ホテルで飛び降り自殺未遂、地上には望遠鏡の行商人【桂林】

 21日夜、中国・桂林のホテルの11階から飛び降り自殺をしようとした女性がいた。それ自体はさほど珍しいことではないが、今、中国ではこの事件が物議をかもしている。というのも、地上から望遠鏡で眺める男性の写真が載り、また現場では望遠鏡を売り込む行商人がいたという事実が報道されたため、あまりにもひどいという話になってきているようなのだ。

 ちなみに、この女性は無事救出された。

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ある男性が望遠鏡で熱心に見ている。

2005年5月23日23:02| 記事内容分類:中国時事ネタ| by 松永英明
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一女性が飛び降り自殺をしようとする 現場では望遠鏡を売る人も

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人民警察と女性が窓越しに対話

 21日夜、一人の中年女性が桂林市香江飯店11階の客室の窓の外に立って飛び降り自殺をしようとし、110人民警察と119消防官兵が二時間対峙した後に、その危険の縁から救い出した。

 多くの野次馬が建物の下の広場で賑わった。望遠鏡を使って眺める物好きがいただけではなく、現場では行商人が望遠鏡を販売していた。

 南国早報の報道によると、この女性は窓の外に立ってからすでに半時間になっていた、とこのホテルの従業員が語ったという。11階の部屋に通じる廊下上では、数人の人民警察官がすでに現場に到着していた。警察官は窓ガラス越しにこの女性と対話を試みたが、女性はひたすら携帯電話を耳に当て、ひたすらだれかと電話していた。もう一方の手では紙ナプキンで涙をぬぐっていた。

 この女性はおよそ30歳すぎで、半袖で短髪、脚は赤く、かすかに身震いしていた。足の下には足の裏一つ分の幅しかなく、体が少し傾きさえすれば建物の下に落下してしまう。現場の人民警察によれば、この女性は資源県の人で、このホテルの1105号室にとどまっていた。調べによれば、これは李という姓の男性が借りていた部屋だった。ホテルの人員によれば、客室のガラスの窓は閉じられていたが、この女性はドライバーでガラスをこじ開けたという。

 調べによると、この女性は以前から何度も香港飯店・楽都飯店などで飛び降り自殺をしようとしたが、警察はすべて救出に成功してきた。

 その後、119消防官兵がかけつけ、消防車の警報の音でさらに多くの野次馬が集まってきた。驚く者もいれば見上げて笑っている者もあり、この女性の一挙一動が注目を集めていた。なかには無責任にも「あの人は飛び降りる勇気はないよ」などという者もおり、あるカップルは望遠鏡を取り出して熱心に観察していた。さらに信じられないことに、ある中年女性がいくつもの望遠鏡を手に提げて、野次馬に対して売り込みを始めた。

 夜8時25分、窓際に立っていた女性が動き始めた。人々は驚きの声を上げたが、かすかに窓の中の人と女性が話し始めているのが見えた。8時32分、突然窓の中から手が伸びてきて、必死に女性を支えた。女性は外へ向かって必死にもがき、片足は空中に飛び出して、建物の下では驚きの声が上がった。さらにもう一人の人民警察が急いで手を伸ばして助け、数十秒後、その女性は窓の中に引っ張り込まれて、救助活動は成功裏に終わった。

(※冒頭写真も同記事より)

一女性が飛び降り自殺をしようとする 行商人が現場で望遠鏡を販売

一女性の飛び降り自殺が行商人のビジネスチャンスになった

 もし傍観者が望遠鏡を使うのが冷淡だというのであれば、行商人がこのビジネスチャンスを捉えて望遠鏡を販売したことは冷淡の最高峰といえる。

 実のところ、わたしに言わせれば、これは冷淡というだけではなくて、卑劣だ。この小さな出来事からわかるのは、一部の経営者は金儲けのためなら何でもやるということだ。金が儲かるのが間違いないとしても、このような手段を使って金儲けをするのは、徳に欠けることであると思われる。

殷建光

生命の終わりを鑑賞する価値はいかほどか

 生命が失われる悲しみと、広場の熱烈な賑わいの雰囲気はまるで調和が取れていない。あまりにも相容れないことだ。野次馬たちの心情がどうしてこのように熱烈になったのか、まるでわからない。彼らは結局、何を見ていたのか? 現実の中で一つの生命がどのように失われるのかをその目で見たいと思っていたのだろうか? 他人の生命は自分と関係がない。多くの人はおそらく冷ややかに避けてしまっただろう。

 大衆の感覚が麻痺することは、無数の似たような報道があって、もはや珍しいものではない。しかし、今回の「望遠鏡」は、まぎれもなく良識あるはずの人々の目と心が傷ついてしまっているということだ。生命が失われるというのに、それを鑑賞する価値がどれだけあるのか、わたしにはまるでわからない。

査一路

“望遠鏡”を通して、憐憫が失われたことを見る

 ビジネスチャンスが不意に現れたとき、自殺する女性を「売り場」としたこの行商人が、結局どれほどの望遠鏡を売り抜いたか、まるでわからない。あるいは、行商人がこれでどれくらい稼いだかもわからない。しかし、確かなことが一つだけある。行商人は「タイミングをつかみ」、何も得ずに帰ったということはありえない、ということだ。現場では、何人かの野次馬が望遠鏡で「動静を観察」していたからだ。

 望遠鏡を通して、わたしたちは憐憫の情という社会心理が失われてしまっていることを見ることができる。一日たりとも集団のなかで生活しないことはないわけだが、我々の社会全体のシステムにおいて人道を大切にし、弱きを助け小さい者をいつくしむという組織性が失われてしまっているのである。憐憫の情を持たない人は、自分をも愛することができないし、他の人を愛するなどまるで理解できない。脳から人間性を投げ捨てた人は、高等動物と呼ばれるに値しない。同様に、一つの社会、一つの民族において、もし憐憫の情を捨て去ってしまうならば、最終的には社会の先進文化の魂を失うことになるだろう。

周明華

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2005年5月23日23:02| 記事内容分類:中国時事ネタ| by 松永英明
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