになるのではないかと思っている。農家と業者をセットにする。協働は異なるアクターが一体化する。これは規制緩和とセットですすめるべきではないか。

■高原:すばらしいですね。西田さんが行政にプレゼンテーションしてほしい。

●西田:高原さんは社会学者、僕は政策科学を専門にしていて、介入して関わることをバックグラウンドにしているから、無駄に事例をあげている。日本的な方法についての正義、ある種の規範に戻ると、日本的な慣習のようなものを徹底的に壊す刷新についてどう思うか?

■高原:なかなか難しいんですよね。僕は建設的な提言をするのが苦手でネガなことしかいわない。「日本的慣習は、日本的慣習だからだめ」というのはトートロジーになってしまう。

個人的に今思っていること。ある種の認識の対立軸があって、「グローバル化に対応してお金をもうけましょう」と「日本のアイデンティティを再評価しようよ」という二項対立がある。これも日本の空間の特徴で、すぐ党派で対立し、お互いに悪口をいう。相手が勢力強いから載らないとか党派的になってしまう。

本当は、両方やらなければいけない。自治体レベルでも、善意に基づいた市民活動みたいなビジョンと、新しい「経営」という理念の調和を、規制緩和がいいとか悪いとかではなくプレゼンしてほしい。

●西田:いい・悪いじゃなく、方法にすぎない。組み合わせをアイデンティティと切り離して使っていくしかない。イギリスの「第三の道」では、企業家・市場と善意をくっつけていく。ああいう路線をとらざるを得なかった部分もあるが、そういう路線もある。

●西田:そろそろ1時間。

■高原:建設的な提言がないですね。

●西田:日本的だと思われてきた「善意」と、民営化しながらやっていくという流れ。「新しい公共」を考えるなら、日本的な慣習のいいところと悪いところを押さえながら、考えていく必要がある。

■高原:みんな同じことで悩んでいる、日本だけじゃなくて。短絡的な人たちが韓国・中国とかにもいて、「近代を越えた」とか平気でいう人たちがいるが、国ごとの文脈というのがあるというのは事実。どこでも起きている課題、どう折り合いつけるか。どこも、日本も含めて、暗中模索。

●西田:現代的な課題がでてくるとしても、まねしあったとしてもだめ。

■高原:参加意識の調達についても、同じ方法ではできない。細かい制度的な部分も違う。ローカリティというものがある。

●西田:それぞれの文脈がある、社会的な問題がある、解決策はコピペできない。企業化でやっていくとしても、どう実装するかは日本で考えねばならない。

「クリエイティブ・シティ」という構想があって、アーティストを町に集めて活性化しようというもの。

■高原:それ聞いただけでだめですよね

●西田:日本と、クリエイティブ・シティ概念の生まれたイギリスでは、芸術に関する認知がまったく違う。横浜のY100とか、ぜんぜん人が入らなかった。概念が悪いとかいうことではないが、コピペでは新しい担い手が成果を上げることはできないのではないか。

今日の話は「日本的な新しい公共のあり方とは?」ということだったが、政策のあり方に収斂してきた。

質疑応答1

◎質問者:新しい公共がキーワードだったが、古い公共とは?

●西田:公共とは何かを考えるだけで本が一冊書ける。ここからスタートするのは難しい。三つの機能不全があるので、個々のイシューを解決しないといけない、という観点で語りたい。「公共とは何か」についてはスルーしたい。

■高原:ちょっと日本的文脈では使いにくい。マジックワード的。

●西田:新しい公共が政治への市民参加的な文脈で述べられている。僕でさえもっと広い文脈で考えていく必要がある?

質疑応答2

◎質問者:村落共同体的コミュニティを会社が代替してきたといわれるが、そのスパンはものすごく短い。70~80年代の15年くらいしかないが、それがなぜアーキタイプとして認識されるのか。田中秀臣さんがいうように、戦前のビジネスマン的な人たち、戦後すぐの勤め人と、現在懐かしまれていわれるサラリーマンはぜんぜん違う。せいぜい一世代の享受したものがなぜ広まったのか。

■高原:なんででしょうね? あの世代は人口が多かったとか、……それだけじゃないよね。

●西田:右肩上がりでなにやってもよかったから?

■高原:そんなことはない(笑)。個々の事業体とか、日本的な会社が残った……。それは完全に悪いことじゃない。いいところもあった。「全員正社員にして3年契約」とかは明らかにだめである。しかし、一定の人しか対象にしていない。使いつぶそうという発想がある。じゃあどうしようかというと、ちょっとわからない。

質疑応答3

◎質問者(※質問ではなく意見):老人ホームでケアワーカーしています。社会的弱者の立場。採算によらないという話がありましたが、日本は本当に先進国なのか? みなさんの意志がここ(福祉への予算)にあらわれていると考えているが、それが社会的合意にならない。マスコミも取り上げない。そこには当事者というキーワードがあって、当事者社会的発言ができる人がいない。老人は自ら語れないし、ケアワーカーも休みになると疲れて発言どころではない。そういう現状があることを知っておいてほしい。

質疑応答4

◎質問者:現在のところ「社会的意義があるから社会起業家になる」という人はいるが、将来的に「儲かるから社会起業家になる」という人はでてくるだろうか。それはいつ、どういう条件で?

●西田:いいか悪いかはペンディングしておくとして、「儲かるから社会領域に進出する」でいいと思う。今は、進出するだけでイノベーティブ。まずは増えるだけで一応いいんじゃないかと思っている。ある種の事業領域として進出する人に寛容になってもいいのではないか。その分野に参加する事業者が増えればと思う。

その時期はいつになるかといえば難しいが、前政権の時期よりはよくなっているのではないかと思う。

社会的な領域を事業にしていくということでは、マイクロソフトのビルゲイツとバフェットが創造的資本主義。「新しい公共」がくるかも。僕は伝えていく分野で関わっていきたい。

■高原:韓国は企業の寄付が多い。財団が巨額の寄付をしている。

●西田:日本に寄付文化がないというが、ルーム・トゥ・リード(本を寄贈する運動)のファンンドレイズで日本が一番集めたという。ジョン・ウッドの本『マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった』にも書いてある。やり方次第ではないか。

質疑応答5

◎質問者:社会学でも何でも、問題解決しなければ、お金にならなければ仕方ないという風潮がある。問題解決だけのために学んでいると無駄がないが、無駄ができてこそ、新しい解決方法もでるのではないかとも考えている。

■高原:西田disですね(笑)

◎質問者:高原さんが問題を起こし、西田さんが解決される立場かと思うが、お互いどう思っているのか?

■高原:それ、二人で喫茶店にいるときよくやっている。

●西田:家が近いので、二人でよくディスカッションしている。

学問的潮流にも二つある。プロフェッショナルとアカデミックスクール。たとえば工学部と理学部。社会科学では、主流はアカデミックスクール。そういうスタンスの違いはある。法学部がアカデミック、ロースクールがプロフェッショナル。

全員が同じである必要はないと思っている。「みんなちがっていい」――ちょっと気持ち悪い言い方すると(笑)

■高原:危機感はよくわかる。大学の資金を獲得しなければならない。具体的に何かしなければならないという圧力が高まっているというのもよく聞く。われわれすべての人にとってろくなことがない。

●西田:それ言わなくてもいい、言ってもしょうがない(笑)

■高原:続きがあって、だからすきなことをやればいい。

●西田:ちょっと語弊がありますね。二人でよく交わされている話ですが。ろくなことがないといっても仕方がない。大学全部がそうなってもいいとは思っていない。学問というのは多産多死みたいなところがあって、もとからある発見にちいさな積み重ねをしていく。だから、ふつうとは違う人が多ければいいのだが、経済合理性で大学の価値をはかるのはどうかと思っている。

■高原:よくわからないことをする人のプールが少なくなっているのは危険なこと。おれがいってもどうしようもないことだけど。それをふまえて身のふるまいを考えた方がいいのかな。

質疑応答6

◎質問者:今年から国家公務員です。個々のイシューを社会起業家が解決するのは必要だが、国も必要ではないか。といっても、韓国がハブ化してうまくいってるからといってまねてもだめ。ビジョンの正当性をどう担保するかなどについて訊きたい。

●西田:僕は社会起業家の人たちをプッシュしたりしているが、それだけしか方法がないかというと、よくわからんというところ。まずは、発掘をできる環境を作ることだ。権限委譲、きざしがあったらエンパワーメントするのがよい。しかし、政府には無謬性などがあってなかなかそうはいかない。

政治から変えていくというのは一つある。協働の推進がいいのではないかと思っている。担い手、アクターを広げながら、弱みを補完していくことができるのではないか。

■高原:これまでのビジョンの大部分はうまくいっていなかった。典型的には地方、権益を主張する人たちがいる。民主主義だからいいんだけど、そういうところで進まない。

一方、上から言うということなら、中国共産党みたいになる。それはよくないことになる。ではどうすればいいのか……。

質疑応答7

◎質問者:大学生、メディア論に興味。自分たちの世代は、共通前提がないながらも、ケータイとかのネットワークで強度な同質化の圧力にさらされる。これが今後のコミュニティに与える影響は?

●西田:いい悪いはあまり考える必要がなく、それぞれの特性に従った伝達のしかたがある。新しいものを作ることもできるし、既存のものを強めることもできる。自分は前者が生産的だと思っている。それがドットレビューなど。

■高原:あんまり気にしないほうがいいんじゃない? リア充ですよ、リア充。

●西田:それリア充ですか(笑)

感想:渋沢栄一の話

タイトルでは「国家とコミュニティ」ということであったが、実際には「新しい公共の担い手は誰なのか」という話であった。

ところで、質疑応答4にて、日本は寄付文化が弱いという話があった。これについて、終了後に西田さんに直接話しもしたのだが、日本では岩崎弥太郎(三菱)と大げんかをした渋沢栄一がいる。

渋沢栄一は私が大好きな人物であるが、彼は日本近代資本主義の父とも呼ばれる大起業家として数多くの企業設立に関わる一方(第一国立銀行、東京証券取引所、東京ガス、王子製紙、帝国ホテル、麒麟麦酒、サッポロビール等々)、社会福祉活動にも積極的に関わっていった。東京都立養育院(浮浪者収用)の初代院長、滝乃川学園(知的障害者教育)初代理事長をつとめ、東京慈恵会・日本赤十字社・癩予防協会の設立などにも関わっている。

渋沢は「道徳経済合一説」(論語と算盤)を唱え、利益を社会に還元することを強く主張し、またそれを実践していた。日本における「社会起業家」の第一号とも呼べる人物であり、今、その思想を再評価すべき時期ではないかと思う。

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2010年4月12日13:47| 記事内容分類:政治学, 社会学| by 松永英明
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このページは、松永英明が2010年4月12日 13:47に書いたブログ記事です。
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