木村剛「転載こそネット流」理論は完全に破綻――隠された「安倍ぬすみ主義ジャイアニズム」

 だから、そういう書き方がいやらしいと言ってるんですよ、木村剛さん。

 週刊!木村剛 powered by ココログ: 「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?において、私が先日書いた「木村剛氏の「ブロガーとしての資質」を問う――自分のものとして取り込みたがる人々」記事に対応すると思われる「反論」が掲載されているが、その書き方は前回指摘したいやらしい方法をそのまま踏襲している。

 「読者の利便を優先」したいという木村剛氏は、「こうした手法に反対の方々も少なくないようです」「ネット界の重鎮の中には、「ネット社会に対する冒涜」と捉える方もいらっしゃるようで、ネット界もなかなかに難しいものだと感じさせられる今日この頃です」と書きながら、そういう風に「反対」している人たちが誰なのか、具体的にどのようにとらえられているのかということについては、お得意の「全文転載」どころか、リンクも出典の提示もまったくしない。この「謎めき系」のいやらしい書き方について、「先日のエントリー「トラックバックからの転載」に木村剛氏が反応したわけだが(笑わせんなヴォケが!)」でも「なぜ本文中にその旨の言及が全くないのか疑問です」と記されている。

 まあそれはともかく、木村剛氏のコメントは真っ正面からの問題提起に答えていないどころか、完全に論理破綻したひどいものなので、以下に再反論しておきたい。

2004年12月23日20:49| 記事内容分類:ブログ/ウェブログ, 著作権| by 松永英明
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これまでの経緯

木村剛氏の主張をまとめる

 さて、木村剛氏の今回のエントリー「「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?」にはこう書かれている。

 「モノ書き」であれば、原典を明示した上で「引用」されることは、「情報発信者としての名誉」であって、まかり間違っても「情報発信者に対する権利侵害」にはあたりません。

 同様に、「リンク」か「転載」か、という観点につきましても、(※以下略)

 この前後をまとめると、木村氏の主張をこのようにまとめることは問題ないだろう。

  • 「引用」は問題ないはずだ
  • 「リンク」か「転載」かについて、読者の利便性を優先する

 著作権法において「引用」は明確に記されており、それは適切にやるならどんどん進めるべきである、ということについて、私はまったく異議はない。それは「引用」は無断でやるのが当たり前 [絵文録ことのは]で1年前に書いたとおりである。また、ウェブの根本的機能である「リンク」を存分に活用すべきである、というのは前回のエントリーで書いたとおり。したがって、私も「リンク」と「引用」によってブログ記事が構成されることについては、まったく異論がないどころか、むしろ推奨するものである。

 しかし、木村剛氏はなぜか「リンク」と「転載」という二者択一を持ち出す。「引用」の話は突然消えて、「リンク」と「転載」を対比させてみせるのである。通常のネットワーカー的発想としては、ここが理解できないところである。実は、5月の木村氏のエントリー「 「月刊!木村剛」が進み始めました」にその点が詳細に書かれている。しかし、この論理の流れが奇妙なものなのだ。

その前に「引用」「転載」「リンク」の定義を再確認

 もう何度も書いてきたことだが、引用とは、他の人の著作物を適切に使うためのルールに基づいて利用させてもらうことである。その条件は明確であって、特に重要なルールとしては、

  • 引用する文章が従、自分の文章が主であること
  • 出典を明記すること

などとまとめることができるだろう。

 一方、「転載」には正確な定義がないが、ここで問題になっているのは「引用のルールにのっとらずに他人の著作物を利用すること」であることは明白だろう。全文転載か部分転載かを問わず、転載する文章の紹介がメインであるゴーログが「引用」ではなく「転載」となっているのもまた論を待たないところであろう。

 そして、リンクとは「参照元の提示」である。印刷物と違って、WWWという仕組みそのものがリンクから成り立っている(リンクなくしてWWWは成立しない)。したがって、リンクは自由になされるべきであるし、引用における参照元の提示という意味でも極めて重要である。

 以上の点については、木村氏も異論はないところであろう。

「転載」≒「リンク」という奇妙な木村理論

 問題は、木村剛氏が“「転載」≒「リンク」”と主張している点である。「 「月刊!木村剛」が進み始めました」より引用。

7. ここで悩ましいのは、ネット上における「リンク」と「転載」の違いです。おそらく「リンク」というのは、出版物で言えば、「○○参照のこと」という参照文献の明示ということにあたるのでしょうが、ネットの場合ワンクリックでそこに飛んでいくことができてしまいます。つまり、現実的には「転載」していることと同じ行為(「転載」≒「リンク」)なんです。しかも、無料で誰にでも開放されているのですから、ある意味で「ネット上における無料による無断転載」を認めているということでもあるのです。

 ここは決定的におかしい。「リンク」≒「転載」という理論は、木村剛氏の主張にしか見られない奇妙なものである。

 リンク先に飛んで記事を閲覧するという行為は、出版物でいえば「参照元の本を読む」という行為に等しい。リンクは単にその経路を示したに過ぎない。

 一番わかりやすいのは、「転載されたサイト」の人が自分の書いたものをコントロールできるか否か、という視点であろう。たとえば、あるページに変更・追加・修正・訂正をしたいと思ったとする。リンクされているだけならば、そのページの作者が変更した内容は即座に反映される(当たり前だ)。ところが、転載された記事内容を変更したければ、転載した人に申し出をしなければならない。

 つまり、記事を転載する場合には、著作者の編集権限を一部奪っていることになるが、リンクの場合は、その記事は100%書き手のものである。

 リンクは、他人の家への道案内であって、それ以上のものではない。示された家はあくまでも「外」にある。しかし、転載は、他人の家にあるものの複製品を自分の家の中に再現してしまう。つまり、それは「内」にある。引用・転載とリンクがまるで別のものであるということは、この一点からも明白であろう。

 “「リンク」≒「転載」”という木村理論は、決して成り立たない。「リンク」≠「転載」なのである。

「利便性」は“「リンク」≒「転載」”を否定する

 仮に木村理論どおり「リンク」≒「転載」だとして、ではなぜ「リンク」ではいけないのか。あるいは「引用」ではだめで「転載」でなければならないのか。木村理論にはこのように記されている。「 「月刊!木村剛」が進み始めました」から引用。

そして、文章表現上、「リンク」という形態よりも、「転載」に近い「全文引用」の方が、読者にとって読みやすく理解されやすいケースが少なからずありますし、クリックしないで紹介文とともにとおしで一目で読める方が読者にとって親切であるという場合があります。

 これは最新のエントリーでは「読者の利便」という言葉で表現されている。ここにある矛盾に気付かれただろうか。つまり、ここでは“「リンク」は「転載」と違う”という内容が明記されているのだ。リンクは「クリック」しなければならないし、「とおしで一目で読め」ない。これは些細な違いではなく、根本的な違いなのだ。

 言い換えよう。リンク先の内容を知るためには、他のサイトへ出張しなければならない。なぜなら、そのコンテンツは「ここ」にないからだ。これはとりもなおさず、リンク先の内容はあくまでも「外部」にあるということを意味している。

 一方、転載されたコンテンツは「ここ」にある。わざわざよそに出かけなくてもいいし、全部並べて見ることができる。転載された内容は、自分のスペース内にあるわけである。

 ここで挙げられた内容は、先ほどの“「リンク」≒「転載」”という主張を見事に否定してしまっていることが、誰の目にも明らかだろう(というより、私が“「リンク」≒「転載」”ではない、として述べた内容が、木村氏自身によって語られているのである)。そして、木村剛氏の発想は、すべてを「自分の敷地内」に取り込みたいというところが原点にあることが明確となる。

木村剛理論“「リンク」≒「転載」”“読者の利便性”は矛盾する

 もう一度整理する。木村剛氏の“「リンク」≒「転載」”論はこのように流れている。

  • リンクと転載は同じようなものである。
    • なぜならば、リンク先を見ればページの内容が見れるからだ。
  • ウェブにおいて、リンクは拒否されるべきではない(いわゆる「リンクフリー」的発想)。
  • ゆえに、ウェブにおいて、転載は拒否されるべきではない。

 一方、“読者の利便性”理論はこのように流れている。

  • リンクではそのままページの内容を見れないが、転載ならばそのままページの内容を読める。
    • つまり、リンク(情報は外)と転載(情報は内)は違う
  • 読者は手間をかけずに読めることを求める。
  • ゆえに、読者はリンクではなく転載を求める。

 この二つの相矛盾する理論を組み合わせてできあがったのが、木村剛流転載理論、すなわち、「読者の利便をはかって転載しているのであり、その転載はウェブにおいて拒否できない」という主張なのである。これがおかしいことはすでにご理解いただけたことだろう。

“読者の利便”に隠された安倍ぬすみ主義ジャイアニズム

 読者の利便という言葉はきれいである。利他的である。博愛的である。独善的ではない言葉である。しかし、木村剛氏が「転載するのは読者の利便のため」と発言するとき、その言葉の意味は完全に逆転し、安倍ぬすみ主義ジャイアニズム、すなわち「おまえのものはおれのもの、おれのものはおれのもの」「素敵だと思ったものを自分のものにしてしまいました」という欲望にまみれた言葉となってしまっている。

 「BLOG of the Week」において、木村剛氏はなぜ、当該ブログの紹介と感想とリンクだけという一般的に好まれるブログスタイルではなく、あえて「読者の利便」を思いやって「転載」してあげるのか。

 というか、トップページから見ていくと、「BLOG of the Week」の各記事を見るには、「続きを読む」か、横のCONTENTSの「Blog of the Week」をクリックしないといけない。外部記事へのリンクをクリックするのも、転載されたゴーログ内記事を読むのも、クリック数は大して変わらなかったりするのである。全然便利ではない。

 結局のところ、何が便利かといえば「木村剛ブログを見れば、木村剛の厳選した記事が全部読めるよ」という意味での便利さであって、それは要するに「俺のブログを読んでいればほかのは読まなくてもいい」という発想なのである。ゴーログ内ですべてを完結させたいのである。

 “「リンク」≒「転載」”という詭弁まで持ち出して何を主張したいかといえば、要するに「外部のブログは俺のブログのコンテンツにしていい、俺のブログのコンテンツは俺のもの」というジャイアニズムであり、「あのブログの記事がいいと思ったからわたしのブログで大規模に転載しました」という安倍ぬすみ主義なのである。

“読者の利便性”を自ら破る木村剛氏

 木村剛氏は、このように“読者の利便”を強調する一方で、完全にそれに反することを行っている。それは、今回の最新記事「「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?」そのものが顕著な例となっている。

 「こうした手法に反対の方々も少なくないようです」「ネット界の重鎮の中には、「ネット社会に対する冒涜」と捉える方もいらっしゃるようで、ネット界もなかなかに難しいものだと感じさせられる今日この頃です」という文章が書かれているのだが、そういう反対をしているのは誰なのか、「ネット界の重鎮」という不思議な存在は誰なのか、まったく書かれていない。むしろ、非常に嫌味な表現に思える。

 「そして本文中にいう「ネット界の重鎮」とは、絵文録ことのはの松永氏を指しているのでしょうか?(笑わせんなヴォケが!)」という見解もあるが、私のことではないはずだ。私は「ネット社会に対する冒涜」という言葉を使っていないし、タイトルのような問題提起の仕方はしていない。

 いや、もしかすると、紫月美夜さんのところに書いたこのコメントから「冒涜」という言葉を生み出したのだろうか。

トラックバックと著作権の勝手な解釈に基づいてこのような珍妙なローカルルールを持ち出すこと自体が、氏のブログについての認識のレベルを如実に表していると思います。議論がいくらなされていても、一般的なブロゴスフィアの観点から、そのようなローカルルールはあくまでも限定された内輪の範囲の、決して世界に通用することのないルールであり、マスメディアと対抗するとまでおっしゃる方のとるべきルールではないと考えます。そして、隣国中国では類似の姿勢を取っている大物ブロガーが激しい批判に晒されているというのも事実です。

 それはともかく、木村氏が「ネット上のコンテンツはどんどん転載すべし」と主張する一方で、反対意見についてはリンクも引用もしないどころか、誰が言ったことなのかさえも明記しない。この態度は誰の目にも異様に映るだろう。

 そして、このようなアンビバレントな態度を取る背景には、やはり「俺の言うことだけ聞いていればいい。俺のブログだけ読んでいればいい。ゴーログだけですべてを完結させたい」という安倍ぬすみ主義ジャイアニズムが見え隠れするのである。

肝心なところで転載率が低すぎる

 ところで、読者の利便をはかってくれるはずの木村剛氏の最新エントリーは、なぜか転載率が低い。ちょっと長めになるが、「読者の便宜を図って」長文引用させていただくと、

 まず、ブログというコミュニケーション・ツールに関する私の基本的なスタンスは、以下のエントリーで示してきました。中でも、長文ではありますが、「モノ書きの老婆心:『匿名性』を護るために」というエントリーは、私の考え方の核になっています。

  • 2004.03.16 blogの未来は参加者が創る
  • 2004.05.13  モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために
  • 2004.06.28 ネガティブ・バトルからポジティブ・コミュニケーションへ
  • 2004.09.09 ネット・コミュニケーションは幼児性から脱却できるか?
  • 2004.09.27 駆け込み寺はウエルカム:「ブロガー新聞」を発刊しよう!

 そういう中で、今春、毎週土曜日に「BLOG of the Week」が始まり、「月刊!木村剛」がスタートするという状況になって問題となったのが、「引用」と「転載」をどう考えるかということでした。それについて、読者の方々の意見も伺いながら、現在の体裁になっているわけですが、そのあたりの経緯は以下のエントリーに示されています。

  • 2004.05.12 「月刊!木村剛」が進み始めました
  • 2004.05.17 「ツッコマビリティ」に一本取られました!
  • 2004.06.01 「月刊!木村剛」創刊決定!

 以上の経緯を経て、「週刊!木村剛」においては、「トラックバックの留意点」としてバナーを掲示し、「引用」と「転載」について、とりあえずの考え方を整理しているところです。

 これ以外の部分も含めて、「引用」と「転載」と「リンク」についての木村剛氏の考え方はどこにも記されていない。「基本的なスタンス」とは何なのか、「そのあたりの経緯」とは何か、「とりあえずの考え方」をどのように「整理」したのか、一目ではわからない。概要すらも書かれていない。それぞれのエントリーのリンク先(特に5.12の記事)を読んで初めて理解できるのである。

 せめて簡単なまとめだけでも「転載」してくれれば可読性が高まるというのに、木村剛氏の大嫌いな「読者にクリックを強いて、一目でわからない」エントリーになってしまっているのだ。なぜこういう肝心要のところできちんと「引用」しないのだろうか。不親切だ! 利便性が低い! リンクと同等だというのならこういうところでちゃんと転載してください!

エスタブリッシュメントに対抗するヒーロー木村剛?

 で、「ネット界の重鎮」とは誰を指しているかわからないのだが、木村氏の今回のエントリーの締めくくりの以下の文章は、何か嫌みったらしい気持ち悪さを感じた。これは「マスメディアに対抗するブログ」概念を宣揚しようとする人の書くことではないし、経歴15年の「モノ書き」としてもいかがなものか。

 あるいは、あくまでも「エスタブリッシュメントに対抗するヒーロー」というイメージを、本業の世界だけでなくブログ界でも植え付けようというのだろうか。私には単に卑屈で嫌味な物言いにしか見えないのだが。

 ここは、ネット界の重鎮とシロウト新人との感覚の違いかもしれませんが、私のようなシロウトにも理解できるように、「ネット社会において築かれた諸々の実績」とは何かを明確にお示しいただき、できれば、ブログサービスの提供者に周知徹底することを通じて、ブログコミュニティ内のルールとして制度化していただけるとありがたく存じます。

 そうしませんと、ブログを通じてネット界にデビューしている、私のようなシロウトたちが知らぬ間に「書かれざるネット界の掟」に触れて、重鎮の方々の逆鱗に触れてしまうかもしれないからです。是非、何卒よろしくお願い申し上げます。

  • 「ネット界の重鎮」と「シロウト新人」と対比して自分は弱者だと印象づける。その裏で「もの書き歴15年」と実績をアピールすることも忘れない。
  • 「私のようなシロウトにも理解できるように」とバカのふりをするのは、「お前の言うことは専門家の偏狭な見方であって一般的ではない」という印象操作
  • 「ネット社会において築かれた諸々の実績」というのは引用なのだろうか?不明。
  • 「ブログサービスの提供者に周知徹底することを通じて」とは「ココログの運営側はそんな意見を受け入れるのかよ」といいたいわけだ。
  • 「ブログコミュニティ内のルールとして制度化していただけるとありがたく」とは、ローカルルールと言われたことを根に持っているのだろう。
  • 「ブログを通じてネット界にデビューしている、私のようなシロウトたち」と表現して、あくまでも自分はシロウト=庶民の味方とアピール。
  • 自分ルールを決めるときには一般的ルールもわかっているくせに、「知らぬ間に「書かれざるネット界の掟」に触れて」と、「ネット界の重鎮の方々」が勝手な掟を押しつけているかのような印象操作。
  • 「重鎮の方々の逆鱗に触れてしまうかもしれない」と、ネット内のエスタブリッシュメントはコワイコワイヒーという印象操作。それにしても「重鎮」って誰なんだろう。ネット界にも四元義隆や京都仏教会みたいな人がいるんだろうか。ちなみにブログ神もブログ心もこの件についてコメントしてない。

 木村氏のこのようなコメントを、慇懃無礼というのである。

 ネット上において、「シロウトの木村さん」は知らないかもしれないが、全文転載による盗用サイトの問題については大きな話題になってきた。それは前回のエントリーでも書いたのでそちらを見てほしいが、ぱど厨による画像直リンクや、NAVERブログの機能、あるいは中国の「博客中国」によるブログ記事転載行為が激しい批判にさらされていることでもわかるとおりである。これはまさに手法とその背景にあるジャイアニズムが問題となっているのである。

 しかし、このような印象操作コメントをすることによって、木村氏は今回の自分への批判が「既成勢力(エスタブリッシュメント)による新人の革新的な行為潰し」といった次元へと話をすり替えてしまうのだ。さすがはモノ書き歴15年のプロパガンディスト、手の込んだ心証操作であるが、話題をそらしても仕方ないですよ。

最後に、前回のまとめゴーログの問題点4項目を再掲

  • 安倍ぬすみ主義・ジャイアニズム――必要以上に長い転載(リンクの価値を損なう)
  • 恣意的謎めき系――反対意見へはリンクも引用もしない(一方的な意見)
  • 負け犬の遠吠え――マスコミに対する激しい敵愾心と的はずれな批判
  • 読者をバカにしたプロパガンダ――自信と余裕のない書き手

追記

2004.12.24.02:00

「なお、ドン・キホーテの社長が出したコメントを「転載」したことについて、「McDMaster」さんから厳しいお叱りを受けておりますが」という表現だったのですっかり見逃してしまっていたのだが、実はこのエントリー全体が「なぜ全文引用を繰り返すのか(McDMaster's Weblog)」から引用された語句に満ちていた。どうやら「ネット界の重鎮」とはMcDMasterさんのことだったらしい。以下、中心部分を引用するが、強調は引用者(松永)による。

また、WWW のハイパーリンクという仕組みを考案した Sir Tim Berners-Lee への冒涜とも言えないか。

私は、ここのところの木村氏の、ネットコミュニティの功績あるいはネット技術の積み重ねの実績をないがしろにするようなエントリの書き方には率直に言って失望を禁じ得ない。こういう人物が blog という世界においてオピニオンリーダーなる位置にいることがいい加減我慢ならない。

どうか、木村氏には、これまでのネット社会において築かれた諸々の実績に対する然るべき敬意を払って欲しいと切に願うものだ。

 冒涜、ネットコミュニティという単語はみられるが、「ネットコミュニティへの冒涜」とか「「引用」は「リンク」に対する冒涜」という木村氏の引用はやはり見当たらない。正確な引用でさえないものは、恣意的な誘導と言われても仕方ない。

 ちなみに、McDMasterさんが指摘しているのは「全文引用」の問題(当記事でいえば「全文転載」の問題)であって、「引用」か「リンク」かなどという対立はだれも問題にしていないということだ。適切な引用は問題ないし、やればいいという点について、誰も争点にしていない。ところが、「リンクだけにするのか、全文転載するのか」という極端な議論に持ち込んでいるのが、木村氏の奇妙なところである。

 それにしても、木村氏の文章は、McDMasterさんに対して極めて「冒涜」的な、少なくとも失礼な書き方だという感想を持った。

 で、「「ネット社会において築かれた諸々の実績」とは何かを明確にお示しいただき」という発言については、僭越ながら今回と前回の私のエントリーで十分に語っていると思うので、木村氏にはぜひ精読いただきたい。

※コメント欄でn.i.さんが指摘してくださいました。ありがとうございます!

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2004年12月23日20:49| 記事内容分類:ブログ/ウェブログ, 著作権| by 松永英明
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確かに「謎めき系」は対話(討論)を拒否するアンチ・ネットワーク社会的な対応ですね。
Blogと言うツールの精神にも反しているように思える。

結局、ネットワークの双方向性についていけない(双方向の舞台では勝負できない)古い権威主義者だったのかな?
最初の頃の大風呂敷には期待してたんだけど...。

「ネット社会において築かれた諸々の実績」は
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/post_44.html
にたいするトラックバック
http://www.dmtj.net/pm/more.php?id=347_0_1_0_M
からの引用ですね。リンクが張ってあれば。

全文転載しちゃうとオリジナルの修正に追従できないからな。まだインラインフレームで取り込んじゃった方が良いのかもしれんね。
上のトラックバックでも具体的事例があるみたいだし。
http://vanilla.chips.jp/archives/04/12/24-0026.html

あ、いかん。
勿論、インラインフレームで他のサイトを自分のサイトに一体として取り込むような行為は著作権の侵害ですからね!<アレ>からだいぶたっているからこういう「謎めき系」(?)は気をつけないとね。

自分のやっていることの非を認めないという点では「安倍ぬすみ主義」というよりは「浜崎ぬすみ主義」あるいは「浜詐欺あゆみ」という方が適当かもしれませんね。
http://www.geocities.jp/hama_sagi/

ども、一番乗りでトラックバックさせていただいたVANILLACHIPSのフダです。
追記読みましたが、重鎮はやはり松永さんを指してるんじゃないかなーと思うんですが。
というのも、McDMasterさんには失礼ですが、ブログ界への影響力ということを考えると、McDMasterさんを重鎮というのもおかしな感じがします。

んー、、、でも文章そのまま見ると、McDMasterさんを重鎮と云っていることになりますよね。
松永さんの記事は元からスルーしてんのか、それともやっぱり謎めき系なのか???

自分の記事をどう直すのがいいかってので、一番困ってるんですけど(^^;

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