「幸福感」と一致するもの

入試カンニング擁護論を批判する。カンニングは自分自身をおとしめる行為だ

ついに入試問題カンニング学生が「逮捕」つまり刑事事件化するという発展を見せた。愉快犯説も多かった中、私は当初からそうではなく本気で大学に合格したかったのだとツイッター等でも述べてきたが、おそらく私の見方は正しかったように思われる。もっとも、複数による携帯を使わない手法という私の憶測は外れているかもしれない。

その中で「カンニングすることは問題ではない。逆に公正な手段だ。むしろ失敗したことが問題」というようなコメントが当方のブログに寄せられた。私はそのような見方には一切与さない。論点は3つ。

1)本来学力を問われる試験において、学力や問題回答力ではなくズルをするというテクニックによって問題を回避するのは、たとえどのような理由があろうとも、会社の利益のために脱法行為をするのと同じく、適正なことではない。

2)目先の短期的な利益を実現するという結果を得ることが最大の価値であって、手法などはどうでもよい、という考え方そのものが根底的に人生観として誤っている。少なくとも私には採用できない生き様である。

3)そもそも、四年制大学あるいは一流大学に入ることがその後の人生の成功に必要不可欠と考える風潮(新卒の就職活動も含む)そのものが根本的におかしい。この学生も大学に入る以外の選択肢が与えられなかったことから追い詰められたと考えられる。したがって、この学歴前提の社会通念を根底からぶっ壊す必要がある。

以下、詳細に述べる。

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幸福実現党の研究(13)「財産が増えなければ幸福はない」と断言する拝金宗教

先日、有楽町に行ったとき、幸福実現党本部前をとおりがかったので、本部前に置いてあった「幸福実現News」やミニパンフレットをもらってきた。バックナンバーすべてというわけではないが、幸福実現党/幸福の科学のアピールする理念を読むには格好の資料といえる。

給料と預金が増えれば幸福感は増すそこでわたしは目を疑った。「給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す」と断言されているのである。これが財界の代弁政党であれば何とも思わないが、宗教性を前面に打ち出しているはずの幸福実現党の「幸福の定義」は財産が増えることだった。まさかの拝金主義にわたしは目を疑った。

昨年の都議選・衆院選前後の幸福実現党の動向を、主にその主張の分析によって解析してきたこの「幸福実現党の研究」シリーズは、幸福実現党の一次資料に当たることを旨とし、その政治的・宗教的な思想・信条についての調査研究を行なってきた。その方針を踏襲して、今年の参議院選でも研究を行なってみたいと思う。

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結核文士の治療記(6)外界との隔離

「膿を出す」のはいいことだとされるが、膿がいつまでも出続けるのも困ったものである。再びの個室、試練は続く。

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ウェブの二つの文化圏の衝突【後編】ネガティブリンクと批判する側・される側の論理

 前編「無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理」では、このネット上には大きく分けて二つの文化圏があり、ネットの特性に根ざした原住民型「リンクフリー文化圏」と、一般社会のルールに基づいた移民型「リンク許可文化圏」が存在していることを指摘した。そして、「無断リンク禁止問題」はその二つの文化圏の衝突(カルチャーショック)であり、解決は困難だろうという希望のない結論であった。

 後編では、もう一つ、似ているが別の現象である「ネガティブリンク問題」について扱う。これは単純な作法だけではなく、「悪意」を含む・感じ取るという厄介な問題も含まれているので、項目を分けることにした。

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