なぜ日本人はよく自殺するのか

香港「明報」10月18日号の「好書搶読」(良い文章を争って読む)コーナーに、ライター湯禎兆氏の「日本人為什麼愛自殺(なぜ日本人はよく自殺するのか)」という文章が掲載されている。これは、青木雄二、柳美里、岡田尊司らの見解を紹介する一方、酒井法子が自殺したというデマが流れたことや硫化水素自殺などのタイムリーな話題も取り上げている。経済的理由のみならず、「武士道精神」「著名人への自殺を期待する大衆」「自己愛型社会」などの社会的・文化的な要素も指摘されている。

そこで独自にこの文章を翻訳してみた。

2009年10月28日14:07| 記事内容分類:日本時事ネタ, 社会学| by 松永英明
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タグ:三島由紀夫, 太宰治, 岡田有希子, 社会学, 自殺, 酒井法子|
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《良い文章を争って読む》湯禎兆「なぜ日本人はよく自殺するのか」

好書搶讀﹕湯禎兆:日本人為什麼愛自殺 - 新浪網 - 新聞より。以下、最後までこの翻訳である。

2009-10-18【明報の独自記事】

 社会時事評論家・青木雄二『青木雄二の二十世紀事件簿』(河出書房新社、2002年初版)では、自殺現象を経済崩壊の反映と見なしている。直接的には、政府自民党に矛先を向け、すべては自民党の施策がよくなかったために、日本人を永遠に回復できない状況まで引きずり込んだためであると認識している。一家の主人である中年男性が、自殺者のグループの中でもハイリスクな集団となっていることを考えれば、これはまさしく合理的で正常な推論といえる。

 しかし、文化伝統的に見た日本人の武士道精神の習慣については、ここでは原因として取り上げられていない。

 日本の自死遺児福祉に関わる「あしなが育英会」の著書『自殺って言えなかった』の中国語訳『説不出是自殺』(台北先覚出版、2003年10月初版)が台湾で出版された。その中には自殺の「事例」が少なからず載っている。その中では、多くの中年男性が、自分の会社内での潔白を証明しようとして、自殺をもって人格証明としているのである。このように公を優先して私を後にするのは、家族の幸福を後回しに考える思考である。まさにこれは武士道精神で、武士に切腹させて処罰し、悔い改めとし、恥を逃れさせ、友にあがなわせ、それによって自分の忠誠を究極的に証明させるのと同じである。現在でも形式こそは変わっているものの、精神的に内包されるものはほんの少しも変わっていない。

 それ以外にも、隠された文化意識が、社会的に著名な人の頭上につきまとっている。日本の社会は、有名人、特に文化人に対して、自殺への期待を有している。もちろん過去には、小説家・太宰治、文豪・三島由紀夫の自殺が一時期「盛り上がり」を見せたが、その背景には、みんなを満足させるような演技をしてくれることへの期待といった要素もある。これは一考に値することだ。

 小説家・柳美里『自殺』(株式会社文藝春秋、1999年12月初版)での分析によれば、太宰治を別の立場から見れば自殺というより他殺だという。社会上は、編集者から読者に至るまで、みな太宰が自殺によって自己の芸術生命を完成させることを期待していた。そして最後には人生に美しい終結をもたらしたのである。

 そのため、現代の流行文化スターの中でも、私たちは様々な人物が自殺を「演ずる」のを往々にして見る。中森明菜から宮沢りえに至る自殺未遂、尾崎豊の実行に至るまで、すべてこの分野における文化伝統は続いているといえる。8月に自首して覚醒剤使用を認めた酒井法子は、自首する前に一度、自殺したというデマが広まり、日本のネット上ではその情報が沸騰した(※訳注:2ちゃんねるの「酒井法子さん、首吊り自殺。」など、デマスレッドが散見される)。

 さらに詳細に背景にある文化心理構造を探るならば、自殺によって絢爛たるカーテンコールの儀式とする傾向は有名人本人だけでなく、ひるがえって無名の潜在する大衆にも大同小異の期待があるのではないか?

 実際、酒井法子の所属するサンミュージックもかつて芸能人が自殺した前科がある。1986年に人気を得ていた青春アイドル岡田有希子は、事務所のある大木戸ビル七階から飛び降りた。死体は写真週刊誌記者が撮影し、大騒動となったのである。「酒井法子が自殺した」という情報が流れたことについても、まさに一般人の心理の中に自殺を求める心があることを反映しているようである。

生まれつきつまらなかったから自殺する

 小説家・柳美里は、何度も自殺未遂を行なった末に、著名な小説家となった。そのため、日本社会の中では重要な自殺分析評論家となっている。柳は自殺から再生に至る個人の経歴を小説『命』に書いた。これは同タイトルの映画として2002年に上映され、江角真紀子がその役を演じた。

 柳は現代日本人の自殺感情について独特な解釈を行なっている。柳は、北野武の1993年映画『ソナチネ』がすべての問題点を呈示しているという――「生まれつきつまらなかったから、今やっと自殺するんだ」。映画の主役は、復讐を遂げて本来なら無事に戻ることができた。しかし、すべてを達成して恋人に会ったとたん、突然発砲自殺する。この作品は、理由を徹底的に排除した虚無的雰囲気に充ち満ちている。

 台湾の有名な文化人・南方朔もかつて憂鬱のために自殺企図があった。その彼が日本の最近の「集団自殺」現象を解読したものも期せずして一致している。フランスの思想家ジャン・ボードリヤールのいう「真実よりもヴァーチャルなものを信じられる世代」の中では、生命は経歴の過程ではなく、組み合わせて作られた形にすぎず、誰もがその指示によって事を進めているということになる。

 つまらなかったからやっと自殺するというのも、この種の「集団自殺」の一形式であり、あるいは文化上の集団抗争精神の顕現であるかもしれない。ではどういう人がこれを言い出すのか?

「自己愛型社会」の自殺風潮

 ネットを通して集団自殺を呼びかけた事例については、2008年に出現した硫化水素事件でまた別の要素があらわれた。硫化水素とは硫黄と水素の化合物で、無色の気体である。本来は自然界でも火山などに存在しており、高濃度の硫化水素では重い中毒が発生し、生命にも危険が及ぶ。近ごろ、ある人物がネット上で家庭用品を使って硫化水素を発生させる方法を公開し、これによって社会において続けざまに模倣自殺ならびに集団自殺の事件が続いた。最終的には日本政府はネットワークプロバイダーに対して、硫化水素製造方法資料を削除するよう要請し、収拾がつかなくなっていた風潮を抑えようとした。(※訳注:硫化水素自殺 - 閾ペディアことのは参照)

 社会学者・岡田尊司は『自己愛型社会』(平凡社、2005年5月初版)において、日本は「自己愛型社会」となっており、自殺率が高いのは変えられない事実だと指摘した。岡田はフランスの有名な社会学者エミール・デュルケームの名著『自殺論』(Le Suicide)を土台として論ずる。デュルケームによれば、カトリック国家の自殺率は低く、その多くが「他殺本意の自殺」である。それに比較してプロテスタント国家の自殺率は高く、それは「自殺本意の自殺」および「無規範状態」が多い。岡田尊司はこれに補足して、プロテスタント国家の多くは資本主義社会を形成している。また往々にして「自己愛型社会」となっている。その「自己愛」の特性は衝動的かつ破壊的なものであり、矛盾は同様に容易に自己に向かいやすくなる。このため、自己を攻撃することが進んで自殺となり、快楽型犯罪の新形態の一つとなっている、と述べる。

 日本社会には問題の起こらない日はなく、古い内容も不断の変化を遂げている。これは日本の問題点の限りのない様相である。

文:湯禎兆 編集:曾祥泰 日本語訳:松永英明

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