長文を自動要約してみる

しばさんが「「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」」という記事があると教えてくれた。

長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。

とあるので、今後、チェーンメール化する可能性がある。しばさんは「チェーンメールはいかなる場合も不可」派と「場合によってはOK」派の論争が起こるのではないかと考えているようだ。

で、私は何を思ったかというと「今はこんな長文を読むヒマがないので、要約はないかな」ということだ。で、Microsoft Wordの機能に「要約の作成」があるのを思い出した。そこでいくつかの要約を作ってみた。なお、ちゃんとした全文は引用もとでちゃんと読んでください。また、私はここで書かれている内容に対する評価は一切行なっていません。単に「要約機能ってどの程度効くの?」というだけの話です。

2004年4月20日11:41| 記事内容分類:執筆・書き方・文章| by 松永英明
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ちなみにWordさんの情報によると、元の文(日本語訳)は5047語・391文とのこと。まずは最小の「10文(63語・1%)」で挑戦。

私は彼女を抱きかかえていた。私だって、それは分かっている。できるだけ大声で、私は叫んだ。それから、再び私が。 医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 私は歌い出した。私は歌い続けていた。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。アメリカ人ジャーナリスト?私も今となってはわかる。

全然わかりません。少し長め「100語以下(87語・12文・1%)」ではどうか。

私は彼女を抱きかかえていた。私だって、それは分かっている。できるだけ大声で、私は叫んだ。それから、再び私が。 医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私は歌い出した。私は歌い続けていた。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。アメリカ人ジャーナリスト?病人と怪我人、老人たち……イラク人。私も今となってはわかる。

外国人だとわかるように歌ったようです。もう少し長めに「20文(163語・3%)」にしてみる。

私の決断を狂気と言うのも結構。私は彼女を抱きかかえていた。私だって、それは分かっている。私は彼の名前を知らない。できるだけ大声で、私は叫んだ。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。それから、再び私が。私は足をレナーンド・デーブに任せた。 医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。私は歌い出した。私は歌い続けていた。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。アメリカ人ジャーナリスト?バスに乗っていた人たちが、窓から「アナ・ミン・ファルージャ」私はファルージャから来た、と叫び返した。病人と怪我人、老人たち……イラク人。 「アル-メラーチ・ウィヤナ」と私は彼に言った。私も今となってはわかる。

叫んだり歌ったりした以外はやっぱりよくわかりません。困る。仕方がないので「500語以下(488語・47文・9%)」まで拡張。

ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります。私の決断を狂気と言うのも結構。私は彼女を抱きかかえていた。それから、コンサルタント兼診療所の所長代理マキが私をベッドのところに連れていった。一緒にファルージャから逃れようとしたところを。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。彼女の話も、同じである:「私が米軍の狙撃兵に撃たれたのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海兵隊に制圧されている。ファルージャに行くのは、完全に正気の沙汰じゃない、と多くの人たちが言った。私だって、それは分かっている。私は彼の名前を知らない。狙撃兵の姿も目に入った。できるだけ大声で、私は叫んだ。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。それから、再び私が。私は足をレナーンド・デーブに任せた。私たちは救急車に人々を詰め込んだ。 医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。私は歌い出した。私は歌い続けていた。 診療所に戻ると、人々が担架に駆けつけたが、私は頭を振った。私は彼女の期待に背いてしまった。それがクラスター爆弾だと、私は思った。別の一人が、私に、国際法について知っているかどうか尋ねてきた。 私は菜穂子[高遠氏]のことを話題に出した。この人たちは、ファルージャでの戦闘に忙しいのだから。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。 デーブとラナと私は、今度はピックアップで再び出発した。運ぶのが簡単だったら、運ぶだろう。救急車は停止した。ラナが前の座席の怪我人の横に滑り込み、デーブと私は後部の遺体の横に乗った。今になって、私は子供の頃アレルギーだったらと思いながら、顔を窓の外に出していた。バグダッドに連れていく怪我人を乗せて。デーブと私も躊躇しなかった:私たちも残る。私はこのことを強く考えていた。アメリカ人ジャーナリスト?バスに乗っていた人たちが、窓から「アナ・ミン・ファルージャ」私はファルージャから来た、と叫び返した。病人と怪我人、老人たち……イラク人。米軍兵士たちは西洋人を見て満足する。兵士たちは男とバスのチェックをしたが、女性兵士がいなかったので女性はチェックされなかった。 「アル-メラーチ・ウィヤナ」と私は彼に言った。彼女は私に手を回し、友達になってと言った。私も今となってはわかる。救急車に乗っているにもかかわらず、追跡弾が頭をかすめるのがどのようなことかも、私は知っている。

おお、3人の人質の一人、高遠菜穂子さんの名前が出てきた。ふむ、ファルージャの戦場の様子を実体験したのですな。あと、何がわかったのかもわかってきました。

というわけで興味のある人は「「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」」へ、ない人はここで読み終わってください。

結論:論文や報告書ではなくエッセイを要約するのは無茶だ。

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