稚拙な印象操作を駆使する記事には、「一次情報」に当たることが重要

 自分のブログ記事へのリンクがあったので、こんな記事があることを知った。

 ふむ、なるほど。最初に例示されたブログ記事は、確かに「テレビ番組のネタを完全にパクって紹介し、オリジナルな意見もほとんどない」といえそうだ。だが、このブログではさらに続けて「こうした作法はブログ界ではどれほど許容されているものなんでしょうか」と語る。そして、引用の度がすぎるようなものがブログ記事として受け入れられている、として、はてなブックマークで人気のサイトを列挙し、「オリジナルとは程遠いブログがずっと持ち上げられている」「アクセス数を稼ぐためにはオリジナリティというのは全く必要な要素ではないようです」と結論づける。

 この記事に対して「ホッテントリといえども既存の情報を加工しただけと検証」というブックマークコメントもついた。

 だが、ちょっと待ってほしい。そこで列挙されたURLは本当にそれを裏付けているのだろうか。というのも、そこに挙げられた私の記事(この一つ前のものだ)は、100%オリジナルな記事なのだ。

 そこで、列挙されたURLをすべて見直してみた。

2007年2月20日00:53| 記事内容分類:メディアリテラシー| by 松永英明
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列挙された記事をもう一回見直してみる

 こんな風にまとめてあると、そのまとめ自体を受け入れてしまい、その結果、結論も妥当なように思ってしまうかもしれない。しかし、それをメディアリテラシーの欠如という。

 私は常に「一次情報に当たろう」と言い続けている。少なくとも、書き手としてはその姿勢は絶対に崩せない。この場合なら、列挙されたURLが本当にそういう内容なのか、自分で見た上で判断すべきだ、ということだ。

 というわけで、列挙された48のURLを見てみた。なんと、そのうち11はブログですらない。列挙する意味があるのか、と問わねばなるまい。

 さらに、それ以外の記事でも、オリジナルと呼んでよい記事が多くあった。もちろん、オリジナリティに乏しいものも多い。たとえば2ちゃんねるをコピペしただけのものが4つ入っている。しかし、オリジナルと呼べる記事ははるかに多い。

どれがオリジナルで、どれがオリジナルではないと言えるでしょうか。

何がオリジナルかというのは難しい問題です。ウェブページやウェブサービスを紹介するのはオリジナルな行為なのでしょうか

 と、このブログは疑問形に逃げるのだが、とりあえず、オリジナリティの度合いに応じて私が考える基準で分類してみた。

単なるコピペ

サイト・ツール紹介系

試用レポート・独自テク

他の記事をもとに独自に展開/独自に翻訳

独自ソフト

独自記事、個人的見解

そもそもブログじゃないし。

オリジナリティは低いとはいえまい

 例示された全48サイト中、

  • 単なるコピペ 5(10%/14%)
  • サイト・ツール紹介系 8(16%/22%)
  • 試用レポート・独自テク 5(10%/13%)
  • 他の記事をもとに独自に展開/独自に翻訳 4(8%/10%)
  • 独自ソフト 2(4%/5%)
  • 独自記事、個人的見解 13(27%/35%)
  • そもそもブログじゃないし。11(23%/--%)

(カッコ内後半は、「そもそもブログじゃないし。」11サイトを除いた分母37サイトに占める割合)

という結果になった。

 最初に言っておきたいことは、私もこの元ブログ記事の書き手と同じく、単なる劣化コピーの紹介は大嫌いだということだ。他のサイトや書籍の内容を単に引き写して、あたかも自分の知識がたくさんあるかのように語る知ったかぶり自慢ブログを私が一時期しきりに目の敵にしていたことも、このブログの長らくの読者ならご存じだろう。だが、そこから一歩踏み出して、独自の視点でまとめ直すとか、もう少し深く調べ直すとか、そういうことがあるなら、たとえ入り口は他者の情報であろうと問題はないし、むしろ、そのように有機的に情報を深めていけるのがブログというツールのいいところではないのか。

 というわけで、話を元に戻す。

 例の記事の冒頭で書かれたような、テレビ番組の内容を単に紹介したものというのは、第一のパターン「単なるコピペ」に属するものだろう。それと、他のサイトやツールを紹介することを同一視するのは、次元が違う話である。内容そのものの再現と、紹介はやはり次元が違う。また、紹介系の中でも、独自のテーマによってリストアップしたものなどは、やはり「編集」が加わっていると考えられるし、そのテーマの切り口は独自性を見いだすことができる。

 試用レポートや独自テクニックの紹介は、確かに他のサイトやツールを使ってはいるが、独創的な使い方であったり、他の人にわかりやすく使い方を教えようとしているわけで、単なる焼き直しとは違う。

 他の記事に書いてあることをもう一度やり直してみたとか、英文の記事を自分で訳してみたとか、そこにはやはり独自の努力がある。これを、劣化コピーブログと同一視するのはあまりにも失礼だ。

 そして、独自ソフトを紹介したり、独自記事、あるいは自分の意見を書いている記事が合計で15件、ブログ記事37件のうち実に4割を占める。たとえ他の記事に対する反応であろうと、ニュースに対するコメントであろうと、それが独自の見解であればここに含めてよいだろう。ましてや、この中には、実際に自分が見聞きした出来事についての記述とそれについての考えを述べていたり、独自研究したものがあったりする。

 同じソースから、私はまったく逆の意見を述べる。オリジナリティのない、完全なコピペ状態の記事は、人気記事のなかのわずか1割。逆に完全に独自な記事は4割を占め、独自の見解を多く含むものを含めると3分の2はオリジナリティにあふれるものである。

 この結論が妥当でないかどうかは、上記のリンクをたどって一つずつ見ていってもらえればわかると思う。いくつかの出入りはあるとしても、大方の傾向については賛同してもらえるはずだ。そして、「アクセス数を稼ぐためにはオリジナリティというのは全く必要な要素ではないようです」という意見がいかに現実とかけ離れたものか、あるいは「結論ありきの列挙」であったかを理解していただけるのではないかと思う。

「釣り」の可能性などどうでもいい

 さて、こういうマジレスを入れると、「あれは釣りなのに釣りに引っかかった」と揶揄するような人が出てくる可能性がある。そして、当のブログには実はこの記事しかない――というかこれが最初の記事なのである。もちろん、「釣りのために作られたブログ」という可能性もなきにしもあらず。

 しかし、それにしてはあまりにも稚拙すぎる論理である。にもかかわらず、「そういえば、テレビドラマも最近はコミック原作が多くなりましたね」というようなコメントが寄せられているのはまずすぎる。

 簡潔に言えば「みんな読まずに鵜呑みにしすぎだ」ということだ。結論が「オリジナリティもないくせに人気を得られるんだね」という揶揄であり、非常に賛同されやすいものであるがゆえに、その論証がここまでデタラメであってもそのまま受け入れる人が出てきてしまうのである。

 だったら、釣りであろうとなかろうと、全力で反論するしかないではないか。全力で釣られてやる、と言ってもいいが、これを「釣り」で済ますには、仕掛けがあまりにも甘すぎる。

持論――オリジナリティについて

 いい機会なので、オリジナリティについて自分が思っていることを書く。というか、それを書くために「釣られた」といってもいい。

 まず、完全な意味でのオリジナリティはどこにあるか、ということだが、それは、たとえば言葉にしろ絵の描き方にしろ、誰かに教わったものである以上、学んだものである。学ぶということは「まねぶ」すなわち模倣から入る。したがって、オリジナリティ至上主義は逆に芸術・技術・文化を殺す。オリジナリティ至上主義が行きすぎると、「個性的であることだけに価値がある」と勘違いする人が出てくる。たとえば、トラックバックの仕組みと使い方について、まず実際の状況を学ぼうともせず、ただ自分の独りよがりな思いつきで見当外れの定義をしていた人がいた。そして、自分で考えることが重要なのだとうそぶいていた。そうではない。まずは土台を学んで、そこから新発想を生み出すべきなのである。

 クリエイティブ・コモンズも、他者の創作に対して最大限の敬意を払いつつ、それを生かして新たな創作物を作るにはどうしたらいいか、という発想が原点にある。アールヌーヴォーは日本の浮世絵から多大な影響を受けた。日本の国風文化は、その前に唐の文化を受容した上で、それを消化吸収して作り上げられたものである。オリジナリティとは、言い換えれば、いかに「消化吸収」して自らの血肉として取り入れたかということではないか。いかに取り入れたものを「昇華」していくかが問題ではないのか。

 したがって、外部の素材を使ってはならないというのは極端な話である。もちろん、消化吸収率の低い「パクリ」や「コピペ」「劣化コピー」レベルのものについては、習作レベルのものを公開しているといえるかもしれない。

 しかし、独自の視点でピックアップして紹介したり、独自のテーマに沿ってサイトを集めてみたり、という時点で、実は編集が加わる。もちろん、そこから一歩踏み出して、自分の独自のものを作り出せば、それは極めて意義深いことになることは言うまでもない。

 にもかかわらず、このような考えを理解せずして、安易に「あー、よそさまの情報を切り貼りすれば人気が出るんだー」などと思っているなら、永遠にオリジナリティにたどりつくことはできないだろう。

 さらに言えば、ブログというのは、他のブログとの間で記事レベルでのやりとりがしやすい仕様となっており、他の記事に絡みあうことで一つの話題を深めていく効果があると考えている。したがって、紹介系であっても参考になるだろうと考えることができる。パクリ劣化コピー知ったかぶりが増えるのは迷惑だが、他のブロガーたちが見て有益だと思う情報であれば、たとえ「単なる紹介」であっても憶せずに公開してもらえればと思う。

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2007年2月20日00:53| 記事内容分類:メディアリテラシー| by 松永英明
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昨日のエントリー「アルファブロガーの日記 - ブログのオリジナリティ」に対して、さっそくご批判をいただきました。本物のアルファブロガー「絵文録ことのは」... 続きを読む

時代の志士へ -愚察日誌- - ブログのオリジナリティ (2007年2月28日 12:25)

今日ブログのオリジナリティについて書かれているコラムを見つけました。(アルファブロガーの日記)早い話、人の褌で相撲を取っているようなブログが紹介されてい... 続きを読む

ちょっと嬉しいニュースが入ってきたので関連事項をまとめて。ついでに先日来、blog関連で気になっていることをまとめておこうと思う。まず最初にこれ↓ S... 続きを読む

内藤湖南、宮崎市定、竹内好 は、もはや読まれていないのだろうな、などと思ったりする、今日この頃。 finalventさんの ちょっとだけ  経由で 日本... 続きを読む

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少なくともライブドアではパクリブログ意見なしでも上位に来るようですよ。
まあ、コアに読者は少ないんでしょうけど。

ほとんど異議はないけど、でも要は楽しければいいんじゃないですかね。
そりゃ人気者はうらやましいけど、別になったからってネット社会でどうなるわけでもないし。
もちろんそこに金が絡めば様相はガラッと変わるけど。

で、いつ福岡に来るか、うちの電話番号しらべて大量に出前注文するんですか?

221.170.197.110
FLA1Aba110.fko.mesh.ad.jp 福岡県

初めまして。
ブログのアクセスアップについて、調べていたら、なぜか、ココに辿り着きました。
すごい人のところに来ちゃったと思ってます。
日本のブログ人口がどれぐらいか知りませんが、全員が作家のように書けるわけではないでしょうから、資料を自分なりに消化して書いてる人は多いと思います。
私も、自分のブログのコンテンツを高める事が課題なんですが、独自の意見を展開していくと来る人がみんな引いてしまうだろうと思い、自信持って書けない部分があります。だからといって、あやふやな意見で終始したくありません。
「読ませるブログ」は、ほんの一握り。
才能も無い一介の主婦には無理な話です。
それが出来たら、とうに作家になってます。ですが、読みやすい記事構成に努力することはできるはずですね。自分のブログを見直す、良い機会を頂きました。ありがとうございます。
ひとつ、付け足しますが、私のブログも「ブログとも呼べない」類のものかもしれません。では。

「パクリ劣化コピー知ったかぶり」
それの集大成がmixi本でしょう?

219.107.180.166
FLA1Aaj166.fko.mesh.ad.jp 福岡県

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