「中国人は日本人に親近感を持っていない」世論調査は誤りだった――日中間の対立を煽る「反日」「反中」報道

 2004年11月、「中国人の53.6%が日本に親近感を持っていない」という報道がなされた(詳細→日本に対する意識調査データなど参照)。これを受けて、日本の世論調査でも「日本人の中国に対する親近感が下がっている」という結果が報道された(グラフ→CHINA WATCHINGなど参照)。

 ところが、実はこのもとになった世論調査に問題があったことが判明した。中国語で「親近」とは日本語の「親しみを感じる」ではなく、「親密に接している」ことを指す。つまり「中国人の53.6%は日本人と接していない」という調査結果だったというのである。もちろん「嫌いだから接しない」という人もいるだろうが、「親近感がない」と「接することがない」ではずいぶん違う。

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2005年3月 7日14:33| 記事内容分類:メディアリテラシー, 中国時事ネタ, 政治学| by 松永英明
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中国に嫌われたから嫌いという感情

 中国が嫌いという日本人にもいろいろいるが、偏狭な一部の自称「愛国主義者」が「外国をバカにすれば日本が偉くなり、ひいては自分も偉くなれる」と勘違いしているようなのを除けば、多くの場合は「中国人が日本を嫌っているというから、そんな中国は嫌い」という理由が多いように思われる。つまり「嫌われたから嫌い」という感情ではないだろうか。

 中国には確かに反日的な教育内容もあったし、江沢民の愛国反日路線(つまり日本のウヨクの裏返し)によって反日言動が煽られていた部分もある。しかし、経済界では日中関係は良好であった。また、2008年北京オリンピック成功に向けて、政治・経済・文化それぞれの分野で、特にエリート層においては親日派が多い。中国のウヨ厨ともいえる「憤青(フンチン)」が反日の叫びをネット上でも展開しているが、それは中国でもやはり厨房扱いなのである。(中国でも「反日愛国厨房」は馬鹿にされている [絵文録ことのは]04-10/21参照)

 先年の重慶でのサッカー試合における「反日行動」は、江沢民路線の過激な憤青がまさに中国にとっても利益をもたらさないことを明確に示した顕著な例であろう。そして、日本のブログ等でも「あんな風に思われているんだから、中国が嫌いになった」という人を多く見かけた(中には「ほらみろ、だから中国を嫌え」と煽る人もいたようだが)。これ以降、中国でも憤青を苦々しく思う親日派や良識派は増えている。

 嫌われたから、嫌い。その結果を見てまた同じように思う人が増える……それはどちらの国民にとっても不幸なことではないだろうか。

王暁京氏との話

 1月に北京に行ってお会いしたとき、女子十二楽坊のプロデューサー王暁京氏は新アルバム『敦煌』の発売を前にして不安を口にしていた。

「日本の世論調査で、中国に対して親近感を持たない人が増えているという報道を聞いたのだが、これで女子十二楽坊に対しても批判的になる人が増えてしまうだろうか?」

 そこで私はこう答えた。

「日本では政治的な問題と文化的な問題はある程度切り離して考える人が多いと思います。また、最近の中国に対する悪感情の一因は、中国人が反日だ、中国人は日本人を嫌っている、という報道によるものです。でも、女子十二楽坊のメンバーはみんな日本が大好きだし、そのことがしっかりと日本人に伝わるならば、一般の日本人は彼女たちを受け入れるでしょう。あるいは、さらに反中感情そのものをやわらげていくかもしれません」

 多少甘い見方かもしれないが、中国政府の方針をどうこうできない音楽家とそのファンのレベルでは、このように対処するのが現実的ではないかと思っている。


 さて、今回、中国の『経済』という雑誌で、日本の「反中」感情、中国の「反日」感情について分析した記事が出た。これは反日でもなければ反中でもないバランスのとれた記事だと思うので、ここにその一部を翻訳して紹介する。以下、すべて翻訳であって、訳したわたし自身の見解はまったく含まれていないことをご了承いただきたい。

《経済》:日本のメディアと民間はなぜ「厭華」を加速しているのか

「調査できるようなものなど何もない。奴らは中国に工場を設立しに来なくていい。中国自動車産業に奴らが足りないことはない!」

 電話を置いて、何とも言い難い感覚がわき上がってくるように感じた。

 2月、ある日本の自動車業界で有名な企業の職員と二人の大学教授が中国で市場調査をしに来ようとして、中国産業・学会・政府各界の人々に支持と協力を求めようとした。しかし、国内某大学の教授から冷遇されてしまった。

 北京該当で販売されている新聞や、学生・ホワイトカラーがネット上で見るニュースでは、日本についてのニュースは多くなった――いつもマイナス反応を引き起すような報道だ。街頭で走る日本自動車は多くなった。商店には読むのにえらく苦労する日本文字の印刷された食品もますます多くなってきている。しかし日本は中国から遠くなりつつあるように思える。

 日本の街に行って、日本の普通の市民・学者、さらには保守政治家と話している中でも、依然として温かい恩情がある。しかし、新聞売店で新聞を買うと、日中感情が悪化していると分析する氷のように冷たい文字を見ることになる。日本のメディアは隔たりを超えるよう主張しているのではなく、対立を煽動しているかのようにも思える。

記者は主旋律に出会って抑制する

「私が仕事で最も苦労するのは、社説を書くことではなく、社説委員会で何十人もの同僚のために中国問題を解説すること、中国の観点はどのようであり、我々は本紙の視点をどのように述べるべきかを説明することなんです」

 日本のある大新聞社の論説委員は《経済》誌に対してこう語った。

「中国問題を理解しているのは私だけであり、意見を提出したり問題を提示する大多数の人は政治部出身の委員たちです」

 論説委員は悩みを抱えている。日本の報道の特徴として、一人の政治部記者は常に一人から数人の政治家を追跡する。政治家が日本で影響力を高めていく過程は、ちょうど記者が新聞社で影響力を高めていく過程と重なっているのである。政治部記者から昇格して社説を書く論説委員となると、記者の言行は新聞社の観点を代表することとなる。社説を書く論説委員たちが最もよく接触するのは、自分がよく知っているあの政治家であって、自然とその人の影響を受けるようになる。

 朱に交われば赤くなるのだ。政治家のいくつかの観点が日本国家の政策になると同時に、新聞の報道したことが一つの重要な議題となった。日本とアジア国家の関係を処理する上で、日本のメディア内部で反映されているのは、政治部出身の委員と国際部出身の委員たちで、真っ先にいくつかの観点について論争することとなる。

「彼らの人数は多く、影響も大きいが、私は孤軍奮闘です」

 論説委員は少しがっかりした雰囲気で語った。

 論説委員にも力がある場合がある。もと「読売新聞」論説委員で現在北海道大学新聞学教授の高井潔司は《経済》に対してこう述べた。

「讀賣新聞は比較的保守的であるだけでなく、あそこの記者はみな意地を通します。事実はこういうことです。私は、社説の中にその他の委員の見解を盛り込むように強いられました。そこで、委員会には紙面を十分に割いてもらって、事実と彼らの見解をともに併記するしかありませんでした」

 高井はこのようにできたが、その他の中国問題の論説委員はこんなふうにできるだろうか? そうであるとは言い難い。

 日本の右派新聞「産経新聞」は、自分たちが現在も1970年に制定した「正論」路線を堅持すべきだと考えている。つまり「西側陣営に立ち、社会主義国家イデオロギーに反対する」という。彼ら自身の言葉を借りれば、日本憲法改正、中国の報道と歴史問題についての偏向を正すことが必要だという(2005年2月18日「産経新聞」社説)。もし産経内部にこういう人材がいなければ、同業内部で人材を奪い合うことをしないという日本メディアの慣例を破り、他のメディアに行って勤務可能な人を発掘してくる。

「我々中国についての報道に責任ある者たちは、別の部門から発掘されてきました。どういうわけで、中国に対する報道は辛味を含むようになったのでしょうか?」

 産経の幹部の一人が東京で《経済》に尋ねた。彼らが最も関心を持っているのはおそらく「辛味」が足りているかどうかだ。日本の世論が画一的になっているという背景のもと、政治上で中国抑制が主な主張となっていると、個々の記者の力は非常に弱まってしまう。

メディア内部で政治は冷たく経済は熱い

「中日関係における“政冷経熱”については言うまでもありませんが、わたしたちが日本の新聞を読むときに強く感じるのは、日本メディア内部の“政冷経熱”現象です。みなさんの政治版を読めば、中国は日本の最大の敵になったようにみえ、みなさんの経済版を読めば、中国は日本が経済危機を脱するための救いの星となっています」

 北京のある雑誌社の記者は2004年12月17日に開かれた日中メディアフォーラムで日本を批評してこう述べた。舞台下の日本メディア・放送関係の学者たちは聞いて笑い始めた。

 日本のそれぞれの新聞社内部の対中国報道に矛盾があるだけでなく、新聞社と新聞社の間で報道態度が大きく異なっている。共同通信社の記者の古田康雄は同じフォーラムで総括して述べた。

「朝日新聞は、日中関係を改善するために小泉首相は靖国神社に参拝することを停止するべきだと考えています。読売新聞は、日中関係を悪化させた原因を中国にあるとし、日本の政治家が神社に参拝することを批評するのは日本に対する内政干渉だと述べています」

 発売部数1000万部を超える読売は、中国問題についての保守的な見解で日本における世論の主流となっており、中日間の政治的に冷たい情勢を変えることは非常に困難である。

 しかし、中国メディアにも偏りがないわけではない。日本の中国駐在公使の井出啓二は《経済》にこう述べた。

「あなた方には、温泉、環境、納税制度などを報道していただきたいですし、日本政府が老人・子供にやさしいこと、日本には腐敗官僚が少ないことなどを報道してほしいものです」

 井出は日本大使館の責任者としてメディア取材を受けるが、社会・文化方面の中国記者のインタビューは極めて少ない。中国の新聞紙上から日本を見れば、井出にとって日常生活の日本にはまだまだ隔たりが大きく見えるのである。

世論調査の誤りの反作用

 学者の技術不足でできてしまった世論調査の結果が、中日の民間感情において摩擦を激化させ、メディアによって報道された後には両国民が互いに憎悪するに至っている。

 2004年9月から10月、中国社会科学院日本研究所は一項目の中日世論調査を作成した。この調査結果が公開された後、日本の世論はやかましく騒ぎたて、しばらくはこの話題で賑わった。

 日本研究所の調査結果ではこのように明記されている。日本に親近感を持つ中国人はわずか6.3%、親近ではない、あるいは非常に親近ではないは53.6%。ふつうと答えたのは35.5%であった(注・日本研究所統計の百分率は合計95.4%であり、100%にはならない。以上の数字はメディアで報じられた以外に《日本学刊》2004年第6期も参照できる)。

 彼らは一つの明らかな結論を導き出した。つまり「中国民衆が日本に対して親近感を持たない度合いが高まっており、中日双方はしっかり注目すべきである」。

 しかし、北京街頭で日本車に乗る人は減ったようには見えないし、日本のコンサートを聴く人は財布の中に最後に残ったお金を出してくるし、日本文壇で毀誉褒貶ある渡辺淳一は中国ではその小説が空港・書店の本棚にあふれかえっている。中国民衆はなぜ日本に対してこのように「不親近」になったのだろうか?

 日本に十年あまり留学し、神戸大学副教授をつとめたこともある劉志明は、帰国後、中国社会科学院ニュース研究所の研究院となっている。劉志明は《経済》にこう述べた。

「中国語のなかの“親近”は、親密に接していることを指します。日本語の“親近”は、そんなに疎遠ではない関係を指します」

 劉志明は多くを語らなかったが、記者が理解したのは、日本研究所は中国語と日本語の意味を明確にさせなかったということだ。おそらく日本学者がよく使う設問形式をそのまま翻訳せずに中国にもってきて、その結果、「53.6%の中国民衆は日本に対して親近感を持っていない」という誤った議論を生み出したのである。

 2004年11月23日、日本共同通信社は日本研究所の調査結果を抄訳して「54%の中国民衆は日本に親近感を持っていない」という見出しにした。翌日、保守的な讀賣新聞がこのニュースを翻訳した調査結果を詳細に発表し、その後、社説の中で日本の世論に対して中国への憤りを高めさせた。

 12月、日本の総理府の世論調査で彼らの結果が示された。中国を好きな人の比率は10%下がり、中国を嫌う人は10%上昇したというものである。中日民衆がはじめた相互憎悪は、中日メディアの報道の重点となった。

 社会科学院日本研究所の翻訳の誤りは、劉志明に指摘される以前に、新大陸を発見したというニュースのごとく中国から日本に伝わってしまい、また日本から中国に返って、両国民衆の相互不信をさらに高めることとなってしまったのだ。

国交が感情的になり、政治は膠着

 中日両国のメディア報道における摩擦によって中国民衆は、公正にみえる調査結果が示すように、日本問題に対して敏感な感情を増している。一部の役人のやり方はさらに摩擦を激化させ、解決の難しい問題にしてしまっているかもしれない。

 《経済》記者がある日本資本企業の広告会社副社長・張氏を訪問したとき、このような話を聞いた。

 ある地方政府の団体が一つの活動をやっており、賛助をいくらか引き出すことを望んで、張副社長の広告会社を探してきた。張氏は地方政府との関係を持つことはかなり重要だと考え、いくつかの日本企業に行って賛助を勧めてはどうかと考えた。このアイデアを相手に告げた途端、相手はすぐに表情を変え、必要ないと言った。張氏は、日本企業に対して何か意見があるのかと聞いた。相手は、そうではないと答えた。では、どういう理由かと尋ねると、相手は言った。

「私は日本を恨んでいる。この活動をとりやめたとしても、日本人がこの件に手を出すなど決してやってほしくない!」

 張副社長は非常に不思議に思った。比較的冷静な政府の役人が、このように激しい日本に対する感情を示したのは、張副社長が仕事をしてきた20年あまりのなかでも初めてのことだった。酒席の会食で、何杯か酒を飲めば、歴史上の問題が出てきたりするのはよくあることだ。しかし、真っ昼間に、二人の非常に冷静な中国人が突然、日本の問題が出てきた途端にこのように大きなコントラストを示したことについて、張副社長は口を開いたまま話ができなくなってしまった。

 ミクロの視点(メディア内の矛盾、世論調査、極めて一部の役人の言動)からマクロに目を向けて、中日政治構造を展望するとき、中日政治関係が近いうちに好転するような兆しは見つけにくい。

 小泉の靖国神社参拝、日本が李登輝訪日を強く望んでいること、日本軍事戦略の矛先が中国に向けられているといったいくつかの現象については論じず、日本経済産業大臣・中川昭義や外務大臣・町村信孝の新保守派の言論を分析しようとしなくても、現在の中日両国の世論を見れば、現状を打破し、新しく良好な中日関係を建設するために意味のある新しい動向を見いだすのは難しいのが現状である。

(詳しくは《経済》雑誌3月号参照)

最後に

 こういうネタをやるとコメント欄が「炎上」するかもしれないね(笑)。本質と関係ない左右両派のプロパガンダや憎悪感情に基づく幼稚な発言、筆者に何らかのレッテルを貼って印象操作しようとするような投稿はすべて無視させていただきます。

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2005年3月 7日14:33| 記事内容分類:メディアリテラシー, 中国時事ネタ, 政治学| by 松永英明
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竹島は日本の領土であることは国際的に認知されつつある。(というか、世界は今まででなんの関心もなかったが、日本と韓国が騒いでいるので調べてみたら、「なんだ、だれが見たって... 続きを読む

コメント(15)

てすと

「『同じ文字を使っている』からと言って『同じ意味で使っている』とは思わない方がいい」ととある作家が書いていたのを思い出しました。

testします

無論、メディアリテラシーを欠かすことは出来ません。
 それはメディアスパイラルの奔流によって、個人と国家の混和を認識し得なくなることを、またその上に、その高慢な態度を正当化するような志向を批判する、構造的意思だと思います。
 私の身近に居る中国出身の沢山の留学生の人たちの中で日本の事を悪く云う人はいません。そんな礼を欠くことを堂々とするような者は、グループから自動的に排除される習慣を持ち合わせているからです。どのようにすれば相手を最大限にもてなせるか、ということを常に考えるのはどこの国でも変わらない共通の美徳です。相手が誰であろうと。
 互いに親身に付き合っていこうとして、地道な実践を続けていく過程で、ささいな文化的差異も障壁ではなく、可笑しな笑いのタネとして認識できるようになるのだと思います。

世論調査では、具体的にどのような言葉が使用されたのでしょうか?
また、その言葉は日本語の意味する「親近感」とかけ離れた言葉だったのでしょうか?

ちなみに、

> 中国語で「親近」とは日本語の「親しみを感じる」ではなく

日本語も「親近」にそのような意味はないようです。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BF%C6%B6%E1&jn.x=32&jn.y=13&jn=%B9%F1%B8%EC&kind=jn&mode=0 http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%BF%C6%B6%E1&stype=0&dtype=0

>> 中国語で「親近」とは日本語の「親しみを感じる」ではなく
> >日本語も「親近」にそのような意味はないようです。

親近感のことをいっているんでしょ?

> 親近感のことをいっているんでしょ?

違います。
『「親近」とは』と明記されています。

少なくとも、日本の国としては中国に対して何もしていませんよ。中国は国として反日政策や反日教育、日本領海内に原潜を航行させたり、領海内のガス田を勝手に採掘してたりしますがね。
そこまで舐め腐った態度を取る国に対して、何で日本の国民が嫌いだと言ってはいけないんですか?私には不思議でならないのですが。

>しかし、新聞売店で新聞を買うと、日中感情>が悪化していると分析する氷のように冷たい>文字を見ることになる。日本のメディアは隔>たりを超えるよう主張しているのではなく、対>立を煽動しているかのようにも思える。

あははw
日本から天然資源を奪い取るのは
賠償であって、自分達が設けた隔たりでは無く、全く非は無いということですね。

せめて、五輪だけは政府の方からもスポーツマンシップを貫くよう、推奨してくださいね。

「中国が嫌い」という言い方の曖昧さが誤解を生んでいると思います。自分の好き嫌いを表現したいならば「中国のどこどこが嫌い」と具体的に言うべきです。部分的には好きな物もあるはずなんです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな考え方をしている人ははなはだ幼稚に見えます。

日本の「親近感」をそのまま訳して中国で「親近」と使ったという話です。日本語で親近感があるというのと中国で親近を感じるというのは意味が違うわけです。
あと、日本人憤青が何匹か湧いてきつつあるようですが、まともにとりあうヒマも気力もありませんので、ひどくなってきたらコメント欄閉鎖します。よろしく。

歴史認識が争われる時代 】
  秦 郁彦 (はた いくひこ)
 (歴史研究家・元千葉大学・日本大学教授・東大・法・昭31)

 二〇〇五年の新春を歴史家としてどんな感慨で迎え
たのかと自問してみた。いろいろな思いが去来するが、
舞いこんだ賀状を眺めると、鶏をあしらったカットが
圧倒的多数で、すべて世は事もなし、というのどかな
気分に溢れていた。なかに「平和主義者たちが暴力を
放棄できるのは、ほかの人々が彼らに代って暴力を行
使してくれるからだ」というジョージ・オーウェルの
辛辣な一句を引用した人があり、ぎくりとさせられた。
 医者が血を見なれてしだいに鈍感となるのに似て、
歴史家は一般人より過去のさまざまな事例に通じてい
る。ぎょっとするような事件が起きても、まず似たよ
うな先例を記憶のなかから拾い出すのが習性になって
いるせいか、少々のことではおどろかない。

 自戒せねばならぬところだが、翌一月二日の民放テ
レビに「ビートたけしの陰謀のシナリオ〓‥日本を震
撼させた戦後七大事件はアメリカの陰謀Pこと題する
二時間番組を見つけてチャンネルをまわした。ビート
たけしの司会で十人ばかりのゲストが並び、帝銀事件
(一九四八)、下山事件(一九四九)、日航もく星号墜落
(一九五二)から、三億円事件、ロッキード事件まで、
戦後日本の怪事件はすべてアメリカ(CIA?)の謀略
らしいというシナリオになっている。

歴史認識が争われる時代(秦)-62
 とは言っても、テレビ局は責任を問われても困るか
らだろう。全体を陰謀け と巧みにぽかし、七大事件
の解釈も一応は両論併記の体裁をとっていた。びっく
りしたのは、ゲストの感想ないしコメントで、一話終
るごとに「信憑性をどう思いますか」と聞かれて九五
%、九八%、100%と陰謀説を支持する人が続出し
たことだった。「謎は深まるばかり」とか「謎はさらに
深まった」と合間に流れる間投詞の影響もあったろう。

 だが帝銀、下山、松川、もく星号の米軍謀略説は、
小説家松本清張の妄想に発したという主旨の一文を発
表した(拙著『昭和史の謎を追う』文春文庫、を参照)
ことのある私は、あらためて陰謀史観の影響力と歴史家
の無力さを痛感した。

 しかり、陰謀史観は簡単には亡びず、日々新たに生
産されつづけているのである。最近に話題となったも
のをいくつかあげると、ルーズベルト大統領は日本の
真珠湾攻撃を知りつつ現地指揮官に通報しなかったと
いうルーズベルト陰謀説、田中義一首相が東アジアと
世界征服のプログラムを昭和天皇に上奏したとされる
「田中上奏文」(中国語では田中奏摺)事件、日中戦争の
発端となった虚溝橋事件の第一発は中国共産党の謀略
工作員が放ったという説などがある。

 本屋へ行くと、かならずフリーメーソンやユダヤの
陰謀説を主題にした本を一冊か二冊は鬼かける。今年
は源義経の大河ドラマが始まるので、「ジンギスカンは
義経なり」のリバイバルが起きるだろうとにらんでい
るが、ここまでオトギ詰めくと人畜無害であって歴史
家が気にする必要もないが、なかにはこうした作り話
が巨額の賠償要求につながる一件もあるから用心する
にしくはない。

 例を田中上奏文にとってみよう。日中英独仏露語版
が世界中に流布されたのは一九二九年である。日本政
府が証拠をあげて誰かの意図的偽作と反論しても疑惑
は消えず、東京裁判でも真偽が論議されたが、疑わし
いと判定されたのか証拠には採用されなかった。

 偽造となれば、偽作者を割り出す作業が必要になる
が、一九六〇年になって「私が書いた」と名のり出る
人が現われた。慶応大学出身で満洲軍閥の張学良の秘
書をつとめ、のちに三十歳で国民政府の外交部次長に
就任した王家禎(一九〇〇-八四)である。

 王が中国文史資料研究委員会編『文史資料集』に偽
造の来歴を告白する手記を発表したのは一九六〇年だ
が、内部資料だったこともあり一般には知られず、私
が中国の友人からコピーを入手したのは一九八〇年頃
だった。

 しかし中国、ソ連、モンゴル、台湾などの刊行物で
は相変わらず田中上奏文が歴史的事実として登場して
いるのを見かける。私は前記の四カ国代表が顔を出す
学術シンポジウムなどで、既定の史実であるかのよう
にこの偽造文書が語られるのを見聞してきた。そのた
びに反論し、「百の説法より一つの証拠」と考えて王家
禎手記のコピーをプレゼントしたが、さっぱり効果が
見えない。

 ところが二年前に東京で日米中の研究者を集めた非
公式のシンポが開かれたさい、例のごとく中国代表が
田中上奏文を持ち出したので、王手記を御存知ないの
                                                   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ
かと質問した。すると 「そうした説もあるのは知って
います」との反応が返ってきた。少なくとも初耳では
ないことがわかり効果があったらしいと喜んだのだ
が、現行の中国高校教科書(『中国の歴史』明石書店、二
〇〇四) には、相変らず田中上奏文が七行にわたって
堂々と書かれているのを知り、がっかりした。

 古森義久毎日新聞特派員によると、この教科書の教
科用指導書(いわゆる虎の巻)には「日本帝国主義への
深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう。南京
                                                                                     ヽ   ヽ
大虐殺の時間的経過と日本軍に殺された中国軍民の人
数を生徒に覚えさせよ」 (『日中再考』)と書いてあると
いうから、何をか言わんやである。覚えさせるべき人
数とは「身に寸鉄も帯びない中国人住民と武器を捨て
た兵士で虐殺された者の数は三〇万人以上」 のくだり
だろうが、史実を無視した宣伝文書のたぐいはどこか
でほころびを見せるもの。

 三〇万人はもちろん白髪三千丈式の誇大な数だが、
そのまま信じるとしても、この表現では首都防衛戦で
奮闘して死んだ兵士は皆無、全員が捕虜になって殺さ
れたことになってしまう。彼らの名誉に関わると思う
のだが。

・「百人斬り」 の世界

 南京の虐殺記念館は全土で十数カ所ある。この種の抗
日戦争記念館のなかではもっとも有名で、日本の高校
生が修学旅行によく訪れる観光スポットになっている
が、入口の壁には「遭難300000」と大きく刻み
こんである。「この数字は何とかなりませんかね」とよ
く聞かれるが、「国定の数字だから現政権がつづくかぎ
り当分はむりでしょうね」と私は答えている。

 何しろ日本の親中派学者たちが中国の言い分に折れ
合おうとして、「犠牲者の数は「十数万以上、それも二
○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民」(笠原十九
司『南京事件』岩波新書)と涙ぐましい配慮を示しても、
三〇万は一人も減らせないと猛反発される始末であ
る。ついでながら笠原論文の英訳を見ると、「十数万以
上」という表現は英語にないためか「十万以上」とな
っていた。笠原氏のホンネの部分はこのあたりなのか
もしれない。

 同巧異曲の話だが、年末にタイムズ紙の中国支局長
が訪ねてきた。「江沢民前主席が日中戦争の人的被害は
三五〇〇万人と言い出し、今や定着していますが、ど
ぅ思うか」と聞くので、「ちょっと簡単な計算をしてみ
ましょう」とエンピツで数式を書いてみた。日本の中
国駐屯兵力は八〇万人ぐらいだから、戦闘要員が半分
と仮定して兵士の全員が「百人斬り」しないと計算が
合いませんよね、と言うと「なるほど」とうなずき、
にやりと笑っていた。

 三五〇〇万人(一九九五年)の前は二一〇〇万人(一
九八〇年)、東京裁判では三二〇万人だったから、半世
紀の間に一〇倍以上も膨張したことになるが、先日の
新聞は日中首脳会談で温家宝首相が「中国人が何人死
んだか知っているか。しかも中国は日本に損害賠償請
求はしていない」などと「異例の激しさで詰め寄った」
(産経〇四年十二月四日付)と報じていた。小泉首相が
ODA援助をそろそろ「卒業」させたいと発言したこ
とへの反発ないし牽制らしい。

 従来も靖国問題をふくめ中国が歴史カードを切るの
は、oDAの増額とか減額反対といった実利獲得にか
らんでのことが多いのだが、戦争を知らぬ世代への反
日教育の薬が利きすぎて政府や党のコントロールも利
きにくくなってきているのは、昨年の西安事件やサッ
ヵー騒動絶唱ても見当がつく。

「歴史を鑑として未来に向かう」(以史為鑑)は中国古
典の資治通鑑が典拠とされるが、江沢民が訪日のさい
何回も口にしていらい中国の指導者が日本人を見ると
お経のようにくり返す常套句となってしまった。いか
にも深遠な哲理に聞こえぬこともないが、わかるよう
でわからない含蓄に富むところがミソか。

 その前にはヴアイツゼッカー西ドイツ大統領(当時)
の「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在をも
見ることができない」という演説の一句が日本のマス
コミや評論家にもてはやされていた。

 だがどうにでも解釈できるこの種の殺し文句を政治
家が持ち出す背景には、強烈な政治的思惑が秘められ
てのこと。「以史為鑑」も文化大革命時の「批林批孔」
(林彪・孔子批判)のスローガンと同類だろう。林彪は
わかるが、恐れ多くも孔子とは誰を指すのか、周恩来
首相のことらしいと臆測が乱れ飛んだのを思いだす
が、江沢民の思惑が日中関係の歴史解釈権は中国だけ
が持ち、日本には渡さないとする意思表示だったこと
は今や明白である。

 同じ中国の古典でも「春秋に義戦なし」とか「天下
でもっとも残酷な学問は歴史である」(魯迅)といった
逆方向の殺し文句もあるのだから、日本側もそういう
例をひいて切り返してもよさそうなものだが、憲法第
九条の精神を信奉する戦後の日本政府や多くの学界人
はおし黙るか、ごもっともと肯くばかり。

 見かねて一部の政治家や歴史家が反撃すると、中国
政府は右翼とか軍国主義者のレッテルを貼り、日本政
府を叩き萎縮させるという構図がいつのまにか出来上
がってしまった。だが同情すべき余地もある。

 他国なら黙っていても盾の役割を買って出るプロの
歴史家集団が無力なうえ、イデオロギー上の分裂が冷
戦終結後も修復されていないからだ。この現象を「歴
史学の知的ヘゲモニーの喪失」(吉田仲之)と片づける
人もいるが、事態はもう少し深刻といえる。

 戦後歴史学の主流となってきたマルクス主義とその
亜流の歴史学者は今は表面的には失権したかに見えな
くもないが、初中等教育界を最後の拠点として反君が
代・国旗、右派教科書の排撃、過激なフェミニズムの
推進など反体制的な政治闘争を進めている。

 往時に比べ労働組合の多くが脱落、日教組も組織率
が三割台にまで低落しているため戦線の全正面を維持
するのはむりとなったので、彼らは同調者を動員しや
すい教科書闘争を展開、当面の敵である新しい歴史教
科書をつくる会編の日本史教科書(扶桑社版)の攻撃に
全力を傾注しているように見える。例えば共闘態勢を
とった中国・韓国両政府からの内政干渉がましい外交
圧力を辛うじてかわした文科省が大幅に修正して検定
を通過させると、つくる会反対派は方向を不採択運動
へ転じた。採択権を持つ各地教育委員会にデモや威迫
を加え、事務所に火焔放射攻撃を加えるなど、手段を
えらばぬ妨害工作によって採択率を会の目標とする一
〇%はおろか一%を下まわる全国数校の私立校だけに
押さえこむことに成功した。

 それから四年、情勢はかなり変った。今年の採択で
は東京都をはじめ全国各地で、つくる会の歴史教科書
を採択する公立校がふえそうだと予想されている。中
国や韓国の露骨な介入が日本国民のナショナリズム意
識を刺激したからで、「過ぎたるは及ばざる如し」の典
型かもしれない。

 私は以前から「つくる会」の教科書をどう思うかと
聞かれることが多い。それに対しては、歴史観で違和
感を覚える点は少なくなかったが、文科省の修正で国
際的にもマイルドなナショナリズムと評してよいレベ
ルになっている。それに他国に例を見ないほどの自虐
史観で書かれた教科書が多数を占めているわが国の現
状は異常で、せっかくの自由発行(検定はあるが)の利
占雀生かし、もう少し多様な史観に立った歴史教科書
が並立するのが望ましいと答えてきた。

 しかし、問題は中国や韓国が日本側の歴史認識に介
入してくるのは、必ずしも本気とはいえない点にある。
先方はプロパガンダと割り切っているからで、呼応し
てくれる日本のマスコミや歴史家がいなければ、政治
カードどころか逆効果にしかならないと認識している
からだ。

 もう十年以上も前にな㍑郷り慰安婦問題が狂騒のピ
ークに達していたころ、虚泰愚前韓国大統領が浅利慶
太氏との対談で「(韓国人慰安婦問題は)実際は日本の言
論機関の方がこの間題を提起し、我が国の国民の反日
感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」と
率直に語ったことがある(拙著『慰安婦と戦場の性』、新
潮社を参照)。

 日本と近隣諸国の歴史問題をめぐるトラブルの多く
が、同様の契機と径路で大火事になったのは否定しよ
ぅもない事実だし、「捕えて見れば我が子」なりと判明
した時の後味の悪さは言うまでもなかろう。
 自省を兼ねてでもあるが、もう少し「捕えて見れば」
の実例を紹介したい。

・捕えて見れば我が子?!

 まずは江沢民の唱えだした被害者(死傷)三五〇〇万
人についてだが、実教出版の現用高校教科書「日本史
B」(執筆者は大江志乃夫、君島和彦、石山久男など)の巻
末にある「大東亜共栄圏-日本の加害」と題した折り
こみ地図(および本文一九九ページ)を見ると、地域別
の被害者数(死者)が並んでいる。

 計二二〇九万人のうち中国が首位の一〇〇〇万を占
め、インドネシアの四〇〇万、インドの三五〇万がつ
つく。負傷者の数は不詳だが、死者の約三倍というの
が常識だから足し合わせると中国は四〇〇〇万人にな
り、江沢民の数字を軽く超える。

 私は以前に折り込み地図の地域別被害者数を「白髪
三千丈」型(中国)、「風が吹けば桶屋」型(ベトナム、
インド)、「カン違い」型(インドネシア)、「取りかえば
や」型(朝鮮、台湾)、「その他」の五タイプに分けて論
評したことがある(『諸君!』〇三年七月号の拙稿)。標題
からおよその見当はつこうが、「カン違い」型のインド
ネシアの例で説明すると、ここでは最後まで戦争らし
い戦争はなかったから戦死者は皆無に近い。

 そのかわり四〇〇万人(日本政府の主張は一四~一六
万)の労務者が動員され、数千人が死んだと同国の中学
教科書が書いている。実教の教科書に出てくるインド
ネシアの死者四〇〇万は、どうやら動員数を不注意か
故意で取り違えたものと推察する。

 このように、出所にかまわず手当りしだいに多そう
な数字を積みあげていった「悪意」 の産物が死者二二
〇九万人かと思われる。数字だけではない。本文の記
述ぶりもそれ相応だから省略するが、底に流れている
のは 「自虐」 と 「冷笑」だと要約すれば執筆者は怒る
だろうか。

 ちなみに私なりの計算をしてみると計二〇〇万人
弱、実教本の執筆陣には申しわけないが一〇分の一以
下に減ってしまう。文科省の検定官は何をしているの
かという声も出そうだが、彼らを責めるのもやや気の
毒というもの。一九八二年の宮沢官房長官談話に発す
る「近隣諸国条項」が検定基準に加えられ、アジア諸
国に関する歴史教科書の記述は実質的にノーチェック
という体制が今もつづいているからである。

 その反面、日教組講師団による 「ウラ検定」 が採択
を左右するようになり、教科書出版社は販売対策のた
めマルクス主義の残党史家を執筆者に起用してきた。
気のきいた左翼史家は次々に 「転向」したので、執筆
陣のレベルがどんどん落ちこみ、検定官は初歩的な事
実ミスの修正作業に追われ、史観の偏向チェックにま
で手がまわらないと聞く。

 こうした惨状を象徴する一例として、訴訟進行中の
大学入試センター事件の概要を紹介したい。

 平成十六年一月十七日に実施されたセンター試験に
不適切な設問があったため、不利益を蒙ったとして受
験生の一人が地裁に仮処分を申請したのは直後の二月
三日(却下)、早大新入生ら七人がセンターを相手どり
提訴したのは七月七日だった。

 係争のタネとなった設問は二つあった。ひとつは昭
和初期の日本経済をマルクス経済学の手法で分析した
『日本資本主義発達史講座』 にマークさせるもの、も
うひとつは日本統治下の朝鮮における 「強制連行」を
主題とするものだが、ここでは後者をとりあげてみる。
 設問は次のような四つの選択肢から正しいものを一
つだけ択ばせるもので、正解は④とされた。

①朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が赴
任した。
②朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領
土であった。
③日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。
④第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた(世
界史B)。

 ①の初代総督は寺内正毅、②は台湾、③は創氏改名
の実施時期は一九四〇年なので、残る④を正解とする
のが出題者の狙いだろうと、受験勉強ずれした生徒は
迷わずマークしたようだ。

 しかし強制連行の定義について論争があることを知
っている受験生なら、「歴史的事実に反し思想良心の自
由を踏みにじられた」(仮処分の訴状)とか、「一種の踏
み絵」と不快に感じてもふしぎはない。

『歴史と教育』二月号によると、インターネットの掲
示板にはセンター試験終了前から受験生による四千件
以上の書きこみがあったそうで、「空気を読み、④にマ
ークしました。どうしても点数を稼がなくちゃいけな
いんです。許してください」とか「悩んだあげく④に
しました」といった反応が多かったらしい。

 いっぼう、「④だと思ったけど、『徴用で強制連行
じゃない!』と私の心が④にマークするのを許しませ
んでした。センター得点率八割五分あったから別に良
いですけど、こんな問題、間違ってると思いました」
とか「受験生が過去問に取り組む年数分から消える頃
を見計らって、若者を洗脳し続けるつもりなんだろう」
と、出題者を手玉にとる醒めた若者もいたらしい。

 今では国民徴用令による「徴用」のうち、朝鮮人だ
けを「強制連行」と呼び変える事例は前記の実教本を
ふくめかなりふえているものの、元来は在日の朝鮮大
学校教員で『朝鮮人強制連行の記録』(一九六五)を刊
行した朴慶植が創出した新造語だったことを突きとめ
たのは、鄭大均(都立大学教授)である。

 韓国の国定教科書も「強制連行」は使っていないが、
自由募集、官斡旋、徴用(一九四四年から)の三段階が
あり、法的強制の期間は数カ月にすぎず定義が困難と
いう事情もあるらしい。センター試験にこの種の定義
も確立していない俗語を持ちこむのは、本来ありえな
いはずで、やはり近隣諸国条項のもたらした副産物と
見てよい。

・逃げまわるセンター試験出題著

 それ以上に問題なのは、受験生が提起し国会でもと
りあげられた本件に大学入試センター(文科省の外郭機
関)ばかりか文科省、問題作成者をふくむ歴史家たちが
逃げまくるか、沈黙をきめこんでいることだろう。

 とくに作成者の氏名を公表せよという要求にセンタ
ーは渋り、怒った自民党議員グループに追及され「作
成者が辞める時点で公表する」と約束したが、実効は
期待できない。ほとぽりが醒めるまで作成者を引きと
めかねないからである。

 まともな作成者なら堂々と名のり出て弁明しそうな
ものだが、そうならないのは本人が不適切を承知で出
題した「確信犯」で、「しまった。ばれたか」と舌打ち
しっつも、支援勢力が守ってくれると安心しているか
らではあるまいか。

 実際に、「氏名を公表するな」と圧力をかけた組織は
いくつもあった。そのひとつは十六年三月五日付で「東
京大学史料編纂所教員有志」 (23名)の名義でネットを
通じ公表した声明で、「歴史の研究と教育に携わる者と
して、私たちは重大な危惧をいだかずにはいられませ
ん」と大げさなわりに、「有志23名」の氏名どころか代
表者の名も出していない。

 裁判はまだ準備書面交換の段階だが、センター側は
「強制連行」 が史実であるか否かは争わない、定義す
るのもセンターの職務ではない、相当数の高校教科書
が記載していれば出題対象として可で、四割の教科書
が記載していないから不当だという原告の言い分には
同意できぬ、と反論している。

 どう決着するか予見はできないが、秋の早大祭のシ
ンポで四人の原告学生が自前の言葉で決意を語る場面
に居あわせ、たのもしく感じた。彼らの世代が社会の
中堅を占める頃には、不自然な自虐史観で書かれた教
科書も少しは減るのではないかと期待している。

 近代史学の祖ランケは歴史家の任務を「そもそも何
が起こつたのか、そしてそれはなぜ起こつたのか」を
探索することにあると定義した。前段は歴史における
実証主義の宣言と解されている。問題は後段だが、私
は因果関係の解明、それも直接の因果に限り、「風が吹
けば桶屋」式の間接因果や拡大解釈を排す主旨と理解
したい。

 そして、この禁則を破り歴史を政治の具として悪用
する動きを監視し、必要あれば遠慮なく指摘していく
作業もまた、歴史家の任務だろうと信じている。

 (歴史研究家・元千葉大学・日本大学教授・東大・法・昭31)』

http://www104.sakura.ne.jp/~assphalt/stored/up0214.gif

>[No.8] 投稿者:[2005年03月11日 00:16]

馬鹿じゃないの?(笑)
まずは足元かためなよ、西村さん

あーあ、せっかく工作活動で「ネット右翼」は居ないって思われかけてたのに残念だったのー

>[No.8] 投稿者:[2005年03月11日 00:16]

馬鹿かね君は
まずは足元かためなよ、西村さんや

「反日」という言葉だけで脊髄反射するASAHIネットの日本人糞青がNo.12のような荒らし投稿をしましたのでコメント欄を閉じます。

このブログ記事について

このページは、松永英明が2005年3月 7日 14:33に書いたブログ記事です。
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