「由来」と一致するもの
恵方巻コンビニ商戦2013(由来・起源/コンビニ8社売上高一覧)
当サイトではこれまで「恵方巻」の由来・起源と歴史について扱ってきた( 恵方巻 - 閾ペディアことのは)。これに加えて2011年の恵方巻商戦の状況などを加えた記事を、第12回文学フリマで発行した冊子『事物起源探究2011』(残部僅少)に収録した。さらに2012年のコンビニ8社の節分恵方巻商戦を定点観測的にまとめたのが恵方巻商戦2012コンビニ8社全比較分析(附:コンビニ売上高グラフ)[絵文録ことのは]2012/01/26記事である。
それからまた一年。今回もコンビニ8社の節分恵方巻商戦を定点観測的にまとめてみた。できれば昨年のレポートと合わせてご覧いただきたい。ちなみに今年の恵方は南南東とされている。

都道府県別「多い名字」可視化マップを作ってみた
都道府県ごとに「多い名字」には地域的な偏りがある。それを何とか可視化できないかと思って、データをもとにして地図上にマッピングしてみた。
詳細はPDFファイルにしたのでそちらで見ていただきたい。→都道府県別「多い名字」可視化マップ(PDF)
第十四回文学フリマ【カ-36】ことのは(@kotono8)告知:『ゲニウス・ロキの歩き方』 #bunfree
2012年5月6日(日)TRC東京流通センター第二展示場E/Fホールにて開催される第十四回文学フリマに出展します。
ブース・サークル名は、2階Fホール【カ-36】ことのは(@kotono8)です。前回に引き続き、お隣【カ-35】奇刊クリルタイとの合体配置です。二つのブースで合同レジですが、ご購入者には「ゲニウス・ロキ紙袋」と「クリルタイVol.3」が無料でついてきます!
今回は文学フリマ冊子としては初のテーマ『ゲニウス・ロキの歩き方』です。表紙は前回に引き続きカラーで、再び吉川にちのさんのイラスト入りです。表紙込み124ページ1200円。

「マルモリはアイヌ語」デマはなぜ拡散したのか
芦田愛菜と鈴木福が歌ったドラマ主題歌「マルモのおきて」の歌詞について、「マルマルモリモリとはアイヌ語で「侵略者、侵略者、死を与えよ、死を与えよ」という意味」というデマが昨年師走、2011年12月9日にツイッターに投稿され、拡散されていった。投稿者は直後に「うそです」と記していたが、過去ログをたどりにくいツイッターの仕様も相まって、「マルモリはアイヌ語で怖い意味だ」という情報が広まっていった。
その後、アイヌ語研究者による否定ツイートも流れ、わたしもそれをtogetterでまとめた(「マルマルモリモリはアイヌ語」というデマと、アイヌ語の真実 - Togetter)。こちらも拡散されるようになって一応デマは鎮火した……かのように見えた。しかし、約2か月経った今、再びこのデマがツイッター上で見られるようになっている。
なぜ「マルモリはアイヌ語」デマがこんなに拡散し、一度否定されてもなぜまた再び拡散してしまうのか。それは、ツイッターの仕様やユーザーのリテラシーもさることながら、「幽霊アイヌ語」がいまだに放置されていること、そしてアイヌ文化・アイヌ語への無知、ひいてはアイヌへの「未開人」視があると思われる。
※ブクマコメントで「ラテン語だろ」「ラテン語というデマも2chで」と書かれているが、ラテン語についても最初から本文で書いてある。タイトルだけ読んで反応しないようにお願いしたい。
恵方巻商戦2012コンビニ8社全比較分析(附:コンビニ売上高グラフ)
当サイトではこれまで「恵方巻」の起源と歴史について扱ってきた( 恵方巻 - 閾ペディアことのは)。
これに加えて2011年の恵方巻商戦の状況などを加えた記事を、第12回文学フリマで発行した冊子『事物起源探究2011』に収録してある。
今回はこの事物起源探究2011に掲載した調査から1年を経て、2012年のコンビニ8社の節分恵方巻商戦を定点観測的にまとめてみた。

2012年あけましておめでとうございます
写真は2012年元旦、府中市の大国魂神社にて。
本年もよろしくお願いいたします。
世田谷弦巻の「ホットスポット」現地報告(蛇崩川の谷さんぽ)
世田谷区弦巻の区道の一部から高い放射線量が検出され、一時はホットスポットではないかと疑われた。しかし、夕方になって「家の床下に置かれていた段ボール箱の中にあった瓶から極めて高い放射線量が検出された」と報じられた。結局、原発によるものではなかったわけだ。
しかし、そのことが判明する前にわたしは現地に向かっていた。現場に着いたのは午後五時過ぎで、夕方の報道はまだ見ていなかった。とりあえず、現地の様子を地理的な関心も含めて報告しておく。
選択式夫婦別姓議論と「日本人の姓/名字」の歴史
夫婦別姓をめぐる違憲訴訟がついに東京地裁に提訴された。
私自身は「選択式夫婦別姓」に賛成である(詳細は別稿にて述べたいが、私はさらに改姓・改名の自由を求める意見を持っており、その過程として選択式夫婦別姓に強く賛成する)。一方で「選択式」であるにも関わらず、同姓でない夫婦が生まれることを「家制度の破壊」であるととらえて反対する人たちも少なくない。
しかし、その家制度は本当に日本の「伝統」なのだろうか。私が調べた限り、そうではない。現在の戸籍制度は明治時代に民法によって作られた新しい制度だ。名前こそ「戸籍」という律令制由来の名称ではあるが、明治以前の「戸籍」の伝統を受け継ぐのではなく、むしろ明治維新後にヨーロッパ大陸法に基づいて徴税や徴兵を目的として作られた、たかだか150年の短い歴史しか持たない新しい制度であって、日本古来の伝統などとは到底呼べない。
ただ、一方でネット上では「明治以前は夫婦別姓だった」という記載も見られるが、こちらも正確ではない。
結論から言うなら、明治以前の日本の制度は「姓氏は出身氏族のものなので一生変わらないが、一家は同名字(兄弟でも分家すれば別名字)」だったのである。氏・姓・名字/苗字はすべて別のものであったが今はそれらがごっちゃになっている、という最低限の知識がそこには必要である。
分離独立する南部スーダンの国名案は「南スーダン」で決着か
2011年1月に実施され、2月7日に最終結果が公表された南部スーダン独立に関する住民投票だが、結果としては南部スーダン独立が圧倒的多数を占めた。これにより、アフリカ53番目の国家が誕生することとなる。
そこで気になるのは新国名だ。そこで調べてみたところ、いくつかの案が出てはいるものの「南スーダン(South Sudan)」で決まりそうな雰囲気である。そこで、出ていた案の意味を調べてみた。
明治の「八百長」は「意図的引き分け」だった。板垣退助も激怒した八百長相撲
大相撲の八百長問題が発展してついに春場所は中止と決まった。角界が自力で八百長を防げないというのなら、「国技」などと称するのをやめてプロレスのような見世物と割り切ればいいとも思う。プロレスがどこまで本気か、などと「ハッスル」の試合で言う人間がいないように、スポーツではなく興業だと思えば別にどうでもよい話だ。ただ、そのためには「特例民法法人」格と「国技」の肩書きを捨てるべきである。
大相撲は国技館を出て回向院に戻ればいいんじゃないか。そもそも相撲が「国技」とされたのは、明治四十二年(1909年)に常設館が建設されて「国技館」と名付けられてからわずか百年ほどのことでしかない。相撲そのものの歴史は古くても、国技としての歴史は浅いのだから、一度返上してやり直すのもいいのではないか。
ところで、事物起源探求家としてはそういう話よりも「そもそも八百長という言葉の由来は?」「明治時代にはどのように使われていた?」ということが気になる。
八百長は八百屋の斎藤長吉が由来、という新聞記事が見つかった(ウィキペディア等では「八百屋の長兵衛」と書かれているが、新聞記事では表記が違っていた)。また、当時の八百長とは談合して勝ち負けを決めるというより「勝ち負けが決まらないように引き分けまたは預かりにするような取組をする」という意味で使われていたことがわかった。明治の相撲の腐敗批判記事は、今にもそのまま当てはまる。相撲界は100年間何の進化もしていなかった(ある意味、明治の伝統をそのまま受け継いでいるともいえる。ただしそれは悪習を、である)。
【今回の内容】
- 八百長の語源「八百屋の斎藤長吉」と明治の用法
- 明治・大正の八百長
- 板垣退助、八百長を叱る
- 明治の新聞、相撲を叱る
- 「ポリリークス」の目的は「相撲賭博のあぶり出し」?
