メタブログの謎にせまる ~ブログという構造に潜む自己言及の罠~

 半年前の話題をぶり返してまとめている「ブログ後発組」松永です。わらい。
 さて、今回は誰もがうすうす感じていながら論ずると泥沼にはまってしまう「メタブログ」についての話題です。長文なのでこういうのを読んでクネクネしたい人だけどうぞ。なお、タイトルは某掲示板にて提案されていたものを使いました。

Metablogging【メタブロギング/メタブログ】 [定義](動詞) ブログすることについてブログする、という行為。
[言葉のあや] メタブログは、ブログの世界ではかなり一般的な現象であって、特に新出メディアに惚れ込んだ新しいブロガーによく見られる。「メタブログ」という言葉には、しばしば微妙な否定的意味合いが込められている。メタブログについて、「へそ凝視」とか「ブログ自慰行為」と言う人もいる。
(はじめてのウェブログ:非公式ウェブログ用語集より)
ブログの話うざいかっこわるいちょうだせえいま日本の現状では自己言及的なかたちでブログの話してるサイトがブログだ(ニーツオルグの人)
 ブロガーはなぜ、ブログについて語りたがるのか。つまり、今回はメタブログについて語るメタメタブログです。わらい。

2003年10月24日15:38| 記事内容分類:ブログ/ウェブログ, 執筆・書き方・文章| by 松永英明
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 ブロガーがブログのことを語るのは、日本だけではなく、上記のとおり世界的な現象らしい。また、閉鎖的なブロガーのコミュニティが生まれやすいというのも、世界共通らしい。
 しかし、これはブログ界だけの話ではない。日記サイトコミュニティが「日記読み日記」や「日記読み日記読み日記」を生み、ReadMe!Japanが「ヘイ!ブルドッグ」や「ReadMe!株式市場ゲーム」や「読我新聞」を生み、テキストサイトがテキストサイト論の応酬に陥り、はてなダイアリーが「はてな論」「はてな村」を大きなトピックとし、ぁゃιぃ系・あめぞう系掲示板で「2ちゃんねる罵倒」に代表される掲示板論が「みんなの好きな話題」(しば)となり、そして最も典型的には個人ニュースサイトが子ニュース・孫ニュースを生み出してきたように、インターネット内のコミュニティにおいては「自己言及」に走りやすいという傾向が見られる。
 そして、上記コミュニティとブログ界(ブロゴスフィア)には、本質的な差異は何もない。したがって、ブロゴスフィアにおけるメタブログ行為は決して特異なものではないのである。これをまず前提としたい。

現在の僕には、従来の日記やニュースサイトやテキストサイトと異なる使われ方をしているようには見えません。(jounoさん)
 では、このような日記とかテキストサイトとかニュースサイトとか掲示板とかブログとか(ひっくるめて「ウェブロ」と呼ぶことにするよ!)は、なぜ自己言及してしまうのか。

 表現活動において自己言及は避けがたい。小説のあとがきや小説論を書く作家は自己言及している。推理小説で「本格とは何か」を推理作家が語るのも同じ。SFで「自分のジャンルは」と語ればすでに自己言及である。芭蕉が俳諧とは、と語り、近松が「虚実皮膜の論」を説くのも(※編集して出版したのは別人だが)、源氏物語内で物語論が語られるのも、すべて自己言及である。
 ただ、たとえば和歌の形式で和歌を論じるのは難しい。小説の形になるともう少しやりやすい。登場人物に語らせればいいからだ。そして評論やウェブロは、もともと「何かを論じる」のに適切なスタイルである。したがって、自己言及しやすい表現形態といえる。

 次に、ネット上の表現形式は、すでに定まった形式があるわけではない、ということを指摘しなければならない。個人の日記はたいてい公開されないことを前提としているが(「お母さん、勝手に見ないで!」)、ウェブ日記は公開を前提とし、他者とのつながりをも形成する。いずれも、既存の表現と似たようなものではあるが、しかし、そっくり同じではない。このような「ゆらぎ」があるからこそ、「では今自分がやっているこの表現形態はどういうものなのだろうか」という思考が生まれてくる。(近松の文楽論も、文楽が新しいジャンルだからこそ意味をなすのである)
 そうすると、次は「では、この表現形態のあるべき姿とはどのようなものだろうか」という思考が働き、「物語というのはこういうものである」「ウェブ日記とはこれこれこういうものである」「ウェブログとはこういうものであるべきだ」というような規定が生まれてくる。つまり、ここでレッテルが生じるのである。また、そのレッテルに応じて、「自分はウェブ日記を付けている」⇒「ウェブ日記を付けている人たちとのつながり」という意識が生じ、ウェブ日記コミュニティが生じていく。
 こうしてレッテルが生まれ、コミュニティが生じると、今度はそのコミュニティに入ることを目指してその表現を始める人、あるいはそういうレッテルのものをやってみたくて参入する人が登場する。ReadMe!に載りたいがためにテキストサイトを更新し始めた人、日記のコミュニティだといろいろ楽しそうだからウェブ日記を始める人、そしてトラックバックをやってみたくてブログを始める人、などが出てくる。
 このような「大衆化」の過程は、「古参」にとっては苦々しいものであることが多い。なぜなら、もともとのその表現形態のある程度定まった枠組や、あるいはコミュニティの雰囲気が、当然ながらじわじわと崩れていくからである。また、初期のメンバーはコアな層であるから水準も高い(あるいは均質化していてわかりやすい)が、人が増えれば玉石混淆となるのは当然で、それは当然「質の低下」と感じられてしまう。こうして古参は「最近のコミュニティ」についての苦言を弄し、新人は古参に同調するか、あるいは素人ぶりを強調して逆に古参を批判するか、という構造が生まれてくる。

 また、ウェブロは「自己言及を話題にする傾向が強い表現形態」であるということも事実である。たとえば日記やテキストサイトは「自分の身の回りのこと」を書く。もちろん、それは日常生活もそうだが、その文章を発表している場そのものも「身の回り」なのである。
 ニュースサイト(そして、英語圏で本来のスタイルのブログと認識されているもの)は、自分の関心のあるサイトを引用してくることで成り立つ。つまり、自分の関心メモであるわけだ。このとき、例えばMovableTypeのカスタマイズ情報というのは、当然ながら「自分の最も関心のある話題」となりえる。また、ブログでどのように表現するか、という話題は、やはり引用したくなって当然である。こうして、ウェブログには「MovableType」「blog」というカテゴリーが生じる。ここに、メタブログの萌芽がある。

 自己言及がなされるとき、そこに「議論の種」があるとさらに燃え広がる。コミュニティ内で「そのコミュニティに望むもの」や「コミュニティそのもののイメージの違い」があると、それは論争を生み、メタ言及の嵐となる。
 現在のはてなダイアリーは、これに近いと思う。村的コミュニティを作りたい人、有名人にお近づきになりたい人、逆にそういうものにとらわれたくない人、コミュニティの中で好き勝手に行動していたつもりがいつの間にか村の掟に絡められて困っている人(東氏)、そういう「村化」していくはてなをはてなの中からシニカルに論じている人、そしてはてなの外から論ずる人――すべてが「はてな論」に足を突っ込んでしまう。
 ブログはもっと大変だ。「ブログってのは既存の表現形態に毛の生えたようなもの」という人、「ブログとはMTなどのツールで作られたものであって、まったく新しいものだ」という人、「ブログは革命だ」とアジる人……そもそも定義すら一致していない。また、技術畑の人と、表現系の人ではどうも感覚にズレがあるように思う。ブログとは「改造・構築するもの」なのか、それとも「便利な機能のついた表現ツール」なのか、というズレだ。

 そろそろブログに話を絞っていこう。
 ここで、ブログとは「書式」であって「内容を規定するもの」ではない、ということを前提としたい。ウェブ日記やテキストサイトもその傾向が見られるが、ブログはそれが特に顕著だ。
 つまり、ブログとは「新しい記事をトップに載せ、古いのはだんだん下に追いやられる」というのが基本形式で、「他サイトへのリンクと短いコメントがある」というのが付属的な定義。ところが、この形さえ守っていれば、何をやったってブログになってしまうわけだ。
 形式的には、asahi.comや毎日インタラクティブその他各種新聞社のサイトも、ブログの一形態といえる(ただし、通常はブログと呼ばないが)。英米圏でブログが爆発的に流行ったのは、9・11事件の現場レポートとその後のウォーブログと呼ばれる政治的ブログだったが、日本ではその流れを汲むものはほとんどないといえる。では、日本にはブログはないのか。そうではない。ブログ形式のサイトは、以前からも多かったし、今もMTなどを使った限定的な意味でのブログは増え続けている。
 海外では、スラッシュドットは「集団ブログ」の典型例として出されている。ただ、日本ではあれは掲示板の延長上とみなされているのだろうか、そういう概念で言及されることは少ない。それでも、ブログ形式のページは着実に増え続けている。
 したがって、ブログは書式、テンプレート、枠組でしかない。その枠組にどういう情報を流し、どういうスタイルで運営するかは、非常に幅のあるものである。ましてや、ブログツールは何に使ったってかまわない。私はすでに、普通のサイトの構築にMTを使ったりしている。
 つまり、ブログといったときに意味する内容は、非常に多く、非常に広範であり、非常に雑多である。したがって「ブログのあるべき姿はこうだ」というような議論は、いくらでもできるし、また結論が出ることはありえない。それは自己言及をいくらでも続けられるということでもある。

 もう一つは「ツールと表現」の関係である。自分の表現したいものをより簡単に、より楽に、より適切に表わせるツールが出てくれば、人はそれを使うし、なければ作り出す人もいる。ところが、今度はそのツールに合わせた表現形態が生まれてくる。
 マクルーハンは「メディアはメッセージ」と言った。どういうメディアを使うかということそのものがメッセージとなる、ということだ。インターネットでも同じである。どういうツールを使うかによってメッセージの表現方法も変わるが、それだけでなく、「そのツールを使っている」ということだけでもメッセージとなるのである。
 わかりやすく言おう。あなたは掲示板を新たに自分で設置したいと考えた。このとき、どういうスクリプトを使うかによって、すでに政治的ともいえる判断がある。「2ちゃんねる型掲示板を設置してみました」という人は、2ちゃんねるに親和性のある人だろう。しかし、あえて「ここに設置してあるのはあめぞう型です」と主張する人は、2ちゃんねるを亜流と見下している、という判断さえも生まれてくる。あるいは、くずはすくりぷとを設置して、背景色をどのような色にするか(#004040にするのか、それ以外か)だけでも(一部では)強烈なメッセージなのである。もちろん、新しいブログをMTで作って、そのコメント欄を表示させるミニ掲示板を設置することは、やはり「自分はブロガーです」と主張しているに等しい。
 したがって、いわゆるブログツールを使って、あるいはブログと名乗って、ブロガーの一人になること、そのことが一つの意味を有することになる。「ブログに手を染めた」あるいは「ブログの世界の人となった」ということで、ブログ界の住民としての表現をせざるを得なくなる部分が当然出てくるわけである。

 別の点も指摘しておこう。いわゆるブログツールによって作られたウェブログ(回りくどいが)は、「トラックバック機能」を有していることが多い。また「ブログローリング」という「他のブログへのリンク集」もつけるのが、ブログっぽいブログといえるだろう。また、最新更新情報を取得しやすくなっている。これは、「他のブログやサイトとの連係機能」を強化しているといえる。
 強力な連絡手段を作って、強烈な連係を生み出すということは、逆にいえば、その連係から外れたものを強烈に排除しかねない、ということでもある。自分自身、ブログツールを使って感じたのは、トラックバックを送れないサイトへのリンクはおっくうになってくるという感覚だった。トラックバックをやりとりできるサイトと、そうでないサイトとのやりとりには差が出てくると思う。あるいは、RSSリーダーを使って最新情報を読もうと思っても、RSSを出力していないサイトはそのリーダーでチェックできないわけだから、情報収集の巡回から漏れることになってしまう。もちろん、ブラウザのお気に入りと併用すれば問題ないし、今もそうやってはいるが、手を抜きたがるのが人間の常だとすると、そこに断層が生まれてくることは容易に想定できる。
 便利なコミュニケーションツールであればあるほど、逆にコミュニティの内的結束を強め、孤立化させていく。そんな傾向もありえると思う。かといって、インターネット内のすべての情報をRSS対応にさせるようなグローバリゼーションははなから不可能なのだ。

 と、そんなこんなでメタメタブログしてみたわけだが、そもそも「自分のことを表現したい」というのが人間の強い欲求であり、インターネットの個人サイトの存在する最大の理由である以上、「自分たち、自分のまわりのことを語る」という「自己言及」は非常に甘美なものであり、「内輪受けばっかりじゃつまらないなあ」という他者の目を強めない限りは、決してやめられない麻薬のようなものであることは論を待たない。

 ……で、この長文の結論は何なんだ?(笑)まいいか、ブログってのはメモ帳代わりみたいなところもあるし。

########
 で、きちんと言及しておくと、こういう文章を書いて、参照したサイトへトラックバックを送るということは、加野瀬さん@ARTIFACTや、scmrさん@network styly *、そして東浩紀氏などを中心とした「ウェブ文化考察コミュニティ」に加わろうとする行為ともいえる。あるコミュニティへの所属を強めたい、という願望はそれほど強くないと思っているのだが(縛られそうになれば逃げたくなる)、そのコミュニティが自分にとって魅力を持っていなかったとは決して言えない。嫌なら近寄ろうともしないはずだからね。こういう「独自性への願望」と「コミュニティ所属の願望」、そしてその裏返しの「他人の独自性への妬み」と「他のコミュニティの蔑視」または「コミュニティ所属願望そのものの蔑視」が微妙な引力をもって、目に見える形で表われるのがインターネットといえようか(実社会よりは表面化しやすいと思う)。

この論における参考サイト一覧:

I can't blog. 2002年11月10日
○ARTIFACT -人工事実- | blog=Movable Typeではありません 2002/12/22
◎ns*Wiki - weblogとはなにか??2002年秋-冬くらいまで

○@ parallel minds: ツールとコミュニティ March 06, 2003
○Going My Way: 壁を崩すシステム March 06, 2003
◎network styly *: blog=tool? March 07, 2003
◎HARDCORE ERA: Blogだと思ったことは実は一度も無い(テキストサイトでもええんちゃう?) 2003年03月08日

○Japan.internet.com コラム/オンライン日記の新しい可能性 2003/10/22
○急成長するはてな - SOUL for SALE 10/22/03
○はてなダイアリー - hirokiazuma.com@はてな ■ 考える・2 23:48 2003-10-22
◎network styly *: はてなダイアリーの急成長・ネットコミュニティと内輪について関連話題コレクト October 22, 2003
◎ARTIFACT -人工事実- | はてなはどうして内輪化していると言われるか?

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2003年10月24日15:38| 記事内容分類:ブログ/ウェブログ, 執筆・書き方・文章| by 松永英明
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んーと大筋では俺と一緒なんだけど
例えば掲示板論がなんで参入しやすいかっていうと
敷居の低さと同時に「誰でも参加できる」って点が重要だと思うのね
@ハーコエラとかわかりやすい例だと思うけど
音楽の話題なら自然知ってるかどうかで話に加われるかどうかが決まる

しかし自己言及しかもblog論っておっしゃるように範囲が広い
だから誰でも食いつける、そして誰しも語りたがる
さらにその理論に反論するのもさしたる資料が必要なわけではないから
誰でもすぐに反論できる
つまりそれ関係の議論はループしやすい→
それを人気が出たと勘違いする→
無限ループってな感じだと思う

更にもう一つ
blogは歴史が浅いという所が重要
これがねえ
「あめぞう論」なんて
もはや1,2ヶ月ROMしただけで語れることなんてないのね。実際。
既にそのレベルは語り尽くされちゃってるし
でも歴史が浅ければ参入しやすいよね、そりゃ
知るべき前提が少なく語られていることもまだまだ(相対的に見れば)少ないから

んでもこれを自分の所でやるとこの罠に絡め取られるわけですよ、やっぱ
もう既に絡め取られちゃってるわけだけどここでやる分には少なくとも
再反論をする必要はないからまだ気が楽
メタメタ構造がメタ構造に巻き取られるってやつかな
上位構造が下位構造に巻き取られることは普通有り得ないんだけど
その辺説明しだすと面倒なんでいいや

一気にトラックバックがやってきましたので、感想というか反論を。

「Blogはどこにあるのか」2003-7-07
> 日本では「日記サイト」と混交されることが多いが,
> 明らかに米国を中心に普及しているBlogと,
> 日本で人気の”日記”とは書かれている内容が
> まったく異なっているのが面白い。

> 内容は単なる「私の日記」なのである。
> あくまで私事の日記というラインから
> 離れていないのがBlogとの大きな違いであろう。

・そのような「私事の日記」的ブログも多い、というのが最近の調査結果ですね。
・そもそも、日本で比較すべきは「個人ニュースサイト」でしょう。

改訂版blogとは?2003-9-19
> blogは基本的に記事ベースのCMSのことを
> 示しており、内容には依存しないと考えています。

・ここにある説明はすべて「ブログツールによって作成されたサイト」の特徴であって、「ブログ」の説明ではないですよね。
・MovableTypeがトラックバック機能を装備する2002年以前にはブログは存在しなかったのですか?

 あとの記事には特に異論はありません。

 やはり「ブログツール」と「ブログ」の混同がすべてをややこしくしていると思います。

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このページは、松永英明が2003年10月24日 15:38に書いたブログ記事です。
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