石原"不謹"慎太郎の「津波は天罰」という妄言を批判する

東京都知事・石原慎太郎が「津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と発言した。これはありとあらゆる意味で誤った発言であると思う。

石原都知事が言いたかったことを最大限好意的に推測するとしても、ここで天罰という言葉を使う必要は全くないし、完全に不適切な発言である。この失言一つだけでも辞職してしかるべき大失言だ。そして、このような言葉づかいしかできないというのでは、作家としても都知事としても不適格であるのみならず、人間としても失格である。

今日になって「石原知事は、東日本大震災に関して「天罰だ」との発言内容を撤回、被災者に陳謝」と報じられたが、そもそもこの発言の何がどのように問題だったのか、きちんと整理しておきたい。

2011年3月15日13:24| 記事内容分類:日本時事ネタ| by 松永英明
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石原発言その1

石原都知事と蓮舫・節電啓発担当相との会談後、「震災への日本国民の対応をどう評価するか」という質問に対して、石原都知事が答えた。

石原:アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲。……我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ。

石原発言その2

都庁にて松沢成文・神奈川県知事らと会見した際の質疑応答。

記者A:最後に石原知事にお願いします。今日の蓮舫大臣との会談の後で、日本人の我欲についてお話されて、「津波をうまく利用して我欲をうまく洗い流す必要がある。積年に溜まった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う」とおっしゃいましたけれども、これは、意味がどうあれ、被災された方にとっては非常に不謹慎な発言だと思いますが、撤回されるお考えはありませんでしょうか?

石原:いえいえ、あの時申し上げたでしょうが。「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞えるかもしれませんが」と言ったんじゃないですか。言葉を添えてますよ。

記者A:わかりました。以上です。

石原:正確に人の言うことを聞いて、正確に聞き取って、正確に報道してもらいたい。

記者B:石原知事、ちょっと確認なんですが、先ほどあった天罰という発言は撤回されるんでしょうか。なかったことにするんでしょうか。

石原:いや、そうじゃないですよ。あのね、わたしはね、日本人の我欲がですね、政治を左右してる。たとえばね、減税党なんてのがまかり出てくる。減税って何をするんですか。それ言いだしてる張本人、名古屋ってのは一兆五千億くらいの借財があるんですよ。それがですね、市民税、住民税、こんなの非常にちゃちな税金でね、ある意味でね。例えばその、どれだけの税金が還ってくるかってこと、その、要するに、喜ぶ人たちが知らずにですね、歓迎する。減税って言ったって市民税に限らない。これどんどん演繹していくとですね、これ日本の今の財政状態で、どんな減税ができるんですか。財政もピンチでしょう。ね、あなた初めて見る顔だけどね、日本がもしECに属している国だったら、こんだけ国債の依存度が高くなってきたら、ECから追い出されますよ。入れませんよ。ユーロ使えなくなりますよ。そこまで来ているのにね、減税という耳のさわりの良いそんな言葉でつられてね、国民がですね、歓迎する。わたしは、そういうその心理がね、今の政治を曲げていると思うんだ。これは何も民主党の責任だけじゃないわ。あのね、これはやっぱりね、こういうものを打破しないとね、わたしたちやっぱり、この国、立ち上がってこないと思います。と言うことで申し上げたんです。

記者B:民主党に対する天罰という意味なんでしょうか。

石原:いや、日本に対する天罰ですよ。これだけ……

記者B:洪水が天罰であるというふうにイコールになってしまうと思うんですが。

石原都知事:いや、それは、やっぱりこれをどう受け止めるかっていう受け止め方の問題なんですよ。

記者B:災害に関する受け止め方という感じでしょうか?

石原都知事:大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。それしなかったらね、犠牲者だって浮かばれないと思いますよ。

記者B:ありがとうございます。

※注:石原都知事は「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞えるかもしれませんが」と言ったと言っているが、実際にはそういう言葉は話されていない。

※注:石原発言中ECはEUのことと思われる。

まず石原都知事の言いたいことを最大限に斟酌する

石原慎太郎氏は何を言いたかったのか。私は石原慎太郎の対立候補に票を投じ続けた「アンチ石原」であるが、まずは相手の立場に立って読解してみよう。

一つは、都知事は大震災に触れたものの、本当に言いたかったのはポピュリズム政治や「減税」という言葉に釣られる日本人批判の部分だということが考えられる。つまり「日本人は我欲にまみれているからそれを捨てよう」という主張だったという解釈だ。津波云々の部分は本題とまったく関係がない(下手に関連づけただけ)という解釈である。

しかし、こちらの解釈を行なうならば、石原都知事はポピュリズムや我欲批判をするのに「天罰」というような被災者感情を無視した言葉を発すること自体が不要であったはずだ。被災者感情(あるいは被災地に親族や友人知人がいる人たちの思い、あるいはあの被災の映像を見て一人でも多く助かってほしいという願い)を踏みにじる言葉であることは言うまでもない。村井嘉浩・宮城県知事も「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と発言したと報じられている。

言わなくていい言葉をあえて使って物議を醸すということは石原氏が延々とやってきたことであるが、こういう不用意な言葉づかいをするということは、石原氏に作家としての資質はなく、都知事として首都を率いる資格はなく、さらに言えば人間失格であるということだ。

「津波で我欲を洗い流せ」と言ったら、津波の被災者は洗い流された「我欲」という連想が働いて当然である。そういうことに思いが至らない石原の言葉づかいにはまったく賛同できる余地がない。

ここではとりあえず、減税が我欲なのか、石原はポピュリズムではないのか、というような点については触れない。少なくとも、我欲を批判したかったのなら天罰発言はまったく不要だったということだ。

「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞えるかもしれませんが」と言った、と石原は主張するが、それは嘘だった。ただ、そういう言葉を付け加えればいいのかと言えば、まったくそんなことはない。非常に耳障りに聞こえる言葉をなぜわざわざ言うのか。それは冒涜だし、配慮が足りないし、思いやりがないし、災害を政治に利用しているとしか見えない。

このところ民放のコマーシャルでACのCMが流れ続けている。「心は見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけど、思いやりは見える」――石原慎太郎には心遣いも思いやりもないことがよく見える。そして、それは一国の首都の首長に欠けてはならないものだと強く思う。

しかし、このように考えてみると、なぜ石原がここまで天罰という言葉にこだわるのかが気になる。

石原の天譴論の誤り

そこでもう一つの読解が可能である。石原は本当に天罰だと思っている、と。

石原発言を文字通りに受け取れば、「民主党や減税日本を支持する我欲にまみれた日本人全体への天罰としてこういう災害が起こった」という解釈ができる。つまり、いわゆる「天譴論(てんけんろん)」そのものといえる。

「天譴論」については「よみがえる「天譴論」~石原天罰発言の超克 | Kousyoublog」が非常に参考になるが、「為政者に対する天の譴責(けんせき:叱り責めること)」もしくは「浮かれすぎ,堕落した人々を懲らしめ,あるいは目をさまさせんがために天が地震を起こした」という考え方である。

古い考え方では「為政者が悪政をするから災害が起こる」という考え方、大正の関東大震災の際には「民衆が堕落したから災害が起こった」という考え方が流行したという。つまり、ノアの大洪水のように、大災害が起こったのは堕落した人類を懲らしめるためだという思想である。

石原の場合、民主党ではなく日本人への天罰だと言い切っているので、関東大震災後の民衆堕落批判としての「天譴論」に当てはまるといえよう。

この思想は、自分自身が受けた災害について自分への戒めとして捉えるなら、それは自己研鑽あるいは反省の材料となりえるかもしれない。しかし、である。石原の言葉を素直に受け入れれば、「おまえら(特に石原の主義主張に反する人たち)が我欲のかたまりだから、被災地の人たちが被害を受けたのだ。お前らのせいだ」ということになる。自分の気に入らない連中が災害の責任者だというのである。そんな物言いが都知事に許されるものだろうか。

しかも根本的に、「我欲」と「災害」の因果関係がない。仮に石原の言葉を受け入れて「我欲が天災をもたらす」としたところで、「我欲まみれの人たち」と被災者がイコールでないのだから、これは成り立たない。さもなくば「被災者は我欲まみれだった」ということになり、これは当然不適切きわまりないことになる。

こう言い換えればわかりやすいだろうか。石原慎太郎は「煩悩にまみれた日本人へのカルマ落としとしてこの大震災が起こったのだ。だから日本人は悔い改め、石原慎太郎を支持しなければならない」と主張したのである。

だが、もしこういう因果関係が成り立つのだとしたら、同じ論理で、「石原慎太郎が都知事選に再度出馬すると表明したわずか20分後に大震災が起こったのだから、我欲にまみれた都知事が四選を狙ったことに対する天罰だ」と言ったっていいことになってしまう。もちろん、わたしは石原の論理を受け入れないのでこのように考えはしないが、石原の論理の筋ではそういうことになってしまうのである。

我欲批判と災害を結びつけた誤り

いずれにしても、我欲批判と災害を結びつけたことが石原都知事の根本的な誤りなのである。そういう「失言」は今に始まったことではない。しかも、そういう発言によって人々を意気消沈させ、怒りを呼び起こすことは、災害復興への結束を弱めることにもなり、まさに百害あって一利なしである。

石原氏擁護の発言の中には、「石原都知事 「この震災は天罰」 http://bit.ly/fDC08dこればっか拡散しないで「石原都知事、支援に100億円超」 http://yj.pn/5G3S2i こっちも拡散するべきでは?」というツイートもあった。しかし、首都東京都民の税金を支援に回すのは当然のことだし(それにこれは都知事個人の支援ではなく都民の税金から出ている)、支援をしているのだから天罰と言ってもかまわないというのであれば、札束でほっぺたをひっぱたけば何を言ってもいいということになってしまう。

石原都知事がさすがにこの発言について謝罪・撤回したのは、当然のことである。だが、この人物は作家としても知事としても不適格であることを自ら露呈したのである。

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2011年3月15日13:24| 記事内容分類:日本時事ネタ| by 松永英明
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先日の都知事の大暴言を知って、激怒された方は多かろうと思います。 【「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事】(asahi.com)  石原慎... 続きを読む

先日の都知事の「天罰」発言を知り、激怒された方は多かろうと思います。 【「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事】(asahi.com) ... 続きを読む

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申し訳ないが賛同出来ない。
不謹慎な発言と言うのもあるが、では過去の災害を天罰と発言している事例は多々ある。
災害に合った人たちに「天罰」というのと、日本という国に対して「天罰」というのは意味が全く異なるのではないか?
日本に向けての「天罰」という解釈なのであれば、私個人としてはもしかしたら天罰なのかもしれない、と感じてしまう。

どうしても気になったんでカキコします。
uminosaruさん、ではもし貴方の愛する全ての人々、家族や友人、恋人や恩師が自分の目の前で被災し、物に押しつぶされたり押し流されたり地割れに飲み込まれたりする中、自分一人が助かった時に「ああ、みんなには天罰が下ったんだな。仕方ないよね。」と言えますか?
若しくは貴方が被災し、苦しみながら死期を悟った時、「天罰に当たっちゃったか。いいや、諦めよう。」って受け入れられるんですね?

貴方が仰ってる事はそういうことですよ?

「天譴論」に関して、
このような発言もしていたようです。

「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。(95年の阪神大震災の際の)村山内閣もそうだった」
東日本大震災:石原知事「津波は天罰」-毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110315k0000m040043000c.html

「天罰」とは天が与える罰のこと。
「罰」とは罪の償いとして科せられる苦痛のこと。
当然のことのようですが、これらの定義を明確にしておけば、uminosaruさんのように解釈されることはなかったはずです。
もし津波が「天罰」であるならば、その被害を受けた被災者の方々には罪があったということになってしまいます。
またそこで、被災者の方々に罪がないとすれば、その方々は罪もなく罰を受けたことになり、「罰」の定義に反します。
つまり、津波を「天罰」と捉えることは、実在する被災者の方々とは相容れない不合理な解釈なのです。
本ブログの記事は、上の定義を前提に論を進めたものと思いますが、その前提が通じない人もいるようです。
悲惨な現実を前にしながら、言葉遊びに翻弄されてしまう自分も悲しいですが・・・。

石原はもっとストレートに
「ただでさえ税収少なくて借金増えるばっかなのに
減税して欲しいとか増税は嫌だとか
後の事何も考えずに自分が金払わない事だけ考える奴らは津波で死ねば良かったのに」
「これから先被災地の道路や建物復活させる為に税金山ほど必要になるんだから
減税だの何だの言うのやめろよ阿呆ども」
と言えば良かったと思います。

計画停電が実施された東京23区を除く皆さんへ

前記各地域では順次、戦後初の計画停電がありました。
他方計画停電が保留されている、現在東京23区内の夜間照明は、まだまだ
節約が必要な状態です。
 各地区の続いている計画停電は、首都の電力の浪費の犠牲と言って良い
と思います。御労苦誠に痛み入ります。
 首都では総理大臣に恫喝され看板の一部や東京タワーの 下半分等はしぶ
しぶ、ようやく消えました。
 そのため夜間の照明状況に微妙な変化が起こり、景色が変った為、看板に
つられて照度を上げている道路照明・街路灯・家屋の夜間屋外照明・防犯灯等
が、過剰に目立つようになりました。
 目が看板のギラギラ照明無しに、暗順応したために、過剰な道路照明・街路灯
・家屋の夜間屋外照明・防犯灯等は、過剰分が無駄になったと言うことです。
このまま、東京23区以外の地区で計画停電を実施するのも大いに結構な
事ですが、首都及び首都近郊の、過剰な道路照明・街路灯・家屋の
夜間屋外照明・防犯灯等、もろもろの無駄な照明部分を野放しにしておい
ては、計画停電の地域に当たった東京23区以外の皆さんの御労苦は、
到底報われないのではと思います。
 なお東京は現在、或ライトアップ開始の記念式典に出席した事もある
首長が統治しています。彼は、地震は「欲の強い者への天誅である」
と発言した事があるようです。
が、自分自身がその中に含まれているかどうかについては、名言して
いない等、東京23区当局者の電力節約に対する意識そのものも、
まだまだ低いと言わざるを得ないと思います。
以上、まだまだ余り報道されない事実について、お知らせします。
皆様の御無事を心より祈ります。

松永英明さんへ

初めまして。
以前から貴ブログを存じ上げておりました。
今回、【エイプリルフール2011】での紹介記事を拝見し、興味を惹かれて再訪した次第です。
AH向けのみならず、本ご記事の趣旨にも概ね賛成で胸のすく思いです。
とは申せ、今更ながらご意見しますと、

>しかも根本的に、「我欲」と「災害」の因果関係がない。仮に石原の言葉を受け入れて「我欲が天災をもたらす」としたところで、「我欲まみれの人たち」と被災者がイコールでないのだから、これは成り立たない。

世間一般の科学的・唯物的解釈では因果関係がありませんが、石原都知事猊下の迷信的・唯心的解釈ではある訳でしょう。
「広範囲かつ強力な天災によるとばっちり」の積もりであれば、発言の起点が日本人であれ在日外国人に言及しているでしょう(「三国人は日本人の我欲に対する天罰と無縁の様だが、不良三国人はその限りではない」等と宣ったかはさて置き)。
在日外国人に関しては、比較的安全な地域での去就が取り沙汰されるだけで、被災状況が報道されにくい点を不満に思っています。
私にしても、つい日本人にばかり気を取られてしまいます。
ただ、本ご記事でも「日本人」と振り翳した発言が対象にもかからわず「日本人以外」への観点が皆無の様にお見受けし、遺感でなりません。
ともあれ、(犠牲者を始めとする)被災者は大部分が日本人ですから、「我欲まみれの人たち=被災者であり、とばっちりに非ず」がご聖旨(苦笑)と解釈すべきです。

>「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞えるかもしれませんが」と言ったんじゃないですか。

この小狡い付け足しは、『>被災者の方々、かわいそうですよ。』共々、とばっちり云々より「気の毒だが、自業自得だと納得して甘んじろ」と解釈した方がより自然だと思います。
「札束で頬を叩けば、誹謗中傷も受容させられる」は、石原都知事の根本的主義主張として何ら間違ってはいないでしょうが。

>「煩悩にまみれた日本人へのカルマ落としとしてこの大震災が起こったのだ。だから日本人は悔い改め、石原慎太郎を支持しなければならない」と主張したのである。

それこそが、「ぼくのかんがえたさいきょうのてんばつ」の本質だと考えます。
今更国政に色気はないにせよ、あれだけ「ぼくの(略)にっぽんとにっぽんじん」を妄想して憚らない御仁が、(東京都を含む)被災地を日本・(都民を含む)被災者を日本人から除外する筈はないでしょう。
寧ろ「これでも我欲を洗い流せなければ、第2・第3の大災害が発生する」とご高邁極まる思想性を貫徹なさらなかったのが不思議な位です……

>石原氏擁護の発言の中には、「石原都知事 「この震災は天罰」 http://bit.ly/fDC08dこればっか拡散しないで「石原都知事、支援に100億円超」 http://yj.pn/5G3S2i こっちも拡散するべきでは?」というツイートもあった。

一大自治体の首長としては寧ろ当然で、原資たる積立金の作り方はさて置き、私も反対はしません。
但し、今迄の都政「実績」から見て「お前(都民)の金は俺の金。俺の金は俺の自由」という似非三段論法の一環であり、「自業自得の愚民にも慈悲を施してやる」程度に解釈すべきでしょう。

つい長文になりました。
それでは、今後ともご健筆に期待しております。

追記
上の方の画像はリンクが切れていますので、一応ご報告します。
「我欲」を、日本人独自のアイデンティティの様に扱った最初の論拠は、「受給者生存偽装による年金詐取事件」でした。
『何が贅沢かと言えば先ず福祉』発言を思い起こす、文学的素養?は存在しない様です……

西に踏み絵知事あれば東に天罰知事。自然を恐れぬ傲慢な人間に天が罰を下したといいたいのだな。ちんぴら作家ごときに天の意思が代弁できると思うのが笑止千万。おつぎは性懲りもなくオリンピック招致と来たよ。

このブログ記事について

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