コメント・トラックバックは「原則として削除」というルールを掲げます

今、日本のブログでは、コメントやトラックバックについて、非常に開放的な方針を掲げて運用しているものが多い。特に、寄せられたコメントやトラックバックを削除することは、よほどのことがない限り禁忌とされがちである。下手に削除すると、「都合が悪いことを書かれたから消したのだ」などと批判され、さらに炎上を招くことがある。

わたしもこれまで、自分のブログのトラックバックポリシーなどを表明してきた。それは非常に開放的なものであった(「絵文録ことのは」のトラックバック・ポリシー [絵文録ことのは.]2005/05/24など参照)。

しかし、今、わたしはあえて、このブログの運営方針として、以下のポリシーを掲げることにする。

  • このブログに寄せられたコメント・トラックバックは、原則として削除します。
  • ただし、管理人が消すのを面倒くさがったり、関心を持ったりしたコメント・トラックバックは残ることもあります。
2008年6月22日18:09| 記事内容分類:ウェブ社会| by 松永英明
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開放的なものとされたブログ

2003年ごろから日本で定着するようになったブログは、コメントやトラックバックを使ったコミュニケーションツールとしての要素が大きかった。ブログは自分一人で書くものではなく、多くの人たちの反応によって作られるものであると認識されてきた。

一時期は、被トラックバックの数がその記事の価値を測る基準とされたこともあった。

そこで、ブログは開放的なものという暗黙の前提が生まれていったように思われる。

できるだけ多くの人の意見に耳を傾けますよ、という姿勢を示すことは、ブログに限らず、好感度を高める。一方的に言うだけでなく、批判的なものも含めていろいろな意見を参考にし、それをもとにしてまた語ります、という姿勢を貫けるならば、非常に寛大な人物であると思われることは間違いないし、いわゆる「Web 2.0」的な共同作業としてのブログを作り上げることもできるであろう。

そのため、ブログの世界において、リンクフリーは当然の原則として、トラックバックもコメントも(名誉毀損や誹謗中傷は別として)原則自由だし、投稿されたものを削除したりするのは閉鎖的であってよくない、という認識が暗黙のうちに広まっていったように思われる。コメントやトラックバックを承認制、あるいはまったく受け付けないというブログは、あくまでも少数派であると言える。

例外としての有名人ブログの閉鎖性

例外は、アイドル等の有名人ブログである。原則としてトラックバックやコメントは非公開または承認制であるところが多い。中にはコメントを積極的に開いているものもあるが、タレント事務所側としては、問題のある投稿や宣伝9割のトラックバックなどを放置するより、最初から受け入れない方が管理上の問題が少ないのである。

しょこたん☆ぶろぐも、当初はトラックバックのみ受け付けていたが、「しょこたん語をすべて自分が作ったと中川翔子がテレビ番組で主張している」と曲解したvipperたちによって炎上した結果、トラックバックを閉鎖することとなった。2006年9月のことである。(参照→しょこたんと「だお」 - 埃blog

しかし、これらのブログが閉鎖的だからといって、非難されることはほとんどない。人気商売である以上、コメント・トラックバックを開放することのデメリット部分を看過することはできない、ということが受け入れられやすいからである。

「主客逆転」という勘違いの発生

有名人ブログを除けば、一般的に、ブログは非常に開放的なものである。

ブログが登場する前には、確かにサイトに付属する掲示板でやりとりすることはあったが、ページごとにコメントやリンク元を他人が掲載できるシステムは、ほとんどゼロだった。したがって、ウェブサイトというものは原則的に管理人のものであり、他の人はあくまでもお客さんだった。

それが、ページごと(あるいは日付ごと)にコメントをつけられるようになり、トラックバックを受け付けるようになって事態が変わっていく。ブログサイトは、ブログ全体がコミュニケーションの場となり、管理人のみならずコメントをつける読者、関連記事を書いた他のブログ管理人などが積極的に関わるようになってきた。

言い換えれば、サイトの運営において、管理人の比重が次第に低くなってきたとも言える。もちろん、ネタフリ役としてブログ管理人が「主」であることは間違いないが、そこにコメントをつけるのが当たり前となると、「客」の重要性が高まってくる。

そして、次第に「主客逆転」という勘違いが生まれるようになる。つまり、「主」よりも「客」がでかい態度を取るようになってきたのだ。

わたしは、ブログに限らず、ウェブサイトというのは、管理人の庭の中で読者が遊ばせてもらっているものだと認識している。したがって、「主」が「客」をできるだけもてなすのは「主」としての心構えだと思っているが、だからといって「客」が「主」より出しゃばったり、あるいは「もてなされて当たり前」といった態度を取るのは勘違いだと思う。

ブログのコメントは「書かせてもらっている」のである。自分が主張したければ、コメント欄に書き連ねるより、自分のブログにまとまったものを書いてトラックバックすればいいが、その場合でも「関連記事へのリンクをトラックバックさせてもらっている」のである。

客なんだから何を書いても受け入れろ、受け入れないのは心が狭い――と客が言い出したら、それは痛い客である。もてなす側ができるだけ客を大切にする心構えは必要だが、客の方が高飛車に出始めたら、ふつうの客商売の店でも今後はお引き取り願いますということになるだろう。

さらに進んで、勘違いした「客」からの批判が見られるようになった。ブログのコメントやトラックバックを削除したら、その「ブログ主」は「都合が悪いコメントを削除する、心の狭い人間」であると言いはやす例が非常に多く見られるのである。基本的に自動で弾かれるスパムを別として、トラックバックを特に削除することのない当ブログに対しても、「寛容さのない松永氏にトラックバック打っても削除されるだろうけど」などと誹謗中傷されたことがある。

つまり、「コメント・トラックバックを削除する」ことが、あたかも「都合の悪いことをもみ消し、他者の声に耳を傾けない非寛容」であるかのごとく言われることが増えてきた。本来、「削除」と「不寛容」はイコールではない。

しかし、本来、ブログというのはブログの持ち主に本来の運営権限があるはずだ。自分のブログに(いろいろな意味で)「ふさわしくない」「不必要」だと思ったら、客の意向がどのようなものであれ、自由に削除したり残したりしていいはずである。それをとやかく言われる筋合いはないだろう。

むしろ、消されても当然なのだが、好意によって残してもらっているのである。そこを勘違いしてはならない。

また、自分でブログを持つことなく、他人のブログコメント欄でもっぱら発言する「ブログコメンテーター」が登場してきたことも、わたしには疑問に思えた。ときには、ブログエントリーの内容と関係ない発言を投稿し続けるコメンテーターもいた。ここはお前のチラシの裏じゃないだろ、自分のところで書けよ、と思う。

コメント欄をあえて見づらくする

このブログでは少しずつデザインを変更しているが、コメント欄の表示は次第に小さくなってきている。コメント欄の文字が小さくて見づらいという苦情が寄せられたこともあるが、それは意図的にやっていたのだ。

本文とコメント欄は対等ではない。あくまでもこのブログはわたしのものであって、コメントは添え物にすぎない。寄せられた意見はありがたく拝読するが、わたしの文章とコメント・トラックバックを同列のものとして扱うつもりはさらさらない。そんな思いを込めて、本文とコメント欄の読みやすさに大きな差をつけてきた。

それは決して、他人の言葉に耳を傾けないという態度ではない。ただ、わたしの意見でないものをわたしが積極的にアピールしているかのごとき誤解は受けたくなかった。

また、ブログのコメント欄での議論も、わたしは比較的重視していない。コメント欄でのやりとりがメインだとか重要な部分を占めるというブログは当然あってよいが、わたし自身のブログでそういう扱いをするつもりはない。もし考えるところがあれば、そのコメントを引用して新たなエントリーを立てた方がいいと考えている。

しかし、コメント欄を「見づらくする」というだけでは、管理人より客の発言の方が重要と考える「勘違い」には対処できないような気がしてきたのだった。

ポリシーを逆転してみる

ブログ休止中にも、このような「主客逆転」現象を目の当たりにすることが多かったため、マイミクのみに公開しているmixi日記で2008年01月06日、以下のように書いた。

ふと思ったのだが、ブログのコメント欄やトラックバックの削除のポリシーをこんなふうにしてみたらどうだろうか。再開時には本気でやってみようかと思っているのだが。

  • このブログに寄せられたコメント・トラックバックは、原則として削除します。
  • ただし、管理人が消すのを面倒くさがったり、関心を持ったりしたコメント・トラックバックは残ることもあります。

シンプルでいいな。

こう書いておいて、別に全然削除しなくても問題ないし。

だいたい、人様のコメント欄やトラックバック欄に載せさせてもらっていながら、消すとガタガタ文句を言う奴がいるのがうぜえ。トラックバックは送るのも自由なら、消すのも自由だろうが。

「原則として削除します」と言いながら、実際に消すつもりは(ほとんど)ない。それでもこのように表現するのは、ブログの「主」としての権限を回復する必要があるのではないかと思ったからだ。ブログの管理自主権の回復と、主客の不平等条約の改正といったところである。これによって、ブログ管理人の自主性が保たれるようになる。

つまり、あくまでもブログをどのようにいじるかは(客の投稿部分も含めて)管理人にすべての裁量があるということを再確認しておきたいと考えたのである。

これは、思いついた時期からもおわかりいただけるように、わたし自身が何らかの「被害」や「批判」を受けたから思いついたものではない。ブログ休止中なので、それはない。しかし、ブログの管理人よりも権限が大きいかのような勘違いをした発言をいくつか目にしたのがきっかけであった。

なお、補足しておくと、リスクと天秤にかけた上であるが、「残したいコメント・トラックバックを削除しない」権利も行使するつもりである。

これは、決して「臭いものに蓋」ではない。他の人が自分のブログで発言することについて、わたしは関知しない(しえない)からである(誹謗中傷や嫌がらせを除いて)。意見があるなら、自分のブログで責任を持って言えばいい。ただし、それを「わたしのブログ」で紹介する義務はまったくない、ということを言っているのである。

今回のわたしのエントリーは、以上で本論を終える。

コメント承認制の議論

さて、わたしの発言はマイミク限定のものであったから特に誰かに影響を与えることもなかったが、内容的に関連する議論が今月に入ってから起こっている。

発端は極東ブログでのこのエントリーである。

コメント欄承認制で、「炎上」は終わります。

finalvent氏の意図は「コメント・トラックバックについて、管理人の管理権限を発動しますよ。それに文句は言わせませんよ。そうすると、いろいろと厄介な問題が解決できます」ということであろうと思う。そして、それが誤読でないなら、わたしはfinalvent氏の発言に賛同する。

finalvent氏が「コメント承認制」であり、わたしが「コメント削除宣言」であるのは、おそらく、ツールの問題である。現在のMovable Typeのスパムコメント・スパムトラックバック排除機能は極めて優秀であり、ごくわずかのスパムと誤認されたコメント・トラックバックを元に戻せば、おおかた用が済んでしまう。スパムを削除するのに手が煩わされるということは特にない。したがって、このブログは承認制にしなくてもいいのである。

もっとも、finalvent氏の「動機」は、「数千PVもあるようなブログのエントリに、「死ね」とか、知らない人の個人メールアドレスものがコメントで公開されるんですよ、ほっておくと」というところにあったようだ。

わたしも自分についての誹謗中傷等々を、他人のブログのコメント欄に延々と書かれ続けたことがある(それもつい最近のことである)。自分のブログではないが、他人のブログを踏み台にして書かれ、今もそれがブログ管理人によって放置されているという実態がある。「自分のブログに第三者への誹謗中傷や「死ね」ってそんなに書かれるものなの? - ARTIFACT@ハテナ系」とあるが、わたし自身のブログではなく、そういうもの(というかわたしへの誹謗中傷)を容認し、自らも実践している人のところに、そういう人たちが集まっている。

今のところ、他人を攻撃するために当ブログが踏み台にされているということはない。だから、わたしが「コメント・トラックバック削除宣言」をするのは、それが動機ではない。もちろん、「第三者への誹謗中傷や「死ね」」が書かれたら、気づき次第対処することは当然であるが、それが主目的というわけではない。その点で、わたしとfinalvent氏とは違っている。

そのほかの関連記事

私にとって本blogというのは、by me, of us, for you なものであるということ。全部が me であれば、100%の統制を望むのだろうけどそうではない。本blogは確かに私が運営しているけど、私だけのものではないと感じているし、読者のためのものであると考えている。

もちろん、「よりよい情報提供者」となるためには、読者を大切に考える必要がある。しかし、私的なブログは「of us, for you」ではなく「of me (and you), for me (and you)」である。「you」への貢献度が高まることに文句をつける気はないし、公共性ということも考える必要はある。むしろ、「読者のため」を考えて文章を書くことで、よりよいものが生まれると思う。しかし、それをブロガーに強いることはできないし、「me」の部分を完全に忘れ去った勘違い客の増殖に対抗する必要もある。放っておくと、ブロガーは「客のための召使い」としてこき使われる可能性がある。

lastineさんの5か条

管理人によるコメント・トラックバックのコントロールに否定的なのが、こちらの記事である。(※と当初書いたのだが、これは誤読が含まれていた。記事を書いた方からの指摘があったので補記する。6/23)

1.インターネットで記事を書く=世間に主張する

  • 自分が先に先制攻撃をしていることを忘れずに

2.主張したらその良し悪しを批評されるのが当たり前

  • 批評されたくなかったら公表しなければいい

3.ネガティブな批判を規制しても臭いものにふたをしただけで本質的な解決にはならない

  • いつか不満が爆発するよ

4.インターネットで内緒話はできない

  • 記録に残るので。仲間内だけで見せ合う交換日記的なノートではない。

5.悪口を言うのと書くのは違う

  • やっぱり記録に残るので。しかも、何度も見ることができるしね。

最初に記事を書いて先制で主張攻撃したのに、「批判するな」とは何様のつもりだ。ずっとお前のターンか!

インターネットで記事を書くことを「先制攻撃」ととらえ、コメント・トラックバックをコントロールしたいという考えを「批評・批判を封じる行為」ととらえている。このとらえ方には異論がある。非常に偏っていると思う。意見を述べることは「先制攻撃」なのだろうか。

※と書いたのだが、この元記事は、「ネットで文章を書いているのに批評されたくない人」に対する意見であるという前提があった。わたしはそれを、すべての人に向けられたものだと勘違いした。そのため、元記事の趣旨にそぐわない反論をしてしまった。訂正してお詫びする。以下のわたしの考えは、上記記事と結びつけず、コメント・トラックバック等の削除に対して過剰反応する人たちへのメッセージとして読んでいただければと思う。

そして、コメントを削除しただけで「批評・批判を受け付けない」と決めつけられるとしたら、わたしにはそのこと自体が「言葉の暴力」と感じられてしまう。

もちろん、ネットで何かを発言したら、肯定してくれる人だけではない、というのは事実としてよくよく認識しておく必要のあることである。しかし、「批評」「批判」のふりをして誹謗中傷や侮辱をしてくる人、あるいは全然関係ない話を延々と始める人もいるのが事実である。それなのに、一般的にコメントを規制することが「ネガティブな批判を規制」と限定したものにすり替えられて認識されるのだとしたら、それはたまったものではない。

少なくとも、わたしがここで「コメント・トラックバックは原則削除します(というか、削除されても文句を言うな)」と主張しているのは、「自分に都合の悪いネガティブな反応を封じ込める」ためではない。断じて違う。少なくとも、自分のブログは、わたしの庭である。それにも関わらず、延々と批判に応じ「続けなければならない」という、暴力的な圧力は弱めたいと思うから、このように述べているのである。

※以下、追記部分(06/23)

というわけで、上記記載を訂正した。記事の訂正・削除等も管理人の裁量の範囲であるべきだと思う。

自身のブログ内でコントロールできる事はコントロールすればいいと思います。

ただ僕自身がコメントを削除するようになると「自分に都合の悪いネガティブな反応を封じ込める」ためにコメントを削除する可能性が否めないのでやらないだけです。

このように考えてみると、どこを強調するかは別にして、おおむね見解は一致していると思う。誤読した失礼をお詫びする。

ただし、最後の段だが、“「自分に都合の悪いネガティブな反応を封じ込める」ためにコメントを削除する可能性”について一言。

わたしは、自分のブログで削除した程度で、「ネガティブな反応を封じ込める」ことは根本的に不可能だと思っている。なぜなら、外部のブログや掲示板等でコメントして、当方へリンクすることは防ぎようがないからである(批判を逃れることは不可能というlastineさんの意見のとおり)。わたしは、いわゆる「リンクフリー」派である。「無断リンク」を拒否することはしない。むしろ、悪口を言うならリンクしろ派である(わたしの発言が改竄されていたり、恣意的にゆがめられていないことを証明してもらうために)。そして、検索という手段もある以上、自分のブログからネガティブ反応を排除したところで、一切のネガティブ反応を封じ込めることはできないだろう。そういう前提の上で、とりあえず自分の管理する範囲内では、自分の許容できる範囲のものだけ残しますよ、という考え方はありだと思う。

「自分に都合の悪い」という言葉を突き詰めて考えると、非常に難しい。lastineさんはおそらく「都合が悪い」という言葉を、正当な批判・批評・指摘の範囲内だけども自分を肯定してくれない意見・情報、というレベルでとらえているのだと思う。そういう「都合の悪い」ものを排除する気は、わたしもない。しかし、中には、悪意をもってこの言葉を乱用する人たちがいる。わたしの嫌がることをわざわざブクマやコメント欄に書いてきて、わたしが「自分に都合の悪いこと」を消さないかどうか、じっと観察するような人たちもいる。わたしにとって「都合の悪いこと」を書くことが正義だと勘違いしている人だっている。

「反対意見」や「客観的意見」や「善意」や「正義」のフリをした嫌がらせを削除すると、「自分に都合の悪い意見を消した」と言われる可能性があり、実際にそういう経験はある。ネットにいるのは、lastineさんのような善意の批評家だけではない。

「おまえは○○氏だろ」と根も葉もない言いがかりをつけてきて、事実じゃないから消したら「都合が悪いから消したのだ。認めたんだ!」みたいな言い方をする御仁もいる。こうなると、もうつきあっていられない。

その辺を考えていくと大変なことになるので、わたしはもう、開き直って、「都合が悪かろうと悪くなかろうと消したりしますよ」「わたしのブログは恣意的に運営しますよ。わたしのものですから。文句あるなら勝手に言えば?」と言ってしまいたくなっているのである。

ブクマコメを読んでの追記

一部、わたしが「コメント・トラックバックを受け付けない」かのように誤解されているようなので、そうではないと明記しておく。コメント・トラックバックは(スパムフィルタ以外)広く受け付けている。もちろん、嫌がらせではない正当な批判・批評についても開かれている。ただ、その後の扱いについては管理人権限をフルで発動しますよ、ということだ。

このブログ自体を、まったく外部からの影響を受けない閉鎖的なものにするつもりはない。それは、このブログのデザイン上、コメント欄の上にブクマコメントへのリンクを設けてあることからも理解していただけるはずである。ブクマでコメントされることを受け入れているわけである。ブクマコメントは、コメント欄への投稿よりもさらに手軽な一言つぶやきであり、それを可視化するツールとして有用だと思っている。

ただ、ブクマコメントをこのブログ記事ページに直接表示する気はない。ブクマコメントはこちらで直接コントロールできないこと、中には関係ないことを一生懸命書いて嫌がらせする人たちもいることから、ブログ記事からはワンクッション置いた形でつなげておきたい。そう思って、ブクマコメントページへはクリックしないと行けないようになっている。わたしのサイト上でのアクセス統計上、あるページから次のページへのリンクをクリックする比率は非常に少ない。

そう考えると、コメント欄を別ページにするというのもいい考えだと思う。

そしてもう一つ補記しておくが、このブログでは外部からの批判・批評に対して、時間と精神的余裕の許す限り誠実に対応したいと思っている。しかし、放置することもある。「コメントに応答しない」自由も担保しておきたいと思うのだ。

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2008年6月22日18:09| 記事内容分類:ウェブ社会| by 松永英明
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コメント(1)

すいません誤解があるようなので。

ブログのコメントやソーシャルブックマークのコメント、トラックバックにリンクを一方的な攻撃だ!という人たちを想定して「先制攻撃」という言葉を使っています。つまり、主張すれば批判されるという当たり前のことを念頭にない人に対する言葉であって、そういう人はネットで発言したら賛同ばかりは得られないという点を忘れているよねって話なんです。だから、公表した以上「批判するな」は不遜だよねと。

>コメントを削除しただけで「批評・批判を受け付けない」と決めつけられるとしたら
だから上記のような主張はしてません。現状でコメント自体が少ないので批判コメントを僕は無視することはあるけど、増えれば削除も検討するかもということも書いてますから。

むしろ、主張としてはコメントやトラックバックをコントロールしたところで、ブックマークやリンクはコントロールできないのにってことです。

このブログ記事について

このページは、松永英明が2008年6月22日 18:09に書いたブログ記事です。
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