大震災復興への気分を変えるために「災異改元」はいかが?

ツイッターの私のTLで「災異改元をしてはどうか」という声がちらほら上がっていた。「災異改元」とは、天変地異、疫病、兵乱などの災害が起こったときに、その影響を除くために改元するものである。もちろん、現在は一世一元の制となっているので天皇の代替わり以外に改元されることはないということになっているが、歴史上、災異改元は非常に多い。

元号そのものに対する賛成・反対はさておき、元号というのが日本人の意識に与える影響は非常に大きいように思われる。また、今回の大震災がこれからの時代を大きく変えるのではないかと予感している人も多い。

歴史的には一世一元ということになってからわずか150年ばかりのことでもあるし、思い切って災異改元してみるのも、人々の気分が変わって「日本復興」の一助になるかもしれないと思う。

2011年3月25日20:02| 記事内容分類:日本史, 日本時事ネタ| by 松永英明
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「災異改元」

「災異改元」については、私のウィキにまとめておいたので、詳細はこちらを参照していただきたい。

調べたきっかけは、仲俣暁生さんのこのツイートである。

元号が一世一元になる前なら、このような大きな災いがあれば改元がなされたはず。平成の世はじつは大乱の世であった。復興と人心の一新のため、法制変えてこのさい改元したらいいと思う。

調べたところ、災異改元は平安時代中期(10世紀)に始まり、100を超える災異改元が行なわれている。特に平安・鎌倉・室町にかけて非常に多い。江戸時代には減ってくるが、それでもいくつかの例が見受けられる。

災異改元そのものは迷信的と感じられるかもしれないが、日本の伝統としては一世一元よりも古く、長い伝統ともいえる。

伝統についての前置き

元号について述べる前に、私の「伝統」に対する見方を前置きとして述べておきたい。

明治維新というのは、それまでの「日本」と維新後の「日本」の間に大きな「断層」を生み出した大変革だった。これは断層であって断絶ではない。受け継がれているものも確かにある。しかし、私たちが今「日本古来の伝統」と思っているものの多くが実は明治維新後の「新伝統」である、という意味で、「大きな断層ができている」という表現を私は使っている。

たとえば年賀状・初詣・神前結婚式・靖国神社といったものは150年から100年程度の歴史しか持たない「新伝統」である。これらについて、新しいからどうこう、古いからどうこうということを言うつもりはない。むしろ、期間が短くても、そのことを自覚しているのであれば、たとえば「5年の伝統」や「30年の伝統」というものがあってよいと思う(「恵方巻」などはその代表例だ)。

ただ、問題となるのは、本当は短い伝統でしかないものを、古来からの「日本の伝統」であるかのように標榜し、それがこれからも変わることのない絶対的権威であるかのように主張されるとき、私はそれを「伝統偽装を振りかざす行為」として厳しく批判している。

伝統というのは仮構であり、想像上のものであり、仮にお約束として共有されているものである。それはいつの時代もどの地域でも絶対に揺るがない普遍的絶対的価値観などではなく、地域も時代も限られたもの(つまり絶対的ではないものという意味で「幻想」)である。それをよくよく認識した上で伝統を扱うなら問題はないが、往々にして伝統は絶対的なものとされたがる(共通の権威がほしいという意識があるからこそ伝統というものが生まれるとも言える)。

改元と日本人の意識

元号の話に戻る。明治維新というものは大きな断層であって、明治以前・以後で大きな違いが生まれるという話である。つまり、「明治」というのは大きな区切りとなっている。

明治と大正の変化は小さいが、大正デモクラシーという言葉があるように、日清日露戦争以後・大震災以前のやや自由な時代と「大正」という元号の時期はおおざっぱに重なってくるように思われる。明治天皇が崩御したとき、乃木大将が殉死して「明治」は終わった。それはある意味象徴的な意味合いを持っているように思われる。

大正十二年の関東大震災は大きな変化のきっかけだった。大正15年末に昭和に改元されるが、関東大震災以前・以後を大正・昭和とおおざっぱに分けることは可能だろうと思う。

昭和は長い。明らかに二つの時代がある。終戦を境にして戦前・戦後である。占領期とそれ以後というのも当然分けてよいが、大きくとらえるならやはり「昭和:戦前」と「昭和:戦後」ということになるだろう。

そして昭和が終わり、平成に入る。これは、まさにバブル崩壊のタイミングとほぼ合っているといえる。そして私たちは約20年間、景気が低迷する時代を生きてきた。昭和と平成にはやはり(明治には及ばないが小さな)断層を見ることができる。平成をさらに細かく90年代とゼロ年代とに分けてもよいが、それは小区分といえる。

明治・大正・昭和戦前・昭和戦後・平成。こうして時代を見てみると、意外と元号というものが日本の近現代史を区分して理解するのに合っているように思われる。改元した瞬間に何かが変わるというわけではなく、その前後でなだらかな変化があるのはもちろんのことであるが、しかし、おおよその目安としては歴史に合っているようにも思われる。

とすれば、それを逆用することも可能だろう。天皇陛下の被災地お見舞い映像は多くの人たちの励ましとなり、また人々を落ち着かせる効果も持っていたように思われる。その「天皇」と結びついている元号を逆に利用して、あえてこの時期に改元することによって「新しい時代をつくろう」という機運を生み出すことも可能ではないだろうか。

私自身は決して右翼でも民族派ではないし、天皇を崇拝してもいないし、むしろ国家という枠組みそのものに批判的な立場ではあるが、効能という意味で「改元」という手法はアリだと思う――人々の気分を一新するという精神的な面において。

元号法では一世一元という決まりになっているが、別に憲法でもないのだから法律を変えるのは自由だ。「女性天皇/女系天皇」議論と違って別に天皇の血筋をどうこうとかいう問題も出てこない。

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

元号法第二項を「元号は、皇位の継承があつた場合、および内閣・国会において必要と認められた場合に限り改める。」と変えてもいいのではないか。制度としては単に明治以前に戻るだけの話である(室町以後、改元には幕府の意向も大きく影響したのだし)。

なお、元号を今年(2011年に)変えるならば「換算がしやすい」というメリットもある。できれば頭文字をM・T・S・H以外にしてもらえれば、実務上も混乱が生じにくいだろう。

もちろんこのアイデアはヨタ話ではあるが、それほど悪いアイデアでもないとは思うのだ。

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2011年3月25日20:02| 記事内容分類:日本史, 日本時事ネタ| by 松永英明
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コメント(1)

はじめまして。通りすがりで失礼いたします。
別のサイトで他の方も書かれていましたが、それは大昔の話だと思います。
私はIT企業に勤めていますが、元号を買えると、プログラムの修正・出力帳票の修正等、
社会全体で膨大なコストがかかることを御存じないのでは、とお見受けしました。

失礼ですが、あなたはその手間を考えたことがありますか?
必死になって徹夜でプログラムを修正する作業員の気持ちを考えたことがありますか?
そのコストは誰が負担するんですか?
震災の影響で収益が悪化し、それでも震災支援の為の費用を何とか捻出している企業に「元号を変える」為の費用を出せ、というのですか。
申し訳ありませんが、賛同できません。

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