GIGAZINEの人材募集で考える「働く側の意識」と「求められる人材」のズレ

オンラインニュースサイト「GIGAZINE(ギガジン)」で、【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します - GIGAZINEという記事が掲載された。これはいろいろと議論を呼びそうなエントリーではある。

読みようによっては、GIGAZINEは「GIGAZINEのためにプライベートもすべて投げ出すような人材でないと雇えない」と言っているようにも思えるし、それは「やりがいの搾取」的なとんでもない会社であるようにも見える。しかし、編集長が訴えているのはそうではないように思える。

決して変なことを言っているわけではない。しかし、この書きぶりはまずいと思うので、その点を以下指摘してみる。

2010年8月 2日12:47| 記事内容分類:社会学| by 松永英明
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GIGAZINEの求人募集は、おかしなことを言ってるわけではない

まずは「【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します - GIGAZINE」を読んでいただくとして。

「払われた金の分だけしか働かない、働きたくない、記事を書くのは面倒くさい、そもそもできれば書きたくない」という風潮が編集部内に蔓延し、そのことを明言する者さえ現れました。

GIGAZINE編集長はこのように書いている。確かに、書くのが仕事のはずのGIGAZINE編集部で、そういう人はさっさとやめた方がいいと思う。

とりあえず一方の言い分を読んだ範囲での判断にしかならないが、GIGAZINE編集長の求めていることは本来、何もプライベートのすべてを差し出せ、社畜になれ、全人生をGIGAZINEに捧げよ、ということではないと思う。

人間は学習することによって変わりますし、成長しますが、仕事の時間だけしか成長しない人間と、仕事以外の時間も積極的に自助努力と勉強を行う人間とでは成長速度はまったく違ってきます。すると今度はどうなったかというと、「自宅でも勉強する分はGIGAZINEの仕事のために勉強するのだから、労働時間、いわば残業+休日出勤のようなものだ。プライベートの時間に勉強しろというのはプライベートの時間に働けというのと同じだ。だからその分の金を払ってくれるなら勉強してやっても良い」というようなことになってしまったのです。

GIGAZINEには何か特殊な技能が必要で、それは他では使えないというのなら話は別だが、おそらくウェブ技術だとか取材力だとか、あるいは関連情報へのアンテナを張っておけというような話なんだと推測する。それは自己投資として、あるいは自分に与えられた仕事を果たすために必要な努力の範囲だろう。それも「2年以内に会議が英語でできない役員はクビ」みたいな強圧的かつ期限を区切られたものでもないようだ。

プライベートもすべて仕事のために奉仕せよ、人生のすべてをGIGAZINEに捧げよ、というのでは、さすがに現代人はついて来れないだろう。わたし自身がそういう「会社への忠誠」を持てない人間なので、正社員への誘いは常にあるのだが断わっている(し、相手もそれを理解してくれているので一緒に働いている)。

それでも、どんな仕事であれ、わたしは「単に時間を拘束された分の代金をもらう」のではなく、お金をもらえるに値する「内容」の仕事をすべきだと思うから、技術を磨いたり、必要な知識を学んだり、この年になってもプログラミングの本を読んだりしている。常に関連情報は手に入れようとする。できるかどうかは別だが、それは自分自身のためでもあるし、「仕事への誇り」を持てるようにするためでもある。

そのための教材とか必要な資材に会社から投資してもらえるならそれに越したことはないが、なければやらない、というのは、単に自分を損なうことだと思う。一時期はやった言葉でいえば「自分への投資」である。

編集長の書き方はよろしくない

一方で、GIGAZINE編集長の書き方はよろしくないと思う。わたしも最初に一読したとき、これは「GIGAZINEは『やりがいの搾取』を宣言しているんじゃないか」と思った。特に、この一文だけを抜き出すと、まさに搾取経営者にしか見えない。

バイトやパートの延長線上の時給ベースの時間の切り売りで考えていてはだめですし、自分のプライベートの趣味のためのお金が必要だから、遊ぶ金が欲しいから、ただそのためだけに働くというような人だらけでは、お互いに不幸になるだけだからです。

こう書いてしまっては、ついてくる人もついてこれないだろう(もちろん、その前後の文脈も加えれば、決して搾取したいというわけではないことはわかるが)。働いた分を趣味や遊びにつぎ込んでも、そのこと自体は悪いとは思わない。いや、むしろ好きなことに使うべきだ。

実はわたしはある職場で3月まで時給制で週3日働いていた。そこは仕事内容としてもやりがいのあるところだったが、リーマンショック以後の不況で収益が下がり、給料体系にも大きな変化が生じた。それまでは普通にシフトが組まれ、そのシフトに合わせて働いていれば給料がもらえた。もちろん、技術的なものは常に一定レベルをキープすることが求められ、そのためには時間外の努力やある程度の出費も当然必要だったが、それは働く人間として当たり前のレベルだと思う(もう少し支給されるものがあってもよいとは思ったが……)。

しかし、それが急転直下、シフトの時間が短縮されるようになった。それだけならわたしの場合は他の仕事をやるだけのことだし、原稿書きの時間が増えるだけなのでよかったのだが、中にはこの仕事だけをやっていたのにいきなりシフト時間が半減させられたという人もいて、さすがにこれはひどいと思った。

さらに決定的だったのは「終了時間が見えない」制度に変わったことだった。つまり、シフトが決まると労働時間が決まる。つまり、その日の給料が決まる。ところが、その給料分を稼ぐために必要なのはどれだけのノルマというのが課せられて、その目標額を達成するまで帰らせない、あるいは早めに出て目標分を稼げ、収益を上げられなかった時間帯は休憩扱い、というありえないシステムになったのである。もちろん、収益にならない時間帯もぼんやりしているわけではないのだが、「働いていない」扱いをされるというのはさすがにがっくりきた。

もともと本業の方が忙しくなってきたので3月いっぱいでやめるつもりではあったが、「今は会社が厳しいので、プライベートのことなどを言わずに会社のために働いてほしい。いや、プライベートのことを考えるのは給料泥棒だ」と明言された段階で、「さっさとやめると言っておいてよかった」と思ってしまった。それまでは「空いた時間でも働けますよ」だったのに、長年働いてきた人からの質問に対して「子育てがどうこうとかで時間の融通がつけられないような《熱意のない人》は、うちで働いてもらわなくても結構」と社長が断言したのを聞いて、完全に働く気をなくした。

「労働時間だけをその会社のために提供しているのであり、その労働時間拘束への対価を払え、それ以外の労働を自分は売っていない」という考え方は、あまりにも割り切りすぎだし、逆に言えばそれは単純労働としてしか自分は使われたくないという意思表明にもなってしまう。しかし、ここまで拘束されると話は別である。せめて出勤時間中の時給は下がるがきちんと支払われ、あとは実績に応じて、であればよかったのだが……。

これは極端な例かもしれないが、こういうことを体験した「働き手」としては、GIGAZINE編集長が「プライベートをつぶせ」と言っているように感じる文章について、真っ先に反発を感じたのも事実である。

わたしの場合は、「仕事も生き生き、プライベートも生き生き」を社是としている会社だったので、よけいにがっかりしたのも事実。もちろん、拘束時間以外にも仕事にとって有益な過ごし方をするというのは社会人として当然のことだと思うし、この言葉にはそういう意味も含まれていると理解している。GIGAZINEで批判された一部の働き手は、そもそも「仕事を生き生き」させるための努力をしていなかったように読めるのだが、それがプライベートを奪うかのように感じさせる表現は(それくらい最初に言っておかないと勘違いした人がやってくるという懸念を差し引いても)よろしくなかったと思うのである。

GIGAZINEはどう募集すべきだったか

ではGIGAZINEはどう求人すべきだっただろうか。

まず、社内のネガティブな人材を求人の場で否定すべきではなかった。それはすでに働いている人たちとの話である。だからあくまでも一般論として書いて「ああ、そういう人もいたのか」ぐらいに憶測させる程度で済ませるべきだっただろう。

私がかなり高慢な上から目線の理由を並べ立てており、通常の一般社会における時給ベースの労働価値観と真逆のことを言っているということは重々承知していますが、GIGAZINEで働くという事は、普通の雇用主と労働者の関係とはまったく違うのです。「ニュースサイトで記事を書くというのは、普通の労働とは絶対に違うのだ!」ということを事前にちゃんと理解していただきたいのです。

と書いてしまうと、これはもう労働基準法とかよりも会社のために!みたいになってしまうので、得策ではないと思う。

特に「普通の雇用主と労働者の関係とはまったく違う」などというのはまずい。それは「言われたことをこなす《会社の部品》としての働き手を求めているわけではない」と表現するべきだったのではないか。自分がGIGAZINEを作っている、一緒に作る仲間を募集している、そのためには多少大変なこともあるし、多少はプライベートに食い込む部分もあるかもしれないが、そこにやりがいを見いだせる人、仕事のための向上を通じて自分自身の向上を常に追い求める意識のある人を求める、というような言い方をすべきだった。

プライベートをすべて捨てる覚悟となれば、軍隊か何かになってしまう。もちろん、少数精鋭の会社というのはそういう側面もあるだろうが、単なる兵隊は求めていない、という趣旨での募集をかける必要があっただろう。

つまり、プライベートでどう過ごそうが、仕事の時間が終わった瞬間に帰ろうが、本来はどうでもいいのである――仕事において十分な能力と実績を出しているのであれば。「他の人の仕事が残っているのに手伝わない」ような人が増えて「時間外でも仕事を手伝う」ような人を求める気持ちはわかるが、それで残業を当然というような書き方ではなく、「帰りたいときには他の人の仕事も時間内に収まるように考えて動ける人(つまり編集部全体を考えて動ける人)」を募集すべきなのだと思う(GIGAZINE編集長の求める人材は、本当はそういうことだと思う)。

「ただ時間に会社にいることで給料をもらう」ことを希望する人は、こういうクリエイティブな仕事には向いていないので、単純作業につくべきだろう。求めているのはそういう単純な労働力じゃない、今はできないこと、苦手なジャンルがあったとしても、常に努力してできることを増やし続ける人(あるいはできないとしても努力する姿勢のある人)がほしい、というのが編集長の言いたいことだと思う。そこはわたしも理解できる。だからこそ、この書き方はまずいと思うのである。

GIGAZINEは理念を示して「同志」を募集すべきだ

編集長がかなり怒り心頭に発しているというのはわかる。わかるだけに、真意を伝える求人であってほしいという気がしたので、お節介にもこのようなエントリーを書いた。少なくとも、編集長がこの仕事そのものに誇りを持ち、この仕事自体に生き甲斐を感じ、この仕事を成長させたいというところには共感する。ホリエモンのように、仕事は単に金を集めるための手段であって、飽きたらほかのことをやればいい、というような態度とはまったく違うので、その点には非常に好意を持っている。

そこで大事になるのは、GIGAZINEはどういうメディアでありたいのかという「理念」を示すことである。大風呂敷でもかまわない、夢物語でもかまわない。何を目指しているのか、他のニュースサイトと何が違うのか、どういうレベルを目指しているのか、記事の質とは何か、どういう観点・どういう価値観を重視しているのか、何を伝えたいのか……それを実現するのに一緒にやっていく「同志」が必要だ、という流れで人材を集めるべきだと思う。

うちで書いてみませんか、給料はこうこう、では、GIGAZINE編集長が嘆くような人材しか集まらなくて当然である。多くの人はお金を稼ぐために時間を切り売りするのである。普通に人材を求めれば、やる気(実際には「雇われる気」)だけはアピールしても、自分がGIGAZINE(の一部)を作っていくというような気概のある野心的な人物はやってこないだろう。そういうメディアを一緒に作りたいです、ぜひ一緒にやらせてください、という人を集めるには、まずはメディアの理念を提示することである。それに魅力があれば、報酬よりも「GIGAZINEで書くこと」に価値を見いだす人たちが寄ってくるはずである。

(プロジェクト.reviewはその意味で非常によい例だと思う。チーム.review(中の人たち)にしろ、論考提出者にしろ、報酬を求めるのではなく、まずは書きたい、あるいは場を作りたいということで労力を惜しみなく提供している。一方で主催の西田さんも、報酬が出せるようなマネタイズを常に考えており、十全な報酬がバックできていないことは懸念材料としているが、それでも「出せるようになったらでいいですよ」という人たちを集めることに成功している。)

もう一つ考え方がある。記事の量は減らして、編集長と完全に気の合う数人のスタッフで回せる範囲に限定するが質の向上を図ることである。量と質は、反比例とまではいわないが、思い切って方向を転換するのもありだろう。少なくともわたし個人としては、GIGAZINEの取材記事は楽しみにしていて、ネットの「意見」を切り貼りして報じたつもりになっているだけの一部ニュースサイトなどとは一線を画するいい記事が読めると思っている。

あと、編集長はあくまでも編集に専念し、「経営」はそれが得意な人に任せるというのも手だろう。主筆も経営も、では手が回らないことが多いと思われる。それに、「書く人」は概して金を稼ぐのが下手なものだ(例外は菊池寛とか少数だと思う)。

おそらく、この求人募集に対しては、「社畜募集なのか」というような反応も寄せられると思うのだが、そうではないだろうと考えて以上意見を述べてみた。

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2010年8月 2日12:47| 記事内容分類:社会学| by 松永英明
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コメント(10)

利害の一致度が高い人だけ欲しいということでしょう

編集長なら現場のトップとして自分達の仕事が製品を作り上げて初めて仕事をしたと言える、請負的な要素を持っているんだよと説明できて、かつ、管理職として現場のスタッフがなるべく残業なく仕事をこなせるようにシステムを作らなきゃならないんだと思うんです。

そういう意味では編集長はプロの現場スタッフではあっても、編集長としての仕事は部下に求めるほどのレベルではこなせていなかった気がします。
つまり、現場のスタッフがプロの域に達していないのと同様に、編集長もその域にいないという意味ではどっちもどっちであって、どちらが悪いというよりも双方が成長不足だったのだろうなぁと想像する次第です。

編集長の言葉の乱暴さはともかく、意図は誰でも読み取れる文章です。本気で社畜発言と批判する人物の分布は若年層が極端に高いのではないでしょうか。二十歳にもなれば、特にベンチャーは一社員にも経営者の感覚を少なからず求めることくらいわかるはずです。
編集長自身は「業務命令すら出せない」と認めています。だからこそ同じ意識レベルで働ける(同志)を求めているのでしょう。
ベンチャーであるにもかかわらず、自信に指導力も採用能力もないことに気づき、さらにそれを告白する心境を察すれば、同情こそしますが、批判するほど日本人は冷酷でないと思います。

松永さんの読解は非常に説得力がありますね。
感情の赴くままに近い状態で書いてしまうほど編集長も追い込まれていたとも言えるのでしょうが、確かに募集の伝達手段としては上手くない。
きっと現場では既にコミュニケーション障害が起きていてここまで深く考えを伝えられず、だからこそ仕事としている文章で表現しようとなさったと思いますが、やはりベンチャーだからこそビジョンが必要だと思います。

正直に言って仮にも文章を書く事を生業にしている人が書いた代物にしては酷いな、とは思いました。
余裕がなかったのはわかりますが、ニュースだのなんだのを手がけるなら、極力誤解を生まない文章を考えるべきではなかったなのか、と。曲がりなりにもプロなら尚更。

雇う側雇われる側、一番上と一番下、結局は一方から見た視点前提の言い分。
その一方からしてみれば正しくても反対側から見たら必ずしもそうとは言えず。
それを理解しているか否かが問題なわけだと思うけど、多分無理だろうね。

真実かどうかはさておき、どうやら休日というものが存在せず
何をしても何を食っても、いつ何時であろうとそれを記事にしろ。というスタンスだそうですよ。
クリエイティブな現場では無意識下において、確かに何かを吸収してもそれを発信するものに反映するような事は普通にあります。
しかしながら、それは「強制」されてするものではなく「強制」した時点で「業務」となるものであり
「残業」あるいは「休日出勤・労働」と何ら変わらなくなります。
これを「社員」に言葉に出して求める時点で、経営者失格と言わざるを得ません。(社員側も微妙なのは言うまでもなく。)

常に業務の事を考えておけと言われるのは一般社員には厳しいと思いますよ。
正に経営者視点(自分が会社を動かすという意思)が無ければあり得ないし
経営に参画させていない方にそれを求めると労働基準法にも抵触してしまいます。
(休日・休憩時間は「業務に関わる事をさせてはならない」からです。)
そもそも「雇用主」と「被雇用者」は全く違うという一点を忘れてはなりません。
彼が言ってる言葉は「経営者(雇用主)」には当たり前ですが、一般には当たり前ではありません。

松永様におかれましても、あまり想像だけで擁護はなさらない方が良いかと存じます。今回の問題は余計な火の粉を被りかねません。
僭越ながらご忠告まで。

編集長のいいぶんもわかる、なんて書けてしまうあなたも、そうとうのおバカさんですね。
夜昼なく会社のために働くのは、従業員ではなく、管理職(つまりは経営人)です。そして、管理職につくものならば、相応の権限を持つはずで、たとえば、出退勤時間の裁量などがあります。
編集長が言っているのは、何の事でもない、偽装管理職をやらないのはけしからん、という事であって、何ら志や理想や理念があってのものではありません。
もし、彼のいうような人材が欲しいのならば、幹部候補の正社員として雇用すべきで、また幹部候補ならば相応の教育や報酬を会社が負担するものです。
育成もできなければ獲得のための移籍金も用意できない球団が、闇雲に選手をかき集めようとしているわけで、私の目には滑稽に映ります。こんな監督やオーナーのチームに、将来を賭ける選手がどれだけいるんでしょうか。

「編集長のいいぶんもわかる」という言葉は全然見当たりませんね。
「相当のおバカさんですね」さんは相当目が悪いようですね。

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このページは、松永英明が2010年8月 2日 12:47に書いたブログ記事です。
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