自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ

 わたしたちは今、インターネットという強力な情報ツールを手に入れています。「我々は自分で直接取材して真実を知るという手段を持たないのだから、マスコミ報道を信じるしかない」と主張する人たちがいますが、インターネットを使える人がそのようなことを言うのは恥ずかしいことです。検索すれば、少なくとも複数のメディアによる報道内容が手に入り、比較検討することによって真実が見えてくることがあります。場合によっては当事者自身の発言や詳しい状況も判明します。
 それは決して「マスコミは嘘をついている」という意味ではありません。「その気になればわたしたち自身による自己検証は可能だ」ということです。それによって「ああ、やっぱり報道は正しかった」と思うこともあるでしょうし、「ニュアンスが違うなあ」と思うこともあるでしょう。あるいは「この報道は意図的だ」とわかることもあります。

 今回はパウエル長官の「自己責任」に関する発言についてこの続きで検証してみます。

2004年4月19日09:22| 記事内容分類:メディアリテラシー| by 松永英明
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 といっても今回は完全に受け売りのネタ。
はてなダイアリー - Another Stone Circle「パウエル国務長官のインタビュー」
はてなダイアリー - 空腹海岸海の家 実行準備委員会(アジト)「朝日新聞が記事を差し替えました」
はてなダイアリー - ヒラ日記 2004-04-17

 パウエル長官が誘拐された三邦人の「自己責任」について「危険を冒した国民についても、国は保護する義務がある」と述べた、という件についてです(その発言が妥当か否か、どう考えるべきかについて、わたしの今回の文章は触れるつもりはありません。単にソースを辿る練習です)。
 これについて、TBSによる抄訳には間違いがあること(ヒラ日記参照)、朝日新聞がこの件についての報道をとりやめたこと(空腹海岸海の家参照)が指摘されています。いずれも原文に当たっての比較検証です。

 アメリカ国務省に掲載されている原文はこれです。
Interview on Tokyo Broadcasting System International with Shigenori Kanehira インタビュー全文(英語)

[パウエル長官のある種の雰囲気にたじろぐ]ホワイトハウスから徒歩5分)インタビューした金平氏自身の日記

 最初に紹介した記事では原文に加えて独自の訳も掲載されていますが、屋上屋を架すことをいとわず、自分で訳してみました。

【金平氏】近代国家の歴史の中で、すべての政府はその国の国民(市民・民間人)を保護する義務を有するといわれています。日本では「誘拐された人たちはすすんで危険を冒したのだから、その行為には自分で責任を取るべきであった」と言う人たちもいます。長官はどのようにお考えですか?

【パウエル国務長官】そうですね、危険な地域に行くときに冒すことになる危険は、だれもが理解しておくべきです。しかし、だれも危険を冒そうとしなかったら、わたしたちは決して前進することがないでしょう。この世界を前へ進めることもないでしょう。
 ですから、この三人の日本の国民がさらによいもの、さらによい目的を求めてあえて危険を冒したということを、わたしはうれしく思います。そして、日本人は、このように危険を冒そうという国民がいるということを非常に誇りに思うべきですし、イラクに派遣されて現にあえて危険を冒している兵士たちを非常に誇りに思うべきなのです。
 このような危険を冒したがゆえにその人たちがとらえられたときであっても、わたしたちは「あなたが危険を冒したのだから、それはあなたの過失だ」と言うことができるわけではありません。そんなときでもわたしたちは、その人たちを無事に取り戻すことができるようにあらゆることをなす義務がありますし、その人たちについて真剣に気づかう義務があるのです。その人たちはわたしたちの友人です。わたしたちの隣人です。わたしたちの同胞なんです。

 ネット上では様々な情報が飛び交っています。どんな情報を公開するも自由です。もし、公開された情報を鵜呑みにしてだまされたとしたら、だまされる方が悪いのです。もしかしたら、私のこの訳も捏造だったり嘘だったりするかもしれませんよ? 今回であれば、リンク先の国務省サイトのページは、たとえ英語が読めなくても、とりあえず存在するかどうかの確認だけでも見ておくべきです。「自分で情報の真偽を確かめようとしなかった責任」こそ、私たちが負うべき「自己の責任」でありましょう。

 もちろん、立場が逆になって、自分が文章を書くときには、できるだけわかりやすく、間違いのないようにするのが「自己の責任」となることは言うまでもありません。読むときにも書くときにも、相手の責任を問う前に自己の責任を考えることが必要だ、というごく当たり前の話です(世の中には一方の責任だけを問う人たちが多すぎる)。

 ちなみに「自己責任」とは「自分のやったことは自分で責任をとれ」という意味合いで使われていますが、もともとは法律用語で「自分の取らなければならない責任は限定されている」というときに使う言葉らしいです。
自己責任と自己防衛(2001.5・683号)によれば以下のとおり(強調は引用者による)。

マスコミ等が自己責任という用語を用い、損失(害)の最終的帰属先の「責任」を表現することがあります。
 それは多分に、弱者に被害がしわ寄せされることを揶揄し、比喩的に表現したものでしょうが、誤用と云わなければなりません。自己責任とは、本来、近代法の基本原則で、人は自分の負うべき責任のみを負い、他人の責任まで負うことはない、と言うことです。従って他に、責任を負う者が居るのに、事実上全責任を負うことを強いられている者の「責任」を意味するものではありません。

 だそうなので、誘拐された三邦人に対して自己責任という言葉を使うと「彼らは自分の責任のある範囲だけ責任を負えばいい」という意味になってしまい、「全責任が彼らにある」という主張からはずれてしまうので、そういう人は「自業自得」とか言った方がいいと思います。【追記:自己責任については、KANWAKYUDAI::Blog: 「自己責任」に詳しく載っています。】

 念を押しておきますが、今回の記事はパウエルの発言がどうとかこうとか、誘拐された三邦人がどうとかこうとかいう内容ではなく、単純に「原典に当たることが必要だ」という内容ですのでご了承ください。コメント欄にて政治的な発言(特に私をどちらかの陣営に属するものと勝手に決めつけるような発言)は左右双方とも削除することがありますし、私は答えるつもりもありませんのでどうぞよろしく。

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2004年4月19日09:22| 記事内容分類:メディアリテラシー| by 松永英明
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コメント(11)

「自己責任」という言葉の語源を検索してみました。
比較的新しい造語のようです。
URLの先をご覧下さい。

法律用語とは違う意味で、一般の人が「自己責任」という言葉を使ったとしても、それは”誤用”なのかな? というか”誤用”で悪いのかな?
言葉の使い方なんてどんどん変わっていくものだし、大多数の人が使ってる意味(一般生活では)優先されると思うのですけれども。

確かに言葉は生き物なので、どんどん変わっても不思議ではないですね。例えば「確信犯」(「あえてやる」や「悪いと知っていてやる」ではなく、思想信条に基づいて行なわれる犯罪のこと)や「プロ市民」(もともとは市民としての自覚のある市民で、青年会議所発の言葉。左派のことではなかった)など、本来の用法と違う意味で使われることが多くなった言葉も多く存在します。

ただ、「自己責任」も新しい言葉で、しかも原義と外れた使い方が広まりつつある段階においては、どちらの意味で使っているのか混乱することがあると思います。もし、自分の考えていることを正確に伝えたいとするならば、「本来の意味からずれた使い方」をそのまま受け入れるのはどうかな、と思います。

また、一般用語を法律の世界では別の意味に使うという場合も多いようですが、この「自己責任」についてはもともと法律用語だったものを一般的に間違った用法で使っているわけで、通常とは逆のパターンです。一般用語が法律の世界で限定的な意味で使われる場合は、特に断らない限り、一般的な意味が完全に優先だと私も思いますが、逆の場合はやはり原義を押さえておくべきだろうと思います。

野球で外人選手のヒーローインタビュー聞いてると訳が全然違うことが良くある。
誤訳なんてしょっちゅうなんだろうなぁやっぱり・・・。

常日頃から複数のメディアを利用して、比較・検証する能力が求められてはいる。所謂、メディアリティシーと呼ばれる能力だが個人で収集できる能力はたとえインターネットを利用しても限界がある。
しかもその能力は個人差が大きい。もし、個人がその情報処理能力を超えた情報を集めれば如何に有益な情報でも破棄されるか無視される公算は強い。
個人の力が無力化される現代社会に置いて、絶対的な物差しがない現代ではどの様な価値観を社会に対して有するかによって情報を扱う能力が決定されてしまう。
結果として、個人は共有する価値観を持つ小社会の成員として帰属し、排他的傾向を持つこととなる。
飽和的な情報社会を生きる現代人は、次に何をすべきか他者に依存する事を強めていく。
今回の事件はそのことに対して警鐘を鳴らす結果を産んだが、私個人としてはこれを解決する糸口を見いだせないでいる。果たして如何にすべきであろうか?

就職活動をする時に複数の新聞を読むことをすすめられました。
「インターネットがあるから新聞はいいや」とか思って聞き流していたのですが、今回のエントリーでそれがどう言う意味を持っていたのか気付かされた気がします。
この事を小学校低学年から高校生くらいまでに分かりやすく教えることができないかなーとか考えています。

「自己責任」という言葉の一番古い用例は、私が知っている範囲では『菊と刀』の中にあります。原書では‘self-responsibility’で、長谷川松治が「自己責任」と訳しました。ただし、この二、三週間の自己責任論が学問的裏づけを持っているなどと早合点してはいけません。ベネディクトは日本人の自己責任を日本文化の型の一つとみなし、「刀」をそれの象徴としたのですが、彼女の言う「文化の型」は人間の無意識の領域にあるのです。したがって「自己責任」は、決して他人に要求したり、他人から要求されたりすることのあり得ないものなのです。それはあくまで自発的であることによってのみあり得るのです。そういうわけですから、間違っても、現在巷間で言われている「自己責任」と、ベネディクトが言った‘self-responsibility’とを同一視してはなりません。

刑法のレポートで「自己責任」について、検索したらこのページに辿りつきました。
ここでは自己責任と自己防衛(2001.5・683号)というところから引用して、自己責任の説明をしておりますが、そこで書かれている「自己責任とは、本来、近代法の基本原則で、人は自分の負うべき責任のみを負い、他人の責任まで負うことはない、と言うことです。」といのは、刑法でいう「個人責任の原則」の内容であり、これが「自己責任」の意味だとするのは、間違っていると思います。

「通りすがり」の人がでは何をもって正しい意味とするのかを知りたいです。
・『菊と刀』では「自己責任」はあくまでも自分自身に対して投げかける言葉であり、他人に押しつける言葉ではない。
・刑法その他法律用語としては、自己の責任以上のことを問われる必要はない、という意味であり、他人に責任を押しつける意味ではない。
・日常用語で自己責任という言葉が使われ始めたのはかなり新しい最近のことであり、先行する用語の意味合いからずれているのは事実。
というのが今のところのまとめです。
たくさんの人が使っているうちに誤用ではないことになる、というのは事実ですが、そういうことばっかりやってると、自分が勝手な意味で使っている言葉の意味をわかってもらえないのを相手の「自己責任」として押しつけるようなことになってしまいかねないと思いますね。

悪意と善意も「知ってる」と「知らない」って意味で使わないと間違いなわけですか? 法律用語と日常使われている用語が異なるっていう当たり前なことを知らない管理人さんへ

>>そうすると
管理人さんのコメントをよく読んでみたほうがいいのでは。
善意、悪意の場合は、もともとの言葉の意味があって、それが違う意味の法律用語になってます。しかし、「自己責任」は、法律用語が転じて「日常の言葉」として定着したものであり、だと思います。この場合、「法律用語がもともとの正しい意味で、日常の使い方は間違ってる」ととおもいます。

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