ローレンス・レッシグ教授との対話ミーティング【非公式私家版】

2003年12月2日午後6時30分~8時30分、アルカディア市ヶ谷3Fにて開かれた対話ミーティングの内容のまとめです。同時通訳の音声を録音したものからまとめていますので、完全ではありません。もちろんこれは非公式です。間違い、修正などがありましたらご指摘ください。

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2003年12月 6日14:30| 記事内容分類:著作権| by 松永英明
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■レッシグ教授

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 米国では戦争の間――著作権戦争、ジャック・ヴァレンティはテロリスト戦争という風に言っているが、コンテンツの共有についての戦争――この戦争によって米国政府はより極端な立場を取るようになっている。すなわち、知的財産の保護、強化である。この戦いは海賊行為に対する戦いであると言っている。つまり、海賊行為に対して知的財産の保護を強化しようということが問題の焦点となっている。この問題についてCCが果たす役割を話そうと思う。

 著作権は非常に大切な、創造的プロセスにおいて不可欠な権利である。つまり、創造性を引き出す権利と言うことで、非常に重要な権利である。著作権の保護をバランスのとれた形で有益に進めていくことが必要だ。
 著作権は「権利」ではあるが、同時に「規制」でもある。つまりクリエイティブなプロセスの規制である。作品の創作に対して規制と言うことも絡んでくる。この規制が費用がかかる。その費用は創作者が他人のコンテンツを使うこと、使われ方に絡んでいる。

費用=f(コンテンツの使われ方)
costs = f(way content is used)

 コンテンツの使われ方が変わっていくと(コンテンツを組み合わせるなど)、コピーライトの変化、その変化に伴う負担、そして規制が変化する(reguration changed)。そのバランスという問題とも絡む。大切なのは、このコストがどのくらい劇的に変わるかと言うこと。
 まず商用と非商用(commercial vs non commercial)、公表と改変(publishing vs transform)というところで区別してマップにしてみた。著作権が時とともにどのように変わってきたか見てみたい。

1800
  公表 改変
営利 © free
非営利 free free

著作権規制は、営利行為と公表がクロスしたところ。改変と営利の組み合わせはフリー、非営利と改変はフリー、公表と非営利もフリー。最初は著作権の規制の利益を得るためにこういう主張をとるということで、著作物の95%はこの積極的なステップをとっていない。したがってこういった著作権の公表作品は当初は著作権がないのだが、最初の100年間の変化は「非営利目的の改変」のところだけ変わった。ここは著作権でカバーされるようになったけれども、非営利のものについてはフリーのままであった。

1900
  公表 改変
営利 © ©
非営利 free free

そして、1909年に大きな変革が起こってしまった。これは過ちだったわけだけれども起こってしまった。公表を規制するというのではなくて、コピーを規制するということ。コピーをする出版業者・印刷業者。

1909
  複製 改変
営利 © ©
非営利 free free

 法律ではコピーについて遅れていたが、営利的なアクションのみを規制していた。しかし、コピーの技術が変わってきた。コピーの技術の変遷とともに、コピーが広がってきた。時とともに技術の進歩が見られた。たとえばインターネットなど。コピーという形で従来型の営利活動の範囲を超える形になってきた。そして、非営利のところも規制するようになってきた。デジタルネットワークの中で、少なくともアメリカの見方ではそういった著作権の対象になってきたということ。

2000
  複製 改変
営利 © (*1) © (*2)
非営利 © (*3) © (*4)
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 ここで質問が出てくる。こういう規制は意味があるのか、納得できるものなのか、ということ。著作権の規定は意味があるものなのか。

 もちろん、意味があるところもある。つまり、営利目的の複製(*1)といった創作のコアとなる部分には著作権の規制が必要。例えば映画が自由に改変されてしまったら必要な資金を調達することができなくなる。そういう規制が必要な部分はある。

 また派生物について考えるに、営利目的の派生物(*2)、これも著作権規定の対象となる。例えばジョン・グリシャムのような作家を考えてみる。小説を書いて非常に多くのお金を得ているわけだが、映画の権利を売ると言うことでもお金を手に入れている。グリシャムといった作家は、小説もあるが映画化という権利も売るわけである。したがって、こういった著作物の派生の権利も出てくる。

 非営利の改変の作品(*4)について。スタートレックのファンがストーリーを話す、書いたりする。カーク船長がどうした、スポック副長がどうしたという話が載っていたりする。これは改変となるわけだが、非営利目的である。お金儲けが目的ではない。インターネットではこういう非営利改変については規制の対象ではない。しかし、同じような活動がインターネットの文脈の中では、著作権関連の弁護士から非常に厳しい批判の声にさらされたりする。そういった非営利を目的とする改変行為について著作権の対象にしようという声が上がってくる。これは従来の著作権法とは非常に異なったもの。非営利目的のコピー活動については、実際規制がかかるべきかどうか考える必要がある。

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 営利+改変(*2)の分野についても考える必要があると思う。一例として、クリスチャン・マークレー(Christian Marclay)のビデオ作品「Telephones」(1995)、15分のものだが、電話が鳴って、電話に出て、相手が誰なんだ、ということで電話をがちゃりと切って、どうなったのか、というフィルムだが、これは実はクリッピングである。つまり500の色々なフィルムから切り貼りして作った。500のフィルムを織り込む形でストーリーを作った。クリスチャン・マークレーは非常に素晴らしい作品を作ったのだが、これは一般に閲覧というわけにはいかない。クリッピングなので500の異なった著作権の許可を得ているわけではない。しかし、法律では500の違ったフィルムメーカーで許可を得るべきだということである。ここで問題になってくるのは、これが一体意味のある活動なんだろうか、許認可を500のメーカーから派生物の作品に関して求めるべきなのか。実際、これは意味がないのではないのか。

(※ここで、Bush and Blair Sing Endless Love映像上映。歌に合わせてブッシュJr.やブレアの映像が流れるが、うまくコラージュして口の動きがいかにも歌っているように見せてある。なかなか面白い)

 このようなクリエイティビティのことを言っている。これは非常に大きなクリエイティビティで、テクノロジーがあったからこそ可能になった。3000ドルの機材を使って可能になった。これは政治的な意味合いさえある。テクノロジーなしには作れなかった。この技術によって可能になったが、法律によって不可能になっている。Appleが言っているが、「リップ、ミックス、バーン、コピー」(曲を取り出し、混ぜ合わせ、CDに焼き付け、コピーしよう)ということができないわけだ。ディクシー・チックスがアメリカで言っているが、そのように大統領を責めるべきではない。この音楽を使うための許可を得る、何かを作る前にこの曲を使う許可が必要だ、と言っている。

 アメリカでこのような画像を見せると、人々は驚く。ABCとかFOXとかの助けなしに、こういうことが普通の人によってできてしまう。すごいクリエイティビティである。

 こういったものがもし大きな放送会社からきていれば、人々はソファに座って見るだろう。そうすると消費者としては、このクリエイティビティの活動の中で非常に受け身である。しかし、このカルチャーの中では、こういったものを生み出すのは不可能ではない。色々なところから出てきている。これ自体、クリエイティブな作品の再使用といえるだろう。アメリカの法律、日本の法律では。しかし、それでも許可なしのものとなっている。これは許可のない派生物の創造ということになる。

 これらの事例すべてに対してどのように考えるべきだろうか。今の規制というのは意味があるのだろうか。クリエイターをこのように規制することに意味があるのだろうか。許可を規制することに意味があるのだろうか。弁護士の必要な生活に納得できるのか。

 もちろん、知的所有権には意味がある。しかし、ここで考えなければならないのは、著作権がクリエイティビティの邪魔をしてはいけないということである。このような素晴らしいカルチャーを作ることを可能にし、政治的なものを可能にした。では、どうすればクリエイターにとってクリエイティブな活動を可能にできるか。クリエイティブな活動をどのようにすれば今のように弁護士を使わずに可能にすることができるのか。これが、クリエイティブ・コモンズが狙っているところなのである。

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 CCの活動によって、シンプルな方法(simple way)でクリエイターがコンテンツにマークをつける(mark contents)ことができる。しかも、そのコンテンツに関して、自分と関連づける自由(freedoms)を保持しながらである。自分のコンテンツの使用を弁護士の干渉なしにそういう活動ができるということである。

 CCは3つのレイヤーに分かれる。

  • 人間が読むことのできるコモンズの表現(Human-Readable Common Deed)
  • 法律的な契約条文。法律的なライセンス(Lawyer-Readable Legal Code)
  • 機械が読むことのできる契約(Machine-Readable Digital Code)コンピューター・ネットワークで検索し、自由にコンテンツを集めることができる。

(CCライセンスの登録画面表示)ライセンスをこのように選ぶと、ブラウザによって次の画面に行ける。日本語になっていて、オプションを選ぶことができる。自分の作品に関して帰属がほしいか、それは営利か非営利か、自分の作品に対して派生を禁止するか禁止しないか、他の人が派生物を作ったときに同一条件許諾をするかどうか。こういった選択をする。すると、まずこの人間が読む分のライセンス、つまりコモンズ証がでてくる。これが次のところにリンクしている。これが契約条文。明日(12/3)からだと思うが、この契約条文の日本語版が出る。日本の法律に合ったものである。そして3つ目にXMLの機械が読むことのできるデジタルコードというものがあるわけです。このように3つのレイヤーに分かれているわけだ。

 コリン・マッチラー(Colin Mutchler)は"My Life"という曲を作り、「アップサウンド」にクリエイティブ・コモンズのライセンスに基づいてアップした。これはもともとギターだけだった。しかし、帰属も自由にしてくださいといっている。これをアップした後、Core Bethという女性のヴァイオリニストがこの曲を気に入って、ギターにヴァイオリンを重ねた。それをまたインターネットのクリエイティブ・コモンズのサイトにアップする。この二人はまったく会ったことがない縁のない人たちである。しかし、CCでアップしたことでこの二人がテクノロジーをシェアリングできるようになったのだ。そこで題名を変えて"My Life Changed"にした。つまり、これは著作権の改変になる。

 このようなことは自発的(voluntary)に行なわれている。誰もコンテントを強制的にアップさせられるようなことはない。自分の意思でコンテンツをアップし、他の人に改変してもらう。自由な文化をはぐくむ(feeding free culture)ということ。自分の権利をもってこういうことを行なう。

 CCを発表してから9カ月で約100万のリンクバックがあった。つまり、ライセンスに入った人が100万人いたということ。アメリカの著作権にも合致している。この数は多めでもあり少なめでもある。多めというのは、同じ人が同じコンテンツをライセンスするようなことがあるから、100万は実際より多くなっている。一方、少なめというのは、一つのライセンスで複数の作品が入っていることもあるから。実数として何人ぐらい参加しているか、といえば、非常に多く、ということになる。

 これに関して最も重要なプロジェクトは、世界に広めることだと考えた。それによってインターナショナル・コモンズを作ったわけである。このライセンシングを世界の異なった司法管轄区で展開していこうと。ブラジル、英国、スウェーデン、フィンランド、フランス、ドイツ、イタリア、そして最も重要なのは日本である。

 また今日、日本のライセンシング・エンジンが稼働し始めたという発表があった。ドラフト(草稿)が日本の法律家、コメンテーターによってチェックされ、ライセンスが可能になった。今日、ライセンシング・エンジンができて、1月15日までにこの準備が整う。自発にできるようになる。またライセンスのリクリエイションもできるようになる。日本ですぐにリリースされる。リクリエイトによって、アーティストは他の人にどんどん派生物を作ってください、ということになる。だが、それと同時に自分の名前をコピーしてくださいということも可能。営利目的でも、アーティストがいいといえば可能になる。それでもコピーをした代わりに支払いがほしいと言うことならそれも可能になる。

 そうなると、日本では同人誌などの文化がある。ブラジルではフォークミュージックの活動がある。そういったところに非常にふわさしいと思う。すでにわたしたちのアメリカで伝統的だったフリーな文化を世界中に広めようと思っている。

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 しかし、このフリーな文化(Free Culture)が脅威にさらされている。リチャード・ストールマンがいっているとおり、「フリー(無料)ビール」のようなフリーではない。文化の中でさらに自分の文化を耕していくフリー(自由)のことを言っているのである。海賊版などにより、いろいろな規制ができすぎてしまった。許可の要求が大きくなりすぎた。何かクリエイティブな作品を作る前に、何でも許可を得ないといけないということになってしまった。だから、規制を取り払って文化をもっと自由にしようということなのである。インターネット、デジタル・コンテンツによって今、クリエイティビティを発揮しやすくなっている。すごいクリエイティビティを発揮できるわけだから、それを可能にしようということである。

グレン・ブラウン氏(CCのExecutive Director)

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 CCジャパンはほぼ2年になるが、満足のいく仕事をさせていただいている。計画段階で作業していたが、地下室で仕事をしている印象をもったこともあった。経験のない海外にこういう考え方を広めていく活動に多くの人に賛同してもらい、感謝している。

 CCが著作権の問題とどう絡んでいるのかを説明したい。まず、簡単なアニメーションを見ていただきたい。(CCを紹介するGet Creativeのフラッシュが流れるが、調子が悪くて途中で一度やりなおしが入る)

 ただいまのビデオを翻訳してウェブサイトに掲載し、ライセンスでこういうことができるということを普及させていきたいと考えている。CCでは今こういう活動を行なっているという簡単な紹介をさせていただいた。

 さて、先ほどレッシグ教授のほうからCCについての紹介があったが、これは強調してもしすぎることはない。コピーライトについて、著作権論争は米国ではまだ練られた議論はなされていない。他の国では事情も異なっている。

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 著作権について、一方では米映画協会ジャック・ヴァレンティ会長のように強力に著作権の保護を主張するものがある。「すべての権利を保護すべきである。それには技術的な保護手段も含めて「テロ戦争」と呼んでいるが、そのように著作権を保護すべきだ」という主張である。

 一方で、EFF(エレクトロニック・フロンティア・ファウンデーション)の設立者のひとりジョン・ペリー・バーロウは1994年にエッセイを書いたが、非常にリベラルな立場をもつ人で、知的財産についてインターネット等の現実を踏まえると、ナンセンスであり、家具の配置換えをするようなものであるから、著作権について一から出直すべきである、という考え方を示しており、そういう考え方が広がっている。

 つまり、規制派と擁護派があるわけだが、CCはその極論の中間に立場をとっている。著作権の保護が必要という主張もあるが、より安価な形でものを創作したいという潮流も出てきている。CCはサンフランシスコで1年前、昨年の12月16日に発足したが、ジャック・ヴァレンティとバーロウ、双方からCCについては賛同をいただいている。つまり、著作権法について現実を踏まえる一方、ヴァレンティ氏からもCCに対するある程度の理解はいただいていると思っている。

 現在、ライセンスを使っている方について。CCのライセンスを使っている理由は二つある。一つは実際的な理由で、自由というアイデアに賛同いただいている。

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  • the Connexions Project――双方向の教育プログラム。ヒューストン。大学教授がコースのモジュールを章ごとに分けて、ライブラリのように中央に集める。学生や教授は章などを引き出して組み立て直すことができる。ここでCCが役割を果たしていて、許認可等の必要がいらなくなっている。
  • Second Life――これは非常に面白い新しいプロジェクト。マルチプレイヤーのヴァーチャル・コミュニティゲームだが、CCを使った初めてのヴァーチャル・ゲーム。
  • Opsound――何千といった曲を自由に使えるようになっている。
  • Berklee Shares.com――バークレー音楽大学。いろいろな音楽のレッスン、ギターの弾き方、ドラムなどいろいろな情報にCCがついている。
  • ロジー・マックギレン(?)――カリフォルニアのシンガー。CCのライセンスを使用している。自分のバージョンでサイトに音楽を載せている。ライセンスについて話をした時すぐに気に入ってくれた。これはインターネットの真髄であると賛同してくれた。
  • MIT OPEN COURSEWARE――オンライン教材がライセンスを使っている。いずれはすべてのオンライン教材でCCのライセンスを使う。教育プログラムがベトナムで進行中だが、さまざまなコース教材をサイトで提供している。無料で、CCライセンスをつけている。
  • ジルベルト・ジル(Gilberto Gil)――有名なミュージシャン
  • コーリー・ドクトロウ――SF作家。EFFにも関わっている。ヒューゴー賞作家。Magic Kingdomなどに携わっている。ペーパーバックを買えるサイトにもリンクしているが、無料でダウンロードできる。数十万件のダウンロードがある。印刷物と無料のダウンロード。
  • 1204-63.jpg
  • PLoS BIOLOGY――国際的な学術誌。商用のものと競合しているがCCを使っている。ノーベル受賞者も含まれる。
  • OYEZ――シカゴのプログラム。米国の最高裁に置ける口頭弁論に関するサイト。
  • Magnatune――商用のレコーディング。

 これはすべて米国の例だが、レッシグ教授は世界各地を飛び回って各地でコーディネートしている。米国で始めたのは資源の問題もあった。これからいろんなライセンスで世界各国に展開していきたい。それぞれ違った文化の著作物があるけれども、展開していきたいと考えている。

 CCの象徴的な活動として、ウェブログなどがある。必ずしも皆がCCに興味を持っているわけではないかもしれないが、興味のある人にはパートナーを募ることがある。ウェブロガー、ウェブサイトオペレーターがライセンスに賛同し、採用している。

質疑応答

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※会場から集められた質問の読み上げや回答補足は、野口さん(スタンフォード大。サイトの翻訳作業など)。Neeru Pahariaさん(アシスタント・ディレクター。サイト等のイラスト、図表作成など)、あと若槻絵美弁護士がいらっしゃった。

※回答しきれなかったものについてはウェブで公開されるとのこと。

アメリカのアーティストにはアメリカのCC、日本のアーティストには日本のCCを使うべきか?
正しい答えは難しいと思うが、考え方としてはローカルライセンスとして。日本のアーティストには日本のライセンスがふさわしいと思う。それぞれの管轄、ローカル・ライセンスとして使われるのが望ましい形態かと思われる。
企業内にいる人はCCを設定できるか(朝日新聞・原記者)
誰でもライセンスは使える。フリーで使えるので使ってほしい。だが、会社によっては解雇されてしまうこともあるかもしれない。CCということであれば許認可はいらない。
コンピュータープログラムが対象から外されているのはなぜか(朝日新聞・原記者)
ブラジルにCCGPLというのがあって、初めてソフトにライセンスを適用させようとして作業を始めている。CCがフリーソフトファウンデーションに流し、ポルトガル語に直している。これをまとめてブラジルのソフトウェアに適用できるようにする作業が進んでいる。これがソフトでは初めての試み。ただ、ライセンスを増やすわけではない。ソフトウェアのライセンスでは使いやすいように機械で読める表現をしっかりしていきたいと考えている。
クリエイターの意図がかなり変わってしまっても許可されるんでしょうか。No rights reserveからreserve for commerceに変わってもいいのか。
変わることはあると思う。気が変わったら、ライセンスを変えることができる。永久的な権利は著作権がある限り存在する。ライセンスは自分が選択した条件に従うことになる。
オープンなコンテンツのクリエーターにもお金が回っていく仕組みが必要だと思う。そのための決定的戦略はもっているか。価値が伝播する貨幣という案を考えているが、世界で新しい貨幣システムを入れて、コンテンツや価値が流通するシステムは考えられるか。
非常に素晴らしい質問だと思います。一つのモデルにしぼっていない。いろいろなアプローチをとっていきたい。小説を公表し、その後、たくさん本が売れるようになって成功することもあるだろう。NYTの記事などに載せることも可能だ。それより慎重にという人もいる。自分の作品のうち何曲かだけは改変してもいいということにするかもしれない。他のものからお金を取ることも可能だ。いろいろなアイデアを試してみたい。
CCを企業にも販促していくんですか?
悪の大企業はできるだけ取り込もうと思っている。私の人生のほとんどはそういった大企業だった。ディズニーやMSやレコード会社など。ジャック・ヴァレンティが「何かミスがあったんではないか」と言って認めてくれている。JASRACも代表がいらっしゃっているが、いいアイデアだ、展開を見守りたいと言ってくださっている。排他性=P(プログレス)だが、できるだけ多くの大企業を取り込んでいきたい。12月末までには、非常に大きな会社がCCを非常に大規模に取り入れることが発表できると思う。
CCは企業、あるいは著作権者に、公開するインセンティブを充分に与えないのではないか。オープンソースソフトウェアとの安易な比較に頼りすぎではないのか。CCジャパンは実際に昨日しているのか。CCは要するにモラルの問題ではないのか。(八田さん)
私たちには、将来がどうなるかわからない。CCのメッセージは「実験的」ということ。たくさんライセンスをどんどん作ってみる。そして将来、それを変えていく。充分なインセンティブをアーティスト、クリエーターに与えることができるか、それはやってみて様子をみたい。だめなら変えていく。既存のシステムをまた作り直そうとしているのではなく、補完しようとしている。そのためにはできるだけたくさんの人に参加してほしいと思っている。たとえば、マドンナ、デヴィッド・ボウイ。そういった人たちがいつも同じやり方をしていて、新しいクリエーターが新しい形でクリエートすれば、そちらが成功することだろう。マドンナがCCを選ばなくても、それは必ずしも失敗ということにはならない。私の好きな作家などはCCをどんどん採用してくれている。新しいクリエイターはCCを新しいクリエイティブな方向だと認めてくれている。できるだけよい方向へ変えていきたいと考えている。
CCを作るということは、創造的なことをしようといっているより、ビジネスをしようといっているような気がする。
クリエーターが二つの仕事(創作と金儲け)をするようになる、ということですか? もちろんそれは公正なことだと思うが、CCの使い方は、それを使って販売しようという人もいる。多くの作家がCCを使って作品をリリースしている。販売方法としていいということで使っている人もいる。必ずしもアマチュアにのみ使ってほしいというわけではない。また、業界という枠組みを超えていきたいと思っている。ほとんどのコンテンツ提供者は制限することが好きで、クリエイティビティを奨励するわけではない。私たちはすべてコンテンツに関してそういうことをしたくない。ジョン・ペリー・バーロウは、パフォーマンスのコピーをすることによって活性化すると言っている。私たちは、規制を撤廃するということではなく、緩和していきたいと思っている。彼らにいつまでもウェイター・ウェイトレスをやってほしいわけではなく、金儲けをしてもらってもいい。
ライセンスに違反した人に対して、どのような対応を考えているか。著作物のCCが非営利なのに営利目的で利用されてしまった場合、自分はどういうことができるか。
これは追跡し、罰則を加える――ということはできない。我々は警察ではない。訴えたりもしない。フリーウェア基金のように、作者の苦情申し立てがあればサポートはするが、警察ではない。デジタル権のテクノロジーによる保護に似ている。パブリッシャー、アーティストの権利を守りながら、技術も執行することになる。バランスがとれていなければならない。つまり、技術の使用と権利の保護のバランスをとらなければならないということだ。DRM(デジタル著作権管理)を効率的にやるということであって、DRE(デジタル著作権表現)ではない。そう言った権利をきちんと表現できたら、あとは法律の執行は法執行機関に任せる。私たちはもっときちんと守ってもらえるシステムを作ることに焦点を絞っていきたい。
2つのタイプの作品がある。一つはまっさらなところから作るクリエイティブなもの(版権がとれるもの)、もう一つは何かをクリッピング、引用して作るもの(金はとれないだろう)。そうすると、著作権以外に新しい表現が必要になるか?
私は本当に何もないところから出てくるものはないと思う。常に何かを土台にしてクリエイティビティが生まれると思う。だから区別は設けない。区別があるとしたら、誰かの作品を全体的にただコピーして使うか、それとも改変するか。二つ目の活動は非常に重要。ただ、それをやることが既存の法律では難しい。ただ単にコピーすることは コンテキストを非常に曖昧にするので、それは区別する。本当に誰かが何もないところから何かを作ったとしたら、それを理解しなければならないが……。
ウェブログのコメントやトラックバックなど、自分の創作以外のものが含まれている時に、すべて自分の判断でCCをつけてしまうと混乱が生じてしまうのではないか(私の質問でした)
ウェブログは米国ではこの数年間、非常に難しい問題になっている。ウェブログが出てきたことで、メディテーターとしてRDFのような技術が出てきて、そういう情報を提供して、フィーディングし、高度な形でリンクがサイトで戻って来るということでちょっと曖昧な点がある。それではそのライセンスの適用範囲がそのストリームの中でどのくらい広くなるか。例えばライセンスについてその一部分だけではないか、とか、これは多分執行上の問題になってくるのではないかと思う。文脈の中で、部分的には、それをどうやってフィットさせていけるかということ。もし、解決法をご存じの方がいたらTシャツを無償で差し上げたいと思うくらいだ。
どうやって現状と妥協するか。各国の著作権での期間の違いもある。こういった違いを超えて何か国際機関のようなものを例えばWTOなどによって調整して発展を見るには、時間がかかるだろう。そういったメカニズムは可能なのか。例えば、機械や装置で減価償却といった考え方が可能か。
最高裁の例もあるが、実際、敗訴というケースもある。議会でも著作権の延長と言うことで議論がされている。政府は保護期間の延長と、現存する作品の延長を区別していない。したがってパブリックドメインに絡んだ著作権というときに延長の理由を考えてくる。ミッキーマウス保護法とも私は呼んでいる。そういったものは永遠に続くプロセスかと思う。そこで解決法があるのか。二つ考えられる。既存の著作権の延長はやめるべきだ。今後の著作権の延長と言うことであれば、保護期間は非常に長いので問題にならない。2番目はリクリエイト、アングロアメリカンの伝統では立法を再整備すること。著作権はあるが、誰が何を持っているか、だれかの著作物を使う前に問いかける必要がある。日本では著作者がわからないときの規定があるが。アメリカでは所有者がわからないときに難しい問題がある。
CCではなくコンピューターの質問。現在MSやインテルが次世代のセキュリティなOSを構築して自分たちのPC市場を独占しているように思うがどのような立場をとるのか。これをライセンスで対抗するのは難しいのではないか。市場を独占して非公開的な知的財産権を主張しているメーカーは使い方を公開する義務もあるのではないか。
MS、インテルがどうなるかは難しいが、「コンピューティングシステムの中」で唯一クリエーターを保護する方法、それは巨大なDRMをインフラに構築することだと思う。他に代替方法が見当たらない。そうすると非常に高価なシステムネットワークの構築が必要になる。インターネット内にそういったシステムを構築する必要が出てきてしまう。ここでCCが役割を果たす。我々はそういったDRMシステムは必要ないと言っている。つまり、ネットワークの構築は必要ない。コンテンツの使用はフリーと独占との競争において、コンテンツを使いやすくしたい。例えばサンプリングライセンス、自由にサンプリングしていいということが可能なら、フリーストレーンを作って独占企業と対抗できる。これは重要な自由になる。弁護士を通さずにできる。フリーコンテンツは独占のものと共存できる。この種の競争がDRMシステム構築の前に出てくれば、柔軟なネットワークを構成できる。我々はCCのオープンで柔軟なシステムで競争を促進していきたい。
日本のCCの不完全性について。仲介を省くというのも日本では新しい考え方だが、そういう思想を促進する時、バイオロジーやナノテクなど競争市場での制約についての問題はないのか。
一つの重要な考え方だが、これをただ話すだけではなく示すことで考えを普及させていきたい。日本のCCではウェブサイトの中でどういうことが起こっているかを説明しようとしている。実際にCCを使っている人がなぜこれが有益なのかを説明してもらいたい。日本でどういうところで使われるかと言うことだが、同人誌(Dojinshi)マーケットでは興味を持ってもらえるのではないか。派生物として。CCのコンセプトを、企業が使っている例で奨励するという例もある。JASRACの例でも、そういった経験、CCを部分的にでもライセンスビジネスに活用することが有用な例になるかもしれない。まだ例を作っている段階。日本では月一回紹介しているが、実例が増えれば定着していくと思う。
会社に勤めている人が会社のために書いた記事は、会社に著作権があるので、ライターの人が勝手にCCを登録することはできないのではないか。
米国の法律ではそうです。会社が所有者となります。日本でも同様。
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※ここからマイクを会場に回し、直接の質疑応答になる。

アート作品として、自分のCDをネットを通して自動的に演奏してくれるロボットを作ってみんなで聞けるというものを作ろうとしているが、ネットを通して自分の持っているCDを聞けるようにすることは世界各国では法的にどういう扱いを受けるか(コミュニティエンジン中嶋さん)
音楽コンテンツは自分が書いたもの?(店で買ったCDもあります)――アメリカでは犯罪者と呼ばれます。
(あとで野口さんが追加)CDを買って載せるということだと思う。
MP3でも犯罪行為になってしまう。
後でライセンスを変更する場合。以前より規定がきつくなってしまった場合、前のライセンスのままコンテンツを使用していた人の責任はどうなるのか。CCはこのような紛争を事前に回避するのが目的のはずなので、逆にややこしいものが発生してしまうならシステム的な機能不全になるのでは?
CCの目的はそういった複雑性をできるだけなくすこと。法律に合っている限りですが。著作権法は非常に複雑になっており、これは司法の恥です。使い勝手がまったくよくない。誰かに600ドル払わないと使えないというのはよくない。CCはできるだけ簡単にしたい。そういった場合の答えは複雑になってしまうので簡単に言うと、3日間コンテントを発表したとする。初日のライセンスはBY(帰属明記)で公表した。2日目になってBY-NC(帰属明記・商用不可)にしたとする。3日目に私があなたのコンテンツをとってCCをとって改変する。そうすると私があなたのコンテントを使える権利はBY-NCという二日目の条件に従うことになる。しかしBYをくれている限り、一日目の条件だと商用でもいいことになる。変更されたときにはややこしくなるので、方向性としてはできるだけシンプルにしておきたいということ。
(八田さん)CCに懐疑的な理由。どうしてもオーサーにメリットがあるように思えない。オープンソースだと公開することで直接のメリットがある。IBMやHPは公開することが世の中のためになるからではなく、利益になるから。一般的な著作物の場合は保守にコストがかからないので、オーサーが公開するインセンティブにはならないのではないか、というのが最初の質問だった。そのあたりをもう一度聞きたい。アメリカの大企業がすでにCCを採用する方向で動いているということをお聞きしたが、それはどういう事情なのか。
オーサーがフリーでオンラインでリリースして、というのは誰も電子版では読まないから。オンラインでフリーでリリースしているというのは、ダウンロードして気に入れば買う。気に入らなければ買わないが。人によってはその本をコンピューターで読む人もいるだろうが、これはいいから買おうということになる。しかし、ダウンロードしてPCで読もうという人は多くない。だから、無名のオーサーにとっては有力なマーケティングツールとなる。世に知らしめるためのツールとして。そういった意味においてインセンティブを生み出していると思う。もっと本を読んでもらえるかもしれない。ミュージシャンは話がちょっと違っていて、レコーディングラベルの上にCCをつけておけば、例えば20年前に作られたものについて、別のミュージシャンが歌を歌ったり、作曲をしたり、ミュージシャンのほうでCDを作ろう、コンテンツをフリーでシェアしてもらえるようにしようという風に考えて、音楽に対する公開者が増える。それはそういったコンテンツへの需要が上がるということ。レコードラベルをとるということで悪くはないと思う。それほどいいことではないかもしれないが、例えば先ほどの電話のムービーやブッシュのムービーのようなコンテンツのクリエイティビティは、コンテンツが世に出て初めて起こるわけである。法律を気にせずに。そういった以前はなかった商業市場で売りたい場合、以前は著作権制度が非常に複雑だったために実現できなかったが、実現できるようになる。我々のコミットメントとしては、何が正しいと決めることではなく、機会を広げること。ライセンスに関して、そこから何が作られるか、現実を見据えたいということ。ライセンスを使えるようにして3カ月、6カ月とサインオンの状況を見てみれれば、驚かれることになるかもしれません。
(八田さん)企業でCCを採用している動きがあるというが依然として少数派である。将来多数派になるのか?という質問に対して、そうだとはなかなか言いづらい状況にあるのではないかと思った。人々が最もCCとしてほしいコンテンツは、実はCCと最も遠い立場にあたる、たとえばミッキーマウスといった有料コンテンツであると思われる。CCに最もインセンティブがある人たちは、これまで表現の場がなかったアマチュアの人たちではないかと思う。
将来は過去と同じようなもので、人々はただテレビの前に座っているような未来だろうか。ミッキーマウスを毎週テレビで見る、それが将来もそうだろうか。もしそうだとしたらあなたの言っていることは正しい、私の言っていることは間違っているということになると思う。ただ単にそういった放送文化で人々が今までどおり消極的であれば、そうかもしれない。500のチャンネルがあって、そのうち300でミッキーマウスが流れているような状況ではそうかもしれない。今やろうとしていることは将来は違うという想定に立っている。消費者がこれからはカウチポテトではなく、自分たちでコンテンツを作り始める。そして配布もし始める。子供たちがマルチプルオンラインゲームをする。自分たちで何かを作り始める、と思っている。その多くがゲームをするだけではなく、自分たちで作りながら、シェアをしながら楽しむと思う。こういった技術が入手可能になっている。映画を作るような技術が。こういうクリエイティブな人たちが0.1%から0.3%に、1%に増えてくるかもしれない。このような未来を見ている。この違いは非常に重要である。例えば西洋・欧米の文化を、同人誌をやっているような人たちの文化に変えるかもしれない。ただテレビを見ているだけではなくて、そういった人たちがテレビを作っていくかもしれない。そうしたらスゴイと思いませんか。キュートなマンガやストーリーやオンラインゲームを作っていく。政治的なスピーチも出てくるかもしれない。だから、消極的になってただテレビを見ているだけという未来ではないかもしれない。アメリカの大統領選も変わってくるだろう。将来がどうなるかにはもちろん議論がある。私はよく悲観主義者と言われるが、楽観主義者になろうとしている。子供たちはもうクリエイティブな形でコンピューターを使うことがもうできている。ディズニーと同じように、見ているだけでなくて作り始めるだろう。それが現実になっている。そういった世代に対してフリーにしていかなければならない。そうでなければ彼らがみんな犯罪者になってしまう。コンテンツのオーナーの許可なしに使っているとうことになる。そうするとみんな犯罪者になってしまう。そのうち、12歳の少年が著作権違反で訴えられてしまうことになるだろう。だから、著作権違反で訴え、悪いことだからといってやめなさい、ディズニーのテレビだけみてなさい、というのではなく、法律を変えようじゃないかと言っている。しかし、法律そのものを変えるのではなく、プライベートな世界で法律の運用を変えていこうとしているのである。そうすればクリエイティブな人々が1%から3%に増え、よりクリエイティブになっていくかもしれない。ディズニーの代わりにキティちゃんのようなものが生まれてくるかもしれない(※キティちゃんについては、レッシグ教授の事実誤認か?)。
賛成。クリエイターのための何らかのインセンティブな機構が必要。そのためにはやはりそのような仕組みが必要だ。クリエイターに価値が生まれるように。それが言いたい。
CCをイタリアでやっている人が素晴らしいアイデアを思いついた。アメリカ人では思いつかない。このイタリア人はこう言っている。インセンティブは必要だ。では、ここからどうやってお金を得るかと言うことに終始しがちだが、自由こそがインセンティブではないか。と言っている。たとえば、自分の仕事以外にそういうクリエイティブなことを楽しめるということがある。同人誌をやっている人たちはどういう目的でやっているだろうか。それと同じことだ。だから、インセンティブにも二つある。一つはお金。もう一つはアーティストがクリエイティブな文化の創造に関与しやすくする。これがデジタルテクノロジーのある現代で可能になっている。アメリカでは5社でカルチャー全体の80%を作っている。それはまるでソヴィエトのカルチャー工場のようだ。そうではなく文化創造も民主主義化しなければならない。それは技術がある今なら可能になっている。
(Pahariaさん)ディズニーのことをおっしゃいました。なぜミッキーがいいのか。それはディズニーがミッキーマウスの需要を喚起するためにどれだけの投資を行なっているかということを考えなければならない。人々に対してミッキーマウスがいいということを説得するために非常に大きな投資をしている。だから、フリーの中でも、どうやって人々に需要を喚起していくかということがある。そのためには口コミで広げていくしかない。非常にいいものがあるよ、ということで。いいものがあるのに知られていないからわかっていない。
娘がカウチポテトのようにコンピューターゲームをやっている。やろうとなさっていることは、クリエイターをサイトに一堂に集めてコラボレーションを喚起することだと理解しようとしているのですが、どうやってそれで収益が上がるんでしょうか。素晴らしい活動だと思いますが。
いえ、収益を上げません。実際、非営利団体であって、営利目的ではない。いくつかの主要な財団からサポートを得ている。ヒューレット財団、マッカーサー財団など。しかし、我々の信念は、特に国際的なコモンズ・プロジェクトで成功を収めることができれば、そういった間接的な形で財団からの助勢を受けてコストをカバーできるというもの。ただ、営利目的ではない。だましてお金をとるのではなく、考え方に対する信頼感を高めて文化に貢献していきたい。もちろん、お金をいただけるというのであればありがたくちょうだいしたいと思うが。
ナノテクについてお尋ねしたい。どうやってアクセスをコントロールするのか。パームパイロットという考え方がある。将来はデジタルの紙・インクということになると思うが、どうやってCCをプロモートしていくのか。MP3とかのフォーマットを作る人がいるが、CCがプレイヤーに出てくるような形でCCが出てくれば人々の意識も高まると思う。子供向けのアプリケーションで、CCがついたファイルがあればそれをウェブに載せるような形で意識を高められるのではないか。
MP3のフォーマットはCCにある。我々がやってきたのはMP3のライセンスをリンクバックできるプロトコル。MP3を構築する時にコンテンツのマーキングができるような形のソフトを作っている人もいる。最終的にはP2Pソフトの側で、CCだったら緑のライトがつくような形になればいいのだが。

※改めてまとめて見直してみての感想。

・理念そのものには賛同する。私が批判的なことを書くとしたら、それを安心して使いたいからだと考えていただきたい。

・レッシグ教授は日本の著作権の現状をあまりご存じではないのではないか。例えば著作権について日本著作権協会の見解などは非常に妥当であると思われるため、日本での著作権戦争というのは法的な問題というより、一部の企業・組織の運用における問題となる。つまり、引用などにおいてアメリカのように「弁護士を通さなければクリエイティブなことができない」というのはあまりない。

・逆にJASRACの実態や、大規模企業による著作権の封じ込めの現状はご存じないように思う。

・同人誌文化に注目されているようだが、同人誌間での再生産はほとんどない。版権のあるコミック・ゲーム等からの二次作品が多い。となると、それは出版社やゲーム会社がCCを受け入れるか否かという問題であって、クリエイター自身が選ぶことはあまり意味がない、ということになる。だが、現状、版元がCCを認めることはほぼありえないだろう(作家自身の意向にかかわらず)。ここをどう打破するのか。

・そして、もちろん、ブログ等自分だけの情報ではなく、他者の情報と入り乱れて存在するものについて、CCの適用範囲を明確に規定する必要がある。日本的な「適正な引用は可」という著作権法を適用する場合には特に問題がないのに、CCだと問題が生じてしまうのである。

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2003年12月 6日14:30| 記事内容分類:著作権| by 松永英明
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ウェブログ@ことのは - ローレンス・レッシグ教授との対話ミーティング【非公式私家版】 知的所有権、著作権、(同人誌などの)フリーカルチャー。... 続きを読む

ウェブログ@ことのはで12月2日のイベントのログが公開されている。 こういうログが出てくるのは素直に嬉しいかな。一応私は会場にいたので話は聞いていたが。著作権がどうのという... 続きを読む

CC(クリエイティブ・コモンズ)のライセンスについてです。 世間の足並みとは一歩も二歩も遅れている気がしますが、八田さんの「クリエイティブ・コモンズに対する悲観的な見解... 続きを読む

コメント(9)

松永 さん
まずお礼を申し述べておきます。
このように、日本語訳がスピーディーに出てくると助かります。

情報資本主義は実はピークアウトしようとしているのだ、という意見もあります。

知的生産性にとって、また少子高齢化という構造変化にどう対処しようかとしている国にとって、これは大きな問題だと思っています。

日本なぞは、情報資本主義がさしたる成果を生まないまま、ピークアウトの流れの中に飲み込まれてしまうのか、はたまた、ご指摘のような、法律的な曖昧性が却って奏効するのか、そのあたりはよくわかりません。

内容についててはまた、松永さんの御議論とか是非伺いたいです。

お疲れ様です、詳細なレポートありがとうございます。
さて、数箇所typoと思われる部分に気がつきましたのでお知らせしておきます。

アメリカのアメリカのCC -> アメリカのアーティストにはアメリカのCC
原記者 -> 現記者

ご指摘ありがとうございます!2点目ですが、原さんという記者の方でした(^-^)

なるほど、そうでしたか。思い込みって恐ろしい。失礼しました m(_ _)m

松永さん、コマプ墨田です。玉木BBS勝手にリンクですいませんでした。

んー、なかなか詳細まで直捉えるのは難しいですが、こうしたムーブメントは誰もが求めている事でした。

僕の視点ですが、こうしたCCのビジョンは、ひとつの大きな観点の変革をもたらすだろうということ。それは、実はもう現実に起こってること。

つまり、絶対的な権利を囲い込んでそれを売るというプロのクリエイトに対して、売るという発想を放棄した人間がそれ以上のクリエイトを成し遂げるだろうという事件!これは起こってる。既にポップスがそうです。インディーズで自腹の活動をやってる連中の方がメディアで流れるものよりいい。なぜなら自由だから。

あるいは、実はCCが行ってるような事は、2チャンネルで欲求的真実からもうやられてる。僕はまだ聞いてないんですが、mp3である人が載せた音源を次々にリミックスし変容していく。
これは全て匿名で行われてる。だれも、自分の作品が何処から何処までなど始めから考えてない。最初の音源がオリジナルだと主張する人間もいない。ここには強い権利を主張する主体どころか、たった一人の明確な人物像さえ存在しない。これは音楽の在り方の革命です。しかも、極めて日本的な可能性。勿論、出来たサウンドのクオリティ如何とは別に在り方のです。この話を教えてくれた友人が言うには、非常に優れたものもあるとのことですよ。

補足

インディーズの連中だって、全く金は関係ないぜということは無いですけどね。ただ、それ以上の事が優先されてる。みんな今自分のビジョンに忠実に発信する為の模索でやってる。そのためにみんなバイトしてる。そいつらがノルマを稼いでなんとかぎりぎり動いてるのがライブハウスってところ。勿論ライブハウスだってギリギリのところが多い訳です。創造的に成ろうとすればなるほど苦しくなる。あ、チョッと別な話になっちゃいそうなんでこのへんで~。昨日も素晴らしい歌声が新宿の路上に響いていたなぁ。

こんにちは。
僕は長文ばっかり書くくせに、長文を読むのは
あまり好きではないというしょうがない奴なのですが、
松永さんの「ローレンス・レッシグ教授との対話ミーティング【非公式私家版】」などの役立つ物の素早いテキスト化は、情報を把握していくなどの大切な部分で大いに役立っていて実に感謝しています。
自分の勉強の不足している部分を補う重要な
「書物」のような存在になっています。
音楽とは又違ったライターとしての視点による松永さんの文章表現には、表現し難いですが「解りやすさと魅力の様なもの」を感じています。
実際に来年から某所でスタジオ、レーベル、その他を躍動させていく立場にあるのですが、
新しい仕組み作りをはじめる事が出来た時には松永さんに是非評していただきたいと思っています。

はじめまして。当日会場にいた者です。
一点気になったのでコメントさせて頂きます。
>DRM(デジタル著作権管理)を効率的にやるということであって、DRE(デジタル著作権表現)ではない。
と言う記述がありますが、CCはDREであって、DRMでは無いという事を言われていたと思います。
また、Lessig自身がBlogでそう書いていたそうです。
http://www.lessig.org/blog/archives/001067.shtml

誤訳があるので指摘します。

「ライセンスに違反した人に対して、どのような対応を考えているか。著作物のCCが非営利なのに営利目的で利用されてしまった場合、自分はどういうことができるか。 」

という質問の回答の中に

「フリーウェア基金のように、作者の苦情申し立てがあればサポートはするが、警察ではない。」

とありますが、この「フリーウェア基金」というのは、Free Software Foundationのことだとでしょう。通称「FSF」と呼ばれ、日本語訳としては、「フリーソフトウェア財団」が一般的です。
http://www.gnu.org/home.ja.html

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このブログ記事について

このページは、松永英明が2003年12月 6日 14:30に書いたブログ記事です。
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