【絵文録ことのは】HOME > [地理・地誌] > 「自由が丘」の範囲ってどこからどこまで?地図で示す「街の範囲」2
先日の記事「「代官山」の範囲ってどこからどこまで?地図で示す「街の範囲」[絵文録ことのは]2009/02/27」は、はてなブックマークのコメントではおおむね好評であった(→はてなブックマーク)。
その中でid:p-_-qさんから「次は自由が丘でお願い」とのコメントがあった。そこで今回は、「自由が丘の範囲」を前回とまったく同様の手法――すなわち、「自由が丘」「自由ヶ丘」「jiyugaoka」等の名称を含む建物・ビル・アパート・マンション等の中でGoogle Map=ゼンリン住宅地図に記載されているものをすべてマッピングし、それによって自由が丘の範囲を可視化するという方法――で表示してみることとした。

※id:mrnknから等々力一丁目の物件の指摘があったので、同日22:50に修正。
基本的には「「代官山」の範囲を定義する」とほぼ同様であるので、そちらを参照していただきたい。ただし、代官山と自由が丘では少々異なる状況があった。こちらでは、その違いについて明記していく。
以下、上記方法による「自由が丘」範囲である。なお、Googleマップではマップ一枚ずつしかページに表示されないので、今回はキャプチャ画像を中心とする。

ざっと見たところ、代官山の3倍~4倍くらいの広さがあるようだ。
なお、今回はGoogleマップで15枚となった。以下のマップをマイマップに登録して重ねて表示させるとよい。

住居表示そのものが「自由が丘」である地域は黄色のポイントでマッピングした。東から一丁目、二丁目、三丁目の順に並んでいる。自由が丘駅を含む北側に広がる一帯である。まさにこここそ自由が丘の中の自由が丘だ。
一丁目は東急東横線・自由通りを挟む一帯である。ここにある熊野神社は、自由が丘の中心的な神社といえよう(街の霊的中心ともいうべき神社の存在については、駅や中心施設とともにゲニウス・ロキ的な見方における重要なポイントとなる)。
二丁目が「自由が丘の発祥地」となる。ここにある自由が丘学園こそ、「自由が丘」という地名の由来となったからだ。学校名由来の地名というのは案外多い。
三丁目は世田谷区等々力との境目で、その境界線が非常にややこしい。今回はmapionでも判然としないところがあったので、mapfanも参照した(境界線についてはmapfanが一番正確なようである)。ここには白山神社がある。熊野といい、白山といい、山岳信仰系の神社である。
このあたりは文字通りの「丘」になっているようで、駅近くを東西に流れる九品仏川が谷ということになる。熊野神社・白山神社が「アースダイバー」でいう「岬」にあるかどうかは、現地調査をしてみないとわからない。

わたしにとっての自由が丘は「自由が丘スイーツフォレスト」のイメージが非常に強いが、これは緑が丘に存在する。西側の緑が丘二丁目(緑色のテントマーク)は、東西に走る東急大井町線と九品仏緑道に近いあたりが、特に自由が丘圏となっているが、北部は自由が丘物件の空白地帯となっている。「緑が丘」ブランドも結構健闘しているようである。
それより東側、緑が丘一丁目になると、ほとんど緑が丘物件となるが、緑が丘駅に極めて近いあたりまで自由が丘物件が散在している。「シャレイ自由が丘」は緑が丘駅の北100メートル以内。なお、北東部は「都立大学」の勢力圏になっていく。
緑が丘駅の北に、二軒ほど、大岡山に自由が丘物件が見られる。ここまで来るとどう考えても最寄り駅は大岡山で、周囲には大岡山・緑が丘物件ばかりなのだが(大岡山、緑が丘、いずれもブランドとしては悪くない地名である)、自由が丘の勢力の伸張はめざましいばかりである。
なお、緑が丘駅の南側の緑が丘三丁目には、自由が丘物件は見あたらない。

自由が丘・緑が丘の北、目黒通りの南側に位置するのが中根一丁目(太陽マーク)・二丁目(曇りマーク)である。
目黒通り・自由通りの交わる一帯を中心に自由が丘物件の集中している一画があるが、少し離れるとほとんど自由が丘勢力は見られない。逆に「都立大学」物件が非常に大きな勢力を持っている(都立大学駅自体が中根一丁目の東端に存在している)。
「自由が丘一丁目」の隣接地域でありながら、非常に強いブランドであるはずの自由が丘物件があまり見られないことは、逆に都立大学ブランドの強さを物語っているように思われる。

自由が丘1~3丁目の北、目黒通りを越えた北側にあるのが八雲二丁目(火山マーク)、八雲三丁目(手紙マーク)である。一丁目には自由が丘物件は見られない。
ここまでくると、東の「都立大学」、北の「駒沢公園」、西の「世田谷区深沢」のイメージが強い。しかし、南は目黒通り沿いから北は呑川(のみかわ)緑道に挟まれた一画には自由が丘物件が見られる。「自由が丘の北の端は呑川緑道」と言えそうだ。これは次の深沢でも当てはまる法則である。

八雲の隣接地区なので続けて表示したが、ここから世田谷区に入る。深沢一丁目(白のカップ)、深沢三丁目(白のワイングラス)。興味深いのは、非常に離れたところにまで自由が丘物件が散在しているが(このあたりは高級感のある「深沢」ブランドが非常に強い)、それでも「呑川緑道より北には行かない」という法則を守っている。このあたりは都立大学・自由が丘・尾山台・等々力・駒沢大学のいずれの駅からも離れているので、自由が丘ブランドを取り入れたものがあるように思われる。

世田谷区内で最も「自由が丘」である地域が奥沢五丁目である(水色の波マーク)。ここは駅の南口一帯に当たり、「目黒区自由が丘」と並んで極めて自由が丘的な地域といえる。地名が奥沢であり、しかも南東すぐのところに「奥沢駅」があるというのに、まったく影響を受けずに自由が丘勢力圏となっている。このあたりなら「世田谷区自由が丘」と呼んでもいいくらいだ。
なお、奥沢五丁目の自由通り沿いに奥沢神社がある。これは完全に自由が丘圏の神社の一つに数えてよいだろう。これはもともと八幡神社であったという。

奥沢五丁目の東側、目黒区緑が丘とは九品仏緑道を挟んで南側、東急大井町線を含み、東急目黒線より北側。これが奥沢二丁目の三角地帯である。
九品仏緑道沿い、自由通り沿い、そして目黒線沿いの3つの流れが見て取れる。どう考えても「奥沢駅の北側地域」なのだが、自由が丘勢力が非常に強い。
そしてその流れはなんと緑が丘駅前まで伸びている。「ワコーレ自由が丘エレガンス」と「ライオンズマンション自由が丘東」は、緑が丘駅改札まで歩いても100メートル以内である。もちろん周辺は「緑が丘」「奥沢」物件が多いのだが、緑が丘駅前までは自由が丘勢力圏のようだ。

奥沢駅から南東方面の一画である。自由が丘は奥沢駅の北西にあるから、この地域から自由が丘駅に向かおうとすれば、必然的に奥沢駅の方が近い。どう考えても奥沢駅圏である――はずなのだが、この一画でも自由が丘物件は非常に多い。
マイルールとして、物件名は基本的にGoogle Mapに掲載されたゼンリンの地図情報に基づいているのだが、実は不動産物件情報を調べればもっと多くの物件が見つかる。奥沢一丁目にも自由が丘物件が散在しているようだ。ただ、大きなものはこれで網羅されていると思われる。
このように見ていくと、「奥沢駅」を中心とした奥沢勢力圏は確かに存在するのだが、それを完全に覆うように自由が丘勢力圏が伸びているように思われる。奥沢駅は自由が丘圏の第二の駅と言えるかもしれない。
環八から伸びる311号線を挟んで南側、東玉川一丁目に「自由が丘第3マンション」がある。これがおそらく南東の端と思われる。この通りを境界として北が奥沢、南が東玉川で、東玉川は原則として「田園調布」の勢力圏に入る。

自由が丘駅から南に行ったこのあたりは、自由が丘と田園調布の勢力圏のせめぎ合う一帯である。
奥沢四丁目(雨雲マーク)には、奥沢駅から真南に延びる商店街の中に、自由が丘勢力がまとまっている飛び地が見られる。しかし、これらの勢力も環八のラインには届かないようだ。少なくとも環八より南は完全に田園調布勢力圏である。
東急の西側、玉川田園調布二丁目(泳ぐ人のマーク)は、どう考えても田園調布ブランドを名乗ればいいと思われるにもかかわらず、環八通りのすぐ北側まで自由が丘物件が見られる。「東京都世田谷区玉川田園調布二丁目x-x ○○自由が丘xxx」という住所はどうなのかと思うが(欲張りすぎではないか)、いずれにしても玉川田園調布二丁目までは自由が丘の辺境と言えそうだ。
もっとも、環八を越えて南、玉川田園調布一丁目に自由が丘物件は見られない。自由が丘の南限は環八のようである。

自由が丘駅南西部、そして九品仏駅前方面(東急大井町線南側)を中心とした地図である。
奥沢六丁目(ヨットマーク)の北東角は完全に自由が丘圏である。それは九品仏駅前まで続いている。ただし、大井町線から外れる南半分にはほとんど自由が丘物件が見られない。
西側の八丁目に入ると、とびとびに自由が丘物件が見られるが、九品仏駅前に続く通りか、大井町線沿いのラインである。このあたりは「九品仏」から「尾山台」物件の範囲であり、自由が丘とは呼びづらいだろう。
それにしても、九品仏駅の周辺は、奥沢駅と同様、自由が丘勢力圏に取り囲まれている。もともと自由が丘駅が九品仏前駅で、門前に新たに九品仏駅ができたので旧九品仏前駅が自由が丘駅になったという経緯がある。
九品仏駅は、自由が丘圏第三の駅と言ってもいいかもしれない。
なお、この奥沢六丁目・八丁目地域には、「田園調布」のはみ出し物件が存在している。この件については「@nifty:デイリーポータルZ:どこまでが田園調布か」が詳しいので、ぜひ参照していただきたい。
id:mrnknの指摘により、尾山台駅よりさらに南西、環八の南側に「自由ヶ丘フラワーマンション」が存在することがわかったので追加した。それにしてもここが自由が丘というのはいくらなんでも行き過ぎだろう。


九品仏こと浄真寺を中心とした一帯である(イカリマーク)。九品仏駅前から九品仏のお寺の東端をかすめる道路より東側、すなわち九品仏川緑道の南から大井町線までの一画は完全に自由が丘圏といえる。すぐ北側が自由が丘三丁目・二丁目、奥沢六丁目の自由が丘圏にもつながっている。
ところが、九品仏の西側や北側にも自由が丘圏が広がっている。
もしここで浄真寺を水色に塗ったらどうだろうか。そう、自由が丘圏がスムーズにつながるのである。九品仏駅前からお寺への参道西側にも自由が丘物件があることを考えると、「九品仏は、自由が丘のお寺」と考えた方がよさそうだ。
自由が丘の範囲には、熊野神社、白山神社、奥沢神社、九品仏浄真寺がある――といってもいいのではないか(小さなお寺はほかにもあるが)。

自由が丘を中心にぐるりと回ってきて、最後の地図である。自由が丘三丁目の西側にある等々力六丁目だ。なお、自由が丘三丁目との境界線(すなわち目黒区と世田谷区の境界線)は非常に込み入っており、mapfan地図で正確なところを調べている。Googleマップではずれているように見えるので注意されたし。
等々力という地区には、尾山台駅もあり、さらに西には等々力駅もある。等々力渓谷のロハスなイメージにより、ブランド力も高い。この等々力の東端の六丁目でも等々力ブランドは非常に強いのだが、それでも自由が丘勢力がかなりがんばっている。
その中心的な存在は、産業能率大学自由が丘キャンパスであろう(そういえば、前回の代官山マップでも、目黒区青葉台の産業能率大学代官山キャンパスがあった。別にわたしは産能大とは何の関係もない)。
産能大キャンパスを含む等々力六丁目東部は、文句なしに自由が丘といえる。
おおよそ、九品仏浄真寺の西の端のラインを南北に伸ばしたあたりが自由が丘の限界のようだ。
不思議なのは、目黒通りを越えて北側の等々力七丁目には自由が丘物件が見あたらないことである。それよりも北の深沢には数軒あるのだが。

自由が丘にはサンクスネイチャーバスというものが走っている。
自由が丘を巡回する無料バスで、てんぷら油のリサイクル燃料を使っている。このルートは、自由が丘全域からすればやや北側に偏っているようだが、大半が自由が丘圏に含まれているようである。
この地図では「八雲ルート」をオレンジで示した。これは、「自由が丘一丁目~三丁目」を中心とする狭義の自由が丘の範囲といえそうだが、目黒通りの北側もカバーしている。
もう一つの「駒沢公園ルート」を緑色で示した(一部重なっている)。これは、もう少し西側にずれた範囲だが、八雲ルートと合わせると自由が丘の中心部~北部をカバーしているように思われる。ただし、駒沢公園ルートは自由が丘圏よりも北側に延びている。起点は駒沢公園に隣接する深沢ハウスで、深沢・八雲の駒沢公園周辺の住人を自由が丘に連れてくる役割を果たしているようだ。
この内容についても、メルマガ【「場所の記憶」「都市の歴史」で社会を読み解く――松永英明のゲニウス・ロキ探索】にて補足することを考えている。
なお、はてなブックマークコメントでid:kimisekaさんから「都立大学のようにキャンパスは移転し大学名も変わってしまった、という駅でも「範囲」は存在するはずだ。是非調査を。」というコメントをいただいたが、自由が丘の隣接地域として都立大学勢力圏の存在が伺われた。
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[No.1] 投稿者:しげ[2009年3月15日 03:36]
次は「成城」でお願いします。
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