本当に情報をタイムリーに集めるための5か条

 情報を集めるには、「惜しみなく与え、共有すること」「出すべきでないものは出さないこと」「情報提供者に感謝すること」「適切な評価をすること」「情報そのものには色を付けないこと」が必要だろう。

 「FPN-ニュースコミュニティ- どうやったら情報をタイムリーに集めることができるか」(2006/1/25 藤原真由美さん)という記事で7項目(まとめて4項目)の「情報収集の鉄則」が書かれている。部分的にはその通りだと思うが、部分的には補足した方がいいところもあるし、また欠けている視点もあるように思う。

2006年1月25日23:29| 記事内容分類:メディアリテラシー| by 松永英明
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情報は惜しみなく共有する

 現在、女子十二楽坊資料館というサイトを運営していて、その掲示板は管理人がほとんど何もしなくても参加者の投稿だけで回るようになっている。オフィシャルサイトよりも早くテレビ情報が載ることもあるし、ライブやディナーショーなどに行ったというレポートはすぐに掲載される勢いだ。また、中国のBBSで楽坊メンバーがオンラインしたというような情報はリアルタイムに告知されている。

 これは「情報をタイムリーに集める」ための自動装置が稼働している状態といえるだろう。

 この掲示板も、最初は私が情報を必死で「垂れ流す」ことから始まった。2003年秋、こんなに人気のある女子十二楽坊なのに、なぜかネットに情報がない。そこでいろいろ検索したら、中国語の情報が集まってきた。大学時代に第二外国語でやっていたというレベルの中国語能力でたどたどしく訳してみたら、なかなかおもしろい。

 その情報は自分にとって興味深いのだから、この情報を必要としている人たちはたくさんいるだろう。これをネットに公開したら、参考になったといって喜んでくれる人がいるはずだ。――そう思って作ったのが「女子十二楽坊資料館」だった。

 そのサイトはMovable Typeで組んでいたので、コメント欄がついていた。それを掲示板と勘違いしたファンの人たちがコメントを寄せまくるようになる。当初のもくろみとまるで違っていたので当惑もしたが、管理しやすいように新たに掲示板を設置した。それだけでは勢いが止まらず、ついに今の「あめぞう型」の流れを組む大規模な掲示板を設置するに至ったのである。

情報を「惜しみなく出す」ことをみんなで「共有」する

 藤原さんの記事では「情報を惜しみなく出す」ことが強調されていて、これはまさにそのとおりなのだが、できれば「情報をもっている人たちがみんな惜しみなく出し、情報を与え合う」という「共有」の流れを生み出せればもっと強い。

 それは閉鎖空間ならメーリングリストでもいいだろうし、社内イントラネットブログやグループウェアの会議室でもいいだろう。もちろん、掲示板は最も使いやすいツールだと思う。ただ、どのツールでも、参加者全員が(ROMも含めて)情報を出すことを惜しまないという意識が必要だ。

 藤原さんの7項目でいえば、

4. 自分の好きな相手、感性の似ている人には、安心して情報を流す。誤解なく、過不足なく伝わる相手には、どんどん情報を出す。

5. 生の情報に付加価値をつけて、再発信してくれる相手には、どんどん流す、最初に流す。

6. 価値、趣味、主義などがよく似通っている集団には、すぐに流す。迷いがないので、来たものを、即、渡すことができる。

の3つについては、特定の興味対象の人たちが集まる掲示板で情報を「共有」しようと考えるならば、特に何も考えなくても達成できる項目だろう。女子十二楽坊資料館掲示板はこの条件をすべて備えている。

 そして、このように情報を共有する場所では、情報の拡大再生産が起こる。さらに言えば、このような場所そのものが、情報を集める「力場」となり、情報共有の場所を提供する人は大きな力と信頼・信用を集めることとなるのである。

でも何でもかんでも出せばいいというものではない

 しかし、「情報は惜しみなく流せ」と言うと、中には勘違いする人がいる。

 とある日記・情報サイトの管理人氏の話なのだが、彼はとにかく自分が耳にしたことをすべてダダモレのようにサイトに書きまくる人間だった。オフ会に行って見聞きしたことは、相手が嫌がろうと何だろうと「事実は事実。情報は隠すべきではない」と垂れ流した。彼には「オフレコ」という言葉は存在せず、「守秘」という単語はないも同然だった(あえていえば、彼自身の現住所と電話番号のみが保護されていた)。そして、サイトで情報を流すことを目的として、他人においしそうな話をもちかけたりしていた。

 こんな人に会って話をしてもいいと考える人は、まずいない。実際に、彼に対して情報を与えようという人は一人減り、二人減り、やがて友人さえも離れていく。何らかの意図を持って「彼に話せばこの話を垂れ流してくれる」と思って接触した人も、その接触の経緯まで全部赤裸々に書かれてしまっては、二度と近づこうとしないのは当たり前だ。

 情報提供者が出してほしくない情報、出してはならない情報は出さない。この第二の原則は極めて重要である。「いついつまでは出してはいけない」という情報については絶対に出さない。情報提供者に迷惑がかかるようなことはやらない。これは、情報管理に対する信頼を構築する上で極めて重要なことだ。

 私はライターだが、ゴシップライターではないので、企業の守秘義務を伴う情報なども「言うな」と言われれば絶対に言わない。それによって、現在、相手によっては信頼が確立し、センシティブな情報ももらえるようになってきているという過程にある。

 「きっこの日記」の横山希美子さんも、何でもかんでも垂れ流しているようで、実は巧妙に「出すべきではない情報」を封じている。だからこそ、情報を出すときに価値が出てくるのである。

もらった情報に対する「適切な反応」を返す

 藤原さんの挙げた項目の中で、やや微妙な(条件によって変わる)内容がある。

(1) 批判しない、全部受けとめる

(2) 感謝する、愉しみに読んでいると伝える

 7項目の方だと少々意味が取りづらいところもあるのだが、たとえたまたま「ハズレ」の情報があったからといって文句を言わず、感謝して受け取れ、という話だ。

 もちろん、「情報を与えてくれた」ことそのものに対して、100%の感謝を示すことは必要なことだ。だが、何でもかんでも無差別に受け入れていると、今度はカスのような情報しか集まらない可能性もある。たとえば、「人力検索はてな」でも、高飛車な態度で質問するといい回答が来なかったりするが、放っておくと質問文を読まずにポイントだけ稼ぎに来る人がいる。そこで、「いい情報には高ポイント、悪い情報には低ポイント」というモデレーションを加えることで、集まる情報を選別する必要がある。

 人力検索はてなでは、カス回答にも均等割でポイントを与える人たちが多いので、カス回答者たちも安心してポイント盗みに走れるわけだが、自分が情報を受けるときに適切な評価を示し、そして、その評価の高さ・低さにかかわらず「次も/次は さらにいい情報を期待していますよ」と伝えることで、相手も「情報の質を高めよう」と考えてくれるはずだ。たとえ情報の価値を否定しても、相手の人格を否定しない。これができる人(あるいはそれを理解できる相手)ならば、「何でもかんでもありがとう」より「是々非々だけど、ありがとう」の方がよほど信頼を生み出すはずである。

  • ×「紹介してくれたレストランのメニュー、ハズレだったよ。ひどいよ」
  • ○(藤原さん推奨)「レストランを紹介してくれてありがとうね」
  • ◎(松永推奨)「ごめん、こないだのメニューはたまたまちょっと口に合わなかった。もっと別のおすすめってある?」

情報そのものには色を付けない(あるいは色つきであることを隠さない)

 情報はできるだけ情報単体として流すこと。自分の意見や「意図」と情報は切り離すこと。

 たとえば、どう考えても女子十二楽坊資料館は、女子十二楽坊を「応援」する意図で運営されている。だから、楽坊を絶賛する「情報」(というか私情)をいくら載せたところで、だれも文句を言うはずはない。「きっこの日記」はMAX(特にレイナ)を絶賛するための日記だから、レイナを女神さまのように扱っていても、それはみんな割り引いて考えてくれる。

 しかし、そうでない場合は、あくまでも「手に入れた情報」と「自分の意見」を明確に切り離しておくべきだ。たとえば、社会悪を追及するような情報を流したとして、それが実は「左派市民団体」の活動の一部だと後でわかると気持ち悪い。あるいは、中国共産党を罵倒するような記事が流れて、それが実は法輪功によるプロパガンダで虚飾も含まれていたとわかれば、たとえ共産党嫌いの人でもいい気はしないだろう。

 一番いいのは、情報は情報として、その価値判断は完全に読者にゆだねることだ。「こういう情報があります。真偽や、判断は、皆さまがご自分でお確かめください」と言って終われるのであれば、それが最高であることは言うまでもない。

 しかし、マスコミに頼り切りでリテラシーのない日本人の中には、すぐに「判断しろといわれても、我々はマスコミの報道を信じるしかない」とか言い出す人がいるので(本当に何度もこれは経験した)、だったら自分の意見は自分の意見としてそこに解説をつけてあげるというのが解決方法となる。

 「市民メディア」を標榜するJANJANは、自分から見るとどうも「権力(ブルジョア)に対抗する市民(プロレタリアート)のためのメディア」というような色がついているような気がする。だから、見に行かないし、情報も提供しようという気がしない。なんだか自分の情報が「市民」のために使われるという印象があるからだ。でも、そういうサイトで「告発」することを望んでいる人には非常に有益だろうし、それ自体は否定しない。サイトを見ればそのような「色」がついていることは一目瞭然だから、それはそれでいいと思うのだ。しかし、色がついてくればくるほど、「信者」と「アンチ」が生まれるのもまた必然のなりゆきなのである。

 それでも、色が付いていることを隠していて、あとからばれるよりはずっといい。

情報を手に入れる5か条

  1. 出してもよい情報は出し惜しみせずどんどん流す。共有する。
  2. 出してはいけない情報は決して出さない。
  3. 情報を提供してくれた人には感謝をもって接する。
  4. 提供された情報に対しては適切な評価をする。
  5. 情報そのものには色を付けない。あるいは逆に、色つきであることを隠さない。
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2006年1月25日23:29| 記事内容分類:メディアリテラシー| by 松永英明
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って、会社で考えています。かれこれ5年くらい? システムエンジニアですが、業務命令でもないのに。。。 嗚呼この考えを部内に広めることの難しさったら... 続きを読む

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五箇条の2が゜オレ煽りになってるな。アハハヽ(´△`)ノアハハ。

体重と口の軽さは反比例してて菜。(´ー`)y-~~。

内容には頷いたんですが……
きっこの中の人の名前を私は初めて見たのですけど、出していい情報なんでしょうか。
まずかったらこのコメントごと消して下さい。

きっこのフルネームについては、きっこの日記を最初から通読し、また本人の句集などを見れば、本人の記述からわかるようになっています。詳しくはまた書きますが、そのように「本人が隠すつもりのない情報」=「出してもかまわない情報」であると判断したからこそ出しています。でも、それが彼女の「戸籍名」かどうかは知りません。

なるほど、そういうことでしたか。
回答ありがとうございました。

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