田母神俊雄前空幕長の論文問題は、大東亜戦争/太平洋戦争の「密教化/顕教化言論」問題

田母神俊雄前航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」が物議を醸している。(「日本は侵略国家であったのか」全文

この問題について、その発言が正当であるか否かという問題はひとまず措くとして、「なぜそのような発言が出てくるのか」「そして、なぜそのような発言が問題視されるのか」という点が重要だと思う。

この問題を考えるにあたって、平成10年度戦史研究発表会にて作家・保阪正康氏の特別講演「大東亜戦争・太平洋戦争はいかに語られてきたか」の内容が非常に参考になる。この講演は、先の大戦(応仁の乱ではない)を「太平洋戦争」と呼称する「顕教的な言説」と、「大東亜戦争」と呼称する「密教的な言説」が存在しているということを述べたものであった。

田母神前航空幕僚長の発言は、まさに密教的な言説そのものを代弁するものであった。そして、日本政府は自民党政権であっても「密教的な言説」を表立っては支持せず、「顕教的な言説」を建前として述べてきている(政府として、ホンネは言いたくても言わない、言えない)。それなのに田母神氏はホンネの部分をずばり言ってしまったがゆえに、(たとえ国内右派の強烈な支持があったとしても)更迭されるしかなかったのである。

今回は、平成10年度戦史研究発表会における保阪正康氏の特別講演の内容を聞き取ったメモを公開する。

2008年11月17日10:47| 記事内容分類:政治学, 日本史, 日本時事ネタ| by 松永英明
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以下、保阪氏の講演内容のメモである。したがって、保阪氏の発言の正確な記録というわけではないことにご留意いただきたい。また、話されたすべての内容を網羅している訳でもない。

もう一点。保阪氏の発言の記録については、わたし(松永英明)の見解ではない。その意見に賛同できる部分と、違う考えを持つ部分がある。これはあくまでも記録として公開するものであって、松永の意見そのものではない。


特別講演「大東亜戦争・太平洋戦争はいかに語られてきたか」

平成10年度戦史研究発表会 平成10年7月2日 防衛研究所

作家 保阪正康氏

 先の大戦の呼称として定着している「太平洋戦争」というのは、占領初期のGHQの政策に由来している。それ以来、「太平洋戦争」という「顕教的」な言説(朝日新聞などに代表される)と、表には出てこない「密教的」な言説(軍人会など一部に追いやられた。これは「大東亜戦争」などと呼称する)が存在した。このような二重構造はなぜ生まれたのか。

テーマ:先の戦争の呼称を題材に。

 大東亜戦争・太平洋戦争には、さまざまな呼称がある。その呼称については、

  • その目的は何だったか(政策決定者の意思を超えた歴史的な意味)
  • 戦場を限定するか越えるかというとらえ方の問題

などの諸問題がある。今回は、「あの戦争というのは何だったのか」ではなく、「なぜこういう呼称そのものについてルールを作れないのか」を考えたい。

★資料 大東亜戦争とアジア太平洋戦争

中村政則『近現代史をどう見るか』岩波ブックレット、1997年5月より

●戦争観は変容したか 「東京裁判と日本現代史」(『現代史を学ぶ―戦後改革と現代日本』所収)という論文で、私は一九三一年の満州事変に始まる戦争についての呼称と戦争史叙述の諸類型がすべて出揃ったのは一九六〇年代であったことを明らかにした。大東亜戦争、太平洋戦争、帝国主義戦争、抗日戦争、十五年戦争といった、さまざまな戦争の呼び方が出揃ったのは、まさしく一九六〇年代のことであった。上山春平は「大東亜戦争の思想史的意義」(一九六一年)という論文で、「あの戦争を、これほど立体的に、これほど多元的な角度から反省をする機会を持った国民が、ほかにあるであろうか。アメリカ人はおそらく「太平洋戦争史観」一本であり、ロシア人は「帝国主義戦争」史観一本であり、中国人は「抗日戦争」史観一本であろう」と書いたが、私もそのように思う。しかし、あれから三五年以上の歳月が経った。では、一九九〇年代に入って、さきの戦争をめぐる言説状況にはどのような変化が見られるであろうか。

 何よりも大きな変化は、一方の側から大東亜戦争=自衛戦争あるいはアジア民族解放戦争論が声高に唱えられるようになったことであろう。また他方の側からはアジア太平洋戦争という呼称が使われ始めるとともに、七三一部隊や「従軍慰安婦」問題などの実証研究が急速に進んだことである。そして一九九五年の「戦後五〇年」にさいしての国会決議と九七年の中学校歴史教科書のすべてに慰安婦の記述が一斉に登場したことから、歴史認識の問題は政治問題にまで転化した。ここでは、この問題に立ち入る余裕はないので、戦争の呼称と性格について、簡単に考察を加えておくことにしたい。

●戦争の複合的な性格をどう見るか 最近の議論の特徴は、太平洋戦争の複合的な性格をどうつかむか、言い換えれば、一、対アジア(とくに対中国)戦争と対米戦争の性格を区別する議論、二、アジア太平洋戦争における「侵略と解放の両義性」をどうとらえるかの二点に絞られてきたように思われる。……

●侵略と解放の両義性をどうみるか ……大東亜戦争には侵略の側面があったことは疑いないが、他方で少数の日本人のなかには、インドネシアやビルマでアジア解放の崇高な理念を抱きながら、アジア民族解放のために戦った兵士もいる。また、大東亜戦争で欧米帝国主義のアジア植民地体制を崩壊させたことが、結果として、戦後のアジア諸国の民族独立をもたらした。したがって太平洋戦争という呼称は、この側面までも否定し去ろうとする点で、納得できずむしろ大東亜戦争ないし「大東亜戦争」という呼称を使うべきであるというのが、最近の議論の特徴といえよう。……

顕教化言論(朝日等)と密教化言論

戦後50年、言論・考え方の背景に特徴がある。戦後、顕教化している言論(商品化)と密教化している言論がある。

議論には軸が必要なので、その軸として朝日新聞8月15日社説を取り上げる。ある先導役として。どれでもいいのだが、どの言説も朝日の指導性を引きずっている。

○昭和20年から平成9年までの朝日社説「たてまえとしての言論」

  1. あの時代が批判される対象。奴隷→自由人の時代となった。
  2. 憲法による新時代という認識。自由・平和をやっと得た。人間的な価値観。
  3. 個人は自覚・自立・強さを持て。

これが成り立つ背景→占領初期(GHQ入って最初の民主化・非軍化)昭和20年8月~21年の8か月くらい。GHQが持ち込んだイデオロギー。対抗する力を持たせない軍事政策と理念。

昭和30年代には、「民族主義を継承していないか。人類として、地球人として」すべて占領初期の理念を引きずる。

  • 極端な理論として「対中国侵略戦争」「犬死に」(顕教はそこまで言わない)
  • 密教との境目の理論「批判すべきだが、継承すべきものもあるのでは」
  • 密教化(商品化されない、認知度が低い)言論――ホンネ。

密教化言論の一例として:インパール作戦参加者の京都中心の機関紙『祭』の記事――戦友会の例として。→奥野発言に賛同(密教化した言論であり、表ではたたかれていた)。「戦争は侵略でなく自衛戦争だ」「東亞解放が進んでいる」と書いている。

20年8月15日までに歴史を作った世論が急に密教化として押し込められたが、厳然として存在はしている。感情的かもしれないが、この理論は論理的に成り立つのではないか?

歴史的背景

○東条内閣の認識

 情報局は「大東亜戦争と称する」「大東亜共栄圏」

★資料 昭和16年12月12日の発表。大東亜戦争戦史から。

大東亜戦争と呼称

情報局発表 今時の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味に非ず。

 大東亜十億の民族を圧迫搾取し、その支配を永久化するため世界史進展の現実を無視した架空的原則論を固執して譲らなかった米英両国を打倒し、大東亜の地域に「共存共栄」の理想的新秩序を建設するため、帝国政府は八日堂々米英両国に対して宣戦を布告した。従つて帝國と米英両国は国際法上の戦争状態におかれたわけであるが、対米英戦の呼称は大東亜新秩序建設に鉄石の決意をもつて邁進する大東亜地域の安定勢力としての帝国の大理想を簡明直截に表現するため「大東亜戦争」とすることゝなり、十二日の閣議で正式決定情報局より右のごとく発表された。過去四年有半にわたつて、遂行された支那事変も大東亜新秩序建設のため米英両国の傀儡化した重慶政権の打倒を目指したものであり、その目的は今回の対米英戦と同一でその本質も異るところなく従つて「大東亜戦争」の下に含められることになつた。「大東亜戦争」の呼称は今次戦争の目的の上から決定されたもので戦争地域が大東亜にのみ限定されることを毫も意味しない。

太平洋戦争、大東亜戦争など、案はいくつかあった。

★資料 「昭和大戦」という呼称の提案

藤村道生 『軍事史学』127号(平成8年12月1日)

 ……戦後の日本では一般に太平洋戦争と呼ばれ、ほかにも、十五年戦争(鶴見俊輔)、第二次世界大戦、日米戦争(入江昭)、日英戦争(細谷千博)、日英米戦争(塩崎弘明)、アジア・太平洋戦争(木坂順一郎)、極東戦争(クリストファー・ソーン)というように、さまざまな呼称で呼ばれてきた。ここには、この戦争に対する歴史意識が反映されている。

 開戦直後の十二月十日、大本営政府連絡会議は「今時ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と決定した。ついで、東条内閣がこの呼称を閣議決定するとともに、内閣情報局は「大東亜戦争と称するは大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして戦争地域を大東亜のみに限定するものにあらず」との追加説明を発表した。

 敗戦の年末、未だ国民が虚脱状態にある十二月十五日、占領軍は日本歴史と地理の授業の停止を命ずるとともに、大東亜戦争の語の使用を占領政策違反として禁圧した。その直前の開戦日にあたる十二月八日、同民政局は自らの手になる、即ちアメリカ軍の史観に立つ「太平洋戦争史」を全新聞に用紙特配の上で掲載を命じた。この措置により、議論不可能な状態でアメリカ軍の史観とその呼称が定着し、今に至っている。そして、大東亜戦争の呼称は、東亜の開放、大東亜共栄圏の建設という侵略の論理を持つとして避けられている。

 日本の歴史と運命に大きな役割を果たした戦争の呼称は、勝者の裁き・東京裁判の判決を超えて、日本人の歴史的体験を踏まえたものでなければならない。今一般に用いられている太平洋戦争なる語は、先に指摘したように、占領下にアメリカの呼称へと占領軍が誘導したものであった。民政局の「太平洋戦争史」には、大本営発表になく、国民がそれまで知らされていなかった戦史が記されていた。それは当然にも、米軍の史観によりまとめられていたが、国民には初めて知る事実も多かったため、強い印象を受けた。かくて国民は知らず識らずに太平洋戦争の呼称に誘導され、学校教育でも常用されることになって、太平洋戦争の語が国民の間に定着した。高校の教科書は太平洋戦争とし、脚注で当時は大東亜戦争と称したと指摘しているが、しかし、それを欠くものもある。それ故、幾世代か後には大東亜戦争の語は死語となるだろう。

 しかし、太平洋戦争の語は、開戦時に海軍により主張されたこともあり、アメリカの呼称といっても、中国の「抗日反帝戦争」や、ソ連の「大祖国戦争」とは異なり、国民的起源を有していたから、ある程度の国民的基盤があり、これだけの普及をみたといえる。

○当時の名称には理念が含まれている。

★資料 『大東亜戦争』

陸軍省報道部編『大東亜戦争』 昭和17年3月10日刊

東亞諸民族の自覚すべき秋

 過去四百年間、圧迫され搾取された東亞諸民族は今や日本の蹶起によつて、忘れたる自覚を呼び起こした。力が正義なりとする国々と、正義こそ力なりとする国との何れが神意に叶ふかを決する一大決戦が開始されたのである。

 大東亜戦争は新秩序戦争である。単に東亞の戦争と言ふべきではなく、世界の戦争であることを知らねばならない。

 東亞の天地から米英等の不正不義勢力を駆逐掃蕩して東亞新秩序を建設することのみが目的ではない。進んで世界の新秩序を確立するまではこの戦争は終らないのである。この為に、盟邦独伊等は欧州に於て新秩序建設の責任を分担し、亞欧其の時を一にして戦つてゐるのである。

世界東亞とともにあり

 東亞は最早や世界の中の東亞ではなくして、世界が東亞と共に在るのである。東亞にも欧州にも共に新しき秩序が確立されてはじめてこの大目的は達成され、大事業は完成を見る。この意味に於て大東亜戦争は単なる対米英戦争ではないということを吾々ははつきり銘記しなければならない。

 従つて大東亜戦争は新東亜戦争であり、新世界戦争と謂ふことが出来るのである。東亞に於ける現状維持体制が破壊され新秩序が生まれても、欧州に於ける現状維持勢力が残存するに於ては、世界恒久の平和は望み得ない。

大東亜戦の戦野に限界なし

 世上或は今回の大東亜戦争を目して「資源戦争」と謂ふ。それは単に日本一国の為の資源戦争ではなく、日本が先づ自存自衛のためにこの資源を以て侵略者米英両国を撃滅し、然る後全東亞の、延いては全世界の幸福と平和を確立するが為の資源獲得戦であり、将来は断じて彼らの搾取強奪を許さない資源防衛戦であるといふ意味に於て資源戦と謂ひ得やう。

 従つて大東亜戦争(乃至新秩序)は何処から何処までであるとか、欧州戦争(乃至新秩序)は何処から何処までを範囲とするといふが如く、これを地図上に指示し得るやうな性質のものでもなければ、更に又、今日に於ては大東亜戦争と欧州戦争が個々別々に行なはれてゐるものでもないことは既に述べた通りである。

★資料 大東亜戦争を繞る国際外交戦

棟尾松治(朝日新聞東京本社企画局)『大東亜戦日誌(第二輯)』昭和17年11月

 大東亜戦争勃発以来、世界は文字通り大戦争の舞台となった。支那事変とか、独英戦争とか、独ソ戦争とか、一国と一国との戦争ではない。第二次欧州戦争とか、第二次世界大戦とか、さやうな呼称によつて表現出来るものではない。

 この度の大戦争は、その規模において、その性格において、その複雑微妙なる点において、有史以来空前の大戦争である、と断言するにはばからぬ。かるが故に、世の一部の論者は、これをもつて『世界最終の大戦争』、『戦争絶滅のための大戦争』と呼んでゐるのである。この議論が正しいか否かは、後世史家の審判に譲るとして、兎にも角にも、古今未曾有の大戦争であることは疑ふ余地はない。

 この未曾有の世界大戦は、如何なる性格を有するか? それは余りに複雑にして、到底これを一言に要約することは出来ない。しかしながら世界の各民族の『生きんとする力』、生存の要求』、『自己生存権の主張』がその根底をなしてゐる。と同時に、旧来の『不公平なる富、資源、勢力分布の修正』がその根底をなしてゐる。

 ……

 すなはち、この度の大東亜戦争は、『世界資源独占に対する厳然たる修正であり、被圧迫民族の解放であり、数世紀の多年にわたり搾取をつづけて来た征服者に対する聴懲、追討の正義の戦ひである』かくして『英、米アングロ・サクソンによる世界支配の罪悪史』に終止符を打ち、『各民族をしてその所を得さしめる八紘一宇の皇道文化』が代つて朝日の昇るが如く光り輝いて来るのである。ここに大東亜戦争の重大なる世界的意義がある。

 弱小民族を征服搾取して、自己のみ富強を加へてゆくといふ英、米流の世界支配は、世の中を暗闇にするものだ。謂はば暗夜である。これに反し『各々をして、その所を得しめる八紘一宇の皇道』こそは旭光を仰ぐ公明正大な理想である。長い暗闇の夜の世界が終つて、『日の出』を仰ぐ『世界の夜明け』である。大東亜戦争の世界史的意義はここに存する。……

○「已むに已まれぬ自衛の戦ひ」と明記されているものもある。自存権・自衛権の発動、諸民族の解放戦争という理念。しかし、顕教では「自存自衛」をはねつけ、密教化に追い込んでいる。

○顕教の「太平洋戦争」→十五年戦争、アジア太平洋戦争

それだけではもの足りず、自己増殖している。GHQ初期占領政策をもとにしている。

大きな誤りの両輪

  1. ナショナリズムへの視点がない。非ナショナリズムというより、まったく無縁。否定でも肯定でもない。
  2. 人間は性善説で進歩する。単純にそうとらえている。立脚点も着地点もない浮遊した論理。

○ナショナリズムのなさ

自由・平和が尊いと無条件で言える――非ナショナリズムの典型。憲法が支えている。実体的に制度的に保証してきた。

昭和19年・20年の戦争の悲惨さ・残酷さ=戦争そのもの。これと鏡になっている。昭和20年21年に訴求力があるのは確か。「奴隷のようなひどい状態」と鏡になっていた。

憲法に手を触れることにヒステリー。「ファシズムに入った」という弁を使う。もう鏡が役立っていないが、言わなければ自立できない。あの戦争と同じだという論理。

○性善説

「人はだれもが正しい、いい人だ」――個人がそうあるべきだというならそうだが、国家が言うとおかしい。

「非武装中立論」/20年代からそれに対抗して「戸締まり論」――国として軍備を必要とする。この論理もおかしいのだが。非武装中立論者に引用されてきた。昭和50年代、社会党石橋の著書で戸締まり論批判「話せばわかる」。個人の態度を国家の態度にすり替えている乱暴な論。

「大東亜・太平洋戦争」の呼称の提案

「大東亜戦争」という人でも、アジアには侵略したが、欧州にはそうではないという。

古い世代が「太平洋戦争」などというのは自己欺瞞であろう。私自身は太平洋戦争として教わってきたから、そう言ってもかまわない立場にはある。

ナショナリズムというものを据えて語るべきだ。そのナショナリズムをインターナショナリズムに変えていく。そのために「大東亞・太平洋戦争」と言うべきではないだろうか。

「太平洋戦争史」

 昭和20年12月8日から全新聞に掲載された。タイトルもほとんど同じで8~10回。東京裁判の検事側の認識とつながる。これが今まで続いている。

12月半ば、GHQが教育政策に口を挟み、不適当な言葉に「大東亜戦争」を含めることになる。どういう戦争かについては「太平洋戦争史を読め」ということになる。

○もう一度枠組みをばらして考えるべきではないか。

顕教化言論は崩壊している。

密教化言論も訴求力が弱い。

弱さ=本当に戦争目的を正確に理解し得たのか? 戦争目的について、明確に「なぜ戦うのか」という問いかけがなかった。→戦死者に対して行なえる歴史的な責任では?

大東亜戦争という主体的意志を持って戦ったのなら、彼らと違った意味で伝えることができないか? 指導者の責任は勝つか負けるかしかない。それが目的につながってしまったことが納得できない。

昭和19年末~昭和20年の戦時指導には納得できない。意志を持たないほど状況への追随。存亡かけて戦うとき、追うべき責任は日本史そのものに対してあるべきだ。それを自覚すべきだった。

質疑応答

Q1.顕教的言説は自然発生ではない。20年9月からの検閲制度では、「直された」ということすら書いてはいけない。恐怖感から作られた言説ではないのか。

A.朝日の社説そのものが、一貫した枠組みを作っている。昭和20年8月「天皇制を安んずる」、昭和21年「世界への報告書を出そう」――こういう姿勢そのものを受け入れる資質があった。

GHQの検閲は極めて巧妙だった。特に怖いのは、日常の手紙類をチェックしていたこと。日本人検閲官によると、「大日本帝国鼓舞等」はもちろんのこと、戦勝国、GHQ、政策を極端に褒め称えるものもチェックした。GHQ側が、極端に近づく者を信じていない。在る意味ですさまじいものだった。日本の検閲の××などはかえってわかるが、GHQは巧妙。その恐怖感はあったはず。しかし、23年くらいからは弱まっていく(朝鮮戦争のころのレッド・パージはあるが)。GHQは、追従してくる日本人の国民性に驚いた。わたしたち自身の問題でもあるのでは?


Q2.あの時代の言葉で語らないとおかしい。時代劇で江戸を東京といったらおかしいように、中国人は×で支那人がふさわしい。ガダルカナルの死者は大東亜戦争で亡くなったのであって、太平洋戦争で死んだといったら敵国側になってしまう(場内笑)

A.呼称が政治化していることに政治の問題がある。日清戦争の場合、清はもう亡んでいたのだから、本当はおかしいが、通用している。それが言えないのが顕教の問題である。もしそういう用語を使うと、それが思想性で区別されてしまう。それを変える努力をしないで追随していることは問題だ。


Q3.大東亜戦争という呼称を支持する。勝っていれば太平洋戦争とは言わない。アメリカは勝っても負けても太平洋戦争だろう。アメリカは中国に来ていない(義勇軍だけ)。日本は中国でも戦っている。はじめから歴史に倫理観を組み込んではいけないと思う。

A.顕教化は我々の弱さの反映。まじめに歴史に向かい合ってきたのだろうか?

 密教が暴力で突き破ろうとしたとき、顕教側がどう言論で立ち向かうか、はっきりできなかった。軍事にも無関心。対応する論理ではなく、鏡でしか言っていない。歴史に対してまじめさがない。まじめに戦ったのに、それを残さなかった。その責任が問われているのだろう。


Q4.学問的には大東亜戦争が正しい。太平洋戦争と言い出したのは米軍であるが、アメリカは歴史上、チリと戦ったものを太平洋戦争と呼んでいる。日本との戦争は"War of Pacific Area"としか言っていない。大東亜戦争は閣議で決まったものだ。いわゆる「七日間戦争」を、アラブもイスラエルも「聖戦」と自分たちで名付けている。太平洋だけが戦域ではなく、インド洋もあった。名が体を表わしていない。

A.そういうところが、社会で訴求力を持たせられなかった日本人の弱さだ。


Q5.南京の犠牲者が30万だとか35万人だとかがおかしいということは、証明はできない。研究を合弁でしようとしても、受け入れてもらえない。学者はこういうことを追求していかなければならないと思う。

A.歴史の中で生き、次の世代へメッセージを残すことが大事だ。歴史が政治になってしまっている。それと別に、次の世代へ託す努力をすべきだ。我々は次の世代から検証される。「この世代、バカなんじゃないか。しょうがないな」と言われるかも。


Q6.もともと大東亜戦争の呼称は政治的なものだ。歴史では、それまで軍事行動の名称であって、政治目的を含んで名付けたのは大東亜戦争が初めてだった。当時の呼称は、戊辰事変(維新戦)、鹿児島の変(西南戦争)、明治二十七八年戦役(日清戦争)、明治三十七八年戦役(日露戦争)だった。大東亜という呼称には、思い上がりがあったのでは? ソ連の独ソ戦の呼び方「大祖国防衛戦争」というのと似た感じがする。

A.東條が訴えたのは、プロセス全体に自存自衛・東亞解放を持ち込んだが、それが伝わっていないことに無理がある。インドネシア、ビルマ義勇軍の人の論理が一番納得できる。彼らがいたから、「東亜の開放のため」という大義名分につながることができる。結果は別だが、そういう側面は持っている。

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2008年11月17日10:47| 記事内容分類:政治学, 日本史, 日本時事ネタ| by 松永英明
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Blog☆『不動産業戦略e-REVIEW』    編集長 不動産ブログ日記 - サイト画面のキャプチャーって著作権的には!!! (2008年11月19日 09:11)

ブログでの取り扱い(記事紹介時における画像の引用・添付)に/結論が出ないままなのですが…… ////////////////////////////... 続きを読む

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について、

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